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落第人生、転落忍生



守一郎の場合

♡♠︎♢♣︎
《浜守一郎の正義》

浜守一郎は正義感の強い男だ。
物心ついた時から、困っている人は放って置けない性分だった。
成長するにつれてその正義感は薄れるどころか増すばかり。
守一郎少年はやがて己の曽祖父と同じ警察官を志すようになる。


警察学校に入学した時、土井半助という男と出会った。
半助はとても気のいい男で、守一郎はすぐに仲良くなった。
警察学校の寮では同室となり、心身共に支え合った。

座学と実技の訓練も板につき、寮生活にも慣れたころ、一つ上の訓練生が落第してきたという話を耳にした。
寮監の吉野作造一等警察将から直々に、その訓練生の座学の面倒を見て欲しいと言われた。
守一郎の中に、断るという選択肢は無かった。
実技はなんとか吉野一察将が面倒を見るとのことだ。

半助に事情を話し、2人でその訓練生に会いに行った。
その訓練生の名は、山田秀子。警察とは無縁そうなほんわかした女性だった。
確かに、女性の実技訓練の面倒は見れない。

その日から守一郎、半助、秀子の三人で行動することが多くなった。

半助は、秀子に対して根気強く座学で習った内容を説明した。その説明はとても分かりやすく、まるで学校の先生のようだと守一郎は思った。
秀子は、とても努力家だった。何度も座学を復習し、実技の自主トレーニングを行った。
守一郎は、1人だけ一期上ということで孤立しがちな秀子に積極的に声をかけ、輪の中に入れるようにした。その甲斐あって、秀子はたちまち同期の間で人気者になった。自主トレーニングに付き合ってくれる訓練生が増えていった。

その結果、その年の訓練生は例年と比べて全体の成績が良く、団結力も強くなったということを、守一郎は知らない。
ましてや、その効果を狙って守一郎に秀子の面倒を見るよう話を持ちかけたということは吉野一察将しか知らない。
警察学校卒業後にこの三人で班を組ませる予定であることは、山田伝蔵特等警察将しか知らない。




「あれ?警察長と、警察士ってどっちが上でしたっけ?」

寮の談話室。ノートに鉛筆を走らせていた手を止めて、秀子が首をかしげる。
その瞬間、半助の顔が歪む。

「教えたはずだ教えたはずだ教えたはずだ教えたはずだ」

「ほえ〜?」

眉をハの字にする秀子。頭を抱えて何やらブツブツ言っている半助に代わり、守一郎は苦笑しながらノートにピラミッドを描いてやる。

「いいか、秀子さん。階級の順番は、下から『官』『長』『士』『将』だ」

ピラミッドを四等分し、それぞれに階級の名前を書く。

「ふむふむ」

「じゃあ、一等警察長と準三等警察士はどっちが上?」

「え〜……たしか、数字の少ない方が、上だったよね!『一等警察長』!」

がたんと音を立てて半助がずっこける。

「数字の少ない方が上なのは、同じランクの時だ!」

守一郎からペンを奪い、半助はピラミッドの中の四つのスペースそれぞれに下から『準三』『三』『準二』『二』『準一』『一』と書いていく。

「そして、将級にだけ特等がある。特等警察将と特等警備将はそれぞれの部の最高幹部だ!」

そう言って、ピラミッドの頂点に『特等』と書き足した。

「ほえ〜!?」


秀子はどうにも物覚えが悪く、階級の順番が覚えられない。
こんな調子で秀子は守一郎たちと一緒に卒業できるのだろうか。



結論から言うと、できた。
血の滲むような努力の末、なんとか進級、卒業することができた。
三人は警察部に配属され、同じ班に所属することになった。

「半助くん、守一郎くん。これからもよろしくね」

三人は歴代最高の団結力をもった新人であった。


最初は準三等警察官だった三人。
昇格のチャンスは春と秋の二回ある。勤務成績を加味し、昇格の通達がくる。
新人は、大半がその年の秋に三等警察官に昇格する。
例に漏れず守一郎と半助は三等警察官に昇格したが、秀子は準三等警察官のままだった。

それでも秀子はその人柄から人望の厚い警察官だった。
しかし、彼女は不思議なことに一人称が“僕”で、警察学校時代を知らない先輩女性警察官からはあまり良い顔をされなかった。同期の女性警察官も先輩の顔色を伺い、秀子によそよそしくなった。自然と彼女の周りには男性警察官が集まり、彼女の孤立を助長した。
守一郎は、その女子特有の“派閥”に憤りを感じていた。

けれど悲しいことに守一郎は、“正義”を貫くことで、人を傷つけてしまうことを知ってしまった。
秀子をグループに入れるように促せば促すほど、秀子への風当たりは強くなった。
守一郎は、嵐を鎮めるのではなく、嵐の中でも壊れない家になることにした。



ある日のことだ。
守一郎は警察部と警備部の間にある廊下の隅でうずくまる女性を見かけた。
慌てて駆け寄る。

「大丈夫ですか?」

声をかけると、女性は顔を上げた。
眉は苦痛に歪み、血が失せたように真っ青な顔色。

「……しゅ……ろう…」

女性はか細い声で何かを呟いた後、ゆっくりと立ち上がった。しかし、ふらついて倒れそうになる。
守一郎は慌てて女性の身体を支える。

「だ、大丈夫か!?…見覚えがないな…アンタ、警備部の人?」

「…だい…じょ…うぶ。かい…ぎ…そうじ…せねば…」

女性は会議室に向かって歩き出そうとする。

「ま、待て待て待て。」

腕を掴んでそれを阻止する守一郎を、女性はキッと睨みつけた。

「大丈夫…と、言っている。…私は会議室の…掃除を…」

「会議室の掃除なんて、いつも清掃員さんがやってるよ。なんでアンタがやらなきゃいけないんだ。」

「私が………女だから…」

守一郎の中で、何かが弾けた。

「そんなの…おかしい。アンタ、警備部だろ。警備部は優秀な人間が集まるんじゃなかったのか?やってることは男女差別じゃないか!」

思わず声を荒げた守一郎に怯むことなく、女性も眉を吊り上げた。

「うるさい。何も知らないお前に何がわかる。私は優秀だから上司の期待に応えねばならんのだ」

「なんでもホイホイ言うこと聞くのが“優秀”だったら、アンタ優秀じゃなくていいよ」

その瞬間、守一郎の頬が鳴った。
平手打ちを食らったと気づくのに、そう時間はかからなかった。

「…私は、優秀だ」

まるで呪いの言葉のようにそう告げて、女性はその場を去ってしまった。


これが、浜守一郎と平滝夜叉姫の出会いだ。
滝夜叉姫の発言に納得がいかない守一郎は、それから頻繁に警備部へつながる廊下で待ち伏せをするようになった。そして、雑務を押し付けられている滝夜叉姫にパワハラで訴えるべきだと進言し続けた。
最初は聞く耳を持たなかった滝夜叉姫も根気強く声をかけ続けた結果、心を開くようになった。
そこで気がついたのは、滝夜叉姫は自分よりも二期上の先輩だったことだ。しかし、滝夜叉姫は今更敬語を使って欲しくないと言い、お互い『平』『浜』と呼び合う仲となった。

昼食を一緒に取るようにもなった。
昼食の席で滝夜叉姫は警備部では班に配属されることなく、マスコット扱いされ、捜査に携わらせてもらえないと愚痴をこぼしていた。
その度に、守一郎は秀子の話をした。そして、滝夜叉姫も捜査に参加できるよう上司に掛け合うよう促した。
最初は難色を示していたが、滝夜叉姫はついに「上司に言ってみる」と前向きな返答をした。


その翌日。

「浜。お前のせいで窓際班に配属されてしまった。この優秀な私が窓際班なんて!」

口では“お前のせいで”と言っているが、その顔は晴れやかだ。

「しかし、これで捜査に参加できる…」

ありがとう、浜。
そう言って滝夜叉姫は笑った。
とびきり綺麗に笑った。


それから、滝夜叉姫と同じ班に所属する斉藤タカ子と知り合うことになる。
ほんわかした雰囲気の女性だが、観察眼はとても鋭い。
守一郎はすぐに打ち解け、滝夜叉姫とタカ子の三人でランチを食べる仲になった。

竹谷班に配属されてから、滝夜叉姫の顔色は随分良くなった。彼女はとても饒舌で、警察学校時代の成績や自身の優秀さをよく話すようになった。
彼女は、どうも“優秀”であることにこだわりがあるようだ。
しかし、滝夜叉姫は自慢はするが人を陥れる言葉を一度も口にしたことがない。
己が優秀であることを誇るが、他者が劣等であることを糾弾しない。

この人ならば、秀子を受け入れるのではないだろうか。

また、タカ子はとても温厚で、どんなことでも「そうだね〜」と受け止める。最初は八方美人なだけかと思ったが、そういうわけではないようだ。自分の意思を持ちながら、他人の意思も尊重している。

この人たちならば…


「あのさ、もう1人、昼食に呼んでもいいか?」

「いいよ〜」

「ああ、構わん。聴衆が増えるのは良いことだからな」


それからは時々、秀子を交えた4人で昼食を食べるようになった。
二人はすんなり秀子を受け入れ、秀子は二人にすっかり懐いた。
よく考えれば、秀子にとって初めて、優しくしてくれる年上の女性だった。

こうして、日々は穏やかになった。
守一郎は滝夜叉姫の抱えるもう一つの闇に気づくことはできなかった。


そんなある日、滝夜叉姫が昼食に来なくなった。
どうやら出勤もしていないようだ。
そのことについて、タカ子に問えば、「誰にも言わないでね。」と前置きをして事情を話してくれた。

詳しくは教えてもらえなかったらしいが、滝夜叉姫が“優秀”であることに固執するのには理由があるそうだ。

「でも…ほら、私たちの班って言わば窓際班でしょ?…優秀とは程遠いから…」

優秀でありたいのに。自分は優秀ではない。

「自分で自分が許せないんだって。」

そう言ってタカ子は目を伏せて唇を噛む。

その時、守一郎は思い出した。
初めて滝夜叉姫と会ったあの日。
“優秀じゃなくていい”と言って、傷つけた。

「優秀である姿を見せたい人に、こんな姿見られたくなくて、傷つけちゃったんだって」

ぽたぽた、とタカ子の目から涙が溢れる。

「私たち…滝ちゃんに何ができるのかなぁ…」

「…………」

「どうしたら…滝ちゃん、元気になってくれるかなぁ…」

「…………」


守一郎にも、答えは分からなかった。




数ヶ月が経ち、滝夜叉姫は何事も無かったように昼食の席に戻ってきた。

守一郎たちは、何事も無かったように受け入れる。



守一郎は、己の正義が人を傷つけることがあるというのを痛いほど理解した。
でも、正義の心を持ち続けるのはやめられない。
どれほど人を傷つけ、それによって自分が傷ついても。
困っている人は放っておけない。


浜守一郎の正義は、枯れない。


やがて時は過ぎ、守一郎と半助は準二等警察官となる。




運命の糸は絡み合い、物語は始まる。

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