大学生のキャラたちがゆっくりと青春する物語(TNS)
番外編
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学部も学科も違う(手塚と錦さんは一緒だけど)僕たちが一緒に過ごすのが日常に馴染んできた7月
そうして迎えた夏休み
僕たちからしたら当たり前の、大会へ向けての練習が本格化してきたそんな中
『ねぇ、部活の手伝い行ってもいい?球出しくらいなら出来るよ
後マネージャー業とか』
課題のために大学へ来ていた錦さんから昼休憩に呼び出されたかと思えば、いきなり発せられた言葉
脈略は正直無かった
『どういう流れでそうなったの?ん?』
「いいんじゃないかい?男子テニス部は女の子に飢えている節があるし
ねぇ、手塚」
「?まぁ、手伝いの申し出を邪険にはしないだろう」
『何だろうこの噛み合ってるようで噛み合ってない会話
そして不二君相変わらずの順応性
加えて絶対分からないであろう手塚君に振る感じ流石』
僕が抱いた疑問は一先ず置いておいて話に乗っかってみたら、相変わらずの突っ込みが入る
最近この流れが楽しくて悪ノリしているということを琴原さんに告げたらどんな顔をするのだろうか、なんて
流石に言わないけど
『いやね、テニサーの友達に海に行こうと誘われたんだけど、絶対に行きたくなくて
別に用事作ってやろうと』
錦さんは突拍子の無いことを言ったとしてもこうやって後からちゃんと話が伝わるような場を設けてくれるから、僕も安心してふざけられる
告げられた理由に僕と琴原さんは納得する
手塚に伝わるとは最初から思っていなかったらしく、そこはスルーしていたが
錦さんは、嫌なことは嫌だと線引きがしっかりしている
嫌でもやらなければいけないことは早々に終わらし、やらなくて良いことは徹底してやらない
穏やかに笑っている、大人しそうな印象を見る者に与えるが、実は心がしっかりしている部分がある
今回は後者、絶対にしたくないことなのだろう
それでも用事を捏ち上げる訳では無く本当に用事を作る辺り彼女の真面目な部分が見え隠れしている
嫌ではあるけど断ることに多少の罪悪感を感じている証拠だろう
こう言った誠実なところがあるから、彼女の嫌だからやらない、という言い分が通るのだろう
琴原さんを弄りながら楽しそうに会話をしている様子を見ながら、部長へ確認の連絡をする
まぁ、結果は見えているのだけれど
錦さんも錦さんで早々に行かない旨の連絡をしていた
(画面を見た瞬間思い切り眉間に皺が寄ったのでそれなりの件数の連絡が来ていたのだろう)
「いいってさ」
『早くないか』
「華が欲しいみたいだよ、折角の夏だし」
『弾ける季節だよね』
『ねぇ、何そのCMみたいな返し』
『だって夏ってそんなイメージじゃんね?』
「うん、そうだね」
『もういい、何も言うまい』
弾けるつもり無いクセにね
ちょっぴりそんな意地悪なことを思ったけど口には出さなかった
きっと音になっていたとしても錦さんは笑って、バレたか、なんて言うのは分かっていたけれど
──────
───
─
そうしてやって来た練習日
部長が張り切って借りた室内コートにはいつもは居ない紅一点
ジャージとTシャツに身を包んで、普段は下ろされている髪を一つに結んでラケットも持つ姿は正直新鮮だった
そう言えばテニサーに入っていることは知っていたけど、プレイしている姿を見たことは無かったな
幸村、仁王、白石などと楽しそうに話している姿も新鮮
たった1人いつも居ないメンバーがいるだけで、こんなに景色が変わるものなんだ、なんて
ランニングを終えてコートに入る
部員達が打ち合いしている間は球拾い、スマッシュやボレーなどの基礎練の間は球出し
コントロール練習中はラリーの相手役
物凄く何かに突出していると言ったものでは無かったけれど全て丁寧で、基礎をしっかり身につけたプレーだと思った
そういう所はなんだか錦さんらしい、そんなプレー
「お疲れ様」
『あ、お疲れー
やー、やっぱり部活なだけあってレベル高い
流石全国区のプレイヤーだねぇ』
「ありがとう」
「にしても、随分と意地悪な返球じゃったのう、梨乃ちゃん?」
『そう言う指示だったからね
みんなを走らせるの楽しかった、主に君と手塚とあそこでドヤ顔で見てくるキング様を』
「アーン?ドヤ顔なんかしてねぇだろうが」
『え、生まれ持った顔がそれなの?人に喧嘩売りそうな人生だね』
「「www」」
『ウチが言うのもあれなんだけど、愛想というか愛嬌を覚えた方がいいかもね』
「「「wwwwww」」」
『うん、これは手塚もだね
ほら、にこーって笑ってご覧なさいな、ってそれはそれで恐怖だな』
「ちょ、もう、やめてww」
「あー、お腹痛い…ww」
「ほんま錦ちゃんおもろいわぁ…」
『えー、ウチ…?』
ちょっとした休憩時間に交わされる会話
慣れてくると思ったことをはっきり言ってしまうらしい錦さんは、誰なら弄っても良いのか早々に見極めた様で
跡部は滅多にされない対応に(しかも女子)わなわなしていたけど、逆に僕たちはそんな姿が面白くて
本当に錦さんは会話のテンポがちょうど良い
頭の回転の速さから来るものなのだろうが、誰もが不快にならない程度の言葉選びが自然と出来ている
恐らく今までもずっと人を弄ってくる立場の人だったのだろう
その代表のような人が今でも友人として傍に居るのが良い例だ
周りがよく見えている
知れば知るほど彼女のそう言う部分が見えてくる
だから一緒に居ても苦に感じないし、居心地が良いと感じることが出来るのだろう
色んな一面が見えてきて、もはやそれを楽しんでしまっている僕がいるのは否めない
イメージが一人歩きしてしまう、けれどそれを気にもとめず自我を貫く
自分を持っているから出来る生き方
「やっぱり面白い子だなぁ…」
一体次はどんな顔を見せてくれるのだろうか
わくわくと逸る心はしっかりと隠して、練習へと戻った
──────
───
─
「あ、そう言えば」
『そう言えば?』
「仁王だけずるいから、僕も呼んでいい?」
『……?あ、名前?』
「そう」
『あれ、いつもじゃないよ?からかってくる時だけ』
「うん、でも名前の方が仲良しっぽいでしょ?」
『前の引きずってる?』
「仲良しじゃないの?」
『いや、仲良いとは思ってるけど
ん、名前で呼ばれる方が慣れてるし、それでいーよ』
練習を終え、琴原さんを待つ間何となく投げた話題
ほんとに何となく、ちょっとどんな反応をするのか気になったと言う好奇心で
思ったより薄い反応でがっかりしたのは、期待のしすぎだろうか
確かによくよく考えてみれば肩を引き寄せても顔色一つ変えなかった様な子だ
名前呼び程度で動揺するはずも無いのだけど
こういうのは琴原さんが居る前でしなければ何の反応も得られないか
慣れている、と言うのだけ少し引っ掛かったのは、特に意味は無いはずで
そうして合流して向かったのはファミレス
そこで他愛無い話をして、テニス部メンバーと居るときとはまた違った楽しい時間
お互い生きている環境が違うため、知らない話や、女の子のあれこれ
手塚は時折着いて来れなくなっているけど、それはもうテンプレで
お開きになって電車に揺られていつもの帰路につく
そんな中ふと目に入ったポスターの内容に話題は移って
『へぇ、夏祭り』
『え、行きたい』
『ほれ、この辺でもやるんだって』
『え、梨乃行こう、浴衣着よう』
『何で疑問符ついてないのかね?』
『行くでしょ?』
『まぁ、行きますけど』
梨乃ちゃんが何となく呟いたその言葉に真っ先に反応したのはもちろん琴原さん
もはや決定事項で話す琴原さんに苦笑しながらも了承する姿は、琴原さんにのみ見せる特別で
前述したように梨乃ちゃんはしたくない事はしない
今の反応は正直乗り気では無かったであろう事柄ではあったけれど、苦笑一つで了承した
好き嫌いの線引きがされているのは何も事象に限ったことでは無い
人に対してもそれは適応されている
これに関しては見ている感じ好きも嫌いもかなり選抜されていて、それ以外はどうでも良いに分類されているようではあるが
琴原さんはその数少ない好きに分類されている人
そんな特別な人に関しては、多少嫌でも引き受けるくらいのお人好しさを見せるところは、彼女の元来の面倒見の良さから来るものなのだろう
冷たいことを言いながらも見捨てられない、優しい人
そんなこと言ってもきっと彼女はその評価を素直に受け入れてはくれないだろうけど
そんなこと考えながらこの4人で参加するお祭りに思いを馳せる
結構規模が大きくて、そして時折良くない輩が彷徨いている
今年上京してきた彼女達は知らないことではあるけど、わざわざ楽しみにしているそんな気持ちに水を差すわけにも行かず
僕たちが着いていくわけであるし注意しておけば良いか、と胸の奥に留めておくのだった
──────
───
─
そうしてやって来た当日
人混みを見ながら嫌そうな顔をしている梨乃ちゃんを見つけて声を掛ける
何となくそうだと思っていたけど、やっぱり人混み嫌いだったんだ
夏祭りに行くのを渋る理由なんて、それくらいしかないもので
深い青地に白い大振りの華が咲く浴衣に身を包み、普段はあまりしないメイクを薄らとその整った顔に施し、綺麗にまとめ上げた髪に挿された髪飾りが動きに合わせシャラシャラと揺れる
普段と随分と雰囲気の違う梨乃ちゃんをじっと見る手塚が口を開いて
予想通りの言葉過ぎて、もう笑うしか無い
手塚、女の子はね髪型・服装だけでもがらっとイメージ変わるし、メイクした日には魔法に掛かる生き物なんだからね
覚えて置いた方が良いよ、絶対
梨乃ちゃんも予想していただろうその手塚の発言に怒るでもなく、僕の言葉に照れるわけでもなく
琴原さんが合流した時に繰り返したやり取りに、また一頻り笑って
手塚は何を見てその人のことを判断しているのだろうか、なんてそんなこと思う
『取り敢えず集まったし行こっか』
『お祭りテンション上がるね!何食べる?』
『何で食べるしか選択肢無いんですかね』
『お腹減ったから!』
『…うん、そうだね、あんたはそういう子だ』
他のメンバーの腹具合を確認しない辺り、今までそれが許されてきた子なんだろう
こうやって傍で甘やかしてくれる子が居れば尚更そうだろう
別に僕たちも異論があるわけでも無いのでそのまま後に続く
突っ走りそうな琴原さんの隣に目印になるように手塚を配置したのは梨乃ちゃん
必然的にその後ろに2人並んで歩く
元々の気温、人が溢れかえることによって更にそれは上がり、追い打ちのように屋台からの熱気にじわりと額に汗が滲む
暑い環境にはまぁ、それなりに慣れては居るけどやはり気分は良くないもので
くん、と引かれた服の裾
気が付けば隣を歩いていた梨乃ちゃんは数歩後ろに居て、僕の服の裾を掴み、片手は口元へと運ばれていた
立ち止まった僕たちを煩わしそうに人が避けて歩いて行く
けれど今はそんなことどうでも良くて
『…ごめん、ちょっと、やばい』
「顔色悪いね、気分悪い?」
『…ん、人気ないとこ、連れてって』
「うん、分かった
手塚、ってはぐれたか…」
声も掛けずに立ち止まった僕たちに気付かなかった様で、既に2人の姿は無かった
まぁ、それは後で連絡するとして今は梨乃ちゃんをどうにかしないと
恐らく人酔い、ならば脇道に逸れて人混みから抜けるのが最優先
ずっと俯いてしまっている梨乃ちゃんの肩を抱くようにして道を進む
確かこの先に石段があるから、一旦そこで休んでいて貰おう
目的の場所にたどり着いて座らせると、梨乃ちゃんは膝を抱えるように丸くなって座る
それでも声を掛けるとこちらを見上げて、小さく申し訳なさそうに笑う
飲み物を買ってくる旨を伝えると、殊更申し訳なさそうな顔をするものだから気にしないで欲しくて頭を撫でて立ち去る
どうやら彼女はその面倒見の良さから頼られることには慣れていても人を頼ることには慣れていないようだ
不器用な人
自分のことより人を甘やかしてしまう人
なら、誰が彼女を甘やかしているのだろうか
甘えを欠点と取ってしまいそうな彼女は
少し眉根に力が籠もった事を自覚しながら、手塚へと連絡を入れる
花火が始まる時間にいつもの穴場に集合と言えば伝わるだろう
完璧な強さしか人に見せない彼女の弱い部分に触れた
ただ興味深いだけだった子が、僕の中で女の子になっていく
友人なのは変わらない、気が合う良い子なのも変わらない
けどそこに一つ、守らなければならない脆さを持った女の子なのだという印象が、はっきりと刻まれた
──────
───
─
夏の大会の後
打ち上げと評されて強制参加させられた一種の飲み会は、その余韻もあってか無駄に盛り上がって気が付けば日を跨ぐまであと約1時間
そんな時間になってようやく解放され、僕たちは早々にそれぞれ帰路につく
一応未成年、男である分両親も多目に見てはくれているけどあまり出歩く様な時間では無い
だから、最初は人違いだと思った
夏の夜、もう遅い時間
同い年の、しかも一人暮らしのそんな子が一人音楽を聴きながら軽装で歩いている姿を見かけても、他人の空似だとそう思っていた
ふいに見えた横顔を視界に納めるまでは
音楽を聴いているから呼びかけても聞こえないだろうと肩を叩く
分かりやすく肩を跳ねさせて振り向きながらイヤホンを外したその顔には、明らかな驚愕が現されていた
『!びっ、くりしたー…、不二くんかぁ』
「僕もびっくりしたよ、こんな時間にどうしたの?」
『散歩』
「散歩」
『うん、夏の夜って結構涼しくて気持ちいいでしょ?
不二くんこそどうしたの、って今日大会だったっけ?打ち上げ?』
「そう、やたら盛り上がってこんな時間
流石に1人は危ないよ、送るから帰ろう?」
『………平気、ありがとう
お疲れ様、気を付けて帰ってね』
街で偶然友人に会った時のような会話
こんな時間で無ければ、何ら不自然ではないその会話に違和感を抱いているのはどうやら僕だけらしい
明らかに帰る気のないその返事に、咄嗟に腕を掴む
決して痛くないけれど、振り解くことは出来ないくらいの強さで
平気、と言いながら全然平気そうで無い
僕は一度見てしまっているんだ、君の弱い部分
隠すその顔は、もう見たことある顔なんだ
「僕も行くよ」
『不二くん家の方向違うでしょ?』
「それくらいなんて事ないし、誤差みたいなものでしょ?」
『疲れてる人に悪いよ』
「…帰りたくないの?」
『…そうだよ、って言ったら見過ごしてくれるの?』
「…何かあったの?」
『なぁんにも』
まるで何かあってくれたら良かったかのような口ぶり
帰りたくない、そう思っているのにそう思う理由が無いのだという矛盾
でも、今梨乃ちゃんはその感情に支配されてこうやって夜の街を彷徨っている
その笑みには様々な感情が乗っているようだ
表現しきれない自分のその感情を隠すために貼り付けた笑みは、隠し切れていない不器用なもので
そんなこときっと、梨乃ちゃんも分かっているだろうに
「……分かった
じゃあ、僕とドライブでも行こう」
『……はい?』
「免許、取ったんだ」
『いやいやいや、そうじゃなくてですね』
「帰りたくないんでしょ?僕もこのまま見過ごすつもりなんてない
だったら、一緒なら問題ないでしょ?」
『………えー、何、その暴論…』
思わずと言った感じに浮かんだその笑みは、先程のそれに比べると随分と自然で
諦めた様に肩の力が抜けたのを見て、掴んでいた腕を解いた
『じゃあ、海行きたい
夜の海、好きなんだ』
好きだと言いながら、少し苦しそうな顔をする
そのまま真っ暗な夜の海に呑み込まれたいとでも言うかのようなその隠された言葉に、胸がざわついて
つい先程手放したその手に、手を伸ばした
消えないで
それは音になったのかそうで無いのか、僕には分からなかった
──────
───
─
たどり着いた海
早々にヒールを脱ぎ捨てて足首までを海水に沈める
潮風が彼女の髪とスカートを揺らして、月明かりが何と表現するか分からない、そんな彼女の表情を照らして
髪を耳に掛け、僕に背中を向けた彼女は、波の音に消されそうなほど小さな声で語る
その音を逃さないように僕は砂を踏みしめて少しずつ彼女に近づく
『こんなんでも、ウチだって女の端くれだからさ
やっぱり感情で生きる生き物なんだよ』
そうだね、君は普段男女の差なんて意識しないように接するからつい頭から抜け落ちてしまうけど
時には弱くなる女の子だって事は、僕も知っているよ
『ちょっとずつ、日々の生活の中で感じた不満を飲み込みすぎただけ
我慢して、抑圧して、ストレスだけ溜めて、それが毎日少しずつ溜まって、溜まって
今日何かの拍子に溢れたって言う、自然な物理現象だよ』
そうか、君は思ったことをはっきり言う質だと自身を語りながらも我慢して生きてきたんだね
世の姉というのはそう言うものなんだろう
結局は、自己犠牲で片が付くのなら、あっさりと自分を傷つけてしまう
優しいから、誰かを傷つけるくらいならと、自分が傷付いてしまう、そんな臆病さが君の本質だったんだね
それを分かっているくせに、弱さを見せることが出来ない君はずっと一人で抱えて、苦しんで、藻掻いて
頼ることを知らない、甘えることは悪いこと、そんな先入観でまた自分を追い詰める
自分のことをよく分かっているくせに、分かっているからこそ、身動き取れなくなって苦しくなっている
あぁ、ほんとに不器用な人
ぽつり、ぽつり、紡がれていく音は、僕に説明しているようで居て、ほんとは自分に言い聞かせている
大丈夫、大丈夫、と
自分は強いから、誰も守ってくれない事を知っているから、自分が自分を守ろうと
いつもそうやって居たんだと簡単に想像出来る
十何年も掛けてできあがったこの性格は、きっと誰にも気付かれずに、気付かれていたとしても手を借りることはなくここまで成長してきたんだろう
どうして誰もこんな不器用な子を助けてあげないんだろう
必死に大丈夫なフリをしているその虚像を、信じ込んでいるのだろうか
『ありがとう、大丈夫だよ』
自己暗示
不意に浮かんだ言葉は恐らく正解で
全然大丈夫じゃ無いよ、気付いてあげて、ちゃんと心の声に向き合ってあげて
そんなに自分を追い込まないで
「梨乃ちゃん」
『ん?』
「その“大丈夫だよ”、ちゃんと僕の目を見て言ってみて
そうしたら納得してあげる」
ようやく交わった視線
いつもの真っ直ぐに貫く強い目は今は見る影も無くて、ゆらゆらと揺れていて
大丈夫と紡ごうと開かれた唇は、頭で思っている言葉を発することは無かった
「ねぇ、梨乃ちゃん」
『…何でだろ、ね』
「今梨乃ちゃんが言うべき言葉は、大丈夫なんかじゃ無いんじゃないかな」
ねぇ、梨乃ちゃん
ずっと強がって生きていられる人間って多分居ないんじゃないかな
嘘も貫き通せば誠になるって言うけど、それってかなりしんどい事だと思うんだ
もうボロボロの梨乃ちゃんにはきっと、それをするだけの気力は残っていないんじゃないかな
ねぇ、そろそろ自分の心の声を聞いてあげてよ
きっと辛いって泣き叫んでるはずだから
「言ってごらん、“助けて”って」
頼り方を、甘え方を覚えて
僕には寄りかかっても良いんだって事を知って
一人で立つ必要は無いんだよ
助けてばっかり居ないで、助けられても良いんだから
誰だって1人で完璧に生きているわけじゃ無いんだから
『……、、もうやだ、たすけて、…』
その声は今度こそ波音にかき消されてしまうほど小さく、弱々しいもので
それでも精一杯の助けを乞うこの声を聞き逃すはずも無くて
ようやく伸びてきた手をなるべく優しく握って、腕の中に包み込む
安心して良いよ、此処には僕しかいないんだ
君の弱さを笑う人は居ない、弱さを知る人は僕だけで
どうして君がそんなにも頼ることを、甘えること拒むのかはまだ何となくしか分からないけど
言い聞かせるんじゃ無くて、認めてあげようよ
「大丈夫だよ」
ちゃんと頑張ってるよ
自分を殺しながらもちゃんと誰かのために頑張れてるよ
だから今は自分のために、少し休息をあげよう
ご褒美をあげよう
頑張り続けることは、とてもしんどい事だから
安息を僕が与えられるのなら、いくらでもあげる
それで安心できるなら、いくらでも抱きしめるし言葉だってあげる
僕にその弱さを守らせて欲しい
強がりにも、見栄にも、意地にも、いくらでも付き合うし、そうして居られる内は僕は何も言わない
けど、そうで無いことを知っているから
腕の中の、僕より小さなこのぬくもりを感じながら、そんなことを願っていた
100回に1回の本音
(それでもいいよ、平気なフリが上手い人)
そうして迎えた夏休み
僕たちからしたら当たり前の、大会へ向けての練習が本格化してきたそんな中
『ねぇ、部活の手伝い行ってもいい?球出しくらいなら出来るよ
後マネージャー業とか』
課題のために大学へ来ていた錦さんから昼休憩に呼び出されたかと思えば、いきなり発せられた言葉
脈略は正直無かった
『どういう流れでそうなったの?ん?』
「いいんじゃないかい?男子テニス部は女の子に飢えている節があるし
ねぇ、手塚」
「?まぁ、手伝いの申し出を邪険にはしないだろう」
『何だろうこの噛み合ってるようで噛み合ってない会話
そして不二君相変わらずの順応性
加えて絶対分からないであろう手塚君に振る感じ流石』
僕が抱いた疑問は一先ず置いておいて話に乗っかってみたら、相変わらずの突っ込みが入る
最近この流れが楽しくて悪ノリしているということを琴原さんに告げたらどんな顔をするのだろうか、なんて
流石に言わないけど
『いやね、テニサーの友達に海に行こうと誘われたんだけど、絶対に行きたくなくて
別に用事作ってやろうと』
錦さんは突拍子の無いことを言ったとしてもこうやって後からちゃんと話が伝わるような場を設けてくれるから、僕も安心してふざけられる
告げられた理由に僕と琴原さんは納得する
手塚に伝わるとは最初から思っていなかったらしく、そこはスルーしていたが
錦さんは、嫌なことは嫌だと線引きがしっかりしている
嫌でもやらなければいけないことは早々に終わらし、やらなくて良いことは徹底してやらない
穏やかに笑っている、大人しそうな印象を見る者に与えるが、実は心がしっかりしている部分がある
今回は後者、絶対にしたくないことなのだろう
それでも用事を捏ち上げる訳では無く本当に用事を作る辺り彼女の真面目な部分が見え隠れしている
嫌ではあるけど断ることに多少の罪悪感を感じている証拠だろう
こう言った誠実なところがあるから、彼女の嫌だからやらない、という言い分が通るのだろう
琴原さんを弄りながら楽しそうに会話をしている様子を見ながら、部長へ確認の連絡をする
まぁ、結果は見えているのだけれど
錦さんも錦さんで早々に行かない旨の連絡をしていた
(画面を見た瞬間思い切り眉間に皺が寄ったのでそれなりの件数の連絡が来ていたのだろう)
「いいってさ」
『早くないか』
「華が欲しいみたいだよ、折角の夏だし」
『弾ける季節だよね』
『ねぇ、何そのCMみたいな返し』
『だって夏ってそんなイメージじゃんね?』
「うん、そうだね」
『もういい、何も言うまい』
弾けるつもり無いクセにね
ちょっぴりそんな意地悪なことを思ったけど口には出さなかった
きっと音になっていたとしても錦さんは笑って、バレたか、なんて言うのは分かっていたけれど
──────
───
─
そうしてやって来た練習日
部長が張り切って借りた室内コートにはいつもは居ない紅一点
ジャージとTシャツに身を包んで、普段は下ろされている髪を一つに結んでラケットも持つ姿は正直新鮮だった
そう言えばテニサーに入っていることは知っていたけど、プレイしている姿を見たことは無かったな
幸村、仁王、白石などと楽しそうに話している姿も新鮮
たった1人いつも居ないメンバーがいるだけで、こんなに景色が変わるものなんだ、なんて
ランニングを終えてコートに入る
部員達が打ち合いしている間は球拾い、スマッシュやボレーなどの基礎練の間は球出し
コントロール練習中はラリーの相手役
物凄く何かに突出していると言ったものでは無かったけれど全て丁寧で、基礎をしっかり身につけたプレーだと思った
そういう所はなんだか錦さんらしい、そんなプレー
「お疲れ様」
『あ、お疲れー
やー、やっぱり部活なだけあってレベル高い
流石全国区のプレイヤーだねぇ』
「ありがとう」
「にしても、随分と意地悪な返球じゃったのう、梨乃ちゃん?」
『そう言う指示だったからね
みんなを走らせるの楽しかった、主に君と手塚とあそこでドヤ顔で見てくるキング様を』
「アーン?ドヤ顔なんかしてねぇだろうが」
『え、生まれ持った顔がそれなの?人に喧嘩売りそうな人生だね』
「「www」」
『ウチが言うのもあれなんだけど、愛想というか愛嬌を覚えた方がいいかもね』
「「「wwwwww」」」
『うん、これは手塚もだね
ほら、にこーって笑ってご覧なさいな、ってそれはそれで恐怖だな』
「ちょ、もう、やめてww」
「あー、お腹痛い…ww」
「ほんま錦ちゃんおもろいわぁ…」
『えー、ウチ…?』
ちょっとした休憩時間に交わされる会話
慣れてくると思ったことをはっきり言ってしまうらしい錦さんは、誰なら弄っても良いのか早々に見極めた様で
跡部は滅多にされない対応に(しかも女子)わなわなしていたけど、逆に僕たちはそんな姿が面白くて
本当に錦さんは会話のテンポがちょうど良い
頭の回転の速さから来るものなのだろうが、誰もが不快にならない程度の言葉選びが自然と出来ている
恐らく今までもずっと人を弄ってくる立場の人だったのだろう
その代表のような人が今でも友人として傍に居るのが良い例だ
周りがよく見えている
知れば知るほど彼女のそう言う部分が見えてくる
だから一緒に居ても苦に感じないし、居心地が良いと感じることが出来るのだろう
色んな一面が見えてきて、もはやそれを楽しんでしまっている僕がいるのは否めない
イメージが一人歩きしてしまう、けれどそれを気にもとめず自我を貫く
自分を持っているから出来る生き方
「やっぱり面白い子だなぁ…」
一体次はどんな顔を見せてくれるのだろうか
わくわくと逸る心はしっかりと隠して、練習へと戻った
──────
───
─
「あ、そう言えば」
『そう言えば?』
「仁王だけずるいから、僕も呼んでいい?」
『……?あ、名前?』
「そう」
『あれ、いつもじゃないよ?からかってくる時だけ』
「うん、でも名前の方が仲良しっぽいでしょ?」
『前の引きずってる?』
「仲良しじゃないの?」
『いや、仲良いとは思ってるけど
ん、名前で呼ばれる方が慣れてるし、それでいーよ』
練習を終え、琴原さんを待つ間何となく投げた話題
ほんとに何となく、ちょっとどんな反応をするのか気になったと言う好奇心で
思ったより薄い反応でがっかりしたのは、期待のしすぎだろうか
確かによくよく考えてみれば肩を引き寄せても顔色一つ変えなかった様な子だ
名前呼び程度で動揺するはずも無いのだけど
こういうのは琴原さんが居る前でしなければ何の反応も得られないか
慣れている、と言うのだけ少し引っ掛かったのは、特に意味は無いはずで
そうして合流して向かったのはファミレス
そこで他愛無い話をして、テニス部メンバーと居るときとはまた違った楽しい時間
お互い生きている環境が違うため、知らない話や、女の子のあれこれ
手塚は時折着いて来れなくなっているけど、それはもうテンプレで
お開きになって電車に揺られていつもの帰路につく
そんな中ふと目に入ったポスターの内容に話題は移って
『へぇ、夏祭り』
『え、行きたい』
『ほれ、この辺でもやるんだって』
『え、梨乃行こう、浴衣着よう』
『何で疑問符ついてないのかね?』
『行くでしょ?』
『まぁ、行きますけど』
梨乃ちゃんが何となく呟いたその言葉に真っ先に反応したのはもちろん琴原さん
もはや決定事項で話す琴原さんに苦笑しながらも了承する姿は、琴原さんにのみ見せる特別で
前述したように梨乃ちゃんはしたくない事はしない
今の反応は正直乗り気では無かったであろう事柄ではあったけれど、苦笑一つで了承した
好き嫌いの線引きがされているのは何も事象に限ったことでは無い
人に対してもそれは適応されている
これに関しては見ている感じ好きも嫌いもかなり選抜されていて、それ以外はどうでも良いに分類されているようではあるが
琴原さんはその数少ない好きに分類されている人
そんな特別な人に関しては、多少嫌でも引き受けるくらいのお人好しさを見せるところは、彼女の元来の面倒見の良さから来るものなのだろう
冷たいことを言いながらも見捨てられない、優しい人
そんなこと言ってもきっと彼女はその評価を素直に受け入れてはくれないだろうけど
そんなこと考えながらこの4人で参加するお祭りに思いを馳せる
結構規模が大きくて、そして時折良くない輩が彷徨いている
今年上京してきた彼女達は知らないことではあるけど、わざわざ楽しみにしているそんな気持ちに水を差すわけにも行かず
僕たちが着いていくわけであるし注意しておけば良いか、と胸の奥に留めておくのだった
──────
───
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そうしてやって来た当日
人混みを見ながら嫌そうな顔をしている梨乃ちゃんを見つけて声を掛ける
何となくそうだと思っていたけど、やっぱり人混み嫌いだったんだ
夏祭りに行くのを渋る理由なんて、それくらいしかないもので
深い青地に白い大振りの華が咲く浴衣に身を包み、普段はあまりしないメイクを薄らとその整った顔に施し、綺麗にまとめ上げた髪に挿された髪飾りが動きに合わせシャラシャラと揺れる
普段と随分と雰囲気の違う梨乃ちゃんをじっと見る手塚が口を開いて
予想通りの言葉過ぎて、もう笑うしか無い
手塚、女の子はね髪型・服装だけでもがらっとイメージ変わるし、メイクした日には魔法に掛かる生き物なんだからね
覚えて置いた方が良いよ、絶対
梨乃ちゃんも予想していただろうその手塚の発言に怒るでもなく、僕の言葉に照れるわけでもなく
琴原さんが合流した時に繰り返したやり取りに、また一頻り笑って
手塚は何を見てその人のことを判断しているのだろうか、なんてそんなこと思う
『取り敢えず集まったし行こっか』
『お祭りテンション上がるね!何食べる?』
『何で食べるしか選択肢無いんですかね』
『お腹減ったから!』
『…うん、そうだね、あんたはそういう子だ』
他のメンバーの腹具合を確認しない辺り、今までそれが許されてきた子なんだろう
こうやって傍で甘やかしてくれる子が居れば尚更そうだろう
別に僕たちも異論があるわけでも無いのでそのまま後に続く
突っ走りそうな琴原さんの隣に目印になるように手塚を配置したのは梨乃ちゃん
必然的にその後ろに2人並んで歩く
元々の気温、人が溢れかえることによって更にそれは上がり、追い打ちのように屋台からの熱気にじわりと額に汗が滲む
暑い環境にはまぁ、それなりに慣れては居るけどやはり気分は良くないもので
くん、と引かれた服の裾
気が付けば隣を歩いていた梨乃ちゃんは数歩後ろに居て、僕の服の裾を掴み、片手は口元へと運ばれていた
立ち止まった僕たちを煩わしそうに人が避けて歩いて行く
けれど今はそんなことどうでも良くて
『…ごめん、ちょっと、やばい』
「顔色悪いね、気分悪い?」
『…ん、人気ないとこ、連れてって』
「うん、分かった
手塚、ってはぐれたか…」
声も掛けずに立ち止まった僕たちに気付かなかった様で、既に2人の姿は無かった
まぁ、それは後で連絡するとして今は梨乃ちゃんをどうにかしないと
恐らく人酔い、ならば脇道に逸れて人混みから抜けるのが最優先
ずっと俯いてしまっている梨乃ちゃんの肩を抱くようにして道を進む
確かこの先に石段があるから、一旦そこで休んでいて貰おう
目的の場所にたどり着いて座らせると、梨乃ちゃんは膝を抱えるように丸くなって座る
それでも声を掛けるとこちらを見上げて、小さく申し訳なさそうに笑う
飲み物を買ってくる旨を伝えると、殊更申し訳なさそうな顔をするものだから気にしないで欲しくて頭を撫でて立ち去る
どうやら彼女はその面倒見の良さから頼られることには慣れていても人を頼ることには慣れていないようだ
不器用な人
自分のことより人を甘やかしてしまう人
なら、誰が彼女を甘やかしているのだろうか
甘えを欠点と取ってしまいそうな彼女は
少し眉根に力が籠もった事を自覚しながら、手塚へと連絡を入れる
花火が始まる時間にいつもの穴場に集合と言えば伝わるだろう
完璧な強さしか人に見せない彼女の弱い部分に触れた
ただ興味深いだけだった子が、僕の中で女の子になっていく
友人なのは変わらない、気が合う良い子なのも変わらない
けどそこに一つ、守らなければならない脆さを持った女の子なのだという印象が、はっきりと刻まれた
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夏の大会の後
打ち上げと評されて強制参加させられた一種の飲み会は、その余韻もあってか無駄に盛り上がって気が付けば日を跨ぐまであと約1時間
そんな時間になってようやく解放され、僕たちは早々にそれぞれ帰路につく
一応未成年、男である分両親も多目に見てはくれているけどあまり出歩く様な時間では無い
だから、最初は人違いだと思った
夏の夜、もう遅い時間
同い年の、しかも一人暮らしのそんな子が一人音楽を聴きながら軽装で歩いている姿を見かけても、他人の空似だとそう思っていた
ふいに見えた横顔を視界に納めるまでは
音楽を聴いているから呼びかけても聞こえないだろうと肩を叩く
分かりやすく肩を跳ねさせて振り向きながらイヤホンを外したその顔には、明らかな驚愕が現されていた
『!びっ、くりしたー…、不二くんかぁ』
「僕もびっくりしたよ、こんな時間にどうしたの?」
『散歩』
「散歩」
『うん、夏の夜って結構涼しくて気持ちいいでしょ?
不二くんこそどうしたの、って今日大会だったっけ?打ち上げ?』
「そう、やたら盛り上がってこんな時間
流石に1人は危ないよ、送るから帰ろう?」
『………平気、ありがとう
お疲れ様、気を付けて帰ってね』
街で偶然友人に会った時のような会話
こんな時間で無ければ、何ら不自然ではないその会話に違和感を抱いているのはどうやら僕だけらしい
明らかに帰る気のないその返事に、咄嗟に腕を掴む
決して痛くないけれど、振り解くことは出来ないくらいの強さで
平気、と言いながら全然平気そうで無い
僕は一度見てしまっているんだ、君の弱い部分
隠すその顔は、もう見たことある顔なんだ
「僕も行くよ」
『不二くん家の方向違うでしょ?』
「それくらいなんて事ないし、誤差みたいなものでしょ?」
『疲れてる人に悪いよ』
「…帰りたくないの?」
『…そうだよ、って言ったら見過ごしてくれるの?』
「…何かあったの?」
『なぁんにも』
まるで何かあってくれたら良かったかのような口ぶり
帰りたくない、そう思っているのにそう思う理由が無いのだという矛盾
でも、今梨乃ちゃんはその感情に支配されてこうやって夜の街を彷徨っている
その笑みには様々な感情が乗っているようだ
表現しきれない自分のその感情を隠すために貼り付けた笑みは、隠し切れていない不器用なもので
そんなこときっと、梨乃ちゃんも分かっているだろうに
「……分かった
じゃあ、僕とドライブでも行こう」
『……はい?』
「免許、取ったんだ」
『いやいやいや、そうじゃなくてですね』
「帰りたくないんでしょ?僕もこのまま見過ごすつもりなんてない
だったら、一緒なら問題ないでしょ?」
『………えー、何、その暴論…』
思わずと言った感じに浮かんだその笑みは、先程のそれに比べると随分と自然で
諦めた様に肩の力が抜けたのを見て、掴んでいた腕を解いた
『じゃあ、海行きたい
夜の海、好きなんだ』
好きだと言いながら、少し苦しそうな顔をする
そのまま真っ暗な夜の海に呑み込まれたいとでも言うかのようなその隠された言葉に、胸がざわついて
つい先程手放したその手に、手を伸ばした
消えないで
それは音になったのかそうで無いのか、僕には分からなかった
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たどり着いた海
早々にヒールを脱ぎ捨てて足首までを海水に沈める
潮風が彼女の髪とスカートを揺らして、月明かりが何と表現するか分からない、そんな彼女の表情を照らして
髪を耳に掛け、僕に背中を向けた彼女は、波の音に消されそうなほど小さな声で語る
その音を逃さないように僕は砂を踏みしめて少しずつ彼女に近づく
『こんなんでも、ウチだって女の端くれだからさ
やっぱり感情で生きる生き物なんだよ』
そうだね、君は普段男女の差なんて意識しないように接するからつい頭から抜け落ちてしまうけど
時には弱くなる女の子だって事は、僕も知っているよ
『ちょっとずつ、日々の生活の中で感じた不満を飲み込みすぎただけ
我慢して、抑圧して、ストレスだけ溜めて、それが毎日少しずつ溜まって、溜まって
今日何かの拍子に溢れたって言う、自然な物理現象だよ』
そうか、君は思ったことをはっきり言う質だと自身を語りながらも我慢して生きてきたんだね
世の姉というのはそう言うものなんだろう
結局は、自己犠牲で片が付くのなら、あっさりと自分を傷つけてしまう
優しいから、誰かを傷つけるくらいならと、自分が傷付いてしまう、そんな臆病さが君の本質だったんだね
それを分かっているくせに、弱さを見せることが出来ない君はずっと一人で抱えて、苦しんで、藻掻いて
頼ることを知らない、甘えることは悪いこと、そんな先入観でまた自分を追い詰める
自分のことをよく分かっているくせに、分かっているからこそ、身動き取れなくなって苦しくなっている
あぁ、ほんとに不器用な人
ぽつり、ぽつり、紡がれていく音は、僕に説明しているようで居て、ほんとは自分に言い聞かせている
大丈夫、大丈夫、と
自分は強いから、誰も守ってくれない事を知っているから、自分が自分を守ろうと
いつもそうやって居たんだと簡単に想像出来る
十何年も掛けてできあがったこの性格は、きっと誰にも気付かれずに、気付かれていたとしても手を借りることはなくここまで成長してきたんだろう
どうして誰もこんな不器用な子を助けてあげないんだろう
必死に大丈夫なフリをしているその虚像を、信じ込んでいるのだろうか
『ありがとう、大丈夫だよ』
自己暗示
不意に浮かんだ言葉は恐らく正解で
全然大丈夫じゃ無いよ、気付いてあげて、ちゃんと心の声に向き合ってあげて
そんなに自分を追い込まないで
「梨乃ちゃん」
『ん?』
「その“大丈夫だよ”、ちゃんと僕の目を見て言ってみて
そうしたら納得してあげる」
ようやく交わった視線
いつもの真っ直ぐに貫く強い目は今は見る影も無くて、ゆらゆらと揺れていて
大丈夫と紡ごうと開かれた唇は、頭で思っている言葉を発することは無かった
「ねぇ、梨乃ちゃん」
『…何でだろ、ね』
「今梨乃ちゃんが言うべき言葉は、大丈夫なんかじゃ無いんじゃないかな」
ねぇ、梨乃ちゃん
ずっと強がって生きていられる人間って多分居ないんじゃないかな
嘘も貫き通せば誠になるって言うけど、それってかなりしんどい事だと思うんだ
もうボロボロの梨乃ちゃんにはきっと、それをするだけの気力は残っていないんじゃないかな
ねぇ、そろそろ自分の心の声を聞いてあげてよ
きっと辛いって泣き叫んでるはずだから
「言ってごらん、“助けて”って」
頼り方を、甘え方を覚えて
僕には寄りかかっても良いんだって事を知って
一人で立つ必要は無いんだよ
助けてばっかり居ないで、助けられても良いんだから
誰だって1人で完璧に生きているわけじゃ無いんだから
『……、、もうやだ、たすけて、…』
その声は今度こそ波音にかき消されてしまうほど小さく、弱々しいもので
それでも精一杯の助けを乞うこの声を聞き逃すはずも無くて
ようやく伸びてきた手をなるべく優しく握って、腕の中に包み込む
安心して良いよ、此処には僕しかいないんだ
君の弱さを笑う人は居ない、弱さを知る人は僕だけで
どうして君がそんなにも頼ることを、甘えること拒むのかはまだ何となくしか分からないけど
言い聞かせるんじゃ無くて、認めてあげようよ
「大丈夫だよ」
ちゃんと頑張ってるよ
自分を殺しながらもちゃんと誰かのために頑張れてるよ
だから今は自分のために、少し休息をあげよう
ご褒美をあげよう
頑張り続けることは、とてもしんどい事だから
安息を僕が与えられるのなら、いくらでもあげる
それで安心できるなら、いくらでも抱きしめるし言葉だってあげる
僕にその弱さを守らせて欲しい
強がりにも、見栄にも、意地にも、いくらでも付き合うし、そうして居られる内は僕は何も言わない
けど、そうで無いことを知っているから
腕の中の、僕より小さなこのぬくもりを感じながら、そんなことを願っていた
100回に1回の本音
(それでもいいよ、平気なフリが上手い人)