君が生きた世界を守ろう
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「…よぉ」
目の前にはバツが悪そうに少し視線を逸らした松
あの風邪を引いた、本来ならば出掛ける日であったあの日から今日は初めて直接顔を合わせる日であって
いつもの自信に満ちあふれて不遜な態度を取っている男とは思えないその様子に、思わず噴き出してしまった私は悪くないと思う
『体調は復活した?』
「…お陰様で」
『ならよかった』
どこか笑みの含んだ私の声に不服そうな顔をしながらも、言い返すだけの言葉を持ち合わせて居ない松は口を尖らす
そんな子供っぽい様子が更に笑いを誘っていると言うことは気付いて居るのだろうか
散々萩にもからかわれたであろう彼にとって、確かに現状は面白くないのだろうと言うことは分かるのだけれど
今日はもう定例会と言っていいほどにルーティン化された食事会の日だった
こうしてからかわれることが分かっていても、いつも通りに誘ってきたコイツに、本気が伝わる
けれど、何も知らない振りをして、誘いに乗って、連れ出される
「…感染ってねぇか」
『そんな長時間居なかったし、問題ないよ』
「なら、いい」
不満顔のまま運ばれてきた料理を口いっぱいに頬張る
そんな様子に肩を竦め、私も料理を口にした
あまりからかいすぎても後が面倒だから、これくらいにしておこうか、と近況報告に話題を切り替える
そうすると、漸く今日、初めて目が合った
その分かりやすい態度にまた口元が緩みそうになったが、そこは引き締めてお互いの話
そうして会話を重ね、互いの料理がなくなる頃には、松の不服そうな顔はなりを潜めていつも通りに戻っていた
なんでこのままではいけないのだろう
思わずそんな言葉が頭を過ぎって、目を伏せる
私が変わらなければ、この関係は変わらない
…ほんとうに?
「九条?」
『何でも無い、ちょっと眠くなってきただけ』
「あー、もうこんな時間か
仕事終わりだしな、忙しかったんだろ?」
『まぁ、いつも通りくらい』
「いつも通りはそこそこ忙しいんだよ」
帰るか、なんて荷物を纏め出す彼に一つ頷いて立ち上がる
この間からいけないな、感情が揺れ動いている感じがして、少しだけしんどい
こんな事、前を含めても私には関係のない出来事だったから
自分の感情は殺してしまっていたし、揺れ動かすモノなんて何も無かったから
小さく溜息を吐き出すと、松の視線が自身に向いたことが分かる
目線を上にやると、予想通り目が合って何でもない、と小さく首を振る
別に、松は悪くない
逃げ続けてきたのは、避け続けてきたのは私なのだし、結局自身の中で折り合いを付けるしかないのだ
「九条」
『ん?』
「…結構本気で困ってる?」
『ふは、今更だなぁ』
車に乗り込んで、目を逸らしたまま聞いてくる松に、つい笑ってしまう
困ってるのは最初から、そんなの気付いていたクセに
ホントなんで今更そんな質問してくるのかねぇ
今分かりやすく、私が疲れているからかな
『困ってるなら止めてくれるの?』
「…嫌なら考える」
『それでも考えるレベルなのかぁ』
嫌、とは少し違うような気がする
多分こんな奇妙な関係になってから、嫌だと思ったことは、困った事になかったように感じる
だからズルズルとこんな関係が続いているわけで
それだけ、松の本気を感じているからで
『松』
「…おう」
『まだ時間大丈夫?』
「?俺は平気だが」
『じゃあ、海連れてってよ、海』
「海?」
『そう、海』
怪訝そうな顔をして、漸くこちらを見た松に小さく頷いて返す
私がそれ以上何も言わないからか、前を向いた松はエンジンを掛けて静かに車を走らせる
道中、言葉はなかった
早足に過ぎていく景色をぼんやり見ている私に時折視線を投げかけてきていたのは気付いていたけど
それには知らない振りをして、背もたれに身を預けてゆっくりと目を閉じる
自分でも持て余しているこの感情を、見ないようにするために
「着いたぞ」
静かな声が響いて、目を開ける
既に停まった車に気付いて、シートベルトを外す
ドアを開けると、すぐに感じる潮の香りに一度大きく伸びをする
そのまま足を進めると、後ろをゆったりとした歩調で着いてくる
もう既に海開きはしているような時期ではあるけれど、海水浴場ではない海なのか人の気配は今のところない
今では花火、BBQを禁止されている海は多いし、海水浴場でない海辺まではやってこないか
砂浜に足を下ろすと、すぐにサンダルの間に砂が入ってくる
それが煩わしくてサンダルを脱いで、裸足で砂の感触を楽しむ
そう言えば海に来たのは随分久しぶりなような気がする
前は海が近かったのもあって良く行っていたけれど
今となっては秀一さんに会ったあの日、以来だろうか
いや、萩と会ったあの日にも行ったから半年前くらいか
『ねぇ、松』
「あ?」
『松に私のこと、どれだけ話したんだっけ』
「…いきなりだな」
『そうだね』
どこまで話したっけ
両親が死んだことは話した、引き取られた事を伝えるついでに
殺されていたことは、どうだっけ?愛されていなかったことは?
本当は覚えてる、私について話したのはこの人だけだから
でも全部は話していない
『忘れちゃったから、最初から全部話すね』
物心ついた頃から、両親は不仲で、私自身も居ない者同然だったこと
愛されなかったこと、名前すら呼ばれた記憶がないこと
6つの頃惨殺された2人の遺体を発見したこと
親戚と碌に顔を合わせていなかったから色んな所を盥回しにされたこと
感情は十分に育たなかったこと
愛想笑いを浮かべていい子にしていればそれなりに扱ってもらえていたこと
最終的にある遠縁の家族が引き取ってくれたこと
そこには、5つ年上の息子さんが居たこと
『ここからが、どんな昼ドラだよ、って感じなんだけどね』
引き取られてから暫くはそれなりに関係は良好だったと思う
私はそれなりに何でも自分で出来たし、迷惑掛けるようなことも、多分していなかった
ただ、その息子さんの私を見る目が少しずつ変わったことに気付いていて知らないフリをしていただけ
『ひどく雨が降る日だった
外で雷も凄くて、小さな声は掻き消してしまうような夜だった』
「…もういい」
『両親は家を空けていて、二人きりだった』
「もういいから」
『…途中で帰ってきたから、未遂で終わりはしたんだよ、一応』
一応ね
でも、一度そんなことが起きてしまえばさ、もうそこには居られないじゃん
私という存在が、その家族を壊しちゃったんだよ
唯一救いだったのは、そこの両親は人がよくて私を一人暮らしさせてくれたことかな
泣きながら、何て表現しいいか分からない顔して、何度も謝って
そこから、両親と会うことはあっても、息子とは一切会っていない
それだけは徹底してくれたから
『恋愛感情を向けられるのは、私にとって少しだけトラウマに近いのかもしれない』
この容姿をしていて、それなりにいい子に振る舞っていれば告白されることはあった
それはきっとこの男も知っている
けれど私はずっとそれを避けてきた
特別を作らないのは、失うのが怖いだけが理由ではない
一度壊してしまったから
仲の良い家族だったのに、私のせいで
改めて口にすると、結構散々な人生だな
一応今もこの経歴は適応されているらしいけど、まだマシな方
前は赤井家のような存在は居なかったし、松達のような友人も、希空達の様な同僚も居なかった
そう考えたら、今は随分と楽しくて、平和で、前と比べると幸せなのかもしれない
幸せな人生、とは口が裂けても言えないけれど
『凄い顔』
眉間に皺を寄せて険しい顔をしている松を下から覗き込む
何度も見た険しい顔だけれど、今は過去一かもしれないな、何てどこか他人事のように思う
なんとも言えない顔をしているのが可笑しくて笑っていると、何で笑えるんだ、とでも言うかの様な視線が飛んでくる
だって私にとってはもう過去のことで、終わったことで、自分の中では消化出来ている事柄なのだ
その頃のことを全く思い出さない、と言う訳では無いが、そこからもうそれなりに時は流れた
大人になってからの感情の育成は随分難しくて、未だに振り回されているけれど
『感情は殺さないと生きていけなかった
周りの人間の表情を模倣して、それなりに振る舞うことしか出来なかった
私には、それが精一杯だった』
何も感じない方が楽だった
感じないようにしないと、生きていけなかった
私は可哀想だと、思いたくなかったから
相変わらず険しい顔のまま目が合わない彼に少し嘆息して
くるり、と背を向けて波打ち際まで歩いて行く
夏場であっても夜は冷たい海水に踝まで浸かって
少しだけ足で水を跳ね上げる
スカートの裾を濡れないように少しだけ捲って
『これで松が諦めてくれるなら、よかったのに』
後ろから腕を掴まれて、砂浜まで戻される
何か既視感あるな、なんて他人事のように思って松を見上げると、漸く目が合って
『諦めるわけないって顔してる』
「当たり前だろ」
『当たり前なんだ』
少し痛いくらいに腕を掴まれて、軽くその腕を叩く
そうすると少しだけ緩んだ力、だけど離されることは無くて
それを見て苦笑して松と向き直る
諦めてくれたらいい、というのは少しばかり本心だったのだけれど
『引いた?』
「引いてねぇ」
『面倒でしょ』
「九条は割と最初から面倒だった」
『確かに』
くすくす、と笑うと再び眉間に皺が寄る
顔はいいクセに、そんな険しい顔しないでよ
別に怖いとかは思わないけどさ、もっと愛想よくした方が世の中上手く渡れるモノよ
それは私が生き証人だから
『恋愛は、一番意図的に避けてきた』
「…おう」
『別に私は自分の居場所がないことは気にしない
ずっとなかったから今更だと思ってたから』
「…あぁ」
『でも、元々あったモノを壊すのは、怖い』
「壊れるとは限らねぇだろ」
『そうだね、でも私は一度壊してる』
「お前のせいじゃない」
『私が居なかったら、こんな事起こらなかった』
「それでも」
『大体、私の存在は望まれていなかったのに』
「俺は、お前を欲してるのに?」
『結果論だよ』
だってこの人は、私が居なくても素敵な恋人が出来る事を私は知っているから
私は、居なくてもいい存在だと言うことを、私は知っているから
大体松が私に惹かれていること自体、何かのバグのようなモノだと思っているくらいなのに
『私が居なければ、出会わなければ、松は別の人と恋をしたかもしれない
私は別に居なくてもいい存在だったの、最初から』
それは私の過去が証明している
私が全ての不幸を背負ってるなんてそんな自惚れたことは言わない
けれど、私という存在が祝福されていなかったことは、そんなの考えなくたって分かるじゃ無いか
「九条」
『ん?』
「たらればは要らない、今を見ろ」
真っ直ぐ突き刺さる目が、痛い
逃げるなと、強い瞳で訴えかけてくる
分かってるよ、私はもうこれ以上傷付かないように色んな事から逃げてることくらい
でもさ、現実はいつだって私に優しくなかった
この世界は、私にとってはフィクションなんだよ、現実なんかじゃないの
そんなこと、絶対言えないけれど
『見てるよ、だからちゃんと話してるんでしょ』
言わなくても良かったこと
隠していてもよかったこと
向き合おうと思ったから、ちゃんと話したんだって何で分からないかな
松の本気を、感じてしまっているから
『…何で友達じゃ駄目なの』
小さく零れたそれは、紛れもなく私の本心だった
友達でよかった
生きてくれて、信じてくれて、誰かと幸せになってくれたら、私はそれでよかったのに
それ以上は何も望んでなかった
いい人なのは知っていたし、深く関わろうとしなかった私にも声を掛けてくれた
だから生きていて欲しいと思った、それだけだったのに
「ごめんな」
『それは何に対する謝罪なの?』
「ちゃんと笑って欲しいし、泣いて欲しい
そう思ってしまったから」
掴まれていた腕を引かれて、距離が縮まる
先程よりも首の角度を付けて少しだけ緩んだ、けれどどこか悲しげな顔を見つめる
あぁ、この表情どこかで見た気がする
あの日も、こんな顔をしていたような気がする
「俺の前では無理して笑って欲しくないし、ちゃんと泣けるようになって欲しい」
『…なにそれ』
「泣いたこと、ないだろお前」
見てきたように断言する松に、つい笑みが消える
そうだね、そうだよ
笑って全部誤魔化してきたから、泣いた事なんてないよ
泣けなかったよ、顔が強張るばかりで笑う以外の感情表現は出来なかったから
「辛いことを話しているときは、笑うんじゃねぇよ」
あぁ、あの日と同じ事を言うんだね
きっと、覚えてなんかないんだろうけど
笑うことしかしてきてこなかったから、笑うなって言われたことは無かった
笑顔は鎧で、仮面で、私にとっては当たり前のモノだったから
なくてはならないモノだったから
そう言えば松は最初から、私に笑うなって言ってた気がするな
…笑いたくて笑ってるわけではなかったのだけれど
『泣き方なんて、知らないよ』
「教えてやるよ」
『どうやって』
「一緒に居りゃ分かってくる」
『何それ』
むちゃくちゃ言ってるなぁ、何て笑ってしまう
今のは作り笑顔なんかじゃないから許して欲しい、なんて誰にするでも無い弁明
『何か考えるの疲れてきた』
「お前も萩原と一緒で難しく考えるからな」
『松が楽天的なだけじゃないの』
「それくらいの方が気が抜けるだろ」
伸びてきた手が後頭部に回る
そのまま更に引き寄せられて、額が硬い胸板に埋まって
松がよく吸っている、でも私の前では決して吸わない煙草の匂いが、鼻を掠めて
少しだけ肩の力が抜けた気がした
人の愛し方なんて習ってないもの
(私の世界に、愛なんてモノは存在しなかったから)
目の前にはバツが悪そうに少し視線を逸らした松
あの風邪を引いた、本来ならば出掛ける日であったあの日から今日は初めて直接顔を合わせる日であって
いつもの自信に満ちあふれて不遜な態度を取っている男とは思えないその様子に、思わず噴き出してしまった私は悪くないと思う
『体調は復活した?』
「…お陰様で」
『ならよかった』
どこか笑みの含んだ私の声に不服そうな顔をしながらも、言い返すだけの言葉を持ち合わせて居ない松は口を尖らす
そんな子供っぽい様子が更に笑いを誘っていると言うことは気付いて居るのだろうか
散々萩にもからかわれたであろう彼にとって、確かに現状は面白くないのだろうと言うことは分かるのだけれど
今日はもう定例会と言っていいほどにルーティン化された食事会の日だった
こうしてからかわれることが分かっていても、いつも通りに誘ってきたコイツに、本気が伝わる
けれど、何も知らない振りをして、誘いに乗って、連れ出される
「…感染ってねぇか」
『そんな長時間居なかったし、問題ないよ』
「なら、いい」
不満顔のまま運ばれてきた料理を口いっぱいに頬張る
そんな様子に肩を竦め、私も料理を口にした
あまりからかいすぎても後が面倒だから、これくらいにしておこうか、と近況報告に話題を切り替える
そうすると、漸く今日、初めて目が合った
その分かりやすい態度にまた口元が緩みそうになったが、そこは引き締めてお互いの話
そうして会話を重ね、互いの料理がなくなる頃には、松の不服そうな顔はなりを潜めていつも通りに戻っていた
なんでこのままではいけないのだろう
思わずそんな言葉が頭を過ぎって、目を伏せる
私が変わらなければ、この関係は変わらない
…ほんとうに?
「九条?」
『何でも無い、ちょっと眠くなってきただけ』
「あー、もうこんな時間か
仕事終わりだしな、忙しかったんだろ?」
『まぁ、いつも通りくらい』
「いつも通りはそこそこ忙しいんだよ」
帰るか、なんて荷物を纏め出す彼に一つ頷いて立ち上がる
この間からいけないな、感情が揺れ動いている感じがして、少しだけしんどい
こんな事、前を含めても私には関係のない出来事だったから
自分の感情は殺してしまっていたし、揺れ動かすモノなんて何も無かったから
小さく溜息を吐き出すと、松の視線が自身に向いたことが分かる
目線を上にやると、予想通り目が合って何でもない、と小さく首を振る
別に、松は悪くない
逃げ続けてきたのは、避け続けてきたのは私なのだし、結局自身の中で折り合いを付けるしかないのだ
「九条」
『ん?』
「…結構本気で困ってる?」
『ふは、今更だなぁ』
車に乗り込んで、目を逸らしたまま聞いてくる松に、つい笑ってしまう
困ってるのは最初から、そんなの気付いていたクセに
ホントなんで今更そんな質問してくるのかねぇ
今分かりやすく、私が疲れているからかな
『困ってるなら止めてくれるの?』
「…嫌なら考える」
『それでも考えるレベルなのかぁ』
嫌、とは少し違うような気がする
多分こんな奇妙な関係になってから、嫌だと思ったことは、困った事になかったように感じる
だからズルズルとこんな関係が続いているわけで
それだけ、松の本気を感じているからで
『松』
「…おう」
『まだ時間大丈夫?』
「?俺は平気だが」
『じゃあ、海連れてってよ、海』
「海?」
『そう、海』
怪訝そうな顔をして、漸くこちらを見た松に小さく頷いて返す
私がそれ以上何も言わないからか、前を向いた松はエンジンを掛けて静かに車を走らせる
道中、言葉はなかった
早足に過ぎていく景色をぼんやり見ている私に時折視線を投げかけてきていたのは気付いていたけど
それには知らない振りをして、背もたれに身を預けてゆっくりと目を閉じる
自分でも持て余しているこの感情を、見ないようにするために
「着いたぞ」
静かな声が響いて、目を開ける
既に停まった車に気付いて、シートベルトを外す
ドアを開けると、すぐに感じる潮の香りに一度大きく伸びをする
そのまま足を進めると、後ろをゆったりとした歩調で着いてくる
もう既に海開きはしているような時期ではあるけれど、海水浴場ではない海なのか人の気配は今のところない
今では花火、BBQを禁止されている海は多いし、海水浴場でない海辺まではやってこないか
砂浜に足を下ろすと、すぐにサンダルの間に砂が入ってくる
それが煩わしくてサンダルを脱いで、裸足で砂の感触を楽しむ
そう言えば海に来たのは随分久しぶりなような気がする
前は海が近かったのもあって良く行っていたけれど
今となっては秀一さんに会ったあの日、以来だろうか
いや、萩と会ったあの日にも行ったから半年前くらいか
『ねぇ、松』
「あ?」
『松に私のこと、どれだけ話したんだっけ』
「…いきなりだな」
『そうだね』
どこまで話したっけ
両親が死んだことは話した、引き取られた事を伝えるついでに
殺されていたことは、どうだっけ?愛されていなかったことは?
本当は覚えてる、私について話したのはこの人だけだから
でも全部は話していない
『忘れちゃったから、最初から全部話すね』
物心ついた頃から、両親は不仲で、私自身も居ない者同然だったこと
愛されなかったこと、名前すら呼ばれた記憶がないこと
6つの頃惨殺された2人の遺体を発見したこと
親戚と碌に顔を合わせていなかったから色んな所を盥回しにされたこと
感情は十分に育たなかったこと
愛想笑いを浮かべていい子にしていればそれなりに扱ってもらえていたこと
最終的にある遠縁の家族が引き取ってくれたこと
そこには、5つ年上の息子さんが居たこと
『ここからが、どんな昼ドラだよ、って感じなんだけどね』
引き取られてから暫くはそれなりに関係は良好だったと思う
私はそれなりに何でも自分で出来たし、迷惑掛けるようなことも、多分していなかった
ただ、その息子さんの私を見る目が少しずつ変わったことに気付いていて知らないフリをしていただけ
『ひどく雨が降る日だった
外で雷も凄くて、小さな声は掻き消してしまうような夜だった』
「…もういい」
『両親は家を空けていて、二人きりだった』
「もういいから」
『…途中で帰ってきたから、未遂で終わりはしたんだよ、一応』
一応ね
でも、一度そんなことが起きてしまえばさ、もうそこには居られないじゃん
私という存在が、その家族を壊しちゃったんだよ
唯一救いだったのは、そこの両親は人がよくて私を一人暮らしさせてくれたことかな
泣きながら、何て表現しいいか分からない顔して、何度も謝って
そこから、両親と会うことはあっても、息子とは一切会っていない
それだけは徹底してくれたから
『恋愛感情を向けられるのは、私にとって少しだけトラウマに近いのかもしれない』
この容姿をしていて、それなりにいい子に振る舞っていれば告白されることはあった
それはきっとこの男も知っている
けれど私はずっとそれを避けてきた
特別を作らないのは、失うのが怖いだけが理由ではない
一度壊してしまったから
仲の良い家族だったのに、私のせいで
改めて口にすると、結構散々な人生だな
一応今もこの経歴は適応されているらしいけど、まだマシな方
前は赤井家のような存在は居なかったし、松達のような友人も、希空達の様な同僚も居なかった
そう考えたら、今は随分と楽しくて、平和で、前と比べると幸せなのかもしれない
幸せな人生、とは口が裂けても言えないけれど
『凄い顔』
眉間に皺を寄せて険しい顔をしている松を下から覗き込む
何度も見た険しい顔だけれど、今は過去一かもしれないな、何てどこか他人事のように思う
なんとも言えない顔をしているのが可笑しくて笑っていると、何で笑えるんだ、とでも言うかの様な視線が飛んでくる
だって私にとってはもう過去のことで、終わったことで、自分の中では消化出来ている事柄なのだ
その頃のことを全く思い出さない、と言う訳では無いが、そこからもうそれなりに時は流れた
大人になってからの感情の育成は随分難しくて、未だに振り回されているけれど
『感情は殺さないと生きていけなかった
周りの人間の表情を模倣して、それなりに振る舞うことしか出来なかった
私には、それが精一杯だった』
何も感じない方が楽だった
感じないようにしないと、生きていけなかった
私は可哀想だと、思いたくなかったから
相変わらず険しい顔のまま目が合わない彼に少し嘆息して
くるり、と背を向けて波打ち際まで歩いて行く
夏場であっても夜は冷たい海水に踝まで浸かって
少しだけ足で水を跳ね上げる
スカートの裾を濡れないように少しだけ捲って
『これで松が諦めてくれるなら、よかったのに』
後ろから腕を掴まれて、砂浜まで戻される
何か既視感あるな、なんて他人事のように思って松を見上げると、漸く目が合って
『諦めるわけないって顔してる』
「当たり前だろ」
『当たり前なんだ』
少し痛いくらいに腕を掴まれて、軽くその腕を叩く
そうすると少しだけ緩んだ力、だけど離されることは無くて
それを見て苦笑して松と向き直る
諦めてくれたらいい、というのは少しばかり本心だったのだけれど
『引いた?』
「引いてねぇ」
『面倒でしょ』
「九条は割と最初から面倒だった」
『確かに』
くすくす、と笑うと再び眉間に皺が寄る
顔はいいクセに、そんな険しい顔しないでよ
別に怖いとかは思わないけどさ、もっと愛想よくした方が世の中上手く渡れるモノよ
それは私が生き証人だから
『恋愛は、一番意図的に避けてきた』
「…おう」
『別に私は自分の居場所がないことは気にしない
ずっとなかったから今更だと思ってたから』
「…あぁ」
『でも、元々あったモノを壊すのは、怖い』
「壊れるとは限らねぇだろ」
『そうだね、でも私は一度壊してる』
「お前のせいじゃない」
『私が居なかったら、こんな事起こらなかった』
「それでも」
『大体、私の存在は望まれていなかったのに』
「俺は、お前を欲してるのに?」
『結果論だよ』
だってこの人は、私が居なくても素敵な恋人が出来る事を私は知っているから
私は、居なくてもいい存在だと言うことを、私は知っているから
大体松が私に惹かれていること自体、何かのバグのようなモノだと思っているくらいなのに
『私が居なければ、出会わなければ、松は別の人と恋をしたかもしれない
私は別に居なくてもいい存在だったの、最初から』
それは私の過去が証明している
私が全ての不幸を背負ってるなんてそんな自惚れたことは言わない
けれど、私という存在が祝福されていなかったことは、そんなの考えなくたって分かるじゃ無いか
「九条」
『ん?』
「たらればは要らない、今を見ろ」
真っ直ぐ突き刺さる目が、痛い
逃げるなと、強い瞳で訴えかけてくる
分かってるよ、私はもうこれ以上傷付かないように色んな事から逃げてることくらい
でもさ、現実はいつだって私に優しくなかった
この世界は、私にとってはフィクションなんだよ、現実なんかじゃないの
そんなこと、絶対言えないけれど
『見てるよ、だからちゃんと話してるんでしょ』
言わなくても良かったこと
隠していてもよかったこと
向き合おうと思ったから、ちゃんと話したんだって何で分からないかな
松の本気を、感じてしまっているから
『…何で友達じゃ駄目なの』
小さく零れたそれは、紛れもなく私の本心だった
友達でよかった
生きてくれて、信じてくれて、誰かと幸せになってくれたら、私はそれでよかったのに
それ以上は何も望んでなかった
いい人なのは知っていたし、深く関わろうとしなかった私にも声を掛けてくれた
だから生きていて欲しいと思った、それだけだったのに
「ごめんな」
『それは何に対する謝罪なの?』
「ちゃんと笑って欲しいし、泣いて欲しい
そう思ってしまったから」
掴まれていた腕を引かれて、距離が縮まる
先程よりも首の角度を付けて少しだけ緩んだ、けれどどこか悲しげな顔を見つめる
あぁ、この表情どこかで見た気がする
あの日も、こんな顔をしていたような気がする
「俺の前では無理して笑って欲しくないし、ちゃんと泣けるようになって欲しい」
『…なにそれ』
「泣いたこと、ないだろお前」
見てきたように断言する松に、つい笑みが消える
そうだね、そうだよ
笑って全部誤魔化してきたから、泣いた事なんてないよ
泣けなかったよ、顔が強張るばかりで笑う以外の感情表現は出来なかったから
「辛いことを話しているときは、笑うんじゃねぇよ」
あぁ、あの日と同じ事を言うんだね
きっと、覚えてなんかないんだろうけど
笑うことしかしてきてこなかったから、笑うなって言われたことは無かった
笑顔は鎧で、仮面で、私にとっては当たり前のモノだったから
なくてはならないモノだったから
そう言えば松は最初から、私に笑うなって言ってた気がするな
…笑いたくて笑ってるわけではなかったのだけれど
『泣き方なんて、知らないよ』
「教えてやるよ」
『どうやって』
「一緒に居りゃ分かってくる」
『何それ』
むちゃくちゃ言ってるなぁ、何て笑ってしまう
今のは作り笑顔なんかじゃないから許して欲しい、なんて誰にするでも無い弁明
『何か考えるの疲れてきた』
「お前も萩原と一緒で難しく考えるからな」
『松が楽天的なだけじゃないの』
「それくらいの方が気が抜けるだろ」
伸びてきた手が後頭部に回る
そのまま更に引き寄せられて、額が硬い胸板に埋まって
松がよく吸っている、でも私の前では決して吸わない煙草の匂いが、鼻を掠めて
少しだけ肩の力が抜けた気がした
人の愛し方なんて習ってないもの
(私の世界に、愛なんてモノは存在しなかったから)