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――疲れた。
無意識に漏れた言葉は、掠れて音にならなかった。
力の限り暴れまくった所為で喉が渇いて仕方ないが、生憎水分補給できるものはこの部屋にない。
観念して全身の力を抜き、ふかふかのマットレスに身を預けた。
もっとも、両腕を特殊な糸で拘束されベッドのヘッドボードに固定されているので、満足に身体を安らげることはできない。
これを外そうと何度も藻掻いたり引っ張ったりしたけれど、どれだけ力を込めてもびくともしないのだ。
何か道具を使えばどうにかなるかもしれないが、武器はすべて取り上げられたし、手の届く範囲内から役立ちそうな小道具が撤去されているという徹底ぶりである。
体力回復を兼ねて、現状を把握するために改めて部屋の中を見渡す。
電気の消えた室内は相変わらず見通しにくいけれど、暗闇に目が慣れて連れて来られたばかりの時より多く情報を得ることができた。
部屋の大きさは30畳程度で、ダブルベッドが一つ(私が横たわっている)、サイドボードには備え付けの明かり以外何もなし、ベッドから離れた位置にクローゼットと鏡台がある。
調度品の具合から高級ホテルの一室ではないかと推測できるものの、何処のホテルかという肝心な情報は一切不明(ホテル名の書いたメモでもないかと期待したが甘かった)。
出口はひとつで、鍵がかかっている上、恐らく外に複数の見張りがいる。
壁一面に外界を一望できるであろう大きな窓がついているが、外光すら完全に遮断する分厚いカーテンが敷かれている。
外の様子は、どうなっているのだろう。
私がこうして捕らえられていることを、きっと誰も知らないはずだ。
何の連絡もなく行方不明になって、家族や友人がどれだけ心配するかを想像して、肺を握り潰されるような息苦しさに襲われた。
縋るように家族の名前を呼ぼうとした時、がちゃん、と重たい錠の開く音がして、ゆっくりと扉が開かれた。
眩しさに目を細めたのは一瞬、すぐに扉が閉じて元の薄暗さが戻った。
這入って来た人物は、からん、からん、と下駄の音を鳴らしながら、こちらに近づいてくる。
黒い着物に黒い髪、黒いサングラス――全体的に暗闇に溶けるように黒く、白い羽織だけがぼんやりと不気味に浮いて見える。
丸腰だが一切隙のない挙動と底知れない雰囲気に呑まれそうになるも、それを悟られないように敵意を込めて睨みつけた。
しかし、彼は私のそんな態度をまるで意に介していないようで、枕元まで来るとゆったりと微笑んだ。
「おはよう。よく眠れた?」
立場的にも状況的にも明確に敵対しているのに、声色に警戒心や敵愾心は一切含まれていない。
そして、自然な仕草で左手をこちらへ伸ばし、私の手首をさらりと撫でるのだった。
触れた瞬間肌が粟立ったが、どうやら拘束の具合を確認しているだけで、特に危害を加える気はないようだ。
今のところは。
「あーあ、痕になってる」
随分暴れたね、と他人事のように嘯いた。
すると、ベッドの縁に片膝をつき、今度は両手で触れてきた。
突然無防備になった相手に戸惑いつつも、この好機を生かす手段を模索する。
まず自由な両足を奴の腰の辺りに絡みつけて引き寄せつつ、喉元を噛み千切る――脳内でシミュレーションを終えた後、こっそりと首筋に視線をやった。
狙いを定め、無意識に唾を飲み込んで――その瞬間、あることに気づいて愕然とした。
「あれから随分時間が経ったけど、気分はどう?」
彼は視線を手元に固定したまま、世間話のようにそう訊いてきた。
私は答えない。
先ほど描いた不意打ちを実行する絶好のタイミングだが、私は動かない。
『随分時間が経った』と言ったけれど、具体的に捕まってからどのくらいの時間が経過したのだろうか。
意識のある時間はそう長くないはずだが、どれだけ気絶していたかによっては、もしかしたら数日経っているのかも――
などと、無理矢理頭を働かせているところに、より直接的な質問が降ってきた。
「喉、渇いてない?」
その質問の意図を理解し、今度こそ思考が止まる。
こちらの反応を窺うように彼の視線が落ちたので、反射的に目を逸らしてしまった。
私は答えない。
けれど、きっと今の態度で勘付かれてしまった。
殺意でも敵意でもなく、攻撃手段でも逃走手段としてでもなく、ただの食欲によって噛みつこうとしたことも。
喉が渇いて、仕方がないことも。
「はい。解けたよ」
そう言うと、ぱっと私の腕から手を離した。
何のことかと思えば、あれだけ強固に纏わりついていた糸が、跡形もなくなっていた。
先ほどから弄っていたのは、糸を回収するためだったようだ。
途端に両手の力が抜け、だらりとベッドの上に落ちた。
折角自由になったのに、目の前の誘拐犯をぶん殴る気力すら、残ってない。
「鍵や見張りはこれまで通りつけておくけど、もう無駄な抵抗はしないでね」
俯く私の眼前に、控えめな赤い宝石のついたネックレスを翳してみせた。
見覚えのあるネックレス。
大事な大事な、義母の形見だ。
手を伸ばして触れようとしたが、その前にネックレスは彼の首に掛け直された。
『無駄な抵抗』、確かに言う通りだ。
あのネックレスが奴の手元にある限り、私は――
「たとえこの部屋を出られたとしても、僕から離れられないんだから」
心の中で同じことを思ったが、実際に口に出されると現実が重くのしかかってくる。
拘束が一つなくなったのに、全く自由になった気がしないのは、糸よりはるかに頑強なもので雁字搦めにされている所為だった。
忘れていたかったことを、忘れたままでいることを、この男は許さない。
「もう一度言うけど、僕は君に好きになってほしいわけじゃないんだよ」
優しく宥めるように、私の髪を撫でつける。
私は動けない。
なす術がない。
「勿論、好きになってくれたら嬉しいけどね。でも、僕の一番の望みは――」
そこで一旦言葉を区切ると、耳元に口を寄せて、内緒話をするように声を潜めた。
「君が僕を受け入れてくれること」
ぞくり、と背筋に冷や汗が流れた。
距離を取るつもりで身体を仰け反ったら視線がぶつかってしまい、すぐに激しく後悔した。
言い知れない不安感に襲われ、この部屋に閉じ込められてから初めて、私は彼の名前を呼んだ。
「……つば、き」
「うん。何?」
にこり。
邪気のない笑顔、それが余計に怖かった。
それ以上こちらが何も言わない気配を察知すると、椿はスプリングを鳴らしてベッドから離れた。
「まあ、時間はたっぷりあるから、ゆっくり考えてね」
何を考えろというのか。
何もないこの部屋で、どんな選択肢が与えられているというのか。
一度敗北し椿の手に堕ちた時点で、ほぼ詰んでいるのに。
そう言う代わりに目で訴えると、椿は嬉しそうに笑みを深めた。
「じゃ、またね」
無意識に漏れた言葉は、掠れて音にならなかった。
力の限り暴れまくった所為で喉が渇いて仕方ないが、生憎水分補給できるものはこの部屋にない。
観念して全身の力を抜き、ふかふかのマットレスに身を預けた。
もっとも、両腕を特殊な糸で拘束されベッドのヘッドボードに固定されているので、満足に身体を安らげることはできない。
これを外そうと何度も藻掻いたり引っ張ったりしたけれど、どれだけ力を込めてもびくともしないのだ。
何か道具を使えばどうにかなるかもしれないが、武器はすべて取り上げられたし、手の届く範囲内から役立ちそうな小道具が撤去されているという徹底ぶりである。
体力回復を兼ねて、現状を把握するために改めて部屋の中を見渡す。
電気の消えた室内は相変わらず見通しにくいけれど、暗闇に目が慣れて連れて来られたばかりの時より多く情報を得ることができた。
部屋の大きさは30畳程度で、ダブルベッドが一つ(私が横たわっている)、サイドボードには備え付けの明かり以外何もなし、ベッドから離れた位置にクローゼットと鏡台がある。
調度品の具合から高級ホテルの一室ではないかと推測できるものの、何処のホテルかという肝心な情報は一切不明(ホテル名の書いたメモでもないかと期待したが甘かった)。
出口はひとつで、鍵がかかっている上、恐らく外に複数の見張りがいる。
壁一面に外界を一望できるであろう大きな窓がついているが、外光すら完全に遮断する分厚いカーテンが敷かれている。
外の様子は、どうなっているのだろう。
私がこうして捕らえられていることを、きっと誰も知らないはずだ。
何の連絡もなく行方不明になって、家族や友人がどれだけ心配するかを想像して、肺を握り潰されるような息苦しさに襲われた。
縋るように家族の名前を呼ぼうとした時、がちゃん、と重たい錠の開く音がして、ゆっくりと扉が開かれた。
眩しさに目を細めたのは一瞬、すぐに扉が閉じて元の薄暗さが戻った。
這入って来た人物は、からん、からん、と下駄の音を鳴らしながら、こちらに近づいてくる。
黒い着物に黒い髪、黒いサングラス――全体的に暗闇に溶けるように黒く、白い羽織だけがぼんやりと不気味に浮いて見える。
丸腰だが一切隙のない挙動と底知れない雰囲気に呑まれそうになるも、それを悟られないように敵意を込めて睨みつけた。
しかし、彼は私のそんな態度をまるで意に介していないようで、枕元まで来るとゆったりと微笑んだ。
「おはよう。よく眠れた?」
立場的にも状況的にも明確に敵対しているのに、声色に警戒心や敵愾心は一切含まれていない。
そして、自然な仕草で左手をこちらへ伸ばし、私の手首をさらりと撫でるのだった。
触れた瞬間肌が粟立ったが、どうやら拘束の具合を確認しているだけで、特に危害を加える気はないようだ。
今のところは。
「あーあ、痕になってる」
随分暴れたね、と他人事のように嘯いた。
すると、ベッドの縁に片膝をつき、今度は両手で触れてきた。
突然無防備になった相手に戸惑いつつも、この好機を生かす手段を模索する。
まず自由な両足を奴の腰の辺りに絡みつけて引き寄せつつ、喉元を噛み千切る――脳内でシミュレーションを終えた後、こっそりと首筋に視線をやった。
狙いを定め、無意識に唾を飲み込んで――その瞬間、あることに気づいて愕然とした。
「あれから随分時間が経ったけど、気分はどう?」
彼は視線を手元に固定したまま、世間話のようにそう訊いてきた。
私は答えない。
先ほど描いた不意打ちを実行する絶好のタイミングだが、私は動かない。
『随分時間が経った』と言ったけれど、具体的に捕まってからどのくらいの時間が経過したのだろうか。
意識のある時間はそう長くないはずだが、どれだけ気絶していたかによっては、もしかしたら数日経っているのかも――
などと、無理矢理頭を働かせているところに、より直接的な質問が降ってきた。
「喉、渇いてない?」
その質問の意図を理解し、今度こそ思考が止まる。
こちらの反応を窺うように彼の視線が落ちたので、反射的に目を逸らしてしまった。
私は答えない。
けれど、きっと今の態度で勘付かれてしまった。
殺意でも敵意でもなく、攻撃手段でも逃走手段としてでもなく、ただの食欲によって噛みつこうとしたことも。
喉が渇いて、仕方がないことも。
「はい。解けたよ」
そう言うと、ぱっと私の腕から手を離した。
何のことかと思えば、あれだけ強固に纏わりついていた糸が、跡形もなくなっていた。
先ほどから弄っていたのは、糸を回収するためだったようだ。
途端に両手の力が抜け、だらりとベッドの上に落ちた。
折角自由になったのに、目の前の誘拐犯をぶん殴る気力すら、残ってない。
「鍵や見張りはこれまで通りつけておくけど、もう無駄な抵抗はしないでね」
俯く私の眼前に、控えめな赤い宝石のついたネックレスを翳してみせた。
見覚えのあるネックレス。
大事な大事な、義母の形見だ。
手を伸ばして触れようとしたが、その前にネックレスは彼の首に掛け直された。
『無駄な抵抗』、確かに言う通りだ。
あのネックレスが奴の手元にある限り、私は――
「たとえこの部屋を出られたとしても、僕から離れられないんだから」
心の中で同じことを思ったが、実際に口に出されると現実が重くのしかかってくる。
拘束が一つなくなったのに、全く自由になった気がしないのは、糸よりはるかに頑強なもので雁字搦めにされている所為だった。
忘れていたかったことを、忘れたままでいることを、この男は許さない。
「もう一度言うけど、僕は君に好きになってほしいわけじゃないんだよ」
優しく宥めるように、私の髪を撫でつける。
私は動けない。
なす術がない。
「勿論、好きになってくれたら嬉しいけどね。でも、僕の一番の望みは――」
そこで一旦言葉を区切ると、耳元に口を寄せて、内緒話をするように声を潜めた。
「君が僕を受け入れてくれること」
ぞくり、と背筋に冷や汗が流れた。
距離を取るつもりで身体を仰け反ったら視線がぶつかってしまい、すぐに激しく後悔した。
言い知れない不安感に襲われ、この部屋に閉じ込められてから初めて、私は彼の名前を呼んだ。
「……つば、き」
「うん。何?」
にこり。
邪気のない笑顔、それが余計に怖かった。
それ以上こちらが何も言わない気配を察知すると、椿はスプリングを鳴らしてベッドから離れた。
「まあ、時間はたっぷりあるから、ゆっくり考えてね」
何を考えろというのか。
何もないこの部屋で、どんな選択肢が与えられているというのか。
一度敗北し椿の手に堕ちた時点で、ほぼ詰んでいるのに。
そう言う代わりに目で訴えると、椿は嬉しそうに笑みを深めた。
「じゃ、またね」