中学一年生
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目の錯覚じゃないかと思った。
あるいは幻覚かと思った。
どちらにせよ同じ意味だ――ともかく、こんな状況は普通あり得ない。
一目会いたいと焦がれた相手に初めて出会った場所で偶然見かけるなんて、まるでご都合主義のラブストーリーのようじゃないか。
当然漫画や映画ならこういうドラマチックな展開があってもいいだろう。
感動的な挿入歌が流れるような運命的な再会が用意されていても何も不自然ではない。
しかし、ここは現実だ。
夢のように残酷で漫画のように無慈悲な現実の世界なのだ。
自動車の走行音と冷たい夜風が吹き付ける音しか聞こえない、紛れもない現実。
「現実、なんだよな……」
だから、いくら目を擦っても姿が消えないあの人は、目の錯覚でも幻覚でもなく、黒子テツヤ本人なのである。
信じがたいことだが、ドラマチックな展開が実際に起こってしまったのだ。
自分の努力や犠牲とは無関係に都合のいい展開が訪れると、喜びより先に不安と恐怖を感じてしまう。
それ故に早期で黒子君を発見しても、何もできず歩道で立ち尽くすしかなかった。
しかしそのおかげで、彼を凝視しているうちにあることに気がついた。
彼の手元や周囲にバスケットボールが見当たらないのだ。
バスケコートという場所のせいでてっきり以前のように練習に来ているのだと思い込んでいたが、暗闇で練習できてもさすがにボールがなければバスケはできない。
練習のためでないとしたら、彼は何のためにあんなところにいるのだろうか。
何をするでもなくベンチに座る様子は、まるで何かを待っているようだ。
「――藍良さん?」
その時、私の視線に気づいた黒子君が顔を上げた。
「一体どうしたんですか? そんなところで……」
それはこちらの台詞だ。
君こそ、君のような人こそ、こんな時間にこんなところで何をしているんだ。
すぐさまそう口走りそうになるのをぐっと堪えた。
とにかくこのまま見つめ合っていても埒が明かない。
私は助走をつけて一気にフェンスを飛び越えると、黒子君の元へ走り寄った。
「黒子君、こんなところで何してるんだ?」
「それはこっちの台詞です。藍良さん、今何をしたんですか」
黒子君は動揺を滲ませた声でそう問うと、私の背後を見上げた。
「ここのフェンス、三メートルはありますよね」
「……公園の中から入ると回り道になってしまうんだが、確かに今のははしたない行為だったな。反省する」
「気にするポイントはそこじゃないです。……まあ、いいですけれど」
黒子君は呆れたように目を伏せ、私にベンチに座るよう促した。
お言葉に甘えて彼の隣に腰を下ろすと、一息吐いてからもう一度先ほどの質問を繰り返した。
「それで、君は何をしてたんだ?」
「……藍良さんを待っていました」
言いにくそうにしながら、しかし彼ははっきりとそう言った。
「待っていた、だと?」
「はい。貴女に会いたかったので」
「会いたかった……?」
私が情けなくも鸚鵡返しするしかなかったのは、彼の発言があまりにも衝撃的だったからだ。
黒子テツヤが私なんかに会いたいと思ってくれたことが、ではない。
私に会わなければならない理由などいくらでもあるだろう。
それこそロマンチックな理由ではなく、部活のことや学校のことといった事務的な用事から、もしかしたら知らず知らずのうちに彼を不快にさせてしまったかもしれない私の言動への抗議だって考えられる。
私が驚愕したのは、それに対する彼の行動の方である。
私に会うのに、こんな回りくどい手段を選ぶ必然性がどう頭を捻っても見当たらないからだ。
私に会いたければ、私がしたように学校内で直接会いに来ればいい。
重大な用事さえなければ常に教師を除いて誰より遅く学校を出るようにしているので、まさかすれ違うことはないはずだ。
わざわざ出向くのが億劫であれば、校門の前にでも待っていれば良かった。
その方がはるかに早く、そして確実に目的を叶えることができる。
よりにもよってこんな町中で、学校とは比べものにならない広範囲で、私が姿を見せるか不確定な場所で、大人しく待っている意味などないのだ。
下校中に一度会っているから、この道が私の通学路であることは知っているとしても、あまりに分の悪い賭けだ――せめて連絡くらい寄越してくれれば良かったのに。
私の連絡先を知っているかは微妙だし、知っていても私のように私的な理由で使用するのは躊躇われるかもしれないが、そんな時には私の靴箱に用件を記した紙きれでも投函してくれればいい。
不特定多数からのコンタクトを可能にしている、私特有の連絡手段――その知名度は悪くないはずだ。
『○○で待っているから来てほしい』、たった一言そう伝えてくれれば、なりふり構わず駆けつけたのに。
とにかくいずれかの方法で事前に教えてくれていたら、こんなに待たせることはしなかったのに。
「……いつから待ってくれていたんだ?」
「そんなに長くありませんよ。それに藍良さんが気に病む必要はありません。ボクは何も言ってなかったんですから」
「でも……、私に用事があるんだろう?」
「用事と言えるほど積極的な理由はないんです」
私の追及に苦笑すると、何処か陰のある表情で足元に視線を落とした。
「ただ、少し会って話がしたかっただけなんです。わざわざ呼び出すほどでもないし、今日会えなかったらそれでも良かった……それくらいの軽い気持ちだったんです」
「……話したい内容というのはもしかして、今日の昇格テストのことか?」
その一言に、弾かれたように顔を上げて目を見開く黒子君。
どうやら図星のようだが、こんなものはただの当てずっぽうに過ぎない。
今日ここで彼に出会ったのは偶然ではなく、私と同じ感情を抱えていたのなら――私が黒子君に会いたかったように、彼も私に会いたがっていたのなら、その理由も私と同じなのではないかと直感しただけだ。
「……藍良さんは、何でもお見通しなんですね」
彼は暫く私の顔を凝視した後、観念したように小さく息を吐いた。
私の言動から、テストの結果も既に把握していることを読み取ったのだろう。
黒子君はテストに関して改めて説明はせず、滔々と語り始めた。
「今日の結果は残念でしたけど……、それで諦めるつもりはありません。友達と、いつか必ず試合をしようと約束しましたから」
彼の言う『友達』とは、荻原シゲヒロのことだろう。
確か漫画では、今日の下校中に荻原君からの手紙を読んで決意を固める描写がされていたはずだ。
私の隣にいる黒子君も同じ筋書きを辿ったのだとしたら、彼は今どんな気持ちでこの話をしているのだろうか。
「ただ、それでも結果を聞いた時は悔しかったし、ショックでした。練習で手を抜いたつもりはありませんし、自分なりに努力もしたつもりです。だから、改めてこの学校のレベルの高さを痛感して……少し自信を失くしてしまったんです」
そこで一旦言葉を区切ると、誰もいないバスケットコートを正面から見据えた。
その瞳は初めて会った時と同じ、純粋で真摯で真っ直ぐな視線を放っている。
「ここは、入部の時に三軍に振り分けられて藍良さんに励ましてもらった場所です。あの時、ボクは貴女に元気づけられました。結果に繋がらなかったボクの努力を掬い上げて認めてくれた藍良さんの言葉に――大袈裟な表現ですが、救われたと思ったんです」
彼はそう言い切った後も視線を戻さず、バスケコートを見つめている。
だから、全く気づかれていないはずだ。
私が今、どれほど情けない顔をしているか――泣き出しそうな顔をしているか。
あの時の邂逅は、黒子君とは違う意味で私の心に今も深く刻み込まれているのだ。
あの日、私は自分の無力さを痛感し、苦々しい挫折と痛々しい後悔を同時に味わった。
彼の悩みを解消することのできない無力な自分に精一杯失望した。
未来を知っている者だから言える薄っぺらな励まししか言えなかった自分がちっぽけで惨めで仕方がなかった。
しかし、今なら分かる。
未熟さゆえにあの日の言葉が本音なのか社交辞令なのか判断がつかなかった当時と違い、黒子君と会話を重ねた今なら分かる。
今の彼の言葉は、紛れもなく本心であると。
あの日も今も、彼は嘘でも社交辞令でもフォローでもなく、心からの本音を告白してくれていたことを。
――そうだったのか。
あの時、君は私の言葉に救われてくれていたのか。
「だから、もし叶うのなら、ここでもう一度貴女に会いたかった」
救われたかったんです、とそう言って。
彼は私を振り向くと、ここで初めて笑顔を見せた。
「だから、ありがとうございます」
こちらこそ、ありがとう。
あるいは幻覚かと思った。
どちらにせよ同じ意味だ――ともかく、こんな状況は普通あり得ない。
一目会いたいと焦がれた相手に初めて出会った場所で偶然見かけるなんて、まるでご都合主義のラブストーリーのようじゃないか。
当然漫画や映画ならこういうドラマチックな展開があってもいいだろう。
感動的な挿入歌が流れるような運命的な再会が用意されていても何も不自然ではない。
しかし、ここは現実だ。
夢のように残酷で漫画のように無慈悲な現実の世界なのだ。
自動車の走行音と冷たい夜風が吹き付ける音しか聞こえない、紛れもない現実。
「現実、なんだよな……」
だから、いくら目を擦っても姿が消えないあの人は、目の錯覚でも幻覚でもなく、黒子テツヤ本人なのである。
信じがたいことだが、ドラマチックな展開が実際に起こってしまったのだ。
自分の努力や犠牲とは無関係に都合のいい展開が訪れると、喜びより先に不安と恐怖を感じてしまう。
それ故に早期で黒子君を発見しても、何もできず歩道で立ち尽くすしかなかった。
しかしそのおかげで、彼を凝視しているうちにあることに気がついた。
彼の手元や周囲にバスケットボールが見当たらないのだ。
バスケコートという場所のせいでてっきり以前のように練習に来ているのだと思い込んでいたが、暗闇で練習できてもさすがにボールがなければバスケはできない。
練習のためでないとしたら、彼は何のためにあんなところにいるのだろうか。
何をするでもなくベンチに座る様子は、まるで何かを待っているようだ。
「――藍良さん?」
その時、私の視線に気づいた黒子君が顔を上げた。
「一体どうしたんですか? そんなところで……」
それはこちらの台詞だ。
君こそ、君のような人こそ、こんな時間にこんなところで何をしているんだ。
すぐさまそう口走りそうになるのをぐっと堪えた。
とにかくこのまま見つめ合っていても埒が明かない。
私は助走をつけて一気にフェンスを飛び越えると、黒子君の元へ走り寄った。
「黒子君、こんなところで何してるんだ?」
「それはこっちの台詞です。藍良さん、今何をしたんですか」
黒子君は動揺を滲ませた声でそう問うと、私の背後を見上げた。
「ここのフェンス、三メートルはありますよね」
「……公園の中から入ると回り道になってしまうんだが、確かに今のははしたない行為だったな。反省する」
「気にするポイントはそこじゃないです。……まあ、いいですけれど」
黒子君は呆れたように目を伏せ、私にベンチに座るよう促した。
お言葉に甘えて彼の隣に腰を下ろすと、一息吐いてからもう一度先ほどの質問を繰り返した。
「それで、君は何をしてたんだ?」
「……藍良さんを待っていました」
言いにくそうにしながら、しかし彼ははっきりとそう言った。
「待っていた、だと?」
「はい。貴女に会いたかったので」
「会いたかった……?」
私が情けなくも鸚鵡返しするしかなかったのは、彼の発言があまりにも衝撃的だったからだ。
黒子テツヤが私なんかに会いたいと思ってくれたことが、ではない。
私に会わなければならない理由などいくらでもあるだろう。
それこそロマンチックな理由ではなく、部活のことや学校のことといった事務的な用事から、もしかしたら知らず知らずのうちに彼を不快にさせてしまったかもしれない私の言動への抗議だって考えられる。
私が驚愕したのは、それに対する彼の行動の方である。
私に会うのに、こんな回りくどい手段を選ぶ必然性がどう頭を捻っても見当たらないからだ。
私に会いたければ、私がしたように学校内で直接会いに来ればいい。
重大な用事さえなければ常に教師を除いて誰より遅く学校を出るようにしているので、まさかすれ違うことはないはずだ。
わざわざ出向くのが億劫であれば、校門の前にでも待っていれば良かった。
その方がはるかに早く、そして確実に目的を叶えることができる。
よりにもよってこんな町中で、学校とは比べものにならない広範囲で、私が姿を見せるか不確定な場所で、大人しく待っている意味などないのだ。
下校中に一度会っているから、この道が私の通学路であることは知っているとしても、あまりに分の悪い賭けだ――せめて連絡くらい寄越してくれれば良かったのに。
私の連絡先を知っているかは微妙だし、知っていても私のように私的な理由で使用するのは躊躇われるかもしれないが、そんな時には私の靴箱に用件を記した紙きれでも投函してくれればいい。
不特定多数からのコンタクトを可能にしている、私特有の連絡手段――その知名度は悪くないはずだ。
『○○で待っているから来てほしい』、たった一言そう伝えてくれれば、なりふり構わず駆けつけたのに。
とにかくいずれかの方法で事前に教えてくれていたら、こんなに待たせることはしなかったのに。
「……いつから待ってくれていたんだ?」
「そんなに長くありませんよ。それに藍良さんが気に病む必要はありません。ボクは何も言ってなかったんですから」
「でも……、私に用事があるんだろう?」
「用事と言えるほど積極的な理由はないんです」
私の追及に苦笑すると、何処か陰のある表情で足元に視線を落とした。
「ただ、少し会って話がしたかっただけなんです。わざわざ呼び出すほどでもないし、今日会えなかったらそれでも良かった……それくらいの軽い気持ちだったんです」
「……話したい内容というのはもしかして、今日の昇格テストのことか?」
その一言に、弾かれたように顔を上げて目を見開く黒子君。
どうやら図星のようだが、こんなものはただの当てずっぽうに過ぎない。
今日ここで彼に出会ったのは偶然ではなく、私と同じ感情を抱えていたのなら――私が黒子君に会いたかったように、彼も私に会いたがっていたのなら、その理由も私と同じなのではないかと直感しただけだ。
「……藍良さんは、何でもお見通しなんですね」
彼は暫く私の顔を凝視した後、観念したように小さく息を吐いた。
私の言動から、テストの結果も既に把握していることを読み取ったのだろう。
黒子君はテストに関して改めて説明はせず、滔々と語り始めた。
「今日の結果は残念でしたけど……、それで諦めるつもりはありません。友達と、いつか必ず試合をしようと約束しましたから」
彼の言う『友達』とは、荻原シゲヒロのことだろう。
確か漫画では、今日の下校中に荻原君からの手紙を読んで決意を固める描写がされていたはずだ。
私の隣にいる黒子君も同じ筋書きを辿ったのだとしたら、彼は今どんな気持ちでこの話をしているのだろうか。
「ただ、それでも結果を聞いた時は悔しかったし、ショックでした。練習で手を抜いたつもりはありませんし、自分なりに努力もしたつもりです。だから、改めてこの学校のレベルの高さを痛感して……少し自信を失くしてしまったんです」
そこで一旦言葉を区切ると、誰もいないバスケットコートを正面から見据えた。
その瞳は初めて会った時と同じ、純粋で真摯で真っ直ぐな視線を放っている。
「ここは、入部の時に三軍に振り分けられて藍良さんに励ましてもらった場所です。あの時、ボクは貴女に元気づけられました。結果に繋がらなかったボクの努力を掬い上げて認めてくれた藍良さんの言葉に――大袈裟な表現ですが、救われたと思ったんです」
彼はそう言い切った後も視線を戻さず、バスケコートを見つめている。
だから、全く気づかれていないはずだ。
私が今、どれほど情けない顔をしているか――泣き出しそうな顔をしているか。
あの時の邂逅は、黒子君とは違う意味で私の心に今も深く刻み込まれているのだ。
あの日、私は自分の無力さを痛感し、苦々しい挫折と痛々しい後悔を同時に味わった。
彼の悩みを解消することのできない無力な自分に精一杯失望した。
未来を知っている者だから言える薄っぺらな励まししか言えなかった自分がちっぽけで惨めで仕方がなかった。
しかし、今なら分かる。
未熟さゆえにあの日の言葉が本音なのか社交辞令なのか判断がつかなかった当時と違い、黒子君と会話を重ねた今なら分かる。
今の彼の言葉は、紛れもなく本心であると。
あの日も今も、彼は嘘でも社交辞令でもフォローでもなく、心からの本音を告白してくれていたことを。
――そうだったのか。
あの時、君は私の言葉に救われてくれていたのか。
「だから、もし叶うのなら、ここでもう一度貴女に会いたかった」
救われたかったんです、とそう言って。
彼は私を振り向くと、ここで初めて笑顔を見せた。
「だから、ありがとうございます」
こちらこそ、ありがとう。