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ポッキーの日

『11月11日はポッキーの日!』

カラフルなゴシック体で書かれたそのポップを睨みつけるように見据えた空乃が、レジ前のお菓子売り場に立ち尽くしていた。歴史の波に呑まれることなく今なお誰もが知る有名お菓子"ポッキー"の箱を片手に、彼は思う。

――これを上手く使えば、あの人の優位に立てるのではないか?

幼少期は父から厳しいピアノのレッスンを受け、その後士官学校にて戦闘訓練に打ち込んでいた彼は、あまり世情には詳しくない。故にポッキーの日恒例である"ポッキーゲーム"のルールも、以前班員のトアが暇つぶしの世間話で言及していた内容でしか把握してはいないが、しかしそれが一般的には恋人間で行われ、最終的には接吻に至るものであるというやや大雑把な認識ぐらいは持ち合わせていた。
さて。では彼の恋人、不知火茜はどうだろうか。
本人が話したがらないために彼の来歴を空乃は知らない。だがあの若さで班を束ねる立場だ。流石茜さんかっこいい、ではなく。空乃と同様、少しばかり世間知らずなのではないか、と。
空乃は茜をある意味神聖視しているがために、そういった俗っぽいことに詳しい不知火茜を想像できなかったということもあるが。しかし彼の想像は、あながち的はずれとも言い難いものだった。
空乃は山のように積まれたポッキーの箱の中から、"大人なビターの味わい"というキャッチコピーが印刷されているものを手に取った。そして、夕飯の食材が入った買い物カゴの中へと滑り込ませる。
そのままレジへと進む彼の足取りは、いつもより少しだけ軽やかだった。



「茜さん。ポッキーの日おめでとうございます」

夕飯を食べ終え、風呂を済ませて。2人並んでぼんやりとテレビを見ていたところで、空乃はタイミングを見計らってそう切り出した。本来ポッキーの日は"おめでとう"と祝うものではないのだが、あくまでも彼のそれは付焼き刃の知識である。大目に見て頂きたい。
きょとんと目を瞬かせる茜を置いて彼は立ち上がると、冷蔵庫から買っておいたポッキーの箱を取り出して、先ほどまで座っていたソファの左側に正座した。そのポッキーの箱を開封しながら、「ポッキーゲームって知ってますか」と茜に問う。

「ああ、確か……トアがそんなこと言ってたな。この時期はそればかりだ、って」
「俺は知らなかったんですけど、意外とベタなゲームらしいですね。両側からポッキーを食べてって、先に折った方が負けだそうです」

ふぅん、とうなづいた茜に、空乃は袋から一本のポッキーを取り出すと、チョコのついた先端を茜へ突きつけた。

「負けた方が勝った方のいうことをなんでも聞く。引き分けならもう一回。で、どうです」

すると茜は一瞬だけ目を丸くして、それから意図を汲んだようにくすりと笑った。そうして、「了解」と呟くと空乃の方へ向き直る。

この時点で空乃には、勝算があった。
案の定茜はポッキーゲームを知らなかった。であれば、よくわかっていないうちに押し切ってゲームを始めてしまえばいい。そうして電撃戦に持ち込めば、先に心の準備を終えている自分の方が勝つ、と。
勝ったら何をして貰おうか。まぁとりあえず縛らせて貰って主導権を握ろう。そんなことを考えながら、彼はポッキーの片端を咥える。同様に反対側を茜が咥えたのを見て、目線でゲームの開始を告げる。互いに一口目を齧ったところで、ようやく彼は気がついた。
ポッキー1本分にまで近づいた夕焼け色の瞳が、静かに伏せられる。片手が押さえた横髪をゆるりと耳にかけて、風呂上がりでまだ少し湿った毛先から落ちた雫が、頬から首筋へと。
その光景を引き込まれるように呆然と見つめていた空乃の正面で、再び開かれた夕焼け色が、笑う。
瞬間、思わず彼はばきりとポッキーを折り砕いた。

実を言うと茜は、本人は気付いていないが面食いな気質のあるそら相手なら確実に勝てるとルールを聞いた時点で確信していたのだが、空乃がそれを知るはずもない。
兎にも角にも茜の想定通り自滅した空乃は両手で顔を覆うと、か細い声で「茜さんの顔が良すぎて辛い……」と呟いた。
それを黙殺し、茜はゆっくりと手を伸ばす。今だ俯き赤い顔を隠している空乃は気がつかない。

「そういうのほんと……ほんと良くないと思います……」
「はは。――で、そら?」

茜だけが呼ぶその愛称を聞いて空乃が顔を上げた途端、柔く、しかししっかりと彼の両手は茜のそれに捕らえられる。そのままとさりとソファの上に押し倒された空乃が自身の状況を認識してまた顔を赤らめるのを楽しそうに見下ろして、茜は彼にしては珍しく、にやりと微笑んだ。

「なにしてもいい、んだっけ?」
「あ、ああ、あ、あかね、さん?これは、その」
「じゃあ、」

頂きます、と耳元で囁かれば、空乃にもう選択肢は残されていなかった。
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