その少女、少年につき自覚
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「あ、えと、あ、跡部!」
昇降口で跡部の背中を認めて声を掛ける。自分から声を掛けるのは初めてで、言葉が喉に引っかかってしまう。緊張も羞恥も、プライドも、それら全てが混ざり合った声に跡部は振り向いた。蒼い瞳と目が合う。彼の瞳を直視したのは多分、生徒会室での邂逅以来初めてだった。
「……これ、傘。」
「あぁ。」
乾かして畳んだ傘を差し出すと、跡部は無駄な仕草無くそれを受け取る。すらりとした指先があたしの指先を掠め、傘の柄を掴んだ。多分跡部は意識してそうした訳ではないんだろう。だけど、一瞬だけ触れた指先が熱かった。どうして。
「……あ、ぅ。っそれだけ!」
その疑問に答えを出す前に、跡部を追い越し、靴を履き替えて教室へ向かう。喉がカラカラだった。じわり、と顔に熱が広がる。走ったからだ。そう、普段の運動不足が出ただけ。それだけ。こんな事なら朝練の時に部室で返してしまえば良かった。
数日前に復帰させられた部活では、相変わらずやる気のない態度を見せていた。けれど、何故か彼らはとても優しい態度であたしに接してくる。鳳はきっと罪悪感を抱えているだけ、でも芥川は少し謎だった。だって彼はあの時、完全に眠っていたはずだから。
それに対してのあたしは変わらず冷たい態度を心掛けている。だからこそ、あの場で跡部に傘を返すのは気が引けた。
そんなのはただの言い訳なのだけど。
息を乱したまま自身の教室の、自身に与えられた机に荷物を置く。バンっと予想外に乱暴な音がした。隣の席の女子生徒がびくりと肩を跳ねさせる。そのままゆっくりとした動作でこちらに視線を移し、そして目を見開いた。
「汐原、くん。……大丈夫?」
「……はっ、ぁ、何が……?」
迷ったように"くん"を付けてあたしを呼んだ彼女は、困ったように眉をひそめる。その仕草に少し申し訳なさが募った。
「顔、赤いよ?」
ひゅっと息を呑んだ。そのままへたり、と椅子に座り込む。そんなあたしの態度が体調不良のように写ったのか、隣の席の彼女が心配気にやる視線に気づくがそれに気をやる余裕なんて無かった。
顔が熱い。昇降口から教室まで、全力で走ったからだ。普段の運動不足が出ただけ。それだけじゃ、ない。
乱れた息は既に落ち着きを見せていた。それなのに心臓は落ち着いてくれない。ばくばく、ばくばくと煩い。紅潮しているであろう頬も熱いまま。まるで熱に浮かされているかのように。
どうして傘を返すだけなのに、あたしはあんなに緊張していたのだろう。本当は部活中にだって、何度も声をかけようとしたのだ。口を開いて、何度も。ただ、音にならなかっただけで。
カラカラに乾いた喉がひゅっと息を漏らすだけで、音にならなかったのだ。……跡部の名を、呼ぶ事が出来なかった。どうしてか、なんてそんなの。
(あぁ、心臓が煩くて敵わない。)
伏せた顔の熱が引く頃には、始業の鐘が鳴っていた。