君の深淵は何色か
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不機嫌な誠士郎を引っ張ってなんとか学生寮を出ると、目の前の道路に立派なリムジンが停まっているのが目に入った。
住宅街には不釣り合いな高級車両に足を止めるより早く、後部座席から御影玲王が降りてきた。
「遅かったな二人とも! 学校まで一緒に乗っていけよ!」
玲王の言う通り、私が誠士郎の部屋を訪れるのが遅かったせいで、いつも寮を出る時刻をとうに過ぎている。
それでも私達が出てくるのを待ってくれて、しかもその気苦労を感じさせないような笑顔で出迎えてくれる。
朝日を浴びてきらきらと輝く彼の姿を、目を眇めて仰ぎ見た。
「どうした、アキラ?」
「いや……おはよう、玲王」
「おはよ」
玲王は私に無言で凝視されて一瞬首を傾げたものの、爽やかな笑みとともに挨拶を返してくれた。
そんなやりとりをしている間に、誠士郎は私達の横をすり抜けてリムジンに乗り込もうとしている。
玲王はそれを見て少しだけ苦笑し、再度私に視線を移した。
「どうする? アキラも乗ってくか?」
「……そうだね。じゃあ今日はお言葉に甘えようかな」
玲王はほっとしたように表情を緩め、それから嬉しそうに車内へ迎え入れた。
初めて目にするリムジンの車内は、外観から想像された通りの豪奢さだ。
広々とした車室、高級感溢れる革張りの座席、備え付けのテーブルの上にはノンアルコールのスパークリングワインと三人分のグラス――乗車するのを猛烈に躊躇したが、もう後には引けない。
我が物顔で鎮座している誠士郎の隣に腰を下ろすと、すぐに玲王も私の横に座った。
「喉渇いてねぇか? 今飲み物準備するからな」
ドアが閉まって車が発進した直後、玲王はそう言いながらワインボトルを手に取った。
触れた拍子にボトルに付着した水分がぽとりとテーブルの上に落ちたが、玲王は構わず中身をグラスに注いでいった。
その様子を視界に入れたまま、私は口火を切った。
「珍しいね」
「ん? リムジンで迎えに来たことか? ちょうど近くを通りかかったから、ついでにな」
「いや、そうじゃなくて……」
それも珍しくはあるけれど。
出会ったばかりの頃は今日のように寮前にリムジンを乗りつけていたのだが、私は目立つのを嫌って同乗するのを拒否していたら、いつの間にか私達と登校する時は徒歩で来るようになった。
それについても色々と言いたいことはあるが、今主張したいのはそこではない。
「私が気になったのは、玲王が睡眠不足なことだよ。いつもは充分にセルフケアしてコンディション整えてるのに、昨日は何かあったの?」
よくゲームで夜更かしする誠士郎とは違い、玲王は自分の体調をコントロールするための努力を惜しまない人だ。
普通の人なら指摘するほどでもないレベルだが、そんな玲王に対しては僅かな不調が一際目立つ。
私にとっては当然の疑問を口にしたつもりだったが、玲王は呆然とした表情でまじまじと私を見つめていた。
「何? 私変なこと言った?」
「……いや、なんつーか……、凪も今まで苦労してたんだなって実感したわ」
「だから言ったじゃん。俺絶対悪くないよね」
玲王の脈絡のない返答に、鋭く低い声が割り込んだ。
驚いて誠士郎の方を振り向くと、無愛想に目線を逸らされた。
と同時に、玲王の吹き出す声が横から聞こえた。
「いやごめん。お前らの反応が面白くて」
「それはいいけど……。本当に何があったの?」
「あー……、そんなに気になる? 俺が寝不足なこと」
「そりゃ気になるし心配だよ」
それを聞いた玲王は、気まずそうな態度から、優しく柔らかい表情に変わった。
そして、背もたれに体重をかけながら、吹っ切れたように明るい調子で話し出した。
「大したことねぇよ。昨日は一世一代の告白に対して、三人で付き合うとか前代未聞の条件を突きつけられたもののOKしてくれたもんだから、色々と考えちまって寝不足だっただけだ」
「え、」
間抜けな声が口から漏れた。
彼の不調が自分の所為だという事実を突きつけられ、脊髄に冷水を流し込まれたような悪寒が走った。
――いや、本当は、明言される前から気づいていた。
珍しくリムジンで迎えに来た彼の意図や、何気ない言動に混じった緊張感、時折寄越す私の反応を伺うような視線の正体――玲王が“決定的な言葉”を用意しているんだろうと薄々気づいていた。
それでも、二人を諦めきれない醜い恋心が、玲王に決定権を委ねてしまった。
優しい玲王が私を振ることに悩まないはずがないことを、知っていたのに。
自分の胸に広がる泥々とした罪悪感を自覚し、“これ”なら恋心を殺せると思った。
「そっか。ならちょうど良かった」
「え?」
「私も考え直したんだよ。昨日は三人で付き合おうって提案したけど、やっぱりあんなのおかしいもんね。かと言って私はどちらかを選ぶことはできないから、今まで通り友達として……――」
最後まで言い終わる前に、誠士郎が勢いよく私の腕を掴んだ。
けれど私が途中で口を噤んだ理由は、幼馴染みのただならぬ荒々しさではなく、目の前でみるみる顔色を悪くして取り乱す玲王の姿だった。
「は……? なんだよそれ。昨日は三人なら付き合ってもいいって言ってただろ。なんで急に心変わりしたんだよ」
「そうだよ。今朝俺が訊いた時は付き合ってるって答えたじゃん。あれ嘘だったの?」
聞いたことのないほど弱々しく震える玲王の声と、焦っているのか珍しく早口な誠士郎の声。
両方向から普段と異なる声色を浴びせられ、用意していた筋書きが頭から完全に消失した。
動揺と不安に揺れる紫の瞳が別れ話を拒絶しているように見えるのは、私の願望から来る幻覚だろうか。
だって、玲王は私と付き合ったのを後悔しているはずで、邪魔の入らない環境で別れ話をするために車で迎えに来たはずで、私の身勝手な提案で玲王は苦しんでいるはずで――
脳内がショートしそうになったところを、私の腕をへし折りそうな強さの握力が現実に引き戻した。
スパークリングワインが非常に飲みたい気分だが、グラスに手を伸ばすのが許される空気ではない――代わりにゆっくり深呼吸してから、意を決して口を開いた。
「……あの、まず、玲王に確認したいんだけど」
「なんだよ」
「玲王は、三人で付き合うことに不満はないの?」
「は?」
「だって告白してくれた時は、こんな形で交際することは想定してなかったはずでしょ。なんで三人で付き合ってもいいと思ったの?」
車内に沈黙が降りた。
『お前が言うか』という台詞が玲王の顔に書かれているのが見える気がする。
確かに事の発端を作り出した人間の発言ではないのは分かっているが、玲王の真意をはっきりさせないと話を進められない。
すると私の意図が伝わったのか、玲王は深く息を吐いた。
「そりゃな、俺も凪も、できるならアキラと一対一で付き合いてぇよ。俺だけの彼女にしたいし、独り占めしたいし、俺だけを見てほしい」
玲王は真っすぐ射抜くように私を見ていて、その瞳の奥に執着が光っているのを感じ取った。
「ただ、今はまず、俺達に愛されてることを自覚してもらうところからだな。どうせ、あんな提案したから俺達がお前に幻滅するとでも思ったんだろ?」
内心を見事に当てられ、押し黙るしかなかった。
玲王はそんな私を見て鼻を鳴らした後、残念だったな、と舌を出した。
「俺達は、三人で付き合うなんて馬鹿みたいな条件ふっかけられても諦められねぇくらい、アキラのことが好きなんだよ。たとえ普通のお付き合いでも他の奴じゃ満たされねぇし、アキラが傍にいてくれるならどんな無茶な要求も呑む」
「……でも、それが玲王の苦痛になるなら、やっぱり付き合わない方がいいよ」
「苦痛?」
私の言葉を反芻して、きょとんとする玲王。
顎に手を当てて考え込み、やがて得心したように、ああ、と声を漏らした。
「もしかして、俺の寝不足のことか? 昨日眠れなかったのは、ずっと好きだった子と付き合えて、嬉しくて浮かれただけだ。ダセェと思って言えなかったんだよ。誤解させてごめんな」
こちらを安心させるように笑ってみせる彼を見て、ようやく緊張の糸が緩んだ。
その顔は、私のよく知る御影玲王だ。
「で、それでもまだ別れたいとか言うのかよ」
「……ううん、二人が納得してるならいいよ」
――いやいいのか?
なんかうまく流されたような、力ずくで押し切られたような。
けれど、誠士郎の手が安心したように私の腕から離れ、折角だから乾杯しようと玲王が嬉しそうな笑顔でグラスを差し出すを見たら、僅かな疑問を口にするのを憚られた。
それに、殺す覚悟を決めた恋心が、二人から執着されるのを確かに歓喜してしまったのだ。
「じゃあこれから、三人でよろしくな」
玲王の音頭に合わせて、グラスを合わせる音が高らかに鳴った。
空の棺ふたつ
住宅街には不釣り合いな高級車両に足を止めるより早く、後部座席から御影玲王が降りてきた。
「遅かったな二人とも! 学校まで一緒に乗っていけよ!」
玲王の言う通り、私が誠士郎の部屋を訪れるのが遅かったせいで、いつも寮を出る時刻をとうに過ぎている。
それでも私達が出てくるのを待ってくれて、しかもその気苦労を感じさせないような笑顔で出迎えてくれる。
朝日を浴びてきらきらと輝く彼の姿を、目を眇めて仰ぎ見た。
「どうした、アキラ?」
「いや……おはよう、玲王」
「おはよ」
玲王は私に無言で凝視されて一瞬首を傾げたものの、爽やかな笑みとともに挨拶を返してくれた。
そんなやりとりをしている間に、誠士郎は私達の横をすり抜けてリムジンに乗り込もうとしている。
玲王はそれを見て少しだけ苦笑し、再度私に視線を移した。
「どうする? アキラも乗ってくか?」
「……そうだね。じゃあ今日はお言葉に甘えようかな」
玲王はほっとしたように表情を緩め、それから嬉しそうに車内へ迎え入れた。
初めて目にするリムジンの車内は、外観から想像された通りの豪奢さだ。
広々とした車室、高級感溢れる革張りの座席、備え付けのテーブルの上にはノンアルコールのスパークリングワインと三人分のグラス――乗車するのを猛烈に躊躇したが、もう後には引けない。
我が物顔で鎮座している誠士郎の隣に腰を下ろすと、すぐに玲王も私の横に座った。
「喉渇いてねぇか? 今飲み物準備するからな」
ドアが閉まって車が発進した直後、玲王はそう言いながらワインボトルを手に取った。
触れた拍子にボトルに付着した水分がぽとりとテーブルの上に落ちたが、玲王は構わず中身をグラスに注いでいった。
その様子を視界に入れたまま、私は口火を切った。
「珍しいね」
「ん? リムジンで迎えに来たことか? ちょうど近くを通りかかったから、ついでにな」
「いや、そうじゃなくて……」
それも珍しくはあるけれど。
出会ったばかりの頃は今日のように寮前にリムジンを乗りつけていたのだが、私は目立つのを嫌って同乗するのを拒否していたら、いつの間にか私達と登校する時は徒歩で来るようになった。
それについても色々と言いたいことはあるが、今主張したいのはそこではない。
「私が気になったのは、玲王が睡眠不足なことだよ。いつもは充分にセルフケアしてコンディション整えてるのに、昨日は何かあったの?」
よくゲームで夜更かしする誠士郎とは違い、玲王は自分の体調をコントロールするための努力を惜しまない人だ。
普通の人なら指摘するほどでもないレベルだが、そんな玲王に対しては僅かな不調が一際目立つ。
私にとっては当然の疑問を口にしたつもりだったが、玲王は呆然とした表情でまじまじと私を見つめていた。
「何? 私変なこと言った?」
「……いや、なんつーか……、凪も今まで苦労してたんだなって実感したわ」
「だから言ったじゃん。俺絶対悪くないよね」
玲王の脈絡のない返答に、鋭く低い声が割り込んだ。
驚いて誠士郎の方を振り向くと、無愛想に目線を逸らされた。
と同時に、玲王の吹き出す声が横から聞こえた。
「いやごめん。お前らの反応が面白くて」
「それはいいけど……。本当に何があったの?」
「あー……、そんなに気になる? 俺が寝不足なこと」
「そりゃ気になるし心配だよ」
それを聞いた玲王は、気まずそうな態度から、優しく柔らかい表情に変わった。
そして、背もたれに体重をかけながら、吹っ切れたように明るい調子で話し出した。
「大したことねぇよ。昨日は一世一代の告白に対して、三人で付き合うとか前代未聞の条件を突きつけられたもののOKしてくれたもんだから、色々と考えちまって寝不足だっただけだ」
「え、」
間抜けな声が口から漏れた。
彼の不調が自分の所為だという事実を突きつけられ、脊髄に冷水を流し込まれたような悪寒が走った。
――いや、本当は、明言される前から気づいていた。
珍しくリムジンで迎えに来た彼の意図や、何気ない言動に混じった緊張感、時折寄越す私の反応を伺うような視線の正体――玲王が“決定的な言葉”を用意しているんだろうと薄々気づいていた。
それでも、二人を諦めきれない醜い恋心が、玲王に決定権を委ねてしまった。
優しい玲王が私を振ることに悩まないはずがないことを、知っていたのに。
自分の胸に広がる泥々とした罪悪感を自覚し、“これ”なら恋心を殺せると思った。
「そっか。ならちょうど良かった」
「え?」
「私も考え直したんだよ。昨日は三人で付き合おうって提案したけど、やっぱりあんなのおかしいもんね。かと言って私はどちらかを選ぶことはできないから、今まで通り友達として……――」
最後まで言い終わる前に、誠士郎が勢いよく私の腕を掴んだ。
けれど私が途中で口を噤んだ理由は、幼馴染みのただならぬ荒々しさではなく、目の前でみるみる顔色を悪くして取り乱す玲王の姿だった。
「は……? なんだよそれ。昨日は三人なら付き合ってもいいって言ってただろ。なんで急に心変わりしたんだよ」
「そうだよ。今朝俺が訊いた時は付き合ってるって答えたじゃん。あれ嘘だったの?」
聞いたことのないほど弱々しく震える玲王の声と、焦っているのか珍しく早口な誠士郎の声。
両方向から普段と異なる声色を浴びせられ、用意していた筋書きが頭から完全に消失した。
動揺と不安に揺れる紫の瞳が別れ話を拒絶しているように見えるのは、私の願望から来る幻覚だろうか。
だって、玲王は私と付き合ったのを後悔しているはずで、邪魔の入らない環境で別れ話をするために車で迎えに来たはずで、私の身勝手な提案で玲王は苦しんでいるはずで――
脳内がショートしそうになったところを、私の腕をへし折りそうな強さの握力が現実に引き戻した。
スパークリングワインが非常に飲みたい気分だが、グラスに手を伸ばすのが許される空気ではない――代わりにゆっくり深呼吸してから、意を決して口を開いた。
「……あの、まず、玲王に確認したいんだけど」
「なんだよ」
「玲王は、三人で付き合うことに不満はないの?」
「は?」
「だって告白してくれた時は、こんな形で交際することは想定してなかったはずでしょ。なんで三人で付き合ってもいいと思ったの?」
車内に沈黙が降りた。
『お前が言うか』という台詞が玲王の顔に書かれているのが見える気がする。
確かに事の発端を作り出した人間の発言ではないのは分かっているが、玲王の真意をはっきりさせないと話を進められない。
すると私の意図が伝わったのか、玲王は深く息を吐いた。
「そりゃな、俺も凪も、できるならアキラと一対一で付き合いてぇよ。俺だけの彼女にしたいし、独り占めしたいし、俺だけを見てほしい」
玲王は真っすぐ射抜くように私を見ていて、その瞳の奥に執着が光っているのを感じ取った。
「ただ、今はまず、俺達に愛されてることを自覚してもらうところからだな。どうせ、あんな提案したから俺達がお前に幻滅するとでも思ったんだろ?」
内心を見事に当てられ、押し黙るしかなかった。
玲王はそんな私を見て鼻を鳴らした後、残念だったな、と舌を出した。
「俺達は、三人で付き合うなんて馬鹿みたいな条件ふっかけられても諦められねぇくらい、アキラのことが好きなんだよ。たとえ普通のお付き合いでも他の奴じゃ満たされねぇし、アキラが傍にいてくれるならどんな無茶な要求も呑む」
「……でも、それが玲王の苦痛になるなら、やっぱり付き合わない方がいいよ」
「苦痛?」
私の言葉を反芻して、きょとんとする玲王。
顎に手を当てて考え込み、やがて得心したように、ああ、と声を漏らした。
「もしかして、俺の寝不足のことか? 昨日眠れなかったのは、ずっと好きだった子と付き合えて、嬉しくて浮かれただけだ。ダセェと思って言えなかったんだよ。誤解させてごめんな」
こちらを安心させるように笑ってみせる彼を見て、ようやく緊張の糸が緩んだ。
その顔は、私のよく知る御影玲王だ。
「で、それでもまだ別れたいとか言うのかよ」
「……ううん、二人が納得してるならいいよ」
――いやいいのか?
なんかうまく流されたような、力ずくで押し切られたような。
けれど、誠士郎の手が安心したように私の腕から離れ、折角だから乾杯しようと玲王が嬉しそうな笑顔でグラスを差し出すを見たら、僅かな疑問を口にするのを憚られた。
それに、殺す覚悟を決めた恋心が、二人から執着されるのを確かに歓喜してしまったのだ。
「じゃあこれから、三人でよろしくな」
玲王の音頭に合わせて、グラスを合わせる音が高らかに鳴った。
空の棺ふたつ