五条の愛着実験



綺麗な青空、生い茂った草。そして、真ん中に描かれた木。その木は、背景に対して不自然な程に小さい。そして、その木には根がなかった。とても綺麗な絵のはずなのに、主役であるはずの木が異質なアンバランスさを醸し出していた。

――バウムテスト――
人の深層心理を図ることに使われる心理検査の技法。投影法の一つだがたった一本の樹木を描くだけで、その人の無意識の内面を推し量る事が出来るのでカウンセリングで使われる事が多い。

その描かれた絵を見て、五条国永は分析していた。
まず、この絵を描いた者は、一見すると安定した精神状態に見えるが、その木のアンバランスから自己肯定感の低さ、不安、緊張感の強いタイプで、言い換えれば殻に閉じこもりやすいタイプだろうと思った。
そして、心理カウンセラーである五条国永の抱いた印象は、ペルソナ。人格の形成が不安定なのでは。と、思った。
この絵を書いた一人の少女を、これからカウンセリングする事となった五条国永は頭の中で、さてどういった手法でアプローチするかね。と、一人考えるのだった。


「これから、君のカウンセリングをする事になった五条国永だ。宜しく」

そう、自己紹介の言葉を私に投げかける五条国永を見て、私は少し緊張していた。

私は、精神的な体調不良から学校を休学していた。それで、家に引き篭っている時、唯一の家族である祖母が見兼ねて、知り合いの心理カウンセラーに訪問診療を頼んだのだ。私の想像では、お爺ちゃん先生でも来るのだろうと思っていたのだが、来たのは絹糸の様な白髪に蜂蜜のような淡い琥珀色の瞳をした青年だった。どう見ても、お爺ちゃんでは無いし、二十代位に見える。

「えっと……古盛羽月です。宜しくお願いします」

そう、しどろもどろにも返事をした私に、五条先生は優しく微笑を綻ばせる。

「よし、羽月さん。とりあえず、ゆっっくりで構わないから君の事を聞かせてくれるかい?」
「は、はい……」

そうして、私は五条先生に今までの事。病気の事などを話す。
私は、気づいた時には祖母に育てられていた。私の母は、私を未婚の母として身篭ったそうだが、私を産む時に亡くなってしまったそうだ。そこからは、私は祖母と二人で過ごしている。幼少期は順調に成長していったのだが、高校に入学して暫くした時、ある日、朝起きると身体がだるく、とてもしんどかった。それは、起き上がれない程で一週間位は殆どベットの上で過ごしていた。それから少しづつ、最初に比べると幾分か体調はマシになったが、それ以来ずっと外に出るのが怖くなって家に引きこもっている。祖母は、そんな私に何も言わず今まで通り優しく接してくれていた。
そして、数ヶ月経って今日、五条先生が来た。という感じだ。

「そうか。話してくれてありがとう。俺は、あくまで心理カウンセラーであって精神医師では無いから断定は出来ないが、君の経緯や症状から、君は思春期特有の破裂型の精神病なんじゃないかと思う」
「破裂型?」
聞き慣れない単語に思わず私は聞き返した。
「んー……いやそうだな……言葉が悪かった。第二次性徴期などの時に、心と体のバランスが不安定になって精神的な病を発症する。ということだ」
「そうなんですね……」

私の今まで、原因不明だった事を、症状として言葉で説明をされて何だかストン――と、腑に落ちた。

「それで、これから月に二回、カウンセリングをしていきたいのだが、宜しくな」
「は、はい」

そう言って、私と五条先生の初対面は終わったのだった。



カーテンの隙間から差し込む朝日が顔を照らす。
あぁ――朝か。そう思って意識が浮上してきた時、耳に声が流れて来た。

「ごめんなさいねぇ。五条くん。うちの羽月。今日は、起きてこなかったから体がしんどいみたいなの……」
「いや、大丈夫だ。初江ばぁちゃん。ただ、ちょっと様子を見てきても良いかい?」

そうして、その声と共に扉が開いた。

「あ、君。起きてんだな。おはよう」
「おはようございます……」

そう朝の挨拶を、まるでずっとしていたかのように自然に返すと五条先生はベットの横のソファに座った。

「今日は、カウンセリングの予定だが、ゆっくり話でもしようか」
「話ですか」
「あぁ」

私は、さっきの五条先生と祖母の遣り取りが気になった。

「あの、五条先生はおばぁちゃんと知り合いとは聞いてたのですが、どういう知り合いなのですか?」
「あぁ。俺と初江ばぁちゃん。君のおばぁちゃんとは、俺の祖母が友達なんだ。これも、言ってなかったが昔に君が小さい頃会ったこともあるんだぜ」
「そうだったんですね……後、聞いていいのか分からないのですが、どうして心理カウンセラーになったんですか」

私がそう言うと、五条先生はなぜか、ピタリと数秒静止してしまった。そして、苦笑する。

「そうだなぁ。気になるよな。まぁ、話してどうこうなるって訳でもないし、話すか……」

そうして、五条先生は訳を話してくれた。
その、私が小さい時に、会ったことがある五条先生は私がきっかけで心理カウンセラーを志したそうだ。どういう事かと言うと、幼い私と話している時に、ポツリと私は、お母さんが居なくて寂しいの。と、言ったそうだ。それに、五条先生は慌てたそうだが、何とか励まそうと色々と幼い私に声を掛けたそうだ。すると、私は一言。お兄ちゃんは、優しいね。人を元気にさせるのが上手。と、言ったそうだ。それで、五条先生は、人を元気にさせる職。心理カウンセラーを目指したそうだ。

「これを、張本人の君に話すのは、いささか気恥しいな……」

そう言うと、五条先生は、自分の頬を掻くのだった。

「それでな。君。本来ならカウンセラーは患者に大して、さん付けで呼ばないといけないのだが、昔に君と会っててそういう事があった俺としてはちょっと、慣れなくてな。羽月と呼び捨てで読んでも良いかい?」
「え、あ。はい。大丈夫です」
「そうか。君の五条先生呼びも変えて欲しい所では、あるがそうすると俺はちゃんと、心理カウンセラーを真っ当出来ないかもだから、昔のお兄ちゃんになってしまいそうだからなぁ。暫くは、五条先生で良いさ」

そうして、暫く話をしたら今回のカウンセリングは終わったのだった。



「五条先生。おはようございます」
「おはよう。羽月。今日は少し調子が良いかい?」
「あ、はい。今日はいつもより調子が良いです」
「そうか。なら、少し勇気を出して外に散歩に行ってみないかい?」

河川敷の心地が良い風が頬を撫でる。
私は、今、五条先生と散歩に来ていた。
今日は、平日の昼間で人が少ない事もあって、五条先生も居てくれたお陰か何とか外出が出来た。

――はーーー……

一つ、深く深呼吸する。数ヶ月ぶりの外の空気はとても美味しかった。

「太陽の陽射しに当たるのはとても健康にいい事だからなぁ。これから、少しづつこうして練習していこうか」
「はい」

そうして、話しているときだった。私と同じ年頃位の女の子達がぞろぞろと河川敷を歩いていた。知らない人ではある。だが、何だか怖い……もう少しで、すれ違うという時。思わず、隣に居た五条先生の手を掴んでしまった。
女の子達が、すれ違いどんどん離れていく。

「ご、ごめんなさい……五条先生」
「いや、大丈夫だ……まさか俺が古典的な吊り橋効果に掛かるとはなぁ」
「えっ?」

よく分からない言葉を五条先生が呟いたので聞き返した。

「いや、なんでもない。暫く、落ち着くまでいくらでも手を掴んでくれてて良いぜ」
「あ、はい……」

その、五条先生の言葉に、思わず掴んでしまった手を意識する。綺麗な手だ。男の人の手なのにとっても色白だ。五条先生の少し低い体温が手から伝わって来る。私は、何だか動悸が早くなるような不思議な感覚がした。

「よっし、じゃ、そろそろ家に帰ろうか。羽月」
「はい。五条先生」

そうして、掴んでいた手を離して帰路を辿る。
綺麗な青空に、綺麗な空気。涼やかな河川敷。
なんだか、目に映る全てがカラフルな、鮮やかな気がした。

「五条先生。空が綺麗ですね」
「ん?あ、ほんとだな。綺麗だな。空で思い出したんだがクオリアって知ってるかい?」
「クオリア?」
聞きなれない単語だ。
「あぁ、簡単に言ったら哲学になるんだが自分の見ている色と他人の見ている色は、果たして同じか?っていう思考実験だ」
「なんだか難しそうな実験ですね……」
「ああ、そうなんだが俺が思ったのはな。例え、もし見えてる色が違ったとしても、同じものを美しいと思えるその心が大切なんじゃないかと思うよ。まぁ、さっきの青空の話でそれを思い出しただけだ」

そう言うと、五条先生は優しく微笑んだ。青空に、綺麗な空気に、涼やかな河川敷。そして、微笑む五条先生。
――思わず息を飲む。確かに、五条先生が言うように同じものを綺麗だと思えるその心は大切だと思った。

私と五条先生のカウンセリングの日々は続く。
それは、きっと美しくて、愛おしいのだろう。



――五条の愛着実験――
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