番外編

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――これ、あげるわ。
――今日、家庭科実習で作ったの。とにかくあげるわ。いらなかったら捨てていいから。

 応接室のデスクで、雲雀恭弥は腕を組み難しい顔をして“それ”を睨んでいた。
 数十分前に唐突に現れ突然帰っていった、宮野アゲハの置き土産。
 恐らく彼女の手作りと思われる、形の整った三つのおにぎり。
 それらは雲雀の威圧的な視線にも動じず、机の上に鎮座している。
 しかし、彼女がこれを置いていった理由を雲雀は知らない。
 宮野アゲハが並盛中学校に転入してからもうすぐ一か月が経とうとしているが、出会いこそ鮮烈だったものの、雲雀は彼女のことをほとんど何も知らないのだ。
 だから。

――いらなかったら、いつでも捨てていいのよ。

 だから、彼女が何故あんな台詞を言ったのか皆目見当がつかない。
 まして周囲を圧倒するほどの強者である彼女が、あんな顔をして自分のところに来た理由も。
 彼女が何をしたかったのか、あるいは何を求めていたのか。
 何も、知らないのだ。

「………」

 最初に宮野アゲハという存在を目撃した時、かつてないほど衝撃を受けたのだった。
 見た瞬間、なんて完成された存在だと感動すらした。
 彼女は人間を超越していることも直感していた。
 そんなアゲハにこれまで何度も勝負を挑んだが、結局首を縦に振ることはなかった。

――貴方とは戦わないし、戦うつもりもない。

 それは怖気づいたわけではなく、強者ゆえの余裕から来る発言だったのだろう。
 勝敗や生死では変動することのない、絶対的な強者。

「……くだらないな」

 おにぎりを前に、雲雀はそう吐き捨てた。
 雲雀が一番理解できないのは、今こうして思い悩んでいる自分自身だ。
 彼女は“宮野アゲハ”であり、自分以上の強者である。
 何も知らなくても、それさえ知っていれば満足だったはずだ。
 それが、今日自分が知らない彼女の一面を見せつけられた。
 決して踏み込むことのできない領域を目の当たりにした気がした。
 それを、どうして歯がゆいと思うのか。
 アゲハのことを何も知らない、その事実をどうして苦しいと思うのか。
 どうして、あの時。
 彼女が出て行った時、無意識に手を伸ばしかけたのか。
 呼び止めたとして、一体何を言うつもりだったのか。

「失礼します。委員長」

 ノックと共に、副委員長の草壁が入って来た。

「委員長、今度の委員会の会議のことでお話が――どうかされましたか?」

 声を掛けても全く反応のない雲雀を不審に思い、草壁が不思議そうに雲雀の元へ歩み寄る。
 デスクの傍まで近づいた草壁は、そこで机上のおにぎりの存在に気づいたのだった。

「あれ、そのおにぎりどうしたんですか? さっき部屋に伺った時にはなかったような……」
「……君が気にしなくていいよ」

 草壁の質問をあしらい、会議の報告を促そうとする前に、草壁が何かを思い出したようにああ、と声を上げた。

「そういえば、今日は一年の家庭科でおにぎり実習がありましたね」

 その言葉に、ぴくり、と雲雀が反応した。
 草壁はそんな雲雀の変化に気づかず、空中に視線を投げながら続ける。

「女子は作ったおにぎりを気になる男子にあげるという風習があるようですが、もしかして委員長も――ふべっ!」

 台詞の途中で、草壁は頬に走った強い衝撃で部屋の隅まで吹っ飛ばされた。
 意識が朦朧となりながら身体を起こした草壁が見たものは、いつの間にか右手に愛用の武器を携えた主の姿だった。

「――草壁」
「は、はいっ!」

 醸し出される威圧感と普段より心なし低い声色に、草壁は背筋を伸ばす。
 しかし、続いた言葉は思いもよらないものだった。

「校内の見回りの時間じゃなかった?」
「えっ? ……あっ、はい! 行ってきます!!」

 大声で返事をすると、腫れた頬を押さえながら駆け込むように応接室を出て行った。
 静かになった応接室で、雲雀はトンファーを仕舞い椅子に座り直した。
 その時否応なく目に入ったおにぎりに、先ほどの草壁の言葉が甦る。

――女子は作ったおにぎりを気になる男子にあげるという風習があるようですが、もしかして委員長も――

 くだらない、ともう一度呟いた。
 強者には、弱みも苦悩も混乱も、恋も必要ない。

その混乱は故意ではない

(了)
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