短編
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夏休みも中盤に差し掛かったとある日。私は若と一緒に課題をするために、日吉家へとやって来ていた。
門前にあったベルチャイムを押すと、ピンポーンと小気味良い音が響く。そのまま待っていると誰かの足音が聞こえてきて、ゆっくりと門が開いた。
「あっこんにちは!私、岬詩織です。実は今日若くんと、っわあ!若が眼鏡してる!」
「……お前、こんなに暑いのに元気だな」
驚くことに、何と門から顔を出す若は眼鏡をかけていた。黒ぶち眼鏡が栗色の髪に映えていて、いつもと雰囲気が違うように感じた私は密かにときめいた。
「今日は俺以外全員出払ってる。ほら、さっさと入れよ」
「はーい。ていうか若、視力悪かったんだね。知らなかった」
「詩織には言ってなかったか。学校にいるときは基本的にコンタクトだ」
「聞いてないよ、でも眼鏡も似合うね。学校にも眼鏡で来たらいいのに」
「断る」
「けち」
軽口を叩き合いながら若のあとに着いて、屋敷までの道を歩いた。じゃりじゃりと鳴る玉砂利とししおどしのハーモニーがなんだか心地よい。
「おじゃまします」
家の中から返事は聞こえてこない。そういえば、ついさっき若が今日はご家族みんないないって言ってたなあ。ふたりきりかあと暑さにやられてぼんやりとした頭で考えた。
「そうだ。これ先に渡しちゃうね」
自宅を出る前にお母さんから渡された手土産の紙袋を若に差し出す。
「水羊羹なんだけど」
「ああ。わざわざ悪いな。おばさんにありがとうと伝えておいてくれ」
若はそれを受けとると、「お茶の用意をしてくる。廊下を真っ直ぐ進んで突き当たって左に俺の部屋があるから、詩織は先に入ってろ」
「え、勝手に入っていいの?」
「いい。入る部屋を間違えるなよ」
部屋の場所を伝えると、若はスタスタと台所へ向かっていってしまった。何となく勝手に人の部屋に入るのは申し訳ないと感じてしまうのは、私が気にしすぎなだけなのかな。
言われた通りに廊下を突き進んで左へ向かうと、若の部屋のものであろう襖を発見した。
「し……失礼します」
遠慮がちに襖を開けると、ひんやりとした空気が漏れてきた。
「わ、涼しい」
中に入るとエアコンが程よく効いていて、炎天下の道を通ってきた私にとって天国のような空間がそこには存在していた。長机の前に用意されていた座布団の上に座って、ようやく一息つく。
部屋を見回すと、棚に整然と並べられた本(絶対ホラー物だ!と思われる背表紙も何冊か見かけた)、机の上に置かれた算盤、そして壁には「下剋上」の掛軸があった。
「ふふ、若らしいなあ」
そんな当たり前の感想が口から出たことが何だか面白くて、クスクス笑っていたら再び襖が開いて、麦茶と水羊羹をお盆に乗せた若が姿を現した。
「何一人で笑ってるんだ」
「なんでもなーい」
誤魔化すと若は興味をなくしたようで、机上にお盆と課題のプリント諸々を置き、私の向かいに座った。
「さあ。やるからにはさっさと終わらせるぞ」
「はーい。じゃあ早速片付けちゃいますか!」
氷の浮かんだ冷たい麦茶を一口飲んで、早速私たちは課題に手をつけ始めた。
「若、題2のコレってどうなるの?」
「変域の図を描け。aとbの点を代入すると答えが出る」
「……p=6で合ってる?」
「合ってる」
「はーい、ありがと」
二時間くらいだろうか、私たちはぶっ通しで問題を解いていた。数学の課題に終わりが見えてきたので少し休憩しようと思い、畳に仰向けに寝転がった。
「ふう、疲れた」
深呼吸をすると、い草の香りが胸いっぱいに広がった。何となく耳を澄ますと、先程まで規則的に聞こえていた筆記音は聞こえなくなっていた。若も休憩してるのかな?と目を閉じながら考えた。
すると、急に眼前からパシャリとシャッター音が聞こえた。
「え?」
びっくりして目を開けると、スマホのカメラをこちらに向けた若が立っていた。
「もう、びっくりしたじゃん」
「ヘッ。無用心に寝転がってる方が悪い」
若は「下剋上だ」と薄ら笑いを浮かべながら、写真を見せびらかしてきた。
「だったら私も若の写真撮るから!眼鏡若とか本当にレアだし、残しときたいもん」
「ちょっ、やめろ」
下を向きながら顔を手で隠そうとしているようだけどもう遅い。私はサッとスマホを取り出し若を激写した。
「ふふ、夏休み中はこの写真ホーム画面にしちゃおうっと」
「お前……」
微妙な表情の日吉を余所に、私は早速ホーム画面を先程撮った写真に設定した。
(だって、若と次にいつ会えるか分からなくて不安なんだもん)
そう。ひとえに夏休みといっても帰宅部の私と、テニス部正レギュラーの若とでは忙しさの度合いに天と地の差がある。それに若が所属しているテニス部は全国大会出場が決定してから、毎日血の滲むような練習をしていると友人から聞いた。今だって、きっと疲れてるはずなのに。
「……」
「おい、詩織」
何だか申し訳なくなってきて、泣きそうになってしまう。そんな私を見て、若は怪訝な顔をした。
「今日、俺がお前を家に誘った理由を勘違いしてるだろ」
「……課題をするためだよね」
「半分正解」
「じゃあ半分は?」
そう。元々こうして日吉家に集まることになった理由というのも、先週通話中に私が課題が終わる目処が立たないと愚痴を溢したら、若が勉強を教えてやると言ってくれたからだったはずなのに。
「詩織、お前に直接会いたかったからだ」
「えっ!?」
反射的にがばりと起き上がった。そんな私を見ると、若は微笑んだ。
「夏休みが始まってから一度も顔を会わせていなかったからな。俺だって、寂しいと感じることくらいある」
若は優しい声音で呟くと、急にそっぽを向いた。
「まあ、お前はどうだったかは知らないけどな。純粋に課題をしたかっただけならまんまと俺の手のひらで踊らされてたんだよ」
「もう……」
急に皮肉を言い始めた。そんな言動すらもいとおしく感じて、私は衝動のまま若に抱きついた。
「っおま、急に抱きつくな!」
「いいじゃん!あんなこと言われたら反則だよっ」
悪態をつきながらも、若の腕は私をしっかり支えてくれている。熱い肌同士が密着するのも厭わない。
「若、全国大会頑張ってね」
「当たり前だ」
「それで、大会終わったらいっぱいデートしよう。映画館行って、古本屋も行って、あと遊園地も行こう」
「ああ」
「……大好き」
「俺もだ、詩織」
もう少しだけ、このままでいたい。そう思いながら腕に力を込めたら、若は優しく抱きしめ返してくれた。
まだまだ夏は終わらない。きっと今年は、私と若にとってとても長いものになるだろう。大会の結果がどのようなものであっても、私は夏の先で若を出迎えて、いっぱいいっぱい褒めてあげたい。
机上の麦茶に浮かんでいた氷は、すっかり溶けきったようだ。薄茶色が夕日に反射して、キラキラ輝いているのが、若の背中越しに見えて、綺麗だなと思った。
門前にあったベルチャイムを押すと、ピンポーンと小気味良い音が響く。そのまま待っていると誰かの足音が聞こえてきて、ゆっくりと門が開いた。
「あっこんにちは!私、岬詩織です。実は今日若くんと、っわあ!若が眼鏡してる!」
「……お前、こんなに暑いのに元気だな」
驚くことに、何と門から顔を出す若は眼鏡をかけていた。黒ぶち眼鏡が栗色の髪に映えていて、いつもと雰囲気が違うように感じた私は密かにときめいた。
「今日は俺以外全員出払ってる。ほら、さっさと入れよ」
「はーい。ていうか若、視力悪かったんだね。知らなかった」
「詩織には言ってなかったか。学校にいるときは基本的にコンタクトだ」
「聞いてないよ、でも眼鏡も似合うね。学校にも眼鏡で来たらいいのに」
「断る」
「けち」
軽口を叩き合いながら若のあとに着いて、屋敷までの道を歩いた。じゃりじゃりと鳴る玉砂利とししおどしのハーモニーがなんだか心地よい。
「おじゃまします」
家の中から返事は聞こえてこない。そういえば、ついさっき若が今日はご家族みんないないって言ってたなあ。ふたりきりかあと暑さにやられてぼんやりとした頭で考えた。
「そうだ。これ先に渡しちゃうね」
自宅を出る前にお母さんから渡された手土産の紙袋を若に差し出す。
「水羊羹なんだけど」
「ああ。わざわざ悪いな。おばさんにありがとうと伝えておいてくれ」
若はそれを受けとると、「お茶の用意をしてくる。廊下を真っ直ぐ進んで突き当たって左に俺の部屋があるから、詩織は先に入ってろ」
「え、勝手に入っていいの?」
「いい。入る部屋を間違えるなよ」
部屋の場所を伝えると、若はスタスタと台所へ向かっていってしまった。何となく勝手に人の部屋に入るのは申し訳ないと感じてしまうのは、私が気にしすぎなだけなのかな。
言われた通りに廊下を突き進んで左へ向かうと、若の部屋のものであろう襖を発見した。
「し……失礼します」
遠慮がちに襖を開けると、ひんやりとした空気が漏れてきた。
「わ、涼しい」
中に入るとエアコンが程よく効いていて、炎天下の道を通ってきた私にとって天国のような空間がそこには存在していた。長机の前に用意されていた座布団の上に座って、ようやく一息つく。
部屋を見回すと、棚に整然と並べられた本(絶対ホラー物だ!と思われる背表紙も何冊か見かけた)、机の上に置かれた算盤、そして壁には「下剋上」の掛軸があった。
「ふふ、若らしいなあ」
そんな当たり前の感想が口から出たことが何だか面白くて、クスクス笑っていたら再び襖が開いて、麦茶と水羊羹をお盆に乗せた若が姿を現した。
「何一人で笑ってるんだ」
「なんでもなーい」
誤魔化すと若は興味をなくしたようで、机上にお盆と課題のプリント諸々を置き、私の向かいに座った。
「さあ。やるからにはさっさと終わらせるぞ」
「はーい。じゃあ早速片付けちゃいますか!」
氷の浮かんだ冷たい麦茶を一口飲んで、早速私たちは課題に手をつけ始めた。
「若、題2のコレってどうなるの?」
「変域の図を描け。aとbの点を代入すると答えが出る」
「……p=6で合ってる?」
「合ってる」
「はーい、ありがと」
二時間くらいだろうか、私たちはぶっ通しで問題を解いていた。数学の課題に終わりが見えてきたので少し休憩しようと思い、畳に仰向けに寝転がった。
「ふう、疲れた」
深呼吸をすると、い草の香りが胸いっぱいに広がった。何となく耳を澄ますと、先程まで規則的に聞こえていた筆記音は聞こえなくなっていた。若も休憩してるのかな?と目を閉じながら考えた。
すると、急に眼前からパシャリとシャッター音が聞こえた。
「え?」
びっくりして目を開けると、スマホのカメラをこちらに向けた若が立っていた。
「もう、びっくりしたじゃん」
「ヘッ。無用心に寝転がってる方が悪い」
若は「下剋上だ」と薄ら笑いを浮かべながら、写真を見せびらかしてきた。
「だったら私も若の写真撮るから!眼鏡若とか本当にレアだし、残しときたいもん」
「ちょっ、やめろ」
下を向きながら顔を手で隠そうとしているようだけどもう遅い。私はサッとスマホを取り出し若を激写した。
「ふふ、夏休み中はこの写真ホーム画面にしちゃおうっと」
「お前……」
微妙な表情の日吉を余所に、私は早速ホーム画面を先程撮った写真に設定した。
(だって、若と次にいつ会えるか分からなくて不安なんだもん)
そう。ひとえに夏休みといっても帰宅部の私と、テニス部正レギュラーの若とでは忙しさの度合いに天と地の差がある。それに若が所属しているテニス部は全国大会出場が決定してから、毎日血の滲むような練習をしていると友人から聞いた。今だって、きっと疲れてるはずなのに。
「……」
「おい、詩織」
何だか申し訳なくなってきて、泣きそうになってしまう。そんな私を見て、若は怪訝な顔をした。
「今日、俺がお前を家に誘った理由を勘違いしてるだろ」
「……課題をするためだよね」
「半分正解」
「じゃあ半分は?」
そう。元々こうして日吉家に集まることになった理由というのも、先週通話中に私が課題が終わる目処が立たないと愚痴を溢したら、若が勉強を教えてやると言ってくれたからだったはずなのに。
「詩織、お前に直接会いたかったからだ」
「えっ!?」
反射的にがばりと起き上がった。そんな私を見ると、若は微笑んだ。
「夏休みが始まってから一度も顔を会わせていなかったからな。俺だって、寂しいと感じることくらいある」
若は優しい声音で呟くと、急にそっぽを向いた。
「まあ、お前はどうだったかは知らないけどな。純粋に課題をしたかっただけならまんまと俺の手のひらで踊らされてたんだよ」
「もう……」
急に皮肉を言い始めた。そんな言動すらもいとおしく感じて、私は衝動のまま若に抱きついた。
「っおま、急に抱きつくな!」
「いいじゃん!あんなこと言われたら反則だよっ」
悪態をつきながらも、若の腕は私をしっかり支えてくれている。熱い肌同士が密着するのも厭わない。
「若、全国大会頑張ってね」
「当たり前だ」
「それで、大会終わったらいっぱいデートしよう。映画館行って、古本屋も行って、あと遊園地も行こう」
「ああ」
「……大好き」
「俺もだ、詩織」
もう少しだけ、このままでいたい。そう思いながら腕に力を込めたら、若は優しく抱きしめ返してくれた。
まだまだ夏は終わらない。きっと今年は、私と若にとってとても長いものになるだろう。大会の結果がどのようなものであっても、私は夏の先で若を出迎えて、いっぱいいっぱい褒めてあげたい。
机上の麦茶に浮かんでいた氷は、すっかり溶けきったようだ。薄茶色が夕日に反射して、キラキラ輝いているのが、若の背中越しに見えて、綺麗だなと思った。