手を伸ばしかけて躊躇って
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
『うっわ、早速かー…』
マネとして参加し始めてから数日
登校してきた琉梨は、自身の靴箱に入っている見覚えない、けれど馴染みのあるそれを手に取り思わず笑う
『相変わらず、女子って言う生き物は面倒だねぇ…』
手に取ったのはルーズリーフ
どこにでもありふれているそれに書かれた乱雑な罵詈雑言を鼻で笑い、グシャと握りつぶす
と、そのまま近くのゴミ箱に捨てると、一緒に居た唯歌を振り返る
『唯歌は何も無い?』
「?何が?」
『んーん、こっちの話』
隣に並んだ唯歌に問い掛けるが、きょとんとした表情にターゲットは自身であることを察する
唯歌に何も無いなら別に良いか、とそのまま日常会話に花を咲かし、練習へと向かった
*****
その日から、嫌がらせは段々とエスカレートしていった
悪口が書かれた手紙は当たり前となり、呼び出しの手紙も混ざるようになった
同じクラスに黄瀬がいるため、教室では特に変わったことは無い
同じ理由で、表立った嫌がらせは何一つ無い
あるのは嫌がらせの手紙のみで、琉梨はそんなこと慣れっこであるとでも言うかのように完全無視
その態度が余計に相手を煽っているのだろう、手紙は減るどころか増える一方で
『だからってへこたれるうちじゃないんですよねー、残念ながら』
「何か言ったー?」
『んーん、何でも無―い』
現在部活中
体育館裏でドリンク作りの真っ最中だ
唯歌に変わった様子が無いことを確認し、自身に向けられる悪意をどうするべきか、と思案する
体育館裏だというのに感じる視線
茂みに居るであろうその元凶達は出てこようとしないため、唯歌に知られるつもりは無いのであろう
そう判断して、1人になる道を選ぶ
ふう、と小さく息を吐き出し、最後のドリンクボトルの蓋を閉める
『唯歌、悪いんだけどドリンクの方お願いしていい?
うち洗濯の方行ってくるわ、多分そろそろだし』
「あ、そうだね
了解、そっちはよろしくね」
『お互い様
んじゃ、行ってくる』
ヒラリ、と後ろ手に手を振ってその場を立ち去る
茂みの気配が自身に着いてきた事を自覚して、再び、今度は大きな溜息を吐き出した
『で、ご用件は?
仕事も残っているので、なるべく手短にお願いしたいもんですけど』
「なんだ、気付いてたの」
『あんな分かりやすいの、気付かない方がおかしいでしょ』
壁に背を預け、目の前に並ぶ女生徒数名を見やる
その顔は限りなく無に近い
腕を組みそのままの表情で再び口を開く
『ご用件は?』
急かすように重ねて問う琉梨に、目の前の彼女達は僅かに顔を歪める
それに気付いた琉梨は、口を開こうとして肩を竦めるだけに留める
「分かっているクセに…
早くマネージャー辞めてくれない?」
『お断りします
それは貴女に言われる筋合いの無い話ですしね
私のすることは私が決めます』
「…っ、何様なのよ、貴女!」
『何様も何も、当たり前のことを言っただけじゃ無いですか?
貴女だって、誰かに言われてこうやって私に文句言いに来たわけじゃないでしょ?
自分の行動は自分で決めている
それより早く言ったらどうですか?黄瀬に近づくなって
まぁ、言われたところで無理ですとしか言えませんけど
私から近付いてるわけじゃ無いですし
用件がそれだけでしたら、この辺で失礼させていただいても?』
淡々と早口にそう告げて、目の前の彼女達から視線を逸らす
預けていた背中を離し、そのまま立ち去ろうという姿勢
もう話は終わっただろう?とでも言いたげである
まぁ、それが許されるのであればこんな呼び出しは起きていないわけで
「っ、生意気なのよ!」
その数人の女生徒の内1人が琉梨の煽りを受けて、激昂する
振り上げられた手を見ても驚いた様子のない琉梨は、彼女達から見えないような角度でその口に弧を描いた
パシッ
『すみません、こんな軌道丸わかりなビンタを大人しく受けるほどお人好しじゃないもので
それに頬を赤くして部活に行ったら、折角隠しているこれがバレちゃいますよ?』
振り上げられたその手を涼しい顔をして受け止める
もちろん挑発は忘れずに
やれやれ、と言う声が聞こえてきそうな表情で肩を竦め、今度こそその場を後にした
『…流石にちょっと煽り過ぎた、かなぁ…
段々楽しくなっちゃうの、ほんと悪い癖』
自嘲気味な笑みを浮かべ、小さく小さく呟いた
その顔は全く反省などしていない
困ったものだ、その言葉は誰に向けられたものか
*****
「…茶月」
『?何でしょうか、キャプテン
珍しいですね?』
通常練習も終わり、各々が自主練に取り組んでいるそんな時間
最近漸く僅かに慣れてきたらしい笠松が琉梨の元へやって来て声を掛ける
琉梨が述べたようにその行動は珍しいものであるがそれぞれ自主練に励んでいるため意識してその様子を見ているものは居ない
部活が始まってから必要以上に琉梨の方から慣れるように、と話しかけていたのだ
慣れるのも必然であるし、一緒に居る所を見てもいつものか、と周りも気にしない
ただ、今日は立場が逆転しているだけで
『どうされました?』
なかなか話し始めない笠松に疑問を示し、ボールを拭いていた手を止め視線を送る
真っ直ぐに自身を貫く視線に僅かにたじろいだ笠松だが、意を決したかの様な面持ちで口を開く
「…最近、何か無いか?」
『何か、とは?』
「…嫌がらせ、とか」
『…キャプテンにもそんな発想があったんですねぇ
女の世界の事なんて全く知らなさそうなのに』
「うっせ」
『大丈夫ですよ、キャプテン
何にも無いです
心配してくださってありがとうございます』
茶化したことで若干ふて腐れた様子のある笠松ではあるが、真剣に心配されている事に気付き礼を述べる
安心させるように笑みを浮かべて
それでも笠松の眉間の皺が薄れることは無く、琉梨は不思議そうに首を傾げた
『…もしかして何か聞いたんですか?』
「…俺のクラスの奴等が
詳しくは、聞こえなかったがお前について、だった」
『そうですか
でも今のところ何も無いですよ
ですが折角のお心遣いですしね、注意はしておきます』
「そうしてくれ」
『はい、心配ありがとうございます』
自身の忠告に対して琉梨が頷いたことを確認した笠松は、踵を返し自主練に戻る
その背中を見送った琉梨は、再びボールを磨くために俯いた
俯いた琉梨の表情は誰にも見られる事は無かったが、表現し難い、複雑なものであった
『余計なことを…
バレないようにやるなら徹底してほしいんだけどなぁ』
僅かながらに苛立ちの含んだ小さな声は、色んな音が溢れかえる体育館の喧騒にかき消され
小さく溜息を吐いた琉梨は、その苛立ちをかき消さんとするかのように無心でボールを磨く
『…巻き込むつもりは、無いんですよこっちだって』
小さく、小さく、呟いて
*****
「いい加減ウザいんだよ、アンタ!」
「さっさとマネ辞めてくれない?」
「お前が居たって何も変わんねーよ」
「邪魔だからさっさと居なくなってくださーい」
「みんな迷惑してんだよね、分かんない?」
「てか、お前の態度何なの?ムカつくんですけど」
「言えてるー!」
放課後の体育館裏
人気の無いこの場所で、琉梨を囲う数人の女生徒は、口々に罵声を浴びせている
それを受けている琉梨は、無表情を貫き口を開くことすらしない
むしろその罵声を聞いていないのかもしれない、と思わされるほどには反応が無い
そんな琉梨の態度に腹を立てた1人が、死角になっている場所から肩を強く押し、体制の崩れた琉梨の腹に蹴りを入れる
「ほんと、目障り」
やっと琉梨の表情に変化があったことに満足したのか、笑いながらその場から立ち去る
『痛いっつーの…
普通腹蹴る?ほんとにあいつら女かよ…』
咄嗟に腹筋に力を入れた琉梨はさほどダメージは喰らって居らず、文句を言いながら立ち上がる
ジャージに付いた土を払い、小さく咳をして腹部を撫でる
『流石に痣くらいは出来るかな
油断したわー、次は気を付けとこ』
簡単に身なりを整えた琉梨は、そのまま何事も無かったかのように、部活へと戻っていった
*****
「…茶月」
『そんな毎日確認しなくても大丈夫ですよ、キャプテン』
「…マネージャーも、部活の仲間だ
何かあったら、俺の責任だ」
『わぉ、かっこいい』
「なっ…!」
『けど、ほんとに何も無いですよ
大丈夫ですから、唯歌の方を心配してあげてください
私と違って喧嘩するようなタイプの子じゃないですし』
「アイツは小堀に任せてある
今のところ変わった様子は無いらしい」
『まぁ、ご兄妹ですもんね
そうなりますよねぇ
じゃあ、キャプテンが私担当って事でいいんですか?』
「黄瀬曰く、お前は隠し事が上手いらしいからな」
『あら、なんの事でしょうかねぇ』
「…、お前がそう言うなら俺は引く
が、どうしようも無くなる前に言え
これは部長命令だ」
『そうですね
そんなことになるようなことがあれば』
ふわり、穏やかに笑う
あまりにも普段と変わりないその笑い方に、そのままその言葉を鵜呑みにしても良いような、そんな気になる
そんな態度
しかし、そう簡単に安心するわけにはいかないらしい
「あの手のタイプの女の子は何してくるか分かんないッスよ
俺も注意はしておくッスけど、相手が琉梨っちだからなー
正直、俺じゃ太刀打ち出来ないんスよね」
部活が始まってすぐに告げられた黄瀬からの言葉
そう言った場面に遭遇することが多かったであろう黄瀬が言うのだから、ぐっと真実味が増す
立ち止まったままの笠松を不思議そうに見つめる琉梨
キャプテン、と声を掛けると目が合いすぐに逸らされる
「お前1人の問題じゃ、ねぇからな」
最後のそう告げて背を向ける
そしてそのまま琉梨の元から立ち去り、練習を再開する
その背の向こう、琉梨がどんな表情を浮かべているか、知らないまま
『うちの問題だよ、キャプテン』
限りなく無表情でそう呟いた琉梨の声は、誰の耳に届くことも無く
*****
そうして、遂にその日はやって来てしまう
「兄さん…!」
「唯歌?どうしたんだ?」
「琉梨ちゃん、見てない?何か聞いてる?
先に部活行ったはずなのに、荷物無くてまだ来てないみたいなの」
「!そうか…
笠松に確認してくる
唯歌は悪いけど、先に部活の準備進めていてくれるか?」
「うん、それは良いんだけど…
琉梨ちゃん、もしかして?」
「…分からんなぁ
取り敢えずこっちに任せて唯歌は仕事を始めてくれ」
「うん…」
不安げな顔をしたまま体育館を去る唯歌
確証は無いが、確信しているかの様な、そんな雰囲気を纏ったまま
女の世界のことだ
唯歌が気付いても、何ら不思議では無い
「笠松、話し中に悪い」
「なんだ?」
「茶月さんが部活に来ていないらしい」
「!」
「それ、ほんとッスか!?
今日は小堀サンが日直だったから、一緒に行こうとしたんスけど、やけに女の子に絡まれて」
「最初から、計算してたってことか…
琉梨ちゃん…」
「取り敢えず探し行くぞ
小堀、森山、後は任せた
黄瀬、携帯持ったらそのまま探し行け」
簡潔に指示を飛ばし、笠松は体育館を飛び出す
それを追って黄瀬も出て行き、森山、小堀は見送る
それぞれの胸には、嫌な予感が渦巻いていた
*****
side.K
呼び出しの定番と言われる場所を虱潰しに見て回る
逸る心が、体の動きを鈍らせる
油断していた
甘く見ていた
帝光での認識でいた
あそこは例外だっただけなのに
それでも何も無かった訳では無かったのに
みんな赤司っちを恐れて表立って問題が起きなかっただけの話なのに
その赤司っちがいなくなればどうなるか、何て考えるまでも無い
誰だって同じ結論にたどり着く
賢い琉梨っちが、その考えに至らないはずが無い
分かっていた、それなのに
「くそっ、どこにいるんだよ…!」
守らなくちゃいけないのに
琉梨っちはみんなが思っているほど強い子じゃないこと、俺は知っているのに
強がることが上手いだけという事を、俺は知っているのに
「!今、声…!」
痛いくらいに鳴る心臓の合間を縫って耳に届いた声
直感的に、そこに琉梨っちがいると本能が告げて
「ごめん、琉梨っち…!」
今から、いくから
*****
「何、してるんスか」
駆けつけた先、真っ先に飛び込んできたその光景に、自身の目を疑った
疑いたかった、信じたくなかった
一瞬で真っ白になった思考
そんな自分を何とか奮い立たせて、言葉を発する
その声は、震えていたかもしれない
少なくとも、いつもの“黄瀬涼太”を作れていない事は確かだった
「き、黄瀬君…」
「何してるんスか、って言ってるんスよ」
自分のものとは思えないほど、低い声が出た気がする
けれど、今はそんなこと気にしている余裕は無い
こちらを見る琉梨っちの顔が、歪んでいる
それだけで、もう
「悪いッスけど、さっさと居なくなって貰えるッスかね?
俺今、結構余裕無いんスよ
このまま此処に居るっつーなら、何するか分かんねぇッスよ…?」
今できる精一杯で、怒りを抑え込んだはずだ
此処で俺がキレたところで、琉梨っちは困るだけ
普段の自分のイメージとかどうでも良い
早く、消えて欲しい
「いつまでその汚らわしい手で琉梨っちに触っているつもりッスか?」
普通、ここまでするだろうか
下手したら警察沙汰になってもおかしくないようなこの現場
人間は嫉妬と言う感情だけで此処までのことが出来てしまうのか
真っ青な顔をしている男女を睨みつけ、琉梨っちから引きはがす
琉梨っちの頭からジャージを被せて、そいつらの視界から彼女を消す
こんな場所にいつまでも居て欲しくない、視界に入れたくない
コイツらと同じ空間に居ることに虫酸が走る
「き、黄瀬君、あの…」
「失せろ」
何か言い募ろうとした女の声を遮って言い放つ
あんな声を出せる自分に驚きながら、バタバタ立ち去る足音を聞く
ふう、呼吸を整えて、随分酷い格好をした琉梨っちに向き直る
『…未遂だよ、制服破かれたくらい
だから、そんな泣きそうな顔しないでよ』
制服の上からジャージを身に包んだ琉梨っちが苦笑を浮かべそう言う
少し切れた口と、腫れた頬
解かれたネクタイ、ボタンの飛んだブラウス
いつもサラサラと揺れる真っ直ぐな髪は、やっぱり乱れていて
『女子相手なら何とかなるんだけどねぇ
まさか、男子を連れてくるとは思わなかったよ』
「琉梨っち、この期に及んでこれが初めてとか言わないッスよね
いつからッスか、なんで言わないんスか」
『女の子同士の問題だったからかなぁ
あの子等はただアンタが好きなだけ
好きな人に近付く女が煩わしく思うのは、別に普通のことでしょ
そこに男が口出しするのは野暮じゃ無い?』
「でも…!」
『うん、今回は流石にやり過ぎ
それくらいうちだって分かってるよ、大丈夫
このままにしとくつもりはないよ
知ってるでしょ?うちってば転んでもただじゃ起きないタイプの人間だって』
痛々しい姿のまま
目の前の彼女は、不適に微笑んだ
『これ、分かる?』
「ボイスレコーダー?ッスか?」
『正解
証拠としては十分だよね?目撃者だっているわけだし』
制服のポケットから取り出したその物体を手のひらに乗せ笑う
強かな人、だ
「…けど、琉梨っち
結局これは俺が間に合ったから良かったものの、来るのが遅かったら…」
『まぁ、ヤバかっただろうねぇ
けど、うちだって多少は時間稼ぎ出来るしさ?
うちの不在に気付かないような人達じゃないって知ってるから』
そう言いながら、琉梨っちは小さく笑う
そして俺を見て、また困った顔をする
『なんでそっちの方が痛そうなのよ、りょーた』
「…部室行くッスよ、チャック上まで締めて」
『はいよー』
強がり、強情、意地っ張り
言いたいことはいっぱいある
大したことをされたわけじゃ無いと笑うけど、乱暴された事実は此処にあって
傷付いて無いはずが、ないのに
でも、琉梨っちは俺の前じゃ泣かない
泣かせてあげられない
原因は俺にある
俺が解決させなくちゃいけない
でも、琉梨っちはそれを望んだりなんかしない
彼女は結局、優しいから
俺に責任を感じさせないように振る舞う
泣いたりしたら、俺を責めることになると思っているから
いつだって琉梨っちの分かりにくい優しさで守られている
怖かったクセに
痛かったクセに
その証拠に抱き上げたって文句一つ言わない
ごめん、ごめん、ごめんなさい
心の中で何回も謝る
琉梨っちは、絶対に俺を責めないから
謝ることも許してくれない
『…りょーた』
「なんスか」
『助けてくれてありがとう』
「当たり前ッスよ…」
罪悪感が心に重くのし掛かる
けど、これは俺が抱えなくちゃいけない痛みだから
この罪悪感は、優しい琉梨っちが俺に科した罰
だから俺は、甘んじて受け入れなければならないもの
震える小さな体を、強く抱きしめた
*****
side.K
「見つかったか?」
「…ッス
今部室でジャージに着替えている所ッス」
「?部活に参加するつもりか?」
「いや…、そうじゃないッス
そうじゃないんスけど…」
黄瀬からの連絡で体育館に戻る
浮かない顔の黄瀬に声を掛けると、当人は現在部室にいるとのこと
歯切れの悪い黄瀬を促し発見時の状況を聞き出す
声を潜めて紡がれたその言葉に、思わず目を見開いた
「おま…!
それ、完璧に犯罪じゃねぇか!」
「俺にキレられても!」
そのままの勢いで黄瀬に詰め寄ってしまったが、それほどの衝撃だった
まさかそんな事態になっているとは、想像もしていなかった
無意識に手に力が入り、気が付けば固い握り拳が出来ていた
「…お前は部活戻ってろ
いつまでも2人抜けてたら不審に思われる
まぁ、もう手遅れかもだが、アイツはそれを望まないだろ
幸いというか、茶月は部活中に顔を出すタイプじゃねぇ
誤魔化しはきくだろ」
「…ッス
けど笠松センパイ!
くれぐれも接し方には注意ッスよ!慎重に!
琉梨っちはあぁ見えて意外と繊細で女の子らしいんスから!」
「うっせーよ!」
「…あと、出来るなら琉梨っちを泣かせてあげてくださいッス
ずっと泣くの我慢してる
ほんと、強がりなんスから…」
そう辛そうに言葉を紡ぐ黄瀬を体育館に送り込んで部室へと向かう
その足は随分と早足で
「なんで、話さねぇんだよ…」
何回も聞いただろうが
隠すなってのが伝わってないのか
話すチャンスは、あったのに
「入るぞ」
『え、キャプテン…!?』
驚いた声が響いたがゆっくりと扉が開く
扉の奥には見慣れたジャージ姿に、不釣り合いな白い湿布
頬に貼られたそれは、随分と痛々しく見える
『え、黄瀬はどうしたんですか?』
「部活に戻らせた」
『…そうですよね、普通に部活の時間
あとで唯歌に謝らないと』
「…今日は部活のことは気にすんな」
部室内に入り、茶月を座らせる
その目の前に俺も腰掛け、向き合う形を取る
普段通りを装っているように見えるが、どうにも落ち着きが無い
「…大体のことは黄瀬から聞いた」
『そうですか』
「どうして言わなかった」
『逆にキャプテンは言います?
好きな子と自分が仲良くてやっかみ受けてます、なんて
それだけの話だったんですよ、最初は
…でも、今回の件で迷惑掛けたことは自覚しています』
そのたとえ話は自分の身に起きるとは思えない内容であったが、理解は出来た
確かにそれだけで済むのなら、話すまでも無いのかもしれない
けど、コイツの場合は何か違う気がする
これだけで済まないと言う確信があるにも関わらず黙秘していたようにも見える
「…順を追って説明してくれ」
『始まったのは、マネになって数日、一週間後くらいですかね
よくあるマネージャーを辞めろって言う悪口の書かれた紙が下駄箱に入るようになったんです
その程度の嫌がらせは今までもずっとありましたので、適当にスルーしていました』
「まぁ、一々相手にしていたらキリがねぇからな」
『やっかみは経験ありなんですね
その程度の嫌がらせだったんです
教室には黄瀬がいるから、表立ったことは出来ないみたいで
そんなことがしばらく、10日くらいですかね、続いて』
2人がマネージャーになって、大体今日で3週間
10日で止めたって事は、反応の無い茶月に痺れを切らした、と言うことか
随分と耐え性の無い奴らしい
『そこからは呼び出しの手紙へ移行していきましたね
それもスルーしていたらわざわざいらっしゃってくださいましたよ
部活中、私が1人になる時を狙って
余程知られたくなかったんですねぇ…』
そこまで話して漸く視線が絡む
一瞬怯んでしまったが、正面から見つめ返せば、茶月の方から逸らされた
『まぁ相手は女ですし
喧嘩したことの無いような女子が5、6人来たとこでたかが知れてます
言いたいことだけ言って帰って行きましたよ
まぁ、平手打ちされそうになりましたが、私こう見えて喧嘩慣れしてますので
あっさり躱してしまったことが、更に煽ってしまったみたいで
煽るようなことを言った自覚はありますけど
怪我はしてませんよ』
ジャージの袖を捲って腕を晒す
そこには傷や痣は見受けられない
部活中にもどこかを庇っているような様子も無かったので、それは真実だろう
それから今日に至るまで直接暴言を浴びていた、とそう言う事らしい
『それがしばらく続いて、今日ですよ
流石に引きましたね』
そう言って苦笑を洩らす
引く、とかそんなレベルの話じゃねぇだろう
ギッと目で訴えかければ苦笑を深め肩を竦める
「取り敢えず、経緯は分かった
今日のことも急展開で連絡出来なかったのも分かる
が、お前は明らかに噓を吐いた」
『噓を吐いたつもりは無かったんですけどね
あの程度のことは日常茶飯事なんで、わざわざ報告するようなことでも無かったもので』
「屁理屈だろ」
『でしょうね
最初に言ったでしょ?恋愛のあれこれに巻き込まれているって話
今回は当事者がこのバスケ部に居たってだけでこれが対象が黄瀬じゃなければわざわざ、キャプテンに報告するようなものでも無いでしょう?
だから、あの子達が真っ向から私にぶつかってくる内はこっちもそれなりの対応する必要がある
そう思いませんか?』
真っ直ぐ目を見つめて問われたその問いに対する答えを、俺は持ち合わせていない
そうでしょう?と言われてしまえば、そうなのかも知れないと思わされるほどには説得力のある、筋の通った言い分で
『あと理由があるとすれば…、私の性格のせいでしょうね
大体自分1人で片付けちゃうんですよ
頼るって、苦手なんです』
目を伏せて苦笑する
そう言われたらこちらももう納得するしか無いだろう
「…分かった
じゃあ、今回の件、お前はどうしたい?」
『どうしたい、とは』
「相手見つけ出して警察にでも突き出すか?」
『…あんまり、大事にはしたくないですねぇ』
「だろうな」
その答えが返ってくることは想定内
短い付き合いではあるが、茶月の考えることが何となく分かってくるようになった
「…分かった
今回のことは事情を知る奴等だけの話にしてやる」
『…いいんですか?』
「今回だけな
次はない、何かあったら絶対に言え
屁理屈は持ち込むな、恋愛のやっかみとか関係ねぇ
今後同じ事が無いように俺達も注意はするが…
次は絶対に隠すな」
『…はい』
「迷惑だとか、心配掛けるとか、そんなこと気にするな
知らない間に何かあった方が迷惑だ」
『、はい』
「この部活に入った以上、お前の問題は俺等全員の問題だ
頼り方知らねぇとか言ってる暇あれば、起きてること全部話せ
話してくれてさえ居れば、お前の状況が理解出来る
何かあれば助けにもいける
頼り方なんて覚えれば良い
それを拒否る奴はこの部にはいねぇし、勝手に世話焼きたがるような奴だって居る
選手もマネージャーも全員仲間だ
その仲間に何かあれば、それは俺の責任だ
迷惑掛けたくないなら、お前の問題も俺達に預けろ
分かったか?」
真っ正面から見据え、言いたいことを全部話す
目の前に居るのは苦手な女子だとか、今はそんなの関係ない
とにかくコイツを今説き伏せないと、同じ事を繰り返す
瞳を揺らし、戸惑った様子でこちらを見返す茶月に、強い語調で言い聞かせる
ゆっくりと頷いた茶月に、こちらも小さく頷く
「…怖かったか?」
『…はい』
「…悪かった、こんなこと二度と起こさせねぇから」
『…はい』
「だから、今は泣いとけ」
『……はい』
俺のジャージの裾を申し訳程度に掴んで
顔を伏せて必死に声を押し殺して泣く、そんな姿に何も出来ない自分が不甲斐ない
器用に見えるコイツは、随分と不器用な生き方をしているらしい
掛ける言葉も見つからず、泣いている茶月の頭をぎこちなく撫でた
*****
side.琉梨
『ねぇ、わんこ』
「何スか?」
『ちょっと着いてきて』
「?いいッスけど、どこ行くんスか?」
『屋上』
あの事件から数日
ぱったり止んでいた下駄箱へのラブレターが、本日また入っていた
内容は謝りたいから屋上に来て欲しいとのこと
黄瀬も連れて、と言うのはポイント稼ぎだろう
あの日、キャプテンが泣かせてくれたお陰で自分の気持ちに切り替えは出来た
男性恐怖症みたいにならなかったのは、キャプテンのお陰でもあるだろう
元々タフなのもあるが
取り敢えず普段と変わりない生活を送れているのは良かった
人前で泣くとか、ほんといつ振りだろうか
不覚である
そんなことは置いておいて、わんこを引き連れて屋上へと向かう
そこに居る奴等のことを思うと、足は重くなる
「…琉梨っち」
『大丈夫』
屋上の扉を開くと、飛び込んでくる顔に思わず足が止まる
状況が分かったらしい黄瀬に返事をし、屋上へ降り立つ
一度小さく深呼吸をし、目の前の、力無くぶら下がった黄瀬の小指を握る
うちの半歩前に立った黄瀬の影から、手を離して前に出る
口を開こうとしたその女生徒、うちの腹を蹴ったその女の頬を思い切り叩く
じんわりと、自身の掌が熱を持った
『痛いですか?でも私はもっと痛かった』
叩かれた頬を押さえうちを見上げてくるその顔を見下ろす
自分が今どんな表情をしているかは分からないが、相手の顔は明らかに怯えていた
何でそっちが怯えるんだろう
『私がなぜ黙っていたか、理解出来ます?
私がどれほど堪え忍んでいたか、想像出来ます?
一方的な言いがかりを一身に受けても、そうなる立場である事を理解しているから
理解しているから、誰にも話さなかった
嫉妬する心は仕方ないものだって、私にも分かりますから』
ふっと目を逸らした相手を見下ろす
その後ろの生徒にも目を向けると、びくりと肩を震わせ後退る
自分でも驚くほどに、頭は冷静だった
『女同士の問題だったから、私は黙っていた
けど、貴女たちはその均衡を破った
なら、もう私が堪え忍ぶ必要なんて無いですよね?
先輩方は知らないと思いますが、私って結構強かな女なんですよ
自分が不利な状況を作り続けるほど馬鹿じゃ無い
先輩方の悪口なんて、もう聞き飽きた言葉の羅列ですよ
ダメージなんて喰らわない』
それだけ言ってポケットに忍ばせていたボイスレコーダーを取り出す
ついでに携帯も
『知ってますか、先輩
あの洗濯機使うの、バスケ部だけじゃ無いんですよねぇ
体育館競技の部活はあそこをよく使う
私の友人が先輩方に取り囲まれていた私を偶然見つけたらしく写真に押さえてくれていましてねぇ
あ、見ます?』
自身の携帯を顔の横まで持ち上げ、小さく首を傾げ問う
漸く噛み合った視線に宿るのは、怯えのみ
『このボイスレコーダーも、何に使われたかくらい、その足りない頭でも分かりますよねぇ?』
うちは馬鹿な女じゃないつもりだ
やられたらやり返す精神の持ち主ではあるけど、それは肉体的な暴力なんかじゃ無い
どうせやるなら徹底的に
もう二度と刃向かってこようなんて思わせないくらいに心を折ってしまいたい
『情けは人のためならず、因果応報
自分がした行いは巡り巡っていずれは己に返ってきます
自分が傷付く覚悟も無いクセに、人を傷つけるのは愚か者がすることです
復讐は復讐しか呼ばない
だから、私に復讐させないでください』
携帯とボイスレコーダーをポケットにしまい、彼女達を見据える
顔色の悪い、怯えきった表情でうちを見つめる姿に笑みさえ浮かんできそう
あぁ、ほんとうちって性格歪んでる
『私に謝らないでください
私は一生許さない
謝罪は、自分の罪悪感を軽くする行為
そんなこと、私は許さない
先輩方は犯罪者だ
その十字架を背負って、一生を生きてください
それから二度と、私の…
私たちの前にその顔を見せないでください
私から提示する条件はそれだけです』
言いたいことだけ言って、目を逸らす
もう、視界にも入れたくない
話すこと何て、何も無い
『分かったら、さっさとこの場を立ち去ってください
叶うなら、もう二度と会わないことを祈ります』
その言葉を皮切りに、1人、2人、と屋上を立ち去る
うちが平手打ちをかました、恐らく首謀者はまだ何か言いたそうにしていたが、引きずられるように屋上を出て行った
きっと、あの人が黄瀬を好きだった人なんだろう
最悪な印象のまま終わりたくない気持ちは分かるけど、もうきっと手遅れ
「琉梨っち」
『着いてきて貰って悪いね、わんこ
お前も一緒にって書かれてたし』
「それは別にいいッスけど…
お疲れさまッス」
『…ん、もう何も起きなきゃ良いんだけどね』
「あれだけやられて何かするならよっぽど馬鹿ッスよ」
『わんこでさえ分かるんだから大丈夫か』
「どういう意味ッスか!」
『そう言う事だよ』
これにて一件落着、めでたしめでたし
どうかそんな物語にして欲しい
「めでたし」って言ってくださいよ
(そうしてやっと、息が出来るのよ)
マネとして参加し始めてから数日
登校してきた琉梨は、自身の靴箱に入っている見覚えない、けれど馴染みのあるそれを手に取り思わず笑う
『相変わらず、女子って言う生き物は面倒だねぇ…』
手に取ったのはルーズリーフ
どこにでもありふれているそれに書かれた乱雑な罵詈雑言を鼻で笑い、グシャと握りつぶす
と、そのまま近くのゴミ箱に捨てると、一緒に居た唯歌を振り返る
『唯歌は何も無い?』
「?何が?」
『んーん、こっちの話』
隣に並んだ唯歌に問い掛けるが、きょとんとした表情にターゲットは自身であることを察する
唯歌に何も無いなら別に良いか、とそのまま日常会話に花を咲かし、練習へと向かった
*****
その日から、嫌がらせは段々とエスカレートしていった
悪口が書かれた手紙は当たり前となり、呼び出しの手紙も混ざるようになった
同じクラスに黄瀬がいるため、教室では特に変わったことは無い
同じ理由で、表立った嫌がらせは何一つ無い
あるのは嫌がらせの手紙のみで、琉梨はそんなこと慣れっこであるとでも言うかのように完全無視
その態度が余計に相手を煽っているのだろう、手紙は減るどころか増える一方で
『だからってへこたれるうちじゃないんですよねー、残念ながら』
「何か言ったー?」
『んーん、何でも無―い』
現在部活中
体育館裏でドリンク作りの真っ最中だ
唯歌に変わった様子が無いことを確認し、自身に向けられる悪意をどうするべきか、と思案する
体育館裏だというのに感じる視線
茂みに居るであろうその元凶達は出てこようとしないため、唯歌に知られるつもりは無いのであろう
そう判断して、1人になる道を選ぶ
ふう、と小さく息を吐き出し、最後のドリンクボトルの蓋を閉める
『唯歌、悪いんだけどドリンクの方お願いしていい?
うち洗濯の方行ってくるわ、多分そろそろだし』
「あ、そうだね
了解、そっちはよろしくね」
『お互い様
んじゃ、行ってくる』
ヒラリ、と後ろ手に手を振ってその場を立ち去る
茂みの気配が自身に着いてきた事を自覚して、再び、今度は大きな溜息を吐き出した
『で、ご用件は?
仕事も残っているので、なるべく手短にお願いしたいもんですけど』
「なんだ、気付いてたの」
『あんな分かりやすいの、気付かない方がおかしいでしょ』
壁に背を預け、目の前に並ぶ女生徒数名を見やる
その顔は限りなく無に近い
腕を組みそのままの表情で再び口を開く
『ご用件は?』
急かすように重ねて問う琉梨に、目の前の彼女達は僅かに顔を歪める
それに気付いた琉梨は、口を開こうとして肩を竦めるだけに留める
「分かっているクセに…
早くマネージャー辞めてくれない?」
『お断りします
それは貴女に言われる筋合いの無い話ですしね
私のすることは私が決めます』
「…っ、何様なのよ、貴女!」
『何様も何も、当たり前のことを言っただけじゃ無いですか?
貴女だって、誰かに言われてこうやって私に文句言いに来たわけじゃないでしょ?
自分の行動は自分で決めている
それより早く言ったらどうですか?黄瀬に近づくなって
まぁ、言われたところで無理ですとしか言えませんけど
私から近付いてるわけじゃ無いですし
用件がそれだけでしたら、この辺で失礼させていただいても?』
淡々と早口にそう告げて、目の前の彼女達から視線を逸らす
預けていた背中を離し、そのまま立ち去ろうという姿勢
もう話は終わっただろう?とでも言いたげである
まぁ、それが許されるのであればこんな呼び出しは起きていないわけで
「っ、生意気なのよ!」
その数人の女生徒の内1人が琉梨の煽りを受けて、激昂する
振り上げられた手を見ても驚いた様子のない琉梨は、彼女達から見えないような角度でその口に弧を描いた
パシッ
『すみません、こんな軌道丸わかりなビンタを大人しく受けるほどお人好しじゃないもので
それに頬を赤くして部活に行ったら、折角隠しているこれがバレちゃいますよ?』
振り上げられたその手を涼しい顔をして受け止める
もちろん挑発は忘れずに
やれやれ、と言う声が聞こえてきそうな表情で肩を竦め、今度こそその場を後にした
『…流石にちょっと煽り過ぎた、かなぁ…
段々楽しくなっちゃうの、ほんと悪い癖』
自嘲気味な笑みを浮かべ、小さく小さく呟いた
その顔は全く反省などしていない
困ったものだ、その言葉は誰に向けられたものか
*****
「…茶月」
『?何でしょうか、キャプテン
珍しいですね?』
通常練習も終わり、各々が自主練に取り組んでいるそんな時間
最近漸く僅かに慣れてきたらしい笠松が琉梨の元へやって来て声を掛ける
琉梨が述べたようにその行動は珍しいものであるがそれぞれ自主練に励んでいるため意識してその様子を見ているものは居ない
部活が始まってから必要以上に琉梨の方から慣れるように、と話しかけていたのだ
慣れるのも必然であるし、一緒に居る所を見てもいつものか、と周りも気にしない
ただ、今日は立場が逆転しているだけで
『どうされました?』
なかなか話し始めない笠松に疑問を示し、ボールを拭いていた手を止め視線を送る
真っ直ぐに自身を貫く視線に僅かにたじろいだ笠松だが、意を決したかの様な面持ちで口を開く
「…最近、何か無いか?」
『何か、とは?』
「…嫌がらせ、とか」
『…キャプテンにもそんな発想があったんですねぇ
女の世界の事なんて全く知らなさそうなのに』
「うっせ」
『大丈夫ですよ、キャプテン
何にも無いです
心配してくださってありがとうございます』
茶化したことで若干ふて腐れた様子のある笠松ではあるが、真剣に心配されている事に気付き礼を述べる
安心させるように笑みを浮かべて
それでも笠松の眉間の皺が薄れることは無く、琉梨は不思議そうに首を傾げた
『…もしかして何か聞いたんですか?』
「…俺のクラスの奴等が
詳しくは、聞こえなかったがお前について、だった」
『そうですか
でも今のところ何も無いですよ
ですが折角のお心遣いですしね、注意はしておきます』
「そうしてくれ」
『はい、心配ありがとうございます』
自身の忠告に対して琉梨が頷いたことを確認した笠松は、踵を返し自主練に戻る
その背中を見送った琉梨は、再びボールを磨くために俯いた
俯いた琉梨の表情は誰にも見られる事は無かったが、表現し難い、複雑なものであった
『余計なことを…
バレないようにやるなら徹底してほしいんだけどなぁ』
僅かながらに苛立ちの含んだ小さな声は、色んな音が溢れかえる体育館の喧騒にかき消され
小さく溜息を吐いた琉梨は、その苛立ちをかき消さんとするかのように無心でボールを磨く
『…巻き込むつもりは、無いんですよこっちだって』
小さく、小さく、呟いて
*****
「いい加減ウザいんだよ、アンタ!」
「さっさとマネ辞めてくれない?」
「お前が居たって何も変わんねーよ」
「邪魔だからさっさと居なくなってくださーい」
「みんな迷惑してんだよね、分かんない?」
「てか、お前の態度何なの?ムカつくんですけど」
「言えてるー!」
放課後の体育館裏
人気の無いこの場所で、琉梨を囲う数人の女生徒は、口々に罵声を浴びせている
それを受けている琉梨は、無表情を貫き口を開くことすらしない
むしろその罵声を聞いていないのかもしれない、と思わされるほどには反応が無い
そんな琉梨の態度に腹を立てた1人が、死角になっている場所から肩を強く押し、体制の崩れた琉梨の腹に蹴りを入れる
「ほんと、目障り」
やっと琉梨の表情に変化があったことに満足したのか、笑いながらその場から立ち去る
『痛いっつーの…
普通腹蹴る?ほんとにあいつら女かよ…』
咄嗟に腹筋に力を入れた琉梨はさほどダメージは喰らって居らず、文句を言いながら立ち上がる
ジャージに付いた土を払い、小さく咳をして腹部を撫でる
『流石に痣くらいは出来るかな
油断したわー、次は気を付けとこ』
簡単に身なりを整えた琉梨は、そのまま何事も無かったかのように、部活へと戻っていった
*****
「…茶月」
『そんな毎日確認しなくても大丈夫ですよ、キャプテン』
「…マネージャーも、部活の仲間だ
何かあったら、俺の責任だ」
『わぉ、かっこいい』
「なっ…!」
『けど、ほんとに何も無いですよ
大丈夫ですから、唯歌の方を心配してあげてください
私と違って喧嘩するようなタイプの子じゃないですし』
「アイツは小堀に任せてある
今のところ変わった様子は無いらしい」
『まぁ、ご兄妹ですもんね
そうなりますよねぇ
じゃあ、キャプテンが私担当って事でいいんですか?』
「黄瀬曰く、お前は隠し事が上手いらしいからな」
『あら、なんの事でしょうかねぇ』
「…、お前がそう言うなら俺は引く
が、どうしようも無くなる前に言え
これは部長命令だ」
『そうですね
そんなことになるようなことがあれば』
ふわり、穏やかに笑う
あまりにも普段と変わりないその笑い方に、そのままその言葉を鵜呑みにしても良いような、そんな気になる
そんな態度
しかし、そう簡単に安心するわけにはいかないらしい
「あの手のタイプの女の子は何してくるか分かんないッスよ
俺も注意はしておくッスけど、相手が琉梨っちだからなー
正直、俺じゃ太刀打ち出来ないんスよね」
部活が始まってすぐに告げられた黄瀬からの言葉
そう言った場面に遭遇することが多かったであろう黄瀬が言うのだから、ぐっと真実味が増す
立ち止まったままの笠松を不思議そうに見つめる琉梨
キャプテン、と声を掛けると目が合いすぐに逸らされる
「お前1人の問題じゃ、ねぇからな」
最後のそう告げて背を向ける
そしてそのまま琉梨の元から立ち去り、練習を再開する
その背の向こう、琉梨がどんな表情を浮かべているか、知らないまま
『うちの問題だよ、キャプテン』
限りなく無表情でそう呟いた琉梨の声は、誰の耳に届くことも無く
*****
そうして、遂にその日はやって来てしまう
「兄さん…!」
「唯歌?どうしたんだ?」
「琉梨ちゃん、見てない?何か聞いてる?
先に部活行ったはずなのに、荷物無くてまだ来てないみたいなの」
「!そうか…
笠松に確認してくる
唯歌は悪いけど、先に部活の準備進めていてくれるか?」
「うん、それは良いんだけど…
琉梨ちゃん、もしかして?」
「…分からんなぁ
取り敢えずこっちに任せて唯歌は仕事を始めてくれ」
「うん…」
不安げな顔をしたまま体育館を去る唯歌
確証は無いが、確信しているかの様な、そんな雰囲気を纏ったまま
女の世界のことだ
唯歌が気付いても、何ら不思議では無い
「笠松、話し中に悪い」
「なんだ?」
「茶月さんが部活に来ていないらしい」
「!」
「それ、ほんとッスか!?
今日は小堀サンが日直だったから、一緒に行こうとしたんスけど、やけに女の子に絡まれて」
「最初から、計算してたってことか…
琉梨ちゃん…」
「取り敢えず探し行くぞ
小堀、森山、後は任せた
黄瀬、携帯持ったらそのまま探し行け」
簡潔に指示を飛ばし、笠松は体育館を飛び出す
それを追って黄瀬も出て行き、森山、小堀は見送る
それぞれの胸には、嫌な予感が渦巻いていた
*****
side.K
呼び出しの定番と言われる場所を虱潰しに見て回る
逸る心が、体の動きを鈍らせる
油断していた
甘く見ていた
帝光での認識でいた
あそこは例外だっただけなのに
それでも何も無かった訳では無かったのに
みんな赤司っちを恐れて表立って問題が起きなかっただけの話なのに
その赤司っちがいなくなればどうなるか、何て考えるまでも無い
誰だって同じ結論にたどり着く
賢い琉梨っちが、その考えに至らないはずが無い
分かっていた、それなのに
「くそっ、どこにいるんだよ…!」
守らなくちゃいけないのに
琉梨っちはみんなが思っているほど強い子じゃないこと、俺は知っているのに
強がることが上手いだけという事を、俺は知っているのに
「!今、声…!」
痛いくらいに鳴る心臓の合間を縫って耳に届いた声
直感的に、そこに琉梨っちがいると本能が告げて
「ごめん、琉梨っち…!」
今から、いくから
*****
「何、してるんスか」
駆けつけた先、真っ先に飛び込んできたその光景に、自身の目を疑った
疑いたかった、信じたくなかった
一瞬で真っ白になった思考
そんな自分を何とか奮い立たせて、言葉を発する
その声は、震えていたかもしれない
少なくとも、いつもの“黄瀬涼太”を作れていない事は確かだった
「き、黄瀬君…」
「何してるんスか、って言ってるんスよ」
自分のものとは思えないほど、低い声が出た気がする
けれど、今はそんなこと気にしている余裕は無い
こちらを見る琉梨っちの顔が、歪んでいる
それだけで、もう
「悪いッスけど、さっさと居なくなって貰えるッスかね?
俺今、結構余裕無いんスよ
このまま此処に居るっつーなら、何するか分かんねぇッスよ…?」
今できる精一杯で、怒りを抑え込んだはずだ
此処で俺がキレたところで、琉梨っちは困るだけ
普段の自分のイメージとかどうでも良い
早く、消えて欲しい
「いつまでその汚らわしい手で琉梨っちに触っているつもりッスか?」
普通、ここまでするだろうか
下手したら警察沙汰になってもおかしくないようなこの現場
人間は嫉妬と言う感情だけで此処までのことが出来てしまうのか
真っ青な顔をしている男女を睨みつけ、琉梨っちから引きはがす
琉梨っちの頭からジャージを被せて、そいつらの視界から彼女を消す
こんな場所にいつまでも居て欲しくない、視界に入れたくない
コイツらと同じ空間に居ることに虫酸が走る
「き、黄瀬君、あの…」
「失せろ」
何か言い募ろうとした女の声を遮って言い放つ
あんな声を出せる自分に驚きながら、バタバタ立ち去る足音を聞く
ふう、呼吸を整えて、随分酷い格好をした琉梨っちに向き直る
『…未遂だよ、制服破かれたくらい
だから、そんな泣きそうな顔しないでよ』
制服の上からジャージを身に包んだ琉梨っちが苦笑を浮かべそう言う
少し切れた口と、腫れた頬
解かれたネクタイ、ボタンの飛んだブラウス
いつもサラサラと揺れる真っ直ぐな髪は、やっぱり乱れていて
『女子相手なら何とかなるんだけどねぇ
まさか、男子を連れてくるとは思わなかったよ』
「琉梨っち、この期に及んでこれが初めてとか言わないッスよね
いつからッスか、なんで言わないんスか」
『女の子同士の問題だったからかなぁ
あの子等はただアンタが好きなだけ
好きな人に近付く女が煩わしく思うのは、別に普通のことでしょ
そこに男が口出しするのは野暮じゃ無い?』
「でも…!」
『うん、今回は流石にやり過ぎ
それくらいうちだって分かってるよ、大丈夫
このままにしとくつもりはないよ
知ってるでしょ?うちってば転んでもただじゃ起きないタイプの人間だって』
痛々しい姿のまま
目の前の彼女は、不適に微笑んだ
『これ、分かる?』
「ボイスレコーダー?ッスか?」
『正解
証拠としては十分だよね?目撃者だっているわけだし』
制服のポケットから取り出したその物体を手のひらに乗せ笑う
強かな人、だ
「…けど、琉梨っち
結局これは俺が間に合ったから良かったものの、来るのが遅かったら…」
『まぁ、ヤバかっただろうねぇ
けど、うちだって多少は時間稼ぎ出来るしさ?
うちの不在に気付かないような人達じゃないって知ってるから』
そう言いながら、琉梨っちは小さく笑う
そして俺を見て、また困った顔をする
『なんでそっちの方が痛そうなのよ、りょーた』
「…部室行くッスよ、チャック上まで締めて」
『はいよー』
強がり、強情、意地っ張り
言いたいことはいっぱいある
大したことをされたわけじゃ無いと笑うけど、乱暴された事実は此処にあって
傷付いて無いはずが、ないのに
でも、琉梨っちは俺の前じゃ泣かない
泣かせてあげられない
原因は俺にある
俺が解決させなくちゃいけない
でも、琉梨っちはそれを望んだりなんかしない
彼女は結局、優しいから
俺に責任を感じさせないように振る舞う
泣いたりしたら、俺を責めることになると思っているから
いつだって琉梨っちの分かりにくい優しさで守られている
怖かったクセに
痛かったクセに
その証拠に抱き上げたって文句一つ言わない
ごめん、ごめん、ごめんなさい
心の中で何回も謝る
琉梨っちは、絶対に俺を責めないから
謝ることも許してくれない
『…りょーた』
「なんスか」
『助けてくれてありがとう』
「当たり前ッスよ…」
罪悪感が心に重くのし掛かる
けど、これは俺が抱えなくちゃいけない痛みだから
この罪悪感は、優しい琉梨っちが俺に科した罰
だから俺は、甘んじて受け入れなければならないもの
震える小さな体を、強く抱きしめた
*****
side.K
「見つかったか?」
「…ッス
今部室でジャージに着替えている所ッス」
「?部活に参加するつもりか?」
「いや…、そうじゃないッス
そうじゃないんスけど…」
黄瀬からの連絡で体育館に戻る
浮かない顔の黄瀬に声を掛けると、当人は現在部室にいるとのこと
歯切れの悪い黄瀬を促し発見時の状況を聞き出す
声を潜めて紡がれたその言葉に、思わず目を見開いた
「おま…!
それ、完璧に犯罪じゃねぇか!」
「俺にキレられても!」
そのままの勢いで黄瀬に詰め寄ってしまったが、それほどの衝撃だった
まさかそんな事態になっているとは、想像もしていなかった
無意識に手に力が入り、気が付けば固い握り拳が出来ていた
「…お前は部活戻ってろ
いつまでも2人抜けてたら不審に思われる
まぁ、もう手遅れかもだが、アイツはそれを望まないだろ
幸いというか、茶月は部活中に顔を出すタイプじゃねぇ
誤魔化しはきくだろ」
「…ッス
けど笠松センパイ!
くれぐれも接し方には注意ッスよ!慎重に!
琉梨っちはあぁ見えて意外と繊細で女の子らしいんスから!」
「うっせーよ!」
「…あと、出来るなら琉梨っちを泣かせてあげてくださいッス
ずっと泣くの我慢してる
ほんと、強がりなんスから…」
そう辛そうに言葉を紡ぐ黄瀬を体育館に送り込んで部室へと向かう
その足は随分と早足で
「なんで、話さねぇんだよ…」
何回も聞いただろうが
隠すなってのが伝わってないのか
話すチャンスは、あったのに
「入るぞ」
『え、キャプテン…!?』
驚いた声が響いたがゆっくりと扉が開く
扉の奥には見慣れたジャージ姿に、不釣り合いな白い湿布
頬に貼られたそれは、随分と痛々しく見える
『え、黄瀬はどうしたんですか?』
「部活に戻らせた」
『…そうですよね、普通に部活の時間
あとで唯歌に謝らないと』
「…今日は部活のことは気にすんな」
部室内に入り、茶月を座らせる
その目の前に俺も腰掛け、向き合う形を取る
普段通りを装っているように見えるが、どうにも落ち着きが無い
「…大体のことは黄瀬から聞いた」
『そうですか』
「どうして言わなかった」
『逆にキャプテンは言います?
好きな子と自分が仲良くてやっかみ受けてます、なんて
それだけの話だったんですよ、最初は
…でも、今回の件で迷惑掛けたことは自覚しています』
そのたとえ話は自分の身に起きるとは思えない内容であったが、理解は出来た
確かにそれだけで済むのなら、話すまでも無いのかもしれない
けど、コイツの場合は何か違う気がする
これだけで済まないと言う確信があるにも関わらず黙秘していたようにも見える
「…順を追って説明してくれ」
『始まったのは、マネになって数日、一週間後くらいですかね
よくあるマネージャーを辞めろって言う悪口の書かれた紙が下駄箱に入るようになったんです
その程度の嫌がらせは今までもずっとありましたので、適当にスルーしていました』
「まぁ、一々相手にしていたらキリがねぇからな」
『やっかみは経験ありなんですね
その程度の嫌がらせだったんです
教室には黄瀬がいるから、表立ったことは出来ないみたいで
そんなことがしばらく、10日くらいですかね、続いて』
2人がマネージャーになって、大体今日で3週間
10日で止めたって事は、反応の無い茶月に痺れを切らした、と言うことか
随分と耐え性の無い奴らしい
『そこからは呼び出しの手紙へ移行していきましたね
それもスルーしていたらわざわざいらっしゃってくださいましたよ
部活中、私が1人になる時を狙って
余程知られたくなかったんですねぇ…』
そこまで話して漸く視線が絡む
一瞬怯んでしまったが、正面から見つめ返せば、茶月の方から逸らされた
『まぁ相手は女ですし
喧嘩したことの無いような女子が5、6人来たとこでたかが知れてます
言いたいことだけ言って帰って行きましたよ
まぁ、平手打ちされそうになりましたが、私こう見えて喧嘩慣れしてますので
あっさり躱してしまったことが、更に煽ってしまったみたいで
煽るようなことを言った自覚はありますけど
怪我はしてませんよ』
ジャージの袖を捲って腕を晒す
そこには傷や痣は見受けられない
部活中にもどこかを庇っているような様子も無かったので、それは真実だろう
それから今日に至るまで直接暴言を浴びていた、とそう言う事らしい
『それがしばらく続いて、今日ですよ
流石に引きましたね』
そう言って苦笑を洩らす
引く、とかそんなレベルの話じゃねぇだろう
ギッと目で訴えかければ苦笑を深め肩を竦める
「取り敢えず、経緯は分かった
今日のことも急展開で連絡出来なかったのも分かる
が、お前は明らかに噓を吐いた」
『噓を吐いたつもりは無かったんですけどね
あの程度のことは日常茶飯事なんで、わざわざ報告するようなことでも無かったもので』
「屁理屈だろ」
『でしょうね
最初に言ったでしょ?恋愛のあれこれに巻き込まれているって話
今回は当事者がこのバスケ部に居たってだけでこれが対象が黄瀬じゃなければわざわざ、キャプテンに報告するようなものでも無いでしょう?
だから、あの子達が真っ向から私にぶつかってくる内はこっちもそれなりの対応する必要がある
そう思いませんか?』
真っ直ぐ目を見つめて問われたその問いに対する答えを、俺は持ち合わせていない
そうでしょう?と言われてしまえば、そうなのかも知れないと思わされるほどには説得力のある、筋の通った言い分で
『あと理由があるとすれば…、私の性格のせいでしょうね
大体自分1人で片付けちゃうんですよ
頼るって、苦手なんです』
目を伏せて苦笑する
そう言われたらこちらももう納得するしか無いだろう
「…分かった
じゃあ、今回の件、お前はどうしたい?」
『どうしたい、とは』
「相手見つけ出して警察にでも突き出すか?」
『…あんまり、大事にはしたくないですねぇ』
「だろうな」
その答えが返ってくることは想定内
短い付き合いではあるが、茶月の考えることが何となく分かってくるようになった
「…分かった
今回のことは事情を知る奴等だけの話にしてやる」
『…いいんですか?』
「今回だけな
次はない、何かあったら絶対に言え
屁理屈は持ち込むな、恋愛のやっかみとか関係ねぇ
今後同じ事が無いように俺達も注意はするが…
次は絶対に隠すな」
『…はい』
「迷惑だとか、心配掛けるとか、そんなこと気にするな
知らない間に何かあった方が迷惑だ」
『、はい』
「この部活に入った以上、お前の問題は俺等全員の問題だ
頼り方知らねぇとか言ってる暇あれば、起きてること全部話せ
話してくれてさえ居れば、お前の状況が理解出来る
何かあれば助けにもいける
頼り方なんて覚えれば良い
それを拒否る奴はこの部にはいねぇし、勝手に世話焼きたがるような奴だって居る
選手もマネージャーも全員仲間だ
その仲間に何かあれば、それは俺の責任だ
迷惑掛けたくないなら、お前の問題も俺達に預けろ
分かったか?」
真っ正面から見据え、言いたいことを全部話す
目の前に居るのは苦手な女子だとか、今はそんなの関係ない
とにかくコイツを今説き伏せないと、同じ事を繰り返す
瞳を揺らし、戸惑った様子でこちらを見返す茶月に、強い語調で言い聞かせる
ゆっくりと頷いた茶月に、こちらも小さく頷く
「…怖かったか?」
『…はい』
「…悪かった、こんなこと二度と起こさせねぇから」
『…はい』
「だから、今は泣いとけ」
『……はい』
俺のジャージの裾を申し訳程度に掴んで
顔を伏せて必死に声を押し殺して泣く、そんな姿に何も出来ない自分が不甲斐ない
器用に見えるコイツは、随分と不器用な生き方をしているらしい
掛ける言葉も見つからず、泣いている茶月の頭をぎこちなく撫でた
*****
side.琉梨
『ねぇ、わんこ』
「何スか?」
『ちょっと着いてきて』
「?いいッスけど、どこ行くんスか?」
『屋上』
あの事件から数日
ぱったり止んでいた下駄箱へのラブレターが、本日また入っていた
内容は謝りたいから屋上に来て欲しいとのこと
黄瀬も連れて、と言うのはポイント稼ぎだろう
あの日、キャプテンが泣かせてくれたお陰で自分の気持ちに切り替えは出来た
男性恐怖症みたいにならなかったのは、キャプテンのお陰でもあるだろう
元々タフなのもあるが
取り敢えず普段と変わりない生活を送れているのは良かった
人前で泣くとか、ほんといつ振りだろうか
不覚である
そんなことは置いておいて、わんこを引き連れて屋上へと向かう
そこに居る奴等のことを思うと、足は重くなる
「…琉梨っち」
『大丈夫』
屋上の扉を開くと、飛び込んでくる顔に思わず足が止まる
状況が分かったらしい黄瀬に返事をし、屋上へ降り立つ
一度小さく深呼吸をし、目の前の、力無くぶら下がった黄瀬の小指を握る
うちの半歩前に立った黄瀬の影から、手を離して前に出る
口を開こうとしたその女生徒、うちの腹を蹴ったその女の頬を思い切り叩く
じんわりと、自身の掌が熱を持った
『痛いですか?でも私はもっと痛かった』
叩かれた頬を押さえうちを見上げてくるその顔を見下ろす
自分が今どんな表情をしているかは分からないが、相手の顔は明らかに怯えていた
何でそっちが怯えるんだろう
『私がなぜ黙っていたか、理解出来ます?
私がどれほど堪え忍んでいたか、想像出来ます?
一方的な言いがかりを一身に受けても、そうなる立場である事を理解しているから
理解しているから、誰にも話さなかった
嫉妬する心は仕方ないものだって、私にも分かりますから』
ふっと目を逸らした相手を見下ろす
その後ろの生徒にも目を向けると、びくりと肩を震わせ後退る
自分でも驚くほどに、頭は冷静だった
『女同士の問題だったから、私は黙っていた
けど、貴女たちはその均衡を破った
なら、もう私が堪え忍ぶ必要なんて無いですよね?
先輩方は知らないと思いますが、私って結構強かな女なんですよ
自分が不利な状況を作り続けるほど馬鹿じゃ無い
先輩方の悪口なんて、もう聞き飽きた言葉の羅列ですよ
ダメージなんて喰らわない』
それだけ言ってポケットに忍ばせていたボイスレコーダーを取り出す
ついでに携帯も
『知ってますか、先輩
あの洗濯機使うの、バスケ部だけじゃ無いんですよねぇ
体育館競技の部活はあそこをよく使う
私の友人が先輩方に取り囲まれていた私を偶然見つけたらしく写真に押さえてくれていましてねぇ
あ、見ます?』
自身の携帯を顔の横まで持ち上げ、小さく首を傾げ問う
漸く噛み合った視線に宿るのは、怯えのみ
『このボイスレコーダーも、何に使われたかくらい、その足りない頭でも分かりますよねぇ?』
うちは馬鹿な女じゃないつもりだ
やられたらやり返す精神の持ち主ではあるけど、それは肉体的な暴力なんかじゃ無い
どうせやるなら徹底的に
もう二度と刃向かってこようなんて思わせないくらいに心を折ってしまいたい
『情けは人のためならず、因果応報
自分がした行いは巡り巡っていずれは己に返ってきます
自分が傷付く覚悟も無いクセに、人を傷つけるのは愚か者がすることです
復讐は復讐しか呼ばない
だから、私に復讐させないでください』
携帯とボイスレコーダーをポケットにしまい、彼女達を見据える
顔色の悪い、怯えきった表情でうちを見つめる姿に笑みさえ浮かんできそう
あぁ、ほんとうちって性格歪んでる
『私に謝らないでください
私は一生許さない
謝罪は、自分の罪悪感を軽くする行為
そんなこと、私は許さない
先輩方は犯罪者だ
その十字架を背負って、一生を生きてください
それから二度と、私の…
私たちの前にその顔を見せないでください
私から提示する条件はそれだけです』
言いたいことだけ言って、目を逸らす
もう、視界にも入れたくない
話すこと何て、何も無い
『分かったら、さっさとこの場を立ち去ってください
叶うなら、もう二度と会わないことを祈ります』
その言葉を皮切りに、1人、2人、と屋上を立ち去る
うちが平手打ちをかました、恐らく首謀者はまだ何か言いたそうにしていたが、引きずられるように屋上を出て行った
きっと、あの人が黄瀬を好きだった人なんだろう
最悪な印象のまま終わりたくない気持ちは分かるけど、もうきっと手遅れ
「琉梨っち」
『着いてきて貰って悪いね、わんこ
お前も一緒にって書かれてたし』
「それは別にいいッスけど…
お疲れさまッス」
『…ん、もう何も起きなきゃ良いんだけどね』
「あれだけやられて何かするならよっぽど馬鹿ッスよ」
『わんこでさえ分かるんだから大丈夫か』
「どういう意味ッスか!」
『そう言う事だよ』
これにて一件落着、めでたしめでたし
どうかそんな物語にして欲しい
「めでたし」って言ってくださいよ
(そうしてやっと、息が出来るのよ)