君が生きた世界を守ろう
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そうして、その日はやってくるもので
物凄く行きたく無い、と言う訳では無いけれど、少々憂鬱な気分になりながら支度を進める
断るほどの理由はなく、そしてそれを許容してしまっているのも私なのは変わりなくて
仕方ないか、と思いながら、人として最低限の準備はしておく
家まで迎えに来る、と言う事ではあったがもう間もなく時間だというのに音沙汰無いな…
案の定というか約束の時間になっても何の連絡もなくて
あの感じだと約束を忘れる、と言う事は無いのだろうけど…
だとしたら単純に寝坊とかそう言う奴かもしれない
暫く様子を見ていたが、何の反応も無くこちらから連絡してみても既読にもならない
うむ、どうしたものか
私は私でこのまま約束が反故されたってなんの損も無いし、私にとっては都合がいい
事故、と言う可能性も無いとは言い切れないからどうしたものかなぁ
《あれ、九条ちゃんじゃん、どったの?》
『松の所在分かる?』
《あれ、じんぺーちゃん今日デートなんじゃ無かったの?》
『…音沙汰無いから取り敢えず念のため』
《優しーねぇ、九条ちゃん》
『別に事故とかに巻き込まれてないならそれでいい』
《そう言う事案の通報はなさそうだからそれは無いと思うけど…
最近松田働きづめというか、かなり仕事追い込んでたからなぁ》
『忙しかったの?』
《有給確保するためにね》
語尾にハートが付きそうな勢いで話す萩に思わず聞こえるほど大きな溜息
流石の松も、萩にはいろいろ話しているらしい
ニヤニヤしている萩の顔が脳裏を過ぎって少々腹立たしい
《昨日の帰り体調がちょっと悪そうだったよ》
どこか確信めいたように話す萩に、今度こそはっきりと溜息を吐き出す
そこまでしてやる義理は無いと言えばない
風邪くらい1人でもどうとでも出来ないことも無い
『夏風邪は馬鹿が引くんだよ』
《九条ちゃん馬鹿だから間違いないね》
『で?私にどうしろと?』
《流石看護師さん、優しいね》
『私に一番似合わない言葉使うの止めてくれない?』
《何で?九条ちゃんは優しいでしょ?》
『優しくなんか無いよ』
《そう言う事にしといてあげる》
面倒になって話はそこで打ち切る
萩も空気は読める方であるし、察しはいい方なのでそれ以上話を続けるようなこともせず
今なら夜勤前だから、松の家まで送り届けるよ、なんて笑って言う萩に少々悩む
このまま放って置いたところで私に何の非も無い
約束を取り付けたのは向こうで、私はそれに付き合っているだけで
風邪でダウンしているかもしれない松の面倒を見てやる義理は私にはこれっぽっちも無いのに
『…様子見るだけね』
《んじゃ今から迎えに行くね》
一応今は友人で、そんな人間が体調を崩しているかもしれない
それを放置する、様な人間だった筈なんだけどなぁ…
『…絆されている気がする』
死なないで欲しい、何て思う段階で絆されてはいるのだろうけど
けど、これは何というかまた別問題なような気もする
私と松の関係がこの先変わってしまうことを、私は望まない
それは変わっていないのに
何にも気付かないようにと、そっと目を閉じた
暫く待っていると萩からの連絡があり下まで降りる
にこにこ、と笑う萩はよく見る姿なのに、そこに含みがあるように思ってしまうのは考えすぎであろうか
「九条ちゃん、送るのはいいんだけど、帰りはちょっと厳しいかも」
『私も子供では無いんだからタクシーでも捕まえて帰るから大丈夫、仕事前にごめん』
「九条ちゃんは何も悪くないでしょ
強引に約束取り付けたくせにすっぽかして九条ちゃんに心配かけるじんぺーちゃんが悪い」
『それはその通り』
面白がっている節はあるけれど、完全に松の味方では無いあたりが萩らしい
面白がっている時点でどうなのか、と言う事には目を瞑っておくことにする
「九条ちゃんはさ、俺が同じように約束すっぽかしたとして、同じように心配してくれる?」
『そりゃするでしょ、意味なく約束を無断で破るような人間じゃ無いの知ってるし』
「…ホント、九条ちゃん変わったねぇ」
『自覚はある』
萩がそっと目を細めて、柔らかく笑う
あまり見ないその表情に、仕草に、何て声を掛けていいか分からなくなって、目を逸らす
多分、私の変化はいい方に転がっているのだとは思う
前、と合わせて見ても、今のこの環境というのは一番恵まれているのは自分でも分かっていて
でもだからこそ、これ以上よくなることが少しだけ怖い
底辺を知っている、けれど
「九条ちゃんの全部を知ってるわけじゃ無いけどさ」
『…話してないからね』
「九条ちゃんはもう少し、幸せになる事に貪欲になっていいと俺は思うんだ」
『…そう』
幸せに何てならなくていい
平穏無事に毎日が終わるだけで、私はそれ以上を望まない
いつあの頃の底辺に戻ってしまうか分からないから
だからこれ以上の幸福なんて要らない
「ん、着いたよ
じんぺーちゃんをよろしくね」
『風邪引き確定してるじゃん』
「ホント昨日具合悪そうだったからね」
苦笑して見せた萩は、私をおろし合鍵だけ預けるとそのまま仕事へと向かっていった
何故萩が松の家の合鍵を持っているのだ、と思い直接聞いたら、何があるか分からないのがお巡りさんだからね、などと言われてしまった
それを、私はよく知っていた筈なのに
平和ぼけしている気がする、なんて小さく嘆息すれば、萩に柔らかく頭を撫でられてしまった
そういうわけで松の合鍵を持って家の中に入る
男の独り暮らしにしては随分小綺麗な、もっと言えば物がそもそも少ないのだが、その中に足を踏み入れて
見慣れたその姿を探し寝室らしき場に入れば、少々息の荒いその男がベッドに伏していた
寝苦しそうなその男の傍に寄り、そっと額に触れてみれば思っていたより熱くて眉を顰める
38度後半くらいはありそうだな、なんて溜息を吐いて、持ってきたタオルでそっと汗を拭き取り冷却シートを額に貼り付ける
と言うか、お巡りさんがこんな無防備でいいのだろうか
気配には敏感そうなのに、起きる様子が無いと言うことは、それほどに辛い、ということの現れか
再び溜息を吐き出し、くるり、と部屋を見渡す
看病に必要そうな物は目に付く場所にはなく、まぁそんな物だろうな、なんて思い持ってきていた鞄から色々取り出す
流石に余所様の部屋の中を漁るなんて事は出来ない
風邪薬は…、起きてから何かお腹に物を入れてから
取り敢えず今は出来ることはそうなさそうなので、起きたらすぐに何か口に入れられるようにおかゆでも作っておこうか
勝手に人の台所を使うことに多少の気後れはあるが、まぁそれには目を瞑って
『何も無いな…、自炊はしていないって事だな』
まぁ、それについては何となく分かっていたので、途中でスーパーに寄り買い出しは終わっている
自分で思っていたより、私は随分お人好しであったらしい
小さく肩を竦め、此処まで来たならもう腹を括れ、と自分に言い聞かせ作業を開始した
*****
やっておこうと思ったことは大体終えて、少々手持ち無沙汰
起こしてしまえばいい話なのだろうけど、睡眠が一番の薬だと言うことは私がよく知っていることだし、眠れる内は眠って体力回復に努めてくれたらそれでいい
と言う事で
『帰るか』
此処に来てからどれくらいか、1時間は経ったと思うが、まぁ、起きるまで此処に居てやる義理は無くて
やることはやったのだしもう帰ってしまおう
もう一度だけ様子を見ておくか、と再び寝室へ戻る
眉間に皺を寄せて苦しそうではあるが、外から少し冷やしてやった事で多少は楽になったのか、呼吸が平静に近付いている
1時間程度で乾燥が見られる冷却シートに、熱の高さが窺える
替えてから帰るか、ともう一枚取り出してささっと貼り替えを行う
額には触れられないので、首筋に手を添えるが、薬を飲んでいないので当然と言えば当然、体温に差は無くて
肩を竦めて、置き手紙でも書くか、とその場を離れようとすると、松の目がうっすらと開くのが見えて
「九条…?」
随分掠れた声で名前を呼ばれ、浮かしていた腰をその場に落ち着ける
どこか熱に浮かされた様子で、これは完全には目が覚めているわけでは無いことはすぐに分かって
思ったように話せないことに対してなのか、更に眉を顰めた松に代わって口を開く
『そのままでいいから聞いて』
体を起こそうとしていた松の肩をやんわりと押しつけ、ベッドに横たえさせる
まだぼんやりとしている様子の松に、簡単に現状についての説明をする
萩に確認して、体調が悪いようだったので家まで来たこと
薬や飲み物をベッドサイドに置いて帰るから起きたら飲んで欲しいこと
おかゆを作っておいたから、温め直して食べて欲しいこと
冷蔵庫にゼリーやアイスを入れておいたので、食べれそうなら食べて欲しいこと
どれだけ松の記憶に残るかは分からないが、取り敢えず大人しく話を聞いているらしい松に声を掛ける
ふと閉じかけていた目がこちらに向いて、目が合う
口を動かす様子が見られたので、何か言いたいことでもあるのか、と少しその場で待って
気怠げに伸びてきた手が、私に辿り着く前に力尽きてベッドにかけていた私の手の上に落ちる
「九条…」
『ん?』
名前を呼ばれるが、続く言葉は無く
落ちてきた手が、やんわりと私の手首に回る
熱のせいか力の入っていないそれは、あっさりと振り払ってしまえるそれは、随分と熱くて
一瞬、強く握られたかと思えば力が抜けて、耳に届くのは少し穏やかになった寝息
するり、とその手から抜け出し、意味も無く握られた手首にそっと手を沿わす
まるで此処に居ろ、とでも言わんばかりに残るその温度を紛らわせてしまいたくて
早く冷めるように、と手を離して置き手紙だけ残して家を後にする
暑いこの季節は、体に残る温度を忘れさせてはくれなくて
気にしてしまう自分が、鬱陶しくて
何も無かった、そう言い聞かせてしまう自分が、憎らしい
その手がどんなに温かいかを知らないで
(気安く触れるな、なんてそんなこと思うような人間じゃなかったでしょ?)
物凄く行きたく無い、と言う訳では無いけれど、少々憂鬱な気分になりながら支度を進める
断るほどの理由はなく、そしてそれを許容してしまっているのも私なのは変わりなくて
仕方ないか、と思いながら、人として最低限の準備はしておく
家まで迎えに来る、と言う事ではあったがもう間もなく時間だというのに音沙汰無いな…
案の定というか約束の時間になっても何の連絡もなくて
あの感じだと約束を忘れる、と言う事は無いのだろうけど…
だとしたら単純に寝坊とかそう言う奴かもしれない
暫く様子を見ていたが、何の反応も無くこちらから連絡してみても既読にもならない
うむ、どうしたものか
私は私でこのまま約束が反故されたってなんの損も無いし、私にとっては都合がいい
事故、と言う可能性も無いとは言い切れないからどうしたものかなぁ
《あれ、九条ちゃんじゃん、どったの?》
『松の所在分かる?』
《あれ、じんぺーちゃん今日デートなんじゃ無かったの?》
『…音沙汰無いから取り敢えず念のため』
《優しーねぇ、九条ちゃん》
『別に事故とかに巻き込まれてないならそれでいい』
《そう言う事案の通報はなさそうだからそれは無いと思うけど…
最近松田働きづめというか、かなり仕事追い込んでたからなぁ》
『忙しかったの?』
《有給確保するためにね》
語尾にハートが付きそうな勢いで話す萩に思わず聞こえるほど大きな溜息
流石の松も、萩にはいろいろ話しているらしい
ニヤニヤしている萩の顔が脳裏を過ぎって少々腹立たしい
《昨日の帰り体調がちょっと悪そうだったよ》
どこか確信めいたように話す萩に、今度こそはっきりと溜息を吐き出す
そこまでしてやる義理は無いと言えばない
風邪くらい1人でもどうとでも出来ないことも無い
『夏風邪は馬鹿が引くんだよ』
《九条ちゃん馬鹿だから間違いないね》
『で?私にどうしろと?』
《流石看護師さん、優しいね》
『私に一番似合わない言葉使うの止めてくれない?』
《何で?九条ちゃんは優しいでしょ?》
『優しくなんか無いよ』
《そう言う事にしといてあげる》
面倒になって話はそこで打ち切る
萩も空気は読める方であるし、察しはいい方なのでそれ以上話を続けるようなこともせず
今なら夜勤前だから、松の家まで送り届けるよ、なんて笑って言う萩に少々悩む
このまま放って置いたところで私に何の非も無い
約束を取り付けたのは向こうで、私はそれに付き合っているだけで
風邪でダウンしているかもしれない松の面倒を見てやる義理は私にはこれっぽっちも無いのに
『…様子見るだけね』
《んじゃ今から迎えに行くね》
一応今は友人で、そんな人間が体調を崩しているかもしれない
それを放置する、様な人間だった筈なんだけどなぁ…
『…絆されている気がする』
死なないで欲しい、何て思う段階で絆されてはいるのだろうけど
けど、これは何というかまた別問題なような気もする
私と松の関係がこの先変わってしまうことを、私は望まない
それは変わっていないのに
何にも気付かないようにと、そっと目を閉じた
暫く待っていると萩からの連絡があり下まで降りる
にこにこ、と笑う萩はよく見る姿なのに、そこに含みがあるように思ってしまうのは考えすぎであろうか
「九条ちゃん、送るのはいいんだけど、帰りはちょっと厳しいかも」
『私も子供では無いんだからタクシーでも捕まえて帰るから大丈夫、仕事前にごめん』
「九条ちゃんは何も悪くないでしょ
強引に約束取り付けたくせにすっぽかして九条ちゃんに心配かけるじんぺーちゃんが悪い」
『それはその通り』
面白がっている節はあるけれど、完全に松の味方では無いあたりが萩らしい
面白がっている時点でどうなのか、と言う事には目を瞑っておくことにする
「九条ちゃんはさ、俺が同じように約束すっぽかしたとして、同じように心配してくれる?」
『そりゃするでしょ、意味なく約束を無断で破るような人間じゃ無いの知ってるし』
「…ホント、九条ちゃん変わったねぇ」
『自覚はある』
萩がそっと目を細めて、柔らかく笑う
あまり見ないその表情に、仕草に、何て声を掛けていいか分からなくなって、目を逸らす
多分、私の変化はいい方に転がっているのだとは思う
前、と合わせて見ても、今のこの環境というのは一番恵まれているのは自分でも分かっていて
でもだからこそ、これ以上よくなることが少しだけ怖い
底辺を知っている、けれど
「九条ちゃんの全部を知ってるわけじゃ無いけどさ」
『…話してないからね』
「九条ちゃんはもう少し、幸せになる事に貪欲になっていいと俺は思うんだ」
『…そう』
幸せに何てならなくていい
平穏無事に毎日が終わるだけで、私はそれ以上を望まない
いつあの頃の底辺に戻ってしまうか分からないから
だからこれ以上の幸福なんて要らない
「ん、着いたよ
じんぺーちゃんをよろしくね」
『風邪引き確定してるじゃん』
「ホント昨日具合悪そうだったからね」
苦笑して見せた萩は、私をおろし合鍵だけ預けるとそのまま仕事へと向かっていった
何故萩が松の家の合鍵を持っているのだ、と思い直接聞いたら、何があるか分からないのがお巡りさんだからね、などと言われてしまった
それを、私はよく知っていた筈なのに
平和ぼけしている気がする、なんて小さく嘆息すれば、萩に柔らかく頭を撫でられてしまった
そういうわけで松の合鍵を持って家の中に入る
男の独り暮らしにしては随分小綺麗な、もっと言えば物がそもそも少ないのだが、その中に足を踏み入れて
見慣れたその姿を探し寝室らしき場に入れば、少々息の荒いその男がベッドに伏していた
寝苦しそうなその男の傍に寄り、そっと額に触れてみれば思っていたより熱くて眉を顰める
38度後半くらいはありそうだな、なんて溜息を吐いて、持ってきたタオルでそっと汗を拭き取り冷却シートを額に貼り付ける
と言うか、お巡りさんがこんな無防備でいいのだろうか
気配には敏感そうなのに、起きる様子が無いと言うことは、それほどに辛い、ということの現れか
再び溜息を吐き出し、くるり、と部屋を見渡す
看病に必要そうな物は目に付く場所にはなく、まぁそんな物だろうな、なんて思い持ってきていた鞄から色々取り出す
流石に余所様の部屋の中を漁るなんて事は出来ない
風邪薬は…、起きてから何かお腹に物を入れてから
取り敢えず今は出来ることはそうなさそうなので、起きたらすぐに何か口に入れられるようにおかゆでも作っておこうか
勝手に人の台所を使うことに多少の気後れはあるが、まぁそれには目を瞑って
『何も無いな…、自炊はしていないって事だな』
まぁ、それについては何となく分かっていたので、途中でスーパーに寄り買い出しは終わっている
自分で思っていたより、私は随分お人好しであったらしい
小さく肩を竦め、此処まで来たならもう腹を括れ、と自分に言い聞かせ作業を開始した
*****
やっておこうと思ったことは大体終えて、少々手持ち無沙汰
起こしてしまえばいい話なのだろうけど、睡眠が一番の薬だと言うことは私がよく知っていることだし、眠れる内は眠って体力回復に努めてくれたらそれでいい
と言う事で
『帰るか』
此処に来てからどれくらいか、1時間は経ったと思うが、まぁ、起きるまで此処に居てやる義理は無くて
やることはやったのだしもう帰ってしまおう
もう一度だけ様子を見ておくか、と再び寝室へ戻る
眉間に皺を寄せて苦しそうではあるが、外から少し冷やしてやった事で多少は楽になったのか、呼吸が平静に近付いている
1時間程度で乾燥が見られる冷却シートに、熱の高さが窺える
替えてから帰るか、ともう一枚取り出してささっと貼り替えを行う
額には触れられないので、首筋に手を添えるが、薬を飲んでいないので当然と言えば当然、体温に差は無くて
肩を竦めて、置き手紙でも書くか、とその場を離れようとすると、松の目がうっすらと開くのが見えて
「九条…?」
随分掠れた声で名前を呼ばれ、浮かしていた腰をその場に落ち着ける
どこか熱に浮かされた様子で、これは完全には目が覚めているわけでは無いことはすぐに分かって
思ったように話せないことに対してなのか、更に眉を顰めた松に代わって口を開く
『そのままでいいから聞いて』
体を起こそうとしていた松の肩をやんわりと押しつけ、ベッドに横たえさせる
まだぼんやりとしている様子の松に、簡単に現状についての説明をする
萩に確認して、体調が悪いようだったので家まで来たこと
薬や飲み物をベッドサイドに置いて帰るから起きたら飲んで欲しいこと
おかゆを作っておいたから、温め直して食べて欲しいこと
冷蔵庫にゼリーやアイスを入れておいたので、食べれそうなら食べて欲しいこと
どれだけ松の記憶に残るかは分からないが、取り敢えず大人しく話を聞いているらしい松に声を掛ける
ふと閉じかけていた目がこちらに向いて、目が合う
口を動かす様子が見られたので、何か言いたいことでもあるのか、と少しその場で待って
気怠げに伸びてきた手が、私に辿り着く前に力尽きてベッドにかけていた私の手の上に落ちる
「九条…」
『ん?』
名前を呼ばれるが、続く言葉は無く
落ちてきた手が、やんわりと私の手首に回る
熱のせいか力の入っていないそれは、あっさりと振り払ってしまえるそれは、随分と熱くて
一瞬、強く握られたかと思えば力が抜けて、耳に届くのは少し穏やかになった寝息
するり、とその手から抜け出し、意味も無く握られた手首にそっと手を沿わす
まるで此処に居ろ、とでも言わんばかりに残るその温度を紛らわせてしまいたくて
早く冷めるように、と手を離して置き手紙だけ残して家を後にする
暑いこの季節は、体に残る温度を忘れさせてはくれなくて
気にしてしまう自分が、鬱陶しくて
何も無かった、そう言い聞かせてしまう自分が、憎らしい
その手がどんなに温かいかを知らないで
(気安く触れるな、なんてそんなこと思うような人間じゃなかったでしょ?)