中学一年生

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あだ名(紫原用)

 ある日の早朝のことである。
 梅雨が明け、日中は本格的に夏が到来したと感じるようになったが、日の出から間もないこの時刻ではまだ強い日差しも厳しい照り返しもない。
 肌にまとわりつくような湿気はあるものの、日中に比べれば充分に過ごしやすい。
 熱中症や脱水症状に気をつけなければならないこの季節、早朝はトレーニングするにはもってこいの時間帯なのだ。
 さて、そんなわけで私の最近の日課は、部活の朝練が始まる前に隣町までランニングし、そこのバスケットコートで暫く練習してから学校に向かうことである。
 その日も、私はいつものコースを走り終え、隣町のバスケコートにいた。
 持参したボールをドリブルしながら、視界に広がるコートを睥睨する。
 コート上に複数の敵がいることを想定し、呼吸を整えてから地面を蹴った。
 まずはすぐ正面に敵がいるとイメージして、青峰君の敏捷性アジリティで敵をかわしながらインサイドに侵入する。
 続いて立ちはだかる敵に対しては、赤司君の“天帝の眼エンペラーアイ”によるアンクルブレイクで対応。
 相手が倒れ込んだ隙を突いてゴールまで一気に駆け、最後に紫原君の“破壊の鉄槌トールハンマー”――を、ゴールが壊れない程度にセーブして繰り出した。
 結果、ゴール全体をぎしぎしと軋ませながらもなんとか壊さず得点を決めることに成功した。
 お気づきかもしれないが、WCの誠凛VS海常での黄瀬君の“完全無欠の模倣パーフェクトコピー”による攻撃をほぼ再現したのである。
 完全に真似るには、残念ながら最後にパスを出す相手がいなかった。
 まあ、いたらいたでここまで自由に(というより無遠慮に)バスケはできないのだが。
 この時代の本人達ですらまだ習得していないプレイを、私がしているところを誰かに見られたら一大事だ。
 わざわざ隣町のバスケコートを使用しているのは、言うまでもなく同じ学校の人間に見つからないようにするためである。
 しかし、当然のことながら。
 あの学校の外側にだって、物語はあるのだった。
 練習の終了予定時間が迫ってきた頃、今日の練習を締めくくるつもりで、ボールを3Pラインより遥か外側から高いループで放った。
 緑間君の唯一絶対の代名詞“超長距離スーパーロングレンジ3Pシュート”。
 個人的に私が最も美しいと思うシュート――なのだが。

「全っ然駄目だな」

 ネットを揺らしてゴールしたボールを見届けた後、苦々しく吐き捨てた。
 フォームも軌道も未熟な上、シュートの成功率は百パーセントではないし、今のところハーフラインまでしか撃つことができない。
 オリジナルには到底及ばない出来である。
 余談だが、やっていて一番気持ちがいいのは青峰君の“型のないフォームレスシュート”で、一番得意なのは赤司君の“天帝の眼エンペラーアイ”だ。
 逆に一番苦手なのは、黒子君の“幻影のファントムシュート”である。
 黒子君が普段のパスの癖から普通のシュートが苦手であるのとは対照的に、通常のシュートが身体に染み込んでいる私には黒子君特有のそれがしっくり来ないのだ。
 閑話休題。
 改善点を脳内でリストアップしつつあと数本撃ったら切り上げようと考えていると、背後で誰かの声がした。

「綺麗だな」

 独り言のように呟かれた言葉は、聞いたことのある声色だった。
 足を止めて振り返った先に、黒髪の少年がフェンスにもたれ掛かって立っていた。
 少し前からこちらを観察する視線には気づいていたが――そうか、この人だったか。

「本物はもっと綺麗だよ」
「え?」
「さっきのシュートのことだ。あれは私のプレイじゃないんだ。本人が放つシュートはもっと美しい」
「……そうなのか。いつか見てみてーな」

 彼は口元で笑うと、フェンスから身体を離し居住まいを正した。

「練習邪魔しちゃってごめんな。オレ、高尾和成ってんだ。ジョギングしてたらアンタの綺麗なシュートが見えたから、つい魅入っちまってた」
「お褒めに預かり光栄だ。私は帝光中学一年の藍良莉乃だ」
「帝光中!? しかも一年って、オレと同い年!?」

 私も向き直り自己紹介すると、彼――高尾君は目を剥いた。
 隣町とは言え、さすがに帝光中の名前は有名のようだ。
 つい先日、全中の地区予選を危なげなく勝ち進み、更に名を上げたのかもしれない。
 その地区予選で、未来の“キセキの世代”は大活躍だった――勿論、緑間君も含めてだ。

「だからそんなに上手いのか……。ん? でもバスケ部が有名なのって男子だよな。女子ってどうだったっけ?」
「私は選手ではなくマネージャーだ。男子バスケ部のな」
「えっ? 選手じゃねーの!? ……なら、選手はもっと上手いのか? 半端ねーな」

 ここで彼は、私が帝光中だと知った時より大きなリアクションを取ったのだった。
 マネージャーなのにバスケ技術を極めることに疑問を持たれることは多々あるが、選手だと勘違いされるのは新鮮だった。
 スポーツができることと選手になれることがイコールでないのは言うまでもない事実だが、これはプロの世界だけでなく、学校の部活動にも当てはまると思っている。
 楽しいでも面白いでもなく、向いているからバスケをやっている――とは紫原君の言だが、それに則って言うなら、私は圧倒的にスポーツ選手に“向いていない”のだ。
 これは自己評価に留まらず、バスケに限らず何かしらのスポーツに取り組む私の様子を見た者は大抵同じ結論に至るのだった。
 その証拠に、実際に試合をしたことがある青峰君は、あれ以来何度も勝負を持ちかけてくることはあっても選手をやらないかと誘ったことは一度もない。
 高尾君が勘違いしたのは、先ほどの練習風景のほんの一部しか見ていなかった所為だろう。
 私が高尾君の視線に気づいたのは3Pシュートを放つ直前だったが、恐らく実際に見ていたのもそのくらいだったのだろう。
 でなければ、マネージャーだという私の言葉にむしろ納得したはずである。
 その辺りの事情を知らない彼は、『帝光中の選手は私よりレベルが高い』と解釈したようだ。
 それも事実に違いないので、釈明せずに話を進めた。

「ああ。私など比べものにならないよ。先ほどの美しいシュートも、バスケ部の一軍選手のものだ。今度の全中できっと試合に出るから、良かったら見てくれ」
「へー……」

 高尾君は興味津々といったように目を輝かせ、口の端を吊り上げた。

「キミっておもしれーな」
「ん?」
「だって、自分より選手を褒められた時の方が嬉しそうにすんだもん」

 思わず両手で自分の頬を押さえる。
 そんな私をおかしそうに笑ってから、両手を頭の後ろで組みながらこう付け加えた。

「そんな風に想ってくれるなら帝光の選手は幸せ者だな。オレもいつかマネジメントしてほしーな」

 それは初対面の私にすら気遣う優しい彼らしい社交辞令に違いないのだろうが、私は聞き流すことができずに言葉を失った。
 いつか、という未来を連想させるその言葉に。
 この時初めて、自分の将来に思いを馳せたのだった。
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