中学一年生
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簡単な説明を受けた後、先輩の指導のもと仕事をこなしていった。
仕事内容に変わった点はなかったが、あの部員数であの規模ではかなりの重労働だった。
しかし、中学に入る前に体力作りは十全に行ったし、必要な知識も情報収集のためのネットワークも手に入れたので、問題なくこなせるだろう――と信じたい。
もし問題があればその都度修正すればいいだろう。
そうして、長い長い一日が終わった。
あまりに長かった。
しかし、まだ気を抜いてはいけなかった。
私の物語は、まだ始まったばかりであった。
途中までさつきちゃんと一緒に下校し、彼女に別れを告げて息を吐いた時だった。
ふと視線を向けた先、道路沿いに小さなバスケットコートがあった。
そのこと自体は何の問題もない。
この場所にバスケットコートを有する公園があることは、入学前の下調べで知っていた。
しかし、それにしては警戒心が足りていなかったのだと思う。
バスケに関する場所に“彼ら”がいる可能性を考えていなかった私は浅慮だったとしか言いようがない。
その上今日は初日でクラス分けテストがあったので、通常より練習量が少なかったのだ。
つまり、入りたての新入生でも部活後に校外で自主練習する体力が残っていたということだ。
「――あ」
制服姿で一人黙々とバスケをする人影を目にした瞬間、そこまで気が回らなかった自分の思考力を酷く恥じた。
そこにいたのは、幻の六人目 にして“黒子のバスケ”の主人公――黒子テツヤだったのだ。
思わず息が止まりそうになるほど、瞬きを忘れるほど、彼の姿に釘づけになった。
数十分前まで同じ体育館にいた。
どころか、本当は入学式の時も同じ空間にいたはずなのだ。
しかし、他の目立つ“彼ら”と違い、実際に姿を見たのは、認識したのは、これが初めてだった。
周囲を見渡しても、他には誰の姿もない。
人混みから見つけるのは至難の技だが、誰もいないところであれば難易度は下がる。
私でも、見つけられるほどに。
静寂に包まれた住宅街で、バスケットボールをドリブルする音が鮮明に聞こえてくる。
フェンス越しに凝視しているのに、よほど集中しているのかこちらに全く気づかない。
けれど、まるで天から与えられたかのような出会いをみすみす逃す気には到底なれなかった。
公園の入り口まで来た道を逆戻りし、コートのある場所まで全速力で駆け抜けた。
幸い公園内は人が少なく、全力で走る女子中学生に奇異の目を向ける者はいなかった。
そうしてバスケットコートに辿り着いた時、まだ彼はそこにいてくれた。
息を整えながらコートの中に入ると、ちょうどフリースローラインからシュートを放ったところだった。
しかし、ボールはリングに当たって跳ね返り、なんと私の足元まで転がって来た。
今日の神様はどうも大盤振る舞いのようだ。
心中はそれどころではなかったが、なんとか平静を装いながらボールを拾い上げ、彼に向けてパスを出した。
「すみません――あっ」
ボールを受け取った黒子テツヤは、私を見ると何故か驚いたように声を上げた。
「あの……もしかして、バスケ部の人ですか?」
「ああ。確かにバスケ部のマネージャーだが……、どうして知っているんだ?」
「……いえ、体育館に来た時から目立っていたので」
「え?」
咄嗟に理解できなかったが、あの時体育館に誰と来たかを思い出し合点がいった。
確かに赤司君は目立つ人だから、一緒に来た私にも自然と視線が集まったのだろう。
しかし、一瞬の戸惑いを違う意味で受け取ったのか、彼は弁解するように言葉を続けた。
「驚かせてしまってすみません。怪しい者じゃないんです。ボクもバスケ部で、あの場にいただけで……」
「あ、いや、そういう意味じゃないんだ。君がバスケ部であることは知っていたし」
「え?」
しまった、と後悔した時には遅かった。
思わず口走ってしまった台詞に、今度は彼が呆気に取られる番だった。
「あの、それはどういう……」
「えっと……、クラス分けの発表の時、全員の名前と顔を覚えたんだ。だから君のことも勿論知っている。黒子テツヤ君、だよな」
実を言うと、彼のことだけはあの場で見つけることができなかったのだが、結果的にすべての部員を覚えたという意味では嘘じゃない。
内心は冷や汗が止まらなかったが、黒子君は素直に感嘆の声を漏らした。
「……そうなんですか。すごいですね。入部初日でもう部員を覚えたなんて」
「いや、すごいのは君の方だよ。部活の後にこんなところで自主練なんて、よほどバスケが好きなんだな」
「……そうですね」
私の言葉に、黒子君は憂いを帯びた笑みを浮かべた。
胸に引っ掛かるような反応に、思わずあるはずのない可能性が頭をよぎった。
「えっ? もしかして、バスケ好きじゃないのか?」
「いえ。バスケは好きです。……ただ、今日のテスト結果に少し落ち込んでいただけです」
丁寧ながらも何処か暗いトーンでそう告げると、手元のボールに視線を落とした。
一応注釈しておくと、今日のテストで彼は三軍に振り分けられたのだった。
小学五年生からバスケを始めていただけに、少なからず自信があったのだろう。
「君ほどバスケに対して真摯な人が、この先全く報われずに終わるなどあり得ない。時間はかかるかもしれないが、君の努力は必ず報われるよ」
私の言葉に、黒子君は弾かれたように顔を上げた。
自分で言っておいて失笑するような台詞だが、ある意味で説得力はあっただろう。
『あり得ない』や『絶対』など、まさに未来を知っているからこそ言える単語の羅列だ。
黒子君は暫くの間私を凝視し、何かを思い巡らすように黙り込んだ。
一瞬、ボールを持つ手に力がこもったように見えた。
そして、僅かに口元を緩めて言ったのだった。
「――はい。ありがとうございます。そう言ってくれて、少し気が楽になりました」
「そうか。それは良かった」
彼の言葉が本心なのか社交辞令なのか、私には判断できなかった。
しかしだからと言って、それ以上何かを差し出すことはできなかった。
私はこの先、と言うより中学時代の間だけでも数えきれないほどの挫折や後悔を味わうことになるのだが、これがその最初だった。
自分の無力さを痛感した、これが最初のことだった。
逆に言えば、私の挫折と後悔はこの時を皮切りに始まったと言っても過言ではない。
その後の出来事を考えれば、当時の苦悩など些細なものだが、この時の私は当然そうは感じなかった。
どんな時でも、一番辛いのはその時の当事者なのだから。
些細だとか取るに足らないという台詞は、未来を知っているから言えることなのだ。
今だから言えることなのだ。
「――では、私はそろそろ帰らせてもらうよ。練習を邪魔してすまなかった。熱心なのはいいが、明日も部活はあるから程々にな」
「はい。あの……最後にいいですか」
「ん?」
鞄を肩に掛け直しコートを出ようとした時、控えめにそう呼び止められた。
振り返ると、真剣な表情をした黒子君と視線がぶつかった。
「名前を、教えてもらっていいですか?」
そういえばまだ名乗ってすらいなかった、と今更思い返しながら、彼の瞳を見つめ返した。
その眼は何処までも真っ直ぐで、純粋で、懸命で、誠実だった。
そんな彼を、応援したいとは思わなかった。
守りたいと思った。
救いたいと思った。
応援など、前世で散々してきたことだから。
どうせなら支援したかった。
この世界で、この身体で、彼にできることをしたいと思ったのだ。
――身の程知らずに、思ったのだ。
「藍良莉乃。君と同じ一年だ。どうか仲良くしてくれ」
この学校で、なるべく多くの人を救う。
彼の瞳に、私は改めて誓った。
仕事内容に変わった点はなかったが、あの部員数であの規模ではかなりの重労働だった。
しかし、中学に入る前に体力作りは十全に行ったし、必要な知識も情報収集のためのネットワークも手に入れたので、問題なくこなせるだろう――と信じたい。
もし問題があればその都度修正すればいいだろう。
そうして、長い長い一日が終わった。
あまりに長かった。
しかし、まだ気を抜いてはいけなかった。
私の物語は、まだ始まったばかりであった。
途中までさつきちゃんと一緒に下校し、彼女に別れを告げて息を吐いた時だった。
ふと視線を向けた先、道路沿いに小さなバスケットコートがあった。
そのこと自体は何の問題もない。
この場所にバスケットコートを有する公園があることは、入学前の下調べで知っていた。
しかし、それにしては警戒心が足りていなかったのだと思う。
バスケに関する場所に“彼ら”がいる可能性を考えていなかった私は浅慮だったとしか言いようがない。
その上今日は初日でクラス分けテストがあったので、通常より練習量が少なかったのだ。
つまり、入りたての新入生でも部活後に校外で自主練習する体力が残っていたということだ。
「――あ」
制服姿で一人黙々とバスケをする人影を目にした瞬間、そこまで気が回らなかった自分の思考力を酷く恥じた。
そこにいたのは、幻の
思わず息が止まりそうになるほど、瞬きを忘れるほど、彼の姿に釘づけになった。
数十分前まで同じ体育館にいた。
どころか、本当は入学式の時も同じ空間にいたはずなのだ。
しかし、他の目立つ“彼ら”と違い、実際に姿を見たのは、認識したのは、これが初めてだった。
周囲を見渡しても、他には誰の姿もない。
人混みから見つけるのは至難の技だが、誰もいないところであれば難易度は下がる。
私でも、見つけられるほどに。
静寂に包まれた住宅街で、バスケットボールをドリブルする音が鮮明に聞こえてくる。
フェンス越しに凝視しているのに、よほど集中しているのかこちらに全く気づかない。
けれど、まるで天から与えられたかのような出会いをみすみす逃す気には到底なれなかった。
公園の入り口まで来た道を逆戻りし、コートのある場所まで全速力で駆け抜けた。
幸い公園内は人が少なく、全力で走る女子中学生に奇異の目を向ける者はいなかった。
そうしてバスケットコートに辿り着いた時、まだ彼はそこにいてくれた。
息を整えながらコートの中に入ると、ちょうどフリースローラインからシュートを放ったところだった。
しかし、ボールはリングに当たって跳ね返り、なんと私の足元まで転がって来た。
今日の神様はどうも大盤振る舞いのようだ。
心中はそれどころではなかったが、なんとか平静を装いながらボールを拾い上げ、彼に向けてパスを出した。
「すみません――あっ」
ボールを受け取った黒子テツヤは、私を見ると何故か驚いたように声を上げた。
「あの……もしかして、バスケ部の人ですか?」
「ああ。確かにバスケ部のマネージャーだが……、どうして知っているんだ?」
「……いえ、体育館に来た時から目立っていたので」
「え?」
咄嗟に理解できなかったが、あの時体育館に誰と来たかを思い出し合点がいった。
確かに赤司君は目立つ人だから、一緒に来た私にも自然と視線が集まったのだろう。
しかし、一瞬の戸惑いを違う意味で受け取ったのか、彼は弁解するように言葉を続けた。
「驚かせてしまってすみません。怪しい者じゃないんです。ボクもバスケ部で、あの場にいただけで……」
「あ、いや、そういう意味じゃないんだ。君がバスケ部であることは知っていたし」
「え?」
しまった、と後悔した時には遅かった。
思わず口走ってしまった台詞に、今度は彼が呆気に取られる番だった。
「あの、それはどういう……」
「えっと……、クラス分けの発表の時、全員の名前と顔を覚えたんだ。だから君のことも勿論知っている。黒子テツヤ君、だよな」
実を言うと、彼のことだけはあの場で見つけることができなかったのだが、結果的にすべての部員を覚えたという意味では嘘じゃない。
内心は冷や汗が止まらなかったが、黒子君は素直に感嘆の声を漏らした。
「……そうなんですか。すごいですね。入部初日でもう部員を覚えたなんて」
「いや、すごいのは君の方だよ。部活の後にこんなところで自主練なんて、よほどバスケが好きなんだな」
「……そうですね」
私の言葉に、黒子君は憂いを帯びた笑みを浮かべた。
胸に引っ掛かるような反応に、思わずあるはずのない可能性が頭をよぎった。
「えっ? もしかして、バスケ好きじゃないのか?」
「いえ。バスケは好きです。……ただ、今日のテスト結果に少し落ち込んでいただけです」
丁寧ながらも何処か暗いトーンでそう告げると、手元のボールに視線を落とした。
一応注釈しておくと、今日のテストで彼は三軍に振り分けられたのだった。
小学五年生からバスケを始めていただけに、少なからず自信があったのだろう。
「君ほどバスケに対して真摯な人が、この先全く報われずに終わるなどあり得ない。時間はかかるかもしれないが、君の努力は必ず報われるよ」
私の言葉に、黒子君は弾かれたように顔を上げた。
自分で言っておいて失笑するような台詞だが、ある意味で説得力はあっただろう。
『あり得ない』や『絶対』など、まさに未来を知っているからこそ言える単語の羅列だ。
黒子君は暫くの間私を凝視し、何かを思い巡らすように黙り込んだ。
一瞬、ボールを持つ手に力がこもったように見えた。
そして、僅かに口元を緩めて言ったのだった。
「――はい。ありがとうございます。そう言ってくれて、少し気が楽になりました」
「そうか。それは良かった」
彼の言葉が本心なのか社交辞令なのか、私には判断できなかった。
しかしだからと言って、それ以上何かを差し出すことはできなかった。
私はこの先、と言うより中学時代の間だけでも数えきれないほどの挫折や後悔を味わうことになるのだが、これがその最初だった。
自分の無力さを痛感した、これが最初のことだった。
逆に言えば、私の挫折と後悔はこの時を皮切りに始まったと言っても過言ではない。
その後の出来事を考えれば、当時の苦悩など些細なものだが、この時の私は当然そうは感じなかった。
どんな時でも、一番辛いのはその時の当事者なのだから。
些細だとか取るに足らないという台詞は、未来を知っているから言えることなのだ。
今だから言えることなのだ。
「――では、私はそろそろ帰らせてもらうよ。練習を邪魔してすまなかった。熱心なのはいいが、明日も部活はあるから程々にな」
「はい。あの……最後にいいですか」
「ん?」
鞄を肩に掛け直しコートを出ようとした時、控えめにそう呼び止められた。
振り返ると、真剣な表情をした黒子君と視線がぶつかった。
「名前を、教えてもらっていいですか?」
そういえばまだ名乗ってすらいなかった、と今更思い返しながら、彼の瞳を見つめ返した。
その眼は何処までも真っ直ぐで、純粋で、懸命で、誠実だった。
そんな彼を、応援したいとは思わなかった。
守りたいと思った。
救いたいと思った。
応援など、前世で散々してきたことだから。
どうせなら支援したかった。
この世界で、この身体で、彼にできることをしたいと思ったのだ。
――身の程知らずに、思ったのだ。
「藍良莉乃。君と同じ一年だ。どうか仲良くしてくれ」
この学校で、なるべく多くの人を救う。
彼の瞳に、私は改めて誓った。