【番外編】幕間
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帝光中のバスケ部は、夏休みに入って普段以上に過酷な練習を重ねていた。
全中まであと僅かとなったこの時期、練習時間はいくらあっても足りないのだ。
そのため、部活終了後には部員達は一日の体力を消費し尽くし疲れ切った表情で部室に雪崩れ込むのだった。
そんな中、一軍専用の部室で、赤司は疲れなど一片も見せない滑らかな所作で素早く着替えを済ませていく。
青峰をはじめ一部のレギュラー部員がそうするように、普段は赤司も体育館に残って自主練するのだが、今日はこの後監督に呼び出されているので早めに練習を切り上げたのだ。
赤司が出て行く直前、青峰が今日も懲りずに莉乃にワンオンワンの勝負を仕掛けているのを目撃していた。
困った表情で対応するマネージャーの姿が脳裏に浮かび、密かに頬を緩めた時だった。
「おい、赤司。ちょっと面貸せ」
ぴたりと着替えの手を止め、声の主を振り返ると、同じ一軍の灰崎が眉を吊り上げて睨みつけていた。
他の部員同様、顔には疲労が表れている――が、これが練習の所為だけではないことを赤司は知っている。
「……何だ? 灰崎。用なら手短に話せ」
冷淡にそう訊きつつも、赤司には灰崎の用事が何であるか大体の見当がついている。
それにしてももう少し場所を選ぶかと思っていたが、どうやら人目を憚らず接触してくるほど事態は切迫しているらしい。
響いた様子のない赤司の反応に苛立ったのか、灰崎はばんっ、と隣のロッカーを荒々しく殴った。
その瞬間、部室が水を打ったように静かになったが、部員達は関わらないようにと赤司達を見ようとしない。
数秒後、先ほどより速く各々の着替える音が再開した。
灰崎は周囲の人間の困惑など目もくれず、部室中に響き渡る大声で怒鳴った。
「あの女の弱点を教えろ!!」
やはりか、と赤司は心の中で嘆息した。
灰崎の言う『あの女』とは、先述したマネージャー・藍良莉乃のことである。
先日、赤司は彼女に灰崎のサボり癖を改善するように依頼したのだが、彼女は予想外の方法でそれを成し遂げたのだった。
互いが登校してからその日の授業が終わるチャイムが鳴るまでに、灰崎が一度でも莉乃に触れることができれば、その日の部活は免除、できなければ必ず参加する――そう、灰崎と約束したのだそうだ。
赤司が莉乃からこの話を聞いた時、何を馬鹿なことを言っているんだと正直な感想を抱いたものだが、結果は目を見張るものだった。
なんとそれから今日まで、灰崎は一度も欠席どころか遅刻すらしていないのだ。
学校自体を休んでいる時でさえ、ゲームセンターで遊びまわる灰崎を放課後までに捕まえて部活に参加させているという。
これには赤司もすごいと素直に尊敬している――能力も、執念も。
さて、ここまで記述すれば、灰崎の先の発言の意味が明瞭になるだろう。
当然赤司も彼の心境含めて理解していたが、ここではわざと惚けるように返答した。
「どうした。いきなり何の話だ?」
「どうもこうもねーよ! なんだあの女!! マジで一度も触れねえ!! 後ろに目でもついてんのか!?」
まったく説明になっていない、ただ感情をぶつけているだけだが、灰崎が思っていたより追い詰められていることは充分に伝わった。
莉乃のことだから、絶対の勝算があってそんな提案をしたのだろう。
目先の利益に目が眩み提案に乗った時点で、灰崎の負けである。
あらゆる武術を身につけているらしい莉乃相手に、多少運動神経に優れ喧嘩が強いだけの男子中学生が正攻法では勝ち目がないのは目に見えている。
彼女が暴力行為を良しとしないのは、相手と倫理を慮っているだけであって、その能力がないわけでは決してないのだ。
周囲の人間に迷惑がかかることがないよう最大限に注意を払いながら、日々灰崎の猛攻を風のようにすり抜ける様は、赤司ですら目を奪われるほど美しかった。
きっと当初は想定外の展開だったろうが、今では彼女自身ゲームを楽しんでいるに違いない。
「で、何かねーのか? あいつの弱点。あるとしたら、お前なら知ってんだろ」
「それより、自分から部活に出ようとは思わないのか」
何処までも莉乃を出し抜くことしか興味がないようだ。
あからさまに嘆息してみせてから、赤司は思考を巡らせる。
洞察力と観察眼に長ける赤司にとって、灰崎の言う“弱点”はわざわざ心当たりを探るほどのものではない。
藍良莉乃の弱点。
恐らく学校中で、赤司征十郎以外に知る者はいないだろう。
たとえ他の誰かが真相に辿り着いたとしても、その人物が公言することは十中八九ないはずだ。
当然、赤司自身も生涯口に出すつもりはない。
彼女の場合、弱点はイコール急所なのだ。
軽々しく突いたら、そのまま致命傷になりかねない危うさがある。
食堂での一件で、それを知ってしまった。
あの時、誰も赤司達を見ている者がいなくて良かった。
それほど誰の目にも明らかに、赤司でなくても気づいてしまうほどに、莉乃は取り乱したのだ。
きっかけは、赤司の些細な一言。
当時何も知らなかった彼は、好奇心と少しの悪戯心で、紫原が莉乃を好いていると示唆した。
赤司はそれが事実だと知っているが、その時は真偽などどうでも良かった。
ただ、莉乃が今まで目を背けていたことを、眼前に晒してみたのだ。
その瞬間。
赤司は、生まれて初めて、明確に、自分の発言を後悔した。
恐らく、莉乃は人から必要以上の好意を向けられることを拒絶しているのだろう。
忌避していると言ってもいい。
むしろ、好かれるくらいなら、死んだ方がましだと思っている。
――いや、少し違う。
死ぬしかないと、思っているのだ。
死にたくないと思っていても、死ぬしかないと思っている。
あの時、彼女は確かに死の恐怖に怯えていた。
しかし、分析できたのはそこまでだ。
何故彼女があんな風に自分を追い詰めるに至ったか、赤司はまだ知らないのだ。
彼女と出会って数か月、まだ情報が圧倒的に足りない。
多くの人を救うことが目標で、世界に受け入れられるのが理想の孤独な英雄の全貌を掴むには、知らないことが多すぎる。
それでも、そんな彼女のあんな顔を見るのだけは二度と御免だと、それだけは強烈に心に刻み込まれたのだった。
だから、今の赤司にできることは、誰かが誤って彼女の急所に触れないよう、それとなく邪魔をすることである。
緑間の時のように、紫原の時のように。
彼女を守り、彼女の命を助けることだ。
「……藍良は完全ではないが、限りなくそれに近い。たとえ弱点があったとしても、お前如きに遅れは取らないだろう」
そしてあとひとつ、同様に誰にも言っていないことがある。
それは、莉乃がどうやら赤司を含むバスケ部員の一部を特別視していることだ。
これは明確な根拠のない、ただの赤司の勘である。
学校中の人間の名前を覚える、誰からの相談も受けつける、多くの人間の役に立つ――そう主張して平等であるように振る舞っているが、彼らに対してはその他大勢と扱いが違うように思えるのだ。
ただし、バスケ部に入ってから特別に愛着を持ったというわけでもなさそうだ。
バスケ部に入る前、入学式の時から兆候はあったと赤司は判断している。
その理由も、まだ赤司は知らない。
知らないことだらけだ。
しかし、それはきっと、“藍良莉乃”を紐解く鍵になると確信している。
「くそっ、次はもう少し人を集めて……あいつの周りを取り囲めば、なんとか……」
灰崎は既に赤司に意見を求めることを諦め、ぶつぶつと明日の計画を思案している。
人海戦術に頼っているようでは藍良を打ち負かすのはまだまだ先だろう、と心の中で結論づけて、赤司は静かにロッカーを閉じた。
藍色アンノウン
(了)
全中まであと僅かとなったこの時期、練習時間はいくらあっても足りないのだ。
そのため、部活終了後には部員達は一日の体力を消費し尽くし疲れ切った表情で部室に雪崩れ込むのだった。
そんな中、一軍専用の部室で、赤司は疲れなど一片も見せない滑らかな所作で素早く着替えを済ませていく。
青峰をはじめ一部のレギュラー部員がそうするように、普段は赤司も体育館に残って自主練するのだが、今日はこの後監督に呼び出されているので早めに練習を切り上げたのだ。
赤司が出て行く直前、青峰が今日も懲りずに莉乃にワンオンワンの勝負を仕掛けているのを目撃していた。
困った表情で対応するマネージャーの姿が脳裏に浮かび、密かに頬を緩めた時だった。
「おい、赤司。ちょっと面貸せ」
ぴたりと着替えの手を止め、声の主を振り返ると、同じ一軍の灰崎が眉を吊り上げて睨みつけていた。
他の部員同様、顔には疲労が表れている――が、これが練習の所為だけではないことを赤司は知っている。
「……何だ? 灰崎。用なら手短に話せ」
冷淡にそう訊きつつも、赤司には灰崎の用事が何であるか大体の見当がついている。
それにしてももう少し場所を選ぶかと思っていたが、どうやら人目を憚らず接触してくるほど事態は切迫しているらしい。
響いた様子のない赤司の反応に苛立ったのか、灰崎はばんっ、と隣のロッカーを荒々しく殴った。
その瞬間、部室が水を打ったように静かになったが、部員達は関わらないようにと赤司達を見ようとしない。
数秒後、先ほどより速く各々の着替える音が再開した。
灰崎は周囲の人間の困惑など目もくれず、部室中に響き渡る大声で怒鳴った。
「あの女の弱点を教えろ!!」
やはりか、と赤司は心の中で嘆息した。
灰崎の言う『あの女』とは、先述したマネージャー・藍良莉乃のことである。
先日、赤司は彼女に灰崎のサボり癖を改善するように依頼したのだが、彼女は予想外の方法でそれを成し遂げたのだった。
互いが登校してからその日の授業が終わるチャイムが鳴るまでに、灰崎が一度でも莉乃に触れることができれば、その日の部活は免除、できなければ必ず参加する――そう、灰崎と約束したのだそうだ。
赤司が莉乃からこの話を聞いた時、何を馬鹿なことを言っているんだと正直な感想を抱いたものだが、結果は目を見張るものだった。
なんとそれから今日まで、灰崎は一度も欠席どころか遅刻すらしていないのだ。
学校自体を休んでいる時でさえ、ゲームセンターで遊びまわる灰崎を放課後までに捕まえて部活に参加させているという。
これには赤司もすごいと素直に尊敬している――能力も、執念も。
さて、ここまで記述すれば、灰崎の先の発言の意味が明瞭になるだろう。
当然赤司も彼の心境含めて理解していたが、ここではわざと惚けるように返答した。
「どうした。いきなり何の話だ?」
「どうもこうもねーよ! なんだあの女!! マジで一度も触れねえ!! 後ろに目でもついてんのか!?」
まったく説明になっていない、ただ感情をぶつけているだけだが、灰崎が思っていたより追い詰められていることは充分に伝わった。
莉乃のことだから、絶対の勝算があってそんな提案をしたのだろう。
目先の利益に目が眩み提案に乗った時点で、灰崎の負けである。
あらゆる武術を身につけているらしい莉乃相手に、多少運動神経に優れ喧嘩が強いだけの男子中学生が正攻法では勝ち目がないのは目に見えている。
彼女が暴力行為を良しとしないのは、相手と倫理を慮っているだけであって、その能力がないわけでは決してないのだ。
周囲の人間に迷惑がかかることがないよう最大限に注意を払いながら、日々灰崎の猛攻を風のようにすり抜ける様は、赤司ですら目を奪われるほど美しかった。
きっと当初は想定外の展開だったろうが、今では彼女自身ゲームを楽しんでいるに違いない。
「で、何かねーのか? あいつの弱点。あるとしたら、お前なら知ってんだろ」
「それより、自分から部活に出ようとは思わないのか」
何処までも莉乃を出し抜くことしか興味がないようだ。
あからさまに嘆息してみせてから、赤司は思考を巡らせる。
洞察力と観察眼に長ける赤司にとって、灰崎の言う“弱点”はわざわざ心当たりを探るほどのものではない。
藍良莉乃の弱点。
恐らく学校中で、赤司征十郎以外に知る者はいないだろう。
たとえ他の誰かが真相に辿り着いたとしても、その人物が公言することは十中八九ないはずだ。
当然、赤司自身も生涯口に出すつもりはない。
彼女の場合、弱点はイコール急所なのだ。
軽々しく突いたら、そのまま致命傷になりかねない危うさがある。
食堂での一件で、それを知ってしまった。
あの時、誰も赤司達を見ている者がいなくて良かった。
それほど誰の目にも明らかに、赤司でなくても気づいてしまうほどに、莉乃は取り乱したのだ。
きっかけは、赤司の些細な一言。
当時何も知らなかった彼は、好奇心と少しの悪戯心で、紫原が莉乃を好いていると示唆した。
赤司はそれが事実だと知っているが、その時は真偽などどうでも良かった。
ただ、莉乃が今まで目を背けていたことを、眼前に晒してみたのだ。
その瞬間。
赤司は、生まれて初めて、明確に、自分の発言を後悔した。
恐らく、莉乃は人から必要以上の好意を向けられることを拒絶しているのだろう。
忌避していると言ってもいい。
むしろ、好かれるくらいなら、死んだ方がましだと思っている。
――いや、少し違う。
死ぬしかないと、思っているのだ。
死にたくないと思っていても、死ぬしかないと思っている。
あの時、彼女は確かに死の恐怖に怯えていた。
しかし、分析できたのはそこまでだ。
何故彼女があんな風に自分を追い詰めるに至ったか、赤司はまだ知らないのだ。
彼女と出会って数か月、まだ情報が圧倒的に足りない。
多くの人を救うことが目標で、世界に受け入れられるのが理想の孤独な英雄の全貌を掴むには、知らないことが多すぎる。
それでも、そんな彼女のあんな顔を見るのだけは二度と御免だと、それだけは強烈に心に刻み込まれたのだった。
だから、今の赤司にできることは、誰かが誤って彼女の急所に触れないよう、それとなく邪魔をすることである。
緑間の時のように、紫原の時のように。
彼女を守り、彼女の命を助けることだ。
「……藍良は完全ではないが、限りなくそれに近い。たとえ弱点があったとしても、お前如きに遅れは取らないだろう」
そしてあとひとつ、同様に誰にも言っていないことがある。
それは、莉乃がどうやら赤司を含むバスケ部員の一部を特別視していることだ。
これは明確な根拠のない、ただの赤司の勘である。
学校中の人間の名前を覚える、誰からの相談も受けつける、多くの人間の役に立つ――そう主張して平等であるように振る舞っているが、彼らに対してはその他大勢と扱いが違うように思えるのだ。
ただし、バスケ部に入ってから特別に愛着を持ったというわけでもなさそうだ。
バスケ部に入る前、入学式の時から兆候はあったと赤司は判断している。
その理由も、まだ赤司は知らない。
知らないことだらけだ。
しかし、それはきっと、“藍良莉乃”を紐解く鍵になると確信している。
「くそっ、次はもう少し人を集めて……あいつの周りを取り囲めば、なんとか……」
灰崎は既に赤司に意見を求めることを諦め、ぶつぶつと明日の計画を思案している。
人海戦術に頼っているようでは藍良を打ち負かすのはまだまだ先だろう、と心の中で結論づけて、赤司は静かにロッカーを閉じた。
藍色アンノウン
(了)