【番外編】舞台裏
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ぱちんッ、と将棋盤に駒を叩く音が、空き教室に軽やかに響いた。
一気に劣勢の強くなった盤面を、緑間は渋い顔で睨みつける。
対照的に、先ほど駒を動かした赤司は、そんな彼を面白そうに見守っている。
二人が互いに将棋を嗜むと知ったのは二週間前、暇を見つけて勝負するようになったのは一週間前、そしてこの対局が緑間の劣勢に傾いたのは、始まって十分後のことである。
何か戦局をひっくり返す手はないかと緑間が頭を悩ませていると、余裕に満ちた声が掛かった。
「まだ勝負はついていない。諦めてはいけないよ」
「……っ、分かっているのだよ!」
「そうか」
反射的に声を荒げたのを涼しい顔で流されたので、緑間はバツが悪くなって赤司から目を逸らした。
「それで、さっきの話の続きだが」
「さっき? ……ああ、“あいつ”のことか」
一瞬訝しげに眉を顰めた緑間だったが、納得すると更に眉間の皺が深くなった。
先ほどまで二人が対局しながら取り扱っていた話題は、藍良莉乃のことだ。
彼女の名前を出した途端露骨に機嫌が悪くなった緑間を見て、赤司は喉の奥で笑った。
「そんなに藍良のことが気に入らないのか」
「……赤司は、やけにあいつを高く評価しているんだな」
緑間は苦虫を噛み潰したような表情で、盤面に駒を叩きつけた。
『赤司は』とわざと突き放すような言い方をしたが、高く評価しているという点では緑間も同じであることを赤司は理解している。
そうでなければ、青峰との試合をわざわざ見に行ったり、その翌日にわざわざ彼女に会いに行ったりしない。
少なくとも、莉乃と言葉を交わすまでは彼女に好印象を抱いていたはずだと推察できる。
「緑間は、藍良をどんな奴だと認識しているんだ?」
莉乃の話を早々に切り上げたくて考え抜いた渾身の一手をぶつけたのに、赤司は易々と対応してきた。
おまけに自身の内面が見透かされていることに気づき、緑間はため息を吐いた。
「藍良の能力や人柄についての印象は、校内で広まっている世評と概ね同じなのだよ。赤司が気に入る理由も多少は理解できる」
緑間の評価ポイントが他と異なるのは、今挙げた要素よりもそれらを支えている見えない努力を重視している点である。
彼女と同じく他人から才能を羨まれる立場にいる緑間には、あれらの偉業が生まれ持っての才能だけでは成立しないことを心得ている。
極めつけは、先日の対青峰の試合――結果は、一軍選手にマネージャーが勝利するという大波乱の展開だった。
だが、緑間が注目したのは、結果ではなくその後の彼女の反応の方だ。
大金星を上げたのに一瞬たりとも喜びに浮かれず、スコアボードを凝視する目は既に次の勝負を見据えていたのだ。
なんて貪欲でストイックな姿勢だろうか、と素直に敬服した。
人事を尽くして天命を待つ。
緑間の座右の銘であるが、彼女ほどこの文言を体現している人間を、緑間はこれまで自分以外に知らなかった。
それに、人事を尽くすことを当然と認識しつつも、それを他者に押し付けない謙虚な人間性にも好感が持てた。
そういう所以で、緑間にとって生涯で初めて、その時点ではまだ会話したこともない相手に多少の尊敬と多大な共感を抱いたのだった。
――そこまでは、説明されずとも赤司でも読み取れた。
しかし、好感度はそこから急降下する。
「だが、よりによっておは朝を観ていないなど……」
振り絞るようなその一言で、赤司は彼らの間に何があったのかを完全に把握した。
緑間が熱狂的なおは朝信者であることは、知る人ぞ知る事実である。
今日も、蟹座のラッキーアイテムである電子辞書を、将棋盤の傍らに置いているほどだ。
たかが占い、たかがゲン担ぎと軽視する人間もいるが、緑間に言わせればその程度の人事も尽くせないなら天に選ばれることはあり得ないのである。
「志は立派だが、ラッキーアイテムを所持していないのに実現するはずがないだろう。馬鹿馬鹿しい」
初対面でラッキーアイテムを一笑に付されることは少なくないし、そんな奴など普段ならいちいち相手にしないのだが、今回は事前の期待が大きかった分落胆も激しかった。
それ故に、莉乃に対して過剰に否定的になっているのだろう――赤司はそう分析しながら、僅かに気になった疑問をぶつけた。
「藍良は、その占いについて何と言っていたんだ?」
「『緑間君の運気が良ければ、ラッキーアイテムがなくても私は幸せだ』」
莉乃の台詞を再現してみせる緑間は苦々しい顔をしているが、彼女はきっと笑顔だっただろうと赤司は思った。
しかし、一見莉乃らしいその発言には違和感を覚えた。
緑間同様、あるいは彼以上に、莉乃も思いつく限りの人事を尽くす――否、尽くし過ぎるタイプの人間だ。
むしろ緑間に倣って喜んでラッキーアイテムを常備するようになっても不思議ではないと考えていた――そもそも、緑間が明白に大切にしているものを、あの莉乃が大した理由もなく否定するだろうか。
しかし、赤司のその疑念は、続く緑間の台詞によって解消された。
「しかも、ラッキーアイテムを所持していないのを正当化するためか、自分の生年月日を覚えていないなどと見え透いた嘘を吐く始末だ」
ラッキーアイテムの有無を確認するため、彼女の星座を訊いたところ、自分の誕生日を覚えていないと答えたのだ。
しかも、その理由が、『興味がない』という衝撃の内容だった。
その直後、莉乃が自分と同じ蟹座であると判明したために意識がそちらへ移ったが、そうでなければその白々しさに暫く絶句していただろう。
全く、どこの世界に自分の誕生日を把握していない馬鹿がいるというのか。
言葉にしなくてもこの怒りと呆れを共有できると確信していたのだが、実際の赤司の反応は全く異なった。
「……そうか。そこまで自分に関心がないのか」
まるで目の前に緑間がいるのを忘れているかのように、そう独白した。
赤司にしては珍しく、ショックを受けているような表情をしている。
俄かに不安に襲われ「何を言っている?」と問いただすも、暫く赤司からの反応はなかった。
演技とは思えないその様子に、嫌な予感が緑間の脳を掠める。
「まさか、藍良が自分の誕生日を本当に忘れていたと、本気でそう思っているのか?」
「ああ。藍良は天地がひっくり返ってもお前を揶揄うことはしない」
それに、演技ができるほど器用でもない――赤司は心の中だけで付け加えた。
「いい機会だ。緑間。藍良についての認識を正しておこう。まず、あいつを普通の人間だと思うな」
「……何?」
「あいつをオレ達の常識に当てはめようとするから齟齬が生じる。あいつは普通の人間ではなく、“藍良莉乃”だと理解しろ」
「何だと?」
普通の人間だと思うな。
“藍良莉乃”だと理解しろ。
それはまるで、彼女の名前が、彼女の存在が、異形の象徴であるかのようではないか。
思わずそう怒鳴ろうとしたが、不意に彼女とした会話を思い出した――とても噛み合ったとは言い難い、あのやり取りを。
続けようとした反論を飲み込み、深く息を吐いた。
「……言いたいことは多々あるが、一旦聞こう」
眉間に深い皺を刻み、赤司をまっすぐ見据える緑間。
その真摯な姿勢を受け、赤司の口元にふっと笑みが零れ、すぐに引き締めた。
「まず、藍良莉乃は、オレ達の役に立つことを至上の喜びだと感じている。オレ達の役に立ち、そのために努力することに生き甲斐を感じている。ここまではいいな?」
「……ああ。まあ、いいだろう」
この時点で突っ込みたい箇所があるが、ここまでは噂でも聞いた内容だった。
しかし、この後により過激な表現が羅列される。
「自分の命がオレ達のためにあると思っている。だから必死で役立つための能力を磨く。役に立たなくなったら、生きている価値がないと考えているからだ。オレ達のことを最優先に位置づけている代償か、“自分”に対する関心が限りなく薄い。しかもそれを常識だと捉えているから、そこに何の疑問も持たない。たとえば、オレ達がどんなに感謝しても、当然のことをしただけなのに何故礼を言うのだろうと首を傾げる始末だ。そして、オレ達のために生きているのだから、自分を敵視したり競争相手にしたりすることは無意味だと思っている」
赤司の饒舌な解説を聞きながら、緑間は唐突に理解した。
最後の一言を伝えたいがために、赤司は今日この場を設けたのだと。
お前如きに負けないと、莉乃に啖呵を切った自分に釘を刺すために。
「より多くの人間に必要とされたいが、一方ですべての人間に好かれたいとは思っていない。好かれなくても、便利だと受け入れてくれさえすれば充分だと思っている。それに、自分の理念にそぐわない人間が僅かに存在したとしても、大多数のためには仕方がないと割り切っている節がある」
「……それは、結局」
「ああ。それは結局、あいつがオレ達を友人と思っていないということだ」
緑間が言いあぐねたことを、赤司はあっさりと公言した。
しかし、言うのを憚られただけで、緑間も充分に感じていることだ。
今の話を聞いて、“友人”という平和で対等な関係は全くイメージできない。
――それでも緑間は、莉乃を対等な相手だと思っていた。
「……今お前が言ったことが本当だとして、あいつの考えをこのままにしておくのか? そんな馬鹿げた生き方を黙認しろというのか」
「勿論、いずれなんとかするさ。だが、今はまだ駄目だ。あいつのすべてを理解していないうちに下手な手は打てないし、そもそも、今の俺達が何を言っても、藍良は自分の生き方を変える気はないだろう。中途半端に否定しても、自分に需要がないのだと割り切られるだけだ。オレ達の声は、あいつには届かない」
確信に満ちた、重みのある言葉だった。
それを聞いた緑間は、そっと目を閉じた。
赤司はどの段階で、莉乃の暗い人生観に気づいたのだろうか。
一体いつから、その事実を抱えながら莉乃に接していたのだろう。
自分よりはるかに無力感と戦ってきた男が、今は打つ手がないと言っている。
自分は何ができる?
「それで、緑間は次にどうする?」
目を開けて、将棋盤に視線を注ぐ。
「……投了なのだよ」
赤司も盤に目を落とし、力なく笑った。
長い対局だった気がする。
緑間の身体に残る疲労は、過去に経験したことのないほど重苦しい。
「緑間。オレの話が信じられないなら、試してみるといい」
疲弊した緑間を横目に、赤司は将棋の駒をかき集めながらそう言った。
緑間は正直もう何も聞きたくない気分だったが、赤司は構わずに続けた。
「何か、藍良を危険に晒すような行動を取ってみるといい。あいつを困らせてみるといい。あいつの生き方を否定してみるといい。何をしても、何を言っても、きっとあいつは怒らない」
緑間は数日迷った末に、赤司の提案を実行することにした。
莉乃を危険な目に遭わせ、彼女が己の命と同じくらい大切にしている生き様を否定する。
もしもそれだけのことをして尚、彼女が感情を乱されなければ、自分達を対等に見てない証左となる。
そして、結果は――
緑色アングリー
そうか、お前は、怒らないんだな。
(了)
一気に劣勢の強くなった盤面を、緑間は渋い顔で睨みつける。
対照的に、先ほど駒を動かした赤司は、そんな彼を面白そうに見守っている。
二人が互いに将棋を嗜むと知ったのは二週間前、暇を見つけて勝負するようになったのは一週間前、そしてこの対局が緑間の劣勢に傾いたのは、始まって十分後のことである。
何か戦局をひっくり返す手はないかと緑間が頭を悩ませていると、余裕に満ちた声が掛かった。
「まだ勝負はついていない。諦めてはいけないよ」
「……っ、分かっているのだよ!」
「そうか」
反射的に声を荒げたのを涼しい顔で流されたので、緑間はバツが悪くなって赤司から目を逸らした。
「それで、さっきの話の続きだが」
「さっき? ……ああ、“あいつ”のことか」
一瞬訝しげに眉を顰めた緑間だったが、納得すると更に眉間の皺が深くなった。
先ほどまで二人が対局しながら取り扱っていた話題は、藍良莉乃のことだ。
彼女の名前を出した途端露骨に機嫌が悪くなった緑間を見て、赤司は喉の奥で笑った。
「そんなに藍良のことが気に入らないのか」
「……赤司は、やけにあいつを高く評価しているんだな」
緑間は苦虫を噛み潰したような表情で、盤面に駒を叩きつけた。
『赤司は』とわざと突き放すような言い方をしたが、高く評価しているという点では緑間も同じであることを赤司は理解している。
そうでなければ、青峰との試合をわざわざ見に行ったり、その翌日にわざわざ彼女に会いに行ったりしない。
少なくとも、莉乃と言葉を交わすまでは彼女に好印象を抱いていたはずだと推察できる。
「緑間は、藍良をどんな奴だと認識しているんだ?」
莉乃の話を早々に切り上げたくて考え抜いた渾身の一手をぶつけたのに、赤司は易々と対応してきた。
おまけに自身の内面が見透かされていることに気づき、緑間はため息を吐いた。
「藍良の能力や人柄についての印象は、校内で広まっている世評と概ね同じなのだよ。赤司が気に入る理由も多少は理解できる」
緑間の評価ポイントが他と異なるのは、今挙げた要素よりもそれらを支えている見えない努力を重視している点である。
彼女と同じく他人から才能を羨まれる立場にいる緑間には、あれらの偉業が生まれ持っての才能だけでは成立しないことを心得ている。
極めつけは、先日の対青峰の試合――結果は、一軍選手にマネージャーが勝利するという大波乱の展開だった。
だが、緑間が注目したのは、結果ではなくその後の彼女の反応の方だ。
大金星を上げたのに一瞬たりとも喜びに浮かれず、スコアボードを凝視する目は既に次の勝負を見据えていたのだ。
なんて貪欲でストイックな姿勢だろうか、と素直に敬服した。
人事を尽くして天命を待つ。
緑間の座右の銘であるが、彼女ほどこの文言を体現している人間を、緑間はこれまで自分以外に知らなかった。
それに、人事を尽くすことを当然と認識しつつも、それを他者に押し付けない謙虚な人間性にも好感が持てた。
そういう所以で、緑間にとって生涯で初めて、その時点ではまだ会話したこともない相手に多少の尊敬と多大な共感を抱いたのだった。
――そこまでは、説明されずとも赤司でも読み取れた。
しかし、好感度はそこから急降下する。
「だが、よりによっておは朝を観ていないなど……」
振り絞るようなその一言で、赤司は彼らの間に何があったのかを完全に把握した。
緑間が熱狂的なおは朝信者であることは、知る人ぞ知る事実である。
今日も、蟹座のラッキーアイテムである電子辞書を、将棋盤の傍らに置いているほどだ。
たかが占い、たかがゲン担ぎと軽視する人間もいるが、緑間に言わせればその程度の人事も尽くせないなら天に選ばれることはあり得ないのである。
「志は立派だが、ラッキーアイテムを所持していないのに実現するはずがないだろう。馬鹿馬鹿しい」
初対面でラッキーアイテムを一笑に付されることは少なくないし、そんな奴など普段ならいちいち相手にしないのだが、今回は事前の期待が大きかった分落胆も激しかった。
それ故に、莉乃に対して過剰に否定的になっているのだろう――赤司はそう分析しながら、僅かに気になった疑問をぶつけた。
「藍良は、その占いについて何と言っていたんだ?」
「『緑間君の運気が良ければ、ラッキーアイテムがなくても私は幸せだ』」
莉乃の台詞を再現してみせる緑間は苦々しい顔をしているが、彼女はきっと笑顔だっただろうと赤司は思った。
しかし、一見莉乃らしいその発言には違和感を覚えた。
緑間同様、あるいは彼以上に、莉乃も思いつく限りの人事を尽くす――否、尽くし過ぎるタイプの人間だ。
むしろ緑間に倣って喜んでラッキーアイテムを常備するようになっても不思議ではないと考えていた――そもそも、緑間が明白に大切にしているものを、あの莉乃が大した理由もなく否定するだろうか。
しかし、赤司のその疑念は、続く緑間の台詞によって解消された。
「しかも、ラッキーアイテムを所持していないのを正当化するためか、自分の生年月日を覚えていないなどと見え透いた嘘を吐く始末だ」
ラッキーアイテムの有無を確認するため、彼女の星座を訊いたところ、自分の誕生日を覚えていないと答えたのだ。
しかも、その理由が、『興味がない』という衝撃の内容だった。
その直後、莉乃が自分と同じ蟹座であると判明したために意識がそちらへ移ったが、そうでなければその白々しさに暫く絶句していただろう。
全く、どこの世界に自分の誕生日を把握していない馬鹿がいるというのか。
言葉にしなくてもこの怒りと呆れを共有できると確信していたのだが、実際の赤司の反応は全く異なった。
「……そうか。そこまで自分に関心がないのか」
まるで目の前に緑間がいるのを忘れているかのように、そう独白した。
赤司にしては珍しく、ショックを受けているような表情をしている。
俄かに不安に襲われ「何を言っている?」と問いただすも、暫く赤司からの反応はなかった。
演技とは思えないその様子に、嫌な予感が緑間の脳を掠める。
「まさか、藍良が自分の誕生日を本当に忘れていたと、本気でそう思っているのか?」
「ああ。藍良は天地がひっくり返ってもお前を揶揄うことはしない」
それに、演技ができるほど器用でもない――赤司は心の中だけで付け加えた。
「いい機会だ。緑間。藍良についての認識を正しておこう。まず、あいつを普通の人間だと思うな」
「……何?」
「あいつをオレ達の常識に当てはめようとするから齟齬が生じる。あいつは普通の人間ではなく、“藍良莉乃”だと理解しろ」
「何だと?」
普通の人間だと思うな。
“藍良莉乃”だと理解しろ。
それはまるで、彼女の名前が、彼女の存在が、異形の象徴であるかのようではないか。
思わずそう怒鳴ろうとしたが、不意に彼女とした会話を思い出した――とても噛み合ったとは言い難い、あのやり取りを。
続けようとした反論を飲み込み、深く息を吐いた。
「……言いたいことは多々あるが、一旦聞こう」
眉間に深い皺を刻み、赤司をまっすぐ見据える緑間。
その真摯な姿勢を受け、赤司の口元にふっと笑みが零れ、すぐに引き締めた。
「まず、藍良莉乃は、オレ達の役に立つことを至上の喜びだと感じている。オレ達の役に立ち、そのために努力することに生き甲斐を感じている。ここまではいいな?」
「……ああ。まあ、いいだろう」
この時点で突っ込みたい箇所があるが、ここまでは噂でも聞いた内容だった。
しかし、この後により過激な表現が羅列される。
「自分の命がオレ達のためにあると思っている。だから必死で役立つための能力を磨く。役に立たなくなったら、生きている価値がないと考えているからだ。オレ達のことを最優先に位置づけている代償か、“自分”に対する関心が限りなく薄い。しかもそれを常識だと捉えているから、そこに何の疑問も持たない。たとえば、オレ達がどんなに感謝しても、当然のことをしただけなのに何故礼を言うのだろうと首を傾げる始末だ。そして、オレ達のために生きているのだから、自分を敵視したり競争相手にしたりすることは無意味だと思っている」
赤司の饒舌な解説を聞きながら、緑間は唐突に理解した。
最後の一言を伝えたいがために、赤司は今日この場を設けたのだと。
お前如きに負けないと、莉乃に啖呵を切った自分に釘を刺すために。
「より多くの人間に必要とされたいが、一方ですべての人間に好かれたいとは思っていない。好かれなくても、便利だと受け入れてくれさえすれば充分だと思っている。それに、自分の理念にそぐわない人間が僅かに存在したとしても、大多数のためには仕方がないと割り切っている節がある」
「……それは、結局」
「ああ。それは結局、あいつがオレ達を友人と思っていないということだ」
緑間が言いあぐねたことを、赤司はあっさりと公言した。
しかし、言うのを憚られただけで、緑間も充分に感じていることだ。
今の話を聞いて、“友人”という平和で対等な関係は全くイメージできない。
――それでも緑間は、莉乃を対等な相手だと思っていた。
「……今お前が言ったことが本当だとして、あいつの考えをこのままにしておくのか? そんな馬鹿げた生き方を黙認しろというのか」
「勿論、いずれなんとかするさ。だが、今はまだ駄目だ。あいつのすべてを理解していないうちに下手な手は打てないし、そもそも、今の俺達が何を言っても、藍良は自分の生き方を変える気はないだろう。中途半端に否定しても、自分に需要がないのだと割り切られるだけだ。オレ達の声は、あいつには届かない」
確信に満ちた、重みのある言葉だった。
それを聞いた緑間は、そっと目を閉じた。
赤司はどの段階で、莉乃の暗い人生観に気づいたのだろうか。
一体いつから、その事実を抱えながら莉乃に接していたのだろう。
自分よりはるかに無力感と戦ってきた男が、今は打つ手がないと言っている。
自分は何ができる?
「それで、緑間は次にどうする?」
目を開けて、将棋盤に視線を注ぐ。
「……投了なのだよ」
赤司も盤に目を落とし、力なく笑った。
長い対局だった気がする。
緑間の身体に残る疲労は、過去に経験したことのないほど重苦しい。
「緑間。オレの話が信じられないなら、試してみるといい」
疲弊した緑間を横目に、赤司は将棋の駒をかき集めながらそう言った。
緑間は正直もう何も聞きたくない気分だったが、赤司は構わずに続けた。
「何か、藍良を危険に晒すような行動を取ってみるといい。あいつを困らせてみるといい。あいつの生き方を否定してみるといい。何をしても、何を言っても、きっとあいつは怒らない」
緑間は数日迷った末に、赤司の提案を実行することにした。
莉乃を危険な目に遭わせ、彼女が己の命と同じくらい大切にしている生き様を否定する。
もしもそれだけのことをして尚、彼女が感情を乱されなければ、自分達を対等に見てない証左となる。
そして、結果は――
緑色アングリー
そうか、お前は、怒らないんだな。
(了)