中学一年生

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あだ名(紫原用)

 全力で叶えると誓った私だが、黒子君のためにできることは実に少ない。
 私が肝に銘じるべきは、その誓いよりも『黒子君が望むなら』という条件の方だからだ。
 迂闊に介入すれば原作以上の最悪の結果をもたらすことが分かった以上、一番シンプルな安全策は『何もしない』ことである。
 黒子君や他のバスケ部員の練習に関わることなく、何の協力も助力もせず、卒業まで最低限の接触しかしないことだ。
 しかし、そんな誰の役にも立たない私に生存権はない。
 平等と信仰の両立を模索するしか、生きる道はもう残されていないのだ。
 その上、黒子君本人から今後も部活後の自主練習を見てほしいと依頼されているので、それを断るなどもっての外である。
 ならばあの悲劇を繰り返さないために、私は何をしなければならないのか――何をしてはならないのか。
 たとえばミスディレクションに繋がるヒントを提示するのは論外だとしても、それでは何が良くて何が駄目なのか、その境界線は何処にあるのか?
 バスケ技術についてアドバイスするとして、シュートやドリブルは教えていいのか?
 一軍に上がった時に困らない程度の体力強化は、境界線のどちら側になるのか?
 何が悲劇に繋がるか、その基準は誰も知らない――当然漫画にも記載はない。
 まるで地雷原を歩くような作業だ。
 いつ何処で爆発するか分からない場所を、それでも進まなければならない。
 そこで、そんな厳しい状況下でのささやかな対策として考えたのが、あくまで黒子君の意思を尊重する形をとることだ。
 練習前に毎回彼が何を求めているのか聞き取り、何を望んでいるのか理解し、その都度自分の行動を微調整する。
 黒子テツヤの思考から派生した行動であれば、原作への影響も最小限に済む――かもしれない。
 すべて憶測に過ぎず、根拠はない。
 地雷原を何の頼りもなく渡り歩くことに変わりはない。
 しかも、このような問題を孕んでいるのは黒子テツヤに限った話ではないのだ。
 白金監督の求める“キセキの世代”の救済についても、同様の危険性を考慮しなくてはならないのである。
 未だに救済の目途すら立っていないというのに――明らかになるのは、道の険しさばかりだ。
 既存の方法は通用しない。
 安易な手段は最悪を招く。
 一見八方塞がりだ。
 つくづく読者に厳しい世界である。

「何を考えている?」

 ぱちん、と相手が駒を指した音で、思考を引き戻された。
 目の前の机上には将棋盤、対面に眉根を寄せてこちらを睨む緑間君が座っている。

「随分余裕そうだな。勝負の途中に考え事とは」

 最近、緑間君と将棋を指す機会が増えているのだが、『勝負』と言いつつ、彼はどうやらコミュニケーションの一環として誘っているようだ。
 つまり、そんな重大な場面で、私は物思いに耽っていたということである。
 速やかに謝罪し慌てて駒を動かした後、「でも」と切り出した。

「どうして分かったんだ? 私が将棋以外のことを考えていると」
「……赤司ほどではないが、お前の考えそうなことが分かるようになってきたのだよ」

 緑間君は何気ない風に言って、動かしたばかりの駒に視線を落とした。
 それは、将棋コミュニケーションの成果なのだろうか。
 確かに、将棋にさほど明るくない私ですら(駒の動かし方を知っている程度である)、棋譜を見ると彼の人柄や信条に触れられる気がする。
 しかしそれは嬉しくもあり、同時に恐ろしくもあった――自分を理解されることは、自分の正体が露見する危険を孕んでいるのだから。

「お前と赤司が一目置いている奴のことだろう」
「……ああ。黒子テツヤ君だ」

 そうだ、あの日、当人(と私)以外は赤司君に退出を促されたものの、緑間君は体育館の外で聞き耳を立てていたのだった。
 その時に得た情報を判断材料にしたのかもしれない。

「あの後、奴の昇格テストの記録を調べたが、とてもじゃないが一軍に入れるレベルではなかったのだよ」
「まあ、だからこそ三軍にいるのだしな」

 緑間君も努力すれば大抵の分野で結果を出せる人種だから、努力しても実力が伴わない境遇というのはなかなか理解しがたいのかもしれない。
 特に黒子君の場合、テストの数値を見ただけでは真の特性は読み取れない。

「緑間君は、赤司君から六番目シックスマンの話は聞いているのか?」
「ああ。試合の流れを変えたい時重宝する選手、と赤司は言っていたな」

 盤を睨みつける緑間君。
 実際に彼らがその会話をしている場に私はいなかったのだが、漫画にあったので鮮明に覚えている。
 何なら一言一句暗唱できる。

「本当に、あんな奴が六番目になり得ると思っているのか?」
「赤司君がそう言うのだから、そうなんじゃないか?」
「……赤司がそいつを知ったきっかけは、お前に紹介されたからなのだよ」

 彼の口調に僅かに苛立ちが混じったが、それでも盤から目を離さない。
 あくまで将棋が主目的という姿勢は崩さないらしい。

「以前から赤司に言われていたんだろう。六番目として思い当たる奴がいたら紹介しろと」

 ……そうか。
 あの時の会話を聞いていたから、その辺の事情も筒抜けなのか。
 まあ、その前にかなり強引に赤司君を第四体育館へ誘導したので、違和感を抱くには充分だっただろう。
 もっとも、彼の性格と能力ならば、ノーヒントでもいずれ事実に辿り着いていたかもしれない。

「それに、春先からずっと奴の練習を見ていたと言ったな。その頃から何か感じるものがあったのか?」

 さすが、緑間君らしい洞察力と分析力だ。
 赤司君の二重人格に誰よりも早く気づいただけのことはある。
 ちなみに、漫画ではこの時期に二重人格の予兆があったはずだが、注意して観察しているのにそれらしい片鱗を確認できていない。
 同じクラスで毎日何かしら会話を交わしているのに、冷徹なもう一人の赤司征十郎を、私は見ていない。
 それは私が特別鈍いからなのか、それとも――

「お前は何故、あいつを赤司に紹介したのだよ」

 さて、先ほどわざとはぐらかしたように、私はこの質問に対してまともに答えることができない。
 もし正直に返答するとすれば、たとえばこうだ。
 先の失敗を挽回したかったから。
 役に立ったと自覚することで精神を安定させたかったから。
 報われたかったから。
 こんなこと、口が裂けても言えるわけがない。
 自分の正体を知られてしまう。
 卑怯で卑小な、この私を。
 そんなわけで、それらしい意見を述べて誤魔化すことでこの場を乗り切るつもりだ。
 高潔な彼とこの私とでは、真っ当なコミュニケーションにすら支障をきたしてしまうのが悲しいところである。

「黒子君の『存在感のなさ』は、出会った時から特殊だと感じていた」

 同じ次元に生まれて、これまで紙面や画面では実感しづらかった影の薄さを初めて体感した時、ある種の納得を覚えたのだ。
 あのレベルになると、確かにフィクションからしか生まれない。
 それこそ視野を広げる訓練もしたのに、入部初日の体育館で、黒子君を見つけることができなかった。
 同じ行動を取っても、他の選手と対比すると彼だけ不自然なほど印象が薄い。
 赤司君が指摘したような“スポーツマンとしての気配”だけでなく、消すことができないはずの日常的な気配すらも圧倒的に希薄だ。
 しかも恐ろしいのは、それらが本人の意識とは無関係に常時発動している点だ。
 あれを他人が真似しようとしても、到底身につけられるものではない――たった一人を除いては。
 下手をすれば、“キセキの世代”より希少な原石かもしれない。
 あれにミスディレクションが加われば、確かに強力な武器となるに違いない。
 とは言え、いくら特殊な個性であっても、本人が自覚していなければ、それは“才能”ではないのだが。

「それから、バスケに関して真摯でひたむきなところが素晴らしいな。ずっと近くで練習風景を見ていたが、一日も努力を怠らず、結果が出なくて伸び悩んでも決して腐らなかった。彼の才能が芽吹くとしたら、それは彼自身の努力の賜物だ」

 影に徹するとは、口で言うのは簡単だが、それはとてつもなく難しい――全くその通りである。
 影としての覚悟はこれから育んでいくのだろうが、この頃から既にそれだけの器を有していたということだ。

「私のしたことなど、彼の志の前では塵芥に等しいよ。赤司君より少し知り合うのが早かっただけで、特別なことは何もしていない」

 私の主張を聞き終えて、緑間君はようやく顔を上げ、諦めたように息を吐いた。

「緑間君?」
「……投了なのだよ」

 その言葉で、将棋盤へ目をやった。
 しかし、将棋の方に意識を移す前に、緑間君から容赦のない総評が下された。

「この件は保留だな。お前の意見は、そいつへの過大評価と自分への過小評価が多分に含まれていて鵜呑みにできん」
「えっ」

 顔を上げると、緑間君は眼鏡のつるを押さえて涼しい顔をしていた。
 肝心なところを語れないので説得力に欠けるのはどうしようもないとしても、これは私の人徳が大いに影響している気がする。
 だって赤司君相手なら絶対にそんなこと言わないだろ、緑間君。

「本当にそいつが一軍に上がるというなら、否が応でも今後関わる機会は増える。その時に改めてオレの目で見極めるとするのだよ」
「勿論それが最善に違いないが……、そこまで全否定されると悲しくなってくるな」
「お前の話は客観性に欠けると言っているだけだ。そもそも、そいつが一軍に上がると信じて疑ってない奴に、公平な批評などできるわけがないのだよ」

 将棋の駒を片付けながら、緑間君はごく自然にそう言った。
 その言葉が、いつまでも耳に残った。
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