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5.Hero is Always With Me?
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カレンダーの日付が、6月17日を過ぎた。
必要もないのに他人の墓参りについていくのは無粋である。だから、僕たちはその日の彼らの姿を直接目にしてはいない。浦原商店にお風呂を借りに来るようになったルキアさんにも、尋ねてはいない。
数日ぶりに登校してきた黒崎さんの変わらぬ仏頂面を見て、少しだけ安心した。同時に息苦しさも湧いてくるが、彼の苦しみに比べれば何でもないことである。
今朝は一緒に登校せずに教室で顔を合わせたため、璃鎖と唯和は黒崎さんに挨拶をするために駆け寄っていった。わざとらしくテンションの高い唯和の言葉が耳を通り抜けていく。
「おいお~い! 昨日はたつきと一緒にゲーセン行ってたらしいじゃねーかよ~。オレたちも誘えよぉ~! 一緒にサボらせろよ~」
「別にサボってたわけじゃねェよ……」
「一護、ほっぺたどうしたの? 大丈夫?」
「まァ……ちょっとな。大したことねーから気にすんなよ、白坂」
黒崎さんに起きた一連の事情を《知っている》と、どう言葉をかけるべきか判断に迷う。彼の頑張りは労いたいが、僕が偉そうなことを言える立場ではなかった。
「よぅ、鐘威。朝っぱらから相変わらずの無表情だな」
「……えぇ、そうですね。おはようございます。黒崎さん」
どうしようもない自己嫌悪に襲われるけれど、やはり顔には表れていないようだ。よかった。こんなことで黒崎さんを煩わせてしまっては申し訳ないどころではない。
──僕の罪なんて、彼が知る必要はないのだ。
虚に襲われたことを知らなかったとはいえ、母親が死んだことを「自分のせいだ」と背負い込んだ優しい彼と、僕のような人間が友人関係であることがそもそもの間違いである。
彼に背を向け、僕は自分の席へと戻るのだった。
*
さて、数日後。黒崎さんの調子も元通りになり、日常が戻ってきて、夏の気配が近づいてきた──とある木曜日のことである。
普段から賑やかな教室だが、今日は特に賑やかだった。なぜか。みんながこぞって、昨夜に放送していたとある番組について話していたからだ。
「鐘威は好きか? 心霊番組……」
昼休みの頃にはすっかり疲れ果ててしまった黒崎さんが、モソモソと昼食を取りながら尋ねてくる。
僕も、彼と似たような気分で問いに答えた。
「好き嫌いというよりは、趣味が悪いと思いますね。楽しさは理解できません」
「だよなァ。オマエならわかってくれると思ったぜ……」
黒崎さんがげんなりしているのはもちろん、皆さんご存知『ぶらり霊場突撃の旅』──通称『ぶら霊』である。
春から始まった番組で、毎週水曜日の夜8時から放送している心霊番組だ。カリスマ霊媒師のドン・観音寺さんがメインを務める超人気番組で、若者のあいだでは大流行りなわけである。
必然、放送翌日の学校は『ぶら霊』の話題で持ちきりというわけだ。特に、昨日の放送では次週の生放送の舞台がこの空座町だと発表されたため、騒ぎにならないはずがないのであった。
「占いとか風水とか、目に見えねーモンで他人から金とる商売はキライなんだよな……」
「僕も占いは好きじゃないですね……いい結果が出た試しがないので……」
そういえば僕たちが《こんな状況》に陥っている原因も、元をたどればあのよくわからない占い師だった。仕事にしている人には申し訳ないが、おかげで占いに対する印象が地に落ちてしまったな。
ペットボトルのお茶を一口飲み、キャップを閉める。
「でも、来週の生放送は見に行くんですよね? 黒崎さんは」
「……鐘威は?」
「璃鎖と唯和が行くので……まあ……」
少し離れた場所でルキアさんと楽しく昼食を食べている二人に目をやった。黒崎さんからは「苦労するな、お互い」と労いの言葉がかけられる。
しかし、一緒にされるのはどこか後ろめたい気持ちになった。自分が好きではないイベントでも家族が行くのなら一緒についていくのが彼の当たり前の優しさだが、僕はそうではない。
単純に、一人で家で待っているほうが不安だからだ。璃鎖と唯和から目を離すくらいなら、不快な気持ちになる程度のことは我慢できる。
「……黒崎さんって、幽霊自体を嫌いに思ったことはないんですか?」
「まァ……正直普通の人間とあんま大差は感じてねェからな。人間の好き嫌いと変わらねェよ。幽霊ってだけで嫌いにはならねーかなァ」
「なるほど」
「鐘威は幽霊ってだけでも無理なのか?」
「無理というほどではないんですけど……極力関わり合いにはなりたくないですね」
「たまに面倒くせぇのとかいるからな。ちょっとわかる」
そう言って、黒崎さんは最後の一口を放り込んだ。
いまいち僕の言いたいこととはズレている気はするが、わざわざ訂正する必要はないだろう。うっかり口に出してしまわないように、僕も昼食を口に押し込んだ。
──「死んだ人間にまた会えてしまう」かもしれないのは怖いじゃないか……だなんて。
きっと、もう一度お母さんに会いたいと思っている黒崎さんには、理解されまい。されないほうがいいのだ。
そんなことを考えていれば、一週間はあっという間に過ぎる。
翌週、水曜日。夜の7時半を回った頃、僕たちは生放送の見学のために椿台にある松倉病院跡を訪れていた。
大人気番組のロケということで、見物客の数は多い。多くの人でごった返す中、僕たちはロープで仕切られた観覧スペースにいた。
「ほぼ最前じゃ~ん。なんか裏技でも使ったんすか~?」
「やだなあ! 子供達が見れるように周りの皆さんが気を遣ってくれたんスよ!」
唯和は後ろを振り返る。一緒に来ていた浦原さんは、扇子をパタパタと扇ぎながら笑った。
本日、僕たち三人は浦原商店一行とともに見物に来ていた。
黒崎さんを初めとしたクラスメイトたちももれなく来ているようだが、この人込みだ。まだしっかりと顔を合わせてはいない。合わせたところで明日の「お説教」が降りかかる可能性もあるので、もしかすると会わないままのほうが平和でいられるかもしれないが。
「…………」
目の前の廃病院を見上げる。ぶっちゃけ、居心地はよくない。いいはずがあるか。
もう7月の夜なのに、背筋がゾワゾワと粟立っている。先ほどテレビスタッフが病院の敷地内に足を踏み入れてからというもの、この病院に取り憑いた地縛霊が叫び声を上げ続けていた。
隣の璃鎖が、ツンツンと僕の服の裾を引っ張ってくる。
「橙亜、これホロウの声じゃない? いいの? ほっといて……」
「死神ではない僕たちにできることはありません。大人しく見学していてください。あと、彼はまだ虚ではなく、虚になりかけている
「デミ?」
「胸の孔がまだ完全に空いていませんからね。あれが開ききると虚になります」
「へー」
璃鎖は僕の言葉の六割くらいしか聞いていないような様子だった。まあ、興味が唆られる話題ではないものな。
今日は浦原さんが一緒にいるので、いつものように虚退治に交ざりに行く展開は勘弁してもらいたいところだ。うっかり斬魄刀を出して、霊力が高まり始めたクラスメイトたちに目撃されるのも面倒である。
そのまましばし待っていると、テレビスタッフのアナウンスが響いた。撮影が始まるようだ。
カメラが回り、廃病院は独特な緊張感に包まれる。
それを吹き飛ばすように、ヘリコプターの音が聞こえてきた。司会の呼び込みに答え、真上に止まったヘリコプターから人影が飛び出してくる。
「ごきげんいかがかなベイビーたち!! スピリッツ・アーー! オールウェイズ!! ウィズ!!! ィィユーー~~!!!!」
かけ声とともにパラシュートで登場したのはご存知、ドン・観音寺さんだ。
派手な登場により、会場はおおいに盛り上がる。息の合ったコール&レスポンスを見せ、観音寺さんは廃病院の地縛霊と向き合った。
観音寺さんは早速、超スピリッツ・ステッキを取り出し、地縛霊へと向ける。それは彼の胸へ、空きかけの胸の孔へ、こじ開けるように押し込まれた。
──………………うるさい。
地縛霊の絶叫が反響している。思わず耳を塞いでしまいたくなるほど、鬼気迫る叫び声が耳に突き刺さる。
両腕を押さえて、僕は黙ってその光景を見続けていた。しかし、隣で何かが動く。身を竦ませる僕を置いて、彼女は──そして彼も──颯爽と駆け出していた。
「それやめて!」
「璃鎖!?」
観覧スペースを区切るロープを軽々と飛び越え、璃鎖は観音寺さんに向かって走った。右手側には、同じように飛び出してきた黒崎さんもいる。
しかし、二人は観音寺さんの元にたどり着く前に警備員たちに取り押さえられた。唯和は腹を抱えて笑いながらも、「警備員なんてぶっ飛ばせー」などととんでもない野次を最前線で飛ばしている。
璃鎖と黒崎さん、さらには黒崎さんを死神化させようとしたルキアさんまでもが警備員に捕まった。その隣では相変わらず観音寺さんの間違った除霊が進み、場内はカオスと言っても差し支えないくらいには混迷を極めていた。
連れ戻すべきか。とはいえ、僕が行ったところで乱闘に関しては役に立たないのだ。このまま、後ろで大人しく見学しているのが一番──。
「──橙亜さんは行かないんですね」
不意に、冷水をかけられたような気がした。
振り返ると、浦原さんが僕を見下ろしている。じっと見つめる目に心臓が音を立てた。後ろめたさからか、一歩後ずさる。
そんな僕を一瞥して、浦原さんは杖を片手に黒崎さんたちの元へ向かった。鉄裁さんも、ジン太さんも
僕は一人、観衆の中で立ち尽くした。
──なぜ。どうして、そんなことを言うの。
わからない。だって、今、僕が出て行く意味はない。必要もない。義務もなければ、責任も。むしろ、迷惑をかける結果になるのは目に見えている。だから行かないほうがいい。
何より、彼を
行かないのが正しいはずだ。彼らの《運命》に手を出すよりは、よほど──。
「ごああああああ!!」
相変わらず地縛霊の叫びが響いている。痛い。いたい。骨の髄まで響く。身を引き裂かれるような叫びだ。──当然だろう。
だってあの地縛霊は、今まさに、人間から別の存在へと無理やり体を作り変えられているに等しいのだ。想像を絶する痛みだろう。想像を絶する恐怖だろう。自分が自分でなくなる恐ろしさなど、考えたくもない。
──じゃあ、それはもはや、「死」と何が違うの?
「が、あ゛あ゛ぁ、ぁぁぁあああああ、あ!」
ドォン、と。爆発音のようなものが響き、地縛霊の悲鳴は途絶えた。
先ほどまで地縛霊がいた場所には何の跡形もなく、消えている。どうにか死神化して駆けつけた黒崎さんは、呆然とその場所を見つめていた。
黒崎さんの隣では、観音寺さんが「浄霊完了」の雄叫びを上げている。しかし、事実は正しくない。
地縛霊は消えたのではなく、霧散した。別の場所で、虚として再構成されるために。
夜空を見上げる。月をバックに、
そうして、先ほどまで元気に現世への未練を喚いていた地縛霊は、胸に孔を空け、白い仮面をかぶり、廃病院の屋上に現れた。舞い戻った。
理性を失い、虚となった彼は、本能のまま眼下に集まる群衆に飛びかかる。黒崎さんが止めようと動くが、観音寺さんの邪魔が入って思い通りにはいかない。
どうにか斬魄刀でなぎ払い、彼は虚と距離を取った。その攻撃の際、虚の視線が彼らから外れる。
外れた視線は、観客の中の僕を捉えた。虚ろな瞳がこちらを見た。──まるで僕を責めるように、確かに僕を見た。
「…………!」
虚は口を開け、狙いを定めたようだ。──まずい、ここでは。
そう思ったのと同時に、僕の足は動き出す。
「こらキミ! 待ちなさい!」
ロープをくぐり、会場に踏み入った。警備員やスタッフから制止の声がかかるが、ほとんどが璃鎖や茶渡さん、浦原さんにかかりきりで、ギリギリ僕を止めるまでは至らない。
とりあえず、僕は廃病院の入り口に向かって走った。足がもつれそうになりながらもどうにかたどり着くが、入り口は当然施錠されていて、僕の力では開けられない。
「チッ……!」
ガラス扉に手をついて、振り返る。虚の口がすぐ後ろまで迫っていた。虚の背後には、必死に斬魄刀を振りかぶっている黒崎さんの姿が見え──。
*
──────?
埃まみれの床に手をついている。肩で息をしている。舞い上がった埃で、僕は咳き込んだ。
顔を上げるが、周りは暗くてよく見えない。壁の、割れた窓からは明かりが入ってきている?
しかし、すぐに聞き慣れた怒鳴り声が耳に届いたので、不安はなかった。併せて現状もおおよそ察する。
「いいかげんにしろよ!! さっきから『逃げるわけにはいかない』ってばっかり、ワケわかんねーよ!」
黒崎さんの怒鳴り声だ。どうやら、黒崎さんによって観音寺さんとともに廃病院の中に連れ込まれたらしい。彼は観音寺さんに虚退治を邪魔した理由を問い詰めている。
それにしても、なんだか今の一瞬、記憶が
そんな僕などよそに、黒崎さんの問いかけに対し、観音寺さんは堂々と答えた。
「それは私が……私がヒーローだからだ……!」
まっすぐな言葉に、肩の力が抜ける。
光源のない廃病院の中のはずだが、僕には観音寺さんがとても輝いて見えた。不気味な廃病院の背景がそぐわないほどに頼もしい姿である。……黒崎さんの表情は呆れたものだが。
自然と、小さく拍手をしてしまう。パチパチという音に気をよくしたのか、観音寺さんはこちらに意識を向けた。
「おぉっと!? そちらのガールも私のファンかね!? ユーもあとで浄霊して──」
「そいつは生身の人間だよ!! 確かにユーレイみたいなツラしてるけど失礼なヤツだな! ホントにカリスマ霊媒師か!?」
「黒崎さんも大概失礼では?」
観音寺さんは目元をこすり、困惑しながら何度も僕を凝視した。えっ……そんなに生気のない表情をしてるんですか? 今の僕は。まあ……廃病院なんて居心地の悪い場所にいて顔色がいいはずもないか。
それでなくとも、一連の出来事で気分はだだ下がりである。
「ところでボーイ。ボーイは私の番組の視聴率がどのぐらいあるか知ってるかい?」
観音寺さんは露骨に話題を変えた。黒崎さんも僕から顔を逸らしている。まったくもう。
黒崎さんは答えなかったが、観音寺さんの『ぶら霊』の視聴率は約25パーセントだ。そして、その視聴者の多くは小さな子供たちである。
「子供たちは私の活躍を観て胸躍らせ、悪霊に立ちむかう私の姿を観て……勇気の何たるかを知る……! わかるかボーイ? そんな彼らの観ている前で、私は敵から逃げるわけにはいかないのだよ……!」
一見するとお調子者で道化のような言動の観音寺さんだが、その精神は本物だ。
たとえ戦う力がなくとも、それは立ち向かわない理由にはならない。力がないことを言い訳にはしない。彼は心からそう思っている。
──僕とは……違って。
観音寺さんはまさしくその精神を実践するために、意気揚々と会場に戻ろうとする。しかし、黒崎さんがそれを止めた。
黒崎さんは虚の習性について説明する。彼らはより霊的濃度の高い魂を狙うことを。霊的濃度の高い魂とはつまり、黒崎さんや観音寺さんのような人間のことだと。
「だから、この鐘威が病院に入った理由もそれだ。俺達がこうして入ってしまえばあいつは必ず追ってくる! そして、この中で戦えば……観客の中に犠牲者が出ることはねえんだよ!」
「……ボーイ……ガール……なんてことだ……ユーたちは、そんなことまで考えて……」
「…………」
すると、黒崎さんの足元が盛り上がる。床を突き破り、階下から虚が現れたのだ。
黒崎さんが応戦するが、建物内では狭すぎて、大型の斬魄刀はまともに振るえない。
僕は戦力にはならないので、とりあえず巻き込まれないように距離を取った。万が一にも怪我をして、それがテレビにでも映ってしまったら観音寺さんの評判に傷がついてしまうかもしれないし。……なんて、これも全て言い訳である。
黒崎さんは虚に斬魄刀を突き刺した。虚はそのまま病院の壁を破壊して外へと逃げる。黒崎さんを連れ、屋上へと駆け上がっていった。
観音寺さんは四つん這いになりながらも、そのあとを追いかける。
外にはテレビ局のヘリコプターが飛んでいて、カメラを回していた。僕はそれに映らないよう死角を通り、同じように彼らを追いかける。
追いかけながらも、足取りは重かった。急いで行く必要はないのもあった。それでもやはり、足は重い。
脳内には、先ほどの観音寺さんの言葉が過っていた。
──「……ボーイ……ガール……なんてことだ……ユーたちは、そんなことまで考えて……」
違う。僕は黒崎さんの思考を《知っていた》から同じような行動を取っただけだ。自発的な考えではない。称えられるべきは黒崎さんだけだ。ヒーローなのは、彼らだ。
自分が観客側の最前線にいたため、僕は虚の挙動が変わってしまうことを恐れた。実際、虚の意識がこちらに向いた。だから、その「責任」を取っただけで、一連の行動にヒーロー的意義はない。──あっては駄目なのだ。
だって、僕は立ち向かわなかった。力がないことを言い訳にして──あまつさえ黒崎さんたちの《運命》を盾にして──あの地縛霊が虚になるのを止めなかった。
──いや……きっと、たとえ力があったとしても、僕は彼らの《運命》を取っただろう。
彼らの《運命》が変わってしまうことが怖い。当然だ。けれど、他にも怖いことはたくさんあるはずで。
観音寺さんだって、霊たちを苦しめたくて虚にしていたわけじゃない。あの後悔を《知っていた》くせに、僕はその痛みを無視した。それだって十分に恐ろしいことなのに、見過ごした。
──結局、僕にとってそれらは大事なことではなかったのだ。
なんて薄情な人間だろう。無表情のはずなのに、口からは自嘲の笑いがこぼれた。
廃病院の屋上にたどり着く。開け放たれていた扉の前で、しかし足は止まった。
屋上では、黒崎さんと観音寺さんが話している。虚の姿はない。すでに黒崎さんによって尸魂界に送られたようだった。
観音寺さんは、きっと泣いている。けれど、ファンの声援に応えるためにそんなものはすぐに拭った。まさしくヒーローだ。
すっかりいつもの調子を取り戻した観音寺さんは、黒崎さんを伴ってこちらにやってくる。屋上入り口の影にいる僕を見つけ、彼は嬉しそうに右手を差し出した。
僕はじっと、その手を見つめる。
「ガールの活躍も素晴らしかった! ボーイは私の一番弟子となったから、ユーも二番目の弟子に……!」
「おい! テメェ!」
「いえ……僕は──」
──僕にとって一番大事なことは、もっとも優先するのは「命が失われないこと」なのだ。
だから極論、他のことは──他人が虚に堕ちることだって見過ごせてしまう。それは変質であって、「命が失われているわけではない」から。
そこが僕にできる、ギリギリの線引きだ。最大限の譲歩で、平等を傾けるわがままだった。
──とんだ詭弁だな。
これは「命」をただの生命活動としか見ていない。命に付随する「感情」や「記憶」──そして、「人格」を含めていない。本当に
いや、向けるのが怖いのか? そもそも向き合う覚悟ができていない。それはきっと、僕がみんなと対等ではないから。
これでは、僕の行いは「人助け」とは到底言えない。あのときの唯和も笑うはずだ。「人助け」ではなく、「誰も死なせたくない」と言い直したのは正解だった。
結局──というより、最初から──僕がやっているのは自己満足だ。命を救いたいだけで、彼らの尊厳──いや、「誇り」は二の次にしてしまう。そしてこれからも、蔑ろにし続けるのだろう。
これは正しい行いではない。困っている人を助けるヒーローじゃない。だって、ヒーローなら彼らの苦しみを見過ごすことはしないのだから。
だから僕は、ヒーローにはなれない。彼らの隣にいてはいけない。まざまざと、理解した。
──最初からわかっていたことだけれど、こうして実感すると、少しだけ……しんどくはあるなぁ。
「──あなたの姿を見て勇気の何たるかを理解しても動けないような……弱い人間です。僕にはかまわず、まずは一番弟子の黒崎さんを大切にしてあげてください」
「おい! 押しつけんな!」
黒崎さんの文句を聞き流し、手を体の後ろへ回す。
しかし、観音寺さんはかまわず一歩、踏み込んできた。
「そんなことはない! ガラスをブチ破るガールのアクションは見事だった! あとで動画をチェックせねば! アクションスターとしてもやっていけるとも!」
「…………えっ」
何のことかと黒崎さんのほうを向くが、彼はゆっくりと頷くだけだった。
まさか、まさか──僕の「記憶が飛んでいた」ときにそんなバカげた行動を取ったというのか? この「僕」が? しかも──全国放送で生中継されていたテレビカメラの前で?
──あ……あの「悪霊」……!
僕の意思ではない。あの一瞬だけ表に出て、一暴れして後始末は僕に押しつけるなんて、まさしく悪霊だ。なんて迷惑な!
まったくもって信じ難し。鍵根先生の怒声が脳内にこだまする。明日のお説教が確定してしまったではないか。どうしてくれる。床にこぼした水はもう盆には返らないのだぞ。
「しかし……せっかく私に会えたというのに、そんな暗い顔で帰してはカリスマ霊媒師である私の沽券に関わるな……ガール!」
「あっ、えっ、あ……」
「まずは笑顔の練習からだ! さぁ! 私と一緒にポーズを決め、腹の底から声を出そう!」
状況を理解するために一瞬思考を飛ばしているあいだに、観音寺さんはわけのわからぬ方向に飛躍している。
あれ? いや……ちょっと、さっきまで結構シリアスな感じだったのだが……!? 僕はあなたたちとあまり仲良くしてはいけない人間なのだが!?
そんな言葉を叫びたかった。黒崎さんに助けを求めようとするが、彼は呆れたように笑って階段を下りていく。
「俺を見捨てた罰だな。諦めろ」
「罰ではない! これは称賛だよボーイ!」
「知らねェよ! おい、鐘威……さっさと逃げねぇと面倒なことになるぞ……」
「もうなってるんですよ……!」
はてさて、先ほどまでの自己嫌悪など、どこへやら。彼の前ではそんなことを気にしている余裕は残されない。
嵐のような観音寺さんに振り回され、僕は途方に暮れる。霊体の黒崎さんと違い、生身の僕はまず、この廃病院からの脱出方法を考えなければならない。どう考えてもカメラの前で称えられてしまうだろう。罰ゲームか何かか?
確定した未来を嘆きながらも、僕はそちらへ歩くしかないのであった。こんな勇気の出し方、よくないと思うなぁ!
