手を伸ばしかけて躊躇って
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夏休み、体育館
恋愛ごとのあれこれがあれど、いつも通り部活はあるもので
マネージャーである2人は、役割分担をして仕事に励んでいる
只今ゲーム中
ゲームの際の2人の役割は、決まっている
スコア付けをしながら、データを採取する琉梨
得点係や、交代の際のドリンク・タオル配り、モップがけをする唯歌
データを採取している際はかなり集中しているので、誰も琉梨に話しかけたりしない
邪魔をしたら、琉梨の機嫌急降下することを知っているからだ
まぁ、必要な要件であれば問題ないのだが
しかしだからこそ、それは起きてしまった
「琉梨」
『…あ、何です?キャプテン』
「集中するのはいいが、水分補給はしているか?
体育館の中は熱中症を起こしやすい、知ってるだろ」
『…それもそうですね』
そんな中琉梨に話しかける笠松
ノートから顔を上げて、素直にその言葉に頷く
そして立ち上がり…、そのまま立ち上がり笠松の方へと倒れ込んだ
「、琉梨」
『…すみません
ちょっと、前が真っ暗になりました』
「思いっきり症状出てんじゃねぇか」
『集中し過ぎるのも考え物ですねぇ…』
「お前が言うな」
そう言って、溜息を吐く笠松
倒れ込んだまま支えられている琉梨の体を抱き上げると、こちらの動向を窺っていた森山へと声を掛ける
「保健室連れて行ってくる
俺が戻るまで、暫く休憩させとけ」
「あ、おう…」
それだけ投げかけて、体育館を後にする
その姿を呆然と見送った森山
暫く静まり返ったが、そこで騒ぎ出すのが森山という男で
「くっそー、何なんだリア充め!
てゆーか、さらっと名前呼び…!」
「ホントそう言うとこ目敏いなー、森山は」
「落ち着いてくださいッス、森山先輩」
「悔しくないのか、黄瀬!
アイツは絶対、一生独り身だと思ってたのに…!」
「何気に酷いッスね、先輩…」
そんな森山の言葉に、呆れた表情を作る黄瀬
相変わらず小堀兄妹は穏やかに眺めていた
*****
『…ユキ、怒ってる?』
「…少しな」
保健室に向かう中
笠松の腕の中で、目を閉じたままの琉梨が問い掛ける
返ってきた言葉に、苦笑を浮かべる
『噓、少しじゃ無いクセに』
口角だけを上げる、小さな笑み
目は変わらず閉じたまま、頭を胸に預ける
「あんまくっつくな、汗が付く」
『ふふ、確かに
でも、嫌いじゃ無いよ』
「うっせ」
などと話している内に保健室へと到着する
夏休みだからか、保険医の姿は見受けられない
笠松は琉梨をベッドへ寝かすと、体温計を渡す
そのまま利用者名簿へと記入していく
ピピッ
暫くしたら、小さな電子音が響く
それを取り出した琉梨は、表示された数字を見て苦笑
『…ユキー』
「…思い切り熱中症だな、まぁ軽症で良かったが」
表示された数字は、元々高めな琉梨の平熱を上回ったもの
笠松は眉間に皺を寄せながら、琉梨の額に冷却シートを貼る
「…琉梨」
『んー…?』
冷たさに顔を顰めつつ、呼びかけに応える
いつも以上に目を細め、今にも眠りに落ちそうな様子で
「寝てんのか、最近」
『…今までと変わんないよ』
「噓言うな、じゃあ食欲は」
『夏だからねぇ…』
「答えになってねぇよ」
『はぐらかしてるからねぇ』
完全に瞼を降ろした琉梨が、小さく笑う
そんな琉梨を見下ろす笠松は、複雑な表情で
それに気付いているのか、いないのか、琉梨は困ったように笑った
「琉梨」
『なんです?』
「…1人で背負い込もうとすんなよ」
『それ、ユキが言います?』
「、琉梨」
『…なんてね』
目を閉じたまま、口角を僅かに上げて笑う
その笑みはどこか、嘲笑にも似ていて
けれどそんな笑みは一瞬で消える
『分かっている、つもり
このチームに負けたい何て願っている人は居ないから
次こそは、絶対に
そう思って、プレイしている』
「…あぁ」
『その気持ちが痛いほど伝わってくるから、頑張りたいと思う
それは、いけないこと?』
「悪いなんて言ってねぇだろ
ただ、頑張った結果倒れりゃ元も子もない」
『そう、だけど…』
「それに」
『それに?』
「最近、黄瀬と何かあったろ」
何となしに呟かれた言葉に、琉梨は瞼を押し上げる
露わになった瞳に映った笠松は、何を考えているか分からない表情をしていた
それを見て、カマを掛けた訳では無く確信を持っていると言う事に気付く
「やっぱりか…
何があったか知らねぇが、考え込みすぎてほとんど寝てねぇんだろ
それに伴う食欲不振ってとこか?」
『…はは、なんでそういうとこだけ、敏感なのかな』
「分かりやすいんだよ、特に黄瀬な
お前も、自覚してんのか知らねぇがまた痩せたろ
顔色も悪いし、薄らと隈も出来てる
誤魔化そうたって、そうはいかねぇぞ」
『…ふふ、愛されてるなぁ』
「…うっせ」
『否定はしないんだ?』
「…、もう寝ろ」
『引き留めたのユキなのに』
そう言って小さく笑いながら、瞼を下ろす
暫くしたら、その場には小さな寝息のみ響いた
*****
side.K
琉梨が眠ったのを確認し、保健室を後にする
夏、負けてから琉梨が気負いすぎていると言うことには気付いて居た
口は悪いし、素直になることは滅多に無いがそれでも、“このチームで勝つこと”に一番こだわっているのは、間違いなくコイツで
あの桐皇戦の後
泣き崩れた琉梨は一体何を決意したのだろうか
表面上は何も変わらない
相変わらず体育館には殆ど顔を出すこと無く、効率よく完璧に仕事をこなしている
だけど、気付いて居た
いつも抱えているあのファイルが、少しずつ厚くなっていることに
黄瀬との関係が僅かにギクシャクしていたこと、琉梨を見つめる黄瀬の目が何処か淋しそうなこと
少しずつではあるが確実に、琉梨の精神が削られていたこと
全部、気が付いていた
琉梨が見ているのものは、俺達のずっと先であると言うことも知っていたのに
「…くそ」
結局いつだって、アイツは少し先を行く
俺がいくら進んだって、その数歩先に必ず居て、立ち止まって、振り返って、俺に手を差し伸べる
だけどいつまで経ってもその手には届かない
「あ…、兄さん戻ってきたよ」
「おかえり笠松、どうだった?」
「軽い熱中症だ、あとは寝不足と貧血」
「やっぱり寝てないの、あの子…」
「大したこと無くて良かったな」
「あぁ」
「いいや、大問題だ!あの笠松が女子を抱き上げるなど…!」
「そこッスか…」
「だが考えても見ろ、あの笠松だぞ!?
写真すら直視できないという、あの笠松だぞ!!」
「うっせぇ、シバくぞ!」
「と言いつつももう蹴ってる!」
森山の腰に回し蹴りをいれ、体育館の床に蹲る森山を見下ろす
フン、と鼻を鳴らして、小堀の元へと行き今日の今後についての相談を始める
体調不良者をこれ以上出すわけにも行かず、メニューについて少々見直し、早めに切り上げようという話に落ち着いた
「笠松、琉梨ちゃんの親御さんに連絡入れておかなくて平気か?一応倒れた訳だし」
「兄さん、今日お母さん夜勤って言ってたから、今の時間まだ寝てるかも」
「だったら琉帆っちに一応連絡入れとくッスよ!
多分琉帆っちも部活中だとは思うッスけど、その内見るっしょ」
そう声を上げた黄瀬が携帯を取り出し早速連絡を入れる
繋がらないとしても一番手っ取り早く電話をすることに決めたようである
どうやら電話は繋がったらしく、軽い調子で黄瀬が話しているのを聞き流しながら、小堀と今後の練習も少しセーブしていく方がいいか、など相談を続けていると
「ちょ、琉帆っち!?…切れたッス」
「?どうしたの、黄瀬君」
「いやー…、ちょっと…、そうッスね、琉帆っちってそう言う人だったッス」
「どういう事?」
「結論だけ言うと、笠松先輩の家に泊まらせたら?って事だったッス」
「…は?」
黄瀬の口から飛び出た言葉に、思っていたより気の抜けた、間抜けな声が出てしまった自覚はある
けれど、そうなってしまうのも仕方ないと大目に見て欲しい
友人宅ではなく、あっさりとその結論が出た経緯を教えて欲しい
普通は止めるモノでは無いのだろうか
「…順を追って説明しろ」
「ッス」
~回想~
「あ、琉帆っち出た、今時間大丈夫ッスか?」
『おん、休憩中!黄瀬ちん、おひさー!元気?』
「琉帆っちんとこに負けてから、更に練習ハードになったッスけど、元気ッスよ」
『ふはは、みたかウチの実力!』
「琉帆っち試合してないッスよね!?じゃなくて」
『おうおう、そうだった。何か用かい?』
「いや、今日の練習中に琉梨っち倒れちゃって」
『…あちゃー、まぁ、最近なんか元気なさげだったしなー
そんで?』
「いや、一応琉帆っちには連絡しとこうかと思って
今日、お母さん夜勤なんスよね?」
『あ、そっか、今日ママン居らんのやった
んで、どうするの?』
「どうするって…、それを聞きたくて連絡したんスけど」
『んでもあ、あの強がり意地っ張り見栄っ張りの琉梨が倒れたってよっぽどだよ
大人しくウチの世話になるとも思わないし、ウチ帰っても結局は強がって平気なフリするっしょ』
「確かに…、琉梨っちそう言うタイプッスね」
『そんだけ弱ってる琉梨を東京まで連れて帰ってくるのも大変でしょ?
どこでこの電話してるか知らんけど、平気で掛けてるって事は琉梨も倒れた手前休んでるんだろうし
ちょっと休んだから平気とか言いそうだけど』
「流石双子」
『まぁ、一応ね
そっちで誰か、琉梨が大人しく言うこと聞きそうな相手って居ないの?
あれ、そう言えば琉梨彼氏出来たんじゃ無かったっけ?』
「…琉帆っち、嫌な予感するんスけど」
『ウチ今日今吉先輩のとこお泊まりだから家帰らんし、琉梨はそっちで何とかして!
彼氏さんにもよろしく言っといてくださいな、ママンはこのくらいのことで怒ったりしませんので!』
「…いやいやいや、本気ッスか?」
『琉梨も子供じゃ無いんだし、自分のことは自分で何とかするでしょ!その辺はウチよりずっとしっかりしてるしな!
んじゃそゆことで、ばーい!』
~回想終了~
「って感じッス
琉帆っちは家に戻らないらしいッスからこっちでどうにかしないと琉梨っち家で1人、って事になるッスね」
苦笑気味に言う黄瀬に、妙な苛立ちを感じるが押さえ込む
確かにそうなる未来は見えている
休んだから平気、とあっさり1人で家に帰ることだろう
家に着くまではまぁ、黄瀬が送っていくにしても、その後家で1人
…無茶する未来しか見えないな
でっかいため息を吐き出して、腹を括ることにしよう
*****
side.琉梨
『…お邪魔します
何か、押しかけたみたいになってしまってすいません』
「気にすんな
俺の家の方が近いのは事実だしな」
『まぁ、体は怠いので助かりますが…
なんか妹が自由奔放にやったみたいで…』
「…お前も苦労するな」
まだ少しふらつく体を支えるように壁に手を添える
苦笑で言われたユキの言葉に、こちらも同じように苦笑して返す
まぁ、過干渉な家族で無いのは有り難いのは事実なので、どっちをとるか、と言われたら現状維持となってしまうのだ
「…取り敢えず着替えるか
何か服持ってくるから、リビングにでも居ろ」
『いえっさー、ぼす』
一度来ただけの家ではあるが、何となく構造は覚えて居るため1人リビングへと向かう
ユキは荷物と共に2階へ上がっていった
辿り着いたリビングで、申し訳ないが遠慮無くソファーに沈み込むと大きく息を吐き出す
うん、正直気持ち悪い、目が回っている感覚もする
確かにこんな状況で電車は遠慮したかったから、この措置は有り難いのだけれど…
けど、うん、何て言うか、関係の変わった一番デリケートなはずのこの時期にお泊まりは…
いやまぁ、確かに前も泊まりましたが
『気持ち悪い…』
ぐるぐる、ぐるぐる
思考が巡って、目が回って
何も考えないように、と瞼を落とした
*****
ふと意識が浮上して視界に飛び込んできたのは、綺麗な女の人でした
…えーと?
「あら、起きちゃった」
「…母さん」
「ふふ、初めまして、幸男の母です」
にこにこ、と可愛らしく笑うその人を見て、徐々に意識が覚醒していく
ふわふわしてる思考は取り敢えず置いておいて、ゆっくりと体を起こす
一度大きく深呼吸してから、目の前の彼女と向き合う
『勝手に家に上がり込んだ上に惰眠を貪ってしまい申し訳ありません
初めまして、茶月琉梨です
ユキ…、先輩とはお付き合いさせていただいております』
なるべく背筋を伸ばして、なるべくはっきりとした声音で
挨拶を済ませ、ゆっくりと腰を折る
「あらあら、ご丁寧に
具合が悪いんでしょう?楽にしてちょうだいな
私は何て言うかほら、どうしてこんな堅物と付き合おうと思ったのか興味があっただけなのよ
気を遣わせてしまってごめんなさいね?」
そう言って悪戯に笑う
まぁ確かにユキの性格を考慮すれば男女の付き合いなんて、とてもとても…
って言う感じだったのだろう
母親的にはやはり気になるモノなのだろうか
「母さん!」
「そんなに怒らないでよ、幸男
母さんは孫を抱きたいの」
「知らねぇよ」
何て軽口を叩く
ユキが押され気味になるって新鮮だな
にこにこ、と可愛らしい人だが、やはり母というモノは強い
「で、どうなのかしら?」
『ふふ、それは乙女の秘め事ですよ?』
「あら、あらあら!
ふふ、そうよねぇ、秘密よねぇ」
なんて楽しそうに笑うその人に、気を悪くさせていないようで良かった、なんて内心胸を撫で下ろす
ほんの少しの関わりだけれど、あまり堅苦しく、こちらが気を遣いすぎるのは逆に気にさせてしまいそうだ
その判断は間違っていなかったようで安心だ
何て思って居ると響く着信音
目の前の彼女が眉を顰め、不満そうな顔をしたため、彼女のモノなのだろう
「母さん、携帯」
「まだ全然お話ししてないのにー」
何て言いながら、渋々と言った感じて応答する
ふわふわした様子から一変、一気にキャリアウーマンと言った感じに指示を出す姿に、親子だなぁ、なんて頭の弱い感想を抱く
『またお時間のあるときにでもお茶しましょう』
通話を終えたタイミングでそう投げかけてみると、不満げな顔から一変顔を輝かせて笑みを作る
うん、本当に可愛らしい人だ
「いいの?私本気にしちゃうわよ?」
『はい』
「…女の子って素晴らしい」
何て言いながらハグされて少し驚いたけれど、笑いながら抱き締め返す
幼馴染みの母に良くされているから、こういう事には慣れているといえば慣れているのだ
「じゃあ私は仕事に戻るけど、家は好きに使ってくれていいからね」
『いってらっしゃい、お仕事頑張って』
「やっぱり娘が欲しかった…!」
そう言って少しうなだれたけれど大きめの鞄を肩に掛けて玄関へと向かっていった
その背中に手を振って見送り、姿が見えなくなってからソファーに倒れ込んだ
『…緊張した』
「あれでか?」
『彼氏の親に会って緊張しない人なんて居ないですよ…
てか、今何時です?うち結構寝てました?』
「1時間くらいな
着替え持ってきたら既に寝てるからな」
『ごめんなさいね』
苦笑を返して体を起こし、ぐっと背を伸ばす
多少怠さは残っているものの、かなり体は楽になった気がする
ふと着替えが目に入り、そう言えば前回も男物、恐らくユキのモノだったな何て考える
この家で女性はお母さんだけ
小柄なあの人の服は、着れなくは無いけれど少し小さいだろう
「琉梨も起きたし、晩飯にすっか」
『作るよ?』
「何のために家来たんだよ、いーから休んでろ」
立ち上がろうとしたうちを押さえるように頭をぐっと押される
抵抗を止めて大人しく座ると、小さく笑って、ぐしゃり、と髪を乱してキッチンへと向かう
…意外とあっさり触れてくるようになったな、この人
乱れた髪を手ぐしで整えながら、キッチンに居る後ろ姿を見る
いつもは自分がキッチンに居るため、なんだか変な気分だ
落ち着かない
そんな気持ちを誤魔化すように再び身を倒す
眠気は無いが、体が疲労を訴えてくる
『…やっぱりちょっと、無茶しすぎだったのかなぁ』
対桐皇戦の敗北も割り切った
わんことのいざこざも、一応解決した
筈なのに
考え過ぎちゃうのがうちの悪いところ
しかも悪い方へと向かう思考が、自身に負荷を掛ける
分かっているクセに直せない
ホント、厄介だよなぁ
なんてぼんやりしていると食事が運ばれてくる
有り難く頂戴し、そのまま入浴、と言ってもシャワーで済ます
その間に皿洗いも終わっているし、気を遣われてるなぁ、何て苦笑
ユキの入浴中に琉帆から連絡があり通話をしていると、ユキが出てくる
髪を乾かしていないのに眉を顰め、お咎めを受けるがのらりくらりと躱している、諦めた様にユキがため息を吐いてドライヤーを手に取る
『怒った?』
「こんくらいじゃ怒んねぇよ」
『…ふふ、ほんとユキはうちに甘いですねぇ』
「…うっせ」
口は悪いけれど否定しないユキに、また小さく笑う
本人も自覚はあるようだ
うちも自分が甘え下手な自覚はある、だから余計この人は意識してうちのことを甘やかすのだろう
「…琉梨」
『んー?』
熱風が送られてくる
ぎこちない手つきのユキが、これ以上無いくらい優しく丁寧に、うちの髪を乾かしていく
そんな中で聞こえた、小さいけれど芯のある、真剣な声
「無理には聞かねぇ
けど、ぶっ倒れる前には、ちゃんと話せ」
『…黄瀬のこと?』
「…さぁな」
ドライヤーが作り出す騒音
お互いが黙ると、それしか聞こえない空間
分かっているクセに、聞きたいクセに
無理に聞かない、と言った手前踏み込めないのか、踏み込まないようにしているのか
ユキはほんと、とことんうちに甘い
付き合う、恋人という関係になったのだ、踏み込むことは許されている、そんな関係なのに
踏み込んできて、文句を言っても許されるはずなのに
『…分かんないんだ』
ぽつり、小さく呟く
ドライヤーの音は止んで静かな空間
後ろに立つユキは、動く気配が無い
分からないんだ、ずっと
なんであんなに真っ直ぐと、うちを想い続けることが出来るのか
性格が良いだ何て思って居ない
見た目だって、見れる容姿だろうけど皆が認める美人でも無い
そんな嫌な奴を好きだと言う、その気持ちがうちには分からない
『うちは、うちが嫌いだから
うちを好きだという人の気持ちが、全然分からない
そこらの男のように取り繕った上辺だけを見て言い寄ってくる方が、よっぽど理解出来る
誰もが思うような、可愛い女じゃ無い
素直じゃないし、割と隙が無いような人間で
捻くれた性格な自覚はあるし、口だって悪い、殊更容姿が良いわけでも無い
だから余計分からない』
多分うちは世間一般で言う、隙が無くて可愛げの無い女、と言う奴なのだろう
母にも言われたことがある、もう少し隙がある方が可愛げがあると
自覚もある
だからうちは、うちが嫌いなのだ
『嫌な女だと思うのに、嫌な女な筈なのに
りょーたもユキも、それを否定する、嫌な女で居させてくれない
何もかもが嫌い
何でも1人で抱え込もうとするクセに、結局自分1人で解決できなくてこうして誰かに頼ってる
中途半端で、強がりで、意地っ張りで
見栄っ張りで撥ね除けるから、素直に甘えることも出来ない
誰かに存在を認めて貰うために、仮面を被って“茶月琉梨”を演じてる
そんな自分が嫌で、嫌で、仕方ない』
これは本音
今まで誰かに話したことの無い、けどずっと心の奥底に眠っていた本音
うちはうちが嫌いだから、好きだと言わないでほしい
でも認められたい、必要とされたい
自分に自信が無い
自分を誇れない
自分に素直になれない
だから、自分が分からない
どうしてうちを好きだというの
嬉しいと思うクセに、裏切られるのが怖いから、離れて行かれるのが怖いからいつでも予防線を張る
結局は離れて行くんでしょう?
うちの事をよく知らないから、そんなこと言えるんだ
ある程度のことはそつなくこなせるから、便利なだけでしょう?なんて
そんなことを思いながらも、何重にも仮面を被って皆が望む、周りが作り上げた、イメージ通りの茶月琉梨を演じるのだ
私は一体誰なの?
それなのに、うちの内側に踏み込んで、うちをちゃんと知った人が好きだという
どうして?こんなにも面倒臭いのに
得になるから?
捻くれた考え方しか出来ない自分が、大嫌い
訳が分からなくなる
嫌いでいて(嫌わないで)
近付かないで(傍に居て)
矛盾だらけ、噓ばっかり
強がり、意地っ張り、見栄っ張りの嘘つき、なんて最低じゃん
そう言う人間が好かれるわけが無い
なんて分かった風に振る舞って、傷付いている自分が居る
「…っとにお前は不器用だな」
『それをユキが言うの』
「お前のがよっぽど不器用だろ」
『言い返せない』
しかも分かりやすい不器用では無い
見かけでは器用に生きているように見える、損なタイプ
自覚はある
「自分に自信が無くて、自分が信じられない
嫌いな自分を好きになる気持ちが分からないから気持ち悪い
でも嫌われたくない」
『…それだけを並べられると、ただの我儘な人間だね、それ…』
自分に自信が無いのは、頑張れていないから
自分のことを大好きな人間なんて、そう多くは居ない、と思う
中には居るけどね、そう言う人も
好き好んで嫌われたいと思う人だって居ない
どれも当たり前の感情
「不器用すぎんだよ、お前は
自分を信じられないなら、琉梨が好きな奴の言葉を信じれば良い
茶月琉梨を知っていて、お前を慕ってくる奴等の言葉を信じろ
お前の好きな奴等は、嫌いな人間とわざわざ連むような人間か?」
『…ちがう、けど』
「琉梨、お前が思っている以上に、お前は色んな奴から好かれているよ
俺達は確かに、琉梨に支えてもらっている
…何が琉梨をそうさせているのか、は知らねぇが
もう少し自分に優しくしてやれ」
相変わらず、ぎこちない動きの手
触ることになれていない、そんな動き方
でも、うちに安心感を与えてくれる、大きくて温かい手がうちの頭を撫でる
「もう少し、頑張ってる自分を褒めてやれよ」
『…褒めるとか、苦手だなぁ』
「甘えるとか頼るもな」
『よくご存じで』
環境なのか、立場なのか
昔から自分を甘やかすのが苦手だった
自分を表現するのも、意思表示するのも苦手
何としてでも自分の意見を押し通したい、と思ったことはないし、思ってもしない
それがいつしか、当たり前になっていた
当事者な筈なのに、なんだか第三者であるような感覚が付きまとっていた
「何でも出来そうだとか、完璧だとか、任せとけば安心だとか
そう言われるからそれに合わせてるみたいな言い方してっけど、それに一番捕らわれてるのは、お前の方だろ」
『…はは、そうかも』
こっちが合わせる必要は無かった
幻滅されるとか、嫌われるとか、こちらがなんとも思って居ない相手にされたって、どうとも思わない
それなのに合わせている理由は
『自分が分からないから皆の言う茶月琉梨になろうとしてるだけだね』
自分が分からない、個性が無い
だから皆の言うイメージ通りの自分を作り上げて、それをうちだとしただけのこと
「それが出来るだけの能力が功を奏したのか、仇となったのか…」
『ふふ、そうだね
なぁにやってんだろうなぁ、自分』
うちの全てが作り物、と言う訳でも無い
中にはちゃんとうちが居るはず
自己分析して気付いたところで、15年掛けて出来たこの性格が簡単に変わったりしない
人のことばっか見て、自分が分からないなんて笑い話にもならないけど、結局はこれがうちで
不器用な生き方だなぁ…、何て小さく呟いて苦笑
この仮面を完全に取り払うことは、きっともう出来ない
「琉梨」
『ん?』
呼びかけられて、首を後ろに倒す
ソファーの背もたれに首を預けて、ユキを見上げる
この姿勢、長くは続けられんな、なんてどうでもいいことを考えながら、なぁに、と先を促す
不意に伸びてきた手が、目を隠す
訪れる暗闇をそのまま甘受して、続く言葉を待つ
「それでも、琉梨は琉梨だ
こんな不器用でも、それでも俺等は惹かれたから
お前は、そのままでいい」
どこか上擦った声
けれど落ち着いた低音が鼓膜を震わせて
『…うん』
こうして自分を肯定してくれる人が居る
それだけで、息が出来るような気がした、自分を許せるような気になるうちは
存外単純なのかもしれない
ため込みすぎて足元が崩れる前に
(助けて、ってたった4文字を僕にちょうだい)
恋愛ごとのあれこれがあれど、いつも通り部活はあるもので
マネージャーである2人は、役割分担をして仕事に励んでいる
只今ゲーム中
ゲームの際の2人の役割は、決まっている
スコア付けをしながら、データを採取する琉梨
得点係や、交代の際のドリンク・タオル配り、モップがけをする唯歌
データを採取している際はかなり集中しているので、誰も琉梨に話しかけたりしない
邪魔をしたら、琉梨の機嫌急降下することを知っているからだ
まぁ、必要な要件であれば問題ないのだが
しかしだからこそ、それは起きてしまった
「琉梨」
『…あ、何です?キャプテン』
「集中するのはいいが、水分補給はしているか?
体育館の中は熱中症を起こしやすい、知ってるだろ」
『…それもそうですね』
そんな中琉梨に話しかける笠松
ノートから顔を上げて、素直にその言葉に頷く
そして立ち上がり…、そのまま立ち上がり笠松の方へと倒れ込んだ
「、琉梨」
『…すみません
ちょっと、前が真っ暗になりました』
「思いっきり症状出てんじゃねぇか」
『集中し過ぎるのも考え物ですねぇ…』
「お前が言うな」
そう言って、溜息を吐く笠松
倒れ込んだまま支えられている琉梨の体を抱き上げると、こちらの動向を窺っていた森山へと声を掛ける
「保健室連れて行ってくる
俺が戻るまで、暫く休憩させとけ」
「あ、おう…」
それだけ投げかけて、体育館を後にする
その姿を呆然と見送った森山
暫く静まり返ったが、そこで騒ぎ出すのが森山という男で
「くっそー、何なんだリア充め!
てゆーか、さらっと名前呼び…!」
「ホントそう言うとこ目敏いなー、森山は」
「落ち着いてくださいッス、森山先輩」
「悔しくないのか、黄瀬!
アイツは絶対、一生独り身だと思ってたのに…!」
「何気に酷いッスね、先輩…」
そんな森山の言葉に、呆れた表情を作る黄瀬
相変わらず小堀兄妹は穏やかに眺めていた
*****
『…ユキ、怒ってる?』
「…少しな」
保健室に向かう中
笠松の腕の中で、目を閉じたままの琉梨が問い掛ける
返ってきた言葉に、苦笑を浮かべる
『噓、少しじゃ無いクセに』
口角だけを上げる、小さな笑み
目は変わらず閉じたまま、頭を胸に預ける
「あんまくっつくな、汗が付く」
『ふふ、確かに
でも、嫌いじゃ無いよ』
「うっせ」
などと話している内に保健室へと到着する
夏休みだからか、保険医の姿は見受けられない
笠松は琉梨をベッドへ寝かすと、体温計を渡す
そのまま利用者名簿へと記入していく
ピピッ
暫くしたら、小さな電子音が響く
それを取り出した琉梨は、表示された数字を見て苦笑
『…ユキー』
「…思い切り熱中症だな、まぁ軽症で良かったが」
表示された数字は、元々高めな琉梨の平熱を上回ったもの
笠松は眉間に皺を寄せながら、琉梨の額に冷却シートを貼る
「…琉梨」
『んー…?』
冷たさに顔を顰めつつ、呼びかけに応える
いつも以上に目を細め、今にも眠りに落ちそうな様子で
「寝てんのか、最近」
『…今までと変わんないよ』
「噓言うな、じゃあ食欲は」
『夏だからねぇ…』
「答えになってねぇよ」
『はぐらかしてるからねぇ』
完全に瞼を降ろした琉梨が、小さく笑う
そんな琉梨を見下ろす笠松は、複雑な表情で
それに気付いているのか、いないのか、琉梨は困ったように笑った
「琉梨」
『なんです?』
「…1人で背負い込もうとすんなよ」
『それ、ユキが言います?』
「、琉梨」
『…なんてね』
目を閉じたまま、口角を僅かに上げて笑う
その笑みはどこか、嘲笑にも似ていて
けれどそんな笑みは一瞬で消える
『分かっている、つもり
このチームに負けたい何て願っている人は居ないから
次こそは、絶対に
そう思って、プレイしている』
「…あぁ」
『その気持ちが痛いほど伝わってくるから、頑張りたいと思う
それは、いけないこと?』
「悪いなんて言ってねぇだろ
ただ、頑張った結果倒れりゃ元も子もない」
『そう、だけど…』
「それに」
『それに?』
「最近、黄瀬と何かあったろ」
何となしに呟かれた言葉に、琉梨は瞼を押し上げる
露わになった瞳に映った笠松は、何を考えているか分からない表情をしていた
それを見て、カマを掛けた訳では無く確信を持っていると言う事に気付く
「やっぱりか…
何があったか知らねぇが、考え込みすぎてほとんど寝てねぇんだろ
それに伴う食欲不振ってとこか?」
『…はは、なんでそういうとこだけ、敏感なのかな』
「分かりやすいんだよ、特に黄瀬な
お前も、自覚してんのか知らねぇがまた痩せたろ
顔色も悪いし、薄らと隈も出来てる
誤魔化そうたって、そうはいかねぇぞ」
『…ふふ、愛されてるなぁ』
「…うっせ」
『否定はしないんだ?』
「…、もう寝ろ」
『引き留めたのユキなのに』
そう言って小さく笑いながら、瞼を下ろす
暫くしたら、その場には小さな寝息のみ響いた
*****
side.K
琉梨が眠ったのを確認し、保健室を後にする
夏、負けてから琉梨が気負いすぎていると言うことには気付いて居た
口は悪いし、素直になることは滅多に無いがそれでも、“このチームで勝つこと”に一番こだわっているのは、間違いなくコイツで
あの桐皇戦の後
泣き崩れた琉梨は一体何を決意したのだろうか
表面上は何も変わらない
相変わらず体育館には殆ど顔を出すこと無く、効率よく完璧に仕事をこなしている
だけど、気付いて居た
いつも抱えているあのファイルが、少しずつ厚くなっていることに
黄瀬との関係が僅かにギクシャクしていたこと、琉梨を見つめる黄瀬の目が何処か淋しそうなこと
少しずつではあるが確実に、琉梨の精神が削られていたこと
全部、気が付いていた
琉梨が見ているのものは、俺達のずっと先であると言うことも知っていたのに
「…くそ」
結局いつだって、アイツは少し先を行く
俺がいくら進んだって、その数歩先に必ず居て、立ち止まって、振り返って、俺に手を差し伸べる
だけどいつまで経ってもその手には届かない
「あ…、兄さん戻ってきたよ」
「おかえり笠松、どうだった?」
「軽い熱中症だ、あとは寝不足と貧血」
「やっぱり寝てないの、あの子…」
「大したこと無くて良かったな」
「あぁ」
「いいや、大問題だ!あの笠松が女子を抱き上げるなど…!」
「そこッスか…」
「だが考えても見ろ、あの笠松だぞ!?
写真すら直視できないという、あの笠松だぞ!!」
「うっせぇ、シバくぞ!」
「と言いつつももう蹴ってる!」
森山の腰に回し蹴りをいれ、体育館の床に蹲る森山を見下ろす
フン、と鼻を鳴らして、小堀の元へと行き今日の今後についての相談を始める
体調不良者をこれ以上出すわけにも行かず、メニューについて少々見直し、早めに切り上げようという話に落ち着いた
「笠松、琉梨ちゃんの親御さんに連絡入れておかなくて平気か?一応倒れた訳だし」
「兄さん、今日お母さん夜勤って言ってたから、今の時間まだ寝てるかも」
「だったら琉帆っちに一応連絡入れとくッスよ!
多分琉帆っちも部活中だとは思うッスけど、その内見るっしょ」
そう声を上げた黄瀬が携帯を取り出し早速連絡を入れる
繋がらないとしても一番手っ取り早く電話をすることに決めたようである
どうやら電話は繋がったらしく、軽い調子で黄瀬が話しているのを聞き流しながら、小堀と今後の練習も少しセーブしていく方がいいか、など相談を続けていると
「ちょ、琉帆っち!?…切れたッス」
「?どうしたの、黄瀬君」
「いやー…、ちょっと…、そうッスね、琉帆っちってそう言う人だったッス」
「どういう事?」
「結論だけ言うと、笠松先輩の家に泊まらせたら?って事だったッス」
「…は?」
黄瀬の口から飛び出た言葉に、思っていたより気の抜けた、間抜けな声が出てしまった自覚はある
けれど、そうなってしまうのも仕方ないと大目に見て欲しい
友人宅ではなく、あっさりとその結論が出た経緯を教えて欲しい
普通は止めるモノでは無いのだろうか
「…順を追って説明しろ」
「ッス」
~回想~
「あ、琉帆っち出た、今時間大丈夫ッスか?」
『おん、休憩中!黄瀬ちん、おひさー!元気?』
「琉帆っちんとこに負けてから、更に練習ハードになったッスけど、元気ッスよ」
『ふはは、みたかウチの実力!』
「琉帆っち試合してないッスよね!?じゃなくて」
『おうおう、そうだった。何か用かい?』
「いや、今日の練習中に琉梨っち倒れちゃって」
『…あちゃー、まぁ、最近なんか元気なさげだったしなー
そんで?』
「いや、一応琉帆っちには連絡しとこうかと思って
今日、お母さん夜勤なんスよね?」
『あ、そっか、今日ママン居らんのやった
んで、どうするの?』
「どうするって…、それを聞きたくて連絡したんスけど」
『んでもあ、あの強がり意地っ張り見栄っ張りの琉梨が倒れたってよっぽどだよ
大人しくウチの世話になるとも思わないし、ウチ帰っても結局は強がって平気なフリするっしょ』
「確かに…、琉梨っちそう言うタイプッスね」
『そんだけ弱ってる琉梨を東京まで連れて帰ってくるのも大変でしょ?
どこでこの電話してるか知らんけど、平気で掛けてるって事は琉梨も倒れた手前休んでるんだろうし
ちょっと休んだから平気とか言いそうだけど』
「流石双子」
『まぁ、一応ね
そっちで誰か、琉梨が大人しく言うこと聞きそうな相手って居ないの?
あれ、そう言えば琉梨彼氏出来たんじゃ無かったっけ?』
「…琉帆っち、嫌な予感するんスけど」
『ウチ今日今吉先輩のとこお泊まりだから家帰らんし、琉梨はそっちで何とかして!
彼氏さんにもよろしく言っといてくださいな、ママンはこのくらいのことで怒ったりしませんので!』
「…いやいやいや、本気ッスか?」
『琉梨も子供じゃ無いんだし、自分のことは自分で何とかするでしょ!その辺はウチよりずっとしっかりしてるしな!
んじゃそゆことで、ばーい!』
~回想終了~
「って感じッス
琉帆っちは家に戻らないらしいッスからこっちでどうにかしないと琉梨っち家で1人、って事になるッスね」
苦笑気味に言う黄瀬に、妙な苛立ちを感じるが押さえ込む
確かにそうなる未来は見えている
休んだから平気、とあっさり1人で家に帰ることだろう
家に着くまではまぁ、黄瀬が送っていくにしても、その後家で1人
…無茶する未来しか見えないな
でっかいため息を吐き出して、腹を括ることにしよう
*****
side.琉梨
『…お邪魔します
何か、押しかけたみたいになってしまってすいません』
「気にすんな
俺の家の方が近いのは事実だしな」
『まぁ、体は怠いので助かりますが…
なんか妹が自由奔放にやったみたいで…』
「…お前も苦労するな」
まだ少しふらつく体を支えるように壁に手を添える
苦笑で言われたユキの言葉に、こちらも同じように苦笑して返す
まぁ、過干渉な家族で無いのは有り難いのは事実なので、どっちをとるか、と言われたら現状維持となってしまうのだ
「…取り敢えず着替えるか
何か服持ってくるから、リビングにでも居ろ」
『いえっさー、ぼす』
一度来ただけの家ではあるが、何となく構造は覚えて居るため1人リビングへと向かう
ユキは荷物と共に2階へ上がっていった
辿り着いたリビングで、申し訳ないが遠慮無くソファーに沈み込むと大きく息を吐き出す
うん、正直気持ち悪い、目が回っている感覚もする
確かにこんな状況で電車は遠慮したかったから、この措置は有り難いのだけれど…
けど、うん、何て言うか、関係の変わった一番デリケートなはずのこの時期にお泊まりは…
いやまぁ、確かに前も泊まりましたが
『気持ち悪い…』
ぐるぐる、ぐるぐる
思考が巡って、目が回って
何も考えないように、と瞼を落とした
*****
ふと意識が浮上して視界に飛び込んできたのは、綺麗な女の人でした
…えーと?
「あら、起きちゃった」
「…母さん」
「ふふ、初めまして、幸男の母です」
にこにこ、と可愛らしく笑うその人を見て、徐々に意識が覚醒していく
ふわふわしてる思考は取り敢えず置いておいて、ゆっくりと体を起こす
一度大きく深呼吸してから、目の前の彼女と向き合う
『勝手に家に上がり込んだ上に惰眠を貪ってしまい申し訳ありません
初めまして、茶月琉梨です
ユキ…、先輩とはお付き合いさせていただいております』
なるべく背筋を伸ばして、なるべくはっきりとした声音で
挨拶を済ませ、ゆっくりと腰を折る
「あらあら、ご丁寧に
具合が悪いんでしょう?楽にしてちょうだいな
私は何て言うかほら、どうしてこんな堅物と付き合おうと思ったのか興味があっただけなのよ
気を遣わせてしまってごめんなさいね?」
そう言って悪戯に笑う
まぁ確かにユキの性格を考慮すれば男女の付き合いなんて、とてもとても…
って言う感じだったのだろう
母親的にはやはり気になるモノなのだろうか
「母さん!」
「そんなに怒らないでよ、幸男
母さんは孫を抱きたいの」
「知らねぇよ」
何て軽口を叩く
ユキが押され気味になるって新鮮だな
にこにこ、と可愛らしい人だが、やはり母というモノは強い
「で、どうなのかしら?」
『ふふ、それは乙女の秘め事ですよ?』
「あら、あらあら!
ふふ、そうよねぇ、秘密よねぇ」
なんて楽しそうに笑うその人に、気を悪くさせていないようで良かった、なんて内心胸を撫で下ろす
ほんの少しの関わりだけれど、あまり堅苦しく、こちらが気を遣いすぎるのは逆に気にさせてしまいそうだ
その判断は間違っていなかったようで安心だ
何て思って居ると響く着信音
目の前の彼女が眉を顰め、不満そうな顔をしたため、彼女のモノなのだろう
「母さん、携帯」
「まだ全然お話ししてないのにー」
何て言いながら、渋々と言った感じて応答する
ふわふわした様子から一変、一気にキャリアウーマンと言った感じに指示を出す姿に、親子だなぁ、なんて頭の弱い感想を抱く
『またお時間のあるときにでもお茶しましょう』
通話を終えたタイミングでそう投げかけてみると、不満げな顔から一変顔を輝かせて笑みを作る
うん、本当に可愛らしい人だ
「いいの?私本気にしちゃうわよ?」
『はい』
「…女の子って素晴らしい」
何て言いながらハグされて少し驚いたけれど、笑いながら抱き締め返す
幼馴染みの母に良くされているから、こういう事には慣れているといえば慣れているのだ
「じゃあ私は仕事に戻るけど、家は好きに使ってくれていいからね」
『いってらっしゃい、お仕事頑張って』
「やっぱり娘が欲しかった…!」
そう言って少しうなだれたけれど大きめの鞄を肩に掛けて玄関へと向かっていった
その背中に手を振って見送り、姿が見えなくなってからソファーに倒れ込んだ
『…緊張した』
「あれでか?」
『彼氏の親に会って緊張しない人なんて居ないですよ…
てか、今何時です?うち結構寝てました?』
「1時間くらいな
着替え持ってきたら既に寝てるからな」
『ごめんなさいね』
苦笑を返して体を起こし、ぐっと背を伸ばす
多少怠さは残っているものの、かなり体は楽になった気がする
ふと着替えが目に入り、そう言えば前回も男物、恐らくユキのモノだったな何て考える
この家で女性はお母さんだけ
小柄なあの人の服は、着れなくは無いけれど少し小さいだろう
「琉梨も起きたし、晩飯にすっか」
『作るよ?』
「何のために家来たんだよ、いーから休んでろ」
立ち上がろうとしたうちを押さえるように頭をぐっと押される
抵抗を止めて大人しく座ると、小さく笑って、ぐしゃり、と髪を乱してキッチンへと向かう
…意外とあっさり触れてくるようになったな、この人
乱れた髪を手ぐしで整えながら、キッチンに居る後ろ姿を見る
いつもは自分がキッチンに居るため、なんだか変な気分だ
落ち着かない
そんな気持ちを誤魔化すように再び身を倒す
眠気は無いが、体が疲労を訴えてくる
『…やっぱりちょっと、無茶しすぎだったのかなぁ』
対桐皇戦の敗北も割り切った
わんことのいざこざも、一応解決した
筈なのに
考え過ぎちゃうのがうちの悪いところ
しかも悪い方へと向かう思考が、自身に負荷を掛ける
分かっているクセに直せない
ホント、厄介だよなぁ
なんてぼんやりしていると食事が運ばれてくる
有り難く頂戴し、そのまま入浴、と言ってもシャワーで済ます
その間に皿洗いも終わっているし、気を遣われてるなぁ、何て苦笑
ユキの入浴中に琉帆から連絡があり通話をしていると、ユキが出てくる
髪を乾かしていないのに眉を顰め、お咎めを受けるがのらりくらりと躱している、諦めた様にユキがため息を吐いてドライヤーを手に取る
『怒った?』
「こんくらいじゃ怒んねぇよ」
『…ふふ、ほんとユキはうちに甘いですねぇ』
「…うっせ」
口は悪いけれど否定しないユキに、また小さく笑う
本人も自覚はあるようだ
うちも自分が甘え下手な自覚はある、だから余計この人は意識してうちのことを甘やかすのだろう
「…琉梨」
『んー?』
熱風が送られてくる
ぎこちない手つきのユキが、これ以上無いくらい優しく丁寧に、うちの髪を乾かしていく
そんな中で聞こえた、小さいけれど芯のある、真剣な声
「無理には聞かねぇ
けど、ぶっ倒れる前には、ちゃんと話せ」
『…黄瀬のこと?』
「…さぁな」
ドライヤーが作り出す騒音
お互いが黙ると、それしか聞こえない空間
分かっているクセに、聞きたいクセに
無理に聞かない、と言った手前踏み込めないのか、踏み込まないようにしているのか
ユキはほんと、とことんうちに甘い
付き合う、恋人という関係になったのだ、踏み込むことは許されている、そんな関係なのに
踏み込んできて、文句を言っても許されるはずなのに
『…分かんないんだ』
ぽつり、小さく呟く
ドライヤーの音は止んで静かな空間
後ろに立つユキは、動く気配が無い
分からないんだ、ずっと
なんであんなに真っ直ぐと、うちを想い続けることが出来るのか
性格が良いだ何て思って居ない
見た目だって、見れる容姿だろうけど皆が認める美人でも無い
そんな嫌な奴を好きだと言う、その気持ちがうちには分からない
『うちは、うちが嫌いだから
うちを好きだという人の気持ちが、全然分からない
そこらの男のように取り繕った上辺だけを見て言い寄ってくる方が、よっぽど理解出来る
誰もが思うような、可愛い女じゃ無い
素直じゃないし、割と隙が無いような人間で
捻くれた性格な自覚はあるし、口だって悪い、殊更容姿が良いわけでも無い
だから余計分からない』
多分うちは世間一般で言う、隙が無くて可愛げの無い女、と言う奴なのだろう
母にも言われたことがある、もう少し隙がある方が可愛げがあると
自覚もある
だからうちは、うちが嫌いなのだ
『嫌な女だと思うのに、嫌な女な筈なのに
りょーたもユキも、それを否定する、嫌な女で居させてくれない
何もかもが嫌い
何でも1人で抱え込もうとするクセに、結局自分1人で解決できなくてこうして誰かに頼ってる
中途半端で、強がりで、意地っ張りで
見栄っ張りで撥ね除けるから、素直に甘えることも出来ない
誰かに存在を認めて貰うために、仮面を被って“茶月琉梨”を演じてる
そんな自分が嫌で、嫌で、仕方ない』
これは本音
今まで誰かに話したことの無い、けどずっと心の奥底に眠っていた本音
うちはうちが嫌いだから、好きだと言わないでほしい
でも認められたい、必要とされたい
自分に自信が無い
自分を誇れない
自分に素直になれない
だから、自分が分からない
どうしてうちを好きだというの
嬉しいと思うクセに、裏切られるのが怖いから、離れて行かれるのが怖いからいつでも予防線を張る
結局は離れて行くんでしょう?
うちの事をよく知らないから、そんなこと言えるんだ
ある程度のことはそつなくこなせるから、便利なだけでしょう?なんて
そんなことを思いながらも、何重にも仮面を被って皆が望む、周りが作り上げた、イメージ通りの茶月琉梨を演じるのだ
私は一体誰なの?
それなのに、うちの内側に踏み込んで、うちをちゃんと知った人が好きだという
どうして?こんなにも面倒臭いのに
得になるから?
捻くれた考え方しか出来ない自分が、大嫌い
訳が分からなくなる
嫌いでいて(嫌わないで)
近付かないで(傍に居て)
矛盾だらけ、噓ばっかり
強がり、意地っ張り、見栄っ張りの嘘つき、なんて最低じゃん
そう言う人間が好かれるわけが無い
なんて分かった風に振る舞って、傷付いている自分が居る
「…っとにお前は不器用だな」
『それをユキが言うの』
「お前のがよっぽど不器用だろ」
『言い返せない』
しかも分かりやすい不器用では無い
見かけでは器用に生きているように見える、損なタイプ
自覚はある
「自分に自信が無くて、自分が信じられない
嫌いな自分を好きになる気持ちが分からないから気持ち悪い
でも嫌われたくない」
『…それだけを並べられると、ただの我儘な人間だね、それ…』
自分に自信が無いのは、頑張れていないから
自分のことを大好きな人間なんて、そう多くは居ない、と思う
中には居るけどね、そう言う人も
好き好んで嫌われたいと思う人だって居ない
どれも当たり前の感情
「不器用すぎんだよ、お前は
自分を信じられないなら、琉梨が好きな奴の言葉を信じれば良い
茶月琉梨を知っていて、お前を慕ってくる奴等の言葉を信じろ
お前の好きな奴等は、嫌いな人間とわざわざ連むような人間か?」
『…ちがう、けど』
「琉梨、お前が思っている以上に、お前は色んな奴から好かれているよ
俺達は確かに、琉梨に支えてもらっている
…何が琉梨をそうさせているのか、は知らねぇが
もう少し自分に優しくしてやれ」
相変わらず、ぎこちない動きの手
触ることになれていない、そんな動き方
でも、うちに安心感を与えてくれる、大きくて温かい手がうちの頭を撫でる
「もう少し、頑張ってる自分を褒めてやれよ」
『…褒めるとか、苦手だなぁ』
「甘えるとか頼るもな」
『よくご存じで』
環境なのか、立場なのか
昔から自分を甘やかすのが苦手だった
自分を表現するのも、意思表示するのも苦手
何としてでも自分の意見を押し通したい、と思ったことはないし、思ってもしない
それがいつしか、当たり前になっていた
当事者な筈なのに、なんだか第三者であるような感覚が付きまとっていた
「何でも出来そうだとか、完璧だとか、任せとけば安心だとか
そう言われるからそれに合わせてるみたいな言い方してっけど、それに一番捕らわれてるのは、お前の方だろ」
『…はは、そうかも』
こっちが合わせる必要は無かった
幻滅されるとか、嫌われるとか、こちらがなんとも思って居ない相手にされたって、どうとも思わない
それなのに合わせている理由は
『自分が分からないから皆の言う茶月琉梨になろうとしてるだけだね』
自分が分からない、個性が無い
だから皆の言うイメージ通りの自分を作り上げて、それをうちだとしただけのこと
「それが出来るだけの能力が功を奏したのか、仇となったのか…」
『ふふ、そうだね
なぁにやってんだろうなぁ、自分』
うちの全てが作り物、と言う訳でも無い
中にはちゃんとうちが居るはず
自己分析して気付いたところで、15年掛けて出来たこの性格が簡単に変わったりしない
人のことばっか見て、自分が分からないなんて笑い話にもならないけど、結局はこれがうちで
不器用な生き方だなぁ…、何て小さく呟いて苦笑
この仮面を完全に取り払うことは、きっともう出来ない
「琉梨」
『ん?』
呼びかけられて、首を後ろに倒す
ソファーの背もたれに首を預けて、ユキを見上げる
この姿勢、長くは続けられんな、なんてどうでもいいことを考えながら、なぁに、と先を促す
不意に伸びてきた手が、目を隠す
訪れる暗闇をそのまま甘受して、続く言葉を待つ
「それでも、琉梨は琉梨だ
こんな不器用でも、それでも俺等は惹かれたから
お前は、そのままでいい」
どこか上擦った声
けれど落ち着いた低音が鼓膜を震わせて
『…うん』
こうして自分を肯定してくれる人が居る
それだけで、息が出来るような気がした、自分を許せるような気になるうちは
存外単純なのかもしれない
ため込みすぎて足元が崩れる前に
(助けて、ってたった4文字を僕にちょうだい)