手を伸ばしかけて躊躇って
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side.琉梨
遂にIHが始まった
とは言っても、予選段階ではさほど心配はしていない
予選をくぐり抜けた先、本選では強豪校と呼ばれる学校が雁首揃えて待ち構えている事だろう
〈キセキの世代〉を勝ち取った高校も存在する本選
バラバラになったとは言え、1人でも十分すぎる実力の持ち主達
優勝するのは、彼等が所属する学校であることは、火を見るより明らかであろう
そんな中、海常高校も順調に勝ち進んでいき、本日は準々決勝
青峰を獲得した、桐皇高校と当たることとなる
『お互い恨みっこなしだからね、琉梨!』
『分かってるって、お互い様でしょ』
『勝っても負けても、家には持ち込まない!』
『了解』
『よっし、んじゃ行きますか!』
元気よく突き出された琉帆の拳に、笑いながら自身のそれを突き合わせた
後のことはもう、神のみぞ知る
流石に今回は、峰くんも本気を出してくる事だろう
他の対戦校とは違う、嘗てのチームメイトが所属する高校との対戦だ
厳しい戦いになることは目に見えてる
桐皇は、キャプテンの今吉翔一を含め、なかなかに曲者揃いだ
と言うか、クセが強すぎる
まぁ、どこもそうなんだけども
さて、どうしよう
何て、うちが頭を悩ませたところで、何も変わらないのだけれど
試合は進むし、勝敗は決まる
敗者は退き、勝者は昇る
何て単純明快
どれだけ勝利を願ったって、もどかしく思ったって
強い者のみが、コートに立ち続けるのだ
選手じゃないうち等は、それを見ているだけ
何も出来ない代わりに、一瞬も逃さず全てが終わるその瞬間まで、自身の目に焼き付けるのだ
あぁ、ホントままならない
審判の声が響く、笛が鳴る
さぁ、試合開始(ティップ・オフ)だ
*****
試合終了後のロッカールーム
そこにはどことなく重苦しい空気が漂っていた
その空気を何とか誤魔化したくて、いつも通りを振る舞う部員達
けれど、取り除けない空気
各々片付けをしながら、向ける視線はある一点
けれど、誰も声を掛けることが出来ず、また会話へと戻って行く
『さて、皆さんお疲れ様です
今日は一旦学校に戻りますので、片付けが終わった人から駐車場に集合してくださいねー』
そんな空気の中、場を纏めるのは琉梨
いつも通りの声が響き、それにそれぞれが返答する
本来指示を飛ばすべき人物は他にいるのだが、それを言及する者は居ない
言及できる筈がなかった
片付けの終わった者から1人、また1人とロッカールームから出て行く
段々と人数が減っていき、騒音も小さくなっていく
「琉梨ちゃんは行かないの?」
『最終チェックしてから行くよ
忘れ物とか合ったら困るしね』
「手伝う?」
『そんなに広い場所じゃないし、大丈夫だよ
駐車場の方よろしく』
「こっちの方が大変そう」
『そうかもね』
そんな中仕事の打ち合わせにやって来た唯歌と軽いやり取りを交わす
笑いながら唯歌も退室して、残るのは琉梨と笠松のみ
琉梨は宣言通りロッカールーム内を見て回り、忘れ物などがないか、最終チャックを行う
無言の空間に、ロッカーの開閉音が響く
「…茶月」
全てのロッカーの点検を終えた頃、笠松の声が響く
ロッカー前に座り込み、顔を伏せている笠松
そんな笠松の前に静かに座り込み、顔を覗き込む
『はい』
笠松が今どんな思いでいるか
これからどんな展開になるか、何となく分かっていながら
琉梨はいつも通りの声音で、穏やかに返事をした
笠松が僅かに顔を上げ、鋭い目で琉梨を捉える
対する琉梨は膝をついて、いつもの微笑を浮かべていた
『何でしょうか?』
黙ってしまった笠松を促すように、琉梨が穏やかに問い掛ける
その声には、緊張や身構えた堅さはない
本当にいつも通りの声音で
「…見てたか」
ただ一言だけの問い
主語もない、簡素な問い掛け
そんな問いであっても、琉梨は動揺した様子もなく
『…はい、この目でしっかりと
一瞬も逃すことなく、見てました』
不安定な、揺れる瞳が見えて
琉梨はゆっくりと笠松へと手を伸ばす
その顔を隠す様に、膝立ちでふわりと包み込む
『…お疲れ様でした』
その言葉が引き金になったのか、笠松の手が琉梨の背中に回る
少し強い、加減の出来ていない強さ
それにはなにも触れず、琉梨はされるがまま
「今は、見るな…!」
『…はい』
痛みを感じるほど、力の込められた腕
押し殺した嗚咽
肩を濡らしていく涙
その全てに目を瞑って
琉梨はひたすら、笠松が落ち着くのを待った
*****
『お待たせしましたー
ほら、帰りますよー』
笠松と2人、遅れて集合場所へと現れた琉梨
バスの外で待っていた数人の背中を押して、バスへと押し込んでいく
「琉梨っちー…」
『うぉ、まだ泣いてんのかわんこ
むしろ鳴いてるのか』
「それ文字にしないと分からない奴!」
『分かってるみたいだから大丈夫』
暗くなりがちなバスの中
いつもと変わらない、ふざけたような、軽いやり取り
そんな会話に笑って、仮初めのいつも通りを過ごす
琉梨が意図的に作り出した、この空間に甘えて
甘えてばかりではいけないと分かっていても、みんなそこまで強くない
それが分かっているから、触れないように、見ないように、先延ばしにしていく
そうしてバスは目的地へと辿り着く
いつも通り体育館に集まり、全体の反省会を行う
監督、キャプテンと話をして、解散
残ったのはスタメンのみ
「…あー、負け試合で“いい試合だった”とは言われたくないだろうが
俺も言いたくはないが…
今日はいい試合が出来た、と思っている」
笠松のその正直な言葉に、それぞれが複雑な顔をしながらも頷く
やっとチームとしての一体感が出てきた試合だった
黄瀬の伸び代がはっきりと見えた試合だった
黄瀬の成長が始まった試合だった
成果は、あった
ただそれに、結果が伴わなかっただけで
「けど、ここで全てが終わった訳じゃない
まだ、冬が残ってる」
WC
冬、クリスマス頃に行われる、バスケの2大大会の一つだ
「それが、俺達3年のラストチャンスだ」
重い響きを持った笠松の言葉に、3年である2人が頷き返す
後輩である2人も、しっかりと笠松を見つめ返す
「落ち込むときは思いっきり落ち込め
反省して、自己嫌悪して、泣けばいい
だが、それをいつまでも引き摺るな
時間は、俺達を待ってくれたりしねぇ
試合に出られなかったたくさんの部員達の期待を背負ってる俺達は
こんなところで立ち止まる訳にはいかねぇんだ」
そう言ってメンバー1人1人の顔を見渡す
しっかりと向き合って再び口を開く
「負けは1回で十分だ
こんな悔しい思いも、もう沢山だ
明後日の練習からは、いつも通り、いや今以上の気合い見せろ」
「「ウスッ!」」
「よし、じゃあ解散!」
「「あざーしたっ!」」
解散の声が響き、それぞれが帰路につく
流石に今日はみんな練習することもなく、大人しく家路へと着いた
「琉梨っちー、一緒に帰んないッスか?」
『えー…、わんこと?』
「そんな全力で嫌そうな顔しないで欲しいッス!」
『あはは、冗談
悪いけど、うちはまだ用事あるから』
「用事、ッスか?」
『明後日からの鬼メニューを考えるという、大切な用事が』
「お先ッス!」
その言葉を聞いて、黄瀬は一目散に体育館を去って行く
琉梨が鬼メニューと言えば、かなり過酷なものになることは中学時代に経験済みだからだ
他のメンバーも若干青い顔をしながら、そっと体育館を去って行く
「…流石に今日やる必要ないんじぇねぇか?」
『なぁに言ってるんですか
私達には休んでる暇なんて無いですよー
あっという間に明後日になっちゃうじゃないですか』
「けど」
『私達の仕事は、貴方達を勝たせること
大丈夫です、頭使うだけ何で
では、先輩は早く帰っておやすみくださいな
マネージャーは、選手の体調管理もしなくちゃいけないのでね』
そう言って、笠松の背中をぐいぐいと押す
何か言いたげな笠松ではあったが、諦めたのか溜息を吐いた
「あんま遅くまで残んなよ」
『りょーかいであります、キャプテン』
そう言って立ち去る笠松を見送る
その背中が見えなくなったのを確認した琉梨の顔からは、表情が抜け落ちていた
*****
side.K
茶月の言い分に流されて帰宅して、取り敢えずシャワーを浴びる
ジャージやユニフォームやらを洗濯機に放り込んで、自室へ
ベッドに転がり込むが、眠気など襲ってくる気配はなく
ぼんやりと天井を眺めながら、ぐだぐだとした思考の渦に飲み込まれていく
試合内容を思い起こしてみたり、試合後の部員達の顔を思い浮かべてみたり
先程まで自分のことで精一杯だった自分が、どことなく落ち着いている
「…また、抱え込ませた」
思い浮かべた顔の中、最後に出てきたのはあの完璧すぎるマネージャーの姿
別れ際に見せた、あの一瞬の表情が忘れられない
あの、今にも泣き出してしまいそうな顔が
結局今日1回もアイツは泣かなかった
隣で小堀の妹が泣き崩れたときも
他の部員が泣きそうな顔をしていたときも
アイツは眉をさげ、口を引き結んで、宥め役に徹していた
それを見て、俺は確信した
以前抱いたあの疑問の答えを、確かに
“一体いつ、誰に、その抱え込んだ思いを吐き出すのだろう”
こんな疑問が、馬鹿馬鹿しい
アイツは全て抱え込んでしまうのだ
この疑問自体が間違っているようなもので
アイツに本当に必要なのは、抱え込んだ思いを引っ張り出すことが出来る相手
無理矢理にでもその思いを引っ張り出すことが出来るような人間
それが、アイツにはいない
きっとアイツはいつだって
誰もいない部屋で膝を抱えて、声を殺して泣いていたのだろう
甘えることを、頼ることをしようとしない
いつも自分1人で解決しようと走り回る、無器用な奴
人がそうさせたのか、環境がそうさせたのか
恐らく、両方なのだろうけど
「そういや…、アイツちゃんと帰った、のか?」
最後に見たあの表情
泣き出しそうな、それを隠し通そうとするような
表現しがたい顔
アイツのことだ
メニューを組むと言ったのなら、その仕事はきちんと終わらせていることだろう
学校という、いつ人が現れるか分からないような場所で泣くことは、恐らく無い
家に帰るにしたって、妹がいる
確か、桐皇に進んだと言っていた筈だ
………絶対まだ帰ってない
時計を見る
19時を過ぎた頃合い
季節は夏で、外はそれほど暗くない
これくらいの時間、女子高生が1人で歩いていたって何ら不思議ではない
けど、今回はそう言う問題じゃない
周りの心配ばかりしているアイツを、心配する奴が1人くらい居たっていいだろう
携帯を掴んで電話を掛ける
出ない、と言う可能性は最初から排除していた
出ない事で、何か相手に悟らせないようにするために
きっと何でも無いって声で、「先輩から電話なんて珍しいですね」何て、笑って言うに決まっている
だからこそ、余計放っておけないと言う事をアイツは分かっているのだろうか
電話が繋がった直後、踏切の音をBGMに、予想通りの声が耳を掠めた
*****
通話状態にしたまま自転車を走らせる
大体の目星は付いている
茶月が俺を理解しつつあるように、俺だって理解してきているのだ
目的の場所に着き、自転車を止める
通話口に向かって、見つけた、と投げかければ笑い声が聞こえた
『何ですか、先輩
少女漫画のヒーローみたい』
駅に一番近い公園
そのブランコに腰掛けた茶月の姿
ゆらゆら、と小さくブランコを揺らしながら、携帯に耳を当てている
「茶化してんじゃねぇよ」
『先輩がタイミング悪すぎるのがいけないんですよ
にしても、よくここが分かりましたね』
「俺もそんな馬鹿じゃねぇからな」
『まったく…、嫌になるくらい立派なキャプテン様だ』
肩を竦めた茶月が、携帯を耳から離す
通話が切れた携帯をズボンのポケットに押し込んで、座ったまま動かない茶月の前まで歩いて行く
チラリ、と見上げた茶月は自然な動作で目を逸らすと、またゆらゆらとブランコを揺らし始めた
『どうかされました、先輩
家に帰ってないから怒ってます?』
「それもある」
『嫌な言い方
怖いですねー、まだ他にも理由が?』
「あぁ、分かってんだろ」
『どうでしょうねぇ…』
そう言って笑う
もうほとんど壊れてしまっている、鉄壁の仮面を被って
誤魔化しきれないと分かっていても、まだ逃げたい
そんな感情が伝わってくる、不格好な笑みで
「茶月」
『…あんまり、聞きたくないです』
「…泣いていると、思った」
静かに告げた言葉
それを聞いた茶月は、自身の前髪を掴むようにして顔を隠す
俯いてしまって、いつも真っ直ぐに俺を捉えるあの瞳は、今はどこにもない
『だから、嫌なんですよ』
「悪いな」
『必死に強がっている内は強がらせてくださいよ』
「もう十分強がらせてやっただろうが」
『駄目ですよー
男ならドーンと構えて、女の子が縋るのを待ってないと』
「そうしたらお前はいつまでも来ねぇだろ
それくらい、もう分かってんだよ」
『いやいや、分かんないですよ?
もしかしたら泣き付きに行くかもしれませんし』
「…だったら今来いよ」
『……だから、先輩は駄目なんですよ』
そう言った声は、今までに無いくらい震えていた
細く、小さな、注意していないと聞き逃してしまいそうなそんな声
俯いていて、茶月の顔は見えない
けれど膝に落ちる透明な雫は、隠せない
目の前に膝をついて顔を覗き込む
それでも隠された顔は、よく見えなかったが
「っとに、お前は無器用だな」
『先輩に言われたくない…』
「女の特権なんだから、いくらでも甘えればいいだろ」
『まさか先輩の口から女の特権なんて言葉が聞ける日が来るとは…』
「おい」
いつまでも憎まれ口を叩くコイツに少し呆れる
声は震えて、涙は止まっていないというのに
「甘え方、覚えろよ」
『…うっさい、です』
必死に顔を隠す茶月の頭を、出来るだけ優しく撫でる
甘え方も頼り方も知らないのなら、慣れさせていけばいい
勝手にこっちが甘やかしていけばいい
正当に自分の評価が出来ないコイツは、誰かが認めてやらないといけない
『なんか、先輩、らしくない』
「うっせーよ」
んなこと、俺が一番思ってるわ
こんな事慣れてなさ過ぎて、手一杯だ
けど、そんなことはどうでもいいからお前は甘えてくればいい
その為に、俺はここまで来たのだから
カシャン
ブランコが揺れて、体に小さなぬくもり
腕の中に収まってしまうほどには小さいのに、随分と大きな存在
揺れるブランコが当たらない様に手で止めて、そのまま背中を優しく叩く
肩が濡れる感覚
それでも必死に押し殺す嗚咽
なんだかんだ、俺達は少し似ているのかもしれない
『…勝たせたかった』
そんな中響いた茶月のくぐもった声
茶月は選手ではないが、勝とうという姿勢は俺達と同じで
『ホントに、勝たせたかった…!』
「あぁ」
『でもっ…』
泣き声の合間の言葉に耳を傾ける
しゃくり上げる茶月を落ち着かせるように、ゆっくりと頭を撫でる
『……分かって、しまっていた
今日の、試合の結果』
聞こえた声に、一瞬手が止まった
それに気付いたらしい茶月が、一際強く抱きつく
そうか、茶月は…
『分かってた
何となく、予想出来てしまった
でも、勝たせたくて…!』
「あぁ」
『…頑張った
みんな頑張ってた
うちも一番実力が出せるメニューを考えた
精一杯、サポートもした』
「…あぁ」
『…でもっ!駄目だった…!』
叫ぶように言われた言葉が、ガンガンと頭に反響する
あぁ、そうだった
コイツには見えてしまうのだ
俺達の成長とか、能力とか
分析して、育成することに努めているコイツには、きっと
付け焼き刃な黄瀬の成長も、計算に入れた上で
今日負けることを、分かっていたのだ
それでも、そんなことを感じさせることもなく、ずっと支えてくれていた
俺達の持つ力を、目一杯発揮できる舞台作りをしてくれていた
『勝たせたかった
このチームで勝ちたかったのに…!』
背中に回された腕に力が籠もる
そんなに強い力なんかじゃないのに、痛くて仕方なかった
『ごめんなさい
勝たせてあげられなくて、ごめんなさい…』
耳を、塞ぎたくなった
結局俺は、何も分かってなんか居なかったのだ
気付けば俺は撫でるのも、相槌さえ忘れていて
腕の中にあるぬくもりを、ただ抱き締めることしか出来なかった
『いい試合、だった
今出せる実力を、出し切った試合だったと、思う
でも、どうしても…!』
「茶月、もういいから
お前は、何も悪くなんかない
誰も、悪くなんか無い」
『けど、まだ何か、出来ることがあったかもしれないのに』
「今自分で言っただろうが
実力を出し切ったって」
『でも…』
「もういいから
ありがとう、茶月」
それ以上、言葉は続かなかった
茶月はしがみつく手に力を込めて、声を押し殺しながら泣いた
ごめんなさいって泣かないで
(悪者なんて居ない、君が悪いなんて誰にも言わせない)
遂にIHが始まった
とは言っても、予選段階ではさほど心配はしていない
予選をくぐり抜けた先、本選では強豪校と呼ばれる学校が雁首揃えて待ち構えている事だろう
〈キセキの世代〉を勝ち取った高校も存在する本選
バラバラになったとは言え、1人でも十分すぎる実力の持ち主達
優勝するのは、彼等が所属する学校であることは、火を見るより明らかであろう
そんな中、海常高校も順調に勝ち進んでいき、本日は準々決勝
青峰を獲得した、桐皇高校と当たることとなる
『お互い恨みっこなしだからね、琉梨!』
『分かってるって、お互い様でしょ』
『勝っても負けても、家には持ち込まない!』
『了解』
『よっし、んじゃ行きますか!』
元気よく突き出された琉帆の拳に、笑いながら自身のそれを突き合わせた
後のことはもう、神のみぞ知る
流石に今回は、峰くんも本気を出してくる事だろう
他の対戦校とは違う、嘗てのチームメイトが所属する高校との対戦だ
厳しい戦いになることは目に見えてる
桐皇は、キャプテンの今吉翔一を含め、なかなかに曲者揃いだ
と言うか、クセが強すぎる
まぁ、どこもそうなんだけども
さて、どうしよう
何て、うちが頭を悩ませたところで、何も変わらないのだけれど
試合は進むし、勝敗は決まる
敗者は退き、勝者は昇る
何て単純明快
どれだけ勝利を願ったって、もどかしく思ったって
強い者のみが、コートに立ち続けるのだ
選手じゃないうち等は、それを見ているだけ
何も出来ない代わりに、一瞬も逃さず全てが終わるその瞬間まで、自身の目に焼き付けるのだ
あぁ、ホントままならない
審判の声が響く、笛が鳴る
さぁ、試合開始(ティップ・オフ)だ
*****
試合終了後のロッカールーム
そこにはどことなく重苦しい空気が漂っていた
その空気を何とか誤魔化したくて、いつも通りを振る舞う部員達
けれど、取り除けない空気
各々片付けをしながら、向ける視線はある一点
けれど、誰も声を掛けることが出来ず、また会話へと戻って行く
『さて、皆さんお疲れ様です
今日は一旦学校に戻りますので、片付けが終わった人から駐車場に集合してくださいねー』
そんな空気の中、場を纏めるのは琉梨
いつも通りの声が響き、それにそれぞれが返答する
本来指示を飛ばすべき人物は他にいるのだが、それを言及する者は居ない
言及できる筈がなかった
片付けの終わった者から1人、また1人とロッカールームから出て行く
段々と人数が減っていき、騒音も小さくなっていく
「琉梨ちゃんは行かないの?」
『最終チェックしてから行くよ
忘れ物とか合ったら困るしね』
「手伝う?」
『そんなに広い場所じゃないし、大丈夫だよ
駐車場の方よろしく』
「こっちの方が大変そう」
『そうかもね』
そんな中仕事の打ち合わせにやって来た唯歌と軽いやり取りを交わす
笑いながら唯歌も退室して、残るのは琉梨と笠松のみ
琉梨は宣言通りロッカールーム内を見て回り、忘れ物などがないか、最終チャックを行う
無言の空間に、ロッカーの開閉音が響く
「…茶月」
全てのロッカーの点検を終えた頃、笠松の声が響く
ロッカー前に座り込み、顔を伏せている笠松
そんな笠松の前に静かに座り込み、顔を覗き込む
『はい』
笠松が今どんな思いでいるか
これからどんな展開になるか、何となく分かっていながら
琉梨はいつも通りの声音で、穏やかに返事をした
笠松が僅かに顔を上げ、鋭い目で琉梨を捉える
対する琉梨は膝をついて、いつもの微笑を浮かべていた
『何でしょうか?』
黙ってしまった笠松を促すように、琉梨が穏やかに問い掛ける
その声には、緊張や身構えた堅さはない
本当にいつも通りの声音で
「…見てたか」
ただ一言だけの問い
主語もない、簡素な問い掛け
そんな問いであっても、琉梨は動揺した様子もなく
『…はい、この目でしっかりと
一瞬も逃すことなく、見てました』
不安定な、揺れる瞳が見えて
琉梨はゆっくりと笠松へと手を伸ばす
その顔を隠す様に、膝立ちでふわりと包み込む
『…お疲れ様でした』
その言葉が引き金になったのか、笠松の手が琉梨の背中に回る
少し強い、加減の出来ていない強さ
それにはなにも触れず、琉梨はされるがまま
「今は、見るな…!」
『…はい』
痛みを感じるほど、力の込められた腕
押し殺した嗚咽
肩を濡らしていく涙
その全てに目を瞑って
琉梨はひたすら、笠松が落ち着くのを待った
*****
『お待たせしましたー
ほら、帰りますよー』
笠松と2人、遅れて集合場所へと現れた琉梨
バスの外で待っていた数人の背中を押して、バスへと押し込んでいく
「琉梨っちー…」
『うぉ、まだ泣いてんのかわんこ
むしろ鳴いてるのか』
「それ文字にしないと分からない奴!」
『分かってるみたいだから大丈夫』
暗くなりがちなバスの中
いつもと変わらない、ふざけたような、軽いやり取り
そんな会話に笑って、仮初めのいつも通りを過ごす
琉梨が意図的に作り出した、この空間に甘えて
甘えてばかりではいけないと分かっていても、みんなそこまで強くない
それが分かっているから、触れないように、見ないように、先延ばしにしていく
そうしてバスは目的地へと辿り着く
いつも通り体育館に集まり、全体の反省会を行う
監督、キャプテンと話をして、解散
残ったのはスタメンのみ
「…あー、負け試合で“いい試合だった”とは言われたくないだろうが
俺も言いたくはないが…
今日はいい試合が出来た、と思っている」
笠松のその正直な言葉に、それぞれが複雑な顔をしながらも頷く
やっとチームとしての一体感が出てきた試合だった
黄瀬の伸び代がはっきりと見えた試合だった
黄瀬の成長が始まった試合だった
成果は、あった
ただそれに、結果が伴わなかっただけで
「けど、ここで全てが終わった訳じゃない
まだ、冬が残ってる」
WC
冬、クリスマス頃に行われる、バスケの2大大会の一つだ
「それが、俺達3年のラストチャンスだ」
重い響きを持った笠松の言葉に、3年である2人が頷き返す
後輩である2人も、しっかりと笠松を見つめ返す
「落ち込むときは思いっきり落ち込め
反省して、自己嫌悪して、泣けばいい
だが、それをいつまでも引き摺るな
時間は、俺達を待ってくれたりしねぇ
試合に出られなかったたくさんの部員達の期待を背負ってる俺達は
こんなところで立ち止まる訳にはいかねぇんだ」
そう言ってメンバー1人1人の顔を見渡す
しっかりと向き合って再び口を開く
「負けは1回で十分だ
こんな悔しい思いも、もう沢山だ
明後日の練習からは、いつも通り、いや今以上の気合い見せろ」
「「ウスッ!」」
「よし、じゃあ解散!」
「「あざーしたっ!」」
解散の声が響き、それぞれが帰路につく
流石に今日はみんな練習することもなく、大人しく家路へと着いた
「琉梨っちー、一緒に帰んないッスか?」
『えー…、わんこと?』
「そんな全力で嫌そうな顔しないで欲しいッス!」
『あはは、冗談
悪いけど、うちはまだ用事あるから』
「用事、ッスか?」
『明後日からの鬼メニューを考えるという、大切な用事が』
「お先ッス!」
その言葉を聞いて、黄瀬は一目散に体育館を去って行く
琉梨が鬼メニューと言えば、かなり過酷なものになることは中学時代に経験済みだからだ
他のメンバーも若干青い顔をしながら、そっと体育館を去って行く
「…流石に今日やる必要ないんじぇねぇか?」
『なぁに言ってるんですか
私達には休んでる暇なんて無いですよー
あっという間に明後日になっちゃうじゃないですか』
「けど」
『私達の仕事は、貴方達を勝たせること
大丈夫です、頭使うだけ何で
では、先輩は早く帰っておやすみくださいな
マネージャーは、選手の体調管理もしなくちゃいけないのでね』
そう言って、笠松の背中をぐいぐいと押す
何か言いたげな笠松ではあったが、諦めたのか溜息を吐いた
「あんま遅くまで残んなよ」
『りょーかいであります、キャプテン』
そう言って立ち去る笠松を見送る
その背中が見えなくなったのを確認した琉梨の顔からは、表情が抜け落ちていた
*****
side.K
茶月の言い分に流されて帰宅して、取り敢えずシャワーを浴びる
ジャージやユニフォームやらを洗濯機に放り込んで、自室へ
ベッドに転がり込むが、眠気など襲ってくる気配はなく
ぼんやりと天井を眺めながら、ぐだぐだとした思考の渦に飲み込まれていく
試合内容を思い起こしてみたり、試合後の部員達の顔を思い浮かべてみたり
先程まで自分のことで精一杯だった自分が、どことなく落ち着いている
「…また、抱え込ませた」
思い浮かべた顔の中、最後に出てきたのはあの完璧すぎるマネージャーの姿
別れ際に見せた、あの一瞬の表情が忘れられない
あの、今にも泣き出してしまいそうな顔が
結局今日1回もアイツは泣かなかった
隣で小堀の妹が泣き崩れたときも
他の部員が泣きそうな顔をしていたときも
アイツは眉をさげ、口を引き結んで、宥め役に徹していた
それを見て、俺は確信した
以前抱いたあの疑問の答えを、確かに
“一体いつ、誰に、その抱え込んだ思いを吐き出すのだろう”
こんな疑問が、馬鹿馬鹿しい
アイツは全て抱え込んでしまうのだ
この疑問自体が間違っているようなもので
アイツに本当に必要なのは、抱え込んだ思いを引っ張り出すことが出来る相手
無理矢理にでもその思いを引っ張り出すことが出来るような人間
それが、アイツにはいない
きっとアイツはいつだって
誰もいない部屋で膝を抱えて、声を殺して泣いていたのだろう
甘えることを、頼ることをしようとしない
いつも自分1人で解決しようと走り回る、無器用な奴
人がそうさせたのか、環境がそうさせたのか
恐らく、両方なのだろうけど
「そういや…、アイツちゃんと帰った、のか?」
最後に見たあの表情
泣き出しそうな、それを隠し通そうとするような
表現しがたい顔
アイツのことだ
メニューを組むと言ったのなら、その仕事はきちんと終わらせていることだろう
学校という、いつ人が現れるか分からないような場所で泣くことは、恐らく無い
家に帰るにしたって、妹がいる
確か、桐皇に進んだと言っていた筈だ
………絶対まだ帰ってない
時計を見る
19時を過ぎた頃合い
季節は夏で、外はそれほど暗くない
これくらいの時間、女子高生が1人で歩いていたって何ら不思議ではない
けど、今回はそう言う問題じゃない
周りの心配ばかりしているアイツを、心配する奴が1人くらい居たっていいだろう
携帯を掴んで電話を掛ける
出ない、と言う可能性は最初から排除していた
出ない事で、何か相手に悟らせないようにするために
きっと何でも無いって声で、「先輩から電話なんて珍しいですね」何て、笑って言うに決まっている
だからこそ、余計放っておけないと言う事をアイツは分かっているのだろうか
電話が繋がった直後、踏切の音をBGMに、予想通りの声が耳を掠めた
*****
通話状態にしたまま自転車を走らせる
大体の目星は付いている
茶月が俺を理解しつつあるように、俺だって理解してきているのだ
目的の場所に着き、自転車を止める
通話口に向かって、見つけた、と投げかければ笑い声が聞こえた
『何ですか、先輩
少女漫画のヒーローみたい』
駅に一番近い公園
そのブランコに腰掛けた茶月の姿
ゆらゆら、と小さくブランコを揺らしながら、携帯に耳を当てている
「茶化してんじゃねぇよ」
『先輩がタイミング悪すぎるのがいけないんですよ
にしても、よくここが分かりましたね』
「俺もそんな馬鹿じゃねぇからな」
『まったく…、嫌になるくらい立派なキャプテン様だ』
肩を竦めた茶月が、携帯を耳から離す
通話が切れた携帯をズボンのポケットに押し込んで、座ったまま動かない茶月の前まで歩いて行く
チラリ、と見上げた茶月は自然な動作で目を逸らすと、またゆらゆらとブランコを揺らし始めた
『どうかされました、先輩
家に帰ってないから怒ってます?』
「それもある」
『嫌な言い方
怖いですねー、まだ他にも理由が?』
「あぁ、分かってんだろ」
『どうでしょうねぇ…』
そう言って笑う
もうほとんど壊れてしまっている、鉄壁の仮面を被って
誤魔化しきれないと分かっていても、まだ逃げたい
そんな感情が伝わってくる、不格好な笑みで
「茶月」
『…あんまり、聞きたくないです』
「…泣いていると、思った」
静かに告げた言葉
それを聞いた茶月は、自身の前髪を掴むようにして顔を隠す
俯いてしまって、いつも真っ直ぐに俺を捉えるあの瞳は、今はどこにもない
『だから、嫌なんですよ』
「悪いな」
『必死に強がっている内は強がらせてくださいよ』
「もう十分強がらせてやっただろうが」
『駄目ですよー
男ならドーンと構えて、女の子が縋るのを待ってないと』
「そうしたらお前はいつまでも来ねぇだろ
それくらい、もう分かってんだよ」
『いやいや、分かんないですよ?
もしかしたら泣き付きに行くかもしれませんし』
「…だったら今来いよ」
『……だから、先輩は駄目なんですよ』
そう言った声は、今までに無いくらい震えていた
細く、小さな、注意していないと聞き逃してしまいそうなそんな声
俯いていて、茶月の顔は見えない
けれど膝に落ちる透明な雫は、隠せない
目の前に膝をついて顔を覗き込む
それでも隠された顔は、よく見えなかったが
「っとに、お前は無器用だな」
『先輩に言われたくない…』
「女の特権なんだから、いくらでも甘えればいいだろ」
『まさか先輩の口から女の特権なんて言葉が聞ける日が来るとは…』
「おい」
いつまでも憎まれ口を叩くコイツに少し呆れる
声は震えて、涙は止まっていないというのに
「甘え方、覚えろよ」
『…うっさい、です』
必死に顔を隠す茶月の頭を、出来るだけ優しく撫でる
甘え方も頼り方も知らないのなら、慣れさせていけばいい
勝手にこっちが甘やかしていけばいい
正当に自分の評価が出来ないコイツは、誰かが認めてやらないといけない
『なんか、先輩、らしくない』
「うっせーよ」
んなこと、俺が一番思ってるわ
こんな事慣れてなさ過ぎて、手一杯だ
けど、そんなことはどうでもいいからお前は甘えてくればいい
その為に、俺はここまで来たのだから
カシャン
ブランコが揺れて、体に小さなぬくもり
腕の中に収まってしまうほどには小さいのに、随分と大きな存在
揺れるブランコが当たらない様に手で止めて、そのまま背中を優しく叩く
肩が濡れる感覚
それでも必死に押し殺す嗚咽
なんだかんだ、俺達は少し似ているのかもしれない
『…勝たせたかった』
そんな中響いた茶月のくぐもった声
茶月は選手ではないが、勝とうという姿勢は俺達と同じで
『ホントに、勝たせたかった…!』
「あぁ」
『でもっ…』
泣き声の合間の言葉に耳を傾ける
しゃくり上げる茶月を落ち着かせるように、ゆっくりと頭を撫でる
『……分かって、しまっていた
今日の、試合の結果』
聞こえた声に、一瞬手が止まった
それに気付いたらしい茶月が、一際強く抱きつく
そうか、茶月は…
『分かってた
何となく、予想出来てしまった
でも、勝たせたくて…!』
「あぁ」
『…頑張った
みんな頑張ってた
うちも一番実力が出せるメニューを考えた
精一杯、サポートもした』
「…あぁ」
『…でもっ!駄目だった…!』
叫ぶように言われた言葉が、ガンガンと頭に反響する
あぁ、そうだった
コイツには見えてしまうのだ
俺達の成長とか、能力とか
分析して、育成することに努めているコイツには、きっと
付け焼き刃な黄瀬の成長も、計算に入れた上で
今日負けることを、分かっていたのだ
それでも、そんなことを感じさせることもなく、ずっと支えてくれていた
俺達の持つ力を、目一杯発揮できる舞台作りをしてくれていた
『勝たせたかった
このチームで勝ちたかったのに…!』
背中に回された腕に力が籠もる
そんなに強い力なんかじゃないのに、痛くて仕方なかった
『ごめんなさい
勝たせてあげられなくて、ごめんなさい…』
耳を、塞ぎたくなった
結局俺は、何も分かってなんか居なかったのだ
気付けば俺は撫でるのも、相槌さえ忘れていて
腕の中にあるぬくもりを、ただ抱き締めることしか出来なかった
『いい試合、だった
今出せる実力を、出し切った試合だったと、思う
でも、どうしても…!』
「茶月、もういいから
お前は、何も悪くなんかない
誰も、悪くなんか無い」
『けど、まだ何か、出来ることがあったかもしれないのに』
「今自分で言っただろうが
実力を出し切ったって」
『でも…』
「もういいから
ありがとう、茶月」
それ以上、言葉は続かなかった
茶月はしがみつく手に力を込めて、声を押し殺しながら泣いた
ごめんなさいって泣かないで
(悪者なんて居ない、君が悪いなんて誰にも言わせない)