欠けた月のように生きて
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気付いたのは、いつだったか
私は人と比べると、感情が欠けているようだった
欲がない
成長するにつれてそれを実感し、けれど特に困ることもなく、治そうとも思わなかった
自分が普通とはズレている自覚はあったし、普通ならどうだろうか、と言う一般常識はあった
だからか特に悪目立ちすることなく生活できていた
何がしたい、どこに行きたい、何が食べたい、何て質問には基本的に「何でも良いよ、合わせる」と返し
適度に中間的な意見を述べるように心掛けていたら、困るようなことはなかった
相手が優柔不断な人間であればお互い悩むが、目に入った店に入ったり、その時欲しくなったものを買ったり、と大きな障害にはならなかった
なので、一番困った事と言えば恋愛関連だと思う
中学、高校とは多感な時期だ
女子が集まれば、話題は大体恋バナ
特に話すことのない私は、基本的に聞き役に徹していた
中学時代は何故かよく恋愛相談を持ちかけられていたのでそれらしい自分なりの意見を伝えると、どうやらそれが好評だったようで
経験値のない人間の意見でいいのか、という疑問はあったが満足しているようならそれでいいだろう、と自分を納得させた
高校では少し落ち着きを見せてくれたが、やはり恋バナが好きなのは仕方ないのだろう
聞くのは好きだし幸せそうな友人を見ているのは微笑ましい
けれどそれは他者であるからで
その矛先が自身に向くとなったら話は別である
長々と述べてきたように、私には欲がない
独占欲というものも、そう存在しない
恋愛とは欲の塊の様なものだと思う
自分だけを見て欲しい
自分の特別になって欲しい
自分だけのものであって欲しい
一番は自分であって欲しい
好きになって欲しい
そういった欲を満たすための行為が、恋愛である
私はそう言った認識で今まで生きてきた
恋に恋する友人は、先輩がカッコいいやら、サッカー部のキャプテンがイケメンだとか、忙しそう
キラキラしていて、可愛いとは思う
彼氏のいる友人は、デート前は浮き足立っていて服やら髪やら気にして、お菓子を作ってみたりして女子力磨き
片思いしている友人は、話しかけてもらったやら、電話が出来たやら、遊びに行く約束したやら、毎日が充実していてとても楽しそう
そう、見ている分には何の問題もないのだ
ただ、それが自分の身に降り掛かるとなるとなれば、面倒臭いと思ってしまう
それを人に話せば、本気で人を好きになったことがないからだと言われる
その指摘は分からなくは無い
誰かを本気で好きになったことは確かにない
カッコいいと思う人は居たとしても、それが=好き、とはならないのだ
第一に、私は評価が厳しい方らしく、カッコいいと思う人も少ない
色んな子の恋愛話も聞いているので、ちょっと嫌気がさしているのも否めない(可愛い話ばかりではないのだ)
つまり“好き”が分からない私にとって、好きな人やらタイプやらを聞かれるのは苦痛でしかないのだ
(分からない話題ほど、退屈なものなんてないでしょう?)
私は人と比べると、感情が欠けているようだった
欲がない
成長するにつれてそれを実感し、けれど特に困ることもなく、治そうとも思わなかった
自分が普通とはズレている自覚はあったし、普通ならどうだろうか、と言う一般常識はあった
だからか特に悪目立ちすることなく生活できていた
何がしたい、どこに行きたい、何が食べたい、何て質問には基本的に「何でも良いよ、合わせる」と返し
適度に中間的な意見を述べるように心掛けていたら、困るようなことはなかった
相手が優柔不断な人間であればお互い悩むが、目に入った店に入ったり、その時欲しくなったものを買ったり、と大きな障害にはならなかった
なので、一番困った事と言えば恋愛関連だと思う
中学、高校とは多感な時期だ
女子が集まれば、話題は大体恋バナ
特に話すことのない私は、基本的に聞き役に徹していた
中学時代は何故かよく恋愛相談を持ちかけられていたのでそれらしい自分なりの意見を伝えると、どうやらそれが好評だったようで
経験値のない人間の意見でいいのか、という疑問はあったが満足しているようならそれでいいだろう、と自分を納得させた
高校では少し落ち着きを見せてくれたが、やはり恋バナが好きなのは仕方ないのだろう
聞くのは好きだし幸せそうな友人を見ているのは微笑ましい
けれどそれは他者であるからで
その矛先が自身に向くとなったら話は別である
長々と述べてきたように、私には欲がない
独占欲というものも、そう存在しない
恋愛とは欲の塊の様なものだと思う
自分だけを見て欲しい
自分の特別になって欲しい
自分だけのものであって欲しい
一番は自分であって欲しい
好きになって欲しい
そういった欲を満たすための行為が、恋愛である
私はそう言った認識で今まで生きてきた
恋に恋する友人は、先輩がカッコいいやら、サッカー部のキャプテンがイケメンだとか、忙しそう
キラキラしていて、可愛いとは思う
彼氏のいる友人は、デート前は浮き足立っていて服やら髪やら気にして、お菓子を作ってみたりして女子力磨き
片思いしている友人は、話しかけてもらったやら、電話が出来たやら、遊びに行く約束したやら、毎日が充実していてとても楽しそう
そう、見ている分には何の問題もないのだ
ただ、それが自分の身に降り掛かるとなるとなれば、面倒臭いと思ってしまう
それを人に話せば、本気で人を好きになったことがないからだと言われる
その指摘は分からなくは無い
誰かを本気で好きになったことは確かにない
カッコいいと思う人は居たとしても、それが=好き、とはならないのだ
第一に、私は評価が厳しい方らしく、カッコいいと思う人も少ない
色んな子の恋愛話も聞いているので、ちょっと嫌気がさしているのも否めない(可愛い話ばかりではないのだ)
つまり“好き”が分からない私にとって、好きな人やらタイプやらを聞かれるのは苦痛でしかないのだ
(分からない話題ほど、退屈なものなんてないでしょう?)
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