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鬼と火椿

宙に散った血液が、形を変える。
それは熱もなく燃える椿の花弁。
地面に落ちた数枚の花弁が一輪の炎の花を形成するのをぼんやりと見下ろして、おれは短刀を置いた。
つい先ほど裂いた手首の傷は、既に消えている。

「花鬼」。
そういう名前の生き物であることは、物心ついてすぐに村の大人から知らされた。流れた血液が花へと変わる不死の化け物であると、実際に喉を刀で突かれて見せつけられた。引き抜かれた瞬間に飛び散った血液が花弁になり、致命傷に近いはずの傷は始めからなかったみたいに消え失せて。自身の不気味さに耐えきれず吐き出した血は、椿の花の形をしていた。火の魔力を宿しているために炎を固めたような花になるのだとわざわざ手の上に乗せられたその花は、確かに炎で出来ていたのに不思議と熱くはなかった。
その瞬間、多分おれは幻滅したのだと思う。
何にと問われれば答えに詰まるけれど、自分が斬られようが穿たれようが毒されようが死なない、死ねない化け物だと知って。きっと何かを諦めた。

地面に咲いた椿を足先で踏み崩した時、ふいに頭上に影が射した。見上げれば、大きく「亞之弍一」と書かれた顔布をつけた和装の子供がこちらを覗いていた。布の隙間から見える赤い目には、全く同じ格好をして「亞之弍二」という顔布をつけたおれの姿が映っている。

「なにしてんの」
「別に」

その返答にふぅん、と曖昧にうなづいて、子どもはおれが腰掛けている大きな岩に寄りかかった。年に似合わないふてぶてしい仕草は、相変わらずだ。

「お前こそ何しに来たんだよ」
「そろそろ"儀式"の時間だって呼びに来てやったんだろーが。てめぇのことだから此処にいると思って」

当たりだったなぁとからから笑うそいつから視線を逸らして、奥にそびえる古びた社に目をやった。もう随分前に参拝客の途絶えたこの神社がいつから存在しているのか、おれは知らない。ただいつ崩れてもおかしくないような外観からして、きっとずっと昔からあるのだろう。
まるで時間が止まってしまったみたいなこの場所が、村で唯一落ち着ける場所だった。
錆びついた朱塗りの鳥居越しに沈みかけの陽が見える。

「そういえば、知ってるか?」

岩の上から飛び降りたおれを横目に、そいつは突然楽しそうな声色で言い出した。振り返ってなんとなく続きを促せば、朗々とそいつは応える。

「お社の地下には、この村のたからものが眠ってるんだってさ」




鈴の音が聞こえた気がして、おれは目を覚ました。

床に手をついて体を起こす。そこら一帯を埋めつくす紅い花が鬱陶しくて、視界からその色を追い出すようにおれは仰向けに横たわった。薄暗い天井はもう見慣れている。
背骨が露出するほどに斬り付けられた背中がびりびりと痛む。どうせすぐに傷は消えるのだから痛みも一緒に無くなってくれればいいのに、生憎とその感覚は深く長く体に残るのだ。それに加えて今日は血を流し過ぎたのか、やけに体が怠かった。儀式はとうに終わっているはずなのに、部屋を出て行く気力も無い。
あいつはどうしたのだろうか。
「亞之弍一」という番号しか知らないけれど、この村でまともに会話をしたことがあるのはあいつだけだった。きっと同じように斬られたり刺されたり、薬を使われたりしていると思うのだけれど。死にはしないだろうが、さすがに内臓を弄られたりしたら治るのに時間がかかる。それに、痛いのは変わらない。
手が届かない程の高さに作られた木枠の窓から覗く銀の月が、作り物みたいに綺麗な真円だった。

鈴の音が聞こえる。



からりからりとたくさんの風車が並んで回っている。
「禹之参五」という顔布をつけた女性が、その内の1つを抜き取って「柄之玖二」の子供に渡す。「花鬼」の証拠ともいえる2人の赤髪と揃いの色の風車が、子どもの手の中で風も無いのに軽やかに回った。おれは彼らの横を黙って通り過ぎて、いつもの神社へと急いだ。
やはり社に人気はない。鳥居を潜り、苔生した大岩に手をかけて。よじ登ろうとしたその瞬間に、ふと。

振り返る。やはり誰もいない。
静寂に包まれた境内には草木だのせせらぎだのの環境音だけが存在していて、足音も息使いも聞こえない。
けれど、無視することもできずにおれは社に目を向ける。
何も聞こえないし何も見えない。それなのに、ずっと。

見られている。今もなお。

思い出したのは、昨日のあいつの言葉。

"お社の地下には、この村のたからものが――"

「……馬鹿馬鹿しい」

そう思う。
そもそも一体誰がこんな廃れた神社にたからものなんて埋めるというのか。噂話にしたって信憑性は低い。おれが偶々此処に立ち寄っただけの人間だったのなら、多少の違和感くらい無視して家に帰っただろう。
ただおれは偶然此処に訪れた訳ではなく、帰るべき家もなく、ヒトですらないのだ。夕暮れまで時間を潰して"儀式"に向かい、気を失っている間に朝になる。その繰り返しで、無意味な時間はいくらでも余っていた。
だからおれは大岩から離れて、参道を進む。賽銭箱によじ登り、社の木製の扉に手をかける。古びた南京錠は、大して力を入れなくてもばきりと壊れた。


社の中は、少し先も見えないくらいに暗かった。湿った木の匂いが鼻をつく。もう少し準備をしてくれば良かった、とため息を吐いたところで、遠くの床が僅かに光る。手探りで壁を見つけて、それを伝い光のもとへと向かう。なんとかたどり着いてようやく暗闇に慣れてきた目を凝らすと、それがガラスの破片であることがわかった。これならなんとかなりそうだとガラス片を拾い、少し迷って鋭く尖ったそれを左の手のひらに添えた。
びい、とそのまま横に動かせば、裂けた皮膚から漏れ出した血液が手のひらからこぼれ落ちる。切れ味の低いガラス片で切った傷はじんじんと熱を伴って痛んだ。次第に手の上で血の椿が咲いて、それがほんのりと蝋燭のように灯る。光源としては少し弱いが、足元や目の前を照らすだけならば充分だ。
赤みがかった橙色の灯を傾けて周囲を見渡す。
ゆっくりと足を進めれば、冷たい金属の感触がつま先を伝った。

しゃがみこんでその正体を見る。
それは、床に取り付けられた扉の縁だった。



下へと続く階段を、ひたすら降り続けている。どこかで裸足のままだった足裏か何かを切ったのだろう。一段一段降りるごとに血が滴って、赤い花の足跡を作る。一定の間隔を空けて灯った明かりのおかげで、先ほどよりも進むのに苦労はしなかった。
暗闇の中に一人きりでいると、色々なことが頭を過ぎった。この穴はどこまで続いているのだろうかとか、帰ることはできるのだろうかとか。わけのわからない生き物である自分のことも、同胞である他の村人のことも。"儀式"と称された、目的もわからない暴力のことも。儀式の時間までに帰れなければきっとひどい折檻を受けるのだろう。どうせ死にはしないけれど、痛いのは嫌いだった。痛いだけなのは、嫌いだった。そういえば昨日からあいつの姿を見ていない。また迎えに来るのだろうか。まるでそう誰かに決められているみたいに、いつも同じ時間にあいつは来る。それ以外の時間何をしているのか、尋ねたことはない。もしも此処からちゃんとあの場所に戻れて、ちゃんといつも通りにあいつに会ったなら、訊いてみてもいいかもしれない。
と、そんなことを考えながら階段を降り続けて――そのうちに、出口らしき扉の前へと着いた。隙間から少しだけ向こう側の光が漏れている。
一瞬躊躇して、振り返る。そこにはおれが歩いて来た道筋が、炎の花で示されていた。はらり、はらりと花弁が崩れていくが、まだしばらくは灯りの代わりをしてくれそうだ。そう1人ごちて、おれは扉の取っ手を掴む。
その扉は押し戸だった。
ぎい、と軋むような音を立てて木製の扉は開き、室内の様子が目に入る。

壁一面に張り巡らされたしめ縄と、銀の鈴。
村には不釣り合いなよくわからないコンピュータの群れ。
それから、中央に置かれた円柱の水槽の中に。
腹から上だけしか残っていない紅角の――鬼が。

「え、……ぅ、ぐ」

鬼には両腕が無く、さらに両の目も抉り出されているようだった。柔く伏せられた双眸から、がらんどうの眼孔が見えて。おれは咄嗟に手で口元を覆った。
なんだ、これは。
一体何が起こっている?

おれは吐き気を堪えながら、引き寄せられるように水槽へと近付いた。鬼の体に繋がれたコードは水槽を通ってコンピュータへと接続されている。電子機器などまともに見たのだってこれが初めてだったから、なんの役割を果たしているのかなんて想像もつかない。
鬼は、暗い紅色の角を額の両端に持っていた。
ところどころ橙色の混じった白髪が、水中で泡を伴いゆれている。
生きている、のか。
生きているといえるのか?
力の抜けた両足ががくんと膝から折れて、おれはその場に座り込む。気持ちが悪かった。気持ちが悪いと、思った。だってその鬼は、おれと全く同じ顔をしていたのだ。
違うのは角と髪の色くらいで――と、おそるおそる水槽を見上げて。そのガラスに反射して映っている、乱雑に放られた紙束が目についた。足元を見れば、先ほどは気づかなかったけれど確かに数冊の紙束が転がっている。
少しでも状況を理解したくて、おれはそれらに手を伸ばす。
それがきっと、1番の間違いだったのだろう。
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