標的13 耳を澄ませて目を凝らせ
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カフェオレを一口飲んで、気分を落ち着かせる。
本題に入る前に、まずは普段の彼女の仕事ぶりを労うことにした。
「先日の並中グラウンドの補修、ありがとう。毎回対応が早くて助かるわ」
「……勿体ないお言葉でございます」
絞り出すような声と共に、絢芽は一礼した。
跪いているので表情はよく見えないが、あまり喜んでいるようには感じられない。
「主様。無礼を承知で申し上げますが、自分のような下賤な者に、そのようなお心遣いは不要でございます」
「何故? 貴女にはいつも世話になってるじゃない。お礼くらい言うわよ」
「ご存じの通り、今自分が存在しているのはすべて主様のおかげでございます。主様に救われたあの日から、この命もこの才能も主様のもので、主様のお役に立つことは呼吸をすることと同義でございます。ですから、もし主様が助かったとお感じになったのなら、それはすべて主様の先見の明の賜物でございます」
ですから、主様がお礼を仰る必要はございません。
そう言って、絢芽は顔を上げた。
満足そうに、誇らしそうに微笑んでいる。
「……でも、私は特に貴女達に依頼することが多いでしょう」
「主様ほど偉大なお方が周囲に少なからず影響を与えてしまうのは致し方ないことだと思います。神は下々の都合を気になさる必要はございません」
「……私は神なの?」
「当然でございます」
「………」
これ以上話しているとまずい気がする。
さっさと本筋に戻そう。
雅也君は彼我野絢芽の何を解決させようとしているのか、これが本題だ。
何が問題の根源なのか。
見て。
聞いて。
感じて。
見極めろ。
グラスをテーブルに置いて、一息吐いた。
「今日の用件は、先日の貴女のメールよ」
「先日――と申しますと、玄関のドアノブの修理を依頼された日でございますか?」
「そうよ」
あの日、ビアンキが来訪した時、雅也君の他にメールを送って来たのがこの絢芽だったのだ。
内容は端的に言うと、いつ頃私の任務が完遂しイタリアに戻るのかという質問だった。
それに対し、『いくら部下とは言え、任務の進行状況を漏洩できない』と私は返信した。
絢芽の抱える問題に向き合わず、放置したのだ。
恐らく、これが今回の問題の一端だ。
ここから更に本質を見極めなければならない。
「その節は大変申し訳ありませんでした」
絢芽は目を伏せた。
顔を見なくても分かる、申し訳ないと心底思っている態度だ。
このままでは土下座しそうな勢いである。
私の視線を受けながら、彼女は更に続ける。
「主様の事情も考慮せず、大変失礼な真似をいたしました。処罰は慎んで受ける所存でございます。どうぞ主様の御心のままに」
「いや、そうじゃなくて……。それに処罰というほどのことではないでしょう」
「ですが、その件で主様は足をお運びになったのでございますよね?」
「そうよ。どうしてあんなメールを送ったのか知りたいのよ」
「どうして、でございますか……」
絢芽は反芻して、フローリングの床に目を落とした。
どう言おうか逡巡しているようである。
やがて、言葉を選ぶようにしながら慎重に話した。
「実は、あの日“ご都合主義”から良からぬ噂を耳にしたのでございます。それに動揺してしまい、つい身の程知らずの愚行を働いてしまった次第でございます」
「噂……雅也君から?」
“ご都合主義”とは、九条雅也の通り名である。
絢芽曰く、あの日彼から直接コンタクトがあったらしい。
この事実は、彼女が今回の件に関わっている可能性が濃厚である裏付けになる。
やっとまともな手がかりを掴んだのに、嫌な予感が背中を這いずり回るようにまとわりついている。
経験上、嫌なことしかないのだ。
雅也君が他人を介して私にアプローチする場合は、特に。
「はい。ですが冷静になってみれば、主様に真偽を確かめるまでもないデマでございます。とても真実味に欠けております。だって――」
早鐘する心臓を宥めながら、絢芽の口が動くのを注視した。
九条雅也の優しさが、牙を剥いた。
「だって、主様がボンゴレ十代目に絆されているなど、馬鹿馬鹿しい妄言に決まっております」
がつん、と鈍器で頭を殴られたような衝撃が走った。
いや、実際に殴られた方が、まだダメージは少なかったかもしれない。
それは絢芽の言葉に衝撃を受けたのではない。
何故雅也君がそんなことを言ったのか、何故絢芽がそのことで動揺したのか、それらを考えて、途中で気分が悪くなりながらも最後まで考えて――ようやく理解したからだ。
問題の本質を、物語の本質を理解して――自分の愚かさを理解した。
「今から思えば、一瞬でも主様を疑ってしまった自分を恥ずかしく思います。主様への背信行為に他なりません。ですが、もう大丈夫でございます。自分の信仰心は二度と揺らぎません」
絢芽は跪いたまま胸を張り、私に微笑んでみせた。
それは、敬虔な信仰者のような健気な笑顔だった。
「自分は貴女を信じておりますから」
反射的に床を蹴りつけてソファから立ち上がった。
これ以上は、とてもじゃないが聞くに堪えなかった。
もうすべて分かりきってしまったが、それでもこれ以上、分かりたくなかった。
「主様?」
絢芽が不思議そうな顔でこちらを見上げている。
そんな彼女に、取り繕うこともできず吐き捨てた。
「もう帰るわ。用事は済んだから」
用事は済んだ。
問題は見つかった。
いや、本当はずっと前から顕在していたものだった。
今まで気づく前に目を逸らして耳を塞いで、感じた不気味さを遠ざけていただけだったのだ。
問題を抱えていたのは、絢芽じゃなかった。
その事実を、ここに至るまで気づけなかったというだけの話だ。
「………」
絢芽は態度を豹変させ硬い表情で立ち尽くす私を暫く見つめた後、
「畏まりました」
と、何も訊かずに頭を下げた。
本題に入る前に、まずは普段の彼女の仕事ぶりを労うことにした。
「先日の並中グラウンドの補修、ありがとう。毎回対応が早くて助かるわ」
「……勿体ないお言葉でございます」
絞り出すような声と共に、絢芽は一礼した。
跪いているので表情はよく見えないが、あまり喜んでいるようには感じられない。
「主様。無礼を承知で申し上げますが、自分のような下賤な者に、そのようなお心遣いは不要でございます」
「何故? 貴女にはいつも世話になってるじゃない。お礼くらい言うわよ」
「ご存じの通り、今自分が存在しているのはすべて主様のおかげでございます。主様に救われたあの日から、この命もこの才能も主様のもので、主様のお役に立つことは呼吸をすることと同義でございます。ですから、もし主様が助かったとお感じになったのなら、それはすべて主様の先見の明の賜物でございます」
ですから、主様がお礼を仰る必要はございません。
そう言って、絢芽は顔を上げた。
満足そうに、誇らしそうに微笑んでいる。
「……でも、私は特に貴女達に依頼することが多いでしょう」
「主様ほど偉大なお方が周囲に少なからず影響を与えてしまうのは致し方ないことだと思います。神は下々の都合を気になさる必要はございません」
「……私は神なの?」
「当然でございます」
「………」
これ以上話しているとまずい気がする。
さっさと本筋に戻そう。
雅也君は彼我野絢芽の何を解決させようとしているのか、これが本題だ。
何が問題の根源なのか。
見て。
聞いて。
感じて。
見極めろ。
グラスをテーブルに置いて、一息吐いた。
「今日の用件は、先日の貴女のメールよ」
「先日――と申しますと、玄関のドアノブの修理を依頼された日でございますか?」
「そうよ」
あの日、ビアンキが来訪した時、雅也君の他にメールを送って来たのがこの絢芽だったのだ。
内容は端的に言うと、いつ頃私の任務が完遂しイタリアに戻るのかという質問だった。
それに対し、『いくら部下とは言え、任務の進行状況を漏洩できない』と私は返信した。
絢芽の抱える問題に向き合わず、放置したのだ。
恐らく、これが今回の問題の一端だ。
ここから更に本質を見極めなければならない。
「その節は大変申し訳ありませんでした」
絢芽は目を伏せた。
顔を見なくても分かる、申し訳ないと心底思っている態度だ。
このままでは土下座しそうな勢いである。
私の視線を受けながら、彼女は更に続ける。
「主様の事情も考慮せず、大変失礼な真似をいたしました。処罰は慎んで受ける所存でございます。どうぞ主様の御心のままに」
「いや、そうじゃなくて……。それに処罰というほどのことではないでしょう」
「ですが、その件で主様は足をお運びになったのでございますよね?」
「そうよ。どうしてあんなメールを送ったのか知りたいのよ」
「どうして、でございますか……」
絢芽は反芻して、フローリングの床に目を落とした。
どう言おうか逡巡しているようである。
やがて、言葉を選ぶようにしながら慎重に話した。
「実は、あの日“ご都合主義”から良からぬ噂を耳にしたのでございます。それに動揺してしまい、つい身の程知らずの愚行を働いてしまった次第でございます」
「噂……雅也君から?」
“ご都合主義”とは、九条雅也の通り名である。
絢芽曰く、あの日彼から直接コンタクトがあったらしい。
この事実は、彼女が今回の件に関わっている可能性が濃厚である裏付けになる。
やっとまともな手がかりを掴んだのに、嫌な予感が背中を這いずり回るようにまとわりついている。
経験上、嫌なことしかないのだ。
雅也君が他人を介して私にアプローチする場合は、特に。
「はい。ですが冷静になってみれば、主様に真偽を確かめるまでもないデマでございます。とても真実味に欠けております。だって――」
早鐘する心臓を宥めながら、絢芽の口が動くのを注視した。
九条雅也の優しさが、牙を剥いた。
「だって、主様がボンゴレ十代目に絆されているなど、馬鹿馬鹿しい妄言に決まっております」
がつん、と鈍器で頭を殴られたような衝撃が走った。
いや、実際に殴られた方が、まだダメージは少なかったかもしれない。
それは絢芽の言葉に衝撃を受けたのではない。
何故雅也君がそんなことを言ったのか、何故絢芽がそのことで動揺したのか、それらを考えて、途中で気分が悪くなりながらも最後まで考えて――ようやく理解したからだ。
問題の本質を、物語の本質を理解して――自分の愚かさを理解した。
「今から思えば、一瞬でも主様を疑ってしまった自分を恥ずかしく思います。主様への背信行為に他なりません。ですが、もう大丈夫でございます。自分の信仰心は二度と揺らぎません」
絢芽は跪いたまま胸を張り、私に微笑んでみせた。
それは、敬虔な信仰者のような健気な笑顔だった。
「自分は貴女を信じておりますから」
反射的に床を蹴りつけてソファから立ち上がった。
これ以上は、とてもじゃないが聞くに堪えなかった。
もうすべて分かりきってしまったが、それでもこれ以上、分かりたくなかった。
「主様?」
絢芽が不思議そうな顔でこちらを見上げている。
そんな彼女に、取り繕うこともできず吐き捨てた。
「もう帰るわ。用事は済んだから」
用事は済んだ。
問題は見つかった。
いや、本当はずっと前から顕在していたものだった。
今まで気づく前に目を逸らして耳を塞いで、感じた不気味さを遠ざけていただけだったのだ。
問題を抱えていたのは、絢芽じゃなかった。
その事実を、ここに至るまで気づけなかったというだけの話だ。
「………」
絢芽は態度を豹変させ硬い表情で立ち尽くす私を暫く見つめた後、
「畏まりました」
と、何も訊かずに頭を下げた。
