花京院典明は春に戻る
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翌朝の教室は昨日より少しだけ浮き立っていた。五か月近く教室に姿を見せなかった花京院典明が新学年の教室に戻ってきたのだ。しかも目元に傷を残して。気にならない方が難しかった。
「花京院くん、今日も来るかな」
「来るでしょ。昨日、普通に挨拶してたし」
「でもさ、ずっと休んでたじゃん」
「何があったんだろうね」
窓際の方で女子たちが言い合っている。小声のつもりなのだろうけれど浮き立った声は案外遠くまで届く。私は鞄を机に置きながら聞こえないふりをした。返事をしながら席につくと、友人の星野由佳――セイちゃんが机の上に小さなタロットの束を置いた。
「ねえ、今日一枚だけ引いてみない?」
「朝から?」
「朝だからでしょ。今日一日の流れを見るの」
セイちゃんはカードを伏せたまま指先でそろえた。私は一番上のカードに手を伸ばしかけたが、その前に教室の入口が少し騒がしくなった。
花京院くんが入ってきた。昨日よりも教室の反応が早い。誰かがはっきり声をかけたわけではないのに空気が一瞬そちらへ寄った。花京院くんは、その空気を受け流すように軽く会釈をした。
近くの男子が「おはよう」と言うと丁寧に「おはよう」と返す。女子が少し遅れて挨拶すると、そちらにも同じように返した。自分から話を広げるわけではない。誰かの輪に入るわけでもない。拒んでいるというより必要な分だけそこに立っているように見えた。
席に着くまでの歩き方も昨日と同じで少し慎重だった。急いではいないのではなく、急げないのだと思った。
「……見すぎ」
「見てないよ」
「見てたよ。すごく観察してた」
「違うって。まだ慣れてないのかなって思っただけ」
「ふうん」
「何その顔」
「別に。カード引く?」
「引く」
私は話題を戻すようにカードを一枚取った。意味を聞く前に、また教室の空気が少しだけ高くなった。窓際の方ではまだ花京院くんの話が続いていた。
「ねえ、花京院くんって、休んでる間どうしてたのかな」
「入院とか?」
「昨日、職員室で先生と話してるの見たけど、すごい丁寧だったよ」
「目元の傷、痛そうだったよね」
「でも、あの傷、痛そうだけど……なんか綺麗じゃない?」
言った女子はすぐに「あ」と口元を押さえた。周りの子たちも小さく笑ったり困ったように顔を見合わせたりする。私はうまく笑えなかった。人の怪我や見た目のことを他の人にあれこれ言うのはなんか嫌だった。本人がいても、いなくても。でも、何か言えるほどの言葉は出てこなかった。
その瞬間、教室のざわめきがふっと小さくなった。
誰かが注意したわけではない。先生が来たわけでもない。それなのに、さっきまで続いていた笑い声や話し声が、急に出にくくなったように止まった。
誰かが小さく「あれ」と呟いた。教室が静かになったわけではない。椅子を引く音も、鞄を開ける音も、窓の外の声も聞こえる。
けれど、さっきまでのざわつきだけが消えていた。
私は机の端を掴んだ。急に頭がぼんやりした。周りの声が少し遠くなった気がした。
「大丈夫?」
「うん。ちょっと、ぼーっとしただけ」
「顔色悪くない?」
「平気。寝不足かな」
「また? ちゃんと寝なよ」
「うん」
返事をしながら私は息を整えた。おかしいとは思わなかった。たぶん朝から少し騒がしかったから疲れただけ。そう考えるのが一番自然だった。ふと後ろが気になって、少しだけ顔を向けた。
花京院くんが教室を見ていた。驚いた顔ではない。何かを確かめているように見えた。目が合いそうになって私は机の上に視線を戻した。その時、始業のチャイムが鳴った。
だが花京院は普通だとは思わなかった。あれは感情が自然に収まった沈黙ではない。敵意はない。殺気もない。しかし偶然ではない。攻撃する力だけがスタンドではない。人の気持ちや感覚に触れる力なら、本人にも周囲にも分かりにくい。
花京院は授業中、必要以上に視線を動かさなかった。教師の説明を聞き、ノートを取り、問いかけられれば短く答える。クラスに馴染むための雑談はしない。
誰かに警戒を悟られるような動きもしない。ただ観察した。彼女は授業を受けている。特別な動きはない。けれど本人が一番、自分の異変に気づいていないように見えた。
昼休みになると教室はまた騒がしくなった。花京院は席を立たず、鞄から弁当を取り出した。
すると、近くの女子が少し明るい声で話しかけた。
「あ、花京院くん、お昼持ってきてるんだ」
「はい」
「一緒に食べない? まだ分からないこと多いでしょ」
「ありがとうございます。ですが今日は少し休んでおきたいので」
「あ、そっか。ごめんね」
「いえ。お気遣いなく」
花京院は穏やかに返した。拒絶ではない。けれど近づきすぎる隙もない。女子たちはそれ以上押さず、自分たちの席へ戻っていった。
花京院は弁当箱を開けながら彼女の席の方を見た。彼女の周りではセイちゃんと何人かの女子が机を寄せていた。
「だから、今日はカード的には慎重に行けって出てるの」
「それ、朝も言ってなかった?」
「何回出ても大事なことなの」
「便利だね」
「占いを雑に扱わないでくださいー」
楽しそうな会話だった。彼女は少なくとも表面上は普通の女子生徒だ。
その時、花京院の手が止まった。
「でもさ、ほんとに無理しないでよ」
「してないって」
「去年の秋もそんなこと言って、保健室の近くで具合悪くなったじゃん」
「え、何その話」
近くにいた女子が少し声を落とした。
「あったでしょ。保健室がすごい騒ぎになった日」
「ああ……先生が怪我して、窓も割れたっていう」
「そう。その日。あの時、(名前)も顔真っ青だったんだから」
「そりゃそうじゃない? あんな騒ぎがあったら、誰でも具合悪くなるよ」
「それはそうなんだけどさ」
セイちゃんは少しだけ首を傾げた。
「なんか、あの時も変だったんだよね。周りが急に、すんってなったっていうか」
「またそういう話にする」
「してないって。体調悪くなりやすいんだから気をつけなって話」
「はいはい」
彼女は笑って流した。けれど花京院には、ただの体調不良の話には聞こえなかった。
去年の秋。保健室。あの騒ぎがあった頃。
ただ、彼女の周囲では似た現象が一度ではなく起きている。本人はそれを能力として認識していない。友人たちも体調不良や妙な偶然として処理している。無意識の発動。しかも、おそらく感情に干渉する種類の能力。
昼休みのあと、花京院は教室の後方に貼られた席順表を確認した。視線を長く止める必要はなかった。朝から観察していた席。セイちゃんと呼ばれていた星野由佳の近く。そして、さっきの現象に関わっているらしい女子。その位置に書かれていた苗字を、花京院は静かに目で追った。
――(苗字)。
名前を知ったからといって何かが分かるわけではない。それでも、もうただの「クラスの女子」として見過ごすことはできなかった。
午後の時間は短縮授業と学年ごとの連絡で終わった。花京院はそれ以上、(苗字)に接触しなかった。ただ一度だけ、廊下ですれ違った。
彼女は友人たちと歩いていた。セイちゃんが何かを言い、(苗字)が「それは違うでしょ」と笑う。笑い方は明るい。けれど誰かの声が少し強くなると、彼女の目が先にそちらを見る。
放課後、花京院はすぐには帰らなかった。二年の教室がある階から昇降口へ向かうと、三年の教室側から降りてきた承太郎の姿が見えた。
学年は違うが、あの背丈と気配は人混みの中でも見つけやすい。承太郎もこちらに気づいたらしく、鞄を肩にかけたまま足を止めた。
「承太郎」
「あ?」
「少し時間をくれないか」
承太郎は花京院の顔を見た。その一瞬で雑談ではないと察したのだろう。何も聞かず、校舎裏の方へ歩き出した。花京院もその後に続く。
校舎裏まで来ると、人の声は少し遠くなった。春の風がまだ少し冷たかった。校庭からは部活動の声が聞こえる。普通の学校の普通の放課後だった。
「教室で、スタンド能力の気配があった」
承太郎の目つきが変わった。
「敵か」
「分からない。少なくとも攻撃性は感じられなかった」
「能力は」
「感情、あるいは場の空気に干渉するものかもしれない。教室の中で高まっていた感情が不自然に抑え込まれた」
「目星はついてんのか」
「ある程度は」
「そいつは、自分でやってる自覚があんのか」
「おそらく、ない」
承太郎の眉がわずかに動いた。
「やっかいだな」
「ああ。だから、すぐに接触するのは避けた。本人に自覚がないなら問い詰めても混乱させるだけだ。能力の性質を考えても教室で不用意に踏み込むべきじゃない」
「追手って線は」
「今のところ薄いと思う。少なくとも、僕や君を狙っている気配ではなかった」
「根拠は」
「それらしき生徒に敵意がない。むしろ本人が一番気づいていないように見えた。それに過去にも似たことがあったらしい」
「過去?」
「去年の秋。……君と僕が、保健室で会った頃だ」
承太郎はそこで少しだけ沈黙した。その日が何を指すのか、説明する必要はなかった。
「……あの時期か」
「ああ。ただし、関係があると決めるには早い。時期が重なっているだけかもしれない。だが見過ごすべきでもない」
校庭からは部活動の声が遠く聞こえていた。
「しばらく様子を見る。危険な兆候があれば、すぐに知らせる」
「無理すんじゃねえぞ」
「もちろん。僕は自分を知っている」
承太郎はしばらく黙った。
「なら、かまわんが。やばいと思ったら、すぐ言え」
「ああ」
それで話は終わった。必要なことだけを確認して、二人は校舎裏を離れた。
翌日から、花京院は(苗字)を見るようになった。もちろん露骨にはしない。
見るのは顔ではなく、反応だった。誰かの声が強くなると、彼女は先にそちらを見る。
冗談が少しきつくなると、笑うまでに一拍置く。楽しそうにしていても、どこかで周囲の空気を測っているように見えた。
何も知らない顔だった。敵ではない。少なくとも、今は。けれど花京院にはもう、それをただの学校生活として見ることはできなかった。
「花京院くん、今日も来るかな」
「来るでしょ。昨日、普通に挨拶してたし」
「でもさ、ずっと休んでたじゃん」
「何があったんだろうね」
窓際の方で女子たちが言い合っている。小声のつもりなのだろうけれど浮き立った声は案外遠くまで届く。私は鞄を机に置きながら聞こえないふりをした。返事をしながら席につくと、友人の星野由佳――セイちゃんが机の上に小さなタロットの束を置いた。
「ねえ、今日一枚だけ引いてみない?」
「朝から?」
「朝だからでしょ。今日一日の流れを見るの」
セイちゃんはカードを伏せたまま指先でそろえた。私は一番上のカードに手を伸ばしかけたが、その前に教室の入口が少し騒がしくなった。
花京院くんが入ってきた。昨日よりも教室の反応が早い。誰かがはっきり声をかけたわけではないのに空気が一瞬そちらへ寄った。花京院くんは、その空気を受け流すように軽く会釈をした。
近くの男子が「おはよう」と言うと丁寧に「おはよう」と返す。女子が少し遅れて挨拶すると、そちらにも同じように返した。自分から話を広げるわけではない。誰かの輪に入るわけでもない。拒んでいるというより必要な分だけそこに立っているように見えた。
席に着くまでの歩き方も昨日と同じで少し慎重だった。急いではいないのではなく、急げないのだと思った。
「……見すぎ」
「見てないよ」
「見てたよ。すごく観察してた」
「違うって。まだ慣れてないのかなって思っただけ」
「ふうん」
「何その顔」
「別に。カード引く?」
「引く」
私は話題を戻すようにカードを一枚取った。意味を聞く前に、また教室の空気が少しだけ高くなった。窓際の方ではまだ花京院くんの話が続いていた。
「ねえ、花京院くんって、休んでる間どうしてたのかな」
「入院とか?」
「昨日、職員室で先生と話してるの見たけど、すごい丁寧だったよ」
「目元の傷、痛そうだったよね」
「でも、あの傷、痛そうだけど……なんか綺麗じゃない?」
言った女子はすぐに「あ」と口元を押さえた。周りの子たちも小さく笑ったり困ったように顔を見合わせたりする。私はうまく笑えなかった。人の怪我や見た目のことを他の人にあれこれ言うのはなんか嫌だった。本人がいても、いなくても。でも、何か言えるほどの言葉は出てこなかった。
その瞬間、教室のざわめきがふっと小さくなった。
誰かが注意したわけではない。先生が来たわけでもない。それなのに、さっきまで続いていた笑い声や話し声が、急に出にくくなったように止まった。
誰かが小さく「あれ」と呟いた。教室が静かになったわけではない。椅子を引く音も、鞄を開ける音も、窓の外の声も聞こえる。
けれど、さっきまでのざわつきだけが消えていた。
私は机の端を掴んだ。急に頭がぼんやりした。周りの声が少し遠くなった気がした。
「大丈夫?」
「うん。ちょっと、ぼーっとしただけ」
「顔色悪くない?」
「平気。寝不足かな」
「また? ちゃんと寝なよ」
「うん」
返事をしながら私は息を整えた。おかしいとは思わなかった。たぶん朝から少し騒がしかったから疲れただけ。そう考えるのが一番自然だった。ふと後ろが気になって、少しだけ顔を向けた。
花京院くんが教室を見ていた。驚いた顔ではない。何かを確かめているように見えた。目が合いそうになって私は机の上に視線を戻した。その時、始業のチャイムが鳴った。
だが花京院は普通だとは思わなかった。あれは感情が自然に収まった沈黙ではない。敵意はない。殺気もない。しかし偶然ではない。攻撃する力だけがスタンドではない。人の気持ちや感覚に触れる力なら、本人にも周囲にも分かりにくい。
花京院は授業中、必要以上に視線を動かさなかった。教師の説明を聞き、ノートを取り、問いかけられれば短く答える。クラスに馴染むための雑談はしない。
誰かに警戒を悟られるような動きもしない。ただ観察した。彼女は授業を受けている。特別な動きはない。けれど本人が一番、自分の異変に気づいていないように見えた。
昼休みになると教室はまた騒がしくなった。花京院は席を立たず、鞄から弁当を取り出した。
すると、近くの女子が少し明るい声で話しかけた。
「あ、花京院くん、お昼持ってきてるんだ」
「はい」
「一緒に食べない? まだ分からないこと多いでしょ」
「ありがとうございます。ですが今日は少し休んでおきたいので」
「あ、そっか。ごめんね」
「いえ。お気遣いなく」
花京院は穏やかに返した。拒絶ではない。けれど近づきすぎる隙もない。女子たちはそれ以上押さず、自分たちの席へ戻っていった。
花京院は弁当箱を開けながら彼女の席の方を見た。彼女の周りではセイちゃんと何人かの女子が机を寄せていた。
「だから、今日はカード的には慎重に行けって出てるの」
「それ、朝も言ってなかった?」
「何回出ても大事なことなの」
「便利だね」
「占いを雑に扱わないでくださいー」
楽しそうな会話だった。彼女は少なくとも表面上は普通の女子生徒だ。
その時、花京院の手が止まった。
「でもさ、ほんとに無理しないでよ」
「してないって」
「去年の秋もそんなこと言って、保健室の近くで具合悪くなったじゃん」
「え、何その話」
近くにいた女子が少し声を落とした。
「あったでしょ。保健室がすごい騒ぎになった日」
「ああ……先生が怪我して、窓も割れたっていう」
「そう。その日。あの時、(名前)も顔真っ青だったんだから」
「そりゃそうじゃない? あんな騒ぎがあったら、誰でも具合悪くなるよ」
「それはそうなんだけどさ」
セイちゃんは少しだけ首を傾げた。
「なんか、あの時も変だったんだよね。周りが急に、すんってなったっていうか」
「またそういう話にする」
「してないって。体調悪くなりやすいんだから気をつけなって話」
「はいはい」
彼女は笑って流した。けれど花京院には、ただの体調不良の話には聞こえなかった。
去年の秋。保健室。あの騒ぎがあった頃。
ただ、彼女の周囲では似た現象が一度ではなく起きている。本人はそれを能力として認識していない。友人たちも体調不良や妙な偶然として処理している。無意識の発動。しかも、おそらく感情に干渉する種類の能力。
昼休みのあと、花京院は教室の後方に貼られた席順表を確認した。視線を長く止める必要はなかった。朝から観察していた席。セイちゃんと呼ばれていた星野由佳の近く。そして、さっきの現象に関わっているらしい女子。その位置に書かれていた苗字を、花京院は静かに目で追った。
――(苗字)。
名前を知ったからといって何かが分かるわけではない。それでも、もうただの「クラスの女子」として見過ごすことはできなかった。
午後の時間は短縮授業と学年ごとの連絡で終わった。花京院はそれ以上、(苗字)に接触しなかった。ただ一度だけ、廊下ですれ違った。
彼女は友人たちと歩いていた。セイちゃんが何かを言い、(苗字)が「それは違うでしょ」と笑う。笑い方は明るい。けれど誰かの声が少し強くなると、彼女の目が先にそちらを見る。
放課後、花京院はすぐには帰らなかった。二年の教室がある階から昇降口へ向かうと、三年の教室側から降りてきた承太郎の姿が見えた。
学年は違うが、あの背丈と気配は人混みの中でも見つけやすい。承太郎もこちらに気づいたらしく、鞄を肩にかけたまま足を止めた。
「承太郎」
「あ?」
「少し時間をくれないか」
承太郎は花京院の顔を見た。その一瞬で雑談ではないと察したのだろう。何も聞かず、校舎裏の方へ歩き出した。花京院もその後に続く。
校舎裏まで来ると、人の声は少し遠くなった。春の風がまだ少し冷たかった。校庭からは部活動の声が聞こえる。普通の学校の普通の放課後だった。
「教室で、スタンド能力の気配があった」
承太郎の目つきが変わった。
「敵か」
「分からない。少なくとも攻撃性は感じられなかった」
「能力は」
「感情、あるいは場の空気に干渉するものかもしれない。教室の中で高まっていた感情が不自然に抑え込まれた」
「目星はついてんのか」
「ある程度は」
「そいつは、自分でやってる自覚があんのか」
「おそらく、ない」
承太郎の眉がわずかに動いた。
「やっかいだな」
「ああ。だから、すぐに接触するのは避けた。本人に自覚がないなら問い詰めても混乱させるだけだ。能力の性質を考えても教室で不用意に踏み込むべきじゃない」
「追手って線は」
「今のところ薄いと思う。少なくとも、僕や君を狙っている気配ではなかった」
「根拠は」
「それらしき生徒に敵意がない。むしろ本人が一番気づいていないように見えた。それに過去にも似たことがあったらしい」
「過去?」
「去年の秋。……君と僕が、保健室で会った頃だ」
承太郎はそこで少しだけ沈黙した。その日が何を指すのか、説明する必要はなかった。
「……あの時期か」
「ああ。ただし、関係があると決めるには早い。時期が重なっているだけかもしれない。だが見過ごすべきでもない」
校庭からは部活動の声が遠く聞こえていた。
「しばらく様子を見る。危険な兆候があれば、すぐに知らせる」
「無理すんじゃねえぞ」
「もちろん。僕は自分を知っている」
承太郎はしばらく黙った。
「なら、かまわんが。やばいと思ったら、すぐ言え」
「ああ」
それで話は終わった。必要なことだけを確認して、二人は校舎裏を離れた。
翌日から、花京院は(苗字)を見るようになった。もちろん露骨にはしない。
見るのは顔ではなく、反応だった。誰かの声が強くなると、彼女は先にそちらを見る。
冗談が少しきつくなると、笑うまでに一拍置く。楽しそうにしていても、どこかで周囲の空気を測っているように見えた。
何も知らない顔だった。敵ではない。少なくとも、今は。けれど花京院にはもう、それをただの学校生活として見ることはできなかった。
