【番外編】舞台裏
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入部早々一軍入りした青峰大輝と、入学早々さまざまな武勇伝が蔓延る藍良莉乃が、何故かワンオンワンで対決するという展開になったと聞き、虹村修造は耳を疑った。
バスケ部の人間なら誰でも知っているが、青峰大輝は強豪ひしめく一軍メンバーの中でも頭一つ飛び抜けた実力の持ち主である。
その青峰と勝負するとは、つまり莉乃は彼と同等程度の能力を有しているということだろうか。
マネージャーとは一体何なのか考えさせられるし、ともすれば選手の立場を揺るがしかねない驚愕の事実だ。
しかし、有名だった選手が引退後にコーチや監督を務めるようなものだと思えば、まあ理解できなくもないかもしれない。
優れた人間の行き着く先は、後身の育成ということか――どちらにせよ、とても中学一年が至る境地ではないが。
学年が異なるのでそこまで詳しくないが、確か噂では運動神経は抜群だと聞いている。
ならば勝つまではいかなくても、青峰といい勝負をするかもしれない――そんな虹村の楽観的な予想は、大きく裏切られることになった。
注目株同士の対戦ということで、第四体育館には虹村やコーチを含め何人かが見学していたのだが、彼らのほとんどが眼前の光景に目を疑った。
僅差とは言え、青峰大輝に藍良莉乃が勝利したのだ。
しかも、勝負を実際に目の当たりにした虹村は、それがまぐれの勝利でないことを痛感していた。
なんて恐ろしい少女だ、と体育館の壁際に立って試合の流れを見守っていた虹村は息をのんだ。
彼女の運動能力ではない、あれだけの才能を所有していながら、表舞台に立たずサポートに徹する鋼のような精神力に、恐れに似た尊敬を抱いたのだ。
最初に青峰達一年生を見た時、天才の存在を知ったように。
この試合を目撃して、化け物の存在を認識した。
「すっげえな……」
無意識に零れた呟きに、隣に佇む赤司がちらりと虹村に視線を寄越した。
その仕草を視界に捉えた時、ふと気になったことがある。
試合が終了して誰もが驚愕で開いた口が塞がらない中、赤司だけが予め結果を分かっていたかのように落ち着き払っていたのだ。
確か、赤司は莉乃と同じクラスだと聞いている。
交流が深い分、事前に莉乃の能力を認知していたのだろうか。
「赤司。お前、あいつがバスケできるって知ってたのか?」
「本人からは何も聞いてませんよ。ただ、このくらいはすると思っていました」
さらりと言われて仰天した。
虹村からすれば同じ完璧超人に見える赤司からも、莉乃は十二分に認められているようだ。
莉乃は赤司についてどう思っているのかも、機会があったらいつか聞いてみたい。
体育館の中央で青峰と桃井に揉みくちゃにされている莉乃に目を向けた。
「……あれ?」
「どうかしましたか?」
「いや、何か……藍良が変だ」
つい先ほどまで試合自体に気を取られていて気づかなかったが、明らかに莉乃の様子がおかしい。
彼女は隣で大騒ぎしている二人に目もくれず、スコアボードを穴が開くほど凝視しているのだが、そこに浮かんでいる表情は、勝利した喜びや達成感といったものではないのだ。
驚愕、愕然、そして、焦燥だろうか。
虹村と莉乃は部活のみの付き合いである上、彼女は部活中あちこちを駆け回っているのでこれまであまり接点はなかったが、それでもあんな追い詰められた顔は見たことがないし、誰かから聞いたこともない。
きっと赤司だって初めて見ただろうに、虹村の隣で落ち着いた様子で観察している。
負けたはずの青峰は喜び、勝ったはずの莉乃は落ち込んでいるという異例ずくめの事態に、虹村は既について行けなくなってしまった。
莉乃に近い赤司なら、この状況をより正確に分析できるだろうか。
もう一度赤司を盗み見てから、思い切ってこの困惑を口に出すことにした。
「なんか……、勝ったはずの藍良があんま嬉しそうじゃなく見えるんだが」
「そうですね、結果が結果ですから。勝利したとは言え、僅差だったのが不本意だったんでしょう。本人としては、圧勝するつもりだったんでしょうか」
「はっ!?」
思わず声を上げてしまった。
声量は大きかったが、青峰達が派手に騒いでいるので他の見学者には聞かれなかったらしい。
慌てて周囲を警戒する虹村に、赤司は努めて冷静に返答したのだった。
「そういう奴です。たった一度でも間違えば、死んで償うしかないと思っている奴なんです」
「な――」
何だそれは。
何だ、その救いのない思考は。
そんなもの、生きている限り逃れられない地獄にいるようなものではないか。
スコアボードを見る。
青峰との点差は一点、僅差で勝利した。
あと一点足りなかったら、莉乃は死んでいたのか?
とても信じがたい話だ。
――それに、赤司がその生き方に理解を示していることも。
詳しく追及しようとしたが、青峰と桃井に囲まれていたはずの莉乃がこちらに向かって歩いてきたため口を噤んだ。
そして、一体何の用かと身構える虹村の正面に立つと、深々と頭を下げたのだった。
「虹村先輩。本日は体育館の使用を許可して下さり、ありがとうございました」
「ああ、いや別にいいよ。部活終わってるし、たまたま空いてたしな」
何だそんなことか、と口走りそうになるのをなんとか堪えた。
何というか、変に律儀な奴だ。
細かいところまで配慮できる奴だと前々から思っていたが、もし命懸けだとしたら、これくらいはするのかもしれない。
「にしても、本当にいい試合だった。まさか、あの青峰を抑えるなんてな」
「……ありがとうございます」
試しに褒めてみたが(世辞ではなく本心だ)、やはり嬉しそうではない。
先輩を気遣うだけの余裕は戻ったようだが、まだ何処か呆然としているように見える。
「私などまだまだです。今回も勝ちはしましたが、危ない場面が何度もありました。正直、あまり勝てた気がしません」
心底悔しそうに、莉乃は言った。
その台詞は決して社交辞令ではない。
赤司の話を聞く前ならただ謙虚な奴だと思っただろうが、今はその台詞に嫌な汗が流れる。
もう少しで死にそうだった奴の言葉なのだ。
「……なあ、訊いてもいいか?」
はい、と彼女は答えた。
その時、虹村は『どうしてそこまでして生きようとするんだ?』と訊きそうになったが、さすがに露骨すぎると言葉を飲み込んだ。
代わりに、もう一つ気になっていたことを質問したのだった。
「お前、どうしてそこまでバスケを極めるんだ? 今はマネージャーだし、選手だったわけでもないんだろ?」
「はい。私はマネージャーですし選手ではありませんが、この能力が無駄だとは全く思いません。たとえ試合に出ることはなくても、この能力はいつか大切な人を守れるかもしれませんから。だから、私にはどんな能力も極める必要があるんです」
どきりとした。
一瞬、自分のことを言われているのかと思ったのだ。
努力に無駄はない、どんな経験にも意味がある、そう声高に主張しているような気がした。
もしそうなら、それはなんて美しい正論だろうか。
泥沼に足を突っ込んだ人間の手さえ引っ張り上げられるほど、力強く魅力的な生き様だと思う。
けれど、それは、なんて危うい生き方なんだ。
恐らく、彼女はこれから先も多くの人を救うのだろう。
今、無自覚のうちに放った言葉で虹村が過去の過ちから救われたように。
――藍良莉乃が多くの人間を救うのなら。
嫌な予感がして、虹村は意を決して切り込んだ。
「お前、この学校で何するつもりなんだ?」
「はい。より多くの人を救うつもりです」
莉乃は堂々と宣言した。
それは、この学校に在籍する者なら、一度は聞いたことのある有名な言葉だ。
――藍良莉乃が多くの人間を救うのなら。
――彼女のことは、一体誰が救うのだ。
「なら、せめて誰も不幸にするなよ」
自身でも驚くほど弱々しい口調になってしまい、まるで負け惜しみのようだった。
そんな虹村の“依頼”に、莉乃は先ほどの宣言のように誇らしげに、何処か嬉しそうに、はい、と返事したのだった。
その姿を見た虹村は、あの一言に込めた願望や懸念は、目の前の少女にまるで伝わっていないと確信した。
同時に、藍良莉乃の人間性について少し理解できた。
この後輩は、超越した自己犠牲の代償なのか、“皆”というカテゴリーに自身を微塵も考慮していないのだ。
自分という存在をこの学校の、あるいはこの世界の一員として認識していない。
だから、『誰も不幸にするな』という虹村のアドバイスを、激励と受け取ったのだ。
誰よりも真っ先に不幸になりそうな莉乃への忠告は、肝心の本人には届かなかった。
恐らく彼女を除いて、今後帝光中学の生徒達は皆救われ幸せになるのだろう。
そして、自分以外幸福になった世界を、干渉せずに満足そうに見守る彼女の姿が容易に想像できた。
――藍良莉乃が多くの人間を救うのなら、彼女のことは、一体誰が救うのだ。
虹村は後悔している。
自身がその“誰か”に名乗り出なかったことを。
そして何より、彼女の思考を否定できなかった、彼女の行動より正しくなれなかった、彼女に救われたと思ってしまった、自分の生き様を。
虹色リグレット
(了)
バスケ部の人間なら誰でも知っているが、青峰大輝は強豪ひしめく一軍メンバーの中でも頭一つ飛び抜けた実力の持ち主である。
その青峰と勝負するとは、つまり莉乃は彼と同等程度の能力を有しているということだろうか。
マネージャーとは一体何なのか考えさせられるし、ともすれば選手の立場を揺るがしかねない驚愕の事実だ。
しかし、有名だった選手が引退後にコーチや監督を務めるようなものだと思えば、まあ理解できなくもないかもしれない。
優れた人間の行き着く先は、後身の育成ということか――どちらにせよ、とても中学一年が至る境地ではないが。
学年が異なるのでそこまで詳しくないが、確か噂では運動神経は抜群だと聞いている。
ならば勝つまではいかなくても、青峰といい勝負をするかもしれない――そんな虹村の楽観的な予想は、大きく裏切られることになった。
注目株同士の対戦ということで、第四体育館には虹村やコーチを含め何人かが見学していたのだが、彼らのほとんどが眼前の光景に目を疑った。
僅差とは言え、青峰大輝に藍良莉乃が勝利したのだ。
しかも、勝負を実際に目の当たりにした虹村は、それがまぐれの勝利でないことを痛感していた。
なんて恐ろしい少女だ、と体育館の壁際に立って試合の流れを見守っていた虹村は息をのんだ。
彼女の運動能力ではない、あれだけの才能を所有していながら、表舞台に立たずサポートに徹する鋼のような精神力に、恐れに似た尊敬を抱いたのだ。
最初に青峰達一年生を見た時、天才の存在を知ったように。
この試合を目撃して、化け物の存在を認識した。
「すっげえな……」
無意識に零れた呟きに、隣に佇む赤司がちらりと虹村に視線を寄越した。
その仕草を視界に捉えた時、ふと気になったことがある。
試合が終了して誰もが驚愕で開いた口が塞がらない中、赤司だけが予め結果を分かっていたかのように落ち着き払っていたのだ。
確か、赤司は莉乃と同じクラスだと聞いている。
交流が深い分、事前に莉乃の能力を認知していたのだろうか。
「赤司。お前、あいつがバスケできるって知ってたのか?」
「本人からは何も聞いてませんよ。ただ、このくらいはすると思っていました」
さらりと言われて仰天した。
虹村からすれば同じ完璧超人に見える赤司からも、莉乃は十二分に認められているようだ。
莉乃は赤司についてどう思っているのかも、機会があったらいつか聞いてみたい。
体育館の中央で青峰と桃井に揉みくちゃにされている莉乃に目を向けた。
「……あれ?」
「どうかしましたか?」
「いや、何か……藍良が変だ」
つい先ほどまで試合自体に気を取られていて気づかなかったが、明らかに莉乃の様子がおかしい。
彼女は隣で大騒ぎしている二人に目もくれず、スコアボードを穴が開くほど凝視しているのだが、そこに浮かんでいる表情は、勝利した喜びや達成感といったものではないのだ。
驚愕、愕然、そして、焦燥だろうか。
虹村と莉乃は部活のみの付き合いである上、彼女は部活中あちこちを駆け回っているのでこれまであまり接点はなかったが、それでもあんな追い詰められた顔は見たことがないし、誰かから聞いたこともない。
きっと赤司だって初めて見ただろうに、虹村の隣で落ち着いた様子で観察している。
負けたはずの青峰は喜び、勝ったはずの莉乃は落ち込んでいるという異例ずくめの事態に、虹村は既について行けなくなってしまった。
莉乃に近い赤司なら、この状況をより正確に分析できるだろうか。
もう一度赤司を盗み見てから、思い切ってこの困惑を口に出すことにした。
「なんか……、勝ったはずの藍良があんま嬉しそうじゃなく見えるんだが」
「そうですね、結果が結果ですから。勝利したとは言え、僅差だったのが不本意だったんでしょう。本人としては、圧勝するつもりだったんでしょうか」
「はっ!?」
思わず声を上げてしまった。
声量は大きかったが、青峰達が派手に騒いでいるので他の見学者には聞かれなかったらしい。
慌てて周囲を警戒する虹村に、赤司は努めて冷静に返答したのだった。
「そういう奴です。たった一度でも間違えば、死んで償うしかないと思っている奴なんです」
「な――」
何だそれは。
何だ、その救いのない思考は。
そんなもの、生きている限り逃れられない地獄にいるようなものではないか。
スコアボードを見る。
青峰との点差は一点、僅差で勝利した。
あと一点足りなかったら、莉乃は死んでいたのか?
とても信じがたい話だ。
――それに、赤司がその生き方に理解を示していることも。
詳しく追及しようとしたが、青峰と桃井に囲まれていたはずの莉乃がこちらに向かって歩いてきたため口を噤んだ。
そして、一体何の用かと身構える虹村の正面に立つと、深々と頭を下げたのだった。
「虹村先輩。本日は体育館の使用を許可して下さり、ありがとうございました」
「ああ、いや別にいいよ。部活終わってるし、たまたま空いてたしな」
何だそんなことか、と口走りそうになるのをなんとか堪えた。
何というか、変に律儀な奴だ。
細かいところまで配慮できる奴だと前々から思っていたが、もし命懸けだとしたら、これくらいはするのかもしれない。
「にしても、本当にいい試合だった。まさか、あの青峰を抑えるなんてな」
「……ありがとうございます」
試しに褒めてみたが(世辞ではなく本心だ)、やはり嬉しそうではない。
先輩を気遣うだけの余裕は戻ったようだが、まだ何処か呆然としているように見える。
「私などまだまだです。今回も勝ちはしましたが、危ない場面が何度もありました。正直、あまり勝てた気がしません」
心底悔しそうに、莉乃は言った。
その台詞は決して社交辞令ではない。
赤司の話を聞く前ならただ謙虚な奴だと思っただろうが、今はその台詞に嫌な汗が流れる。
もう少しで死にそうだった奴の言葉なのだ。
「……なあ、訊いてもいいか?」
はい、と彼女は答えた。
その時、虹村は『どうしてそこまでして生きようとするんだ?』と訊きそうになったが、さすがに露骨すぎると言葉を飲み込んだ。
代わりに、もう一つ気になっていたことを質問したのだった。
「お前、どうしてそこまでバスケを極めるんだ? 今はマネージャーだし、選手だったわけでもないんだろ?」
「はい。私はマネージャーですし選手ではありませんが、この能力が無駄だとは全く思いません。たとえ試合に出ることはなくても、この能力はいつか大切な人を守れるかもしれませんから。だから、私にはどんな能力も極める必要があるんです」
どきりとした。
一瞬、自分のことを言われているのかと思ったのだ。
努力に無駄はない、どんな経験にも意味がある、そう声高に主張しているような気がした。
もしそうなら、それはなんて美しい正論だろうか。
泥沼に足を突っ込んだ人間の手さえ引っ張り上げられるほど、力強く魅力的な生き様だと思う。
けれど、それは、なんて危うい生き方なんだ。
恐らく、彼女はこれから先も多くの人を救うのだろう。
今、無自覚のうちに放った言葉で虹村が過去の過ちから救われたように。
――藍良莉乃が多くの人間を救うのなら。
嫌な予感がして、虹村は意を決して切り込んだ。
「お前、この学校で何するつもりなんだ?」
「はい。より多くの人を救うつもりです」
莉乃は堂々と宣言した。
それは、この学校に在籍する者なら、一度は聞いたことのある有名な言葉だ。
――藍良莉乃が多くの人間を救うのなら。
――彼女のことは、一体誰が救うのだ。
「なら、せめて誰も不幸にするなよ」
自身でも驚くほど弱々しい口調になってしまい、まるで負け惜しみのようだった。
そんな虹村の“依頼”に、莉乃は先ほどの宣言のように誇らしげに、何処か嬉しそうに、はい、と返事したのだった。
その姿を見た虹村は、あの一言に込めた願望や懸念は、目の前の少女にまるで伝わっていないと確信した。
同時に、藍良莉乃の人間性について少し理解できた。
この後輩は、超越した自己犠牲の代償なのか、“皆”というカテゴリーに自身を微塵も考慮していないのだ。
自分という存在をこの学校の、あるいはこの世界の一員として認識していない。
だから、『誰も不幸にするな』という虹村のアドバイスを、激励と受け取ったのだ。
誰よりも真っ先に不幸になりそうな莉乃への忠告は、肝心の本人には届かなかった。
恐らく彼女を除いて、今後帝光中学の生徒達は皆救われ幸せになるのだろう。
そして、自分以外幸福になった世界を、干渉せずに満足そうに見守る彼女の姿が容易に想像できた。
――藍良莉乃が多くの人間を救うのなら、彼女のことは、一体誰が救うのだ。
虹村は後悔している。
自身がその“誰か”に名乗り出なかったことを。
そして何より、彼女の思考を否定できなかった、彼女の行動より正しくなれなかった、彼女に救われたと思ってしまった、自分の生き様を。
虹色リグレット
(了)