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薄桜鬼〜浪華録〜


これは一人の名もなき少女と
一人の幼い少年の
誰も知らないおとぎ話。

少年の名は不知火匡。
長州の鬼の里に住む子鬼。

ある日、少年は人里に迷い込んでしまった。

その里には忌み子という風習があり、人と違う子供は皆、災いを呼ぶとされ、厳しい罰を受けた。

鬼の子である少年も、もちろん忌み子と言われ捕らえられた。

左腕に龍の刺青が入れられ、ひどい暴力を受けた。

しかし、鬼の治癒力で傷はすぐに治ってしまう。
それが余計に人々を怯えさせ、暴力を加速させた。





人間に捕らえられてからどれくらい経ったかわからなくなったころ、少年の目に一人の少女が映った。

少女の左腕にも、同じ刺青がある。

彼女も忌み子だった。



「…おれ、しらぬい。しらぬい、きょう。…おまえは?」



少女は、服を破かれ泥だらけだったが、体には傷一つ付いていなかった。



「…ない。…われには、なまえがないのじゃ。」



彼女は



「にんぎょは、なまえをつけたりせぬのじゃ」



人魚だった。



少年と少女はそれから二人でいるようになった。

鬼の少年と人魚の少女。

2人が少しだけ大人になったころ、2人は里を逃げ出すことにした。



「逃げよう。」

「逃げて…どこに行くのじゃ?」

「俺の里に行こう。鬼の里に。お前は絶対に俺が守る。」



少年は少女の手を取って、走り出した。
2人の忌み子は、里を逃げ出した。
何度も日が暮れ、何度も夜が明けた。

走り続け疲れた2人は、小川のそばで体を休めることにした。
泥だらけになった体を、小川の水で洗い流す。

すると、今まで泥で見えなかった少女のつま先が青くなっているのに気がついた。



「お前…それは…?」



少年が心配そうに見ると、少女は何でもないように笑った。



「これは、ヒレじゃ。我ら人魚は完全に人の姿にはなりきれん。」



少女がつま先を撫でると、はらりと鱗が剥がれ落ちた。



「今はまだつま先だけじゃが、歳を重ねるごとに広がっていって、剥がれる鱗の量も増える。…足首まで広がるまでに生涯の伴侶を見つけなければ、我は人魚の姿に戻り、陸では生きていけなくなるのじゃ」



当たり前のことのように、少女は淡々と告げる。

その海の底のような瞳に映る少年は、泣きそうな顔をしていた。



「どうしてさような顔をするのじゃ、匡。我らは元々海に住む者。当然の…」



少年は少女を抱き締めた。



「俺が、伴侶になる」



耳元で、告げる。





「だからずっと俺と…」







「いたぞ!!人魚だ!!」




耳をつんざく、声。

声のした方を2人が見ると、あの里の人々が追ってきていた。



「なんで…!」

「……鱗じゃ…道中で剥がれた鱗を頼りに追ってきたのじゃ」



絶句する少年と唇を噛む少女。



「なんで追ってくるんだよ…」

「…我が人魚だからじゃ…」



彼女の話では、人間は人魚の肉を食べると不老不死になると信じているらしい。



「捕らえろ!!」



里の人間たちが武器を構え向かってくる。



「人魚の肉など食ろうても、不老不死になぞならんのに…」



ぽつりこぼした少女の声。
ぽろりこぼれた淡い青色の人魚の涙。

少年は強く彼女を抱きしめた。



「こんな世界、俺とお前以外」



少年の目からもぽたりと雫が落ちる。



「みんないなくなれば良いのにな…」



そっと腕を解き、立ち上がる。



「みんな、いなくなれば良いのにな。」



そう言った少年の髪が白く染まる。

少年の頭の奥の方
知らない声が聞こえた



“戦え”




それは紛れもなく鬼の本能。



「…匡…?」

「逃げろ」

「え…」

「お前は逃げろ。」



夕陽が照らす少年の頭には、鬼の角。



「逃げろ!!!」



少女はその言葉に抗う間も無く少年に手を引かれ立ち上がり



「早く!!!」



夕焼けの中に吸い込まれて消えていった。

少女の消えた先を一瞬だけ見て少年は里の人々を睨めつける。



「この先は通さねぇ。絶対にだ。」



頭の奥から響く





“戦え”


“守れ”




少年は、地を蹴った。





気がつくと少年は血の海の中に佇んでいた。

少年は知っていた。
2人がもう子供じゃないことも。

彼は知らない。
これからのことも、彼女の名も。



「これで良いんだ…」



耳鳴りのように鳴っていた声はもう聞こえない。



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