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ss集



か細く居場所を知らせるように、風鈴が鳴った。透明な風が入ってくる。

思い出したかのように起き上がった。
辺り一面真っ白い雲の上で、喉の痛みや体のきしみ、夢の余韻など、邪魔なものは不思議と何一つない。
レースのカーテンが風をはらんで船の穂になっている。
パジャマは僕のために誂らえたかのように、ぴったりと体を包み込んでいる。

リビングは藍色の液体に浸され、あらゆるものが影を帯びていた。
心の深いところに入り込み、境い目を溶かしてしまうようなその空気が心地良い。

ヤカンに水を入れ、火にかけた。
コンロの音がしんと静まり返った室内に大きく響いた。
優美なラインの取っ手がついたカップを棚から出した。稜線は際立ち、妙な存在感がある。この部屋に無理やり縫い込まれている。

冷蔵庫を開けた。スペースを無駄遣いしている冷蔵庫だ。
横のポケットからミルクティのパックを出した。
銀のティースプーンで粉を掬い、カップの底に落とす。

そのとき、忘れられかけていた携帯電話が鳴った。
火を止め、耳に押し当てる。

「ツキくん?
今日リョウさんが来てて、もう外すごい雨だしお客さん来ないだろうって言って店閉めてどこかでごはん食べようと思ってるんだけど、ツキくん来ない?


でもほら、おじさんとピチピチの美青年で会話が持ちこたえられるとも思えないし、ここはピチピチどうしツキくんに来て貰えたらすごく助かるんだけど、どう?



うんうん。じゃあ、うちの店の前までおいで。そこからみんなで歩こう」

電話を切る。
目に痛い液晶画面をキッチンに伏せると、やがて闇に埋もれた。

適当な服に着替えて、玄関に置いていた折り畳み傘を掴んだ。取っ手の青い目をした猫と目が合う。傘をぎゅっとつかんで、重い扉を開けた。

生暖かい空気を詰め込んだ風船の中で、しとしとと雨が降っている。傘の縁から水滴がちょこちょこ零れ落ちた。
革靴が刻むビートが鼓膜を独占する。

何度も辿って体に染み付いた道を歩く。横断歩道、猫の焼き物、公園の脇を抜けて小さな路地に入ると店が見えてくる。

店の前に青の大きな傘が立っていた。
小走りになると、ぱしゃぱしゃと足元が音を立てズボンの裾に跳ね返った。
音に気づいて食い気味に振り返ったその傘が、店長ではなくリョウさんのものだとわかっていた。
瞳がまっすぐ僕を射抜く。
それからカーディガンをずり下げた手が伸びてきて、僕の髪に触れた。

あまりに自然で、中学生のときに、あまり親しくなかった同じ部活の子に唐突に髪を触られたことに重なった。

なすがままになって目を伏せた。なかなか手の感触が頭から離れなくておそるおそる顔をあげる。
彼はなんともいえない表情をしていた。

「髪の毛はねてる。昨日ドライヤー、した?」

雨が、むっとした大気が、店長の取り計らいが、奇跡的に僕とリョウさんの距離を縮めるきっかけを作った。

何度も同じ空間にいて、初めて僕たちは心の柔らかいところに手を差し込んだ。

してないと言った。
リョウさんは思いのほか髪のことを掘り下げてきたので、僕は困ってしまった。
いつの間にか猫の折り畳み傘よりも広くて丈夫なその傘の中に招かれ、彼は僕の髪を好き勝手し始めた。

傘の下から雨が地面を叩きつけるのが見えた。僕はそれをゆっくり眺めた。

遅れて店長が店から出てきた。
並んで駅前のカフェに歩き始めてからも、彼は傘から手を伸ばし、僕の毛先を弄んでいた。
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