標的13 耳を澄ませて目を凝らせ
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《視点:入江正一 場所:並盛公園》
マンションの自室を破壊して突入してきたランボという子供を家に送り届けることになった――ここまでは良かった。
いや、部屋が滅茶苦茶になったりお詫び詰め合わせと称した密輸品が届いたりと全然良くはないのだが、百歩譲って良いことにする。
しかし、ランボが持っていたメモに書いてあった住所を頼りにリボーンという人を訪ねたら、沢田家はカオス状態だったのだ。
目を疑うほど可愛い女の子が縁側に座っていたり、水着姿の女の人が庭で寝ていたり、リボーンさんが赤ちゃんだったり、おもちゃの手榴弾が破裂したり、ランボが大人になったり、人が撃たれたり――
その後、脳天を撃ち抜かれたはずの人が何故か生き返り、その頬がみるみる肥大化したのを間近で目撃してから記憶がない。
恐らくショックで気絶したのだと思う。
そして意識が戻った時、最初に目にしたのは、恐ろしく整った顔をした女の子だった。
白磁のような肌に、艶やかな黒髪と鮮やかな碧眼のコントラスト。
真っ白なブラウスが傾きかけた陽光を反射し、少女は幻想的なまでにきらきらと輝いていた。
何だこれ。
僕は一体どうなった。
混乱の極致で、僕は無意識に呟いた。
「て、天使……」
「は?」
気絶する直前のショッキングな事件と眼前の謎の美少女――寝起きで頭の回っていない僕はこんな結論を出していた。
自分はとうとう死んだのだ。
そして、天国に来てしまったのだ、と。
まともな精神状態なら鼻で笑われるような思考だが、この時は本気でそう思ったのだ。
呆然と少女に見惚れる僕を、彼女は真っ直ぐ見つめ返した。
目を覚ました途端『天使』と称されて、彼女の方も混乱しているのかもしれないが、表情には出ていない。
というか、よく見れば、最初に沢田家を覗いた時に縁側に座っていた美少女その人だ。
あの時は距離が離れていて、今は近すぎるせいですぐに気づけなかった。
そのまま暫く見つめ合って、ようやく僕は彼女との位置関係を理解した。
仰向けに寝転がっている僕を、彼女がかなり近い距離から見下ろしている。
背中にあるのは硬い木の質感なのに、何故か頭のある場所だけは柔らかい。
「………」
嫌な予感がして、弾かれるように上半身を起こした。
辺りを見渡すと、僕は木製の古いベンチに寝かされていたようだ。
身体を捻って振り返ると、同じベンチのすぐ傍に座る天使がいた。
「もう起きて大丈夫なの?」
彼女は僕の顔色を窺うように目を眇めたので、反射的に首を上下に振った。
本当は目が覚めた時より混乱している。
位置関係と体勢から、少女が何をしていたのか、僕が何をされていたのか、なんとなく理解してしまったからだ。
どぎまぎしながら、声を絞り出す。
「あの……今……」
「何?」
平然と聞き返され、言葉に詰まってしまう。
一体どう言えばいいのだろうか。
『僕が目を覚ますまで、膝枕してくれたんですか?』とでも?
一瞬だけ考え込んだ後、ベンチの上に正座し頭を下げた。
「あの……ありがとうございました」
「いいえ。元はと言えばこちらに非があるもの」
聞けるわけがなかった。
中学生にもなって、身内にすらされたことがないことを初対面の美少女にされてしまったかもしれないなんて、一生謎のままにしておいた方がいい。
頭上から蕩けるような美声が降り注ぐのに気を取られ、迂闊にも聞き逃しそうになった。
『元はと言えばこちらに非がある』?
しかし、疑問を口にする前に、彼女の方から質問があった。
「気分はどう?」
「あっ、もう大丈夫です。すみません」
頭を下げたまま、目線だけ上げてそっと少女を盗み見る。
少し落ち着いてみると、冷静に彼女を検分することができた。
天界の羽衣に見えた白いブラウスは、よく見たら近くの中学校の制服だと分かった。
天使ではなく、それどころか、自分と同年代の中学生だ。
制服でかろうじて彼女の年代を知ったが、そうでなければ今でも天使だと思っていたかもしれない。
二十代にも、六、七歳の幼女にも、あるいは仙人にも見える、不思議と人間味がない少女だ。
そうだとしても、地元の中学生にうわ言とは言え『天使』と呟いたのを聞かれてしまったことに今更恥ずかしくなり、頭を上げてさり気なく視線を周囲へ移した。
今いる場所は天国でも何でもなく、ありふれた近所の公園のようだ。
きっと僕が倒れた場所からそう離れていないだろう。
夕日が公園全体をオレンジ色に染めている。
確か、気を失う前はまだ太陽は真上にあった。
どうやら相当長い時間気を失っていたらしい。
そしてその間、彼女は初対面の僕にずっとついてくれたようだ。
「貴方、ランボを送ってくれたのよね。どうもありがとう」
「えっ?」
顔を正面に戻し、再び少女に向き直る。
ランボ――確かあの子供の名前だ。
そう言えば、あの子供の姿が見当たらないが、何処へ行ったのか。
それに先ほどの発言といい、彼女はあの子の知り合いだったのか。
ならば、必然的にあの“騒動”の関係者ということになるが――だから看病してくれたのか?
「あの、ありがとうございました。僕の目が覚めるまで付き添ってくれて」
「それはこちらに非があったから」
「……それでも、ありがとうございました」
そう言って、少女にもう一度頭を下げた。
あの騒動の中で、ほとんどの人間が僕のことなんか気にも留めなかった。
水着姿の女性は僕に気づいてくれたが、すぐに騒動の中に戻ってしまった。
家族ですら僕の話をまともに取り合わなかった。
目の前の少女だけが、僕を真っ直ぐ見て、僕の話を聞いてくれている。
看病してくれたこと以上に、そのことが嬉しかった。
少女は一瞬だけ目を見開いたような気がしたが、すぐに逸らされたのでよく分からない。
「貴方がランボにしてくれたことと同じことよ」
「……え」
「他に訊きたいことは?」
「えっ? えーっと、じゃあ……」
無表情で平坦な口調の彼女に気後れしてしまい、慌てて頭を巡らせる。
いくら僕の話をちゃんと聞いてくれるとは言え、彼女を待たせてはいけないという謎の使命感に襲われたのだ。
その時、脳内に蘇ったのは、あの騒がしくて危険で、けれど皆が生き生きとしていた沢田家の様子だった。
「……えっと、いつもあんな感じなんですか?」
苦し紛れに考えついた質問だったので、漠然とした訊き方になってしまった。
しかし、曖昧な質問でも少女はきちんと文意を読み取ったらしく、僅かに視線を空へ投げてから答えてくれた。
「そうね。夏休みだから、皆少しはしゃいでいるのかもしれないわね」
何気なく言われたが、これにはさすがに得心しかねた。
手榴弾やらサブマシンガンやら、どれも『少しはしゃいでいる』というレベルを超越している気がするのだが。
とは言え、涼しい顔でそう言われてしまうと、そうなんですか、と返すしかない。
「た、大変なんですね」
「そうね。大変で楽しいわ――本当なら」
「………」
「じゃあ、私は行くわ。気をつけて」
首を傾げる僕にそう言い残して、少女はベンチから腰を上げた。
何気ない動作が見惚れてしまうほど流麗だ。
そのまま振り向くことなく立ち去る彼女の背中が見えなくなるまで見送ってから、先ほどの会話を思い返した。
大変で楽しい。
大して面白くなさそうに、一貫して無表情だった。
ただの興味本位でした質問だったが、その返事が何故か心に残ったのだった。
そんなことを考えていたら、僕の足元に置かれた“お詫び詰め合わせ”の木箱を返すことも、ランボから預かった沢田家の住所のメモをいつの間にかなくしていたことも、太陽が沈みかけるまで気づかなかった。
マンションの自室を破壊して突入してきたランボという子供を家に送り届けることになった――ここまでは良かった。
いや、部屋が滅茶苦茶になったりお詫び詰め合わせと称した密輸品が届いたりと全然良くはないのだが、百歩譲って良いことにする。
しかし、ランボが持っていたメモに書いてあった住所を頼りにリボーンという人を訪ねたら、沢田家はカオス状態だったのだ。
目を疑うほど可愛い女の子が縁側に座っていたり、水着姿の女の人が庭で寝ていたり、リボーンさんが赤ちゃんだったり、おもちゃの手榴弾が破裂したり、ランボが大人になったり、人が撃たれたり――
その後、脳天を撃ち抜かれたはずの人が何故か生き返り、その頬がみるみる肥大化したのを間近で目撃してから記憶がない。
恐らくショックで気絶したのだと思う。
そして意識が戻った時、最初に目にしたのは、恐ろしく整った顔をした女の子だった。
白磁のような肌に、艶やかな黒髪と鮮やかな碧眼のコントラスト。
真っ白なブラウスが傾きかけた陽光を反射し、少女は幻想的なまでにきらきらと輝いていた。
何だこれ。
僕は一体どうなった。
混乱の極致で、僕は無意識に呟いた。
「て、天使……」
「は?」
気絶する直前のショッキングな事件と眼前の謎の美少女――寝起きで頭の回っていない僕はこんな結論を出していた。
自分はとうとう死んだのだ。
そして、天国に来てしまったのだ、と。
まともな精神状態なら鼻で笑われるような思考だが、この時は本気でそう思ったのだ。
呆然と少女に見惚れる僕を、彼女は真っ直ぐ見つめ返した。
目を覚ました途端『天使』と称されて、彼女の方も混乱しているのかもしれないが、表情には出ていない。
というか、よく見れば、最初に沢田家を覗いた時に縁側に座っていた美少女その人だ。
あの時は距離が離れていて、今は近すぎるせいですぐに気づけなかった。
そのまま暫く見つめ合って、ようやく僕は彼女との位置関係を理解した。
仰向けに寝転がっている僕を、彼女がかなり近い距離から見下ろしている。
背中にあるのは硬い木の質感なのに、何故か頭のある場所だけは柔らかい。
「………」
嫌な予感がして、弾かれるように上半身を起こした。
辺りを見渡すと、僕は木製の古いベンチに寝かされていたようだ。
身体を捻って振り返ると、同じベンチのすぐ傍に座る天使がいた。
「もう起きて大丈夫なの?」
彼女は僕の顔色を窺うように目を眇めたので、反射的に首を上下に振った。
本当は目が覚めた時より混乱している。
位置関係と体勢から、少女が何をしていたのか、僕が何をされていたのか、なんとなく理解してしまったからだ。
どぎまぎしながら、声を絞り出す。
「あの……今……」
「何?」
平然と聞き返され、言葉に詰まってしまう。
一体どう言えばいいのだろうか。
『僕が目を覚ますまで、膝枕してくれたんですか?』とでも?
一瞬だけ考え込んだ後、ベンチの上に正座し頭を下げた。
「あの……ありがとうございました」
「いいえ。元はと言えばこちらに非があるもの」
聞けるわけがなかった。
中学生にもなって、身内にすらされたことがないことを初対面の美少女にされてしまったかもしれないなんて、一生謎のままにしておいた方がいい。
頭上から蕩けるような美声が降り注ぐのに気を取られ、迂闊にも聞き逃しそうになった。
『元はと言えばこちらに非がある』?
しかし、疑問を口にする前に、彼女の方から質問があった。
「気分はどう?」
「あっ、もう大丈夫です。すみません」
頭を下げたまま、目線だけ上げてそっと少女を盗み見る。
少し落ち着いてみると、冷静に彼女を検分することができた。
天界の羽衣に見えた白いブラウスは、よく見たら近くの中学校の制服だと分かった。
天使ではなく、それどころか、自分と同年代の中学生だ。
制服でかろうじて彼女の年代を知ったが、そうでなければ今でも天使だと思っていたかもしれない。
二十代にも、六、七歳の幼女にも、あるいは仙人にも見える、不思議と人間味がない少女だ。
そうだとしても、地元の中学生にうわ言とは言え『天使』と呟いたのを聞かれてしまったことに今更恥ずかしくなり、頭を上げてさり気なく視線を周囲へ移した。
今いる場所は天国でも何でもなく、ありふれた近所の公園のようだ。
きっと僕が倒れた場所からそう離れていないだろう。
夕日が公園全体をオレンジ色に染めている。
確か、気を失う前はまだ太陽は真上にあった。
どうやら相当長い時間気を失っていたらしい。
そしてその間、彼女は初対面の僕にずっとついてくれたようだ。
「貴方、ランボを送ってくれたのよね。どうもありがとう」
「えっ?」
顔を正面に戻し、再び少女に向き直る。
ランボ――確かあの子供の名前だ。
そう言えば、あの子供の姿が見当たらないが、何処へ行ったのか。
それに先ほどの発言といい、彼女はあの子の知り合いだったのか。
ならば、必然的にあの“騒動”の関係者ということになるが――だから看病してくれたのか?
「あの、ありがとうございました。僕の目が覚めるまで付き添ってくれて」
「それはこちらに非があったから」
「……それでも、ありがとうございました」
そう言って、少女にもう一度頭を下げた。
あの騒動の中で、ほとんどの人間が僕のことなんか気にも留めなかった。
水着姿の女性は僕に気づいてくれたが、すぐに騒動の中に戻ってしまった。
家族ですら僕の話をまともに取り合わなかった。
目の前の少女だけが、僕を真っ直ぐ見て、僕の話を聞いてくれている。
看病してくれたこと以上に、そのことが嬉しかった。
少女は一瞬だけ目を見開いたような気がしたが、すぐに逸らされたのでよく分からない。
「貴方がランボにしてくれたことと同じことよ」
「……え」
「他に訊きたいことは?」
「えっ? えーっと、じゃあ……」
無表情で平坦な口調の彼女に気後れしてしまい、慌てて頭を巡らせる。
いくら僕の話をちゃんと聞いてくれるとは言え、彼女を待たせてはいけないという謎の使命感に襲われたのだ。
その時、脳内に蘇ったのは、あの騒がしくて危険で、けれど皆が生き生きとしていた沢田家の様子だった。
「……えっと、いつもあんな感じなんですか?」
苦し紛れに考えついた質問だったので、漠然とした訊き方になってしまった。
しかし、曖昧な質問でも少女はきちんと文意を読み取ったらしく、僅かに視線を空へ投げてから答えてくれた。
「そうね。夏休みだから、皆少しはしゃいでいるのかもしれないわね」
何気なく言われたが、これにはさすがに得心しかねた。
手榴弾やらサブマシンガンやら、どれも『少しはしゃいでいる』というレベルを超越している気がするのだが。
とは言え、涼しい顔でそう言われてしまうと、そうなんですか、と返すしかない。
「た、大変なんですね」
「そうね。大変で楽しいわ――本当なら」
「………」
「じゃあ、私は行くわ。気をつけて」
首を傾げる僕にそう言い残して、少女はベンチから腰を上げた。
何気ない動作が見惚れてしまうほど流麗だ。
そのまま振り向くことなく立ち去る彼女の背中が見えなくなるまで見送ってから、先ほどの会話を思い返した。
大変で楽しい。
大して面白くなさそうに、一貫して無表情だった。
ただの興味本位でした質問だったが、その返事が何故か心に残ったのだった。
そんなことを考えていたら、僕の足元に置かれた“お詫び詰め合わせ”の木箱を返すことも、ランボから預かった沢田家の住所のメモをいつの間にかなくしていたことも、太陽が沈みかけるまで気づかなかった。