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原初の魔術師とあくまのこ

青い瞳と紫の瞳。
その両方を左右に揃えた青年は、今まで少年が見てきたどんな人間とも違っていた。フードのついたコートに身を包んだ姿は人々が少年に刷り込んだ悪魔そのもののようで、しかし少年へ「神罰」を下すどの神官よりも神聖なものに見える。薄暗くカビ臭いこんな牢の中でも、青年の存在は一欠片も汚されることなく美しかった。

本を抱えたままきょとんとしている少年を、青年は黙って見下ろしている。それから、少年にはわからない異国の言葉で何かを言う。少年が素直に首を傾げると、言葉が通じていないことをわかったのか青年は面倒臭そうにため息を吐いた。
コートのポケットに収められていた青年の手がするりと外へ出て、何かを空中に描く。瞬間、少年の耳にからん、という軽い音が届いた。同時にただでさえ静かな牢の中で微かに拾えていた環境音が遠ざかる。少年は知る由もないが水中にいる時と似たその状況で、青年の声だけがはっきりと聞こえてくる。

「まさか数百年ぶりに使う魔術が最初からこれとはな……」

少年は思わず、自分の耳を押さえた。確かに周囲の音が異様なものになったことにも驚いたのだが、何よりもまず、青年の言葉を"理解できている"自分に驚愕していた。少年は、"魔術"や"数百年"の意味を知らない。しかしそれでも、おそらくは青年が意図した通りにその言葉を理解できているのだ。少年が目を瞬かせると、青年はその辺の木箱に腰掛けていった。

「お前の認識を俺の認識で塗り替えるっていう魔術だ。つまり……あぁ説明がめんどくせぇ。とりあえず不思議な力だって理解してりゃあいい」

なげやりにも取れるその言葉に、少年はこくりとうなづいた。実を言うとこの会話が、少年が生涯で初めて行った会話である。

「事情がよく読めないんだが、お前が俺を呼んだ術師なんだな?」

少年は首を横に振る。少年は術師でもなければ青年のことも知らない。呼べるはずがないのだ。すると青年は眉間に皺を寄せ、「はぁ?」と呟く。

「……んなわけないだろ。現に俺の封印は一部とはいえ解けてんだし……いや、そういえば魔法陣も魔術式もねぇな。このガキが詠唱無しであの封印が解けるような術師のようには見えないが。つーことは……勝手に呼応した、のか」

続いて少年は首を傾げた。用語自体は青年の"魔術"で理解できているのだが、青年が口にしている推測の意味がわからない。その様子に青年はもう一度深くため息をついて、ぐしゃぐしゃと髪をかき回す。

「よりにもよってこんなガキの魔力で、」
『あ、あー……!』

何故だか機嫌が悪そうな青年に、少年は勇気を振り絞って声をかけた。言葉を忘れた少年の舌はうまく動かず、意味のない発声に留まったけれども少年が何かを言わんとしていることは伝わったのだろう。少年を見た青年のオッドアイがわずかに細められ、「考えるだけでいい」と唇が動く。その助言に従って、少年は目を瞑ると必死に祈る。祈りは青年の魔術を通して意図した通りの言葉になり、檻の中に響く。

「逃げてください」

はぁ?と青年が眉を顰める。
一瞬怯んだ少年は、それでも続けた。

「逃げてください。おれに関わると貴方にも罰が下されてしまう」

「おれは"あくまのこ"だから、おれと一緒にいると貴方も穢れてしまう。貴方も神様に嫌われてしまう。神罰が下るんです。だから、」

逃げてください。
少年はひたすらにそう祈る。
青年は訝しげに少年を見据えていたが、しばらくして小さく笑った。少年は目を瞬かせる。それを気にも留めずつに笑い声を上げた青年は、ひどく歪んだ笑みを浮かべた。

「そりゃあまた随分と遅れた忠告だ。神様とやらがいるなら俺は100年以上前から嫌われてるだろうよ。裁かれる?違うな。判決を下すのは俺だ。お前を"悪魔の子"とよび神罰を落とすその人間の善悪を俺が決める。悪であるならばそれを世界に証明しよう。そのための力で、そのための魔術だ」

俺を呼んだのはお前だ。

青年は言う。
名前すら知らないのに、と少年が首を傾げると、お前が無意識に願っていたものが俺を呼んだんだと青年は答える。そんなものかと少年がうなづくと、そこでようやく思い出したかのように、青年は名乗る。

「オズヴァルド。俺の名だ」
『おず、う、ば、ると』

少年は反芻するように、実際に喉を震わせた。しかし幼さ故に発音が難しかったのか言いづらそうにする少年へ呆れたように、青年は「だったら"オズ"でいい」と言った。それならば言えるだろうと、少年は生まれて初めて意味のある言葉をその舌で紡いだ。

『オズ』

すると満足そうに青年はうなづき、感動に浸る少年へ語りかける。

「まずは自覚しろ。お前の根源、お前の願いを。こんな檻の中でそれでも失わなかった、手離せなかった心残り。自覚した瞬間それはより強い執念になる。その情動に呼応して、俺の封印は完全に解ける。そうだなその時は、せめてもの礼として俺の魔術を貸してやる」

少年は、静かにうなづいた。
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