短編
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「え?結婚式場のパンフレットに載るの!?」
食堂にて長太郎くんと二人で昼食を取っている時に、衝撃的な話を切り出された。すっとんきょうな私の声が、食堂内にこだまする。大声を上げてしまったと気づいたときにはもう遅く、私たちが座っているテーブルは、近くで食事をしていた生徒たちの注目をちらほらと集めていた。
「わ、詩織さんってば……!しーっ」
長太郎くんにたしなめられ、私は慌てて口を閉じた。
「ごめん長太郎くんっ……!でもびっくりだよ。いきなりモデルを頼まれるとか、そんなことってあるんだね」
「うん、ちょっと恥ずかしいけど。姉さんの友人のカメラマンさんに頼まれたんだ」
微笑みながら、長太郎くんは答える。
「すごいね。でも、きっと長太郎くんなら似合っちゃうんだろうなあ。ちなみに撮影っていつやるの?」
「あは、ありがとう。撮影は次の日曜日だよ」
「えーっと……あ、そういえばもう六月なんだもんね。ジューンブライドかあ」
スマホを取り出して、カレンダーで日時を確認したらその日はちょうど大安だった。カメラマンさんも、縁起いい日を選んだなあと心の中で思った。
「そう。ジューンブライド!ロマンチックで素敵だよね」
そういうと長太郎くんは窓の外に目を向けた。雨がしとしと降って、外に咲いている花々とテラステーブルを濡らしているのが見える。
「素朴な疑問なんだけど」
「うん?」
「なんで六月に結婚すると幸せになれるって言い伝えがあるの?」
「諸説あるんだけど……ギリシャ神話の中で、六月・家庭・女性を一人でまとめて守護してる女神さまがいるんだ。だから六月に結婚すると、その女神さまの加護で幸せな夫婦になれるって言われてるんだよ」
「へぇ……神話が関係してたなんて知らなかった。長太郎くん詳しいね」
デザートに頼んだフルーツパフェをつつきながら感嘆すると、長太郎くんは照れたように顔を赤らめて、十字架のネックレスを弄り始めた。
「そんなことないよ。たまたま知ってただけだから」
微笑みながらさらりと答える。付き合ってから数ヶ月経ったけど、未だにこの笑顔に慣れない。王子様みたいで、キラキラして……
(長太郎くん、やっぱりかっこいいなあ)
「?どうしたの、詩織さん。俺の顔に何かついてる?」
「えっ?!わ、何でもない、何もついてないよ!」
じっと見つめていたら、不思議に思ったのであろう長太郎くんに質問されてしまった。顔を見るだけでぼんやりしちゃうなんて、恥ずかしい。
「それよりもさっ五時間目って確か音楽だったよね?特別教室棟までちょっと時間かかるし、そろそろ出ない?」
これ以上詮索されたらたまったものじゃないと思い、私は慌てて話題を変えた。
「確かにリコーダーも取りに行かないといけないしね。もう出ようか」
「うんっ」
会計を済ませて食堂から出た私たちは、授業道具を取りに行くため本館へと向かった。二人横並びになって、紫陽花のアーチの下を歩く。
「あのパフェ、とっても美味しかった!付き合ってくれてありがとうね」
「ううん、こちらこそ。俺も食べてみたかったし。跡部さんの考えた『パッショナブルフルーツパフェ』」
「えっ?!あれ跡部先輩が考えたパフェだったの?!」
「そうだよ。これからも季節限定のメニューを発売していく予定なんだって」
「何ていうか……跡部先輩ってすごいんだね」
「うん、サービス精神に溢れてるよね。そういえば俺たちテニス部が都大会を控えてるから、全校生徒の士気も上げる為に発案したって言ってたなあ」
「へえ~……」
まさかあの跡部先輩が直々に考えたメニューだったとは。中等部に上がった頃から薄々感じていたけれど、やっぱりあの先輩はただものじゃない。クラスの皆がファンクラブに入会してる理由も少しだけ分かった気がする。
「詩織さん、また秋になって限定メニューが販売されたら一緒に食べに行こうよ」
「わ、それいいね。秋だと何だろう。梨のタルトとか美味しそう」
「また果物系かもね。俺は……ビーフカッセロールが食べたいなあ、跡部さんに相談しちゃおうかな」
「あ、長太郎くんったらずるーい」
「ふふ、冗談だよ」
普段は雨が降っていると、ジトジトして何だか気分まで落ち込むのに、長太郎くんといるときは全く気にならない。むしろ横にいられるだけで楽しくなってくる。
(このアーチ、終わりが見えなきゃいいのにな)
そんな非現実的なことを考えるくらいに、私は長太郎くんのことが大好きなんだなあと心の中で思った。
「これでよしっ……と。明日、晴れるといいなあ」
数日経って、土曜日の夜。
ついに明日は長太郎くんがタキシードを着て撮影を行う日。この目で直接見れないのは残念だけど、こうして陰ながら成功を祈りたいと思い、私はてるてる坊主を自室の窓に吊るしていた。そろそろ寝ようかなあとベッドに向かおうとした時、スマホから着信音が聞こえた。液晶を確認すると、そこには意外な人物の名前があった。
「はい、もしもし」
「あっ詩織ちゃん?夜分遅くにごめんね。長太郎の姉です」
そう、私に電話をかけてきたのは長太郎くんのお姉さんだった。先月鳳家にお邪魔した際に偶然お姉さんと初めて会い、仲良くなって連絡先を交換したのだ。
「いいえ、まだ寝てなかったので大丈夫ですよ。どうしたんですか?」
「実は相談、というか提案があってね。明日長太郎が式場で写真撮影するっていうのは知ってる?」
「はい、先日長太郎くんから直接聞きました」
「なら話が早いわね。詩織ちゃん、もし良かったらなんだけど、貴女も式場に来ない?」
「えっ?!!」
お姉さんからの思いもよらない提案を受けて、反射的に叫んでしまった。
「あ、わ、急に大きな声出しちゃってごめんなさい!でも、どうしてですか……?」
「友達と式場の人たちを交えて写真について色々話してる時、弟にも恋人がいるって言ったら「だったらその子も連れてきなよ!」ってみんな盛り上がっちゃって」
何と、私が全く知り得ない場所で物事がとんとん拍子に進んでいたらしい。長太郎くんのタキシード姿が見られる、そんな願っても無いチャンス……絶対行くしかない!と思った私は快諾した。
「ぜひ!私も行きたいです!」
「良かった!みんなも喜ぶわ。……あ、このこと、長太郎にはまだ内緒にしててね」
「え、どうしてですか?」
「ふふ。折角だからあの子をビックリさせたいじゃない?実は式場側の好意で詩織ちゃんにもドレスの貸し出しと、あとヘアセットもしてくれるそうなの」
「ええっ?!そ、それってつまり」
「そう。詩織ちゃんもウェディングドレス、着てみたくない?」
「ドッ……ドレス!」
長太郎くんを見られるだけでも嬉しいのに、その上ウェディングドレスまで着られるなんて!嬉しすぎて胸が痛いくらいだ。ドキドキが止まらない。
「式場に行けるだけでも嬉しいのにそこまでしてもらえるなんて……何だか申し訳ないです」
「気にしないで、大人たちがはしゃいでるだけだから」
その後、お姉さんから式場の場所と集合時間を聞いて電話を切って、はやる気持ちを落ち着かせる為に思いきり深呼吸をした。
「……っはあ。明日、楽しみだなあ」
本当に長太郎くんのお姉さん様様だ。明日は気合い入れていかないと。興奮さめやらない心を何とか落ち着かせて、私はベッドに潜り込んだ。
来る日曜日。
てるてる坊主のおかげか、梅雨の時期とは思えないくらいの晴天に恵まれた。指定された場所へ一人向かうと、まるで絵本から飛び出してきたような、バルーンやフラワーアーチ、ウサギや鹿の形を模したウェルカムドールで彩られた華やかな式場がそこにはあった。
「すごい、キラキラしてる……」
感嘆しながらチャペルまでの道のりを歩くと、入り口前には長太郎くんのお姉さんが立っていた。
「詩織ちゃん!来てくれてありがとう」
「お姉さん、こんにちは!誘ってくださってありがとうございました。本当に嬉しいです」
ぺこりと礼をすると、お姉さんはふわりと微笑んだ。
「そんなに緊張しないで。それよりも、早速着替えちゃいましょう!長太郎はもう写真撮影に入ってるから、今のうちに」
お姉さんに手を引かれ、チャペル内の控え室に案内された。
「この人が今日のメイクさん……というか、私の友達。ドレスの着付けもしてくれるからね」
「詩織ちゃん、初めまして!今日はよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
メイクさんはとても朗らかな女の人だった。挨拶をして、握手を交わした。
「じゃあ私は長太郎の撮影を見てくるね。またね、詩織ちゃん」
「はい!」
そう言うと、お姉さんは小走りで駆けていった。それを見届けると私たちは早速ドレスを選ぶために、クローゼットへと向かった。
「丁度式場側に詩織ちゃんのサイズがたくさんあったらしくてね。きっと好きな色とかデザインのドレスが見つかると思うよ」
「わあ……ウェディングドレスって、白じゃない物もあるんですね!」
フリルがいっぱい付いたドレスや、マーメイドラインがシャープなカラードレスなど、数十種類は優に超えるほどのドレスがそこにはあった。選ぶだけで日が暮れてしまうんじゃないかと思ってしまうくらいだ。
「どうしようかな~……あっ!すみません、オフホワイトのドレスってありますか?」
「オフホワイトはね~。うん、あるよ!」
はい、とメイクさんはそのドレスをクローゼットの中から取り出してくれた。それはわずかに黄みがかっていて、ほんわりとした優しさを感じさせてくれる色だ。
(長太郎くん、好きな色はオフホワイトって言ってたよね)
どうせなら彼氏の好きな色を……と選んでしまうのは恋慕する者には避けては通れない道だと思う。
「私このドレスにします!」
「お。決めるの早いね!了解、じゃあ着付けしてメイクに移ろっか」
「はい!」
「……わあっ!詩織ちゃん、とっても綺麗よ。素敵ね」
「えへへ、メイクさんのおかげです」
大体一時間半くらいだろうか。頭のてっぺんから足のつま先までメイクさんにコーディネートしてもらった私は、自分が自分じゃないような不思議な感覚を覚えた。
(何か、魔法にかかったみたいだなあ)
髪の毛は全体的にふんわりと巻いてもらったし、身体はプリンセスラインに小花が散りばめられている例のオフホワイトドレスに包まれている。顔だってプロにメイクしてもらったおかげで、いつもより顔が明るく見えるような気がするのだ。
「詩織ちゃん。オフホワイトのドレスを選んだんだね」
「気づきましたか」
面と向かって言われると気恥ずかしい。私ははにかみながら答えた。
「ふふ、長太郎、気づいたらきっと喜ぶわ」
「はい!……ところで今、長太郎くんはどこにいるんですか?」
「ここを出て真っ直ぐ進んだところにある花畑の方を散歩してくるって言ってたわ」
ようやく会いに行けるわね、とお姉さんは微笑んだ。タキシードを着た長太郎くんに会える。その事実を受けて、私の胸は昨夜のように昂り始めた。
「き、緊張する……!」
「気張らなくても大丈夫よ。……あ、でもまだ長太郎には詩織ちゃんがここに来てるって言ってないから。思いきり驚かせてきてね。お姉さんとの約束」
「詩織ちゃん、いってらっしゃい!」
目に見えて動揺し始めた私を落ち着かせるように、お姉さんとメイクさんは私の頭を撫でてくれた。人の優しさに触れて、ほんわりと心があたたかくなる。
「お二人とも、ありがとうございます!私、いってきます!」
二人の後押しを受けて、脇目も振らずチャペルを飛び出し、愛しいあの人がいる花畑へと走った。
「うーん。走る花嫁って絵になるねえ」
「本当にそうね。長太郎より今の詩織ちゃんの写真を撮ってほしかったくらい」
「鳳、本当に好きだねえ詩織ちゃんのこと。弟クンのこと紹介してくれたとき、急に詩織ちゃんのこと活き活きと話し始めちゃってさあ。私びっくりしたんだよ」
「勿論よ、大切な弟のことを選んでくれた子なんだもの。本当に妹みたいだって思ってるわ」
「もしかしたら本当の義妹になるかもね」
「ふふ、そうなってくれたら家族みんなで大喜びなんだけど。長太郎には頑張ってもらわないとね」
お姉さんに言われた通りに歩くと、すぐに花畑見つけることができた。そこは一面ネモフィラで埋め尽くされていて、空の青と花の蒼が反響し合い、どこか夢想的な場所だった。
(……いた!!長太郎くんだ!)
少し離れたところに一人佇む長太郎くんを発見して、私は反射的に木陰に隠れた。幸い気づかれてはいないようだ。
「ふう……」
一日中撮影をして疲れたのだろうか。長太郎くんはどこかぼんやりとしながら空を見つめている。
(それにしても長太郎くん……やっぱりめちゃくちゃかっこいい!)
ただでさえ素敵なのに、あのシュッとした長身を白いタキシードに身を包んで花畑に立つ長太郎くんは、中学二年生にはまるで見えない。そんじょそこらの男の子とは魅力度が段違いだ。
近くに誰もいなくて良かった。タキシード姿の男性をウェディングドレスを着た女性が木陰から見つめているなんて、誰かに見られたらあらぬ誤解を生みそうだもん。声を掛けるタイミングを完全に見失い、長太郎くんをただ見つめるだけの機械と化した私を知ってか知らずか、長太郎くんは衝撃的な単語を口にした。
「……詩織さん、会いたいな」
「~~っ?!?」
がばりと身体を反転させて木陰にしゃがみ込む。え、バレた?じっと見つめてるのバレた?!そんなの恥ずかしすぎる。と顔を真っ赤にしてうつむいた。が、それ以上言葉は投げ掛けられることはなかった。
(何……長太郎くんどうしたの?まさか独り言?)
不思議に思って、先程より控えめに幹から顔を出して長太郎くんの方を見ると、今度は首から下げてる十字架のネックレスを握りしめているのが見えた。まさか本当に独り言だったとは。
(でも。何か、嬉しいな)
長太郎くんも、私を思ってくれてたんだ。こんな休みの日にも会いたいなとか考えてくれてたんだ。知らないところで愛情を注がれていたようで、とっても嬉しい。
今すぐ「好き」を言葉にしないとどうにかってしまいそうで。私は無意識のうちに木陰から飛び出して、あちらに向けて声を張り上げていた。
「長太郎くん!!!!」
「えっ?……詩織さん?!」
長太郎くんはこちらに気がつくと、一目散に駆けてきた。
「長太郎くん、長太郎くんっ……!タキシード似合ってるよ、かっこいい、すっごく素敵!っとぁ!」
「ちょっと待って詩織さん!何でキミがここに、それにそのドレスも……ってわ、わあっ!」
勢いのまま抱きつくと、不意をついてしまったようで、長太郎くんはバランスを崩して後ろに倒れ込んみ、私は彼を押し倒すように覆い被さってしまった。
「……えへ、ふふ、あはは!」
「もうっ……詩織さんってば」
ドレスも着てバッチリ決めたのに、花嫁らしく慎ましやかに振る舞おうって昨晩寝る前に思ってたのに。長太郎くんを前にすると我慢ができなくなって、思いきり抱きついちゃった。そんな自分が可笑しくて、笑いが込み上げてしまう。長太郎くんはそんな私をきょとんとした顔で見つめると、いつものように眉を下げて微笑んだ。
「……そっか、姉さんから誘われてたんだね。教えてくれたら良かったのに」
「ごめんね、内緒にして驚かせようって約束してたから」
「ふふ、詩織さんのいじわる」
息を整えて、気持ちを落ち着かせてからドレスやタキシードを汚さないように下にハンカチを敷いて、花畑の近くに二人で座り込んだ。
「でも、うん。本当に……詩織さん、ドレス似合ってる。とっても綺麗だね」
「そんな。照れるよ、長太郎くんだってかっこいいもん」
「だーめ。今はキミのことだけ褒めさせて?」
反論するように口を開くと、人差し指を当てられてしまった。
「髪の毛も巻いてもらったんだね。ふんわりしてていいね。それにドレスだって、本当に可愛い……もしかして何だけど俺の好きな色を選んでくれたの?」
「……うん」
「……ありがとう。今、本当に幸せだよ」
何か長太郎くん、積極的だ。雰囲気に当てられたのか、いつも以上に甘い言葉を投げ掛けられて、脳が溶けてしまいそう。
「実は今日、ずっと詩織さんのことを考えながら撮影してたんだ」
「えっ?」
「カメラマンさんに、好きな人がいるならその人が隣にいると思い込んで撮影に臨んでねって前々からお願いされてて……詩織さんのおかげかな。写真の出来が良いって褒めてもらえたんだよ」
まさか本人が現れるとは思ってなかったけど、と苦笑しながら付け加えた。
「えへへ……それにしても、まさか自分がこんなに早くウェディングドレスを着ることになるなんて思ってもみなかったよ」
「ふふ、そうだね」
「今日なんかね、家出てくるときにウェディングドレス着てくるんだーってお母さんに言ったら『あんた、ウェディングドレス着ると婚期が遅れるのよ!』何て言われちゃったもん」
「えっ?!そんな事ってあるの?」
「ネットで調べたんだけど、ジンクスの一つらしいよ。でもああやって脅かされると、ちょっと心配になっちゃう」
お母さんってば考え方が古いんだから、と笑いながら言うと、長太郎くんはジッと私を見つめながら呟いた。
「……きっと、詩織さんは大丈夫だよ」
「え?」
「俺、頑張ってなるべく早く迎えに行くから。遅いって思われないよう急ぐから、それでも良ければ待っててほしいな」
「~~っ!長太郎くん……うん、待つよ。待ち続けるから絶対迎えに来てね」
「ありがとう……ねえ、詩織さん。ここで予行練習、してみない?」
「予行練習?」
「うん。一旦立ってもらえるかな」
言われた通りに立ち上がると、長太郎くんに優しく両手を包み込まれ、ジッと見つめられる。
「--汝健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも」
「……!」
これって、結婚式の口上だ。長太郎くんは私の目を見据えながら、言葉を紡ぎ続ける。
「これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓ってくれますか?」
普段だったら恥ずかしくなって、顔を背けちゃうかもしれない。でも、長太郎くんは真剣だ。私たちはまだまだ子どもだけど、子どもなりに将来のことを考えて、伴侶として私を選んでくれようとしてるんだ。
「--誓います。私は、長太郎くんを愛してます」
考えるより先に、口から声が発された。答えを聞いた長太郎くんは、泣き出しそうな顔をして笑った。
「詩織さん、大好き。俺を選んでくれてありがとう」
優しく身体を引っ張られたと思ったその瞬間、唇が触れ合った。柔らかくて、温かい。
今の私たちにはこれが精一杯。キスだって大人より絶対下手くそだし、愛情表現だって、経験豊富な人からしてみたら、見てられないくらいに不器用かもしれない。でも、これでいい。これから二人で知っていけばいいのだから。
周りに惑わされず、マイペースに。もし喧嘩して、心が離れそうになったときは今日の事を思い出して。
地面に咲くネモフィラと、六月の女神さまと、空を赤く染め始めた夕日に祝福されながら、将来を誓い合った私と長太郎くん。今この瞬間だけは、間違いなく世界で一番の幸せ者だ。
食堂にて長太郎くんと二人で昼食を取っている時に、衝撃的な話を切り出された。すっとんきょうな私の声が、食堂内にこだまする。大声を上げてしまったと気づいたときにはもう遅く、私たちが座っているテーブルは、近くで食事をしていた生徒たちの注目をちらほらと集めていた。
「わ、詩織さんってば……!しーっ」
長太郎くんにたしなめられ、私は慌てて口を閉じた。
「ごめん長太郎くんっ……!でもびっくりだよ。いきなりモデルを頼まれるとか、そんなことってあるんだね」
「うん、ちょっと恥ずかしいけど。姉さんの友人のカメラマンさんに頼まれたんだ」
微笑みながら、長太郎くんは答える。
「すごいね。でも、きっと長太郎くんなら似合っちゃうんだろうなあ。ちなみに撮影っていつやるの?」
「あは、ありがとう。撮影は次の日曜日だよ」
「えーっと……あ、そういえばもう六月なんだもんね。ジューンブライドかあ」
スマホを取り出して、カレンダーで日時を確認したらその日はちょうど大安だった。カメラマンさんも、縁起いい日を選んだなあと心の中で思った。
「そう。ジューンブライド!ロマンチックで素敵だよね」
そういうと長太郎くんは窓の外に目を向けた。雨がしとしと降って、外に咲いている花々とテラステーブルを濡らしているのが見える。
「素朴な疑問なんだけど」
「うん?」
「なんで六月に結婚すると幸せになれるって言い伝えがあるの?」
「諸説あるんだけど……ギリシャ神話の中で、六月・家庭・女性を一人でまとめて守護してる女神さまがいるんだ。だから六月に結婚すると、その女神さまの加護で幸せな夫婦になれるって言われてるんだよ」
「へぇ……神話が関係してたなんて知らなかった。長太郎くん詳しいね」
デザートに頼んだフルーツパフェをつつきながら感嘆すると、長太郎くんは照れたように顔を赤らめて、十字架のネックレスを弄り始めた。
「そんなことないよ。たまたま知ってただけだから」
微笑みながらさらりと答える。付き合ってから数ヶ月経ったけど、未だにこの笑顔に慣れない。王子様みたいで、キラキラして……
(長太郎くん、やっぱりかっこいいなあ)
「?どうしたの、詩織さん。俺の顔に何かついてる?」
「えっ?!わ、何でもない、何もついてないよ!」
じっと見つめていたら、不思議に思ったのであろう長太郎くんに質問されてしまった。顔を見るだけでぼんやりしちゃうなんて、恥ずかしい。
「それよりもさっ五時間目って確か音楽だったよね?特別教室棟までちょっと時間かかるし、そろそろ出ない?」
これ以上詮索されたらたまったものじゃないと思い、私は慌てて話題を変えた。
「確かにリコーダーも取りに行かないといけないしね。もう出ようか」
「うんっ」
会計を済ませて食堂から出た私たちは、授業道具を取りに行くため本館へと向かった。二人横並びになって、紫陽花のアーチの下を歩く。
「あのパフェ、とっても美味しかった!付き合ってくれてありがとうね」
「ううん、こちらこそ。俺も食べてみたかったし。跡部さんの考えた『パッショナブルフルーツパフェ』」
「えっ?!あれ跡部先輩が考えたパフェだったの?!」
「そうだよ。これからも季節限定のメニューを発売していく予定なんだって」
「何ていうか……跡部先輩ってすごいんだね」
「うん、サービス精神に溢れてるよね。そういえば俺たちテニス部が都大会を控えてるから、全校生徒の士気も上げる為に発案したって言ってたなあ」
「へえ~……」
まさかあの跡部先輩が直々に考えたメニューだったとは。中等部に上がった頃から薄々感じていたけれど、やっぱりあの先輩はただものじゃない。クラスの皆がファンクラブに入会してる理由も少しだけ分かった気がする。
「詩織さん、また秋になって限定メニューが販売されたら一緒に食べに行こうよ」
「わ、それいいね。秋だと何だろう。梨のタルトとか美味しそう」
「また果物系かもね。俺は……ビーフカッセロールが食べたいなあ、跡部さんに相談しちゃおうかな」
「あ、長太郎くんったらずるーい」
「ふふ、冗談だよ」
普段は雨が降っていると、ジトジトして何だか気分まで落ち込むのに、長太郎くんといるときは全く気にならない。むしろ横にいられるだけで楽しくなってくる。
(このアーチ、終わりが見えなきゃいいのにな)
そんな非現実的なことを考えるくらいに、私は長太郎くんのことが大好きなんだなあと心の中で思った。
「これでよしっ……と。明日、晴れるといいなあ」
数日経って、土曜日の夜。
ついに明日は長太郎くんがタキシードを着て撮影を行う日。この目で直接見れないのは残念だけど、こうして陰ながら成功を祈りたいと思い、私はてるてる坊主を自室の窓に吊るしていた。そろそろ寝ようかなあとベッドに向かおうとした時、スマホから着信音が聞こえた。液晶を確認すると、そこには意外な人物の名前があった。
「はい、もしもし」
「あっ詩織ちゃん?夜分遅くにごめんね。長太郎の姉です」
そう、私に電話をかけてきたのは長太郎くんのお姉さんだった。先月鳳家にお邪魔した際に偶然お姉さんと初めて会い、仲良くなって連絡先を交換したのだ。
「いいえ、まだ寝てなかったので大丈夫ですよ。どうしたんですか?」
「実は相談、というか提案があってね。明日長太郎が式場で写真撮影するっていうのは知ってる?」
「はい、先日長太郎くんから直接聞きました」
「なら話が早いわね。詩織ちゃん、もし良かったらなんだけど、貴女も式場に来ない?」
「えっ?!!」
お姉さんからの思いもよらない提案を受けて、反射的に叫んでしまった。
「あ、わ、急に大きな声出しちゃってごめんなさい!でも、どうしてですか……?」
「友達と式場の人たちを交えて写真について色々話してる時、弟にも恋人がいるって言ったら「だったらその子も連れてきなよ!」ってみんな盛り上がっちゃって」
何と、私が全く知り得ない場所で物事がとんとん拍子に進んでいたらしい。長太郎くんのタキシード姿が見られる、そんな願っても無いチャンス……絶対行くしかない!と思った私は快諾した。
「ぜひ!私も行きたいです!」
「良かった!みんなも喜ぶわ。……あ、このこと、長太郎にはまだ内緒にしててね」
「え、どうしてですか?」
「ふふ。折角だからあの子をビックリさせたいじゃない?実は式場側の好意で詩織ちゃんにもドレスの貸し出しと、あとヘアセットもしてくれるそうなの」
「ええっ?!そ、それってつまり」
「そう。詩織ちゃんもウェディングドレス、着てみたくない?」
「ドッ……ドレス!」
長太郎くんを見られるだけでも嬉しいのに、その上ウェディングドレスまで着られるなんて!嬉しすぎて胸が痛いくらいだ。ドキドキが止まらない。
「式場に行けるだけでも嬉しいのにそこまでしてもらえるなんて……何だか申し訳ないです」
「気にしないで、大人たちがはしゃいでるだけだから」
その後、お姉さんから式場の場所と集合時間を聞いて電話を切って、はやる気持ちを落ち着かせる為に思いきり深呼吸をした。
「……っはあ。明日、楽しみだなあ」
本当に長太郎くんのお姉さん様様だ。明日は気合い入れていかないと。興奮さめやらない心を何とか落ち着かせて、私はベッドに潜り込んだ。
来る日曜日。
てるてる坊主のおかげか、梅雨の時期とは思えないくらいの晴天に恵まれた。指定された場所へ一人向かうと、まるで絵本から飛び出してきたような、バルーンやフラワーアーチ、ウサギや鹿の形を模したウェルカムドールで彩られた華やかな式場がそこにはあった。
「すごい、キラキラしてる……」
感嘆しながらチャペルまでの道のりを歩くと、入り口前には長太郎くんのお姉さんが立っていた。
「詩織ちゃん!来てくれてありがとう」
「お姉さん、こんにちは!誘ってくださってありがとうございました。本当に嬉しいです」
ぺこりと礼をすると、お姉さんはふわりと微笑んだ。
「そんなに緊張しないで。それよりも、早速着替えちゃいましょう!長太郎はもう写真撮影に入ってるから、今のうちに」
お姉さんに手を引かれ、チャペル内の控え室に案内された。
「この人が今日のメイクさん……というか、私の友達。ドレスの着付けもしてくれるからね」
「詩織ちゃん、初めまして!今日はよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
メイクさんはとても朗らかな女の人だった。挨拶をして、握手を交わした。
「じゃあ私は長太郎の撮影を見てくるね。またね、詩織ちゃん」
「はい!」
そう言うと、お姉さんは小走りで駆けていった。それを見届けると私たちは早速ドレスを選ぶために、クローゼットへと向かった。
「丁度式場側に詩織ちゃんのサイズがたくさんあったらしくてね。きっと好きな色とかデザインのドレスが見つかると思うよ」
「わあ……ウェディングドレスって、白じゃない物もあるんですね!」
フリルがいっぱい付いたドレスや、マーメイドラインがシャープなカラードレスなど、数十種類は優に超えるほどのドレスがそこにはあった。選ぶだけで日が暮れてしまうんじゃないかと思ってしまうくらいだ。
「どうしようかな~……あっ!すみません、オフホワイトのドレスってありますか?」
「オフホワイトはね~。うん、あるよ!」
はい、とメイクさんはそのドレスをクローゼットの中から取り出してくれた。それはわずかに黄みがかっていて、ほんわりとした優しさを感じさせてくれる色だ。
(長太郎くん、好きな色はオフホワイトって言ってたよね)
どうせなら彼氏の好きな色を……と選んでしまうのは恋慕する者には避けては通れない道だと思う。
「私このドレスにします!」
「お。決めるの早いね!了解、じゃあ着付けしてメイクに移ろっか」
「はい!」
「……わあっ!詩織ちゃん、とっても綺麗よ。素敵ね」
「えへへ、メイクさんのおかげです」
大体一時間半くらいだろうか。頭のてっぺんから足のつま先までメイクさんにコーディネートしてもらった私は、自分が自分じゃないような不思議な感覚を覚えた。
(何か、魔法にかかったみたいだなあ)
髪の毛は全体的にふんわりと巻いてもらったし、身体はプリンセスラインに小花が散りばめられている例のオフホワイトドレスに包まれている。顔だってプロにメイクしてもらったおかげで、いつもより顔が明るく見えるような気がするのだ。
「詩織ちゃん。オフホワイトのドレスを選んだんだね」
「気づきましたか」
面と向かって言われると気恥ずかしい。私ははにかみながら答えた。
「ふふ、長太郎、気づいたらきっと喜ぶわ」
「はい!……ところで今、長太郎くんはどこにいるんですか?」
「ここを出て真っ直ぐ進んだところにある花畑の方を散歩してくるって言ってたわ」
ようやく会いに行けるわね、とお姉さんは微笑んだ。タキシードを着た長太郎くんに会える。その事実を受けて、私の胸は昨夜のように昂り始めた。
「き、緊張する……!」
「気張らなくても大丈夫よ。……あ、でもまだ長太郎には詩織ちゃんがここに来てるって言ってないから。思いきり驚かせてきてね。お姉さんとの約束」
「詩織ちゃん、いってらっしゃい!」
目に見えて動揺し始めた私を落ち着かせるように、お姉さんとメイクさんは私の頭を撫でてくれた。人の優しさに触れて、ほんわりと心があたたかくなる。
「お二人とも、ありがとうございます!私、いってきます!」
二人の後押しを受けて、脇目も振らずチャペルを飛び出し、愛しいあの人がいる花畑へと走った。
「うーん。走る花嫁って絵になるねえ」
「本当にそうね。長太郎より今の詩織ちゃんの写真を撮ってほしかったくらい」
「鳳、本当に好きだねえ詩織ちゃんのこと。弟クンのこと紹介してくれたとき、急に詩織ちゃんのこと活き活きと話し始めちゃってさあ。私びっくりしたんだよ」
「勿論よ、大切な弟のことを選んでくれた子なんだもの。本当に妹みたいだって思ってるわ」
「もしかしたら本当の義妹になるかもね」
「ふふ、そうなってくれたら家族みんなで大喜びなんだけど。長太郎には頑張ってもらわないとね」
お姉さんに言われた通りに歩くと、すぐに花畑見つけることができた。そこは一面ネモフィラで埋め尽くされていて、空の青と花の蒼が反響し合い、どこか夢想的な場所だった。
(……いた!!長太郎くんだ!)
少し離れたところに一人佇む長太郎くんを発見して、私は反射的に木陰に隠れた。幸い気づかれてはいないようだ。
「ふう……」
一日中撮影をして疲れたのだろうか。長太郎くんはどこかぼんやりとしながら空を見つめている。
(それにしても長太郎くん……やっぱりめちゃくちゃかっこいい!)
ただでさえ素敵なのに、あのシュッとした長身を白いタキシードに身を包んで花畑に立つ長太郎くんは、中学二年生にはまるで見えない。そんじょそこらの男の子とは魅力度が段違いだ。
近くに誰もいなくて良かった。タキシード姿の男性をウェディングドレスを着た女性が木陰から見つめているなんて、誰かに見られたらあらぬ誤解を生みそうだもん。声を掛けるタイミングを完全に見失い、長太郎くんをただ見つめるだけの機械と化した私を知ってか知らずか、長太郎くんは衝撃的な単語を口にした。
「……詩織さん、会いたいな」
「~~っ?!?」
がばりと身体を反転させて木陰にしゃがみ込む。え、バレた?じっと見つめてるのバレた?!そんなの恥ずかしすぎる。と顔を真っ赤にしてうつむいた。が、それ以上言葉は投げ掛けられることはなかった。
(何……長太郎くんどうしたの?まさか独り言?)
不思議に思って、先程より控えめに幹から顔を出して長太郎くんの方を見ると、今度は首から下げてる十字架のネックレスを握りしめているのが見えた。まさか本当に独り言だったとは。
(でも。何か、嬉しいな)
長太郎くんも、私を思ってくれてたんだ。こんな休みの日にも会いたいなとか考えてくれてたんだ。知らないところで愛情を注がれていたようで、とっても嬉しい。
今すぐ「好き」を言葉にしないとどうにかってしまいそうで。私は無意識のうちに木陰から飛び出して、あちらに向けて声を張り上げていた。
「長太郎くん!!!!」
「えっ?……詩織さん?!」
長太郎くんはこちらに気がつくと、一目散に駆けてきた。
「長太郎くん、長太郎くんっ……!タキシード似合ってるよ、かっこいい、すっごく素敵!っとぁ!」
「ちょっと待って詩織さん!何でキミがここに、それにそのドレスも……ってわ、わあっ!」
勢いのまま抱きつくと、不意をついてしまったようで、長太郎くんはバランスを崩して後ろに倒れ込んみ、私は彼を押し倒すように覆い被さってしまった。
「……えへ、ふふ、あはは!」
「もうっ……詩織さんってば」
ドレスも着てバッチリ決めたのに、花嫁らしく慎ましやかに振る舞おうって昨晩寝る前に思ってたのに。長太郎くんを前にすると我慢ができなくなって、思いきり抱きついちゃった。そんな自分が可笑しくて、笑いが込み上げてしまう。長太郎くんはそんな私をきょとんとした顔で見つめると、いつものように眉を下げて微笑んだ。
「……そっか、姉さんから誘われてたんだね。教えてくれたら良かったのに」
「ごめんね、内緒にして驚かせようって約束してたから」
「ふふ、詩織さんのいじわる」
息を整えて、気持ちを落ち着かせてからドレスやタキシードを汚さないように下にハンカチを敷いて、花畑の近くに二人で座り込んだ。
「でも、うん。本当に……詩織さん、ドレス似合ってる。とっても綺麗だね」
「そんな。照れるよ、長太郎くんだってかっこいいもん」
「だーめ。今はキミのことだけ褒めさせて?」
反論するように口を開くと、人差し指を当てられてしまった。
「髪の毛も巻いてもらったんだね。ふんわりしてていいね。それにドレスだって、本当に可愛い……もしかして何だけど俺の好きな色を選んでくれたの?」
「……うん」
「……ありがとう。今、本当に幸せだよ」
何か長太郎くん、積極的だ。雰囲気に当てられたのか、いつも以上に甘い言葉を投げ掛けられて、脳が溶けてしまいそう。
「実は今日、ずっと詩織さんのことを考えながら撮影してたんだ」
「えっ?」
「カメラマンさんに、好きな人がいるならその人が隣にいると思い込んで撮影に臨んでねって前々からお願いされてて……詩織さんのおかげかな。写真の出来が良いって褒めてもらえたんだよ」
まさか本人が現れるとは思ってなかったけど、と苦笑しながら付け加えた。
「えへへ……それにしても、まさか自分がこんなに早くウェディングドレスを着ることになるなんて思ってもみなかったよ」
「ふふ、そうだね」
「今日なんかね、家出てくるときにウェディングドレス着てくるんだーってお母さんに言ったら『あんた、ウェディングドレス着ると婚期が遅れるのよ!』何て言われちゃったもん」
「えっ?!そんな事ってあるの?」
「ネットで調べたんだけど、ジンクスの一つらしいよ。でもああやって脅かされると、ちょっと心配になっちゃう」
お母さんってば考え方が古いんだから、と笑いながら言うと、長太郎くんはジッと私を見つめながら呟いた。
「……きっと、詩織さんは大丈夫だよ」
「え?」
「俺、頑張ってなるべく早く迎えに行くから。遅いって思われないよう急ぐから、それでも良ければ待っててほしいな」
「~~っ!長太郎くん……うん、待つよ。待ち続けるから絶対迎えに来てね」
「ありがとう……ねえ、詩織さん。ここで予行練習、してみない?」
「予行練習?」
「うん。一旦立ってもらえるかな」
言われた通りに立ち上がると、長太郎くんに優しく両手を包み込まれ、ジッと見つめられる。
「--汝健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも」
「……!」
これって、結婚式の口上だ。長太郎くんは私の目を見据えながら、言葉を紡ぎ続ける。
「これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓ってくれますか?」
普段だったら恥ずかしくなって、顔を背けちゃうかもしれない。でも、長太郎くんは真剣だ。私たちはまだまだ子どもだけど、子どもなりに将来のことを考えて、伴侶として私を選んでくれようとしてるんだ。
「--誓います。私は、長太郎くんを愛してます」
考えるより先に、口から声が発された。答えを聞いた長太郎くんは、泣き出しそうな顔をして笑った。
「詩織さん、大好き。俺を選んでくれてありがとう」
優しく身体を引っ張られたと思ったその瞬間、唇が触れ合った。柔らかくて、温かい。
今の私たちにはこれが精一杯。キスだって大人より絶対下手くそだし、愛情表現だって、経験豊富な人からしてみたら、見てられないくらいに不器用かもしれない。でも、これでいい。これから二人で知っていけばいいのだから。
周りに惑わされず、マイペースに。もし喧嘩して、心が離れそうになったときは今日の事を思い出して。
地面に咲くネモフィラと、六月の女神さまと、空を赤く染め始めた夕日に祝福されながら、将来を誓い合った私と長太郎くん。今この瞬間だけは、間違いなく世界で一番の幸せ者だ。