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日記をつけ始めたのは、有栖院家お抱えの家庭教師に勧められたのがきっかけだ。
御国や御園も同じ教育を受けてきたので、あの家ではさほど珍しい習慣ではない。
『手書きで残すべきだ』という彼の教えに異を唱えるつもりはないけど、まさか当人もこんな形で日記が悪用されることは想定していなかっただろう。
「名前はマメだね。毎日欠かさず書いてるし、字も綺麗で読みやすいよ」
断じて椿に読んでもらうために丁寧に書きつけていたわけではない。
けれど、もし兄のように悪筆であったなら、少なくともこんな風に鼻歌交じりに読まれることはなかっただろうかと歯噛みする。
椿の目線が日記の隅々まで動き、指がページを捲るたび、自分の大事な秘密を覗かれる不安感と不快感が襲ってくる。
不安と言えば、あの中に何かまずいことは書いてなかっただろうかという懸念もある。
まさかC3の機密情報といったトップシークレットを記録したはずはないが、どんな記述が椿側に有益となるか分からない。
たとえば、吊戯さんの昼食のメニューのような一見非常にどうでもいいことでも、吸血鬼にとっては価値のある情報かもしれないのだ。
油断した、敵の手に落ちた時点で拷問くらいは覚悟していたが、まさかこんな手段で情報漏洩を許すことになるとは。
「C3の情報を知りたいわけじゃないから、そこは安心していいよ。僕が興味があるのは、名前の思い出だけだから」
またしても心を読んだかのように、目線は日記に固定したままでそう言った。
その言葉に、C3の人間として安堵すればいいのか、私の退路を完全に断とうとしている意図に戦慄すればいいのか。
私の大事な思い出を、心の支えを、これから椿の手で汚されるのかと思うと、不快どころではない――もっと圧倒的な恐怖だ。
ちくしょう、どうしてこうも先手を打たれるんだ。
心中で悔し紛れにぼやいた自分の言葉に、ふと疑問が湧いた。
――どうしてこうも先手を“打てる”んだ?
椿の言動は、まるで私の出方を、思考回路を知り尽くしているかのように、的確に私の急所を抉ってくる。
けれど、憂鬱の吸血鬼と接触のなかった私の情報なんて、それこそ日記を読む以外に知る機会があるはずない。
ただ単に彼の洞察力が人並み外れているだけか?
相手は憂鬱の真祖、百戦錬磨の吸血鬼なのだから、そう判断を下しても核心を外していないような気がする。
けれど、何故だろう、嫌な予感がするのは。
そんな定石で片づけてはいけない“何か”があると、思わずにいられないのは。
「この日記帳、名前の七歳の誕生日に貰ったものなんだね」
椿がそう声を掛けてきたので、一旦思考をそちらに集中する。
そこで初めて気づいたが、彼が手にしている日記帳は、鞄に入れていた最新のものではなく、初めて日記を書き始めた一冊目だ。
古い日記帳は私の鞄ではなく、マンションの本棚に仕舞ってあったはずだが、今更驚きはしない。
次の台詞の方に、注意を根こそぎ持っていかれたからだ。
「懐かしいな。僕と名前が出会ったのもちょうどその頃だったね」
聞き流すにはあまりに大きすぎる爆弾が、投下された。
「は?」
長時間喋っていなかったせいか、襲い来る不穏な予感のせいか、喉に息が張りついて碌に声量が出なかった。
それでも椿の耳に届いたらしく、彼は日記から顔を上げ、私に向かって優しく微笑んだ。
まるで楽しい思い出を共有する時のように、優しく微笑んだ。
「覚えてない? 昔、有栖院家の知り合いのパーティに来てたでしょ。あの場に僕もいたんだよ」
覚えてない。
けれど、当時父の仕事の関係で招待されたパーティに色々連れ回された記憶はある。
その中の何処かに椿がいて、知らないうちに出会っていたということか?
あの時の君は可愛かったとか何とか椿は語ったが、ほとんど耳に入らなかった。
ただ、動揺する私の様子を見て、彼が少し残念そうに漏らした発言には反応せざるを得なかった。
「まあ、気づかなかったのも無理ないか。憂鬱 だって分からないようにしてたし、その後君を見てた時も、有栖院家やC3にバレないように細心の注意を払っていたし」
「……見てたって、いつ」
「いつって、ずっとだけど」
何故そんなことを訊くのか、とでも言いたげに、少し戸惑ったように聞こえたのは気のせいか。
「名前が七歳の時に出会ってからずっと、有栖院家にいた時も、家を出てC3に入ってからも、一人暮らしをしながら中学に通ってた頃も――……」
ふいに椿の言葉が途切れた。
しかし、私は全身を走る寒気と戦うのに必死で、その異変に気づけなかった。
「……ずっと名前を見ていたよ」
彼の言葉が真実なら、マンションで待ち伏せた時のうわ言のような台詞の数々は、長年の恐ろしいまでの執着から生まれたものだった。
あの時、少なくとも椿にとっては、私達は初対面どころじゃなかったのだ。
そう念頭に置いても、理解できない箇所も多いのだが。
――ねえ、どうして僕を裏切ったの?
今の話からは、まだ『裏切った』という言葉の真意は測りかねる。
「だから、僕は名前のことを誰よりもよく理解している。たとえば、名前が今何を考えているかも、何を企んでいるかも、手に取るように分かるよ」
反射的にドアの方に目をやりそうになって、慌てて椿を睨みつけた。
まだ、すべてがはったりという可能性も捨てきれないのだ。
私が椿の言葉から彼の真意を探ろうとしているのと同様に、彼も私の反応を窺っているとしてもおかしくない。
落ち着け、呑まれるな。
椿の言動から、監禁の目的を探ることに徹しろ。
ここから逃げ出すために。
再び家族に会うために。
「そんなに私に詳しいなら、今更日記なんて読む必要ないんじゃない?」
主導権を握る意図で発言したつもりだったが、後から振り返れば、ただこの空気に耐えられなかっただけかもしれない。
最初に椿の名前を口にした時のように。
黙っていることに、耐え切れなくなっただけかもしれない。
「そうだね。確かに、君の身に起こった出来事なら何でも知ってる。君の言動や反応を見ていたから、感情や思想も把握している。でも、そんな僕でも知らないことがあったんだ」
「………」
「たとえば、君が僕のことをどう思ってるか、とかね」
早速、迂闊に口走ったことを後悔し始めた。
「ほら、僕はずっと君を見てたけど、君から認知される機会はほとんどなかったじゃない。まともに会話したのも、この部屋が最初だったし。だから、僕としたことが、つい勘違いしちゃったんだよね」
私を真っ直ぐ見下ろす瞳に、寂しげな色が混ざった。
「こうして実際に向き合ってみるまで気づかなかった。さすがに好かれてるとは思ってなかったけど、当然恨まれてると思ってたよ――実の両親を殺した僕のことを」
「………」
今更。
今更、驚きはしない。
魔術師だった両親が椿に殺されたことは、とっくの昔に聞かされていた。
「C3の戦闘員になったのは、両親の仇を討つためだって少し期待してたんだよ。いつか僕を殺すために会いに来てくれる。それが叶わなくても、僕が目の前に現れれば、名前は僕に強い憎しみを向けてくれるって、そう信じてたんだ」
すると、口元に笑みを湛えながら、彼はぞっとするほど冷たい声で吐き捨てた。
「でも甘かった」
あまりの豹変に、びくんっ、とベッドの上で凍りついた。
その笑顔からは想像もつかないほど重く冷ややかな空気が、部屋を一瞬で支配した。
「思えば、生後一か月の時のことなんて、実感がわかないのは当然だよね。君にとって大切な家族は、有栖院家の方なんだから」
そう明け透けに言われてしまうと、まるで実の両親に対して何の愛情もないかのようで肯定しづらい。
ただ、自分が養女であることを日常生活でほとんど自覚する隙がないほどあの家に愛されているのは、誇るべき事実だ。
「有栖院家の人間を殺せば、今度こそ君は僕を許さないでくれるかな」
「……なにを」
「冗談だよ。僕達の結婚式には、君の家族も呼んであげたいからね」
どちらにせよ恐ろしい冗談を口にして、椿は笑った。
その“冗談”をきっかけに、纏う空気が先ほどまでの穏やかなものに変化した。
無意識に止めていた呼吸をゆっくり再開する。
「とにかく、そういうわけで、あの日僕は君に会いに行ったんだ。君と二度と切れない繋がりを結ぶために」
「………」
「これが、僕の理由だよ。君を吸血鬼にして、主人にして、ここに閉じ込めた理由。これが知りたかったんでしょ?」
そうか、と合点がいった。
この部屋に閉じ込められてすぐの頃、椿の言った台詞の意味を、唐突に理解したのだ。
――僕の一番の望みは、君が僕を受け入れてくれること。
あの時は、訳も分からずぞっとしたが、今ようやくその言葉と私を監禁した理由が繋がった。
椿は私から、憎悪という何にも負けない強い感情が欲しいのだ。
雲の上のような存在ではなく、両親を殺し、家族から引き離し、私を化け物にした仇敵として、憎しみと共に受け入れてほしいのだ。
御国や御園も同じ教育を受けてきたので、あの家ではさほど珍しい習慣ではない。
『手書きで残すべきだ』という彼の教えに異を唱えるつもりはないけど、まさか当人もこんな形で日記が悪用されることは想定していなかっただろう。
「名前はマメだね。毎日欠かさず書いてるし、字も綺麗で読みやすいよ」
断じて椿に読んでもらうために丁寧に書きつけていたわけではない。
けれど、もし兄のように悪筆であったなら、少なくともこんな風に鼻歌交じりに読まれることはなかっただろうかと歯噛みする。
椿の目線が日記の隅々まで動き、指がページを捲るたび、自分の大事な秘密を覗かれる不安感と不快感が襲ってくる。
不安と言えば、あの中に何かまずいことは書いてなかっただろうかという懸念もある。
まさかC3の機密情報といったトップシークレットを記録したはずはないが、どんな記述が椿側に有益となるか分からない。
たとえば、吊戯さんの昼食のメニューのような一見非常にどうでもいいことでも、吸血鬼にとっては価値のある情報かもしれないのだ。
油断した、敵の手に落ちた時点で拷問くらいは覚悟していたが、まさかこんな手段で情報漏洩を許すことになるとは。
「C3の情報を知りたいわけじゃないから、そこは安心していいよ。僕が興味があるのは、名前の思い出だけだから」
またしても心を読んだかのように、目線は日記に固定したままでそう言った。
その言葉に、C3の人間として安堵すればいいのか、私の退路を完全に断とうとしている意図に戦慄すればいいのか。
私の大事な思い出を、心の支えを、これから椿の手で汚されるのかと思うと、不快どころではない――もっと圧倒的な恐怖だ。
ちくしょう、どうしてこうも先手を打たれるんだ。
心中で悔し紛れにぼやいた自分の言葉に、ふと疑問が湧いた。
――どうしてこうも先手を“打てる”んだ?
椿の言動は、まるで私の出方を、思考回路を知り尽くしているかのように、的確に私の急所を抉ってくる。
けれど、憂鬱の吸血鬼と接触のなかった私の情報なんて、それこそ日記を読む以外に知る機会があるはずない。
ただ単に彼の洞察力が人並み外れているだけか?
相手は憂鬱の真祖、百戦錬磨の吸血鬼なのだから、そう判断を下しても核心を外していないような気がする。
けれど、何故だろう、嫌な予感がするのは。
そんな定石で片づけてはいけない“何か”があると、思わずにいられないのは。
「この日記帳、名前の七歳の誕生日に貰ったものなんだね」
椿がそう声を掛けてきたので、一旦思考をそちらに集中する。
そこで初めて気づいたが、彼が手にしている日記帳は、鞄に入れていた最新のものではなく、初めて日記を書き始めた一冊目だ。
古い日記帳は私の鞄ではなく、マンションの本棚に仕舞ってあったはずだが、今更驚きはしない。
次の台詞の方に、注意を根こそぎ持っていかれたからだ。
「懐かしいな。僕と名前が出会ったのもちょうどその頃だったね」
聞き流すにはあまりに大きすぎる爆弾が、投下された。
「は?」
長時間喋っていなかったせいか、襲い来る不穏な予感のせいか、喉に息が張りついて碌に声量が出なかった。
それでも椿の耳に届いたらしく、彼は日記から顔を上げ、私に向かって優しく微笑んだ。
まるで楽しい思い出を共有する時のように、優しく微笑んだ。
「覚えてない? 昔、有栖院家の知り合いのパーティに来てたでしょ。あの場に僕もいたんだよ」
覚えてない。
けれど、当時父の仕事の関係で招待されたパーティに色々連れ回された記憶はある。
その中の何処かに椿がいて、知らないうちに出会っていたということか?
あの時の君は可愛かったとか何とか椿は語ったが、ほとんど耳に入らなかった。
ただ、動揺する私の様子を見て、彼が少し残念そうに漏らした発言には反応せざるを得なかった。
「まあ、気づかなかったのも無理ないか。
「……見てたって、いつ」
「いつって、ずっとだけど」
何故そんなことを訊くのか、とでも言いたげに、少し戸惑ったように聞こえたのは気のせいか。
「名前が七歳の時に出会ってからずっと、有栖院家にいた時も、家を出てC3に入ってからも、一人暮らしをしながら中学に通ってた頃も――……」
ふいに椿の言葉が途切れた。
しかし、私は全身を走る寒気と戦うのに必死で、その異変に気づけなかった。
「……ずっと名前を見ていたよ」
彼の言葉が真実なら、マンションで待ち伏せた時のうわ言のような台詞の数々は、長年の恐ろしいまでの執着から生まれたものだった。
あの時、少なくとも椿にとっては、私達は初対面どころじゃなかったのだ。
そう念頭に置いても、理解できない箇所も多いのだが。
――ねえ、どうして僕を裏切ったの?
今の話からは、まだ『裏切った』という言葉の真意は測りかねる。
「だから、僕は名前のことを誰よりもよく理解している。たとえば、名前が今何を考えているかも、何を企んでいるかも、手に取るように分かるよ」
反射的にドアの方に目をやりそうになって、慌てて椿を睨みつけた。
まだ、すべてがはったりという可能性も捨てきれないのだ。
私が椿の言葉から彼の真意を探ろうとしているのと同様に、彼も私の反応を窺っているとしてもおかしくない。
落ち着け、呑まれるな。
椿の言動から、監禁の目的を探ることに徹しろ。
ここから逃げ出すために。
再び家族に会うために。
「そんなに私に詳しいなら、今更日記なんて読む必要ないんじゃない?」
主導権を握る意図で発言したつもりだったが、後から振り返れば、ただこの空気に耐えられなかっただけかもしれない。
最初に椿の名前を口にした時のように。
黙っていることに、耐え切れなくなっただけかもしれない。
「そうだね。確かに、君の身に起こった出来事なら何でも知ってる。君の言動や反応を見ていたから、感情や思想も把握している。でも、そんな僕でも知らないことがあったんだ」
「………」
「たとえば、君が僕のことをどう思ってるか、とかね」
早速、迂闊に口走ったことを後悔し始めた。
「ほら、僕はずっと君を見てたけど、君から認知される機会はほとんどなかったじゃない。まともに会話したのも、この部屋が最初だったし。だから、僕としたことが、つい勘違いしちゃったんだよね」
私を真っ直ぐ見下ろす瞳に、寂しげな色が混ざった。
「こうして実際に向き合ってみるまで気づかなかった。さすがに好かれてるとは思ってなかったけど、当然恨まれてると思ってたよ――実の両親を殺した僕のことを」
「………」
今更。
今更、驚きはしない。
魔術師だった両親が椿に殺されたことは、とっくの昔に聞かされていた。
「C3の戦闘員になったのは、両親の仇を討つためだって少し期待してたんだよ。いつか僕を殺すために会いに来てくれる。それが叶わなくても、僕が目の前に現れれば、名前は僕に強い憎しみを向けてくれるって、そう信じてたんだ」
すると、口元に笑みを湛えながら、彼はぞっとするほど冷たい声で吐き捨てた。
「でも甘かった」
あまりの豹変に、びくんっ、とベッドの上で凍りついた。
その笑顔からは想像もつかないほど重く冷ややかな空気が、部屋を一瞬で支配した。
「思えば、生後一か月の時のことなんて、実感がわかないのは当然だよね。君にとって大切な家族は、有栖院家の方なんだから」
そう明け透けに言われてしまうと、まるで実の両親に対して何の愛情もないかのようで肯定しづらい。
ただ、自分が養女であることを日常生活でほとんど自覚する隙がないほどあの家に愛されているのは、誇るべき事実だ。
「有栖院家の人間を殺せば、今度こそ君は僕を許さないでくれるかな」
「……なにを」
「冗談だよ。僕達の結婚式には、君の家族も呼んであげたいからね」
どちらにせよ恐ろしい冗談を口にして、椿は笑った。
その“冗談”をきっかけに、纏う空気が先ほどまでの穏やかなものに変化した。
無意識に止めていた呼吸をゆっくり再開する。
「とにかく、そういうわけで、あの日僕は君に会いに行ったんだ。君と二度と切れない繋がりを結ぶために」
「………」
「これが、僕の理由だよ。君を吸血鬼にして、主人にして、ここに閉じ込めた理由。これが知りたかったんでしょ?」
そうか、と合点がいった。
この部屋に閉じ込められてすぐの頃、椿の言った台詞の意味を、唐突に理解したのだ。
――僕の一番の望みは、君が僕を受け入れてくれること。
あの時は、訳も分からずぞっとしたが、今ようやくその言葉と私を監禁した理由が繋がった。
椿は私から、憎悪という何にも負けない強い感情が欲しいのだ。
雲の上のような存在ではなく、両親を殺し、家族から引き離し、私を化け物にした仇敵として、憎しみと共に受け入れてほしいのだ。