君が生きた世界を守ろう
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松から連絡が来たのはその日の晩の事だった
随分と嗄れた声で、なるほど喉がやられるタイプなのか、なんてそんなどうでもいいことが頭を過ぎる
あまり遅くは無い時間ではあるが、結構よく眠っていたのだな、何て思いながら鳴り止まない携帯を手に取った
『具合はどう?風邪っぴきさん』
《…悪い》
『すっごい声、水分ちゃんと摂りなね』
《…あぁ》
『熱は?結構あったみたいだけど
薬置いておいたけど、飲んだ?飲んだなら大人しく寝てたら治るよ』
《…悪い》
『それはどれに対する謝罪?』
何て少しだけ意地悪な質問
社会人なのだから体調管理くらいしっかりしなさい、とも思うが体調を崩すときは崩す物
どれだけ普段から気を付けていたって、何かの拍子に崩すなんてよくあることだから、その辺は気にしていない
まぁ、崩したときのために対応出来るように準備くらいはしておけ、とは思うが
『元気になったらまた連絡して、声出ないんでしょ?』
電話越しに咳き込むのが分かってそう投げかける
じゃあね、なんて少しだけ一方的に通話を切ってベッドの上に携帯を投げ捨て、電話が来る前にしていたことの続きを行う
少しばかり作業に没頭していたので、通話を終えた後に松から連絡が来ていた事に気付いたのは、数時間後であった
もう一回チャンスをくれ、たった一文
チャンスも何も別に私は怒っても居ないし、チャンスというのならば今この期間が全てチャンスであると言ってもいい
お好きにどうぞ、なんて返したはいいけれど少々複雑な気持ちになって
明日は仕事だしもう寝てしまおう、なんて布団に潜り込んだ
*****
『さゆ、今日帰りご飯行こう?』
職務中そう声を掛けてきたのは、同期である希空だった
同い年で同期、お互い専門学校を出ているので同年代では1年早く働き始めている、それだけの共通点
希空は第一印象ではだた大人しく真面目そうな子
少し気が弱そうで、看護師としてやって行くには少しだけ潰れてしまいそうだな、なんて思っていた、そんな子だった
けれど思っていたよりしっかりしていて、メンタルも強くて、見た目と違いタフな性格をしていた
人との距離の取り方が上手くて、患者さんからの人気もある
人付き合いの価値観に少しだけ似たところがあって、一緒に居て嫌な感じをさせない子
こうしてご飯に誘ってくることは初めてではない
けれど、あまりないことで少し珍しい
しかも勤務中に
『いいけど、何かあった?』
『何かあったのはさゆの方じゃないの?』
そういって小さく笑う希空に、少しだけ驚いて苦笑を返す
私の中の小さな変化に、この目敏い同僚兼友人は気付いてしまったのだろうか
人と比べたら分かりにくい性格をしていると思っているのだけれど
自分でもそう表現していいか分からない、この小さな変化に戸惑っている私に
どうしたの?話聞くよ、そんな言葉じゃなくてただ、ご飯に行こう、と声を掛ける
話したくないなら聞かない、という希空の意思表示
『どこ行こっか』
『んー、何食べたい?』
『それ私に聞く?』
『それもそうだね』
少しだけ楽しそうに笑った希空が、何か適当に考えとくよ、とだけ告げて仕事に戻って行く
その後ろ姿を見送って私も仕事に戻る
誰にも理解されることないこの戸惑いを口にすることは恐らくない
けれど、少しだけ彼女の意見も聞いてみたい、だ何てそんなことを思ってしまった
私を家族のように接してくれたあの一家は、今では殆ど交友がない
秀吉くんはもう既に養子に出ているし、後数年したらメアリーさんと真純はイギリスへと身を隠す
だから多少の連絡を取り合いはするけれど明確な時期は分からないため、過度な接触は避けている
社会人として大人になったからと言うのもあるけれど
だから、という訳では無いけれど、少しだけ
言葉に出来ないこの感情のことを誰かに吐き出したいのかもしれない
なんて事を考えながら仕事をしていればあっという間に終業の時間はやってくる
お互い割と仕事が早い方ではあるので、定時を少し超えた辺りで仕事は片付いて、一緒に帰路に着く
他愛のない話ばかりを繰り広げる希空は自ら話を振ってくることはない
私が話すことが無ければきっとただの食事会で終わる
普通にファミレスに入って、メニューをのぞいて注文を済ます
仕事疲れたねー、夏休みだから入院増えるかなー、なんて仕事の話を少しぼやきながら頼んだものが届くのを待つ
『そう言えば萩原さんに会って、今なんか飲み友達みたいになってる』
『どういう事?』
『この間出掛けたときちょっと出くわしたじゃん?その後に居酒屋で出会ってさ』
『案外世間って狭いね』
『ほんとに』
くすくす、と笑う希空を眺めていると、頼んでいたものが届く
それを食べながら再び他愛もない会話
希空的には今どういう感情なんだろう
一応気に掛けて声を掛けてくれてはいるけれど、自分からは絶対にその話を持ち出すことはない
話したくなければ話さなくてもいい
『ねぇ』
『ん?』
『自分の感情の変化って、どうすれば対応出来る?』
『…んー、難しいねぇ』
突拍子も無い話ではあったけれど、そこには深く突っ込むことなく
すんなり受け入れて少しだけ考えるように目を伏せる
『その感情の変化は、悪いもの?』
『…多分いいもの何だと思う』
『そっか、それは一先ずよかった』
そう、別に悪いことではないと思う
今までに比べて恵まれた環境で、今までよりも感情も分かるようになって
だからこそ、自分の変化に戸惑ってる
正直に言うと、少しだけ怖いんだと思う
感情を知らずに生きてきたから、感情を揺らすこともなく生活してきた
何も感じないし、どんな感情をぶつけられても私はそれに共感することもなく自分というモノが揺らがなかった
けれど今はどうなんだろう
揺れているのかと言われたら、そこまで揺れているわけでは無いと思う
何て言ったいいかは分からないけれど少しだけ、自分が変わったことだけは分かる
『じゃあ、その感情の変化さゆにとって不快なモノ?』
『…不快、と言うほどではない』
『嬉しい?』
『嬉しくはない』
『じゃあ、怖い?』
『…少しだけ』
本当に人のことをよく見ている人だと思った
たった数年の関わりで、仕事上の関係でしかなくて
プライベートで出掛けたことは数度あれど、私は私の感情を顔にも声にも出すタイプだとは思っていないし、出ていないとも思っている
現に昔から何を考えているか分からない、と人から言われ続けてきたし、それでいいと思っていた
けれど希空はこの短い関わりの中で、私という人間をよく見ていた
質問の仕方とか、使う言葉とか、引き出されているような気がするほどすんなりと聞き入れられる
『生きて色んな人と関われば、考え方とか価値観とか変わってくることは結構普通にあると思う』
『うん』
『でもさゆは感情が変わったんだね』
『…変わったというか』
『新しい感情を知っちゃったんだ?』
『…多分そうなる』
何も知らないはずなのに、その言葉が出てくるとは思わなかった
けれど、少しだけ希空なら気付きそうな気もしていた
私が感情豊かな方で無いと言うことは、少し一緒に過ごせば分かると思う
随分と愛想笑いは様になったけど、分かる人には分かると思うし、希空には割と最初から素が出ていたような気もする
と言うか、希空が取り繕わない人だったからそれに釣られるように私も取り繕わなくなった
もう1人の同期も竹を割ったような性格だったのもある
だから一緒に居ても話を先導するのは希空やもう1人の同期で、私はそれを聞いているだけ
高校の時の様な感じで、それが居心地よかったのかもしれない
『私はさゆの幼馴染み、って訳じゃないから昔のことは知らない』
『話してないからね』
『感情表現が苦手な人は居るけど、さゆはそれとは少し違うような気がしてた』
『苦手ではあるよ』
『そうだね、でもそもそもの感情の引き出しは少しだけ、さゆは少ないね』
『…そうだね』
小さく肯定すると、希空は小さく笑う
どうしてそうなったのか、そう言う事には一切触れずに、事実だけを羅列していく
一つずつ認識を摺り合わせるかのように、確認を取っていく
それがどこも的外れじゃないから、この人は本当に人をしっかり見ているんだと分かる
『どんな感情を覚えたのかは私には分からないけど、多分いい変化なんだと思うよ』
『それは…、私もそう思ってる』
『それの何が怖いのか、分かってるの?』
『…なくすこと』
『誰だって怖いよ、なくすことは』
分かるよ、それは
でも私は持ってなかったから、これ以上なくすことはなかった
でも、持ってしまったら
そこに戻りたくないと、臆病になってしまう
『さゆは、感情を覚えて言い方は悪いけど多分普通の人に近付いてる
普通の人が当たり前に思うことに戸惑って、怖がってる
普通の人は皆、なくしてこなかったって思ってる?』
小さな笑みが添えられて告げられた言葉は、あまりにも重い響きを持っているように感じた
凄く当たり前の事を言われたはずなのに、少し考えれば、考えなくても、分かったはずの当たり前
普通の人の当たり前は、分かったつもりで居た
つもりでしかなかったのかもしれない
『さゆが今までどんな環境で生きてきたかは知らないよ
凄く過酷で、私の言う事なんてただの綺麗事だって投げ捨てたくなるような環境だったかもしれない
今もそうなのかは知らないけれど、そうやって悩んで私に話できるくらいには余裕が出来ているんだと私はふんでこう話を切り出したわけだけど』
『…凄いね、希空は』
『凄くないよ、さゆが教えてくれてるから』
『教えてないよ』
『言葉だけが伝える手段じゃないよ
表情や仕草、目線や声色、関わり方、さゆがこの数年で私に教えてくれたから』
そんなものは些細なモノ
そこから読み取ろうとする意思がなければ、そんなモノは何の意味もなくて
希空がそこから私を知ろうとしてくれたから、やっぱり凄いのは希空の方で
結局私は人に甘えて、支えられて、今生を生きている
『偉そうな事言ったけど、さゆがその感情を受け入れたくなかったら別にそれでもいいと思うんだ』
『今までのことを無に帰す様な事言うね』
『だって、それはさゆの感情だから
でも、それが嫌な感情でなくてただ戸惑ってるだけなら少しだけ付き合うのもありだよ』
『付き合う』
『私も小難しく考えちゃうタイプだから偉そうなことは言えないんだけど
ちょっとだけその感情と向き合ってみてどう思うか結論出してからでも遅くないよ、きっと』
『どう思うか』
『的外れな事言ってたらごめんだけど
不快なモノでないのならその感情を持つことでメリットデメリット考えてみたらいいんじゃないかな
さゆはそう言ったことはっきりした方が納得できそうな感じがする』
『それはそう』
だよね、と希空が愉しそうに笑い、水を口に含む
メリットデメリット、は正直分かっては居る、と思う
それでいて、今不快ではないと結論を出している
それで今何が問題かと言えば
『なくすこと…』
小さく呟いた言葉に希空がまた笑う
結論は出てたのか、なんて言いながらこちらを正面から見据えるその目を見て
『なくしたくないと思うのなら、傍に居て自分でそれを捕まえてなくちゃ駄目だよ
何もせずなくならないで、なんてそんな我儘誰も叶えてなんかくれないから』
…あぁ、そうだね、そうだった
だから私はこうして行動に移して繋ぎ止めたんだ
どっちでもいいなんて言いながら、なくならないでと願ったから
捕まえる、とはまた少し違うけどなくさないための行動はしていた
結局、これにも結論は出ていたのだ
『ありがとう、希空』
『ん、じゃあ明日も仕事だし帰るかー』
『私は休み』
『うわ、ずる』
けらけら、と笑いながら荷物を纏めて席を立つ
どこかすっきりした気持ちで私も立ち上がり伝票を希空の手から奪う
詳しくは話していない
気にならない、筈もなかったと思う
でも今ある情報だけで真剣に向き合って話を聞いてくれたそのお礼くらいさせて欲しい
ごちでーす、とこちらの意図をしっかり汲み取った希空が笑う
ほんと、今生は人に恵まれている
そんなことを思いながら、2人して帰路に着いた
何も解決はしていないけれど、戸惑ってそわそわ浮ついていた気持ちが、地に足を着いたような心地で
さて、今度はどうアイツと向き合うか考えないとな、なんて今までと少し変わった考えに苦笑を零した
絶対アイツに悟られないようにしないと、それだけは決意して
この感情に名前をつけるなら
(きっと名前はあるのだろうけど、まだ呼ばない)
随分と嗄れた声で、なるほど喉がやられるタイプなのか、なんてそんなどうでもいいことが頭を過ぎる
あまり遅くは無い時間ではあるが、結構よく眠っていたのだな、何て思いながら鳴り止まない携帯を手に取った
『具合はどう?風邪っぴきさん』
《…悪い》
『すっごい声、水分ちゃんと摂りなね』
《…あぁ》
『熱は?結構あったみたいだけど
薬置いておいたけど、飲んだ?飲んだなら大人しく寝てたら治るよ』
《…悪い》
『それはどれに対する謝罪?』
何て少しだけ意地悪な質問
社会人なのだから体調管理くらいしっかりしなさい、とも思うが体調を崩すときは崩す物
どれだけ普段から気を付けていたって、何かの拍子に崩すなんてよくあることだから、その辺は気にしていない
まぁ、崩したときのために対応出来るように準備くらいはしておけ、とは思うが
『元気になったらまた連絡して、声出ないんでしょ?』
電話越しに咳き込むのが分かってそう投げかける
じゃあね、なんて少しだけ一方的に通話を切ってベッドの上に携帯を投げ捨て、電話が来る前にしていたことの続きを行う
少しばかり作業に没頭していたので、通話を終えた後に松から連絡が来ていた事に気付いたのは、数時間後であった
もう一回チャンスをくれ、たった一文
チャンスも何も別に私は怒っても居ないし、チャンスというのならば今この期間が全てチャンスであると言ってもいい
お好きにどうぞ、なんて返したはいいけれど少々複雑な気持ちになって
明日は仕事だしもう寝てしまおう、なんて布団に潜り込んだ
*****
『さゆ、今日帰りご飯行こう?』
職務中そう声を掛けてきたのは、同期である希空だった
同い年で同期、お互い専門学校を出ているので同年代では1年早く働き始めている、それだけの共通点
希空は第一印象ではだた大人しく真面目そうな子
少し気が弱そうで、看護師としてやって行くには少しだけ潰れてしまいそうだな、なんて思っていた、そんな子だった
けれど思っていたよりしっかりしていて、メンタルも強くて、見た目と違いタフな性格をしていた
人との距離の取り方が上手くて、患者さんからの人気もある
人付き合いの価値観に少しだけ似たところがあって、一緒に居て嫌な感じをさせない子
こうしてご飯に誘ってくることは初めてではない
けれど、あまりないことで少し珍しい
しかも勤務中に
『いいけど、何かあった?』
『何かあったのはさゆの方じゃないの?』
そういって小さく笑う希空に、少しだけ驚いて苦笑を返す
私の中の小さな変化に、この目敏い同僚兼友人は気付いてしまったのだろうか
人と比べたら分かりにくい性格をしていると思っているのだけれど
自分でもそう表現していいか分からない、この小さな変化に戸惑っている私に
どうしたの?話聞くよ、そんな言葉じゃなくてただ、ご飯に行こう、と声を掛ける
話したくないなら聞かない、という希空の意思表示
『どこ行こっか』
『んー、何食べたい?』
『それ私に聞く?』
『それもそうだね』
少しだけ楽しそうに笑った希空が、何か適当に考えとくよ、とだけ告げて仕事に戻って行く
その後ろ姿を見送って私も仕事に戻る
誰にも理解されることないこの戸惑いを口にすることは恐らくない
けれど、少しだけ彼女の意見も聞いてみたい、だ何てそんなことを思ってしまった
私を家族のように接してくれたあの一家は、今では殆ど交友がない
秀吉くんはもう既に養子に出ているし、後数年したらメアリーさんと真純はイギリスへと身を隠す
だから多少の連絡を取り合いはするけれど明確な時期は分からないため、過度な接触は避けている
社会人として大人になったからと言うのもあるけれど
だから、という訳では無いけれど、少しだけ
言葉に出来ないこの感情のことを誰かに吐き出したいのかもしれない
なんて事を考えながら仕事をしていればあっという間に終業の時間はやってくる
お互い割と仕事が早い方ではあるので、定時を少し超えた辺りで仕事は片付いて、一緒に帰路に着く
他愛のない話ばかりを繰り広げる希空は自ら話を振ってくることはない
私が話すことが無ければきっとただの食事会で終わる
普通にファミレスに入って、メニューをのぞいて注文を済ます
仕事疲れたねー、夏休みだから入院増えるかなー、なんて仕事の話を少しぼやきながら頼んだものが届くのを待つ
『そう言えば萩原さんに会って、今なんか飲み友達みたいになってる』
『どういう事?』
『この間出掛けたときちょっと出くわしたじゃん?その後に居酒屋で出会ってさ』
『案外世間って狭いね』
『ほんとに』
くすくす、と笑う希空を眺めていると、頼んでいたものが届く
それを食べながら再び他愛もない会話
希空的には今どういう感情なんだろう
一応気に掛けて声を掛けてくれてはいるけれど、自分からは絶対にその話を持ち出すことはない
話したくなければ話さなくてもいい
『ねぇ』
『ん?』
『自分の感情の変化って、どうすれば対応出来る?』
『…んー、難しいねぇ』
突拍子も無い話ではあったけれど、そこには深く突っ込むことなく
すんなり受け入れて少しだけ考えるように目を伏せる
『その感情の変化は、悪いもの?』
『…多分いいもの何だと思う』
『そっか、それは一先ずよかった』
そう、別に悪いことではないと思う
今までに比べて恵まれた環境で、今までよりも感情も分かるようになって
だからこそ、自分の変化に戸惑ってる
正直に言うと、少しだけ怖いんだと思う
感情を知らずに生きてきたから、感情を揺らすこともなく生活してきた
何も感じないし、どんな感情をぶつけられても私はそれに共感することもなく自分というモノが揺らがなかった
けれど今はどうなんだろう
揺れているのかと言われたら、そこまで揺れているわけでは無いと思う
何て言ったいいかは分からないけれど少しだけ、自分が変わったことだけは分かる
『じゃあ、その感情の変化さゆにとって不快なモノ?』
『…不快、と言うほどではない』
『嬉しい?』
『嬉しくはない』
『じゃあ、怖い?』
『…少しだけ』
本当に人のことをよく見ている人だと思った
たった数年の関わりで、仕事上の関係でしかなくて
プライベートで出掛けたことは数度あれど、私は私の感情を顔にも声にも出すタイプだとは思っていないし、出ていないとも思っている
現に昔から何を考えているか分からない、と人から言われ続けてきたし、それでいいと思っていた
けれど希空はこの短い関わりの中で、私という人間をよく見ていた
質問の仕方とか、使う言葉とか、引き出されているような気がするほどすんなりと聞き入れられる
『生きて色んな人と関われば、考え方とか価値観とか変わってくることは結構普通にあると思う』
『うん』
『でもさゆは感情が変わったんだね』
『…変わったというか』
『新しい感情を知っちゃったんだ?』
『…多分そうなる』
何も知らないはずなのに、その言葉が出てくるとは思わなかった
けれど、少しだけ希空なら気付きそうな気もしていた
私が感情豊かな方で無いと言うことは、少し一緒に過ごせば分かると思う
随分と愛想笑いは様になったけど、分かる人には分かると思うし、希空には割と最初から素が出ていたような気もする
と言うか、希空が取り繕わない人だったからそれに釣られるように私も取り繕わなくなった
もう1人の同期も竹を割ったような性格だったのもある
だから一緒に居ても話を先導するのは希空やもう1人の同期で、私はそれを聞いているだけ
高校の時の様な感じで、それが居心地よかったのかもしれない
『私はさゆの幼馴染み、って訳じゃないから昔のことは知らない』
『話してないからね』
『感情表現が苦手な人は居るけど、さゆはそれとは少し違うような気がしてた』
『苦手ではあるよ』
『そうだね、でもそもそもの感情の引き出しは少しだけ、さゆは少ないね』
『…そうだね』
小さく肯定すると、希空は小さく笑う
どうしてそうなったのか、そう言う事には一切触れずに、事実だけを羅列していく
一つずつ認識を摺り合わせるかのように、確認を取っていく
それがどこも的外れじゃないから、この人は本当に人をしっかり見ているんだと分かる
『どんな感情を覚えたのかは私には分からないけど、多分いい変化なんだと思うよ』
『それは…、私もそう思ってる』
『それの何が怖いのか、分かってるの?』
『…なくすこと』
『誰だって怖いよ、なくすことは』
分かるよ、それは
でも私は持ってなかったから、これ以上なくすことはなかった
でも、持ってしまったら
そこに戻りたくないと、臆病になってしまう
『さゆは、感情を覚えて言い方は悪いけど多分普通の人に近付いてる
普通の人が当たり前に思うことに戸惑って、怖がってる
普通の人は皆、なくしてこなかったって思ってる?』
小さな笑みが添えられて告げられた言葉は、あまりにも重い響きを持っているように感じた
凄く当たり前の事を言われたはずなのに、少し考えれば、考えなくても、分かったはずの当たり前
普通の人の当たり前は、分かったつもりで居た
つもりでしかなかったのかもしれない
『さゆが今までどんな環境で生きてきたかは知らないよ
凄く過酷で、私の言う事なんてただの綺麗事だって投げ捨てたくなるような環境だったかもしれない
今もそうなのかは知らないけれど、そうやって悩んで私に話できるくらいには余裕が出来ているんだと私はふんでこう話を切り出したわけだけど』
『…凄いね、希空は』
『凄くないよ、さゆが教えてくれてるから』
『教えてないよ』
『言葉だけが伝える手段じゃないよ
表情や仕草、目線や声色、関わり方、さゆがこの数年で私に教えてくれたから』
そんなものは些細なモノ
そこから読み取ろうとする意思がなければ、そんなモノは何の意味もなくて
希空がそこから私を知ろうとしてくれたから、やっぱり凄いのは希空の方で
結局私は人に甘えて、支えられて、今生を生きている
『偉そうな事言ったけど、さゆがその感情を受け入れたくなかったら別にそれでもいいと思うんだ』
『今までのことを無に帰す様な事言うね』
『だって、それはさゆの感情だから
でも、それが嫌な感情でなくてただ戸惑ってるだけなら少しだけ付き合うのもありだよ』
『付き合う』
『私も小難しく考えちゃうタイプだから偉そうなことは言えないんだけど
ちょっとだけその感情と向き合ってみてどう思うか結論出してからでも遅くないよ、きっと』
『どう思うか』
『的外れな事言ってたらごめんだけど
不快なモノでないのならその感情を持つことでメリットデメリット考えてみたらいいんじゃないかな
さゆはそう言ったことはっきりした方が納得できそうな感じがする』
『それはそう』
だよね、と希空が愉しそうに笑い、水を口に含む
メリットデメリット、は正直分かっては居る、と思う
それでいて、今不快ではないと結論を出している
それで今何が問題かと言えば
『なくすこと…』
小さく呟いた言葉に希空がまた笑う
結論は出てたのか、なんて言いながらこちらを正面から見据えるその目を見て
『なくしたくないと思うのなら、傍に居て自分でそれを捕まえてなくちゃ駄目だよ
何もせずなくならないで、なんてそんな我儘誰も叶えてなんかくれないから』
…あぁ、そうだね、そうだった
だから私はこうして行動に移して繋ぎ止めたんだ
どっちでもいいなんて言いながら、なくならないでと願ったから
捕まえる、とはまた少し違うけどなくさないための行動はしていた
結局、これにも結論は出ていたのだ
『ありがとう、希空』
『ん、じゃあ明日も仕事だし帰るかー』
『私は休み』
『うわ、ずる』
けらけら、と笑いながら荷物を纏めて席を立つ
どこかすっきりした気持ちで私も立ち上がり伝票を希空の手から奪う
詳しくは話していない
気にならない、筈もなかったと思う
でも今ある情報だけで真剣に向き合って話を聞いてくれたそのお礼くらいさせて欲しい
ごちでーす、とこちらの意図をしっかり汲み取った希空が笑う
ほんと、今生は人に恵まれている
そんなことを思いながら、2人して帰路に着いた
何も解決はしていないけれど、戸惑ってそわそわ浮ついていた気持ちが、地に足を着いたような心地で
さて、今度はどうアイツと向き合うか考えないとな、なんて今までと少し変わった考えに苦笑を零した
絶対アイツに悟られないようにしないと、それだけは決意して
この感情に名前をつけるなら
(きっと名前はあるのだろうけど、まだ呼ばない)