その少女、少年につき雨傘
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傘に覆われた視界では跡部の姿は見えない。その事に少し救われた。自分の所為で雨に濡れる跡部の姿は見たくない。
「……命令なら、従うけど。」
御礼の代わりに命令なら仕方ないと、素直じゃない言葉を返して、それから顔を伏せて傘で覆いながら走りだした。ギュッと根元に近い部分を両手で握って、肩を竦めて、身体を縮めて。
誰にも見られないように。
跡部から逃げるように走り続けて、バス停でやっと息を吐いた。ばくばくと心臓が暴れる。薄くなった酸素を取り込むようにはくはくと息を吸うが、上手くいかない。弾んだ息は中々整わない。
なんで、なんで。
あんな気遣い、要らない。
命令、だなんて。
あんなの、要らない。
放って置いてくれればいいのに。雨に濡れて風邪ひいて、馬鹿だなって笑ってくれればいいのに。
なのになんで。
「……なんで、優しくすんの。」
あたしにとって、跡部は嫌な奴で、迷惑な奴で。そうでなければいけないのに。
あんな風に優しくされたら、嫌いになんて、なれない。
貸すと言えば断るであろうあたしから、敢えて命令だと逃げ道を奪って傘を差し出す。あたしが気にしないように。何があっても、跡部が無理やり持っていかせたとあたしが言い訳できるように。
そんな優しさ、要らない。
跡部の傘は見るからに男物で、黒の無地の傘が右手にズシリと重みを訴える。初めて持った男物の傘は、自分の物より大きくて、重たかった。
バス停に止まるバスに乗り込む。水滴を振り払って傘を閉じると、やはり跡部の私物といったところか、上質なのだろう簡単に水気を払うことができた。
これをまた、返しに行かないといけない事に憂鬱になる。業務以外で跡部に関わりたくない。それでも、これを借りパクしてしまうには余りにも高級なのが分かってしまって逡巡する。
跡部からしたら気にする物でもないんだろう。それはそれでイラッと来るものがあるが、礼儀として、やはり借りたものは返すべきだろう。
返す手段も機会もあるのだから特に。
運良く空いていた席に腰を下ろして鞄を漁る。直ぐに定期は見つかった。その際に目に入った教科書類は全くと言っていいほど水濡れは確認されなかった。
跡部から借りた傘のお陰、直ぐにそう思いついたが、それをかぶりを振って振り払う。跡部のお陰、なんてそんな事は、あり得ないのだから。
今回の事も、跡部が勝手に命令した事で、跡部のエゴで。だからあたしは、感謝なんてしない。大人げない、と理性が窘めるがそれに従う気にはなれなかった。