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1.THE DEATH AND THE STRAWBERRY
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空座町、午後7時13分、金曜日。
「何だァ!? イキナリ出てきて山ちゃん蹴倒しといて、その上俺らにココをどけだァ!?」
一緒に下校していたオレンジ髪のクラスメイトは、気づけば不良たちに喧嘩を吹っかけていた。
「……とうとう《始まり》ましたね」
そんな僕の呟きは誰に届くこともない。応援と野次を飛ばす璃鎖と唯和の声にかき消された。
もはやすっかり慣れたもの、今さら彼を止めることはない。そもそも、悪いのは道端で騒いでいた不良たちである。
季節は5月の半ばに差しかかっていた。時間の流れとは早いもので、僕たちが《この世界》に来てからすでに一ヶ月以上が経過している。
──ここまでも十分濃かったわけですけど、黒崎さんはこれからもっと濃密な時間を過ごすことになるんですよね……。
夕暮れの中、まだ何も知らないまっさらな彼の背中に目を細めた。
黒崎さんとは入学式でわりと衝撃的な出会い方をしてしまったため、関わらないように避けるというのも大変難しく、この一ヶ月ですっかり登下校を一緒にできる程度には仲良くなってしまっていた。同じクラスなのと、彼の人柄のよさもまた親密度を深めることに貢献している。
そして、何より唯和が積極的に話しかけるのだ。初日から「うちの橙亜を怪我させた詫びにお昼ご飯奢ってよ~!」と絡んでいったのはほぼ当たり屋だったが、黒崎さんは文句を言いつつも奢ろうとしてくれた。ちなみにちゃんと僕が断った。
黒崎さんは見た目に多少の威圧感があるだけで、僕のような人間にも普通に接してくれている。まあ、無表情である僕も「相手に威圧感を与える」という意味ではどっこいどっこいなのだが、彼はあまり気になっていないようだった。
「それじゃコイツに謝んなきゃなァ!?」
少しばかり記憶を思い返しているうちに不良たちの撃退が終了したようである。不良たちは悲鳴を上げて走り去り、辺りは平穏を取り戻した。
黒崎さんが近くにいた幽霊の女の子に話しかけると、璃鎖と唯和もその会話に交ざっていった。
「一護が怖い人たち追い払ってくれたからもう安心だね!」
「しっかし、こんなかわい子ちゃんを怖がるなんて甲斐性のない男どもだったわね~」
「お、蜜江もたまにはいいこと言うな」
「女の子は血まみれなほどかわいいからね~」
「おいコラ、子供の前で何つーコト言ってんだ!?」
「仕方ないよ。唯和は変態だから」
「褒めるなよ璃鎖~!」
「鐘威! 何とかしてくれよコイツ!」
黒崎さんは青筋を立てながら振り返った。しかし、僕が注意してもどうせ聞いてくれないので、黙って首を横に振る。
返事代わりに溜め息をついた黒崎さんは、避難するように隣までやってきた。そして、幽霊の女の子と戯れている璃鎖たちを見て。
「でもまさか……オマエら三人とも、幽霊が見えるなんてなァ……」
しみじみと漏らした言葉に僕も大きく同意した。
そう、なんとびっくり。僕たち三人は幽霊が見えて、触れて、喋れるのである。
それに気づいたのは、ある日の下校時に遭遇した幽霊に璃鎖が何気なく話しかけたときだった。
黒崎さんは大層驚いていたし、僕も驚いた。しかし、璃鎖と唯和は気にすることもなく嬉々として幽霊に話しかけていた。それは今日も変わらない。
「僕だって驚いていますよ。二人の適応能力の高さには」
これが侑子さんによる計らいなのかは、わからない。しかし他に要因も思い当たらないので、ただ事実として受け止めるしかない。
今のところ不便はなさそうだが、これから先はどうなるだろう。中途半端に
二人を眺めながら考え込む僕の横顔に、黒崎さんの視線が突き刺さる。
「もっと驚いたって顔してから言えよ……」
「それができたら苦労しません。あなたも自力で黒い髪を生やせと言われても難しいでしょう?」
「そのレベルで無理なのかよ」
「えぇ、たぶん。まだ幽霊と仲良くなれというほうが簡単かもしれませんね」
冗談めかして言ったのだが、黒崎さんは口元を引き結んだ。直接的な言葉にはしていないが、察するものがあったらしい。
「……お前も
「はい。退魔の能力に優れた神社の家系です」
「そりゃァ……強烈なのばっか見てそうだな」
「そうでもないと思いますけど……」
ざっと記憶を遡る。が、心当たりは特にない。子供の頃だから当然と言えば当然か。
──僕は、幽霊が嫌いだ。だって、ろくな思い出がないから。
元の世界にいたときから幽霊が見える体質だった。それが、《こちら》に来てからはさらに強くなったらしい。
以前よりも姿がはっきり見えるし、声もより聞こえるようになった。どうやら璃鎖たちに霊力が目覚めたように、僕に元からあった霊力も強まったようである。複雑だ。
目の前の彼女は無害だと《知っている》からまだ平気だが、初対面の霊には警戒心を持ってしまう。長年染みついた嫌悪感はそう簡単には消えない。僕が黒崎さんたちにあまり関わりたくない理由の一つがこれだった。
こんな調子で、この先やっていけるのだろうか。ただでさえこの町には霊的なものが多く集まってくるのに。もしも僕が危険な霊に狙われて、璃鎖や唯和にまで危害が及んだら──。
「──でも、好きじゃねぇのに付き合ってくれたんだな」
「え?」
いつの間にか俯いていた顔を上げる。黒崎さんの表情はどこか柔らかかった。
「学校出る前に『今日は幽霊の女の子に会うぞ』っつったのに、お前ヤな顔しないでついてきただろ」
「顔に出ませんからね」
「そうじゃねぇけど……まあそうか。ともかく、一人でも帰れたのについてきただろってことだよ。優しいよな、鐘威は」
それは……どうだろうか。今日が《特別な日》だとわかっていたから、主に唯和を自由にさせておくのが不安でついてきたようなものではあるし。
そんな自己中心的な理由を、まるで嫌いなものに向けた優しさのように解釈されるのは、少しだけ不服である。
僕はそこまでいい人間ではない。お人好しなあなたとは違うのだ。「山ほどの人を守りてえんだ」と言い切れるあなたとは、全然。
璃鎖たちと楽しそうに話しているあの女の子だって、《このあと》に襲われると知っていれば彼は迷わず助けに────。
「……………………」
「……鐘威?」
黒崎さんは不思議そうに首を傾げた。しかし、《当然》の事実を前にした僕に答える余裕はない。
そうだ。彼女は、このあと虚に喰われてしまうのだ。
彼女の未来は、ほんの数十分後に潰えてしまうのだ。
──看過……して、いいのか?
いいも何も、僕たちは「部外者」だ。《この世界》のことに口を挟む権利も、手を出す自由もありはしない。あるはずがない。
この世界の《結末》は決まっている。黒崎さんたちが死に物狂いで勝ち取った、輝かしくも素晴らしいその《未来》に、文句をつけるのか? 冗談だろう。
あまりにもおこがましい。たった一人のわがままで全てが破壊されるかもしれない可能性なんて、あってはならない。そんなこと、許されるわけがない。
許されては、いないのだ。危険だ。禁忌だ。人が手を出せる領域では、決してない。
──だけど……それでも、僕は────。
「黒崎さん」
「ん?」
「こんなことを聞くのは、『バカにしているのか』と怒られても仕方のない失礼なことなんですけれど……」
「お、おう……なんだよ、改まって」
──「あなたたちの願いは、何?」
一ヶ月前の問いかけがフラッシュバックする。
あのときは答えられなかった。今ならわかる。それはきっと、「対価を払って得るものではない」からだ。
「目の前で自分の大嫌いな人が死にそうになっていたら、どうします?」
僕のくだらない問いかけに、黒崎さんは心底呆れたような顔を見せた。
「助けたあとで、とりあえずぶん殴る」
「ですよね」
僕の表情が豊かであったなら盛大に笑い飛ばしていただろう。
愚問も愚問な、ただの事実の確認。彼は悪くない。僕が勝手に受け取るだけだ。
「ありがとうございます。勇気をいただけました」
「話の流れはよくわかんねぇけど、何かの助けになったんならよかったよ」
「僕を助けたことを、将来あなたは後悔するかもしれませんね」
「なんでだよ。助けたことを悪く言われる筋合いはねェ」
拗ねるように眉間のしわを深くする様子はまるで子供である。
「まったく、その通りですね」
一瞬か永遠か、過った不安は霧散する。
不安はあれど恐怖はない。自分で決めた。だからその道をひたすら進む。
覚悟は、できた。
──僕は犠牲を、許容できない。
たとえ接点のない赤の他人だとしても、尊い命が失われるのは耐えられない。嫌いな相手だとしても、見殺しにする理由にはできない。
幽霊は死んだ人間だが、意識は生前と地続きだ。特に《この世界》では、肉体がない以外は普通の人間と大差なく存在している。
だから僕は、今、目の前で笑っている幽霊の女の子を助けたい。
ただ、助けたいと、どうしようもなく願ってしまったのだ。
──許してほしい、とは思わないよ。
何が欲しいと問われれば、僕は「許しが欲しい」と答えるだろう。
でも、これは絶対に手に入らないものだし、入ってはいけないものだ。ましてや対価を払って手に入れようなどとは、免罪符にもなりはしまい。
僕は罪人である。それは死ぬまで変わらない。この先どれだけ善行を積んだとしても、決して消えることはない。
──だからせめて、後悔はしないように生きたい。死ぬと《知って》いて見過ごすとか、人としてできるわけないだろう?
「おやおやぁ~? なんだか清々しい顔してるじゃ~ん、橙亜~」
こちらを振り返った唯和が嫌らしく笑う。女の子との戯れに満足したのか、僕のほうにすり寄ってきた。
黒崎さんは眉をひそめる。
「よくこの顔から表情が読み取れるな……」
「唯和は変態だからね。自分でよく言ってるよ!」
「白坂……お前、なんか蜜江に上手いこと丸め込まれてないか……?」
「ん? 私丸まってないよ?」
「そうじゃねェ……!」
璃鎖の単純っぷりにツッコミたいが、あまりの無邪気さにストレートな罵倒は憚られたと見える。黒崎さんはワナワナと手を震わせながら唯和を睨んだ。
一通り黒崎さんの反応を楽しんだ唯和は、にっこりと笑顔を浮かべる。
「じゃ~、オレたちは寄り道していくので~、ここからは一人で帰りたまえよ~、一護君」
「あ?」
「早く帰らないと門限過ぎちゃうんじゃな~い? お父様のふか~い愛が待ってるぜ~?」
「気持ち悪ィこと言うなよ……!」
「いい親なんだから大事にしろ~?」
唯和のからかいに対してぶつぶつと文句を言っていたが、「また明日な」と言って黒崎さんは帰っていった。
黒崎さんの背中が遠くに見えなくなり、僕は溜め息をつく。
「……で、僕たちはまた来た道を戻るわけですか……」
「浦原商店はここと正反対の場所にあるからね! 仕方ないね~?」
嫌みに対し、唯和は舌を出して笑った。
黒崎家と空座高校は、それぞれ空座町内では正反対の場所に位置している。一方、浦原商店は高校と比較的近いところにあった。
そんな浦原商店に居候中の僕たちがなぜ黒崎さんと登下校をともにしているのか。それは唯和が「オレたちが住んでるのは一護の家より向こうのアパートで~」などと大嘘をついたからである。
何が仕方ないだ。全て唯和のせいではないか。
浦原商店のことを今の段階で話すのはまずい。それはわかる。「登下校が一緒のほうが便利でしょ~?」という言い分も……まあ、わからなくはない。《時系列》の把握はこちらの自衛にも寄与されるからな。
しかし、だからといってそんな嘘をつく必要はないだろう? その嘘のせいで単純に通学距離が二倍だ。しかも、他の生徒たちに怪しまれないように人通りの少ない道を選ぶため、さらに遠回りをしている。もう意味がわからない。
ちなみに璃鎖は遠回りしていることに何の疑問も持っていない。この子の将来が心配だよ、僕は。
「まあ……今日は無事に帰れるかはわかりませんけどね……」
黒崎さんがいなくなった道に、背を向ける。
自分を見つめる僕を、幽霊の女の子は困ったように見上げた。
*
「あの子を助けたいのですが、これはあくまでも僕のわがままなので、二人は先に帰ってもらってよろしいですか?」
「「却下」」
「あれぇ?」
二人を巻き込むわけにはいかないと事情を話して単独行動を取ろうとしたが、いきなり出鼻を挫かれてしまった。
即答した璃鎖と唯和の表情はどこか呆れているように見える。少し離れた場所では、女の子が不思議そうにこちらを窺っていた。
「あの……却下と言われましても、本当に危険なことなので……」
「じゃあなおさら橙亜一人にできないよ!」
「そうだそうだ~! そんな面白そうなことを独り占めなんてズルいぞ~、この欲深め~」
二人は事の深刻さをわかっていない。これは《この世界》を否定するにも等しい反逆行為である。
そう思ってさらに詳しく説明したが、二人の視線はどんどんと冷めていくばかりであった。僕は顔を覆う。
「どうしてそう物わかりが悪いんですか……」
「おまいう」
「私たちが手伝ったほうが一人よりきっとうまくいくと思うよ?」
「そ・も・そ・も~、『三人で頑張りましょう』って言ったのは橙亜だよなぁ~?」
「…………」
確かに、言った。入学式の日に僕が言った言葉だ。
言い返せなくなり、唯和は勝ち誇った顔で腰に手を当てる。
「で、《介入》するとして、どうすんの~? ルキア連れてきて魂葬してもらう~?」
「さすがにそれは軽率すぎますね……僕たちに《未来の知識》があることは言い触らすべきではないと思いますし」
浦原さんに事情を話して手伝ってもらう? ──いや、ただでさえ迷惑をかけているのにこれ以上は駄目だ。
それにたぶん、僕がやろうとしていることは彼の思想とは反する気がする。浦原さんは間違いなく善側の人だが、敵に対して容赦はしないだろう。なんなら僕たちが不穏分子だと判断されそうだ。それは困る。
「正直、誰に頼るのも不安が大きいです。僕たちの中だけで留めたほうが事態をコントロールしやすいと思いますね」
「同意~。オレたちのアドバンテージは《未来》を知っていること。しかし~、裏を返せば『それしかない』。言い触らして未来がオレたちの《知識》からズレれば、一番損なのはオレたちだもんね~?」
「私は何も知らないけど?」
「璃鎖はそれでいいよ~。アンタは頭使わないほうが思いっきり動けるんだから、話が終わるまであの子と戯れてれば~?」
唯和の言葉に「わかった!」と同意して、璃鎖は幽霊の女の子に駆け寄っていった。今の言い回しに悪意を欠片も感じていないところが少しだけ羨ましくなる。
僕は腕を組み、唯和の隣に並んだ。
「で、僕たち三人で本当にできると思います?」
「あの女の子を『虚に喰わせない』だけなら可能かにゃ~? 考慮すべきは、橙亜が
「どこまで、とは?」
「文字通りだよ~。どの範囲まで、どの人間、もしくは種族まで~? そして、善悪の区別は? 罪のあるなしは? 死を求めるヤツを生かすことは正しい? 生きる希望のないヤツを無意味に延命させることは正義? 助けることで不幸になるヤツだって当然いるよね~? そもそも、『助ける』の定義とは?」
ぐるりと顔を覗き込まれた。唯和の顔には貼りつけたような不愉快な笑みが浮かんでいる。
「『助ける』って言葉は、立場が上の存在から出るものじゃな~い? 力も強さもないのに気持ちだけがご立派とか! 最高の見世物だと思うぜ~?」
そんなことはない。煽ってこちらを怒らせたいだけだ。唯和の皮肉は相変わらず極端で攻撃的である。
──でも、確かに……言葉が違ったな。
普段と同じふざけた調子のままだが、これは覚悟の程を問われている。だから、臆することなく唯和の目を見つめ直した。
ここで怯めば、きっと唯和は僕を手伝ってはくれない。
「では、言い直します。僕は『誰も死なせたくありません』。誰の命も取りこぼしたくないです」
「誰もって?」
「
「おやぁ~? 虚さんだけ仲間外れですかぁ~? 破面は助けたいのに~? 差別~?」
「虚は魂魄を食べますし、基本的に話は通じません。けれど、破面は話が通じる人もいますし、魂魄以外の食事も一応可能です。逆に、虚も
「破面や滅却師は人間やそれを守る死神にたくさんの犠牲を出していると思うけれど~?」
「『人殺し』なら問答無用で死んでもいいなんて、僕は認めたくありません」
そう言うと、唯和は目を伏せて嫌そうに笑った。それは同意と取るぞ。
「そもそも僕たちには人様の罪を判じる権利も、知識もありません。それはしかるべき機関が行うものです。善悪に関しても同様です」
「じゃあ、相手が死にたがっていたら~?」
「知りません。
「おっ、言ったな~?」
唯和はケラケラと笑う。「約束を違えたら一生嘲笑ってやろう」という心意気を感じるが、彼女なりのエールと受け取っておこう。
赤の他人でも、目に見えない手の届かない遠くの人でも、「死ぬとわかっている人」は誰も死なせない。どこまででも駆けつけて、この身を捨てても助ける。
それが、僕の覚悟だ。
「……まあ、何の力もない無力な一般人である現状、唯和が言う通りの『力も強さもないのに気持ちだけがご立派な最高の見世物』なわけですけど……」
「力がないなら手に入れればいいだけの話だよ~」
「簡単に言いますね……」
「力がないことを嘆いているヒマがあるなら、力をつける努力をすべきだと思いまぁ~す。泣き言なんざ誰でも言えるもんね~」
ベッと、唯和は吐き捨てるように舌を出す。しかし、やることはまったくその通りだ。
霊力に関してはこの世界に来てから確実に強くなっている。浦原さんに頼んだら僕でも扱えるような武器を、もしかしたら作ってくれるかもしれない。初手から他力本願なのは不甲斐ないが……。
「ま、オレたちには橙亜がいるから、何もないこたぁないけどね~」
「僕、なんなら三人の中でも一番非力だと思いますが?」
「何言ってんの~? その
ツンツンと頭をつつかれる。確かに、僕の唯一の取り柄といえば「記憶力の高さ」だが。
「この先の《展開》を隅々まで、《セリフ》も《状況》も一言一句、事細かに記憶している、
「まあ……否定はしませんが、ちょっと持ち上げすぎでは?」
「事実だろ。頭の中に本がそのまま入ってるようなモンじゃ~ん? それは立派な『オレたちの武器』、上手く使えれば武力いらずで相手をコントロールできる。情報って、そういうものよ~?」
「それ、危険視されて真っ先に消されませんか?」
「だから出しどころは見極めようって話だぜ~? ま、取り引きに使わなくても武器としてはとにかく有用だよ~。『どこで誰がどうやって死ぬか』、最初からわかっているなら強さが足りなくても助けられる方法を今から考えられるもんね~」
あらかじめ期限が決まっていて、目標を明確に定められるのは利点か。間に合いそうにない場合の絶望感は想像したくないが、唯和の言葉が間違っているわけではない。
視野が広いところは唯和の数少ない長所だ。僕だけでは延々と考え込んで結局駄目になっていたような気がする。本当にありがたい。
「……ところでこの場合、大事になってくるのは『いかに僕たちが持つ《知識》から《未来》が外れないようにするか』だと思うんですけど、そこのところはどう思ってらっしゃるんですか? 事態をしっちゃかめっちゃかに引っかき回したい唯和さん?」
「ん~~、唯和ちゃんここへ来て痛恨のプレミかぁ~? いや、まだ大した影響はないね。ていうか、軌道修正ができるのもまたオレたちだけだからね~?」
唯和は明後日の方向を見ながら伸びをした。まあ、反省する気持ちがあるだけマシかな。
ともかく、方針は決まった。決まったのならあとは動くだけである。
「ま、今後のことはひとまず置いて、《今日》をどうやって乗りきるかってのが本題じゃろ~?」
「そうですね。あの子をこの場所から移動させられるならそれが一番ですけど……」
女の子に視線を向けると、璃鎖がこちらを振り返った。
「──何か来る! かも!」
もしや、虚か。長く話し込みすぎたな。
焦る気持ちを抑えて周囲を見回すが、それらしい影は見えない。すっかり暗くなった住宅街には明かりが灯っていた。
不思議そうにしている女の子を中心に、三人で背中合わせの形に囲んで辺りを警戒する。
「何~? 璃鎖は虚の霊圧がわかるの~?」
「れい……? なんかぞわってした」
「霊圧知覚と言うよりも野生の勘のほうが正しそうですね」
すると、遠くからズシン、ズシンという重い音が聞こえてきた。
何かが迫る感覚とともに、全身に寒気が走る。ゴクリと唾を呑んだ。
不気味なほど静かな住宅街にあって、その音は徐々に大きくなる。近づくたびに魂が軋むような、初めての感覚だった。
「────!」
すぐそばの建物の陰で何かが動いた。そして、ずっとずっと大きなモノが眼前に現れる。
女の子は悲鳴を上げた。僕たちは声も出せない。
顔を覆う白い仮面、胸に空いた孔。あれが、そうなのか。
間違いなく《記憶》の通りの魚面の虚が、うつろな目で僕たちを見た。心臓が大きく音を立てる。
「で~? 考えはあるの~? 橙亜~」
さすがの唯和も焦りがあるのか、声にふざけた様子が少なかった。璃鎖は威嚇するように体勢を低くして、震える女の子を庇っている。
僕も呆然としている場合ではない。引きつりそうな喉から無理やり声を押し出した。
「……虚はより霊的濃度の高い魂を狙うことは知っていますね?」
「あっ、察した~」
話が早い唯和に対し、璃鎖は首を傾げる。
「つまり、どうするの?」
「霊的濃度の高い魂とは、すなわち幽霊が見える僕たちのような魂のことです。そんな人間がここに三人もいるんですよ?」
「……あのホロウってやつは女の子よりも私たちを狙うってこと?」
「よくできました」
言うが早いか、虚がこちらに向けて腕を伸ばしてきた。震えそうになる足に力を入れ、一歩踏み出す。
「虚の注意を僕たち三人で引きましょう!」
「じゃあ、私が誘き寄せるね!」
そう言うと、璃鎖は虚に向かって走り出した。正面から迫る虚の手を軽々と避け、路地を迂回して虚をここから引き離していく。
その様子に、唯和は感嘆の声を上げた。
「璃鎖の身体能力は相変わらずすっごいね~、さすが山育ち~!」
「何をのんきに感心してるんですか、追いますよ!」
虚は女の子から離れた。あとは僕たちを追ってきてくれれば、そのまま黒崎家に逃げ込んで元の《流れ》に戻るだろうか。
今から別の作戦を立てる時間もなければ実行する暇もない。このままやるしかない。
璃鎖と合流し、ジグザグと小道を駆け回った。直線距離では追いつかれてしまうので、障害物などを駆使して時間を稼ぐ。
休めばほぼ即死の状況ゆえ、ほとんど全力疾走で走り続けていた。とっくに僕の息は上がっているし、脇腹も痛い。日頃からあまり運動をするタイプではないのが仇になった。
隣を走る唯和も疲れはあるがまだそれなりに走れそうだ。璃鎖にいたっては笑顔すら見える。なんなら僕の背中を押してくれる余裕まであった。なんてことだ。
──ここを生き残れたら、筋トレを始めよう……!
そう固く決意をしていると、唯和が横目で話しかけてきた。
「このまま黒崎家にヤツを連れていくわけだけど~」
「はい」
「橙亜ちゃんは一家が襲われるのを黙って見ていられるのかなぁ~? 彼らは別に死なないよねぇ~?」
走っているときくらい、その喋り方はやめればいいのに。
そんな言葉が脳内を過るくらいには疲労がピークに達していた。
「命の、危険があるとわかっていてみすみす見逃せますか?」
「過・保・護~」
「でも、意識があっては黒崎さんの死神化に支障がありそうですね。では、あなたが三人を気絶させてくださいね、唯和」
「はぁ~!?」
普段の人をおちょくるものではない、素に近い低めの絶叫だった。
「オマエそれむちゃくちゃ言ってるからな~!?」
「何ですか? あなた、柔道空手合気道その他もろもろの有段者でしたよね? できないんですか?」
「コイツ、考えるのも疲れて投げやりになってきやがったな!? 双子ちゃんズはまだしも、父親のほうは無理ゲーだろ!」
投げやりではない。唯和への信頼である。
まあ、日頃の憂さ晴らしもないではないけれど。
「僕にあれだけさんざん強い言葉を吐いたのです。『やらない』、とはおっしゃいませんよね?」
横目で見た唯和はわずかに目元をヒクつかせ、口元を大きく歪めた。
「フン……やってやろうじゃねーかよ~、あとで後悔すんなよな~!」
「橙亜は唯和の説得がうまいね」
「いつもこんな調子なら楽なんですけどね」
体中に残る体力という体力を絞り出し、僕たちはひたすらに走る。走る。走る。
黒崎一家の記憶は浦原さんが上手いこと置換してくれると勝手に期待して、気づけば眼前に黒崎家が見えてきていた。