標的14 Death or Piece(不幸か平和か)
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≪いえーい! 絢芽ちゃん久しぶり超久しぶりだねぇ! 懐かしいねぇ、いつ以来だっけ? そうそう、絢芽ちゃんがボンゴレファミリーに入ってすぐの頃、アゲハちゃんとテレビ電話した時に後ろに映ってたのが最初で最後だったねぇ。じゃあ、きちんと会話するのは今日が初めてじゃん! 絢芽ちゃんってば、あの時ボクを見て気分悪くしちゃって、すぐに退出したんだよねぇ。ボクは君とも挨拶したかったのにさぁ。まあ、昔のことはもういいよねぇ。今は大丈夫? ボクの声、気持ち悪くない? 姿が見えないからまだ平気かな? それとも成長したのかなぁ? あれから五年だもんねぇ。長いなぁ。そりゃあ、人間成長もするよねぇ。ていうか、五年もあったのにこれまで絢芽ちゃんから一度も連絡ないってどういうこと? 絢芽ちゃんがボクを何度も利用できるほどお金持ってないのは知ってるけど、電話掛けたくらいじゃ料金は発生しないから、今度からこまめに連絡してねぇ。ボクは君の情報がリアルタイムで入って来るから寂しくないけど、絢芽ちゃんは何とも思わなかった? 思わなかったよねぇ。君はアゲハちゃん以外、どうでもいいと思ってるもんねぇ。本当に変わらないなぁ。でもちゃんと成長してるところもあるから安心してね。それがいい方向かどうかはともかくとして≫
「……うるせえ」
まくし立てるような長台詞が電話を繋いだ途端に流れ込んできて、思わず通話を切りそうになってしまった。
ボタンが指に触れるか否かのところで本来の目的を思い出し、悪態を吐くことでなんとか堪えたのだ。
黒猫が今言ったように、以前会った時は会話の主体はあくまで主様と黒猫だった上、私は途中でリタイアしたので、彼女がここまで多弁とは知らなかったのだ。
噂で聞いていたのと実際とは全然違った。
しかも意地の悪いことに、重要な情報は何一つ含まれていない癖に、可能な限りこちらの弱みを抉ってくる。
何も出会った時の話を持ち出さなくてもいいだろうに。
あれは、まだマフィアの世界をよく知らなかった頃のいわば黒歴史だ。
あの時の様子を詳しく語る気はないが、そんな無知な小娘が不幸の象徴を画面越しとは言え直視したらどうなるか、想像してもらえば私の身に何が起こったか容易く理解できるだろう。
≪相変わらず口悪いねぇ。アゲハちゃんには無理して敬語遣ってる癖に。別にアゲハちゃんにも普通の言葉遣いでいいと思うよぉ。あの娘 、絶対気にしないし≫
『相変わらず』と言っても直接話すのはこれが初めてのはずだが――と矛盾に吐き気を覚えつつ、主様の名前が出たのでそちらに集中した。
「確かに主様は私如きの言葉遣いなど気に留められないほど偉大なお方だ。だが、気になされないから粗雑でいいというわけにはいかねえ。最大の敬意を持って神に仕える――それが信者の務めだ」
黒猫が噂通りの情報通なら、この程度の情報は常識のはずだ。
だから、敢えて言わせてもらう。
「それはともかく、貴様のその『アゲハちゃん』という馴れ馴れしいを通り越して無礼な呼称は何だ? まさか貴様、主様に対してもそんな口調でいるんじゃないだろうな?」
≪まさかも何も、ずっとそうだよぉ。どんなに社会的立場が上の人にも態度を変えないのがボクのスタイルなんだ。それに、もしボクが絢芽ちゃんみたいな喋り方したら、アゲハちゃんに気持ち悪いって怒られちゃうよぉ≫
ふざけた調子のままだったが、煙に巻かれているとすぐに気づいた。
一定以上の距離を取り踏み込ませないところは、主様と通じるところがなくもないかもしれない。
≪それに、君の理屈に則れば、ボクの態度は神に認められた正しい行為なんだよねぇ。だって、アゲハちゃんに一度も咎められたことがないんだもん。それって正しいってことなんでしょ、君の生き方みたいにさぁ≫
そういう言い方をされると、反論の言葉を失くしてしまう。
一度しか目撃したことがないのに、黒猫が意地悪く口元を歪めている姿が鮮烈に目に浮かんできて――すぐに自戒した。
私が思い浮かべるべきは主様のお姿だ。
私が信じるべきは、たった一人主様だけだ。
それ以外の存在で、一瞬たりとも支配されてはならないのだ。
そうして脳内を主様で占めることで、少し冷静に状況を判断することができた。
そうだ、コイツとこんな言い争いをするために、高い金を払ったのではないのだった。
初回キャンペーンと嘯かれ、情報量でなく三十分の電話でいくらという料金設定だったが、これまで手付かずにしていた給料をほとんど叩くほど高額だったのだ。
もう一度電話しようとしたら、あと五年働いて再び金を溜めなくてはならない。
それなのにこのままでは、黒猫のお喋りで時間を消費しきってしまいそうだった。
聞きたい情報を聞き出せなくては、たとえ時間切れになっても電話を切るわけにはいかない。
「黒猫。本題だ。質問に答えろ」
≪はぁい。何でも答えるよぉ≫
「知りたいのは、主様と次期十代目候補・沢田綱吉の関係だ」
ここで聞きたかったのは、九条のあの噂の真偽ではない。
もっと本質的なことだ。
「以前の主様は組織の中にあっても群れることなく、周囲と一線を引いているように感じた。何にも深入りせず、誰にも肩入れしなかった。それゆえに、凛とした冷たい印象があったんだ」
あの方は常に一人で完結していた。
孤高にして孤独の主様。
まさに、世界の頂点に君臨するに相応しいお姿だった。
「だが、沢田綱吉に関しては、普段と何処か違うような気がするんだ。何というか……、受け入れられているような、期待されているような……」
漠然と感じた印象を羅列しているだけなので、まとまりのない意見になってしまった。
しかし、これは、黒猫にしか訊けないことだった。
不本意ながら彼女以上に主様を知っている者はいないし、主様本人に伺うのは教義 違反に当たる。
自分の無知あるいは無能故に主様を煩わせてはならない――それが教義だ。
慣れない日本語での拙い説明だったが、黒猫は黙って耳を傾けていた。
≪絢芽ちゃんにしては鋭い分析だねぇ≫
すべて聞き終えた後、彼女はそう判断を下した。
全知の少女からの肯定は、思いの外嬉しいものだった。
しかし、すぐに浮かれた心を叩き落とす言葉が待ち受けていた。
≪十代目は、アゲハちゃんの昔の恩人に似てるんだよぉ。少なくとも見た目は瓜二つだねぇ。だから、言動が彼とリンクすると、懐かしくて警戒心が解けるんだよ≫
ごとん、と手の内から携帯電話が滑り落ち、部屋のフローリングにぶつかる音がした。
電話はまだ繋がっているようだったが、完全に意識の外に抜け落ちていた。
だから、零れた言葉は質問ではなく、独り言だ。
「じゃあ、沢田綱吉は、その恩人に似ているから期待を受けているのか?」
だったら、私は一生無理じゃないか。
九条や黒猫のように認められず、いっそ生まれ変わりでもしなければ沢田のように期待もされないのか。
――何なんだ、私の人生は。
主様に救って頂いたあの日、祝福されたと思ったのに。
≪さすがにボクもアゲハちゃんが絆されているとまでは思ってないけどねぇ。雅也さんも極端なこと言うよねぇ≫
あの黒猫が噂を否定したというのに、全くそれどころではなかった。
だが、すぐに無理矢理正気に戻す一言が放たれた。
≪絢芽ちゃんは、アゲハちゃんが十代目を認めていることより、自分が認められない方がショックなんだねぇ≫
「なっ……」
動揺で漏らした声は電話口の黒猫の嘲笑にかき消された。
だが、その動揺は、核心を突かれたことへの焦りだった。
恐らく、先ほどの独り言を聞くまでもなく、黒猫は最初から知っていたのだろう。
確かに以前の私なら、前者の方がよほど受け入れがたいはずだった。
主様がどうお考えでも、私が主様を信じていればそれでいい――それだけで救われるはずなのに。
これ以上考えては駄目だと、頭の中で警報が鳴り響いた。
この矛盾を明らかにしてしまえば、これまで大切にしてきたものがぐちゃぐちゃになってしまう気がした。
けれど、だったらどうすればいいのだろう。
どうしたら、主様に迷惑を掛けずに信仰を守り抜くことができるんだ。
ただ、この唯一の信仰を守りたいだけなのに。
≪なら教えようか? 絢芽ちゃんの信仰を守る方法≫
「あるのかっ!?」
恥も外聞も捨て、悪魔の囁きに食いついた。
信仰を守るためなら何でもすると、電話を掛ける前から決めていたのだ。
携帯電話を強く握り締め、一言一句聞き逃さないようにと耳に押し付けた。
≪簡単な方法だよぉ。内容は何でもいいから、アゲハちゃんに質問するの。電話でもメールでもいいよ。たったそれだけ。簡単でしょぉ?≫
確かに、想像していたよりずっと簡単に聞こえる。
だが、すぐにその意味を理解し、冷や汗が流れた。
「……だが、それは――」
≪うん。それは、絢芽ちゃんの『主様に質問してはならない』という教義に反するよねぇ。でもだからいいの。それがいいの。仕掛けはもう終わったから、あとはなるようになるだけ。その時、絢芽ちゃんの行動がヒントになるかもしれないから≫
「……他には、ないのか」
≪あるにはあるけど、どれもアゲハちゃんに迷惑のかかる方法だよぉ。これが一番穏便なの≫
後半の情報はほとんど理解できなかったが、これだけは明らかだった。
信仰を守る唯一の方法が、教義を捨てることなのだ。
そうしなければ、信仰が崩れ去る。
教義を選ぶか、信仰を選ぶか。
――究極の選択だ。
どちらも命懸けで守ってきたもので、本当はこれからも大切に抱えて生きていたい。
けれど、それはもはや叶わないのだ。
黒猫の情報は絶対の真実だ。
そんなことは噂だけでも承知している。
固く瞼を閉じた。
目の奥に浮かぶのは、美しく愛しい主様のお姿。
救われた、あの日の情景。
≪選択の時だよ、絢芽ちゃん。教義を守るか、信仰を守るか。好きな方を選んで≫
黒猫の声が、甘く優しく身体の芯に浸透していった。
そして、私は選んでしまった。
究極の選択を選んで――教義を捨て、信仰を守った。
けれど、黒猫に背中を押された形の中途半端な覚悟だったから、その後主様から連絡を頂くまで、罪悪感と後悔に苛まれることになったのだった。
「……うるせえ」
まくし立てるような長台詞が電話を繋いだ途端に流れ込んできて、思わず通話を切りそうになってしまった。
ボタンが指に触れるか否かのところで本来の目的を思い出し、悪態を吐くことでなんとか堪えたのだ。
黒猫が今言ったように、以前会った時は会話の主体はあくまで主様と黒猫だった上、私は途中でリタイアしたので、彼女がここまで多弁とは知らなかったのだ。
噂で聞いていたのと実際とは全然違った。
しかも意地の悪いことに、重要な情報は何一つ含まれていない癖に、可能な限りこちらの弱みを抉ってくる。
何も出会った時の話を持ち出さなくてもいいだろうに。
あれは、まだマフィアの世界をよく知らなかった頃のいわば黒歴史だ。
あの時の様子を詳しく語る気はないが、そんな無知な小娘が不幸の象徴を画面越しとは言え直視したらどうなるか、想像してもらえば私の身に何が起こったか容易く理解できるだろう。
≪相変わらず口悪いねぇ。アゲハちゃんには無理して敬語遣ってる癖に。別にアゲハちゃんにも普通の言葉遣いでいいと思うよぉ。あの
『相変わらず』と言っても直接話すのはこれが初めてのはずだが――と矛盾に吐き気を覚えつつ、主様の名前が出たのでそちらに集中した。
「確かに主様は私如きの言葉遣いなど気に留められないほど偉大なお方だ。だが、気になされないから粗雑でいいというわけにはいかねえ。最大の敬意を持って神に仕える――それが信者の務めだ」
黒猫が噂通りの情報通なら、この程度の情報は常識のはずだ。
だから、敢えて言わせてもらう。
「それはともかく、貴様のその『アゲハちゃん』という馴れ馴れしいを通り越して無礼な呼称は何だ? まさか貴様、主様に対してもそんな口調でいるんじゃないだろうな?」
≪まさかも何も、ずっとそうだよぉ。どんなに社会的立場が上の人にも態度を変えないのがボクのスタイルなんだ。それに、もしボクが絢芽ちゃんみたいな喋り方したら、アゲハちゃんに気持ち悪いって怒られちゃうよぉ≫
ふざけた調子のままだったが、煙に巻かれているとすぐに気づいた。
一定以上の距離を取り踏み込ませないところは、主様と通じるところがなくもないかもしれない。
≪それに、君の理屈に則れば、ボクの態度は神に認められた正しい行為なんだよねぇ。だって、アゲハちゃんに一度も咎められたことがないんだもん。それって正しいってことなんでしょ、君の生き方みたいにさぁ≫
そういう言い方をされると、反論の言葉を失くしてしまう。
一度しか目撃したことがないのに、黒猫が意地悪く口元を歪めている姿が鮮烈に目に浮かんできて――すぐに自戒した。
私が思い浮かべるべきは主様のお姿だ。
私が信じるべきは、たった一人主様だけだ。
それ以外の存在で、一瞬たりとも支配されてはならないのだ。
そうして脳内を主様で占めることで、少し冷静に状況を判断することができた。
そうだ、コイツとこんな言い争いをするために、高い金を払ったのではないのだった。
初回キャンペーンと嘯かれ、情報量でなく三十分の電話でいくらという料金設定だったが、これまで手付かずにしていた給料をほとんど叩くほど高額だったのだ。
もう一度電話しようとしたら、あと五年働いて再び金を溜めなくてはならない。
それなのにこのままでは、黒猫のお喋りで時間を消費しきってしまいそうだった。
聞きたい情報を聞き出せなくては、たとえ時間切れになっても電話を切るわけにはいかない。
「黒猫。本題だ。質問に答えろ」
≪はぁい。何でも答えるよぉ≫
「知りたいのは、主様と次期十代目候補・沢田綱吉の関係だ」
ここで聞きたかったのは、九条のあの噂の真偽ではない。
もっと本質的なことだ。
「以前の主様は組織の中にあっても群れることなく、周囲と一線を引いているように感じた。何にも深入りせず、誰にも肩入れしなかった。それゆえに、凛とした冷たい印象があったんだ」
あの方は常に一人で完結していた。
孤高にして孤独の主様。
まさに、世界の頂点に君臨するに相応しいお姿だった。
「だが、沢田綱吉に関しては、普段と何処か違うような気がするんだ。何というか……、受け入れられているような、期待されているような……」
漠然と感じた印象を羅列しているだけなので、まとまりのない意見になってしまった。
しかし、これは、黒猫にしか訊けないことだった。
不本意ながら彼女以上に主様を知っている者はいないし、主様本人に伺うのは
自分の無知あるいは無能故に主様を煩わせてはならない――それが教義だ。
慣れない日本語での拙い説明だったが、黒猫は黙って耳を傾けていた。
≪絢芽ちゃんにしては鋭い分析だねぇ≫
すべて聞き終えた後、彼女はそう判断を下した。
全知の少女からの肯定は、思いの外嬉しいものだった。
しかし、すぐに浮かれた心を叩き落とす言葉が待ち受けていた。
≪十代目は、アゲハちゃんの昔の恩人に似てるんだよぉ。少なくとも見た目は瓜二つだねぇ。だから、言動が彼とリンクすると、懐かしくて警戒心が解けるんだよ≫
ごとん、と手の内から携帯電話が滑り落ち、部屋のフローリングにぶつかる音がした。
電話はまだ繋がっているようだったが、完全に意識の外に抜け落ちていた。
だから、零れた言葉は質問ではなく、独り言だ。
「じゃあ、沢田綱吉は、その恩人に似ているから期待を受けているのか?」
だったら、私は一生無理じゃないか。
九条や黒猫のように認められず、いっそ生まれ変わりでもしなければ沢田のように期待もされないのか。
――何なんだ、私の人生は。
主様に救って頂いたあの日、祝福されたと思ったのに。
≪さすがにボクもアゲハちゃんが絆されているとまでは思ってないけどねぇ。雅也さんも極端なこと言うよねぇ≫
あの黒猫が噂を否定したというのに、全くそれどころではなかった。
だが、すぐに無理矢理正気に戻す一言が放たれた。
≪絢芽ちゃんは、アゲハちゃんが十代目を認めていることより、自分が認められない方がショックなんだねぇ≫
「なっ……」
動揺で漏らした声は電話口の黒猫の嘲笑にかき消された。
だが、その動揺は、核心を突かれたことへの焦りだった。
恐らく、先ほどの独り言を聞くまでもなく、黒猫は最初から知っていたのだろう。
確かに以前の私なら、前者の方がよほど受け入れがたいはずだった。
主様がどうお考えでも、私が主様を信じていればそれでいい――それだけで救われるはずなのに。
これ以上考えては駄目だと、頭の中で警報が鳴り響いた。
この矛盾を明らかにしてしまえば、これまで大切にしてきたものがぐちゃぐちゃになってしまう気がした。
けれど、だったらどうすればいいのだろう。
どうしたら、主様に迷惑を掛けずに信仰を守り抜くことができるんだ。
ただ、この唯一の信仰を守りたいだけなのに。
≪なら教えようか? 絢芽ちゃんの信仰を守る方法≫
「あるのかっ!?」
恥も外聞も捨て、悪魔の囁きに食いついた。
信仰を守るためなら何でもすると、電話を掛ける前から決めていたのだ。
携帯電話を強く握り締め、一言一句聞き逃さないようにと耳に押し付けた。
≪簡単な方法だよぉ。内容は何でもいいから、アゲハちゃんに質問するの。電話でもメールでもいいよ。たったそれだけ。簡単でしょぉ?≫
確かに、想像していたよりずっと簡単に聞こえる。
だが、すぐにその意味を理解し、冷や汗が流れた。
「……だが、それは――」
≪うん。それは、絢芽ちゃんの『主様に質問してはならない』という教義に反するよねぇ。でもだからいいの。それがいいの。仕掛けはもう終わったから、あとはなるようになるだけ。その時、絢芽ちゃんの行動がヒントになるかもしれないから≫
「……他には、ないのか」
≪あるにはあるけど、どれもアゲハちゃんに迷惑のかかる方法だよぉ。これが一番穏便なの≫
後半の情報はほとんど理解できなかったが、これだけは明らかだった。
信仰を守る唯一の方法が、教義を捨てることなのだ。
そうしなければ、信仰が崩れ去る。
教義を選ぶか、信仰を選ぶか。
――究極の選択だ。
どちらも命懸けで守ってきたもので、本当はこれからも大切に抱えて生きていたい。
けれど、それはもはや叶わないのだ。
黒猫の情報は絶対の真実だ。
そんなことは噂だけでも承知している。
固く瞼を閉じた。
目の奥に浮かぶのは、美しく愛しい主様のお姿。
救われた、あの日の情景。
≪選択の時だよ、絢芽ちゃん。教義を守るか、信仰を守るか。好きな方を選んで≫
黒猫の声が、甘く優しく身体の芯に浸透していった。
そして、私は選んでしまった。
究極の選択を選んで――教義を捨て、信仰を守った。
けれど、黒猫に背中を押された形の中途半端な覚悟だったから、その後主様から連絡を頂くまで、罪悪感と後悔に苛まれることになったのだった。