標的5 弱者と強者の事情
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
《視点:×××× 場所:フランス某廃ビル屋上》
黒猫が訪れる場所は、いつも彼女を避けるように人の姿が消える。
しかしこの日は例外だった。
黒猫が屋上に続く扉を開けると、そこには先客がいたのだ。
黒いスーツに身を包んだ、若い容貌の男性。
サラリーマンにも見える風貌だが、彼は歴としたマフィアの一員である。
だが、黒猫は彼の存在に驚くことなく屋上へ足を踏み入れた。
何故なら、先日彼のファミリーが製造を依頼した武器を受け取りに来た人物であることを、黒猫は廃ビルに入る前から知っていたからだ。
彼女は何でも知っている。
目の前の彼の思考もファミリーの現状もボスの思惑も、黒猫には手に取るように分かる。
呪いのように分かる。
けれど今の黒猫には、彼の存在より、彼らの思惑より、他に気になることがあった。
「随分具合が悪そうだねぇ。大丈夫?」
膝をつき額に脂汗を滲ませている男にそう声を掛けるが、返答は返って来ない。
彼女の生み出す隔絶した空間に無理に立ち入ろうとした者は、自己防衛による肉体と精神の激しい苦痛に襲われる。
男のように口が聞けなくなる者も少なくない。
しかし、呻き声しか漏らさない男の意見を黒猫はちゃんと聞き取ったようで、微笑んだまま首肯した。
「うん。このままだといつ君がここから飛び降りるか分からないし、早いとこ済ませよっか。いつもみたいに無駄口は叩かず、君の意識があるうちに君の知らない情報 だけ話すねぇ」
男は苦しそうに顔を上げ、疑念に満ちた瞳で黒猫を凝視する。
「大丈夫大丈夫! 意味ならすぐに分かるから。まず第一に、君のところのファミリーはボクにお金を払う気がない」
驚いて目を見開く男の様子を、黒猫は面白そうに笑う。
「知らないわけじゃないでしょ? あのファミリーは先日ボスが病死して息子が継いでから、存続が危ういほど弱体化してるってこと。そして、ボクへの莫大な依頼料を払えるほどの経済的余裕がないってことも。三下の君すら勘づくほど、あそこは衰退している」
黒猫の言葉に男は苦しそうに呻いた。
彼女の話は当然真実で、もし男が喋れたとしても、弁解の言葉は出なかっただろう。
ただ、苦しそうに呻いた。
「そして、あとがなくなった君のボスは恐怖した。今まで圧倒していたファミリーに報復されることを恐れた。敵対してきたファミリーにこれ以上武力をつけられることを、そして、彼らにボクの武器が渡ってしまうことを恐れた」
余談だが、黒猫の製造する武器は“傾国シリーズ”と謳われ、ひとつで国を揺るがすほどの影響力と支配力を持つ――と噂されている。
噂され、恐れられている。
「武器が流通する前にボクを殺そうとしたんだねぇ。武器を手に入れて圧倒するより、元凶を絶つ方を優先したわけだ。にゃはは。まあ殺されようが何だろうがボクはいいけど、一番迷惑被ってるのは君だよねぇ。利用されて殺されるのは同じでも、騙されている分君の方が不幸だよねぇ。知らない分不公平で不幸だよ。知らない方が幸せだって言う人もいるけどさぁ、何でも知ってるボクからすると、無知はそれこそ最大の恐怖だよぉ。敵の戦力、相手の能力、武器の流通、戦局の変化、上司の思惑、部下の動向、周囲の状況、自分の立場――知っていないと、命取りになる」
そして黒猫は混乱している男に、何も知らない彼に、残酷な事実を冷酷に告げる。
「この廃ビルねぇ、至るところに爆弾が仕掛けられてるんだよぉ。君のボスはボクの武器を受け取るつもりなんてない。最初からこのビルを倒壊させて、君ごとボクを抹殺する予定だったの。要するに、君は捨て駒ね」
『捨て駒』という言葉に息をのむ気配に、黒猫は嘲笑うように笑った。
にゃはは、と特徴的な笑い声を上げる彼女に同調するように、風に吹かれたチョーカーの鈴がちりりん、と音を鳴らした。
「とは言っても、本当はまずあそこのビルからボクを狙撃する予定だったんだけどねぇ。さすがにライフルの弾を避けるフィジカルはないから、ここに来る前に潰して爆弾のリモコンも回収しておいたの。一応爆弾は狙撃が失敗した時の保険として仕掛けてたようだけど、どっちにしろ君を巻き添えにする算段があったのは事実だね」
淡々と情報を述べていると、この時初めて男が呻き声と共に言葉を発した。
「……な、ん……う、そ」
「嘘じゃないよぉ」
苦し紛れの否定の言葉を、彼女は容赦なく両断する。
そこで黒猫は一旦黙ったが、何も言われなくても男だって理解していた。
何も知らない自分と違い、彼女は呪いのように何でも知っている。
黒猫の情報は、いつだって真実なのだ。
男の頬に一筋の涙が流れた。
「泣かないでよぉ。確かに君は不幸だった。何も知らない君はこのまま利用されて騙されて殺されるけれど、君を利用して騙して殺そうとしたファミリーだってついさっき壊滅したんだからさぁ」
何でもないことのように告げられた情報に、男は耳を疑った。
涙は止まり、呼吸さえ忘れた。
自分に背を向け屋上の端の方へ歩いていく黒猫を、震えながら見つめることしかできない。
「壊滅したって言うか、今回作った武器でボクが壊滅させたんだけどね。別にほっといても勝手に自滅しそうだったけど、折角作った武器だしお蔵入りになる前に一度使っとこうと思って。ファミリーの屋敷があった場所は、今じゃきれーに更地になってるよ」
かつんかつん、と響く足音とそれに合わせて鳴る鈴の音が、男の思考を狂わせていく。
通常なら黒猫と距離を取れば多少体調は回復するのだが、気持ち悪さは増すばかりだ。
「勘違いしてるようだから弁解するけど、壊滅させたのは報復のためでも見せしめでもないよ? ボクが今回一番問題にしてるのは、ボクを殺そうとしたことじゃなく、ボクへの依頼料を払えなかったことなんだよ。お金が払えないなら命で支払う、ただそれだけのことなんだよ」
黒猫がそう言い終えた時、男は力尽きたように音を立てて倒れ込んだ。
顔面は蒼白し、涙をこぼしながら体をがたがたと震わせている。
苦痛と不快さに耐えられなくなっただけではない。
黒猫の言葉に、男は気づいてしまったのだ。
武器製造の依頼ほどではないが、彼女から情報を入手するにも多大な金額が必要であることに。
傾きかけていたファミリーの下っ端に過ぎない彼には、情報屋としての黒猫に支払うだけの金銭的余裕がないことに。
男の脳に、黒猫の台詞がよぎった。
――君の知らない情報 だけ話すねぇ。
何故彼女が安易に情報を与えたことに疑問を感じなかったのだろう。
何故何の見返りもなく情報をもらえると思い込んでいたのだろう。
本当に、何も知らないことは命取りだ。
何も知らないから、利用されて騙されて――殺される。
ふと。
屋上の端まで辿り着いた黒猫は、一瞬だけ男の方を振り返った。
その時、男は初めて彼女の手に黒いリモコンが握られているのを確認した。
何のリモコンかは訊かなくても分かった。
分かってしまった。
分かったところでどうしようもない。
それに、敵の戦力も相手の能力も武器の流通も戦局の変化も上司の思惑も部下の動向も周囲の状況も自分の立場も、今すべて知った彼でも、呪われた少女に比べれば何も知らないに等しい。
それは万死に値するほどに。
黒猫は屋上から飛び降りる寸前、どうでもいいことのように言い捨てた。
「可哀想に」
その言葉が男の耳に届いた瞬間、彼は完全に意識を失った。
忌まわしき不幸の象徴たる黒猫に『不幸』だと評された男。
心なき彼女に表面上であれ同情を受けたその男は、その後のビル爆発により不公平で不幸な生涯を終えたのだった。
黒猫が訪れる場所は、いつも彼女を避けるように人の姿が消える。
しかしこの日は例外だった。
黒猫が屋上に続く扉を開けると、そこには先客がいたのだ。
黒いスーツに身を包んだ、若い容貌の男性。
サラリーマンにも見える風貌だが、彼は歴としたマフィアの一員である。
だが、黒猫は彼の存在に驚くことなく屋上へ足を踏み入れた。
何故なら、先日彼のファミリーが製造を依頼した武器を受け取りに来た人物であることを、黒猫は廃ビルに入る前から知っていたからだ。
彼女は何でも知っている。
目の前の彼の思考もファミリーの現状もボスの思惑も、黒猫には手に取るように分かる。
呪いのように分かる。
けれど今の黒猫には、彼の存在より、彼らの思惑より、他に気になることがあった。
「随分具合が悪そうだねぇ。大丈夫?」
膝をつき額に脂汗を滲ませている男にそう声を掛けるが、返答は返って来ない。
彼女の生み出す隔絶した空間に無理に立ち入ろうとした者は、自己防衛による肉体と精神の激しい苦痛に襲われる。
男のように口が聞けなくなる者も少なくない。
しかし、呻き声しか漏らさない男の意見を黒猫はちゃんと聞き取ったようで、微笑んだまま首肯した。
「うん。このままだといつ君がここから飛び降りるか分からないし、早いとこ済ませよっか。いつもみたいに無駄口は叩かず、君の意識があるうちに君の知らない
男は苦しそうに顔を上げ、疑念に満ちた瞳で黒猫を凝視する。
「大丈夫大丈夫! 意味ならすぐに分かるから。まず第一に、君のところのファミリーはボクにお金を払う気がない」
驚いて目を見開く男の様子を、黒猫は面白そうに笑う。
「知らないわけじゃないでしょ? あのファミリーは先日ボスが病死して息子が継いでから、存続が危ういほど弱体化してるってこと。そして、ボクへの莫大な依頼料を払えるほどの経済的余裕がないってことも。三下の君すら勘づくほど、あそこは衰退している」
黒猫の言葉に男は苦しそうに呻いた。
彼女の話は当然真実で、もし男が喋れたとしても、弁解の言葉は出なかっただろう。
ただ、苦しそうに呻いた。
「そして、あとがなくなった君のボスは恐怖した。今まで圧倒していたファミリーに報復されることを恐れた。敵対してきたファミリーにこれ以上武力をつけられることを、そして、彼らにボクの武器が渡ってしまうことを恐れた」
余談だが、黒猫の製造する武器は“傾国シリーズ”と謳われ、ひとつで国を揺るがすほどの影響力と支配力を持つ――と噂されている。
噂され、恐れられている。
「武器が流通する前にボクを殺そうとしたんだねぇ。武器を手に入れて圧倒するより、元凶を絶つ方を優先したわけだ。にゃはは。まあ殺されようが何だろうがボクはいいけど、一番迷惑被ってるのは君だよねぇ。利用されて殺されるのは同じでも、騙されている分君の方が不幸だよねぇ。知らない分不公平で不幸だよ。知らない方が幸せだって言う人もいるけどさぁ、何でも知ってるボクからすると、無知はそれこそ最大の恐怖だよぉ。敵の戦力、相手の能力、武器の流通、戦局の変化、上司の思惑、部下の動向、周囲の状況、自分の立場――知っていないと、命取りになる」
そして黒猫は混乱している男に、何も知らない彼に、残酷な事実を冷酷に告げる。
「この廃ビルねぇ、至るところに爆弾が仕掛けられてるんだよぉ。君のボスはボクの武器を受け取るつもりなんてない。最初からこのビルを倒壊させて、君ごとボクを抹殺する予定だったの。要するに、君は捨て駒ね」
『捨て駒』という言葉に息をのむ気配に、黒猫は嘲笑うように笑った。
にゃはは、と特徴的な笑い声を上げる彼女に同調するように、風に吹かれたチョーカーの鈴がちりりん、と音を鳴らした。
「とは言っても、本当はまずあそこのビルからボクを狙撃する予定だったんだけどねぇ。さすがにライフルの弾を避けるフィジカルはないから、ここに来る前に潰して爆弾のリモコンも回収しておいたの。一応爆弾は狙撃が失敗した時の保険として仕掛けてたようだけど、どっちにしろ君を巻き添えにする算段があったのは事実だね」
淡々と情報を述べていると、この時初めて男が呻き声と共に言葉を発した。
「……な、ん……う、そ」
「嘘じゃないよぉ」
苦し紛れの否定の言葉を、彼女は容赦なく両断する。
そこで黒猫は一旦黙ったが、何も言われなくても男だって理解していた。
何も知らない自分と違い、彼女は呪いのように何でも知っている。
黒猫の情報は、いつだって真実なのだ。
男の頬に一筋の涙が流れた。
「泣かないでよぉ。確かに君は不幸だった。何も知らない君はこのまま利用されて騙されて殺されるけれど、君を利用して騙して殺そうとしたファミリーだってついさっき壊滅したんだからさぁ」
何でもないことのように告げられた情報に、男は耳を疑った。
涙は止まり、呼吸さえ忘れた。
自分に背を向け屋上の端の方へ歩いていく黒猫を、震えながら見つめることしかできない。
「壊滅したって言うか、今回作った武器でボクが壊滅させたんだけどね。別にほっといても勝手に自滅しそうだったけど、折角作った武器だしお蔵入りになる前に一度使っとこうと思って。ファミリーの屋敷があった場所は、今じゃきれーに更地になってるよ」
かつんかつん、と響く足音とそれに合わせて鳴る鈴の音が、男の思考を狂わせていく。
通常なら黒猫と距離を取れば多少体調は回復するのだが、気持ち悪さは増すばかりだ。
「勘違いしてるようだから弁解するけど、壊滅させたのは報復のためでも見せしめでもないよ? ボクが今回一番問題にしてるのは、ボクを殺そうとしたことじゃなく、ボクへの依頼料を払えなかったことなんだよ。お金が払えないなら命で支払う、ただそれだけのことなんだよ」
黒猫がそう言い終えた時、男は力尽きたように音を立てて倒れ込んだ。
顔面は蒼白し、涙をこぼしながら体をがたがたと震わせている。
苦痛と不快さに耐えられなくなっただけではない。
黒猫の言葉に、男は気づいてしまったのだ。
武器製造の依頼ほどではないが、彼女から情報を入手するにも多大な金額が必要であることに。
傾きかけていたファミリーの下っ端に過ぎない彼には、情報屋としての黒猫に支払うだけの金銭的余裕がないことに。
男の脳に、黒猫の台詞がよぎった。
――君の知らない
何故彼女が安易に情報を与えたことに疑問を感じなかったのだろう。
何故何の見返りもなく情報をもらえると思い込んでいたのだろう。
本当に、何も知らないことは命取りだ。
何も知らないから、利用されて騙されて――殺される。
ふと。
屋上の端まで辿り着いた黒猫は、一瞬だけ男の方を振り返った。
その時、男は初めて彼女の手に黒いリモコンが握られているのを確認した。
何のリモコンかは訊かなくても分かった。
分かってしまった。
分かったところでどうしようもない。
それに、敵の戦力も相手の能力も武器の流通も戦局の変化も上司の思惑も部下の動向も周囲の状況も自分の立場も、今すべて知った彼でも、呪われた少女に比べれば何も知らないに等しい。
それは万死に値するほどに。
黒猫は屋上から飛び降りる寸前、どうでもいいことのように言い捨てた。
「可哀想に」
その言葉が男の耳に届いた瞬間、彼は完全に意識を失った。
忌まわしき不幸の象徴たる黒猫に『不幸』だと評された男。
心なき彼女に表面上であれ同情を受けたその男は、その後のビル爆発により不公平で不幸な生涯を終えたのだった。