夢主の名字は固定です。
3.The Pink Cheeked Parakeet
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
チャイムの音が校舎に響く。
授業が終わり、昼休み。みんなで昼食を食べようと、僕たちは空座高校の屋上に集まっていた。
「怪我の具合はどうだ? 鐘威」
「問題ありませんよ」
フェンスに寄りかかって座る黒崎さんが、先日の怪我について尋ねてくる。僕の返事を受け、あいだに座っていたルキアさんが自信たっぷりな笑みを浮かべた。
「私の処置の手際がよかったおかげだな」
「そうですね。ありがとうございます」
僕もルキアさんの左隣に腰を下ろす。左手には璃鎖と唯和も座っていて、とっくに食べ始めていた。
浦原商店の台所を借りて作った弁当箱を広げる。おにぎりを一つ取って口に頬張った。うむ、いつもと変わらぬ味だ。
ぼんやりと咀嚼を繰り返していると、黒崎さんは言いにくそうに視線をさ迷わせる。
「──で、その……聞いていいか? この前の夜、お前がどういう状態だったのか」
──井上さんの家での出来事か。
溜め息の代わりに、おにぎりを持つ手を膝の上に下ろした。
翌朝、浦原商店の寝室で目覚めた僕ですら状況がすぐに呑み込めずに混乱したのだ。何も知らない黒崎さんたちはなおのことだろう。
「唯和からは聞きませんでしたか?」
「本人の口から聞いておきたいんでしょ~? それでなくても唯和ちゃん、ウソしかつきませんからぁ~?」
「自信満々に言うことではないですよ……」
ケラケラと笑う唯和を一瞥し、お茶を一口飲む。
説明と言われても、正直僕も全容を完全に把握しているわけではないのだが。
「僕は、どうも昔から悪霊を呼び寄せてしまう体質なんだそうです……なんでも、体に入り込みやすいとのことで」
そう、昔から悪霊に好かれたらしい。生まれたときからの逃れない体質だ。
太陽に手を透かしてみる。おそらく、これは悪霊にとって居心地のいい体なのだろう。過去、僕の体を狙ってたちの悪い幽霊が次々と寄ってきて、家族が苦労していた。
「だから、僕は幽霊が嫌いなんです」
「なるほどな……」
虚と遭遇した際、いの一番に僕ばかりが怪我をしているのもおそらくその影響だと思われる。たぶん。決して僕の運動神経の問題だけではないはずだ。
同じく霊媒体質である黒崎さんは納得したような声を漏らした。僕ほどではなくとも、似たような経験をしたことはあるのだろう。苦労が偲ばれる。
「……で、今も取り憑いてるのが死んだお前の兄貴ってことか? 複雑だな……」
「何の話ですか?」
「何って……お前の中にいるっていう悪霊の……」
黒崎さんは怪訝な表情を見せた。後ろから唯和のわざとらしい溜め息が聞こえる。
しかし、僕はかまわない。それよりもまず、提示しておかなければならない「事実」があるからだ。
「僕に
「は──?」
首を傾げると、黒崎さんは混乱した様子だった。ルキアさんも似たような表情をしている。
「僕に兄弟はいません」
「でも……お前の体を使ってた奴が……」
「黒崎さん、あなたは悪霊の言葉を真に受けるんですか?」
そう言うと、彼は言葉に詰まった。
「この体を乗っ取ろうとしている悪霊の甘言を、信じるんですか?」
なんて、いたずらっぽく言ってみる。黒崎さんは不服そうにしながらも大人しく口を閉じた。
これでは、無理やり黙らせたようなものだな。
──しかし、僕に兄がいないのは本当だ。
嘘でも誤魔化しでもない。そんなものは
文句を言ってやりたいが、あいにくと悪霊と言葉を交わしたことはない。あれは僕の体から一切出てこないのだ。おかげで顔もわかりゃしない。
まったくはた迷惑な悪霊である。しかもわざわざ《こんなところ》までついてきて、物好きな……。
「ともかく、黒崎さんたちは気にしなくていいですよ。僕のことより自分のことを考えるべきです」
「いや……だけどお前も──」
「そうだよぉ~。他人のことばかり考えて人生を無為に消費するバカは見ててつまんねーぞぉ~?」
ぐっと左肩が重くなる。唯和が寄りかかり、全体重を預けてきていた。
「唯和……どういう生き方を選んでもその人の自由ですよ」
「あぁ~、はいはい。毎回毎回虚に殺されかけるのも橙亜の自由ですよねぇ~」
「唯和は毎回ちゃんと安全な位置に避難していて偉いですよね。見習いたいです」
純粋な称賛の気持ちを述べたが、唯和からは舌打ちが返ってきた。何なんだ、まったく。
ご機嫌が斜めなのかと口を開きかけたが、割って入った声によってその気は失せた。
「あれぇ!? またいっしょにいる。キミたちずいぶん仲いいんだねぇ」
「水色」
昼食を手に持った小島さんが屋上にやってきた。黒崎さんの文句に返事をしつつ、彼の隣に腰かける。
すると、唯和は途端に綺麗な笑みを浮かべた。
「やっほ~水色~、今日もかわいいね~」
「唯和もね」
「当~然~。唯和ちゃんは世界一かわいいからね~?」
「お前ら……その上辺だけみたいなやり取り毎回やってて飽きねーのか?」
調子のいい唯和と小島さんの挨拶に黒崎さんが溜め息をついた。もはやすっかりおなじみのやり取りとなっているらしい。
「上辺だけとは失敬な~。オレの水色を愛する気持ちにウソ偽りなんてないんですけれどぉ~?」
「わぁ、ありがとー」
「世の中は『かわいい』であふれてるんだぜ~? 一護ももっと周りのかわいい存在に目を向けたほうがいいんじゃないのぉ~?」
笑顔で唯和を受け流す小島さんに対し、黒崎さんは「話が通じねぇ」とばかりに眉間のしわを深くした。ふざけているときの唯和とはまともに会話が通じないと、そろそろ諦めるべき頃合いである。
紙パックのストローに苦戦しているルキアさんに飲み方を教えていると、再び屋上の扉が開いた。次にやってきたのは浅野さんで、茶渡さんはまだ来ていないのかと尋ねてくる。
その際、ルキアさんの存在を発見した彼のテンションは急上昇していた。唯和の「ここにも美少女がいるんですけどぉ~?」という野次を無視し、浅野さんはヒートアップする。元気な人だ。
そんな和気あいあいとした団欒の中、突如として場を乱す者が現れた。
「よー、黒崎」
「お……ッ大島……! 停学とけたのか……」
浅野さんの背中を蹴り飛ばして現れたのは、先日まで停学していた大島麗一さんだ。入学式の日に黒崎さんたちと喧嘩をしていた不良の一人である。
大島さんは早速黒崎さんに因縁をつけている。食事中に暴れられるのは少しばかり迷惑だなぁと眺めていると、頭上を軽やかに何かの影が通過した。
「よっ」
「ヘブッ!」
突然、璃鎖が大島さんの左頬に向かってドロップキックを食らわせた。それは本当に唐突で、そしてあまりに見事に決まったものだから、周囲の僕たちはすぐに反応ができなかった。
大島さんは床にうずくまる。僕は慌てて璃鎖を振り返った。
「な…………何やってるんですか!?」
「唯和がやれって」
璃鎖は何食わぬ顔で唯和を指さした。
唯和は優雅にペットボトルのお茶を飲み干して、ニヤリと笑う。
「唯和ちゃんの前にかわいくねーツラ見せるバカが悪いんだよぉ~だ」
「だからって璃鎖にやらせないでください。璃鎖も、唯和の言うことを簡単に聞かないで……」
「でも、友だちのお願いは聞いたほうがいいって」
「他人に暴力を振るうほうが駄目なんですよ、世の中では」
男子たちは璃鎖の奇行に若干引いているようだった。ルキアさんだけは「よくやった!」とのんきに笑っている。
「クソッ……なめやがって……!」
頬を押さえつつ立ち上がった大島さんの額には、血管が浮き上がっていた。自分よりも圧倒的に小柄な女生徒にしてやられれば怒りが収まるはずもなし。
懐からメリケンサックを取り出した大島さんに対し、璃鎖も迎撃の構えを取る。
さすがに黙っていられずに黒崎さんが割って入ろうと動いたが、その前に大島さんの体は宙に浮いた。
「おぶッ! おべべべべべ、ぱふ!!」
屋上を転がりながら、悲鳴を上げる大島さんが飛んでいく。
その光景に冷や汗を垂らす浅野さんは、大島さんを投げ飛ばした張本人を見上げた。
「……チャ……チャド……!」
「ム……」
遅れて屋上にやってきたのは「チャド」こと茶渡泰虎さんだ。
茶渡さんは頭に包帯を巻いており、左肩に鳥籠を背負っている。遅くなったのは途中で交通事故に遭ったためだった。
「チャドは相変わらず大きいね! 一番だね!」
「みんながチャドより小さいからって、別に璃鎖がチビじゃなくなるわけじゃないぞぉ~」
「唯和はなんでそんな意地悪言うの!?」
「唯和ちゃんは事実しか言いませ~ん」
隣で行われる璃鎖と唯和のじゃれ合いを横目で見る黒崎さんが、「コイツとの友達関係、見直したほうがいいんじゃねぇか?」と呟いた。特に反論が思い浮かばないのが困ってしまう。
いやもちろん、唯和にも唯和でいいところはあるのだ。僕の「人助け」も邪魔せずに協力してくれているし……。
そう思って視線をやると、唯和は急に表情をなくした。視線の先には、茶渡さんが肩に担いでいた鳥籠があって──。
「コンニチハ! ボクノ ナマエハ シバタ ユウイチ! オニイチャン ノ ナマエハ?」
流暢に喋ったのは、鳥籠の中のかわいらしい鸚哥だ。
興味を引かれた浅野さんが駆け寄り、自己紹介をする。その後ろに璃鎖も続いた。
「すごいね! これ、ほんとにインコ? めちゃくちゃ人間っぽい!」
中に「人間の男の子の魂」が入っているので、ほぼ人間である。
璃鎖はまだその辺りの差異がわからないようで、普通にはしゃいでいた。まあ、僕も「言われてみれば魂が二つ重なっているなぁ……」ぐらいの曖昧な認識ではあるのだが。
「ねぇ、橙亜! かわいいよ! こっち来なよ!」
「僕はここからで十分です。昔から動物にはあまり好かれないたちなので……」
「そういえばそうだった。じゃあ唯和は?」
いつもなら真っ先に「かわいいもの」に飛びつくはずの唯和は、いまだ僕の隣に座っていた。
振られた唯和は、ニコリと笑って。
「オレ、アレルギーだから近づけないでくれる? それ」
冷たく言い放たれた言葉に、一瞬空気が静まり返った。しかし、璃鎖は気にした様子はなく「そっかぁ」と鸚哥の相手に戻っていく。
唯和は立ち上がり、短いスカートを翻して僕たちから一歩、二歩と移動した。みんなから少し離れた場所のフェンスに寄りかかり、地面を見下ろす。
その表情はいつも通り、何を考えているのかわからないニタニタとした笑顔だ。高い場所から、おそらく動き回っている人間を眺めて楽しんでいる。
「…………」
片や隣では、黒崎さんとルキアさんが今夜の代行業の話をコソコソとしていた。目の前では、璃鎖と浅野さんが鸚哥に話しかけ、茶渡さんと小島さんが楽しげに見守る様子が広がっている。
唯和が空気を乱さなければ穏やかな昼休みだ。思わず、溜め息が出てしまう。
──何がそんなに、気に食わないのだか。
性格も悪ければ意地も悪い。息をするように嘘をついて、他人をからかうことが生き甲斐のような女だ。
そのうちにきっと、痛い目を見る。他人に振りかざした行いは、巡り巡って自分に返ってくる。
そんなことは誰よりもわかっているはずだろうに。それでも、周りに「当たる」ほど何かにイラついている。
僕には唯和ほど他人の感情を察する能力がないので、わかる由もない。わかってあげられないのが歯痒くて、申し訳ない。
あぁ、でも。一つだけ、気になることがあるとすれば──。
──アレルギー……ね。
そんな話は初耳だ。友人になってからこれまで、アレルギーがあるなどとは聞いたことがない。
最近になって発症したのだろうか。それならばさっさと情報共有をしておけ、という話なのだが。
──《今回》は、誰も死なないしな……。
フェンスに寄りかかり、ぐっと空を見上げる。清々しいまでの青空だ。
流れる雲をぼんやりと眺めていると、そのうち昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
*
「で、《今回》はどうします? 《前回》同様、誰も死にませんけれど」
丸いちゃぶ台を囲み、璃鎖と唯和を見る。
下校した僕たちは、浦原商店の自室で作戦会議と銘打った話し合いをしていた。そんな大事な話を浦原商店でやっていいのかと思うところだが、どうやらみんな外出中のようなので、まあ大丈夫だろう。
僕の質問に、唯和は呆れたような笑顔を浮かべた。
「前回だって誰も死なないのに『クラスメイトとして心配です……』とか何とか最初に言い出したのは橙亜じゃ~ん?」
「そりゃ……心配はしますよ。因果の鎖が切れなかったとはいえ、井上さんの魂は肉体から離れたわけですから、臨死体験じゃないですか」
「はいはい、お優しいこ~と~で~」
唯和はちゃぶ台の真ん中に置かれた個包装の煎餅を手に取り、トランプタワーのように並べ始める。
隣では璃鎖がバリバリと煎餅を頬張っていた。璃鎖はいつも僕たちの会議には口を挟まず、成り行きを見守っている。
「今回はすでに死神を二人食べている虚ですし、僕たちを守らせる負担をルキアさんたちに強いるのは……気が引けます」
「今さらぁ~? んなもん、最初っから一護たちの負担になってるだろ~? 毎度毎度負傷している橙亜ちゃ~ん?」
「……ですから、反省して少し距離を置きませんかという提案です」
僕としては、《流れ》が大きく逸れていないことが確認できればそれでいい。それだけなら戦闘に関わらない遠目からでも可能なはずだ。
唯和はジロリと僕の顔を覗き込む。そんなにじっくり見たところでいつもの無表情なのだから意味はない。溜め息の代わりに視線を落とした。
「ふふっ、都合がいいねぇ~?」
「……そうですね」
「別に責めてはいないよぉ~。自分の身の丈に合った行動を取れる頭を橙亜が持っていてくれて、感謝したいくらぁ~い」
唯和はパチン、と手を合わせた。その衝撃で、立てた煎餅が崩れ落ちる。
「んじゃ、明日は一護たちの数十メートル後方で見学ってことで~、決まりね~?」
「わかりました。朝起きたあと、学校に欠席の連絡を入れましょう。かまいませんか?」
「オレはサボりに抵抗ナッシン~グ」
「私もー。勉強するの好きじゃないし……」
「むしろ優等生の橙亜ちゃんが一番イヤなんじゃないの~? 授業が聞けなくて~」
「一日くらい休んだ程度では変わりませんよ」
「わぁ~、優等生らしい回答、あざま~す」
そういうわけで、作戦会議は終了した。どうにか上手くいったので、安心してついつい煎餅に手が伸びる。
明日に備えて今日は早めに寝て、ゆっくりと体を休めることにしよう。
*
「──橙亜、橙亜! 目覚まし鳴ってるよ」
「…………ん」
布団の上から体を揺すられ、目を覚ます。
ぼんやりと聞こえる目覚まし時計に手を伸ばし、布団の隙間から璃鎖を見上げた。
「おはようございます……」
「おはよう!」
朝から元気なことだ。
二度寝したい気持ちを押しのけるように起き上がる。今日は弁当を作らなくていいのでいつもより一時間ほど遅い起床なのだが、それでも体がまだ睡眠を欲していた。自覚しているよりもずっと疲労が溜まっているらしい。
「今日は珍しく唯和のほうが起きるの早かったみたいだね!」
「へぇ? あの夜更かし常習犯が……」
隣を見れば、唯和の布団は綺麗に畳まれていた。
僕たちも同じように布団を片付け、服を着替える。顔を洗って台所へ向かうと、鉄裁さんが食事の用意をしているところに出くわした。
「おはようございます」
「おはよー!」
「おはようございます。橙亜殿、璃鎖殿。今朝はずいぶんとゆっくりですな」
「はい、今日は大丈夫な日で……」
素直に「学校をサボる」と言うのは憚られ、言葉を濁した。
実態はどうなっているのかわからないが、浦原さんによって空座高校に通わせてもらっているのは事実だ。それを思うと申し訳なく感じてしまうのは無理からぬことである。
「ふむ……では、唯和殿だけがいつも通りですかな? 朝早くに出かけていったようですが……」
「え?」
何気ない鉄裁さんの言葉に、驚きの声がこぼれた。
言われてみればと周囲を見回して、近くの霊圧を感じ取る。少なくとも、店内に唯和の霊圧は感じなかった。
「本当ですね……どこに行ったんでしょう……?」
じわじわと、嫌な予感がせり上がってきた。唯和は一体、一人でどこに行ったのだろう。
別に、必ず三人一緒に行動せねばならないなんてことはない。唯和がふらっとどこかへいなくなること自体は日常茶飯事である。僕自身も、他人がどこで何をしているかを常に把握しておきたい欲求はそれほどないのでかまわない、が。
──今日は茶渡さんの一件が……。
無関係だろうか。無関係であってくれ。
もし、もしも彼女が一人で事件に関わろうとしているのだとしたら──絶対に、ろくでもないことになる。
「…………璃鎖、唯和を探しに行きましょう」
「えっ、朝ごはんは?」
「いえ、そんな時間は……」
「おっと、育ち盛りが食事をおろそかにするのはいただけませんぞ」
「う……」
璃鎖と鉄裁さんに両側から挟まれた僕には、二人を押しのけられるほどの確証は提示できず……。
猛スピードで朝食をかき込み、璃鎖と二人で浦原商店を飛び出したのだった。
*
「──さて、ど~こに行こうかね~」
伸びをしながら、ひんやりとした朝の空気の中を進む。
すっかり暖かくなった季節だけれど、早朝の日陰は肌寒い。まあでも、一歩日向に出ればすぐに解決する程度の問題だ。わざわざ文句を口にするほどではない。
「橙亜たちはそろそろ起きた頃かな~?」
ゆったりと静かな住宅街の道路を歩く。行き先は特にない。
完全に勢いで飛び出してきてしまったから、もはや迷子も同然だった。
とは言っても、帰り道がわからないわけではなく、現在地がどこだかわからなくなっているわけでもない。橙亜ほどではないが、来た道も周囲の道もあらかた覚えている。
ただ、「行きたいところ」がわからないだけだった。
「いいや、目的地はわかってる。『面白いところ』、だろ?」
そんな抽象的な話はわかっていないのと変わらねーんだよ。
だいたい、「面白いところ」ならすでに来ている。《ここ》だ。《この世界》に来たことが、これまでの人生で起きた何事よりも面白い。
想像すらしなかった非日常、非現実。夢の世界。理と大差ない次元の壁をあっさり越えて今、《ここ》にいる。
あぁ、考えただけで胸が躍るよう。この《先》の全てを知っている高揚感、万能感、全能感に酔いしれる。
まるで、神様にでもなった気分。
「ただの人間が、イキっちゃってさ」
この世界で、オレは何をする。決まってる。ただ「楽しむ」だけさ。
からかって、嘲笑って、何のしがらみもなく、自由に人生を謳歌したい。人間として生まれたなら当然の感情だ。何ものであっても、オレの人生の邪魔をする権利など持ち合わせていない。
だから──。
「……おや、おや、おや」
何気なく顔を上げると、道の先に男が一人立っていた。
彼はオレと同じく空座高校の制服を身に纏って、どこかのお宅の塀に格好つけて寄りかかっている。黒髪に、眼鏡をかけたとても見覚えのある男子生徒だ。
確か……家はこっち方面じゃなかったはずだが、こんなところで会うなんて。まあ、この辺りの道は空座高校へ向かう通学路の範疇ではあるから、まったくおかしくはないのだけれど。
「朝っぱらからクラスメイトをストーカーですかぁ~? 優等生の、石田雨竜君?」
無視してもいいが、目的のある徘徊ではなかったのでちょうどいい暇つぶしになるかもしれない。愉快犯のような気持ちで声をかけてやると、彼は眼鏡のレンズに朝日を反射させてこちらを見た。
「君こそ、一人で何をしているんだい? 蜜江唯和さん。いつも一緒にいるお友達は、今日は一緒じゃなさそうだね」
周囲を見回す素振りも見せず、石田君は言いきった。「ストーカー」を否定してこないところを見ると、オレ相手に一護並のシリアスをぶつけるつもりらしい。正気か?
──オレの霊圧が単独行動してたから、ちょっと様子見に来たって感じかね。
一護やルキアと仲良くしてるからか、それとも、《この世界》に突然現れたときの霊圧の動きが不自然だったとか。
引っかかる不審な点など叩けばいくらでも出るだろうから、推測する気も起きない。何にせよ、適当に誤魔化して逃げるのが「最適解」よね。
ほら、唯和ちゃんってば、無力でか弱いただの一般人ですし? ビクビク怯えながら必死に命乞いをしないと、ね?
「何してるって……この時間に高校生が制服着て歩いていたら登校以外の何物でもなくない? バカなの~?」
「…………」
「おいおいだんまりかよ~。意図した答えを引き出したいのならわかりやすく質問しないとダメですよぉ~? オレがわざわざアンタの意図を察してやる義理はねーんだからさぁ~」
ツッコミ待ちの煽りだったが、残念ながら不発に終わる。やだ、これじゃあオレがマジメ君に絡む不良娘みたいじゃない。
上目遣いで見上げると、石田君は睨むようにオレを見た。
「今の言い方は『僕の質問の意図がわかった上で別の回答をした』と取るけど、いいかな?」
「ひどいわ! まるで唯和ちゃんの性格が悪いみたいに……!」
「違うのかい?」
「事実だけど~?」
「じゃあ、問題ないね」
女の子相手に容赦のない男だが、敵に容赦をしないのは大変正しい。
石田君は眼鏡を押し上げ、オレを見据える。
「単刀直入に聞こう。君は一体、何者だい?」
「異世界人」
「へぇ?」
ふざけた返答に、彼は動じない。少し眉を上げた程度だ。
マジか。もっと「ふざけるな!」的なツッコミを期待したのだが、本当にシリアスのままいくようだ。
「信じた~?」
「まさか。性格が悪い人間の言葉をまともに受け取るほど、僕はバカじゃない」
「オレ、生まれてこの方一度もウソなんてついたことないのにぃ~。イヒヒ」
さて、それではキミは、そんな性格の悪いウソつきにわざわざ何を聞きにきたのかな?
「君は、『霊絡』というものを知ってるかい?」
オレの言動を意に介さず、石田君は強引に話を進める。うんうん、オレの話は七割流すくらいが楽でいいよ。
──で、霊絡……って、あれか。一反木綿みたいにヒラヒラした細い布みたいなヤツ。
確か、普通は白だけど死神は紅くなるんだったかな。
「知らないなぁ~、マンガの用語か何か~?」
「大気中の霊気を圧縮して視覚化したもの。上位の死神にしか視覚化することはできず、また上位の死神にしか触れることはできない」
「はぁ……霊気、死神? キミ、高校生にもなって幽霊とか信じちゃってるの~?」
「君だって、見えてるんだろう?」
細められた目に、背筋が粟立った。バレないように笑顔を浮かべる。
空気が冷え込んでいくように静まり返る。研ぎ澄まされていく。周囲を確認したいけれど、視線は石田君に固定したまま、少しも動かさない。
視界の端で、何かがヒラヒラと動いた。おそらく、オレたちを囲むように白い「それ」は現れている。
オレは少しも反応せず、黙って石田君に笑顔を向け続けた。
──別に、霊感があることを隠す必要なんてないんだけどね。
その程度のことは、とっくに霊圧でバレている。じゃあなんで隠すのかって? んなもん、彼の言い分を素直に認めるのがムカつくからに決まってるじゃん。
オレからなら求める情報を抜き出せるだろうと舐めた真似をしてくれた彼に対する、ちょっとしたイヤがらせだ。それでなくともイライラしてたんだから、ストレス解消の捌け口になってよね。
「で、見えるって、何がぁ~?」
最高の笑顔を浮かべて顔を覗き込むと、石田君の眉尻がピクリと動いた。あ、イラッとした?
「白々しさもここまでくると才能だな」
「オレほど『潔白』な人間はそうそういないだろうね~」
「……確かに、君の霊絡は
彼の言葉に、思わず「そりゃそーだ」と言いそうになった。その視界を白い霊絡が横切る。
オレはただの人間だ。《この世界》に来て幽霊が見えるようになりはしたけれど、それ以外は本当に、ただの普通な美少女である。
橙亜みたいなチートじみた記憶力はないし、璃鎖みたいなイカれた運動能力もない。三人の中で、オレこそが一般人だ。
何もできない、ただの人間だ。
──なのに、無責任に橙亜を焚きつけちゃってさ。
面白いと思ったからやった。おかげで橙亜が苦労している。
後悔はしていない。おかげで毎日楽しく過ごせている。
でも、このままじゃ
「──変わらないが……一つだけ、おかしな点がある」
あ、そうだ。今は石田君と話している最中だった。
目の前の出来事を差し置いて別の考え事なんて、もしや飽きたかオレ様よ。いいや、石田君のリアクションがつまらないのが悪いね。面白ければもっと会話に集中できたのに。
視界の端では、相変わらずユラユラと白いものが揺れている。
石田君の左手がこちらに伸びた。ちょうどオレの胸の辺りを指して、空を掴む。
「ここに
「────」
石田君の左手をつい、目で追ってしまう。
彼の拳の隙間から、千切れたように紅い霊絡がこぼれていくのが見えた。