Nameless
蛍守灯真がドアを開けると、いつもと同じ作戦室が異様な光景に変わっていた。
壁のように立ち並ぶ衣装書けには色鮮やかな女物のドレスがぎっしりと掛けられていて、床一面に靴やバックアクセサリー等(これらも当然のように女物だ)が放り出されている。まるでどこぞのハッカーの私室のような有り様だが、しかし此処は作戦室。彼女の散らかし癖は自分のテリトリーに限定されていたはずだし、なにより灯真が出発する際にはこうはなっていなかった。一体自分が任務に出かけている間に何があったのか。
頭痛を感じた気がしてこめかみに手をやった彼に、部屋の隅の方から声がかかった。
「おかえり、"蛍"。お疲れ様」
ドレス類に気を取られていたせいで気がつかなかったが、どうやらちゃんと仲間達は室内にいたらしい。聞き慣れた班長の声に振り返った灯真は、視界に入ったその姿についに目眩を覚えた。
彼の旧友であり、かつ敬愛し忠誠を誓う班長、不知火茜は真紅のロングドレスを身にまとっていたのだ。
「……なにをやってるんだお前は」
「いやいや、さすがに趣味とかじゃあないから。仕事だよ、仕事」
そんな仕事あってたまるかと思わずそちらを睨めば、彼は気にした様子もなくからからと笑った。よく見ればその手には茜の髪色と同じ色をした、ロングヘアのカツラがある。ハイヒールまで穿いている癖にいつもと同じ仕草で椅子に座っているものだから、違和感が酷い。
深く重いため息を吐き出して、もう一度衣装の山の方を見る。先ほどは気づかなかったがどうやら奥に誰かがいるらしい。全く状況が読めない、ともう一度ため息を吐いたところで、背後のドアが開いた。
「うわ、まだやってたんだ」
開口1番そう言った青年――セナは灯真に気がつくと、お疲れ様です、と頭を下げた。彼はそのまま茜の元へと近づいて行くと、片手に持ったカップを差し出す。
礼を言ってそれを受け取った茜がカップを傾けるのを横目に、灯真はセナへと目線で訴えた。
説明しろ。
すると彼は困ったように苦笑いを浮かべて、こう答える。
「おれもよくわかんねぇんですけどねー。なんか茜さんに女装してパーティに潜入しろって指令がきたらしくって。んで盛り上がったトアと空乃によって茜さんが着せ替え人形になってる的な」
「……俺はどこから突っ込めばいいんだ」
「ちなみにおれは"なんで上層部女装させようと思ったんだ普通に女性潜入官使えよ"ってとこから突っ込みました。そんで、オズはミロク連れてさっき逃亡しました」
「あの野郎それでいなかったのか」
こういう時止めるのもお前の役目だろうと、此処にはいないかの魔術師への不満を呟けば、遠い目をしたセナがこくこくとうなづいた。状況から見てこいつは逃げそこなったのだろうか。可哀想に。灯真は柄にもなくそう思う。
すると。
「あの変態中将茜さんのことだーいすきだからねぇ。この際自分の性癖に合うカッコさせようとか思ったんじゃない?趣味わるーい」
しゃっ、と勢いよくドレスを掻き分けて、噂の彼女――トアが顔を出す。その手のハンガーには、黒いゴシック調のドレス一式が掛けられていた。茜さんにゴスロリは無くなぁい?、なんて不満げにひとりごちて、トアはそれを灯真に押し付けた。反射的に受け取ってしまった彼がこれは、と問うと、彼女はアクア色のツインテールを揺らしながら支給品と答える。
「その潜入指令出してきた中将さんから茜さんへとプレゼントー。これを着て出たらどうかね、だってぇ。正直どうかと思うー」
それには同意するがしかしなぜ俺に渡す?と彼女を見やると、トアは相変わらずの感情の読めない表情でこう言った。
「気持ち悪いからぁ、処分お願いしよっかなぁって。突っ返すかお焚き上げかはとーまさんに任せまーす」
「おい、」
「茜さーん、ちょっと待ってて下さいねぇ。今ボクと空乃で茜さんにいっちばん似合うアクセ見繕いますからぁ」
やっぱ茜さんは赤かなぁ、なんて呟きを残して、彼女は再び衣装の山の奥へと消える。思わず無言のままゴスロリというらしい黒いドレスと隣の茜とを交互に見つめると、なんとも言えない顔をしたセナと目が合った。おそらく自分も、彼の同じような表情をしていることだろう。しばしの静寂に包まれた彼らに反し、衣装の壁の向こう側ではきゃいきゃいと楽しそうな声が聞こえてくる。3人の沈黙を破ったのは、最初から一部始終を理解していた茜だった。
「まぁつまり、そういうことなんだけど」
「……知りたくなかった」
「おれもおれも」
「うーむ、つまりその中将殿は茜サンを手篭めにしたいわけだな。あれ、でも茜サンと空乃ってそうゆうカンケイじゃなかったっけ。それって浮気っていうんじゃないのか?」
「話をややこしくするな馬鹿」
同じく任務から帰投し事情を聞いた"遥"が真面目な顔でそう言い放ち、灯真はスパンと彼の後頭部を叩いた。大して痛がる素振りも見せずにおや違ったかと顎に手をやったその少年に、灯真は本日3度目のため息を吐く。ちなみに先ほどのゴスロリ衣装は審議の末、返すのも気持ち悪いということで灯真の刀に切り刻まれゴミ袋に詰められた。服に罪はない。持ち主がアレだっただけだ。
閑話休題。
4人はそれぞれ席に腰掛け、事態が進展するのをぼんやりと待っていた。遥と共に戻ってきた軍用犬のグロウがいつものように茜の足元に控えようとしてドレスの裾に顔を突っ込んでしまい混乱していたのを救出して、トアと空乃が出てくるのを待つ。他に仕事があれば無理やりに事を収束させることも出来たのだが、生憎と本日の業務は全て終了していた。誠に遺憾である。
「っていうかさ、うちの諜報担当はセナだろ?」
その言葉に、3人の視線が一気にセナへと向けられる。そういえばそうだなと茜が呟いた途端、彼は顔を引きつらせ慌てて口を開いた。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいそれは違うでしょう!ねぇ!?落ち着いて考えてくださいよ俺がハイヒールなんて履き慣れてると思いますか!?」
「その言い方だと俺は履き慣れてるみたいだからやめてくれ」
「違い、違いますけども、とにかく違うんです!俺は確かに諜報担当ですけど女装は別に担当してないっていうか」
「女装担当なんていたら俺はとっくにこの班辞めてるぞ」
「……いやあの、えっと、そうじゃなくてそのー……ほら!ここで1番若いの遥でしょ!女装なら遥のほうが似合いますって!」
「おれの次に年下なのってセナじゃなかったっけ」
「セナだな、確か」
「そもそも年齢じゃ大して変わらないだろ」
「逃げ場がない!!」
ついに言い訳も思いつかなくなったのか、セナはわっと声を上げてテーブルに突っ伏した。その肩をぽんと叩いて、茜が笑う。
「冗談だから安心しろ」
「あ、茜さん……」
「この班のリーダーは俺だからな。大丈夫。班員の醜態は俺が守るよ」
「茜さん!」
「おお、さすが茜サン」
「お前ら頼むから冷静になれ」
というか醜態っていう自覚はあったのか。
じゃあさっさとなんとかしろよと思わなくもないが、今更だ。早々に諦めることにした灯真は、不意に視界に入った遥がなにやら考え込んでいるのを見た。
どうかしたかと彼が声をかけるより先に、再び乱暴に衣装が掻き分けられ、空乃とトアが顔を出した。
空乃は、いつもの仏頂面が嘘のように楽しそうな表情を浮かべていた。その手にあるのが数種類のアクセサリーでなければ、きっと微笑ましい光景だっただろう。それを見て、灯真は悟る。
――成程。これは茜には、止められない訳だ。
彼は長年の旧友が、恋人である空乃を大切に想っていることを知っていた。ふとそちらを見れば、茜の夕焼け色の瞳が灯真を捉える。
可愛いだろ?と
どこか楽しげに小さく囁かれたその言葉を、灯真以外に聞いたものはいないだろう。
こいつも随分と丸くなったものだ、と呆れ混じりの視線を返せば、気がついていないのだろう空乃とトアが手にしたアクセサリーを茜の前に突き出した。先に口火を切ったのは、空乃だった。
「茜さん茜さん、金と銀どっちがいいですか?」
「ボクはどっちでも似合うと思うんだけどねぇ。ドレスが大人っぽい暗い赤だから細身のやつでー、あんまり下品な派手さは茜さんっぽくないから却下ー。デザイン的にもこの2つのどっちかだと思いますけどぉ」
「えー……じゃあ、銀」
「了解。あ、あと茜さん。今じゃなくていいんで本番着た後写真撮らせてください」
「だーめ」
「……一枚!一枚でいいですから」
「だーめ」
「そ、そんな……!」
どうやらまだまだ時間はかかりそうだと、灯真は深く椅子に座りなおした。オズとミロクが帰ってくるのとどちらが早いだろうか。そうひとりごちていると、突然隊服の裾を引かれる。振り返れば、いつの間にか側に来ていた遥が真剣な表情で言う。
「おれ、灯真サンにはエプロンで"ご飯にする?お風呂にする?それともお・れ?"が1番合ってるシチュだと思うんだけど今度やって見せてくんない?」
「死ね」
壁のように立ち並ぶ衣装書けには色鮮やかな女物のドレスがぎっしりと掛けられていて、床一面に靴やバックアクセサリー等(これらも当然のように女物だ)が放り出されている。まるでどこぞのハッカーの私室のような有り様だが、しかし此処は作戦室。彼女の散らかし癖は自分のテリトリーに限定されていたはずだし、なにより灯真が出発する際にはこうはなっていなかった。一体自分が任務に出かけている間に何があったのか。
頭痛を感じた気がしてこめかみに手をやった彼に、部屋の隅の方から声がかかった。
「おかえり、"蛍"。お疲れ様」
ドレス類に気を取られていたせいで気がつかなかったが、どうやらちゃんと仲間達は室内にいたらしい。聞き慣れた班長の声に振り返った灯真は、視界に入ったその姿についに目眩を覚えた。
彼の旧友であり、かつ敬愛し忠誠を誓う班長、不知火茜は真紅のロングドレスを身にまとっていたのだ。
「……なにをやってるんだお前は」
「いやいや、さすがに趣味とかじゃあないから。仕事だよ、仕事」
そんな仕事あってたまるかと思わずそちらを睨めば、彼は気にした様子もなくからからと笑った。よく見ればその手には茜の髪色と同じ色をした、ロングヘアのカツラがある。ハイヒールまで穿いている癖にいつもと同じ仕草で椅子に座っているものだから、違和感が酷い。
深く重いため息を吐き出して、もう一度衣装の山の方を見る。先ほどは気づかなかったがどうやら奥に誰かがいるらしい。全く状況が読めない、ともう一度ため息を吐いたところで、背後のドアが開いた。
「うわ、まだやってたんだ」
開口1番そう言った青年――セナは灯真に気がつくと、お疲れ様です、と頭を下げた。彼はそのまま茜の元へと近づいて行くと、片手に持ったカップを差し出す。
礼を言ってそれを受け取った茜がカップを傾けるのを横目に、灯真はセナへと目線で訴えた。
説明しろ。
すると彼は困ったように苦笑いを浮かべて、こう答える。
「おれもよくわかんねぇんですけどねー。なんか茜さんに女装してパーティに潜入しろって指令がきたらしくって。んで盛り上がったトアと空乃によって茜さんが着せ替え人形になってる的な」
「……俺はどこから突っ込めばいいんだ」
「ちなみにおれは"なんで上層部女装させようと思ったんだ普通に女性潜入官使えよ"ってとこから突っ込みました。そんで、オズはミロク連れてさっき逃亡しました」
「あの野郎それでいなかったのか」
こういう時止めるのもお前の役目だろうと、此処にはいないかの魔術師への不満を呟けば、遠い目をしたセナがこくこくとうなづいた。状況から見てこいつは逃げそこなったのだろうか。可哀想に。灯真は柄にもなくそう思う。
すると。
「あの変態中将茜さんのことだーいすきだからねぇ。この際自分の性癖に合うカッコさせようとか思ったんじゃない?趣味わるーい」
しゃっ、と勢いよくドレスを掻き分けて、噂の彼女――トアが顔を出す。その手のハンガーには、黒いゴシック調のドレス一式が掛けられていた。茜さんにゴスロリは無くなぁい?、なんて不満げにひとりごちて、トアはそれを灯真に押し付けた。反射的に受け取ってしまった彼がこれは、と問うと、彼女はアクア色のツインテールを揺らしながら支給品と答える。
「その潜入指令出してきた中将さんから茜さんへとプレゼントー。これを着て出たらどうかね、だってぇ。正直どうかと思うー」
それには同意するがしかしなぜ俺に渡す?と彼女を見やると、トアは相変わらずの感情の読めない表情でこう言った。
「気持ち悪いからぁ、処分お願いしよっかなぁって。突っ返すかお焚き上げかはとーまさんに任せまーす」
「おい、」
「茜さーん、ちょっと待ってて下さいねぇ。今ボクと空乃で茜さんにいっちばん似合うアクセ見繕いますからぁ」
やっぱ茜さんは赤かなぁ、なんて呟きを残して、彼女は再び衣装の山の奥へと消える。思わず無言のままゴスロリというらしい黒いドレスと隣の茜とを交互に見つめると、なんとも言えない顔をしたセナと目が合った。おそらく自分も、彼の同じような表情をしていることだろう。しばしの静寂に包まれた彼らに反し、衣装の壁の向こう側ではきゃいきゃいと楽しそうな声が聞こえてくる。3人の沈黙を破ったのは、最初から一部始終を理解していた茜だった。
「まぁつまり、そういうことなんだけど」
「……知りたくなかった」
「おれもおれも」
「うーむ、つまりその中将殿は茜サンを手篭めにしたいわけだな。あれ、でも茜サンと空乃ってそうゆうカンケイじゃなかったっけ。それって浮気っていうんじゃないのか?」
「話をややこしくするな馬鹿」
同じく任務から帰投し事情を聞いた"遥"が真面目な顔でそう言い放ち、灯真はスパンと彼の後頭部を叩いた。大して痛がる素振りも見せずにおや違ったかと顎に手をやったその少年に、灯真は本日3度目のため息を吐く。ちなみに先ほどのゴスロリ衣装は審議の末、返すのも気持ち悪いということで灯真の刀に切り刻まれゴミ袋に詰められた。服に罪はない。持ち主がアレだっただけだ。
閑話休題。
4人はそれぞれ席に腰掛け、事態が進展するのをぼんやりと待っていた。遥と共に戻ってきた軍用犬のグロウがいつものように茜の足元に控えようとしてドレスの裾に顔を突っ込んでしまい混乱していたのを救出して、トアと空乃が出てくるのを待つ。他に仕事があれば無理やりに事を収束させることも出来たのだが、生憎と本日の業務は全て終了していた。誠に遺憾である。
「っていうかさ、うちの諜報担当はセナだろ?」
その言葉に、3人の視線が一気にセナへと向けられる。そういえばそうだなと茜が呟いた途端、彼は顔を引きつらせ慌てて口を開いた。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいそれは違うでしょう!ねぇ!?落ち着いて考えてくださいよ俺がハイヒールなんて履き慣れてると思いますか!?」
「その言い方だと俺は履き慣れてるみたいだからやめてくれ」
「違い、違いますけども、とにかく違うんです!俺は確かに諜報担当ですけど女装は別に担当してないっていうか」
「女装担当なんていたら俺はとっくにこの班辞めてるぞ」
「……いやあの、えっと、そうじゃなくてそのー……ほら!ここで1番若いの遥でしょ!女装なら遥のほうが似合いますって!」
「おれの次に年下なのってセナじゃなかったっけ」
「セナだな、確か」
「そもそも年齢じゃ大して変わらないだろ」
「逃げ場がない!!」
ついに言い訳も思いつかなくなったのか、セナはわっと声を上げてテーブルに突っ伏した。その肩をぽんと叩いて、茜が笑う。
「冗談だから安心しろ」
「あ、茜さん……」
「この班のリーダーは俺だからな。大丈夫。班員の醜態は俺が守るよ」
「茜さん!」
「おお、さすが茜サン」
「お前ら頼むから冷静になれ」
というか醜態っていう自覚はあったのか。
じゃあさっさとなんとかしろよと思わなくもないが、今更だ。早々に諦めることにした灯真は、不意に視界に入った遥がなにやら考え込んでいるのを見た。
どうかしたかと彼が声をかけるより先に、再び乱暴に衣装が掻き分けられ、空乃とトアが顔を出した。
空乃は、いつもの仏頂面が嘘のように楽しそうな表情を浮かべていた。その手にあるのが数種類のアクセサリーでなければ、きっと微笑ましい光景だっただろう。それを見て、灯真は悟る。
――成程。これは茜には、止められない訳だ。
彼は長年の旧友が、恋人である空乃を大切に想っていることを知っていた。ふとそちらを見れば、茜の夕焼け色の瞳が灯真を捉える。
可愛いだろ?と
どこか楽しげに小さく囁かれたその言葉を、灯真以外に聞いたものはいないだろう。
こいつも随分と丸くなったものだ、と呆れ混じりの視線を返せば、気がついていないのだろう空乃とトアが手にしたアクセサリーを茜の前に突き出した。先に口火を切ったのは、空乃だった。
「茜さん茜さん、金と銀どっちがいいですか?」
「ボクはどっちでも似合うと思うんだけどねぇ。ドレスが大人っぽい暗い赤だから細身のやつでー、あんまり下品な派手さは茜さんっぽくないから却下ー。デザイン的にもこの2つのどっちかだと思いますけどぉ」
「えー……じゃあ、銀」
「了解。あ、あと茜さん。今じゃなくていいんで本番着た後写真撮らせてください」
「だーめ」
「……一枚!一枚でいいですから」
「だーめ」
「そ、そんな……!」
どうやらまだまだ時間はかかりそうだと、灯真は深く椅子に座りなおした。オズとミロクが帰ってくるのとどちらが早いだろうか。そうひとりごちていると、突然隊服の裾を引かれる。振り返れば、いつの間にか側に来ていた遥が真剣な表情で言う。
「おれ、灯真サンにはエプロンで"ご飯にする?お風呂にする?それともお・れ?"が1番合ってるシチュだと思うんだけど今度やって見せてくんない?」
「死ね」