手を伸ばしかけて躊躇って
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
『夏合宿ですか、最終調整って奴ですか?』
「あぁ、それで毎年マネージャーが炊事を担当しているんだが…」
『大丈夫です、中学の時もそうでしたから』
「なら話は早いな
献立は用意してあるから、調理だけ頼む」
『了解です
ですがキャプテン、一ついいですか』
部活の休憩時間
来る夏に向けて、合宿の日程や仕事内容などの打ち合わせをしている笠松と琉梨
そこにもう1人のマネージャーである唯歌の姿は無い
『こう言った連絡事項は私だけじゃ無く、唯歌も一緒にお願いしますって前にも言わなかったですか?
二度手間なんですけど』
琉梨の尤もな言い分に笠松は目を逸らす
初の顔合わせから約三ヶ月
琉梨とは話せるようになった笠松であったが、唯歌にはそうも行かず
未だに唯歌への連絡は琉梨か小堀伝いという状況だ
『まぁ、私に慣れただけ良かったと言うべきなのかも知れないですけど…
私が居ないときはどうするつもりなんです?』
「…あぁ」
バツが悪そうな顔をする笠松に肩を竦める
苦手なのは仕方ないとは思うが、部活中に公私混同しないで欲しい、と言う琉梨の思いも分からなくも無い
まぁいいけど、とその場を納めた琉梨に、笠松も漸く顔を見る
『あ、そうだキャプテン』
「?なんだ」
『合宿中、私の姿見えなくても気にしないでくださいね?
まぁ普段からそうだから気にならないかもしれないですけど、合宿中は普段より見ない事になると思うので』
「?あぁ…」
『サボってるとかじゃないですから、そこは安心してください』
「分かってる」
悪戯っぽく笑った琉梨に、当たり前の様に頷く笠松
それを少しくすぐったく思いながらも、琉梨は一つ頷く
わざわざ進言してきたその言葉の意味が分からず首を傾げるも、その場で答えが出ることは無かった
*****
そうしてやって来た合宿当日
バスで移動しやって来た宿舎を前に、荷物を持ったメンバーが集まる
これから始まる合宿にそれぞれの思いを馳せながら
「よし、荷物を置いたら練習を始める
まずはアップの外周だ
5分後に此処に集合!解散!」
「「「ウスッ!」」」
張り上げた笠松の声に部員が反応し散り散りに宿舎へと入っていく
その様子を横目に見ながら、その場に残ったマネ2人は今後の予定の最終確認を行っていた
『じゃあ、よろしくね』
「琉梨ちゃん、ホントに大丈夫?」
『慣れてるから大丈夫
ほら、荷物置いてくるから貸して?』
「無理しちゃ駄目だよ?」
『了解』
唯歌の荷物を受け取り、宿舎の中に消えていく琉梨
その様子を見送って、唯歌も自信の準備を始める
ストップウォッチと記録用紙
コースと走り込みに割り当てられた時間の再確認、それから今日の予定の確認
その全てが終わる頃に、部員がちらほらと集まり始めた
「唯歌」
「兄さん」
「琉梨ちゃんは?」
「裏方に徹する、って」
「はは、相変わらずだなー
で、今何分経った?」
「えーと、あと一分くらいかな」
「りょーかい、時間になったらまた声かけてくれ」
「うん」
午前の練習時間は移動時間もあったため短い
走り込みの後、シュート練習とパス練習をして、昼食だ
昼食と言っても、お握りを体育館で食べる、と言った軽食程度なのだが
「やっぱマネ2人って厳しいよなぁ…」
呟いて、時間が来たこと告げる
それを聞いた笠松が人数の確認をし、それぞれストレッチを開始させた
「裏方の方が、断然仕事量多いもんなぁ…」
心配そうに宿舎に見やり、余った部員のストレッチに付き合った
*****
走り込みを始めて暫くした頃、カラカラ、とキャスターを引く音が辺りに響く
振り返るとキャリーの様な物にドリンクを、片手にタオルの籠を持った琉梨が現れた
「…相変わらず仕事が早いね」
『そう?これ、ここに置いとくから』
「大丈夫?」
『だいじょーぶ』
短いやり取りの後、颯爽と体育館へと消えた
今からコートやゴールの準備をするのだろう
走り込みが終わるまで、あと数分
その頃には準備は全て終え、厨房に引っ込んでる事だろう
「仕事が出来すぎるのも、問題だなぁ」
苦笑を浮かべる唯歌
結局、部員1人ともすれ違う事は無かった
*****
「全員戻ったな
クールダウンした者から体育館に集合!水分補給も忘れんなよ!
体調が悪くなった者はすぐに申し出る様に
じゃあ、休憩!時間厳守しろよ!」
「「「ウィーッス!!」」」
少し気怠げな、しかし、しっかりとした返事
スタメンは早々に帰ってきていたので、ドリンクを飲むと体育館へ向かっていった
唯歌も記録を取り終わり、ボトルを洗いに水道へ
タオルは最後の部員が洗濯機の所まで持って行く事になっているため、籠だけ置いておく
『あ、唯歌
ドリンクボトル預かるよ』
「琉梨ちゃん、ちょっと待ってあと一本だから…」
『うちがやるのに
あ、記録用紙預かるよ。うちが頼んだ奴だしね』
「あ、うん、そこのバインダーに挟んであるよ
よし、出来た。じゃあ、後はお願いします」
『お願いされました
じゃあ、悪いけど時間になったら昼食取りに来てくれる?』
「一緒に作るよ、やっぱり」
『お握りくらいなら大丈夫だよ。マネ1人は体育館居た方がいいしね』
そのまま記録用紙とドリンクボトルを持ってその場を立ち去る
その背中に手を伸ばしかけるが、今更引き留めても言い分を聞き入れられる事も無い
そう自分に言い聞かせて、唯歌も体育館へ戻った
「あ、唯歌」
「どうしたの?兄さん」
「いや、体育館の準備って…」
「琉梨ちゃんが終わらせてなかった?」
「やっぱ琉梨ちゃんの仕業か…
働き過ぎじゃ無い?」
「私もそう思うんですけど…」
完璧に準備が終わった体育館を見渡す
レギュラー陣は準備を進めようと早々に体育館に向かっていたらしい
しかし、やって来た体育館では、既に準備が終えている状態
誰がやったのか、は分かっていても確認したかった様だ
「どこまでハイスペック見せつける気なんだ…!」
「森山、そこじゃ無いだろ」
森山の発言に小堀が突っ込む
けれど、内心森山に皆同意していたのだった
*****
「琉梨ちゃーん」
『よ、唯歌、ぴったり
今終わったとこだよー』
「…凄い量だね、こうやって見ると」
『ねー?ほんとよく食べますこと』
そんなことをいいながら、出来上がったお握りをワゴンに乗せていく
軽食程度と言っても食べ盛りの人間の腹を満たすとなれば、かなりの量だ
お茶の入ったタンクと共にワゴンに乗せると、1人では運べない量になったため、琉梨も一緒に体育館へと運ぶことに
距離はあまりないが量が多いため慎重かつ迅速に運ぶ
『昼食でーす、取りに来てくださいねー』
体育館の扉を開け、声を掛ける
中のメンバーが動いたのを確認して、琉梨はそのまま体育館を後にする
食事すらも一緒に摂らないらしい
「あれ、今琉梨っちの声したッスよね…?」
「なんかまた仕事に戻っていった…」
「またッスか…」
唯歌の元にやって来た黄瀬が琉梨の所在を聞く
唯歌のその返答に、以前も経験があるのか呆れたような顔になる
「琉梨ちゃんは休憩取ってるの?ちゃんと」
「休むようには言ってるんですけど…、会わないもので」
円になって食事を摂るいつもの顔ぶれが、困ったように歪む
そんな中笠松は、琉梨のあの言葉を思い知るのであった
*****
その後も練習は続いたが、琉梨は姿を現すこともなく
けれど、相変わらず準備は完璧で
滞りなくその日の練習を終えた
「今日の練習はここまで!」
「「「あざーした!」」」
笠松の声が響き、本日の練習は終了
それぞれが解散し、汗の処理を終えたら夕飯、と言った流れである
「これで晩飯の準備が終わってない、何て事は無いんだろうなぁ…」
「無いッスね
多分、風呂の準備も終わってるッスよ」
「琉梨ちゃんはなんだ、アンドロイドか」
『馬鹿なこと言わないでもらえますか』
不意に響いたソプラノ
今日の昼を最後に聞かなかった、馴染んだ声
「琉梨ちゃん」
『なんですか、化物見たかの様に驚かないでください、不愉快です』
「何か久しぶりだと毒舌も安心する」
『………』
「引かないで!?もう安定だね!元気そうで安心したよ」
『私は元気が無くても毒舌ですが』
「うん、揚げ足取らないで?」
『食事の準備が整いましたので、食堂へどうぞ
汗を流したい方は、浴場の準備もできてますのでそちらに
ボトルとタオルは回収しますので持ってきてください』
「え、無視?」
淡々と業務連絡をする琉梨
その傍でスルーされた森山が凹んでいるが、いつもの事なのでそれさえもスルーされる
琉梨の話が終わると、傍に唯歌と黄瀬が駆け寄る
「もー、琉梨っち!ちゃんと休憩したんスか?お昼は?結局戻って来なかったじゃないスかー
心配したんスよ?」
『お前は私の母親か』
「心配してるんス!相変わらず過ぎてもう…」
「ほんとだよ」
唯歌にも言い寄られ、琉梨はのらりくらりと躱す
休憩はしているしいつもの事なので問題ないとでも言いたげだ
『それよりわんこ、夏休みの宿題持ってきてる?』
「…今年もやるんスか?」
『最後まで溜め込んで、泣き付かれるのはうちなんで』
「え、まさか、自由時間に宿題する、の…?」
『もちろん』
「琉梨ちゃん、ほんといい加減休もう?」
『休んでるよ、大丈夫』
「その場面誰も見てないんで」
『1人だからねー』
「誤魔化さない!」
笑って誤魔化す琉梨に大きな溜息を吐く
本人の力量は分かっているが、疲労度というのは目に見えるものでも無いため心配になるのは仕方ないとも言える
本人にその自覚が無いなら周りが何言っても仕方ない、と唯歌が折れる
『ほら、ご飯食べよ
この時間は一緒だし、ね?』
「ホントに?」
『タオル洗濯機に突っ込んで、ボトル洗ってからだけど』
「仕事してるじゃないッスか!」
話を聞いていたらしい黄瀬が大声で突っ込む
その声に琉梨は顔を顰め、距離を取る
耳を塞ぐというオプション付きで
『すぐ済むからいーじゃん』
「…私もやるからね」
『はーい』
漸く2人の折り合いが付き、マネージャーはその場を一度離れて合流すると言う事になった
部員達はそれぞれ食堂に行ったり、浴場に行ったりと行動を開始している
元々仕事の早い2人のため早々に終えて食堂に戻ってきて、笠松達と合流する
「おかえりー、琉梨ちゃん、美味しいよ」
『私は美味しくありません』
「そう言う意味じゃないよ!?」
「いやほんと、琉梨っちハイスペック過ぎじゃ無いッスか?毎回思うけど」
『いつも家でやってることだし今更』
「琉梨っち、高校生の内からそんな余裕無い生活してて楽しいんスか」
『楽しい…、って訳じゃ無いけどそうするしか無いなら仕方ないでしょ』
「そうッスけど!」
食い下がる黄瀬を適当にあしらい、食事を口に運ぶ
黄瀬は不満そうにしながらも家庭の事情には不用意に口出しできないため、そのまま大人しく引き下がる
「琉梨ちゃんって、一日どんな風に過ごしてんの?」
『別に…、部活に合わせて生活してますけど』
「家事は?分担?」
『そうだね、食事は早く帰ってきた方がしてるかな
掃除は休日に纏めて、か親が仕事休みの日とかにしてる
家事と言ってもほぼメインなのは食事くらいだよ、母だって毎日仕事してるわけじゃないし』
「それならいいんだけど…、なんか心配になるね琉梨ちゃんの生活
ちゃんと寝てる?」
『まぁ、それなりに』
「いや、琉梨っち寝てないの知ってるッスよ!」
『ハウス』
「犬扱いしないで欲しいッス!」
唯歌が心配そうに投げかけた質問に食いついたのはこの中で一番付き合いの長い黄瀬
その黄瀬を見ないまま琉梨が言い放ち、黄瀬がやはり食ってかかる
それに舌打ちしそうな勢いで鋭い視線をやり、そしてそのまま食事を再開した
恐らくここに笠松などの先輩勢がいなければ確実に舌打ちをしていただろう
「…ちゃんと休むんだよ?」
『ありがと、唯歌』
「対応の差!」
唯歌も言いたいことはあったが、やはり家庭の事情にどこまで首を突っ込んでいいのか分からず引き下がる
その唯歌の心境が分かったのか、琉梨も苦笑しながらお礼を述べる
『ごちそうさま
唯歌、うち先にお風呂行くけどどうする?』
「あ、一緒に行く
けど、食器はどうする?」
『終わってからにするよ、開始時間バラバラだったからまだ終わってない人も居るし』
「それもそうだね、じゃあそうしよっか」
『では、そう言う事なのでお先失礼します
森山先輩、付いてこないでくださいね』
「さすがにそこまで落ちぶれては居ない!」
くすくす、と笑いながら琉梨と唯歌は食堂を後にする
話の内容に居心地が悪くなったのか、早々に切り上げて
そのまま立ち去った2人を見送って、残された面々は食事を再開する
「…黄瀬」
「なんスか?」
「琉梨ちゃんはなんだ、完璧超人か」
「外れてはいないッスけど、それ琉梨っちに言ったらまたばっさり切られるッスよ」
真顔で言い切る森山に、黄瀬も真顔で返す
言わんとすることは分かるが、毎度毎度同じ内容で琉梨にあしらわれているのでそろそろ学習して欲しい
そこに居る面々は似たようなことを考えていた
「去年までもこんな感じッスよー
一軍のマネでは無かったけど、合宿だけはついてきてくれてたッス
そんでずーっと裏方
自由時間にはみんなの課題を見て、って感じッス
ホント琉梨っちには足向けて寝れないッスよー」
「全くだ!お前はこのまま一生、琉梨ちゃんの従順な犬で居ろ!」
「俺犬ッスか!?せめて従順な僕くらいにして欲しいッス!」
「いや、お前は犬で十分だ!」
「どっちもどっちだなー」
騒ぐ黄瀬と森山に、小堀が笑いながら突っ込む
声を張って突っ込んだわけでは無いので、2人の耳に届くことは無かったが
練習終わりなのに元気だなー、と止めることを諦めた小堀は巻き込まれないように少し距離を取って笠松と話し始める
「だからこそ、唯歌も言うように心配になるよな」
「あ?」
「琉梨ちゃんだよ
大体のことをそつなくこなせるタイプの子って言うのは、人に頼ることしない
全部抱え込んでしまう傾向があるからなぁ
それが本当に琉梨ちゃんにとって当たり前で、負担になっていないならそれはそれでいいんだろうけど」
もう姿は見えないが、2人が去って行った方に視線をやり、小堀は苦笑を浮かべる
一緒に活動し始めて約三ヶ月
完全に理解したとは言えないが、何となく人となりと言うものは分かって来るもので
「自分でなんでもやることが当然と思ってて
しかもお姉ちゃんだから、結局周りの人間も放っておけなくて
聞いたところ、結局青峰の勉強も見てやったらしいしな
押しつぶされる前に、その抱えてるものを降ろせる場所があればいいんだけどな」
兄という立場の小堀も、似たような部分もあるのだろう
肩を竦めながらそう言う
心配はするけども、そういう物なのだ、と僅かばかり諦めている事も分かる
頼ってくるならば手伝うが、意固地になっている間は周りが何を言っても意味が無い
それを分かっている、そんな内容
それを聞いて、笠松はなんと返していいのか分からず言葉を詰まらせる
小堀の言うことは分かる、嫌というほど
5月の初め、いじめと言ってもいいあの出来事
自分達の問題だからと言って、自分でギリギリまで抱え込んで
結果傷つけてしまった、あの出来事
最後の最後まで泣くのも我慢して、普段通り装って
漸く泣いた時も、それを隠す様に声を押し殺して
頼ることも、甘えることも極端に下手なアイツは
一体いつ、誰に、その抱え込んだ思いを吐き出すのだろう
「ちゃんと見ててやらないとね、キャプテン」
「…あぁ」
*****
腕を組み仁王立ちをする琉梨
その前に正座をし、必死に琉梨の視線から逃れようと大きな体を縮こまらせている黄瀬
それぞれ入浴を終え、いざ課題をしようと集まった談話室
受け取った問題集を開いた瞬間、まっさらなそれが目に入り、琉梨の逆鱗に触れたようだ
他のメンバーはその怒りを助長させないために、机にしがみついて課題を進めていた
『わんこ』
「…はい」
『一切手を付けてないって、どういう事かなぁ…?』
「えっと、あの…」
『うち、ちゃんと言ったよね?』
「はい」
『何なのかな、君は?
大会に出る気無いの?勝つ気ないの?』
「勝つ気しかないッス!」
『それなのにこれか、馬鹿』
「ごめんなさいッス!」
夏休みの課題というのは、夏休みに入る前から配られる
夏は大会と、合宿練習があり課題を進める時間が無いため、配られたときに進めるように釘を刺して置いたのだ
それなのに一切手を付けていない黄瀬
琉梨は大きな溜息を吐き出して、ソファーを背もたれにして座る
「琉梨っち…?」
『いいから解け』
「はい!」
静かな声で琉梨に言われ、弾かれたように問題集にかじりつく
その姿をみて、再び大きな溜息を吐き出して、ソファーに頭をもたげる
「…お疲れ」
『もー頭痛いです、私』
ソファーに座っていた笠松が、疲れた様子の琉梨に苦笑交じりに声を掛ける
それに琉梨も顔を顰めたまま返す
その様子を見て苦笑を深めた笠松は、労うようにぽん、と頭を撫でた
『なんか、一気に疲れました…』
「だろうな」
『キャプテンはしないんですか?』
「そこまで切羽詰まってない」
『聞いたかわんこ、これが模範解答だ』
「うっ…!つーか、琉梨っちは?」
『愚問だな』
きっぱり言い返された言葉に返す言葉が無く、大人しく勉強を再開する
その様子を見ながら、琉梨は欠伸を零す
浮かんだ涙を拭うついでに目を擦り、何とか眠気を追いやろうとするも、どこかぼんやりする頭
瞬きの度に閉じそうになる重たい瞼を振り切るように、黄瀬に課題を教えたり、笠松とぽつぽつと話したり
『今何時ですかー?』
「21時だな」
『じゃー、22時で終わりにしましょうか』
「頑張るッス!」
終わりが見えたことで黄瀬にやる気に火がついたようだ
前のめりに取り組む姿勢に、単純だなーなどと少し笑う
あと一時間、何とか起きていようと思考を巡らす
先程の笠松の珍しい行動
この三ヶ月でかなり琉梨に慣れたが、笠松から触れる事は今まで皆無
一体どんな心境の変化だ、遂に女認定されなくなったか、などと内心自嘲する
心当たりが無い、訳では無い
けれど…
グルグルとループする思考
段々と靄が掛かったようにぼんやりする頭に、あ、まずいと思ったときには既に遅く
眠たい頭で答えの無い考え事なんてするもんじゃ無い
心の中でそう呟いた後、琉梨の意識は途切れた
*****
「よし、そろそろ時間だな」
小堀の言葉に、黄瀬は大きく伸びをして後ろに倒れる
各々片付けをしたり、机に伏せたり、と行動を開始する
顔に滲むのはやはり、疲れの色
「…はは、可愛いな」
不意に響いた小堀の声に、視線が小堀に集まる
その小堀の視線を辿ると、笠松の膝を枕にして眠る琉梨の姿
「くっそ、笠松!そこ代われ!」
「うるせぇ」
分かりやすい反応をする森山に、笠松が尤もなことを言う
指摘を受けた森山は大人しく黙るが、その視線はずっと琉梨に向いたままで
珍しいものを見た、とでも言わんばかりに視線を集める琉梨は、相も変わらず眠りに落ちたまま
「琉梨っちが寝てる…!」
口をあんぐりと開け、驚愕を目一杯表す黄瀬
何を当たり前のことを、と言う視線が黄瀬に突き刺さる
そんな視線を感じながらも、黄瀬は続けて口を開く
「いや、だって琉梨っちが寝てるとこ何て、今まで一度も見たことないんスよ!」
黄瀬の言葉に思わず黙り込む
今までの琉梨の行動を見ていると、有り得ない訳ではない、と言うそんな思考が支配する
「流石に琉帆っちは別ッスけど、今まで誰1人として琉梨っちの寝顔を見た人居ないんスよ」
「…いやいや、同室になったマネージャーとかは」
「琉梨っち、寝るのは一番遅くて、起きるのは一番早いんス
夜中に起きる事なんてそう無いし、起きても人の寝顔なんてマジマジ見ないし…」
「そういや、居眠りとかも無いよね」
「ッス
琉梨っち人に寝顔見られるの嫌いみたいだし、人の気配にも敏感だからすぐに起きちゃうし
家族とか、気を許した人は別みたいッスけど…」
「じゃあ、今の状況はかなり貴重ってことか…?」
「レア中のレアッスね」
頷く黄瀬に、再び静まり返る
その場に居たメンバーは思った、コイツ何者なんだ、と
隙がなさ過ぎるにもほどがある
「取り敢えずこのままにして置くわけにも行かないし、部屋まで運ぶか
唯歌、先に行って布団敷いててくれ」
「あ、うん」
唯歌が談話室を去り、小堀が琉梨を抱き上げる
森山が羨ましがるが、小堀は笑って流す
そうしてそのままお開き、それぞれが部屋に戻り休もうと移動を開始する
「?黄瀬?戻(ら)ねぇの?」
「あー、水飲んでから行くッス」
「おう!」
動き始めない黄瀬を不思議に思い早川が声を掛ける
その早川に黄瀬は返事を返し、談話室に残るのは黄瀬のみ
残された黄瀬は自身の前髪を掴み、俯く
「分かってたけど、キツいッスわー…」
小さく呟いた声は、誰の耳にも届くことなく静寂に消えた
ぎゅっと凝縮された青春
(熱い夏が、始まるのです)
「あぁ、それで毎年マネージャーが炊事を担当しているんだが…」
『大丈夫です、中学の時もそうでしたから』
「なら話は早いな
献立は用意してあるから、調理だけ頼む」
『了解です
ですがキャプテン、一ついいですか』
部活の休憩時間
来る夏に向けて、合宿の日程や仕事内容などの打ち合わせをしている笠松と琉梨
そこにもう1人のマネージャーである唯歌の姿は無い
『こう言った連絡事項は私だけじゃ無く、唯歌も一緒にお願いしますって前にも言わなかったですか?
二度手間なんですけど』
琉梨の尤もな言い分に笠松は目を逸らす
初の顔合わせから約三ヶ月
琉梨とは話せるようになった笠松であったが、唯歌にはそうも行かず
未だに唯歌への連絡は琉梨か小堀伝いという状況だ
『まぁ、私に慣れただけ良かったと言うべきなのかも知れないですけど…
私が居ないときはどうするつもりなんです?』
「…あぁ」
バツが悪そうな顔をする笠松に肩を竦める
苦手なのは仕方ないとは思うが、部活中に公私混同しないで欲しい、と言う琉梨の思いも分からなくも無い
まぁいいけど、とその場を納めた琉梨に、笠松も漸く顔を見る
『あ、そうだキャプテン』
「?なんだ」
『合宿中、私の姿見えなくても気にしないでくださいね?
まぁ普段からそうだから気にならないかもしれないですけど、合宿中は普段より見ない事になると思うので』
「?あぁ…」
『サボってるとかじゃないですから、そこは安心してください』
「分かってる」
悪戯っぽく笑った琉梨に、当たり前の様に頷く笠松
それを少しくすぐったく思いながらも、琉梨は一つ頷く
わざわざ進言してきたその言葉の意味が分からず首を傾げるも、その場で答えが出ることは無かった
*****
そうしてやって来た合宿当日
バスで移動しやって来た宿舎を前に、荷物を持ったメンバーが集まる
これから始まる合宿にそれぞれの思いを馳せながら
「よし、荷物を置いたら練習を始める
まずはアップの外周だ
5分後に此処に集合!解散!」
「「「ウスッ!」」」
張り上げた笠松の声に部員が反応し散り散りに宿舎へと入っていく
その様子を横目に見ながら、その場に残ったマネ2人は今後の予定の最終確認を行っていた
『じゃあ、よろしくね』
「琉梨ちゃん、ホントに大丈夫?」
『慣れてるから大丈夫
ほら、荷物置いてくるから貸して?』
「無理しちゃ駄目だよ?」
『了解』
唯歌の荷物を受け取り、宿舎の中に消えていく琉梨
その様子を見送って、唯歌も自信の準備を始める
ストップウォッチと記録用紙
コースと走り込みに割り当てられた時間の再確認、それから今日の予定の確認
その全てが終わる頃に、部員がちらほらと集まり始めた
「唯歌」
「兄さん」
「琉梨ちゃんは?」
「裏方に徹する、って」
「はは、相変わらずだなー
で、今何分経った?」
「えーと、あと一分くらいかな」
「りょーかい、時間になったらまた声かけてくれ」
「うん」
午前の練習時間は移動時間もあったため短い
走り込みの後、シュート練習とパス練習をして、昼食だ
昼食と言っても、お握りを体育館で食べる、と言った軽食程度なのだが
「やっぱマネ2人って厳しいよなぁ…」
呟いて、時間が来たこと告げる
それを聞いた笠松が人数の確認をし、それぞれストレッチを開始させた
「裏方の方が、断然仕事量多いもんなぁ…」
心配そうに宿舎に見やり、余った部員のストレッチに付き合った
*****
走り込みを始めて暫くした頃、カラカラ、とキャスターを引く音が辺りに響く
振り返るとキャリーの様な物にドリンクを、片手にタオルの籠を持った琉梨が現れた
「…相変わらず仕事が早いね」
『そう?これ、ここに置いとくから』
「大丈夫?」
『だいじょーぶ』
短いやり取りの後、颯爽と体育館へと消えた
今からコートやゴールの準備をするのだろう
走り込みが終わるまで、あと数分
その頃には準備は全て終え、厨房に引っ込んでる事だろう
「仕事が出来すぎるのも、問題だなぁ」
苦笑を浮かべる唯歌
結局、部員1人ともすれ違う事は無かった
*****
「全員戻ったな
クールダウンした者から体育館に集合!水分補給も忘れんなよ!
体調が悪くなった者はすぐに申し出る様に
じゃあ、休憩!時間厳守しろよ!」
「「「ウィーッス!!」」」
少し気怠げな、しかし、しっかりとした返事
スタメンは早々に帰ってきていたので、ドリンクを飲むと体育館へ向かっていった
唯歌も記録を取り終わり、ボトルを洗いに水道へ
タオルは最後の部員が洗濯機の所まで持って行く事になっているため、籠だけ置いておく
『あ、唯歌
ドリンクボトル預かるよ』
「琉梨ちゃん、ちょっと待ってあと一本だから…」
『うちがやるのに
あ、記録用紙預かるよ。うちが頼んだ奴だしね』
「あ、うん、そこのバインダーに挟んであるよ
よし、出来た。じゃあ、後はお願いします」
『お願いされました
じゃあ、悪いけど時間になったら昼食取りに来てくれる?』
「一緒に作るよ、やっぱり」
『お握りくらいなら大丈夫だよ。マネ1人は体育館居た方がいいしね』
そのまま記録用紙とドリンクボトルを持ってその場を立ち去る
その背中に手を伸ばしかけるが、今更引き留めても言い分を聞き入れられる事も無い
そう自分に言い聞かせて、唯歌も体育館へ戻った
「あ、唯歌」
「どうしたの?兄さん」
「いや、体育館の準備って…」
「琉梨ちゃんが終わらせてなかった?」
「やっぱ琉梨ちゃんの仕業か…
働き過ぎじゃ無い?」
「私もそう思うんですけど…」
完璧に準備が終わった体育館を見渡す
レギュラー陣は準備を進めようと早々に体育館に向かっていたらしい
しかし、やって来た体育館では、既に準備が終えている状態
誰がやったのか、は分かっていても確認したかった様だ
「どこまでハイスペック見せつける気なんだ…!」
「森山、そこじゃ無いだろ」
森山の発言に小堀が突っ込む
けれど、内心森山に皆同意していたのだった
*****
「琉梨ちゃーん」
『よ、唯歌、ぴったり
今終わったとこだよー』
「…凄い量だね、こうやって見ると」
『ねー?ほんとよく食べますこと』
そんなことをいいながら、出来上がったお握りをワゴンに乗せていく
軽食程度と言っても食べ盛りの人間の腹を満たすとなれば、かなりの量だ
お茶の入ったタンクと共にワゴンに乗せると、1人では運べない量になったため、琉梨も一緒に体育館へと運ぶことに
距離はあまりないが量が多いため慎重かつ迅速に運ぶ
『昼食でーす、取りに来てくださいねー』
体育館の扉を開け、声を掛ける
中のメンバーが動いたのを確認して、琉梨はそのまま体育館を後にする
食事すらも一緒に摂らないらしい
「あれ、今琉梨っちの声したッスよね…?」
「なんかまた仕事に戻っていった…」
「またッスか…」
唯歌の元にやって来た黄瀬が琉梨の所在を聞く
唯歌のその返答に、以前も経験があるのか呆れたような顔になる
「琉梨ちゃんは休憩取ってるの?ちゃんと」
「休むようには言ってるんですけど…、会わないもので」
円になって食事を摂るいつもの顔ぶれが、困ったように歪む
そんな中笠松は、琉梨のあの言葉を思い知るのであった
*****
その後も練習は続いたが、琉梨は姿を現すこともなく
けれど、相変わらず準備は完璧で
滞りなくその日の練習を終えた
「今日の練習はここまで!」
「「「あざーした!」」」
笠松の声が響き、本日の練習は終了
それぞれが解散し、汗の処理を終えたら夕飯、と言った流れである
「これで晩飯の準備が終わってない、何て事は無いんだろうなぁ…」
「無いッスね
多分、風呂の準備も終わってるッスよ」
「琉梨ちゃんはなんだ、アンドロイドか」
『馬鹿なこと言わないでもらえますか』
不意に響いたソプラノ
今日の昼を最後に聞かなかった、馴染んだ声
「琉梨ちゃん」
『なんですか、化物見たかの様に驚かないでください、不愉快です』
「何か久しぶりだと毒舌も安心する」
『………』
「引かないで!?もう安定だね!元気そうで安心したよ」
『私は元気が無くても毒舌ですが』
「うん、揚げ足取らないで?」
『食事の準備が整いましたので、食堂へどうぞ
汗を流したい方は、浴場の準備もできてますのでそちらに
ボトルとタオルは回収しますので持ってきてください』
「え、無視?」
淡々と業務連絡をする琉梨
その傍でスルーされた森山が凹んでいるが、いつもの事なのでそれさえもスルーされる
琉梨の話が終わると、傍に唯歌と黄瀬が駆け寄る
「もー、琉梨っち!ちゃんと休憩したんスか?お昼は?結局戻って来なかったじゃないスかー
心配したんスよ?」
『お前は私の母親か』
「心配してるんス!相変わらず過ぎてもう…」
「ほんとだよ」
唯歌にも言い寄られ、琉梨はのらりくらりと躱す
休憩はしているしいつもの事なので問題ないとでも言いたげだ
『それよりわんこ、夏休みの宿題持ってきてる?』
「…今年もやるんスか?」
『最後まで溜め込んで、泣き付かれるのはうちなんで』
「え、まさか、自由時間に宿題する、の…?」
『もちろん』
「琉梨ちゃん、ほんといい加減休もう?」
『休んでるよ、大丈夫』
「その場面誰も見てないんで」
『1人だからねー』
「誤魔化さない!」
笑って誤魔化す琉梨に大きな溜息を吐く
本人の力量は分かっているが、疲労度というのは目に見えるものでも無いため心配になるのは仕方ないとも言える
本人にその自覚が無いなら周りが何言っても仕方ない、と唯歌が折れる
『ほら、ご飯食べよ
この時間は一緒だし、ね?』
「ホントに?」
『タオル洗濯機に突っ込んで、ボトル洗ってからだけど』
「仕事してるじゃないッスか!」
話を聞いていたらしい黄瀬が大声で突っ込む
その声に琉梨は顔を顰め、距離を取る
耳を塞ぐというオプション付きで
『すぐ済むからいーじゃん』
「…私もやるからね」
『はーい』
漸く2人の折り合いが付き、マネージャーはその場を一度離れて合流すると言う事になった
部員達はそれぞれ食堂に行ったり、浴場に行ったりと行動を開始している
元々仕事の早い2人のため早々に終えて食堂に戻ってきて、笠松達と合流する
「おかえりー、琉梨ちゃん、美味しいよ」
『私は美味しくありません』
「そう言う意味じゃないよ!?」
「いやほんと、琉梨っちハイスペック過ぎじゃ無いッスか?毎回思うけど」
『いつも家でやってることだし今更』
「琉梨っち、高校生の内からそんな余裕無い生活してて楽しいんスか」
『楽しい…、って訳じゃ無いけどそうするしか無いなら仕方ないでしょ』
「そうッスけど!」
食い下がる黄瀬を適当にあしらい、食事を口に運ぶ
黄瀬は不満そうにしながらも家庭の事情には不用意に口出しできないため、そのまま大人しく引き下がる
「琉梨ちゃんって、一日どんな風に過ごしてんの?」
『別に…、部活に合わせて生活してますけど』
「家事は?分担?」
『そうだね、食事は早く帰ってきた方がしてるかな
掃除は休日に纏めて、か親が仕事休みの日とかにしてる
家事と言ってもほぼメインなのは食事くらいだよ、母だって毎日仕事してるわけじゃないし』
「それならいいんだけど…、なんか心配になるね琉梨ちゃんの生活
ちゃんと寝てる?」
『まぁ、それなりに』
「いや、琉梨っち寝てないの知ってるッスよ!」
『ハウス』
「犬扱いしないで欲しいッス!」
唯歌が心配そうに投げかけた質問に食いついたのはこの中で一番付き合いの長い黄瀬
その黄瀬を見ないまま琉梨が言い放ち、黄瀬がやはり食ってかかる
それに舌打ちしそうな勢いで鋭い視線をやり、そしてそのまま食事を再開した
恐らくここに笠松などの先輩勢がいなければ確実に舌打ちをしていただろう
「…ちゃんと休むんだよ?」
『ありがと、唯歌』
「対応の差!」
唯歌も言いたいことはあったが、やはり家庭の事情にどこまで首を突っ込んでいいのか分からず引き下がる
その唯歌の心境が分かったのか、琉梨も苦笑しながらお礼を述べる
『ごちそうさま
唯歌、うち先にお風呂行くけどどうする?』
「あ、一緒に行く
けど、食器はどうする?」
『終わってからにするよ、開始時間バラバラだったからまだ終わってない人も居るし』
「それもそうだね、じゃあそうしよっか」
『では、そう言う事なのでお先失礼します
森山先輩、付いてこないでくださいね』
「さすがにそこまで落ちぶれては居ない!」
くすくす、と笑いながら琉梨と唯歌は食堂を後にする
話の内容に居心地が悪くなったのか、早々に切り上げて
そのまま立ち去った2人を見送って、残された面々は食事を再開する
「…黄瀬」
「なんスか?」
「琉梨ちゃんはなんだ、完璧超人か」
「外れてはいないッスけど、それ琉梨っちに言ったらまたばっさり切られるッスよ」
真顔で言い切る森山に、黄瀬も真顔で返す
言わんとすることは分かるが、毎度毎度同じ内容で琉梨にあしらわれているのでそろそろ学習して欲しい
そこに居る面々は似たようなことを考えていた
「去年までもこんな感じッスよー
一軍のマネでは無かったけど、合宿だけはついてきてくれてたッス
そんでずーっと裏方
自由時間にはみんなの課題を見て、って感じッス
ホント琉梨っちには足向けて寝れないッスよー」
「全くだ!お前はこのまま一生、琉梨ちゃんの従順な犬で居ろ!」
「俺犬ッスか!?せめて従順な僕くらいにして欲しいッス!」
「いや、お前は犬で十分だ!」
「どっちもどっちだなー」
騒ぐ黄瀬と森山に、小堀が笑いながら突っ込む
声を張って突っ込んだわけでは無いので、2人の耳に届くことは無かったが
練習終わりなのに元気だなー、と止めることを諦めた小堀は巻き込まれないように少し距離を取って笠松と話し始める
「だからこそ、唯歌も言うように心配になるよな」
「あ?」
「琉梨ちゃんだよ
大体のことをそつなくこなせるタイプの子って言うのは、人に頼ることしない
全部抱え込んでしまう傾向があるからなぁ
それが本当に琉梨ちゃんにとって当たり前で、負担になっていないならそれはそれでいいんだろうけど」
もう姿は見えないが、2人が去って行った方に視線をやり、小堀は苦笑を浮かべる
一緒に活動し始めて約三ヶ月
完全に理解したとは言えないが、何となく人となりと言うものは分かって来るもので
「自分でなんでもやることが当然と思ってて
しかもお姉ちゃんだから、結局周りの人間も放っておけなくて
聞いたところ、結局青峰の勉強も見てやったらしいしな
押しつぶされる前に、その抱えてるものを降ろせる場所があればいいんだけどな」
兄という立場の小堀も、似たような部分もあるのだろう
肩を竦めながらそう言う
心配はするけども、そういう物なのだ、と僅かばかり諦めている事も分かる
頼ってくるならば手伝うが、意固地になっている間は周りが何を言っても意味が無い
それを分かっている、そんな内容
それを聞いて、笠松はなんと返していいのか分からず言葉を詰まらせる
小堀の言うことは分かる、嫌というほど
5月の初め、いじめと言ってもいいあの出来事
自分達の問題だからと言って、自分でギリギリまで抱え込んで
結果傷つけてしまった、あの出来事
最後の最後まで泣くのも我慢して、普段通り装って
漸く泣いた時も、それを隠す様に声を押し殺して
頼ることも、甘えることも極端に下手なアイツは
一体いつ、誰に、その抱え込んだ思いを吐き出すのだろう
「ちゃんと見ててやらないとね、キャプテン」
「…あぁ」
*****
腕を組み仁王立ちをする琉梨
その前に正座をし、必死に琉梨の視線から逃れようと大きな体を縮こまらせている黄瀬
それぞれ入浴を終え、いざ課題をしようと集まった談話室
受け取った問題集を開いた瞬間、まっさらなそれが目に入り、琉梨の逆鱗に触れたようだ
他のメンバーはその怒りを助長させないために、机にしがみついて課題を進めていた
『わんこ』
「…はい」
『一切手を付けてないって、どういう事かなぁ…?』
「えっと、あの…」
『うち、ちゃんと言ったよね?』
「はい」
『何なのかな、君は?
大会に出る気無いの?勝つ気ないの?』
「勝つ気しかないッス!」
『それなのにこれか、馬鹿』
「ごめんなさいッス!」
夏休みの課題というのは、夏休みに入る前から配られる
夏は大会と、合宿練習があり課題を進める時間が無いため、配られたときに進めるように釘を刺して置いたのだ
それなのに一切手を付けていない黄瀬
琉梨は大きな溜息を吐き出して、ソファーを背もたれにして座る
「琉梨っち…?」
『いいから解け』
「はい!」
静かな声で琉梨に言われ、弾かれたように問題集にかじりつく
その姿をみて、再び大きな溜息を吐き出して、ソファーに頭をもたげる
「…お疲れ」
『もー頭痛いです、私』
ソファーに座っていた笠松が、疲れた様子の琉梨に苦笑交じりに声を掛ける
それに琉梨も顔を顰めたまま返す
その様子を見て苦笑を深めた笠松は、労うようにぽん、と頭を撫でた
『なんか、一気に疲れました…』
「だろうな」
『キャプテンはしないんですか?』
「そこまで切羽詰まってない」
『聞いたかわんこ、これが模範解答だ』
「うっ…!つーか、琉梨っちは?」
『愚問だな』
きっぱり言い返された言葉に返す言葉が無く、大人しく勉強を再開する
その様子を見ながら、琉梨は欠伸を零す
浮かんだ涙を拭うついでに目を擦り、何とか眠気を追いやろうとするも、どこかぼんやりする頭
瞬きの度に閉じそうになる重たい瞼を振り切るように、黄瀬に課題を教えたり、笠松とぽつぽつと話したり
『今何時ですかー?』
「21時だな」
『じゃー、22時で終わりにしましょうか』
「頑張るッス!」
終わりが見えたことで黄瀬にやる気に火がついたようだ
前のめりに取り組む姿勢に、単純だなーなどと少し笑う
あと一時間、何とか起きていようと思考を巡らす
先程の笠松の珍しい行動
この三ヶ月でかなり琉梨に慣れたが、笠松から触れる事は今まで皆無
一体どんな心境の変化だ、遂に女認定されなくなったか、などと内心自嘲する
心当たりが無い、訳では無い
けれど…
グルグルとループする思考
段々と靄が掛かったようにぼんやりする頭に、あ、まずいと思ったときには既に遅く
眠たい頭で答えの無い考え事なんてするもんじゃ無い
心の中でそう呟いた後、琉梨の意識は途切れた
*****
「よし、そろそろ時間だな」
小堀の言葉に、黄瀬は大きく伸びをして後ろに倒れる
各々片付けをしたり、机に伏せたり、と行動を開始する
顔に滲むのはやはり、疲れの色
「…はは、可愛いな」
不意に響いた小堀の声に、視線が小堀に集まる
その小堀の視線を辿ると、笠松の膝を枕にして眠る琉梨の姿
「くっそ、笠松!そこ代われ!」
「うるせぇ」
分かりやすい反応をする森山に、笠松が尤もなことを言う
指摘を受けた森山は大人しく黙るが、その視線はずっと琉梨に向いたままで
珍しいものを見た、とでも言わんばかりに視線を集める琉梨は、相も変わらず眠りに落ちたまま
「琉梨っちが寝てる…!」
口をあんぐりと開け、驚愕を目一杯表す黄瀬
何を当たり前のことを、と言う視線が黄瀬に突き刺さる
そんな視線を感じながらも、黄瀬は続けて口を開く
「いや、だって琉梨っちが寝てるとこ何て、今まで一度も見たことないんスよ!」
黄瀬の言葉に思わず黙り込む
今までの琉梨の行動を見ていると、有り得ない訳ではない、と言うそんな思考が支配する
「流石に琉帆っちは別ッスけど、今まで誰1人として琉梨っちの寝顔を見た人居ないんスよ」
「…いやいや、同室になったマネージャーとかは」
「琉梨っち、寝るのは一番遅くて、起きるのは一番早いんス
夜中に起きる事なんてそう無いし、起きても人の寝顔なんてマジマジ見ないし…」
「そういや、居眠りとかも無いよね」
「ッス
琉梨っち人に寝顔見られるの嫌いみたいだし、人の気配にも敏感だからすぐに起きちゃうし
家族とか、気を許した人は別みたいッスけど…」
「じゃあ、今の状況はかなり貴重ってことか…?」
「レア中のレアッスね」
頷く黄瀬に、再び静まり返る
その場に居たメンバーは思った、コイツ何者なんだ、と
隙がなさ過ぎるにもほどがある
「取り敢えずこのままにして置くわけにも行かないし、部屋まで運ぶか
唯歌、先に行って布団敷いててくれ」
「あ、うん」
唯歌が談話室を去り、小堀が琉梨を抱き上げる
森山が羨ましがるが、小堀は笑って流す
そうしてそのままお開き、それぞれが部屋に戻り休もうと移動を開始する
「?黄瀬?戻(ら)ねぇの?」
「あー、水飲んでから行くッス」
「おう!」
動き始めない黄瀬を不思議に思い早川が声を掛ける
その早川に黄瀬は返事を返し、談話室に残るのは黄瀬のみ
残された黄瀬は自身の前髪を掴み、俯く
「分かってたけど、キツいッスわー…」
小さく呟いた声は、誰の耳にも届くことなく静寂に消えた
ぎゅっと凝縮された青春
(熱い夏が、始まるのです)