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11.FLOWER ON THE PRECIPICE
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翌朝。
いつもと同じ時間に目が覚めたことに、僕は少しだけ安堵した。
──生きている……。
心臓に手を当てると、自分の鼓動を感じる。
布団から出て、窓から朝日を浴びた。外はまだ、静かだ。
死覇装に着替えて布団を畳み、部屋を出る。詰所に向かい、他の隊士たちと合流した。
瀞霊廷を揺るがす大事件の報が飛び込んできたのは、それからしばらくあとのことだった。
藍染隊長の訃報と、雛森副隊長が拘禁牢に入れられたという情報は、またたく間に隊士たちに知れ渡った。
隊長と副隊長が揃っていなくなったことで五番隊は大混乱だ。三席を筆頭に上位席官たちが駆け回っているが、統率は取れていなさそうに見受けられた。
慌ただしい隊舎内を、僕はぐるりと見回して。
「抜け出すのなら今がチャンスですかね」
そろりそろりと、混乱に乗じて隊舎から飛び出した。
勝手に持ち場を離れたことがバレればあとで処罰は確実だ。しかしながら、本日は石田さんとマユリさんの戦いが行われる日である。
その戦いが終わるまで──正確には、十二番隊隊士の皆さんの命を拾い上げるまでは、他の誰にも見つかってはいけない。
ここから誰にも見つからずに璃鎖たち五人と合流して、十二番隊隊舎に向かうのだ。
そう意気込んで、僕は足を踏み出した。
「──なんや、自分とこの隊長が死んだゆうのに薄情な顔やね。橙亜ちゃん」
するりと首筋を撫でられたような悪寒が走る。
隊舎を出てすぐの曲がり角の前を通った瞬間だった。僕は足を止め、ぎこちない動きで振り返る。
角の死角の位置に、彼はいた。寒気がするような笑みを固め、腕を組んで壁に寄りかかり、僕を見下ろす市丸さんが。
──どうして……ここに?
会うのは尸魂界で目が覚めた日以来だ。そもそも、平の隊士がよその隊の隊長に会うこと自体がめったにない。
なのに今日、よりにもよって藍染さんが殺されたのがわかった直後に──それも自分の隊の副隊長も含めた一悶着があったのに、どうして彼はこんなところにいるのだろう。
五番隊隊舎に用があったのか? いや、あったのかもしれないが──さすがの僕でも、そこまで鈍感ではない。
──何かのついでだとしても、わざわざ、僕に会いに来たのか……? なぜ? まさか昨夜の藍染さんとの接触に何か関係が?
「すみません。もともと無表情なのと、まだ、実感が薄くて……」
「赤の他人が死んでもわんわん泣くのが橙亜さんやと思とったけど……藍染隊長には冷たいんや? 橙亜さんのためにあない健気に頑張ってはったのになァ……かわいそうに」
ドキリとした僕を見透かすように、市丸さんは笑みを深めた。「かわいそうに」と言うわりには楽しそうな雰囲気だ。
こちらに一歩、二歩と近づいてきて、「それとも……」と首を傾げる。
「もしかして──知ってるん?」
「何を、ですか?」
「言うてええの? 困るんは橙亜ちゃんやあらへん?」
言葉に詰まった。何を返しても墓穴を掘る気がして、口を閉ざす。
その行為こそが肯定であることは理解できたが、しかし他の選択肢もない。黙って彼を見上げるしかない僕に、市丸さんは笑顔のまま眉を上げた。
「そない警戒せんでもええよ。ちょっと顔見に来ただけやから」
「……意地悪しに、とかではないんですか?」
「意地悪? ボクが橙亜さんに? せぇへんよ、そないなこと。あとが怖いやんか」
やはり思ってもいなさそうな声音だ。感情が読み取れない笑顔が、ただ狙いを定めるようにずっとこちらを見ている。
──というか、「あとが怖い」って……怖いのは現状の僕のほうなのだが……。
「せやけど、ちょっと気になるなァ」
市丸さんは右手を持ち上げ、長い人差し指で僕の喉を「トン」と指した。
「──」
「橙亜さんが死んだらどないな顔するんやろね、藍染隊長は」
一瞬、くらりと。後ろに倒れそうになったのを足を引いて耐える。
庇うように自ら喉を撫でると、遅れて出てきた冷や汗を感じた。これが意地悪でないのなら何なのだろう。
「……優しい、藍染隊長なら……悲しむのではないでしょうか」
「そらそうや、仲間が死んだら誰でもそうやわ」
目を逸らした僕に対する当てつけのように市丸さんは言った。……僕だって一応、《原作》を読んだときは本当に藍染さんの死を悲しんではいたのだが、どのみち言える話ではないか。
──まあ、でも……実際の藍染さんが悲しむとは思えないな……それも僕ごときの死で。
自嘲したい気分でいると、市丸さんは肩を竦めて溜め息をついた。
「けど──なぁ、橙亜さんって敵なん? 味方なん?」
息が詰まる。さっきから怖いことばかり聞いてきて、何なのだ一体。
僕をからかって遊んでいるだけなのだろうか。昨夜の藍染さんよりはまだ可能性は高そうだが、それにしたってなんというか、問いかけが少々直球すぎやしないか。
──僕はそこまで警戒されるようなものではないのに……。
もはやこれは「僕」というより、「過去の僕」に対する警戒なのだろう。本当に何をやらかしてくれたのだ過去の僕は。
市丸さんはじっと、見定めるように僕を見ている。こちらの一挙手一投足を見逃すまいとしている。
はたしてこの問いかけ、「味方」と答えて納得してもらえるのだろうか。
──そもそも、それは誰に対しての話なのだ。
藍染さんに対してか、それとも市丸さんに対してか。敵か味方かなどは相手によって変わるものなのに、不親切な聞き方だ。
……まあでも、僕がこの質問に答えるなら、誰が相手でも基本的には変わらないか。
僕は市丸さんをまっすぐに見上げた。
「あなたが誰かを殺すのなら、あなたの敵です。あなたが誰かに殺されるのなら……味方、のつもりです。一応」
「へぇ?」
「誰に何をされても答えは変わりません。たとえ市丸隊長が僕を殺そうとしても、です。あ、いえ……だからといって本当にやられると困るのですが……」
まっすぐに見上げていたのだが、言い終わる頃には視線がちょっとずつ下がっていた。うん、今ここで殺されるのはすごく困る。なんて格好のつかない決意表明だ。
数歩後ずさってから、再び顔を上げた。
市丸さんは変わらず笑顔を浮かべている。しかし、周囲の温度が下がったような感覚がして──。
「ほんまにおもろい人やね、橙亜さんは」
──あぁ、これは嘘だなと僕でも理解できた。
理解できたが、何を返せばいいのかわからずに立ち尽くす。いやまあ、確かに。敵にも味方にもなり得るなら結局は「敵」ではないかと言われたら、何も反論ができない。
一応、現在の彼らの目的は「ルキアさんの処刑」なわけで。今の僕は思いっきり彼らの邪魔をしますと宣言したも同然だ。そういうつもりではなかったのだが、結果的にそうなってしまった。
どうして僕はいつもいつも、力もないのにこんな偉そうなことばかり言ってしまうのだろう。いい加減、これが無意識にやってしまう癖の類いだと自覚すべきか。あぁ、自己嫌悪が捗ってしょうがないぞ……!
市丸さんと向かい合ったまま、無言の時間が続く。
これはあれかな。さっさと挨拶して離れるべきなのかな。
そろそろ焦り始めてきた僕だったが、そんな思考の外から物音がして、振り返った。
「──あれ、何してるの?」
道の陰からひょっこりと、無邪気な顔が覗いている。璃鎖だ。今日の集合をちゃんと覚えてくれていたようだ。
璃鎖を認めた市丸さんは、後ずさるように僕から離れる。
「お友達が来てしもたみたいやね……残念。ほな、ボクはこの辺で。唯和ちゃんに会うたら仕事しろって怒られてまうかもしれへんし」
適当に並べたような言い訳をこぼし、冷たい笑顔で手を振った。
「またあとでね。橙亜ちゃん」
言い残し、彼は瞬歩で姿を消した。どこに行ったのかは定かではないが、ともかく彼の霊圧は近くから消えていた。
先ほどまで市丸さんがいた場所を見つめ、溜め息を吐く。できれば今後も彼には会いたくはないが、《将来》を思うと無理な話か。
気を取り直すように璃鎖に視線を戻すと、難しそうな顔で首を傾げている。
「なんか……唯和と似たにおいがする隊長さんだね」
「返事に困りますね……」
いくら市丸さんの性格があまりよろしくはないとはいえ、唯和と一緒にされるのはたまったものではないだろう。
何かフォローを入れておくべきかと思案していると、また別の足音が聞こえてきた。
「あれ、璃鎖が最初に到着したの? 珍しい……」
驚いた顔で近づいてきたのは鏡哉だ。人工物に囲まれた道では迷いやすい璃鎖が一番乗りだったのが意外らしい。
璃鎖はピョンピョンと跳ねるように鏡哉の隣に向かった。
「藍染隊長が死んだって聞いて、橙亜が泣いてるかもって思って……あ! 橙亜、大丈夫!?」
「大丈夫ですよ」
「大丈夫なの……?」
振り返った璃鎖はあんぐりと口を開ける。忙しないことだ。
そんな璃鎖の頭に鏡哉が手を置いた。
「まあ……それはおいおいね。それより璃鎖、隊舎から出てくるときに隊長に言ったりした?」
「東仙隊長は四番隊に行くって先に出て行ったから、言ってないよ!」
「ならいいか……ひとまずは。始解を見てないボクたちが死体に近づかないなら、優先的に襲ってくることはない……はず。一応。たぶん……」
鏡哉は祈るように天を仰いで念じている。この尸魂界において誰に祈っているのだろう……霊王だろうか。
そんな鏡哉の言う通り、結局現時点まで僕たち六人の誰も鏡花水月の始解を目にしていなかった。
どうにか理由をつけて僕たちに始解を見せてくるだろうと警戒していたが、身構えているうちに今日がやってきてしまったのだ。
やはり藍染さんにとっては僕たちはどうでもいい存在で、仮に催眠にかかっていないと主張しても虚言として周囲に受け取られると想定しているのだろうか。事実、信用度においては藍染さんと僕たちでは雲泥の差がある。それなら実にありがたいのだが……。
「あ、琲眞も来た。おーい!」
璃鎖が空を見上げて手を振った。琲眞が建物の屋根伝いにやってきたようだ。
軽々と屋根から飛び下りてきた琲眞を三人で出迎える。
「遅れたか?」
「いいえ、大丈夫ですよ。琲眞はすっかり瞬歩ができるようになりましたね……僕も見習いませんと」
「速度はまだまだ砕蜂には及ばん」
「数週間で隠密機動総司令官と並ばれたら立つ瀬がないでしょ……あと、目上の人には敬語を使おうね……」
「奴の下に就いた覚えはない」
鏡哉がたしなめるものの、琲眞は素知らぬ顔だ。
隊長である砕蜂さんを呼び捨てにできる琲眞の度胸には感服する。誰が相手でも態度を変えないのはある意味で平等だが、周りの人たちと上手くやっていけているのだろうか。……僕よりはやっていけているのだろうな。なんだか落ち込んできた。
「おっすー、お疲れェ。いやァ、派手に侵入してきたよな、一護たち」
次にやってきたのは結斗だ。普段と変わらぬ調子でヘラヘラと笑いながら、駆け足で向かってくる。
結斗の言葉に、璃鎖は数秒遅れて声を上げた。
「えっ、もしかして……旅禍って一護たちなの!?」
「えェ……知らなかったのかよ、璃鎖。白道門で顔見てねェのか?」
「はくとうもん……あぁ! 前に行った門のところ? 私は後ろにいたからよく見えなかったんだよね」
「チビだもんな」
「うがー! チビって言うなー!」
璃鎖が結斗に飛びかかる。なんとも、緊張感の欠片もない空気だ。一周回って安心してしまう。
そして、もっとも緊張感のない人間が最後に現れた。
「え、オレが最後~? 絶対璃鎖が迷子になってると思ってのんびり来たのにぃ~」
すでに揃っていた僕たち五人を見て、唯和は面倒そうに顔をしかめた。
先ほどの市丸さんとのやり取りを話そうかと一瞬考えたが、やめにした。過ぎたことはあとで報告すればいい。今、大事なのは別のことだ。
「五人とも、集まってくれてありがとうございました」
「いいってそういうの、どうせ俺たちに選択肢なんてなかったんだ」
「ボクは今からでもやめてほしいとは思ってるよ? 成功率も高くないし……」
結斗と鏡哉からは野次が飛んでくる。そんな二人の背中を叩いたのは唯和だ。
「ここまで来てウダウダ言うなよ~。文句があるなら力をつけろ。弱いから選択肢がねーんだよ、ザ~コ」
「同感だな。しかし……自覚があったのならなぜ最後に来た? 往生際の悪い遅延行為だが」
「えっ、急に刺すじゃん、琲眞君」
琲眞は真顔で首を傾げた。
さすがの唯和も天然相手に本気で怒る気はないのか、悔しそうに口元を歪める。ということは、遅れてきたのはわざとのようだ。しょうがない奴だな……。
二人のやり取りを眺め、璃鎖は不思議そうに言った。
「なんでそんなに嫌そうなの? うれしいことじゃないの?」
「嬉しいんですか……? あなたは」
「だって、ルキアのとちがって正しい人助けなんだよね?」
純真無垢な視線が刺さる。まあ、確かに……刑罰として死を求められたルキアさんに比べれば、一方的に利用されて殺される人たちを助けることは「正しい」寄りかもしれないが。
「……絶対的な正しさ、なんてものはないですよ」
それこそ、東仙さんなら言うだろう。「確信した正義とは、悪である」と。
「僕は『生きていること』が正しいと思っていますが、他の人たちもそうあれとは思ってはいません。それはあなたたち五人に対しても、そうです」
「……? そうなの?」
「はい。これはあくまで、僕のわがままなので……」
護廷十三隊とは、どういう組織か。
業務内容の話ではない。どういう思想の元に創られ、どういう在り方で今に至るのか、という話だ。
ここに来たばかりの頃は自分のことで手一杯であまり考えが及んでいなかったが、日常生活を送るようになって、改めて思い直した。
振って湧いた僕たちは本来《知り得ない》それを、全ての護廷隊士たちは程度の差こそあれ、精神に刻み込まれている。成り行きでやってきた僕たちにはない志が、この度の旅禍侵入に対する姿勢でも如実に実感できた。
──「隊士須く護廷に死すべし、護廷に害すれば自ら死すべし」
山本総隊長の教えでもある「尸魂界の正義を成す為には、己の命を賭すもまた死神の心得」という思想。あらゆる死神たちはその覚悟をした上で護廷十三隊に所属しているだろう。
マユリさんに《殺された》隊士たちにも、もしかしたらそういう考えの人がいるのかもしれない。僕には他人の心を正確に読み取る術はないから、可能性の話でしかないけれど。
もし、そうだったとしたら、僕たちがこれからすることはとんでもない余計なお世話で──純然たる、悪だ。
そこに正しさなど欠片もない。あるわけもないのだ。
「過去の僕も……護廷十三隊の思想を是としていたのでしょうかね……」
「ん?」
「いえ、独り言ですよ……」
僕が《この先の未来》を知っていることを差し引いたとしても、きっと今の僕には、そこまでの覚悟は持てない。
過去の僕がどういうつもりで護廷十三隊に入隊したのかはわからないが、少なくとも今の僕は──。
──命より大事なものなんて……理解できない。
何かを守るために命を使う。それはとても美しくて、立派で、正しいことなのだろう。
浮竹さんも《言っていた》、戦いには二つあると。命を守るための戦いと、誇りを守るための戦いが、あるのだと──。
溜め息をつこうとして、やめた。深呼吸をして息を止める。
璃鎖が不思議そうにこちらを見上げていたので、憂いを洗い流すように顔を上げた。
「観音寺さんにも言いましたが……弱いのです、僕は。だから、他人を助けて安心を得たいのです。そんな自分勝手な行いが、正しいわけがないじゃないですか」
人が希望を持ちえるのは死が目に見えぬものであるからだ──で、あるならば。
僕には死が見えすぎているのだろう。生まれたときからそれは常に、身近にあった。
物心ついた頃から幽霊が見えていた。彼らはいつもいつも僕に死の恐怖を、死に至った絶望をまざまざと語っていた。
だからこそ、僕は死を遠ざけたい。他人の死ですら、簡単に僕を絶望の底へと突き落とす。
その絶望を振り払う。そのために、僕は──。
「──行きましょう」
五人に呼びかけ、身を翻した。
目指すは十二番隊隊舎。誰も死なせないために、僕たちは走り出す。
望みを叶えるために踏み出していく。悚れている暇などない。
それが僕の心を救う、ただ一つの希望になると信じて。
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