漆黒の人魚姫
名前変換
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名前が医務室を出て廊下を移動していると、反対側から歩いてくる国木田と鉢合わせた。
互いに相手の存在を認めると、国木田は足を止め、名前は黙礼してそのまま通り過ぎた。
「おい」
国木田の横を過ぎて数歩進んでところで、国木田に呼び止められた。
名前が振り返ると、国木田は背中越しに鋭い眼光で凝視していた。
「あの虎の小僧は、お前にとってどういう存在だ?」
「孤児院で数年一緒に過ごしました」
「それは小僧から聞いた」
「両親に捨てられ放浪していた私を孤児院に誘ったのが敦です」
露骨な表現に国木田は息を呑んだ。
孤児院出身であることは入社当時に明かしたものの、生い立ちを話したのはこれが初めてだったと彼女は遅ればせながら気づいた。
そして、孤児院に入った経緯について敦が口を噤んでいたこともこの時に知った。
国木田は視線を名前から外し、感慨深そうに目を閉じた。
「……なるほど、小僧には拾われた恩があるということか」
「いえ、恩はそれほどありません」
「ないのかっ!?」
軽く否定したら、国木田は頭に乗せた眼鏡を床に落としそうなほど勢いよく振り向いた(何故眼鏡を掛けていないのだろうかと名前は思ったが、指摘はしなかった)。
国木田が動揺のあまり絶句しているので、弁解するように言葉を続けた。
「元々一人で生きていく覚悟だったので、孤児院に拾われたことはさほど扶けになったとは思っていません」
それに敦も認めているように、孤児院は決して良好な環境ではなかった。
名前は敦ほど酷い扱いを受けたわけではないが、かと言って孤児院そのものに特段愛着はない。
思い入れがあるとすれば、それは中島敦一人である。
「ただ、あの時私に声を掛けたことを、後悔されたくないと思っています」
――あの時産まなきゃ良かった、と捨て台詞を吐いた両親のように。
とはさすがに口に出さなかったものの、国木田のほうで何か察するところがあったのか、強ばった表情で名前を見た。
そして、彼は緊張を解すように、長く息を吐いたのだった。
「小僧に、名前と直接話せと太宰が云った理由が良く判った」
同じことを名前も先ほど太宰に命じられたばかりだ。
別段避けている意識はないのだが、こうも頑なに勧められる理由は名前には判らなかった。
「お前のことも少しだけ理解できた気がする」
あまり気負いすぎるなよ、と国木田は言い残して、医務室の方向へ去って行った。
彼の背中を見送りながら、名前はふと太宰の言葉を思い出した。
――君は何も判っていない。君に求められているのは、敵を殲滅することでも、陰ながら敦君の平穏を守ることでもない。
あの時、太宰に真意を確認していれば、名前の運命は全く変わっていただろう。
しかし長い期間を孤高に生きてきた彼女は、他者に答えを求める発想も、澱のような心的外傷 を外に吐き出す手段も知らないのだった。
互いに相手の存在を認めると、国木田は足を止め、名前は黙礼してそのまま通り過ぎた。
「おい」
国木田の横を過ぎて数歩進んでところで、国木田に呼び止められた。
名前が振り返ると、国木田は背中越しに鋭い眼光で凝視していた。
「あの虎の小僧は、お前にとってどういう存在だ?」
「孤児院で数年一緒に過ごしました」
「それは小僧から聞いた」
「両親に捨てられ放浪していた私を孤児院に誘ったのが敦です」
露骨な表現に国木田は息を呑んだ。
孤児院出身であることは入社当時に明かしたものの、生い立ちを話したのはこれが初めてだったと彼女は遅ればせながら気づいた。
そして、孤児院に入った経緯について敦が口を噤んでいたこともこの時に知った。
国木田は視線を名前から外し、感慨深そうに目を閉じた。
「……なるほど、小僧には拾われた恩があるということか」
「いえ、恩はそれほどありません」
「ないのかっ!?」
軽く否定したら、国木田は頭に乗せた眼鏡を床に落としそうなほど勢いよく振り向いた(何故眼鏡を掛けていないのだろうかと名前は思ったが、指摘はしなかった)。
国木田が動揺のあまり絶句しているので、弁解するように言葉を続けた。
「元々一人で生きていく覚悟だったので、孤児院に拾われたことはさほど扶けになったとは思っていません」
それに敦も認めているように、孤児院は決して良好な環境ではなかった。
名前は敦ほど酷い扱いを受けたわけではないが、かと言って孤児院そのものに特段愛着はない。
思い入れがあるとすれば、それは中島敦一人である。
「ただ、あの時私に声を掛けたことを、後悔されたくないと思っています」
――あの時産まなきゃ良かった、と捨て台詞を吐いた両親のように。
とはさすがに口に出さなかったものの、国木田のほうで何か察するところがあったのか、強ばった表情で名前を見た。
そして、彼は緊張を解すように、長く息を吐いたのだった。
「小僧に、名前と直接話せと太宰が云った理由が良く判った」
同じことを名前も先ほど太宰に命じられたばかりだ。
別段避けている意識はないのだが、こうも頑なに勧められる理由は名前には判らなかった。
「お前のことも少しだけ理解できた気がする」
あまり気負いすぎるなよ、と国木田は言い残して、医務室の方向へ去って行った。
彼の背中を見送りながら、名前はふと太宰の言葉を思い出した。
――君は何も判っていない。君に求められているのは、敵を殲滅することでも、陰ながら敦君の平穏を守ることでもない。
あの時、太宰に真意を確認していれば、名前の運命は全く変わっていただろう。
しかし長い期間を孤高に生きてきた彼女は、他者に答えを求める発想も、澱のような
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