糸雨の日に
ぽつり、ぽつりと波紋が広がる。
しとしと、と雨が降っている。
私は、ただ、ただ立ち尽くしていた。
審神者候補生として、現世から徴集されてどこにあるのか分からない亜空間で過ごして数週間が経った。
私は、他の候補生とも馴染めないでいる。
思えば、現世にいた時からそうだった。小さい頃から、引っ込み思案で、他の同じくらいの年頃の子達が遊んでいるのを遠くからじっと眺めているような子だった。誰かに、話かけられても目が合わせられず、しどろもどろになってしまう。そんな、感じで気づいたら友達が一度も出来た事がなく、高校生になっていた。
雨に濡られながらさっきまでの事を思い出す。訓練生として、審神者養成所で勉強しているが、はっきり言って私は落ちこぼれだ。座学は、ある程度出来ても、実技が、霊力の使い方がてんで駄目で、上手くいった試しがない。
そう、こんな私なんて、審神者になんて、審神者になんて――「おい……!」
声がして、振り向くとそこには薄緑の髪にきりっとした意志の強そうな琥珀色の瞳をした青年が立っていた。
「なんですか……」
「それは、此方の台詞だ。こんな雨の中、何をしている」
「……」
「黙っていたら分からないだろう。それと、俺が喋っているのだから視線くらい此方に向けたらどうだ」
そう言うと、あらぬ方向を見ていた私の顔を青年は無理やり上げた。
「なんっ……ですか……」
「なんだ。泣いていた訳では無いのだな」
何を言ってるのだろう。この人は、もしかして、心配して声を掛けてくれたのだろうか?てっきり、何か気に触ったのだろうかとでも思っていた。
「泣いてません……」
「そうか」
「貴方も濡れちゃいますよ……」
「俺もあいにく、雨に濡れたい気分だから良いんだ」
それが、私と膝丸さんの出会いだった。
初めての出会いの水無月から、ひと月。
――文月――
「また、君か……」
「そういう貴方こそ」
「俺は膝丸だ」
「え……」
「膝丸と呼んでくれ」
「あ、はい」
青年は、膝丸と言うらしい。そう、喋ると、流石に前みたいにずっと雨に濡れている訳にも行かないので、私が雨に濡れに来るこの審神者養成所の離の近くにある、屋根のある、バス停の様な場所に移動した。
「君は審神者候補生か?」
「は、はい」
「ふむ。さしずめ養成所で上手くいかず、雨に濡れてたそがれていたのか」
「な……!ち、違います!」
「違うのか?」
「違わないこともないけど……」
「君は、馬鹿正直だな。それに前と違って目を合わせてくれいる。その方がいいぞ」
「……」
私は、思わず呆気に取られてしまった。今まで、私の態度を見るとそれ以上、話しかけてこようとする人は、居なかったのだ。それが、良い意味で、無遠慮なく、話しかけられて驚いた。
「膝丸さんこそ、変な人ですね……」
「変な人だと……」
その日は、そんな調子で数分話をすると別れたのだった。
――葉月――
「また、泣きに来たのか?」
「今日は、違います」
「そうか、いい事でもあったのか?」
「はい。友達が出来ました」
そう、友達が出来たのである。同じ訓練生の同じくらいの年頃の女の子で、私がしどろもどろになっても気にせず、話しかけてくれたのだ。
「そうか。良かったな」
そう言って、膝丸さんは微笑んだ。その笑みがとても綺麗で思わず、少し見とれてしまった。
「膝丸さんでも笑ったりするんですね……」
「君は、俺をなんだと思っているんだ……」
そうして、少しの間たわいも無い話をした。
――葉月――
雨が、降っている。私は、初めてこの場所に傘を差して来た。
「君もついに雨に傘を差すくれいにはなったか」
「前までは、偶々です」
膝丸さんは、私がこの場所に来ると気づいたら現れる。ふと、気になって尋ねた。
「膝丸さんはいつもここに居るんですか?」
「いや、違う。それこそ、偶々だ」
「そういう、君こそ良くここに来るのか?」
「いえ、違います」
「なんだ。俺にでも会いに来てるのか?」
「そうです」
「な……!?そうなのか」
膝丸さんの驚いた顔は珍しい。そんな、調子で暫く話したのだった。
――長月――
雨が降っている。私は、膝丸さんに会いに来た。いつの間にか、ひと月に一度膝丸さんの元へ訪れるのが恒例のようになっていた。
「膝丸さんー。居ますか?」
「君か……」
声がした方向に振り向くと膝丸さんが立っていた。
「膝丸さん」
「どうした?」
「最近、私良い事があったんです。だから自慢しに来ました」
「ふむ。なんだ」
「審神者養成所で上手くいくようになりました。私が悩んでいた霊力の扱い方が出来るようになったんです」
そう。霊力の扱い方が上手くできるようになったのだ。思えば、まだ、指で数える程だが膝丸さんとは色んな話をしている。
「そうか。頑張ったじゃないか」
そう言うと、膝丸さんは私の頭を撫でた。思っていたよりも、低い温度が伝わってきた。だけど、とても優しい手だった。
――神無月――
最初に、ここに訪れた時のようにぽつりぽつりと雨が降っている。
「また、雨だな」
「そうですね」
気配なく、膝丸さんに話掛けられるのも馴れてしまった。
「膝丸さん」
「なんだ」
「私、審神者候補生を終えて審神者に成れる事になりました」
「そうか」
思っていたよりも、あっさりとした返答に私は少し、むっとして、もっと膝丸さんを驚かせれる事があるからそれを伝えるために口を開いた。
「それで、先輩審神者さんが来た時に知ったのですが膝丸さんって刀剣男士だったんですね」
講習に来た審神者の護衛が膝丸さんと瓜二つの人で驚いた。審神者養成所では、滅多の事では刀剣男士を見る機会が無いのだ。
「そうだな。俺は刀剣男士だ」
「……それでなのですが、膝丸さん私の元へ来ませんか?」
「どういう事だ」
「私が、審神者となった本丸に来てくれませんか。って事です」
「すまない……それは、出来ない……」
「他に、主さんが居るんですか?てっきり私、偶にいると聞く野良の刀剣男士かと……」
いつも、膝丸さんは雨の日に、私がこの場所に訪れるといた。
ある時に、審神者養成所の講師に聞いたことがある。刀剣男士の中には主を持たない野良の刀剣男士もいると、
「いや違う。これを見てくれ……」
そう言うと、私の目前に膝丸さんは手をかざした。――その手は、指先が向こう側の景色が見えるように透けていた。
「どう……いうことですか……」
「少しの間、聞いてくれ」
そう言うと、膝丸さんは口を開いて説明してくれた。
膝丸さんは、一言で言えば残留思念のような存在だそうだ。気づいたら、私と最初に出会ったあの雨の日に、あの場所にいて、一人佇んでいたそうだ。そうして、膝丸さんは、こう言った。刀剣男士と言うのは、審神者に降ろされて、何らかの原因で刀剣破壊した際に、神界に還る際に、何らかの原因で上手く帰りきれず、思念体のようなあやふやな物が現世に残ってしまう事があるそうだ。だが、それは少しの間だけで暫く経つと自然と消えるらしい。だが、あの日、膝丸さんは私を見かけて声を掛けた。そうして、本来なら見えない筈の膝丸さんを私は何故か認識してしまった。その瞬間、膝丸さんはその時と、同じような状況、雨の日だけ、姿を保てるようになったらしい。
そして、ここからは推測だがと前置きすると膝丸さんは話し出した。きっと、俺はもうじき、いや、後、数分もしたら消えるだろうと、なぜなら、膝丸さんの存在理由は私だからだ。と、言った。まず最初に、膝丸さんは私を心配して声を掛けた。それが、彼の大きなこの世に姿を留めて置けた枷のような物らしい。だから、私が審神者になると言って、その膝丸さんの中の心配が消えてしまったのだと言った。
そう言いながらも、膝丸さんの体はどんどん消えていってしまう。きっと、彼のその心配という感情が話していくうちにどんどん消えていってるからだろう。
「嫌です……!私だって膝丸さんのこと……膝丸さんのこと……!」
「それ以上は、言わないでくれ」
そう言うと、思わず消えかけている膝丸さんの体にしがみついた私をそっと抱き返すと、優しく瞼に口付けを落としたのだった。
――おまじないだ――
そう言い残すと、完全に膝丸さんは姿を消したのだった。
――神無月の雨の日に、ひとりの神様は消えてしまった。
雨が、ぽつり、ぽつりと波紋を広げる。
彼が残したまじないは、いつかその波紋をまた広げてくれるのだろうか。
忽然と消えてしまった目前には、さっきまで彼がいた時は広がっていた波紋が消えていた。
ぽつり――ぽつり――
糸雨は降る――
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