中学一年生
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放課後になった――長い長い一日が、やっと終わろうとしている。
体育館へ向かう廊下を歩くのに合わせて、頭上でリボンがひらひらと風になびくのを感じる。
部活中はさすがに外さなければならないことを考慮すると、このリボンともあと数分でお別れだ。
本当に長かった。
緑間君にリボンを受け取ってからというもの、何処へ行っても視線を集め、時には写真を求められ、ゲームを挑みに来た灰崎君には「何やってんだてめえは」と呆れられ、一日中針の筵のようだったのだ。
これの何がラッキーアイテムなのかとテレビ局に問いたい――緑間君から下賜された品でなければ、とっくに焼却炉に投げ入れていただろう。
しかし、この苦痛ももうすぐ終わると思うと、疲労に支配された身体も幾分か軽く感じる。
あと数分、あと数分、と心の中で唱えながら廊下の角を曲がったその時、事件は起こった。
死角から人の気配を察知し、咄嗟に動線を変更したのは良かったが、すれ違おうとした人物が最悪だった。
その人は、私の姿を見るなり、不自然に動きを止めた。
「……藍良?」
「……虹村、先輩」
彼の目線は、私の頭上に固定されている。
目は口ほどに物を言う。
反射的に回れ右をして逃げ出したくなったが、よりによって尊敬すべき部活の先輩に醜態を晒したショックで私も動けなかった。
望まぬ生にしがみつくこと十余年、なんとかしぶとく生き延びてきたが、久しぶりに猛烈に死にたくなった。
あるいは、何処か誰も知らないような遠い土地へ行きたい、黄泉の国とか。
お互い黙ったまま、数秒が経過した。
私の方が先に折れた。
「このような醜態を晒した罪、死をもって償います……」
「いや……、罪じゃねーし、むしろすげー似合ってるぞ」
虹村先輩の優しさが痛い。
今日だけで何度も言われた『似合ってる』だが、これほど嬉しくない褒め言葉もない。
そういう意味では、既に罰を与えられていると言ってもいい。
恐らく酷い顔をしているであろう私に対して、彼は眉を顰めた。
「……もしかして、見ちゃ駄目だったか?」
「いいえ……」
体育館へ向かう途中ということは、近づけば近づくほど部活関係者とのエンカウント率が高くなるということである――そんなことも想定せずに気を緩めた私の過失だ。
何が『あと数分で終わる』だ。
ほんの僅かな怠慢で私の人生が終わると、どうしていつまで経っても学習しないのだろう。
苦痛と言いつつ、何だかんだで彼らからのプレゼントを身につけている喜びが、私の心に油断を生んだのか――それにしたって、この罰はあんまりだ。
「大丈夫だって。分かってるよ。どうせ緑間あたりに押し付けられたんじゃねーの? 今日のラッキーアイテムとか言われて」
「さすが、仰る通りです」
「今朝あいつが緑のリボン持ってんの見たからな」
素晴らしい洞察力だ。
虹村先輩はもう一度リボンに視線をやると、腕を組みながら苦笑した。
「ま、他の色はどういう経緯か知らねーけど」
結局、赤司君の助言を受けて私が選んだのは、五種類のリボンすべてだった。
貰ったものも買ったものも、全部まとめて髪にくくったのだ。
今虹村先輩の目線の先には、五色のリボンで彩られたツインテールがあるはずだ。
友達の好意を無下にすることも友達の助言を無視することもできないが、何よりできないのは “選択すること”なのである。
あるいは、何かを切り捨てることと言い換えてもいい。
赤司君も私のそんな甘えに勘づいていたのだろう、すべてのリボンをまとめて掴んだ時、大して驚いていなかった。
「それにしても、なんか、あれだな」
考え事を中断して顔を上げると、虹村先輩は口元を隠すように手で覆っていた。
何かを言い淀み、視線をこちらに向け、また逸らすという行為を繰り返している。
「何でしょうか?」
「……いや、その配色、まるで虹みたいだよな」
振り絞るような声でそう言われて、改めて思い出した。
赤色、黄色、緑色、青色、紫色。
それらを束ねたら、確かに虹色のように見えなくもない。
「なんか、いいな」
「はい?」
「あいつらの気持ち、ちょっと分かるわ」
「……仰っている意味がよく分かりません」
「いいんだよ、分からなくて」
……あまり良くない気がする。
だが、気づいたら最後、それこそ人生が終わってしまうという予感もある。
今日はずっと、そんな不気味な矛盾に囚われて続けているのだ。
赤司君の助言で幾らか解消された気がしたが、ただの気の所為だったかもしれない。
「強いて言うなら、ラッキーアイテムってすげーなって話」
「そうですか? 正直言うと、今日はむしろツイていない一日だったので、ラッキーアイテムの恩恵を授かっていない気がします」
最後の最後で、本日の不運記録を更新したしな。
日頃の人事が足りないのだろうか。
「……確かに、お前に得はないか」
「まあ、部活ではさすがに外すので、もうあまり関係ありませんが」
「あ?」
「え?」
空気が止まった。
やがて、本当に理解できないという顔で先輩が首を傾げた。
「取んのか? なんで?」
「いや……、邪魔でしょう。部活に不要ですし」
「髪束ねてんだから、別に邪魔にならねーだろ」
「それに、見苦しいですから」
「似合ってるっつったろ」
言った後、言葉に若干の苛立ちが混じったことを自覚したのか、軽く咳払いしてから続けた。
「藍良。確認するけど、お前は他人を救うのが目標なんだよな?」
「仰る通りです」
「周りの人間が幸せなら、お前も幸せか?」
「はい。当然です」
「なら大丈夫だ。その格好でいろ」
先輩の質問に自信をもって答えると、彼もまた自信満々の笑みで返した。
先ほどから議論がまるで進んでいないが、それを指摘できる空気ではない。
というより、初めて生で見た先輩の笑顔に完全に固まってしまったのである。
反論を封じられたので、ひとまず脳内で天秤にかけることにした。
尊敬すべき先輩が『大丈夫』だと言っている。
敬愛すべき同級生は『ただのリボンだ』と言って不安を取り除こうとしてくれた。
果たして、私の根拠のない恐怖は、彼らの言葉に勝るものか?
彼らの命令や助言を無視できるほど、私の生は優先されるべきものか?
「先輩」
「あ?」
「ありがとうございます」
「……おう」
虹村先輩のおかげで、自分の身の程を再確認できた。
所詮ただのリボンなのだから、頭には布数枚分の重さしかないはずだ。
そのことを、今ようやく自覚した。
それに、ただの錯覚に過ぎないが、この時私は、彼らの言葉一つで、何でもできる気がしたのだ。
同様に、言葉一つで死の崖の淵に追いつめられることもあるのだが――それは錯覚ではないのだった。
体育館へ向かう廊下を歩くのに合わせて、頭上でリボンがひらひらと風になびくのを感じる。
部活中はさすがに外さなければならないことを考慮すると、このリボンともあと数分でお別れだ。
本当に長かった。
緑間君にリボンを受け取ってからというもの、何処へ行っても視線を集め、時には写真を求められ、ゲームを挑みに来た灰崎君には「何やってんだてめえは」と呆れられ、一日中針の筵のようだったのだ。
これの何がラッキーアイテムなのかとテレビ局に問いたい――緑間君から下賜された品でなければ、とっくに焼却炉に投げ入れていただろう。
しかし、この苦痛ももうすぐ終わると思うと、疲労に支配された身体も幾分か軽く感じる。
あと数分、あと数分、と心の中で唱えながら廊下の角を曲がったその時、事件は起こった。
死角から人の気配を察知し、咄嗟に動線を変更したのは良かったが、すれ違おうとした人物が最悪だった。
その人は、私の姿を見るなり、不自然に動きを止めた。
「……藍良?」
「……虹村、先輩」
彼の目線は、私の頭上に固定されている。
目は口ほどに物を言う。
反射的に回れ右をして逃げ出したくなったが、よりによって尊敬すべき部活の先輩に醜態を晒したショックで私も動けなかった。
望まぬ生にしがみつくこと十余年、なんとかしぶとく生き延びてきたが、久しぶりに猛烈に死にたくなった。
あるいは、何処か誰も知らないような遠い土地へ行きたい、黄泉の国とか。
お互い黙ったまま、数秒が経過した。
私の方が先に折れた。
「このような醜態を晒した罪、死をもって償います……」
「いや……、罪じゃねーし、むしろすげー似合ってるぞ」
虹村先輩の優しさが痛い。
今日だけで何度も言われた『似合ってる』だが、これほど嬉しくない褒め言葉もない。
そういう意味では、既に罰を与えられていると言ってもいい。
恐らく酷い顔をしているであろう私に対して、彼は眉を顰めた。
「……もしかして、見ちゃ駄目だったか?」
「いいえ……」
体育館へ向かう途中ということは、近づけば近づくほど部活関係者とのエンカウント率が高くなるということである――そんなことも想定せずに気を緩めた私の過失だ。
何が『あと数分で終わる』だ。
ほんの僅かな怠慢で私の人生が終わると、どうしていつまで経っても学習しないのだろう。
苦痛と言いつつ、何だかんだで彼らからのプレゼントを身につけている喜びが、私の心に油断を生んだのか――それにしたって、この罰はあんまりだ。
「大丈夫だって。分かってるよ。どうせ緑間あたりに押し付けられたんじゃねーの? 今日のラッキーアイテムとか言われて」
「さすが、仰る通りです」
「今朝あいつが緑のリボン持ってんの見たからな」
素晴らしい洞察力だ。
虹村先輩はもう一度リボンに視線をやると、腕を組みながら苦笑した。
「ま、他の色はどういう経緯か知らねーけど」
結局、赤司君の助言を受けて私が選んだのは、五種類のリボンすべてだった。
貰ったものも買ったものも、全部まとめて髪にくくったのだ。
今虹村先輩の目線の先には、五色のリボンで彩られたツインテールがあるはずだ。
友達の好意を無下にすることも友達の助言を無視することもできないが、何よりできないのは “選択すること”なのである。
あるいは、何かを切り捨てることと言い換えてもいい。
赤司君も私のそんな甘えに勘づいていたのだろう、すべてのリボンをまとめて掴んだ時、大して驚いていなかった。
「それにしても、なんか、あれだな」
考え事を中断して顔を上げると、虹村先輩は口元を隠すように手で覆っていた。
何かを言い淀み、視線をこちらに向け、また逸らすという行為を繰り返している。
「何でしょうか?」
「……いや、その配色、まるで虹みたいだよな」
振り絞るような声でそう言われて、改めて思い出した。
赤色、黄色、緑色、青色、紫色。
それらを束ねたら、確かに虹色のように見えなくもない。
「なんか、いいな」
「はい?」
「あいつらの気持ち、ちょっと分かるわ」
「……仰っている意味がよく分かりません」
「いいんだよ、分からなくて」
……あまり良くない気がする。
だが、気づいたら最後、それこそ人生が終わってしまうという予感もある。
今日はずっと、そんな不気味な矛盾に囚われて続けているのだ。
赤司君の助言で幾らか解消された気がしたが、ただの気の所為だったかもしれない。
「強いて言うなら、ラッキーアイテムってすげーなって話」
「そうですか? 正直言うと、今日はむしろツイていない一日だったので、ラッキーアイテムの恩恵を授かっていない気がします」
最後の最後で、本日の不運記録を更新したしな。
日頃の人事が足りないのだろうか。
「……確かに、お前に得はないか」
「まあ、部活ではさすがに外すので、もうあまり関係ありませんが」
「あ?」
「え?」
空気が止まった。
やがて、本当に理解できないという顔で先輩が首を傾げた。
「取んのか? なんで?」
「いや……、邪魔でしょう。部活に不要ですし」
「髪束ねてんだから、別に邪魔にならねーだろ」
「それに、見苦しいですから」
「似合ってるっつったろ」
言った後、言葉に若干の苛立ちが混じったことを自覚したのか、軽く咳払いしてから続けた。
「藍良。確認するけど、お前は他人を救うのが目標なんだよな?」
「仰る通りです」
「周りの人間が幸せなら、お前も幸せか?」
「はい。当然です」
「なら大丈夫だ。その格好でいろ」
先輩の質問に自信をもって答えると、彼もまた自信満々の笑みで返した。
先ほどから議論がまるで進んでいないが、それを指摘できる空気ではない。
というより、初めて生で見た先輩の笑顔に完全に固まってしまったのである。
反論を封じられたので、ひとまず脳内で天秤にかけることにした。
尊敬すべき先輩が『大丈夫』だと言っている。
敬愛すべき同級生は『ただのリボンだ』と言って不安を取り除こうとしてくれた。
果たして、私の根拠のない恐怖は、彼らの言葉に勝るものか?
彼らの命令や助言を無視できるほど、私の生は優先されるべきものか?
「先輩」
「あ?」
「ありがとうございます」
「……おう」
虹村先輩のおかげで、自分の身の程を再確認できた。
所詮ただのリボンなのだから、頭には布数枚分の重さしかないはずだ。
そのことを、今ようやく自覚した。
それに、ただの錯覚に過ぎないが、この時私は、彼らの言葉一つで、何でもできる気がしたのだ。
同様に、言葉一つで死の崖の淵に追いつめられることもあるのだが――それは錯覚ではないのだった。