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10.TATTOO ON THE SKY
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さて、外で頭を冷やしてから隊舎に戻り、しばらく経った頃。瀞霊廷中に緊急隊首会召集の号令が響き渡った。
隊首会時には副隊長も召集がかかるので、雛森さんは慌ただしく五番隊隊舎を出て行った。見送り時にやや不安そうな様子が窺えたが、それでも僕を気遣ってか「すぐに戻ってくるから、橙亜ちゃんは隊舎から出ないでね!」と笑顔を見せていた。
藍染さんに僕を頼まれたから、というだけではないだろう。まともな戦闘能力がない僕を、きっと純粋に案じてくれている。これが藍染さんの発言ならなんらかの含みを疑うところだが、雛森さんならその心配はいらない。
しかしこのあと、その優しさを裏切ることになるのがつらいところだ。十二番隊隊士の皆さんを助けるには、こっそりと隊舎を抜け出す必要があるので……。
将来的に、僕も雛森さんの精神に負担をかけることが確定していた。これでは藍染さんばかりを責められない。
彼女の負担を、どうにか減らすことはできないだろうか。藍染さんの本性が《あれ》である以上、精神的なダメージは避けられないが、せめて肉体的なダメージだけでも軽減を……。
「…………」
――「水猫」の能力で僕が雛森さんに化けて、身代わりになったり、とか……。
とはいえ、藍染さんの目を誤魔化せるほどの出来かと問われると、自信はない。
仮に誤魔化せて無事に胸を刺されたとして、意識を失ったあとに始解が解ければ、《あの場》に戻ってきた日番谷さんがきっと困惑してしまう。雛森さんのときのように激昂はしないだろう。それでは、僕の知る《流れ》と変わってしまう。
「……まあ、何もしないほうが無難ですよね。下手に《予定外》のことが起こったら大変ですし……」
そう結論づけ、雛森さんの部屋へと戻った。
皆さんが気を張り詰めている状況では何だが、今日は早めに就寝しよう。黒崎さんたちが本格的にやってくるのは、夜明け前の頃だろうから。
*
*
『緊急警報!! 緊急警報!! 瀞霊廷内に侵入者有り!! 各隊、守護配置について下さい!!』
本日の目覚ましは、ずいぶんと喧しい。
目を開けると部屋の中は真っ暗だ。全然夜中じゃねェか。朝などまだまだ程遠い。
けれど、今日はすんなりと体を起こせた。普段より睡眠時間は削られているが、それでも気分は幾分かマシだった。
朝日が満ちる室内よりは、こちらのほうがずっといい。溜め息代わりの欠伸をこぼし、俺は布団から立ち上がった。
「結斗くん! 守護配置だって! 一緒に行こう!」
「はァい」
隊士詰所から出ると、理吉さんが声をかけてくれる。隊長と副隊長は隊首会で呼ばれているから隊舎にはいない。すぐに戻ってくるだろうが、それまでは三席が全体への指示を出していた。
先輩たちに交ざり、俺は守護配置とやらに走る。見上げた空はまだ暗く、星が瞬いていた。
といっても、配置に就いたところで大した役には立たない。一番後ろに突っ立っているくらいしかできはしないのだが。
――いや、始解は習得できたから前線に出るべきなのか?
しかし、朽木隊長からは特に何も言われていない。
この世界にやってきてから、過去の俺の配属が六番隊とわかって、最初に隊長と面会したときのことだ。
隊長は俺に「雑務を任せる」と言った。得体の知れない人間に責任ある仕事は任せられないための妥協案なので、それ自体に不満はない。
それ以来、隊長から何かを言われたことはない。ちなみに、隊長たちの朽木ルキア捕獲の任に同行したのは四十六室からの命令だった。きなくせェよな。鏡哉もそう言って、顔色を悪くしていた。
――まァ、習得したって言っても、使いこなせているかは別の話なんだけどな。
そんなわけで、俺の立場は複雑だ。
隊長たちに余計な負担をかけないためには大人しくしていたほうが断然いい。しかし、護廷隊士としては積極的に働かないと、堂々と今日の飯にはありつけない。
数ヶ月の付き合いとはいえ、六番隊のみんなには本当に世話になっていた。突然現れた不審者同然の俺に対して、みんな親切で優しくて温かい。副隊長はよくかまってくれるし、あの隊長でさえ、適度に警戒しつつも俺を排斥したりはしなかった。
なので、世話になった分の恩は返したいと思っている。わけもわからず《異世界》に放り出されて、手持ち無沙汰だったのもあるが。
護廷十三隊自体に命を捧げてはいないが、六番隊のためになら俺の命の一つや二つは使ってもいい。そのくらい、俺は
だから、朽木ルキアの処刑に伴って、隊長と副隊長の調子が狂っているのは、見ている俺も面倒くさい。
いやまァ、はた目には普段通りだろうよ。うちの隊士たちも二人が若干ピリついてるのはわかっているだろう。
しかしながら、俺には他よりもう少しだけ《見えているもの》があるので、二人がそれぞれでいっぱいいっぱいになってるのがわかってしまうのだ。
――ほんと、めんどくせェ……。
隊首会から戻り、合流した隊長と副隊長の背中を遠目に収めながら、俺は頭をかいた。
物思いに耽っているあいだに、時間ばかりが過ぎていく。
結局、侵入者は発見できないまま、東の空が白み始めてきた。
夜は去り、世界が明るくなっていく。憎らしいほどまばゆく、騒がしい太陽が昇ってくる。
――あァ……また、一日が始まる。
逸らすように目を伏せた。
嫌になるほどいつもと変わらない朝だ。俺は今日も、ぬるま湯の地獄を生きていく。
そんな俺の頭上、遥か上空から、轟音を伴って何かが近づいてきた。
「おわァ……」
見上げた光景に、思わず感嘆が出る。
それは流星のように輝き、凄まじいスピードで瀞霊廷を囲む遮魂膜に衝突した。
空からの侵入という大胆な手を使った旅禍たちは、瀞霊廷上空で四組に分かれて吹き飛んでいく。そのどれもが、俺の管轄とは違う場所に飛んでいった。
さて、立場上、一番近いところに向かわねばならないわけだが、モチベーションはすこぶる低い。
なぜって? 旅禍たちを捕まえる理由が、そもそも俺にはないのだから。
「普通に一護側を応援してるし、俺」
当然だ。《主人公》を応援するのが《読者》だろう。
それでなくとも、うちの上官二人は朽木ルキアの処刑に納得していないのだ。応援の気持ちしかねェよ。
つーか、平隊士以下の俺が旅禍相手にできることなんてナイナイ。ワンチャン、井上織姫にも負ける可能性がある。
「そうそう、いくら修行を頑張ってみたって所詮付け焼刃だし、どうせ何もできねェのさ」
ご機嫌なテンションで呟いてみたが、走る足はだんだんと遅くなる。前を走る先輩隊士たちの背中がどんどん離れていった。
別に疲れてきたわけじゃない。疲れているのはいつものことだ。
「…………」
ただ、脳裏に、橙亜の後ろ姿が過ったから。
「やめやめ! あんな奴のこと考えてもろくなことにならねェ!」
――あァ、そうだな。まったくやってられないな――
「うわびっくりしたァ。急に喋り出すなよ、お前」
突然聞こえた声にずっこけそうになった。こちとら、いまだに草鞋で走るのに慣れてないんだぞ。驚かすな。
俺は睨むように、腰に差さる斬魄刀を見下ろした。
斬魄刀「火虎」は、「悪い悪い」と気の抜けた謝罪を寄越す。
――主が思い詰めているようだから、話でも聞いてやろうかと思ってなァ――
「男に言われてもあんまり嬉しくねェ言葉だな……」
――悪かったなァ、金髪巨乳美女じゃなくて――
「斬魄刀に好み把握されてるの最悪なんだけど」
火虎はカラカラと笑った。その態度にはムカついたが、唯和のような性格の悪い笑い方ではなかったので、「まァいいか」と気を取り直す。
「斬魄刀ってこんなに気軽に話しかけてくるもんなのか?」
――
「そうかァ……? 俺、めんどくせェことはやりたくねェ主義だけど」
――でもやるんだろう? そもそも、面倒事ならすでに巻き込まれているだろうに。主が鐘威橙亜に
「……それもそうか」
大きく息を吐いて、顔を上げた。憎らしいほど晴れ渡った青空に舌打ちを飛ばす。
自分のことは、どうでもいい。
記録に残すような人間ではない。記憶に残るような人間でもない。むしろ、誰も覚えてくれるな。
ただの何でもない、そこら辺に当たり前にいるモブの一人でいい。その場の雰囲気に合った発言をして、相手が欲しいと思う返事をする。そんな作業を、死ぬまでひたすら繰り返す。
存在意義すらない、空虚な人生だ。
そんな俺にまだ、役割が残っているのだとしたら、それはきっと――。
「どうしたらあのバカ女を、この世に繋ぎ留めておけるんだろうなァ……」
深呼吸をしてから、俺は再び走り出した。
斬魄刀による「今ここにおいての『この世』は『尸魂界』になるのではァ?」という指摘に対して、「うるせェよ!」と声を荒らげるのは、これより五秒ほど、あとのことだ。
*
「逸れたうえに、完全に迷ったァ~……」
威勢よく走り出したはいいものの、普段は来ない区域に踏み入っていた俺は途方に暮れていた。
前を走っていた先輩隊士たちの背中を見失い、高校生にもなって迷子とは格好がつかない。が、これは瀞霊廷内が広すぎるのが原因だ。俺は悪くない。あと、思考を乱した橙亜のせいだ。
「どうすっかなァ……」
残念ながら、俺の霊圧知覚はからっきしだ。そもそも死神(未満)生活数ヶ月でできてたまるかという話。
橙亜のような意味のわからない記憶力もないし、素直に誰かに道を尋ねるのが賢い選択だろう。問題は、周囲に人っ子一人も見当たらないところだが。
「戻ろうにも帰り道すらわかんねェしな……確実に人がいるところを目指して、その途中で誰かに会えることを期待するか……」
自然と目に留まったのは、遠くにそびえる白い塔だ。懺罪宮、だっけか?
橙亜たちほど詳しくはない俺にすらもわかる。明らかに事態の中心地だ。できれば面倒なので近寄りたくない。
しかし、他に当てもないので、俺の足はノロノロとそちらに向いた。
しばらく走ったが、ものの見事に誰にも会わない。
俺以外の人間はみんな世界から消えてしまったんだろうか。なんて妄想で気を紛らわせながら走り続けていると、ようやく他人の気配を発見した。
背後からの足音だ。軽く走っている俺に追いついてくるとは、だいぶ急いでいるようだ。
振り返った俺は、己の悪運を呪う。たぶん、今日の星座占いは最下位だ。
「あれ、副隊長じゃないっすかァ」
「……結斗……何してんだ? こんなところで」
キョロキョロと周囲を見回しながら、阿散井副隊長は駆け寄ってきた。
その表情はやけに硬い。そして、腕には副隊長の証である副官章をつけていない。今朝見かけたときにはまだつけていたはずだが。
「先輩たちと逸れたんすよ……一人で探し回るのもあれなんで、副隊長についてってもいいっすかァ?」
「いや、俺は……」
「別に副隊長の邪魔はしないっすよ。誰かに会えるまで俺がサボってたわけじゃないって副隊長に証人になってほしくてェ」
身を屈め、上目遣いでアピールする。同じ身長の男にやられたのが気色悪かったのか、副隊長は引き気味で「お、おう……」と漏らした。
ひとまず許可が下りたので、俺は走る副隊長の後ろを追いかけた。
目的地は聞かない。《知っていた》が興味はない。
何をするのかも聞かない。《知っていた》が、やはり興味はない。
走りながら、副隊長はチラチラと後ろの俺を窺っていた。ちゃんとついてきているかを気にしてくれているのだろうか。副隊長が本気を出せば、俺はあっという間に置き去りにされるだろう。
「オメーは……」
「はい」
不意に声をかけられた。何かと思って視線を向けると、副隊長は前を向く。
「…………いや、いい」
「んだよ、思わせぶりな……」
「結斗……それが副隊長に向ける態度かァ?」
今度は額に青筋を浮かべた顔が振り返った。思い詰めているよりはマシだろうと、俺はニヤけ顔を返す。
「副隊長がハッキリしないのが悪いんじゃないっすかァ。男相手にかまってちゃんなんて、メンヘラ女じゃあるまいし……」
「よくわかんねーが……ケンカ売ってんだろテメー……」
「ちなみに六番隊歴で言えば俺のほうが先輩っすからね、恋次さん」
「数十日しか変わらねーだろが! つか、護廷隊歴で言えばたぶん俺のほうが上だろ!」
怒声が飛んできたので、俺は笑いながら耳を塞いだ。
副隊長はしばらくこちらを睨んでいたが、しかし、それも束の間。すぐにシリアスムードに戻って前を向いてしまう。
そして、ポツリと言葉をこぼした。
「……オメー、現世に行ったときに捕まえた同期の女とは……親しいのか?」
急に声のボリュームが下がったので、危うく聞き逃すところだった。
俺は眉をひそめ、至極面倒くさい気持ちを抱えて答えた。
「あの三人ですかァ? 普通にクラスメイト……あァ、同期ですよ。ほんと、ただの同期」
「一人いただろ。特に親しそうな奴が」
「え? あァ…………もしかして橙亜ですか? 橙亜は、まァ……家が近所の、いわゆる幼なじみってやつっすけど……」
幼なじみよりは、「腐れ縁」のが正確か。
俺にとって人生で初めての「友達」という立場にいたのも事実だろう。家を出て数分で会える距離に住んでたからな。
「でも、だからって別に特別な存在とか、そんなことはないっすからね」
漫画みたいなキラキラとした甘酸っぱい関係では全然ない。ただの顔見知り、最初はその程度の認識だった。
なんなら橙亜の実家が神社で、その神社からほとんど外に出ない「箱入り娘」と悪い意味で評判の女に、いいイメージなど持つはずがない。
子供心に不気味だと思っていた。いや、それは今もか。幽霊みたいな女だもんな。
「副隊長も見たでしょ? あの不気味な無表情。人間の温かさなんてみじんも感じさせずに、いつもいつも俺の人生の邪魔ばかりする、はた迷惑で面倒な女です」
――中学に入るまでは、本当にただの顔見知りでしかなかった。
そんな俺たちの関係が劇的に変わったのは、中学に入ってすぐの頃。俺と橙亜が顔を合わせてちゃんと出会ったのは、中学校の屋上だった。
フェンスを乗り越えていた俺を、あいつは昔と変わらない不気味な顔で見ていた。
橙亜は変わった奴だった。いや、昔から何も変わらないから、今も変わらず変わった奴だ。
まるで自分が世間一般を代表する凡人だと勘違いしているようだが、あんな外れ値が普通でたまるか。
丁寧な態度と敬語口調で謙虚さを演出しているが、実際は謙虚さなど欠片もない、強欲な暴君だ。
「あいつはいつだって『自分のこと』しか考えてない。誰も求めちゃいないのに、あいつは自分のわがままで、自分勝手に他人の命を拾い上げる……ふざけやがって」
俺たちは同類だった。だって、初めてまともに正面から見た橙亜の顔は、笑ってたんだぜ。
今すぐにでも屋上から飛び降りてやろうってつもりの俺を見て、あいつは羨ましそうに俺に笑いかけたのだ。俺と同じろくでなしだ。
「……テメーも救われたのか? そいつに」
「んん……いや、どうでしょうね。そのときは心底『嫌いだ』と思いましたけど」
橙亜は死にそうな人間、死のうとしている人間を見ると、自分を盾にしてでも止めに来る。
人助け、と言えば聞こえはいいが、実態はそうじゃない。相手のことを一切考えていない行為を指して「人助け」なんて、笑ってしまう。
――あいつは他人の代わりに、自分を殺したいだけなんだ。
高校生にもなればそんな幼稚な性根も多少は変わるかと思ったが、期待は外れた。
そんなわがまま強欲女の橙亜が「十二番隊隊士を助ける」、それだけで終わるだろうか。――終わるわけねェよなァ?
「自分なんて死んだほうがいいと思ってる女を引き上げるのは、死ぬほどめんどくさいっすよね」
「何だよ急に……俺に同意を求めんな」
「えェ? 朽木ルキアだってあんなにすんなり処刑を受け入れてたじゃないっすか。助けに行く奴は苦労すると思いますよォ、あれは」
「…………」
恋次さんはこちらを見ない。何も答えず、ひたすら走り続ける。
これ以上は俺が口を出すことではない。というか、そもそも言えることは何もない。
どうあれ、恋次さんが納得できる結末であれば俺は何だっていいのだ。そしてそれは――橙亜に対しても同じだ。
「まァ俺は、橙亜を助けてくれるなら誰に任せても全然いいので」
「……いいのかよ、それで」
「いいんです。俺と橙亜の関係は、そういうやつじゃないので」
お互いがお互いを、死なないように見張っているだけだ。死なないならなんだっていいが、死ぬまで面倒を見てやる気はさらさらない。
橙亜の手綱を握り締めてくれる奴がいるなら、それは俺じゃなくていい。
橙亜の性根を叩き直してくれる奴がいるなら、それは俺じゃなくていい。
橙亜と一緒に生きる物好きがいるなら、俺は諸手を挙げて見送ってやる。それで、俺の
「あ、あれ先輩たちかも! じゃあ副隊長、俺はこの辺で!」
「え、おい……!」
「ほら、他の奴に見つかると面倒でしょ? さァさァ、行った行った!」
曲がり角の向こうにちょうど死覇装の集団が見えたので、俺は走る方向を変えた。あれが本当に六番隊かはわからないが、別にどこの隊でもいいだろう。
なんだか知った風な口を利いてしまった。マジで俺が偉そうなことを言える立場ではないのだ。怒られる前にさっさと退散したい。
ついつい喋りすぎてしまったことも、全部全部橙亜のせいだ。責任取って、せいぜいまともに生きてほしいもんだぜ。
「じゃ、副隊長。またあとで!」
困惑しているような副隊長に手を振り、俺は背中を向けたのだった。
