夜が明ける前に
ここ数日通い詰めているとある病室の前で、深く息を吐く。半年前。不知火班の作戦室に初めて訪れた時のことを思い出す。あの日も今日と同じように酷く緊張していた。ただ違うのは、覚悟の有無と。中にいるのはあの人1人であることを知っている点と。
こんこんこん、と三回ノックして、声を上げる。
「柊です。失礼します」
中からの返事を聞いてからスライド式のドアを開けば、目に痛いほど白い病室の白いベッドの上に体を起こした班長が苦笑混じりにこちらを見る。
「お前今日非番じゃなかったか?」
「別に仕事で来てる訳じゃありませんから」
後ろ手にドアを閉めつつ、サイドテーブルの上を見る。そこには義肢のカタログが載っていた。どうやら俺を班長の身内か何かだと思い込んでいるらしい看護師がこっそり教えてくれた通り、この人が義足を検討しているというのは事実なのだろう。車椅子だとか他の選択肢もあるけれど、戦場に戻るつもりなら義足をつける以外に方法はない。
「……リハビリの進行早めるように、要請してるそうですね」
「……誰から聞いた?」
「ここに来る前、担当医の方に。これ以上は体の負担が大きいからって言っても引き下がってくれないから説得して欲しいと頼まれまして」
「あー……悪いな、迷惑かけて」
「いえ。そもそも、俺のせいですから」
本当にすみませんでした、と頭を下げると、お前はそればっかりだなぁと班長は笑った。それから、気にしなくて良い、とも。
そんなことができるわけもないのに。
いつもならここでこの話は終わりだった。班長がさりげなく話題を変えて、それで。だから、今日も勿論そのつもりだったのだろう班長が口を開くより先に俺は顔を上げて、面食らったような班長に向かって言う。
「それを承知の上で、失礼なことを言います。聞いてもらえますか?」
「ん?」
「俺は貴方に庇ってもらったおかげで無事でした。だけど、もう2度としないでください」
班長は、何も言わなかった。
柄にもないことをしているという自覚はあった。あんなにも波風を立てないよう、人の目から隠れて生きて来たくせに。けれど言わなければならないこともわかっていた。伝えなければならない。それが俺の責任で、俺のやるべきことだから。情けなく震える手を力一杯握りしめて、せめて声は揺るがないように息を吸う。
「貴方が死んだら意味がないんです。今回はそんな事態にはなりませんでしたけど、そういうことじゃなくて。貴方に庇ってもらって、自分の代わりに怪我をさせてまで無事でいたって、仕方ないんです。俺は、不知火班の1人ですから」
「――うん」
「最初はすぐに異動するつもりでした。でも貴方に見つけてもらって、貴方の期待に応えたいと思うようになりました。傲慢な考えですけど、貴方みたいな人に認めてもらったことが嬉しかったんです。限られた期間だけの上官だって思っていた一方で、本当はずっと、必要とされている間だけでも部下として貴方の役に立ちたかったんです」
異動願いを提出する機会なんていくらでもあった。
表面上だけ従順な部下を装うことなんて簡単だったし、訓練成績なんていくらでも手を抜けたのだ。
でもそれをしなかったのは。
いつだって班長に付き従って、らしくもなく張り切って訓練に挑んで、色々理屈をつけて異動願いの提出を見送った理由なんて1つだ。
蛍守さんは班長が俺に一目惚れしたなんて言っていたけれど、その実俺だってあの瞬間、あの茜色に目を奪われた。
一目惚れは――お互い様だ。
「……でも貴方は、すぐに自分が傷つく方を選ぶから。不知火茜が死んだら悲しむ人がいるって当たり前のことに気づいていないから。だから、――勝手についていくことにしました。最後までずっと、それこそ地獄の先までお供します。貴方が死んだら、もう俺は貴方の役には立てません。その時は勝手に自害します」
「おい、空乃……」
「貴方がそんな怪我を負ってまで生かした命です。責任とってください。俺は、とりあえず貴方の両足代わりになれるくらい頑張ってみますから」
簡単に死なせないでくださいね、と俺はなんとか笑顔を作る。こんな俺が生き急ぐ彼の足を引っ張ることができるなら、重石になれるのなら、それで良かった。
班長は珍しく口籠って、しばらくしてからようやく、ため息混じりに言った。
「変な奴だな。俺は多分、お前が命を預けるに足るような人間じゃないと思うけれど」
「貴方だって変な人でしょう。そんなに難しいこと言ってませんよ。長生きしてくれれば良いんです」
「簡単に言うけど結局は道連れにしろってことだろ。そんなの言ってくる奴お前が初めてだよ」
「迷惑ですか」
「1人の時より重たくはあるな。だけど確かに死んでもいいとは思わなくなった。それから、――不思議と迷惑でもない」
おもむろに伸ばされた腕が何を意味するのかを察して、俺はもう一歩ベッドへ近づいた。それからわずかに屈むと、いつもよりも少しだけ力強く頭を撫でられる。ぐしゃぐしゃに掻き回された髪の間から彼を伺うと、あの茜色と目があった。
穏やかな声が、言葉を紡ぐ。
「これからリハビリと勘を取り戻すのとで忙しくなる。それでも、元通りに作戦に参加できるようになるまでは時間がかかると思う。それでも、ついてきてくれるか?"そら"」
「勿論、貴方が望むならどこまででも。ただし無理は厳禁ですよ、茜さん」
指先を揃えた右手を、額の前に掲げる。正隊員式の敬礼を受けとって、茜さんはどこか楽しそうに笑った。
「あぁでも一つ申し上げておきたいんですが、俺、貴方の顔が好き過ぎて苦手なのであんまり直視できなくても多めに見て頂けたら幸いです」
「面白いこと言うなぁ」
こんこんこん、と三回ノックして、声を上げる。
「柊です。失礼します」
中からの返事を聞いてからスライド式のドアを開けば、目に痛いほど白い病室の白いベッドの上に体を起こした班長が苦笑混じりにこちらを見る。
「お前今日非番じゃなかったか?」
「別に仕事で来てる訳じゃありませんから」
後ろ手にドアを閉めつつ、サイドテーブルの上を見る。そこには義肢のカタログが載っていた。どうやら俺を班長の身内か何かだと思い込んでいるらしい看護師がこっそり教えてくれた通り、この人が義足を検討しているというのは事実なのだろう。車椅子だとか他の選択肢もあるけれど、戦場に戻るつもりなら義足をつける以外に方法はない。
「……リハビリの進行早めるように、要請してるそうですね」
「……誰から聞いた?」
「ここに来る前、担当医の方に。これ以上は体の負担が大きいからって言っても引き下がってくれないから説得して欲しいと頼まれまして」
「あー……悪いな、迷惑かけて」
「いえ。そもそも、俺のせいですから」
本当にすみませんでした、と頭を下げると、お前はそればっかりだなぁと班長は笑った。それから、気にしなくて良い、とも。
そんなことができるわけもないのに。
いつもならここでこの話は終わりだった。班長がさりげなく話題を変えて、それで。だから、今日も勿論そのつもりだったのだろう班長が口を開くより先に俺は顔を上げて、面食らったような班長に向かって言う。
「それを承知の上で、失礼なことを言います。聞いてもらえますか?」
「ん?」
「俺は貴方に庇ってもらったおかげで無事でした。だけど、もう2度としないでください」
班長は、何も言わなかった。
柄にもないことをしているという自覚はあった。あんなにも波風を立てないよう、人の目から隠れて生きて来たくせに。けれど言わなければならないこともわかっていた。伝えなければならない。それが俺の責任で、俺のやるべきことだから。情けなく震える手を力一杯握りしめて、せめて声は揺るがないように息を吸う。
「貴方が死んだら意味がないんです。今回はそんな事態にはなりませんでしたけど、そういうことじゃなくて。貴方に庇ってもらって、自分の代わりに怪我をさせてまで無事でいたって、仕方ないんです。俺は、不知火班の1人ですから」
「――うん」
「最初はすぐに異動するつもりでした。でも貴方に見つけてもらって、貴方の期待に応えたいと思うようになりました。傲慢な考えですけど、貴方みたいな人に認めてもらったことが嬉しかったんです。限られた期間だけの上官だって思っていた一方で、本当はずっと、必要とされている間だけでも部下として貴方の役に立ちたかったんです」
異動願いを提出する機会なんていくらでもあった。
表面上だけ従順な部下を装うことなんて簡単だったし、訓練成績なんていくらでも手を抜けたのだ。
でもそれをしなかったのは。
いつだって班長に付き従って、らしくもなく張り切って訓練に挑んで、色々理屈をつけて異動願いの提出を見送った理由なんて1つだ。
蛍守さんは班長が俺に一目惚れしたなんて言っていたけれど、その実俺だってあの瞬間、あの茜色に目を奪われた。
一目惚れは――お互い様だ。
「……でも貴方は、すぐに自分が傷つく方を選ぶから。不知火茜が死んだら悲しむ人がいるって当たり前のことに気づいていないから。だから、――勝手についていくことにしました。最後までずっと、それこそ地獄の先までお供します。貴方が死んだら、もう俺は貴方の役には立てません。その時は勝手に自害します」
「おい、空乃……」
「貴方がそんな怪我を負ってまで生かした命です。責任とってください。俺は、とりあえず貴方の両足代わりになれるくらい頑張ってみますから」
簡単に死なせないでくださいね、と俺はなんとか笑顔を作る。こんな俺が生き急ぐ彼の足を引っ張ることができるなら、重石になれるのなら、それで良かった。
班長は珍しく口籠って、しばらくしてからようやく、ため息混じりに言った。
「変な奴だな。俺は多分、お前が命を預けるに足るような人間じゃないと思うけれど」
「貴方だって変な人でしょう。そんなに難しいこと言ってませんよ。長生きしてくれれば良いんです」
「簡単に言うけど結局は道連れにしろってことだろ。そんなの言ってくる奴お前が初めてだよ」
「迷惑ですか」
「1人の時より重たくはあるな。だけど確かに死んでもいいとは思わなくなった。それから、――不思議と迷惑でもない」
おもむろに伸ばされた腕が何を意味するのかを察して、俺はもう一歩ベッドへ近づいた。それからわずかに屈むと、いつもよりも少しだけ力強く頭を撫でられる。ぐしゃぐしゃに掻き回された髪の間から彼を伺うと、あの茜色と目があった。
穏やかな声が、言葉を紡ぐ。
「これからリハビリと勘を取り戻すのとで忙しくなる。それでも、元通りに作戦に参加できるようになるまでは時間がかかると思う。それでも、ついてきてくれるか?"そら"」
「勿論、貴方が望むならどこまででも。ただし無理は厳禁ですよ、茜さん」
指先を揃えた右手を、額の前に掲げる。正隊員式の敬礼を受けとって、茜さんはどこか楽しそうに笑った。
「あぁでも一つ申し上げておきたいんですが、俺、貴方の顔が好き過ぎて苦手なのであんまり直視できなくても多めに見て頂けたら幸いです」
「面白いこと言うなぁ」