花京院典明は春に戻る
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花京院は教室の後方から(苗字)を見ていた。正確には様子を見ていた。彼女は友人と話し、授業の準備をし、教師に呼ばれれば少し慌てて返事をする。そこだけ見れば、どこにでもいる高校生の一人だった。
少なくとも敵意はない。数日見ていればそれは分かる。問題はそこではなかった。
休み時間、教室の前方で小さな言い合いが起きた。大きな声ではない。けれど、周囲の会話が一瞬だけ鈍る程度には空気が固まった。
(苗字)がそちらを見た。
何か言ったわけではない。ただ視線を向けて、困ったように笑っただけだった。それなのに、固まっていた空気が少しだけほどけた。その直後、彼女のそばで何かが揺れた。輪郭にもならない。人の形とも言い切れない。けれど、花京院にはそれがただの見間違いではないと分かった。
スタンドだ。
完全には形を取っていない。本人も気づいていない。それでも彼女は何かを持っている。
しかもそれは場を荒らす方ではなく、収める方へ働いているように見えた。
知らないまま他人の感情に触れているのなら、善意に近いものでも危うい。だからこそ放っておくわけにはいかなかった。
昼休みが終わる少し前、花京院は席を立った。
(苗字)は自分の席でノートを閉じていた。隣にいた星野が何かを言うと、彼女は困ったように唇を曲げてから笑った。
その表情に不自然さはない。
「(苗字)さん」
声をかけると彼女は顔を上げた。
「はい」
返事が少し硬かった。
普段、友人と話しているときの彼女はもっと砕けている。今の声は花京院の声の奥にある真剣さをそのまま受け取ったようだった。
花京院は周囲の視線が動く前に一歩近づいた。声を落とし必要なことだけを一息で伝える。
「君の体調不良について心当たりがあります。ここでは話しにくいし、人目のない場所に呼び出すのも適切ではありません。放課後、喫茶店に行きませんか」
(苗字)は返事をする前に一度まばたきをした。
意味を理解するより先に教室の空気を気にしたのだろう。近くの女子がこちらを見た気配に彼女の肩が小さく固まる。
花京院は続けた。
「紅茶が美味しい店らしいです」
その一言で彼女の表情が変わった。困惑していた眉が少し上がり、口角がゆっくり持ち上がる。
「……行く」
即答してから彼女ははっとしたように姿勢を直した。
「行きます」
思っていたより表情に出る。花京院はそう思った。
「では、放課後に」
「はい」
星野が二人のやりとりを目だけで追っていた。花京院は気づいていたが、何も言わなかった。
放課後、二人は学校を出た。通りに出てから、(苗字)は何度か隣を見た。気づけば花京院は車道側を歩いていて、歩幅も自分に合っている。
たぶん、特別にそうしているつもりはない。そういう動きが、最初から身についているのだと思った。けれど、口には出さなかった。
その店は学校から少し歩いた場所にあった。
花京院が先に扉を押さえると、(苗字)は小さく頭を下げて中へ入った。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
窓際の席に案内されると、花京院は入口と店内の様子が見える位置を選んだ。
(苗字)はメニューを開いた瞬間、少し前のめりになった。
「紅茶、いろいろありますね」
「好きなんですね」
「うん、好き」
今度は言い直さなかった。
「アールグレイにしようかな。あと、これ」
彼女が指したのは、さくらんぼと生クリームのついたシフォンケーキだった。
「かわいいでしょ?」
「ええ」
「花京院くんは?」
「コーヒーを」
「ケーキは?」
「今はいいです」
それ以上は聞かれなかった。注文を終えて、料理を待つ間に(苗字)が口を開いた。
「父がね、ちょっとショックなことがあると、甘いものと一緒に紅茶を飲むんです」
花京院は彼女を見た。(苗字)は笑っていた。重い話として出したのではないらしい。
「かわいいでしょ?」
「……ええ」
花京院の返事は、思ったより静かになった。家の中にそういう小さな習慣があることに、少し反応したのかもしれない。
「甘いものと紅茶って、落ち込んだことは消えないけど、とりあえず座っていられる感じがするんです」
「座っていられる」
「はい。すぐ元気になる、じゃなくて」
花京院は少しだけ考えた。
「それは、悪くないですね」
「でしょ」
ちょうど、コーヒーと紅茶、シフォンケーキが運ばれてきた。白い皿の上、シフォンケーキに添えられた生クリームに、赤いさくらんぼが一つ乗っている。
(苗字)はそれを見て少し嬉しそうにした。花京院もつい、さくらんぼの方を見る。
「さくらんぼ、好きなんですか?」
「ええ。好きです」
「じゃあ、花京院くんもさくらんぼのついたのにすればよかったのに」
「今はコーヒーだけで」
「そうですか」
(苗字)はフォークを持ったまま、さくらんぼと花京院を見比べた。白い皿の上ではちゃんと主役みたいに見える赤い実が、花京院の口に入るところを想像した途端、急に小さすぎる気がした。少しだけ面白い。花京院が首を傾けると、耳元のピアスが小さく揺れた。
「お気持ちだけで」
「まだ何も言ってないです」
「言いそうだったので」
(苗字)は少し口を尖らせたが、結局そのままケーキを食べ始めた。花京院は急かさなかった。
話すべきことはあるが、食べている途中で席を立たせる必要はなかった。
(苗字)がケーキを半分ほど食べたところで、思い出したように顔を上げた。
「そういえば、体調のことで話があるって」
「最近、体調に違和感はありませんか。疲れやすい、人混みで気分が悪くなる、誰かが怒っていたり不安そうにしていたりすると、自分まで影響を受ける。そういうことです」
「……あります」
「去年の秋にも、似たことがありましたか。保健室の近くで具合が悪くなったと聞きました」
(苗字)は少し驚いた顔をした。
「聞こえてたんですか?」
「ええ。偶然ですが」
「ありました。でも、あれは騒ぎが大きかったからだと思ってました。先生が怪我したとか、窓が割れたとか、みんな落ち着かなくて」
「その時、周りの空気が急に静まったような感覚は?」
(苗字)はすぐには答えなかった。
「……あったかもしれません。でも、自分のせいだとは思ってませんでした」
「責めているわけではありません。ただ、今回だけではないなら、ただの体調不良とは考えにくい」
「ここではこれ以上詳しく話しにくい。食べ終わってからで構いません。近くの公園へ行けますか」
「公園?」
「人目のない場所にはしません。ですが、聞かれない方がいい話です」
(苗字)は少し迷ってから「分かりました」と頷いた。
彼女がケーキを食べ終えるのを待ってから、二人は席を立った。
公園へ向かうと、遊具のある広場には子どもがいた。花京院は完全に人目のない場所は避け、声が届きにくい場所で立ち止まった。
「さっきの話、どういう意味ですか」
「スタンド、というものがあります。人間の生命エネルギーが形を取ったものです。本人の精神や能力に強く結びついています」
「それが、私に関係あるんですか」
「あります。あなたのそばに、それらしいものが一瞬見えました」
「それらしいもの?」
「まだ形は安定していません。ですが、ただの体調不良とは考えにくい」
(苗字)は息を止めるように黙った。紅茶のあとに聞く話ではない。シフォンケーキを食べたあとに、急に生命エネルギーと言われても困る。
「ちょっと待って」
思わずそう言うと、花京院はすぐに言葉を止めた。
「はい」
「全部、今日分からないとだめですか」
「いいえ。今日は全部理解しなくていい。むしろ、一度に理解しようとしない方がいい」
その言い方で、少しだけ息がしやすくなった。分からないままでいい、と言われたわけではない。けれど、今この場で全部飲み込まなくてもいいらしい。
「……続けてください」
「スタンドは、誰にでも見えるものではありません。基本的には、スタンド使いにしか見えない」
「普通の人には、見えないんですか」
「ええ。僕の両親にも見えません」
花京院はそこで一度、言葉を切った。
(苗字)はそれ以上聞かずに頷いた。
「花京院くんも、スタンド使いなんですか」
「ええ」
「見れるんですか」
花京院は一度だけ周囲を確認した。長く出す必要はない。今の自分にできる範囲でいい。緑の像が花京院のそばに現れた。短く形を出す程度なら、今でもできる。けれど長く使えば体に響く。今はまだ、無理をしていい状態ではなかった。
(苗字)は息を止めた。
「……きれい」
最初に出た言葉がそれだった。花京院は少し意外に思った。恐怖でも、悲鳴でもない。彼女は確かに驚いている。怖くないわけではない。それでも最初に選んだ言葉は、きれい、だった。
「これが、僕のスタンドです」
「名前、あるんですか」
「あります。ハイエロファントグリーン」
「ハイエロファントグリーン」
(苗字)は小さく繰り返した。
「名前があると、ただの得体の知れないものではなくなります。呼ぶことができるし、自分から切り離さずにいられる」
花京院は、緑の像を見た。
「うまく言えませんが、そういう意味があります」
(苗字)は、緑の像を見たまま黙っていた。
「不思議ですね」
彼女は小さく言った。
「怖いのに、名前があるって聞くと、ただ怖いだけじゃなくなる感じがします」
「あなたにも、いるはずです」
「どうすれば分かるんですか」
「強い感情に触れたとき、形を取るかもしれない。危害を加えるつもりはありませんが、少し驚かせることになります」
(苗字)の肩が強張った。
「怖い」
「その反応は正しい。分からないものを怖がるのは当然です」
花京院は、あの旅で肌に覚えた戦闘の圧を、ほんのわずかに再現した。殺意ではない。(苗字)の目が見開かれる。
「なに、これ」
声が震えた。花京院はすぐに圧を弱めるつもりだった。だが、その前に、彼女の顔の横で何かが揺れた。淡い輪郭が、にゅっと出る。丸い体らしきものが透けるように揺れ、かろうじて短い手指だけが分かる。四十センチほどの、小さな生命体のようなものだった。
まだ形は定まっていない。けれど、確かにそこに何かがいた。(苗字)はそれを見た。見てしまった、という顔をした。花京院は圧を解いた。同時に、彼女のそばの像もほどけるように薄くなった。(苗字)はその場に立ったまま息を乱していた。倒れるほどではないが、顔色は悪い。
「大丈夫ですか」
(苗字)は少し迷ってから、小さく首を振った。
「……少し、気持ち悪いです」
「座ってください」
花京院はベンチを示した。彼女が座るのを待ち、少し距離を置いて立った。
「今のが、私のスタンドですか」
「おそらく。まだ不完全です。形も安定していない。能力も、あなた自身が理解していない」
(苗字)は膝の上で手を握った。さっきまで普通の放課後だったのに。紅茶があって、シフォンケーキがあって、さくらんぼがあって、それからスタンド。
おかしい。けれど花京院は冗談を言っている顔ではないし、実際に見えてしまった。
「私、誰かに何かしましたか」
「今のところ、取り返しのつかないことは起きていないと思います」
「今のところ、ですか」
「ええ。だから、今知る必要があります」
(苗字)は黙ったあと、ゆっくり頷いた。
「どうしたらいいんですか」
「まずは自分が何に反応しているのかを知ることです。あなたに悪意があるとは思っていません。ただし、悪意がないから安全とは言えない」
「怖い」
「ええ」
「でも知らないままの方が、もっと怖い気がします」
花京院はその答えで十分だと思った。これ以上、今日のうちに踏み込む必要はない。
「今日はここまでにしましょう」
「はい」
(苗字)は素直に頷いた。まだ怖さは残っていたが、今すぐ何かをしなければならないわけではないと分かると、少しだけ息が戻った。
彼女は、さっき緑の像がいた場所へ視線を向けた。もう何も見えない。それでも色と名前だけは残っている。
「ハイエロファントグリーン、って」
(苗字)は小さく繰り返した。
「きれいですね。緑も、きれいでした」
花京院はすぐには返さなかった。戦うためのもの。身を守るためのもの。敵を倒すためのもの。その緑を、彼女はきれいだと言った。
「ありがとう」
(苗字)は、少し驚いたように目を上げた。
言ってから、花京院は少し遅れて自分の声に気づいた。怖がられなかったわけではない。それでも彼女は、あれをただ怖いものとして終わらせなかった。
だから、取り消す必要はなかった。
少なくとも敵意はない。数日見ていればそれは分かる。問題はそこではなかった。
休み時間、教室の前方で小さな言い合いが起きた。大きな声ではない。けれど、周囲の会話が一瞬だけ鈍る程度には空気が固まった。
(苗字)がそちらを見た。
何か言ったわけではない。ただ視線を向けて、困ったように笑っただけだった。それなのに、固まっていた空気が少しだけほどけた。その直後、彼女のそばで何かが揺れた。輪郭にもならない。人の形とも言い切れない。けれど、花京院にはそれがただの見間違いではないと分かった。
スタンドだ。
完全には形を取っていない。本人も気づいていない。それでも彼女は何かを持っている。
しかもそれは場を荒らす方ではなく、収める方へ働いているように見えた。
知らないまま他人の感情に触れているのなら、善意に近いものでも危うい。だからこそ放っておくわけにはいかなかった。
昼休みが終わる少し前、花京院は席を立った。
(苗字)は自分の席でノートを閉じていた。隣にいた星野が何かを言うと、彼女は困ったように唇を曲げてから笑った。
その表情に不自然さはない。
「(苗字)さん」
声をかけると彼女は顔を上げた。
「はい」
返事が少し硬かった。
普段、友人と話しているときの彼女はもっと砕けている。今の声は花京院の声の奥にある真剣さをそのまま受け取ったようだった。
花京院は周囲の視線が動く前に一歩近づいた。声を落とし必要なことだけを一息で伝える。
「君の体調不良について心当たりがあります。ここでは話しにくいし、人目のない場所に呼び出すのも適切ではありません。放課後、喫茶店に行きませんか」
(苗字)は返事をする前に一度まばたきをした。
意味を理解するより先に教室の空気を気にしたのだろう。近くの女子がこちらを見た気配に彼女の肩が小さく固まる。
花京院は続けた。
「紅茶が美味しい店らしいです」
その一言で彼女の表情が変わった。困惑していた眉が少し上がり、口角がゆっくり持ち上がる。
「……行く」
即答してから彼女ははっとしたように姿勢を直した。
「行きます」
思っていたより表情に出る。花京院はそう思った。
「では、放課後に」
「はい」
星野が二人のやりとりを目だけで追っていた。花京院は気づいていたが、何も言わなかった。
放課後、二人は学校を出た。通りに出てから、(苗字)は何度か隣を見た。気づけば花京院は車道側を歩いていて、歩幅も自分に合っている。
たぶん、特別にそうしているつもりはない。そういう動きが、最初から身についているのだと思った。けれど、口には出さなかった。
その店は学校から少し歩いた場所にあった。
花京院が先に扉を押さえると、(苗字)は小さく頭を下げて中へ入った。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
窓際の席に案内されると、花京院は入口と店内の様子が見える位置を選んだ。
(苗字)はメニューを開いた瞬間、少し前のめりになった。
「紅茶、いろいろありますね」
「好きなんですね」
「うん、好き」
今度は言い直さなかった。
「アールグレイにしようかな。あと、これ」
彼女が指したのは、さくらんぼと生クリームのついたシフォンケーキだった。
「かわいいでしょ?」
「ええ」
「花京院くんは?」
「コーヒーを」
「ケーキは?」
「今はいいです」
それ以上は聞かれなかった。注文を終えて、料理を待つ間に(苗字)が口を開いた。
「父がね、ちょっとショックなことがあると、甘いものと一緒に紅茶を飲むんです」
花京院は彼女を見た。(苗字)は笑っていた。重い話として出したのではないらしい。
「かわいいでしょ?」
「……ええ」
花京院の返事は、思ったより静かになった。家の中にそういう小さな習慣があることに、少し反応したのかもしれない。
「甘いものと紅茶って、落ち込んだことは消えないけど、とりあえず座っていられる感じがするんです」
「座っていられる」
「はい。すぐ元気になる、じゃなくて」
花京院は少しだけ考えた。
「それは、悪くないですね」
「でしょ」
ちょうど、コーヒーと紅茶、シフォンケーキが運ばれてきた。白い皿の上、シフォンケーキに添えられた生クリームに、赤いさくらんぼが一つ乗っている。
(苗字)はそれを見て少し嬉しそうにした。花京院もつい、さくらんぼの方を見る。
「さくらんぼ、好きなんですか?」
「ええ。好きです」
「じゃあ、花京院くんもさくらんぼのついたのにすればよかったのに」
「今はコーヒーだけで」
「そうですか」
(苗字)はフォークを持ったまま、さくらんぼと花京院を見比べた。白い皿の上ではちゃんと主役みたいに見える赤い実が、花京院の口に入るところを想像した途端、急に小さすぎる気がした。少しだけ面白い。花京院が首を傾けると、耳元のピアスが小さく揺れた。
「お気持ちだけで」
「まだ何も言ってないです」
「言いそうだったので」
(苗字)は少し口を尖らせたが、結局そのままケーキを食べ始めた。花京院は急かさなかった。
話すべきことはあるが、食べている途中で席を立たせる必要はなかった。
(苗字)がケーキを半分ほど食べたところで、思い出したように顔を上げた。
「そういえば、体調のことで話があるって」
「最近、体調に違和感はありませんか。疲れやすい、人混みで気分が悪くなる、誰かが怒っていたり不安そうにしていたりすると、自分まで影響を受ける。そういうことです」
「……あります」
「去年の秋にも、似たことがありましたか。保健室の近くで具合が悪くなったと聞きました」
(苗字)は少し驚いた顔をした。
「聞こえてたんですか?」
「ええ。偶然ですが」
「ありました。でも、あれは騒ぎが大きかったからだと思ってました。先生が怪我したとか、窓が割れたとか、みんな落ち着かなくて」
「その時、周りの空気が急に静まったような感覚は?」
(苗字)はすぐには答えなかった。
「……あったかもしれません。でも、自分のせいだとは思ってませんでした」
「責めているわけではありません。ただ、今回だけではないなら、ただの体調不良とは考えにくい」
「ここではこれ以上詳しく話しにくい。食べ終わってからで構いません。近くの公園へ行けますか」
「公園?」
「人目のない場所にはしません。ですが、聞かれない方がいい話です」
(苗字)は少し迷ってから「分かりました」と頷いた。
彼女がケーキを食べ終えるのを待ってから、二人は席を立った。
公園へ向かうと、遊具のある広場には子どもがいた。花京院は完全に人目のない場所は避け、声が届きにくい場所で立ち止まった。
「さっきの話、どういう意味ですか」
「スタンド、というものがあります。人間の生命エネルギーが形を取ったものです。本人の精神や能力に強く結びついています」
「それが、私に関係あるんですか」
「あります。あなたのそばに、それらしいものが一瞬見えました」
「それらしいもの?」
「まだ形は安定していません。ですが、ただの体調不良とは考えにくい」
(苗字)は息を止めるように黙った。紅茶のあとに聞く話ではない。シフォンケーキを食べたあとに、急に生命エネルギーと言われても困る。
「ちょっと待って」
思わずそう言うと、花京院はすぐに言葉を止めた。
「はい」
「全部、今日分からないとだめですか」
「いいえ。今日は全部理解しなくていい。むしろ、一度に理解しようとしない方がいい」
その言い方で、少しだけ息がしやすくなった。分からないままでいい、と言われたわけではない。けれど、今この場で全部飲み込まなくてもいいらしい。
「……続けてください」
「スタンドは、誰にでも見えるものではありません。基本的には、スタンド使いにしか見えない」
「普通の人には、見えないんですか」
「ええ。僕の両親にも見えません」
花京院はそこで一度、言葉を切った。
(苗字)はそれ以上聞かずに頷いた。
「花京院くんも、スタンド使いなんですか」
「ええ」
「見れるんですか」
花京院は一度だけ周囲を確認した。長く出す必要はない。今の自分にできる範囲でいい。緑の像が花京院のそばに現れた。短く形を出す程度なら、今でもできる。けれど長く使えば体に響く。今はまだ、無理をしていい状態ではなかった。
(苗字)は息を止めた。
「……きれい」
最初に出た言葉がそれだった。花京院は少し意外に思った。恐怖でも、悲鳴でもない。彼女は確かに驚いている。怖くないわけではない。それでも最初に選んだ言葉は、きれい、だった。
「これが、僕のスタンドです」
「名前、あるんですか」
「あります。ハイエロファントグリーン」
「ハイエロファントグリーン」
(苗字)は小さく繰り返した。
「名前があると、ただの得体の知れないものではなくなります。呼ぶことができるし、自分から切り離さずにいられる」
花京院は、緑の像を見た。
「うまく言えませんが、そういう意味があります」
(苗字)は、緑の像を見たまま黙っていた。
「不思議ですね」
彼女は小さく言った。
「怖いのに、名前があるって聞くと、ただ怖いだけじゃなくなる感じがします」
「あなたにも、いるはずです」
「どうすれば分かるんですか」
「強い感情に触れたとき、形を取るかもしれない。危害を加えるつもりはありませんが、少し驚かせることになります」
(苗字)の肩が強張った。
「怖い」
「その反応は正しい。分からないものを怖がるのは当然です」
花京院は、あの旅で肌に覚えた戦闘の圧を、ほんのわずかに再現した。殺意ではない。(苗字)の目が見開かれる。
「なに、これ」
声が震えた。花京院はすぐに圧を弱めるつもりだった。だが、その前に、彼女の顔の横で何かが揺れた。淡い輪郭が、にゅっと出る。丸い体らしきものが透けるように揺れ、かろうじて短い手指だけが分かる。四十センチほどの、小さな生命体のようなものだった。
まだ形は定まっていない。けれど、確かにそこに何かがいた。(苗字)はそれを見た。見てしまった、という顔をした。花京院は圧を解いた。同時に、彼女のそばの像もほどけるように薄くなった。(苗字)はその場に立ったまま息を乱していた。倒れるほどではないが、顔色は悪い。
「大丈夫ですか」
(苗字)は少し迷ってから、小さく首を振った。
「……少し、気持ち悪いです」
「座ってください」
花京院はベンチを示した。彼女が座るのを待ち、少し距離を置いて立った。
「今のが、私のスタンドですか」
「おそらく。まだ不完全です。形も安定していない。能力も、あなた自身が理解していない」
(苗字)は膝の上で手を握った。さっきまで普通の放課後だったのに。紅茶があって、シフォンケーキがあって、さくらんぼがあって、それからスタンド。
おかしい。けれど花京院は冗談を言っている顔ではないし、実際に見えてしまった。
「私、誰かに何かしましたか」
「今のところ、取り返しのつかないことは起きていないと思います」
「今のところ、ですか」
「ええ。だから、今知る必要があります」
(苗字)は黙ったあと、ゆっくり頷いた。
「どうしたらいいんですか」
「まずは自分が何に反応しているのかを知ることです。あなたに悪意があるとは思っていません。ただし、悪意がないから安全とは言えない」
「怖い」
「ええ」
「でも知らないままの方が、もっと怖い気がします」
花京院はその答えで十分だと思った。これ以上、今日のうちに踏み込む必要はない。
「今日はここまでにしましょう」
「はい」
(苗字)は素直に頷いた。まだ怖さは残っていたが、今すぐ何かをしなければならないわけではないと分かると、少しだけ息が戻った。
彼女は、さっき緑の像がいた場所へ視線を向けた。もう何も見えない。それでも色と名前だけは残っている。
「ハイエロファントグリーン、って」
(苗字)は小さく繰り返した。
「きれいですね。緑も、きれいでした」
花京院はすぐには返さなかった。戦うためのもの。身を守るためのもの。敵を倒すためのもの。その緑を、彼女はきれいだと言った。
「ありがとう」
(苗字)は、少し驚いたように目を上げた。
言ってから、花京院は少し遅れて自分の声に気づいた。怖がられなかったわけではない。それでも彼女は、あれをただ怖いものとして終わらせなかった。
だから、取り消す必要はなかった。
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