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短編

 唇を合わせる。その瞬間をどうしようもなく愛おしいものとして感じるようになったのはいつからか。目の前のそれに口付けを繰り返しながら、ぼんやりとした頭で考える。そも、はじまりは。はじまりは――ああ。この一件に関して言えば、ユナが悪い。
 もうすっかり酔ってしまったような青い瞳を見下ろして、如月影二は内心ひとりごちた。はじまりは彼女の気の利かない問いかけだった。
「ねえ、影二。バレンタインに欲しいもの、ある?」
 本当に、まったく、いっそユナらしいと笑ってしまいたくなるほど気が利かない。自分が言えた義理でもないが。そういうものは普通隠れて用意するものではないかと訊ねれば、彼女は――でもさ、チョコレート渡すのは去年やったし。そしたら今年は影二の好きなものをあげたいかな。なんて――と、これまたらしいことを言って笑ったのだった。
 なるほど、愛されている。
 どうしようもないほどに。疑いようもないほどに。いや、愛情に関して言えば過去一度だって疑ったことはない。もっとずっと、ともすれば出会ったときからユナの好意は明確だ。むず痒くなるような未知の感情は今やすっかり彼女の形になって、胸の空白に我が物顔で収まっている。それはそれで据わりが悪い――そうと感じていたのも一瞬で、あるいは飼い慣らされたのはおのれではないかと疑いたくなることもある。
 そういう話ならばと影二もいくらかは真面目に考え、そして告げたのだった。
「お前が欲しい」
 ありがちな話ではある。
 とはいえ他に思いつくようなものもなかった。修行以外に趣味があるわけでもなし、望んでやまない最強の二文字はおのれの手で勝ち取ることに意味がある。だからという言い方をするのも誠実でないような気もするが、無趣味な男が恋人には目を向けるようになったのだと思えばそう酷くもないのだろう。おそらくは。
 実際、ユナの反応も悪くはなかった。てれてれしながら――いやあ、だって、そんな、今さら言うまでもなく、その、わたしには影二だけだよ――と。それだ。それがよくない。いつでも与えられるまま、先回りされることにもすっかり慣れて、男としても甲斐がない。ならばと逆に一切の手出し無用を言い含め、この状況に至る。
「なんか……これ……想像してたのと、違う……」
 浅い口付けを繰り返されて、もどかしげなユナの呟きが聞こえてくる。なにを想像していたのかとは訊かなかった。訊かずとも分かっていた。
「拙者も気が長い方ではないが、まあこれも忍びの領分だ」
「なにそれ、なにするの、こわい」
 多少、いや、かなり本気でぎょっとしたように見えたのは普段の行いの悪さもあるか。影二は苦笑して、ユナの肩をそっと押した。抵抗もなくソファに傾いていく彼女の耳許で、一度だけ囁く。一度だけだ。
「そうだな。恐ろしいことだ」
 知ってしまえば、後戻りなどできなくなってしまうような――そんな予感も今はどこか心地よかった。



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