司まふ
コツン、と窓が鳴った。
イヤホンを片耳だけ外し、窓へ目を向ける。
『でもさぁ〜、ここ、音ズレはしてないんだけど、ちょ〜っと気になるんだよねぇ。なんかこう、物足りないっていうか…もう少し動きが欲しくない?』
『でもKからはオッケー出たんでしょ?』
『それはそうなんだけど、なんかなぁ〜…なぁーんか、ちょっとなぁ〜…』
カン、と再び音が鳴る。
窓のふちへ小石が当たったのか、やや甲高い音色が深夜の部屋に転がり込む。
『今回の曲ってわりとしっとりめだし、曲に集中させるならそこまで動かさなくてもいいんじゃない?』
『ん〜…んん〜〜……んんんぅ〜〜〜………!!』
『あ〜、これドツボハマっちゃってるわ。あ、雪は?どこか手直しした方がいいと思うところある?』
「…わからない。けど、何かが足りない気はする」
『やっぱり!?どこ!?どのへんでそう思った!?』
「………わから、」
カッ、コッ、コッ、カッ、
四連続の小石の催促に開きかけた口が止まる。
『雪?』
『あっ、もう2時か。じゃあ恒例のアレ?』
『あー、ロミオのお迎え』
「ロミオじゃない」
『えー、じゃあラプンツェルにしとく?』
それも原作は悲劇だ。
『いーじゃんいーじゃん!こんな時間くらいしか遊べないんだし、デート行ってきなって。ていうかいま作業止まってるのボクが原因だしね!!ほんっとごめん!!』
『ま、こっちはこっちで詰めておくからあんたはちょっとくらい休んでなさいよ。あ、あとでちゃんと感想聞かせてよ?』
「…わかった。MVの感想はあとでまとめて送る」
『いやいや、分かってて言ってるでしょ。デートの方よ!デートの方!いっつも誤魔化すんだから!ちょっとくらいいいでしょ!』
『あ、それボクも聞きたーい!』
やっぱり、こうなると思った。
「出掛けないからデートじゃない」
『うんうん、お家デートだよね〜!』
「………はぁ………」
何回目か分からない否定も嬉しそうな声で流される。
誤解を解くために話せば話すほど誤解が深まっていくように思えて最近はあえて何も言わないようにしたら、言えないのかぁ〜!私たちには言えないのかぁ〜!とはしゃがれたので八方塞がりなのが現状だ。心底面倒くさい。
『わぁ〜すごいあからさまなため息〜』
『普段そんなのしないでしょうがぁ……!!』
「…とりあえず、Kが戻ったら連絡して」
『いや、このまま落ちていいんじゃない?いま雪の作業ないし。
それに、あんたどうせ朝早いんだから。ここ最近だいぶ遅くまでやってたんだし、ちょっとくらい休みなさいよ』
絵名の提案に『あ、確かに〜!』と瑞希が乗った。
これは恐らくナイトコードに戻っても寝ろ寝ろとうるさくなるパターンだと察する。
「…じゃあ、そうする」
『うんうん、ごゆっくり〜!』
『あっ、デートの感想!忘れないでよ!?ぜったいだか、』
絵名の言葉を途中でぶち切り、イヤホンを外す。
…切るタイミングを間違えた気がする。明日には忘れていてくれるといいが、まぁ最悪、瑞希がなんとかするだろう。
窓を少しだけ開き、ハンガーへ掛けた制服のリボンを抜き取ると窓の隙間からひらひらとさせる。
小石攻撃が止んだことを確認してから音がしないようゆっくりと窓を開けると、小石をジャグリングしている見知った不審者が目に入る。
「…ねぇ。窓、そろそろ傷が残りそうだから他の方法にしてくれないかな。私が起きてなかったら本当にただの不審者だからね」
「起きてるって確信を持って来てるからなぁ。それに、元はと言えばお前が連絡先を教えてくれたらそこで話は終わるんだぞ?」
にやり、と青年は不敵に笑う。
「それは無理だって言ってるでしょ」
「なら仕方ないな。それに、こういうのも悪くないだろう?ロミオとジュリエットっぽくて!」
「だからそれ悲劇でしょう」
世に流布する密会する男女の物語は悲恋が多い。
この人はどんな風に結末を彩るのだろうと考えてかぶりを振る。この人の考えをまともに理解しようとすると頭痛がする。少し距離を置くくらいが私たちには丁度いい。
よっ、ほっ、と重力をものともせず壁と塀を伝って窓へ駆け上がる青年を呆れて見つめる。
「まーた作業か。相変わらず健康的とは程遠い…、目に悪いぞ」
「生憎、目はいい方だから。それより、まだ作業が残ってるから早めに終わらせて帰って」
作業自体はナイトコードに繋げなくとも出来る。いま出来る作業がないなら次の曲の歌詞を書けばいいだけだ。
「ふふーん、残念だったな、宵崎から朝比奈の方の作業は一段落していると連絡が来ているぞ?つまりお前の今夜の予定は───完全フリーのはずだ」
ドヤりとキメ顔をする司をまふゆはじとりと睨めつける。
「…いつの間に奏と連絡先交換したの」
「はははは、秘密だ」
「………………」
「心配しなくてもオレは朝比奈一筋だぞ?」
そんなことは聞いてないし欠片も興味はない。
ないったらない。嬉しがるな。
司はすっかり慣れた身のこなしでするりと窓枠を超えてまふゆの部屋へと乗り込む。
うやうやしく膝を折り、忠誠を誓う騎士の如くまふゆの手の甲へと口付ける一連の流れは初めて司がまふゆのために即興劇を演じたときから変わらない。
気取ったその仕草と仰々しい振る舞いは瞬間、まふゆの部屋を小さなステージへと変えてしまう。
「それでは今宵もお前のためだけの深夜の特別公演 を始めよう」
「この前みたいに騒いだら今度こそ窓から突き落とすから」
「本当にやりそうでめちゃくちゃ怖いな………。
…オホン、今晩お届けする物語は心震えるラブストーリーだ。いつも通り上演中はお静かに願おう。作業も思考も止めて、ただひとつ、目の前の物語だけに心奪われてくれ」
まふゆはイスからベットへと腰掛け、月明かりのした神秘的な雰囲気をまとった司の口上へ耳を傾ける。
「それは、むかしむかし、いつかの話。
いつかどこかであった、とおいとおい、とある物語───」
*
*
*
「…そんなわけで、強く、善く、賢き王となった少年は国中の人間を集め、あらためて盛大なパーティを催した。そこには博士や町娘が楽しげに談笑する姿があった。
ああ、もちろん、今度のパーティの招待状にはおっちょこちょいな魔女の名前もあったとさ。めでたし、めでたし、………どうだ!?」
「及第点」
一人芝居に幕が下りると同時に感想を求める司へ、まふゆは音がしないよう手の甲を軽く叩きながら拍手する。
「くっ…!ギリギリか…!ちなみにどこがマイナス点だ?」
「起承転結が雑。テーマは分かりやすいけどモチーフがそぐわない。全体的に話がバラバラで聞いていて頭が混乱する。あと単語、言葉の使い方が間違ってるところがあった。メモしたから辞書を引くなりなんなりして手直しした方がいい」
「ぐぅっ…!具体的…っ!参考になるダメ出しだ……!ありがとう…!」
司は腰につけたミニバッグからスマホを取り出しちまちまとメモをとっていく。合間合間にポコンポコンと音が鳴るのはメッセージアプリの通知音だろうか?こんな真夜中にまで起きている友人をもっているとは、真面目そうな顔をして案外不良な男だ。
「……戴冠式のところは舞台映えすると思う」
「おっ、そこに目をつけるとは流石だな、そこはオレのイチオシシーンだ。ちなみにもうひとつ舞台映えを意識したシーンがあったんだが分かったか?」
まふゆがなんとなしに気づいた点をあげると司はきらきらと嬉しそうに顔をあげて人差し指を立てる。
「博士の道具紹介のシーン?」
「ああ〜、確かに。そこも面白い演出に出来そうだな」
「…町娘と出会うシーン」
「そこは歌唱とダンスを挿入する予定だな。うちの歌姫の本領発揮だ」
しばし考える。妙に上機嫌な司の顔がなぜか鼻につく。
「………。どこ」
「ふっふーん、なんだ、もう降参かぁ〜?」
なぜ得意げなのだろうか。不思議と手元の枕を司の顔面にぶち当てたくなる。別にそんなことはしないが。
「いいんだぞぉ〜?も〜っと教えてくれ。朝比奈がいいなと思ったシーンは参考になるからなぁ〜。も〜っと教えて欲しいなぁ〜」
んふんふと笑い声をもらしながらくねくねとする司にまふゆは素直に引く。
「お手上げ」
「いやいやまだあるんじゃないか?ほらほら、遠慮せずぅ!さぁどんと言ってくれ、どんと!どんどんと!」
「こ、う、さ、ん」
「そんな睨むなよ…怖くて泣いちゃうだろ……」
コホン、と仕切り直すように咳払うと司はにやりと笑う。
「ラストシーン、少年が剣を探すシーンだ」
「剣を探すシーン…?」
予想外の言葉にきょとりと目を丸くする。
司はまふゆの様子に嬉しそうに頷き、にこにことしながら解説をする。
「ああ、少年が折れた剣の代わりになるものはないかと探すシーン、ここで観客に聞いて回る演出をするつもりだ」
「観客を演出に加えるの?」
まふゆとしてはあまり聞かない演出にぱちぱちと目を瞬くしかない。
「少年の焦りや必死さを伝えるにはいい演出だと思うんだ。観客も同じ気持ちになってドキドキするだろう?臨場感を出すにはピッタリな演出だ」
きらきらと輝く瞳は自信ありげだ。しかし、
「…物珍しくはあるけど、珍しいってことはそれだけ人がやらない、やってないってこと。それだけのリスクがあることは分かってた方がいいとは思うよ」
まふゆの忠言に司はチッチッチと指を降った。
「ふふん。うちの演出家をナメるなよ?この手の演出は得意中の得意だ。まぁ、あまり多用すると効果も薄くなるからと最近は抑え気味だがな」
そこまで言い終わると司はぐーっと背伸びをし、大あくびをする。疲れの見えるその姿にまふゆは呆れた目を向ける。
「…毎回思うけど、こんな時間まで出歩くの、良くないと思うよ。見つかったら大変なことになるし、いい加減もうやめたら?」
「ほぼ毎晩起きては親に内緒でネット仲間と作業してる奴に言われてもなぁ?」
意味ありげに向けられた視線にまふゆはピクリと眉を釣り上げる。
「私は私にとって大切だと思うやるべきことをやっているだけ」
「そうだな。心配はときにお節介となる。…だろ?」
言い返した言葉を肯定され、黙る。
いつだったかまふゆが司へ刺した嫌味をさらりと蒸し返されて地味に長くなってきた付き合いを嫌でも思い起こさせられる。
きまりが悪くなったまふゆが司から顔を逸らして口をとがらせる。
「…なんの意味もないのに」
「あるさ」
「ないよ」
「いいや、ある」
「ないったら」
「オーレーにーはーあーるーんーでーすぅー」
ベッドのすみっこで小さくまるまるまふゆへ司はまふゆと背中合わせになってくつくつと笑う。うるさい。笑うな。お母さんが起きてきたら困るのはそっちでしょうが。
「好きなやつの顔を見て、好きなことの話が出来る。この一分一秒がどれほど特別な時間か。伝えられないことが、どれほどもどかしいか」
司はまふゆへ体重を預け、窓の外の星空を見上げる。
「悔しいな。心ばかり先走って、いつも言葉だけが追いつかないんだ」
「………ほんとう、へんなひと」
「なんだ、今更知ったのか?お前だって充分変なやつだよ。…ん、オレはそろそろ帰るが、あんまり夜遅くまで頑張りすぎるなよ。ちゃんと寝ないと身体に悪いんだからな?」
すっと離れた体温がまふゆから少しばかりの寒さを残す。室温に変化はないはずなのだから、それを寒いと思うのは、たぶん、さみしい、とか、そういった言葉があてはまるのだと、思う。…調子に乗るから絶対に言ってやらないけれど。
「…帰り道、気をつけて」
「ああ」
「補導されないように」
「うっ、あ、ああ、気をつける…!」
窓枠へ足をかけた司の背中を見てまふゆは「あっ、」と声をあげた。
不思議そうに振り返った司をよそにまふゆはカレンダーへ目を向ける。ああ、そうだ。そうだった。今日は、
「誕生日、おめでとう」
きょとんとした目が驚きに見開かれて、みるみるうちに月明かりに照らされた顔へ赤が差し込んでいく。
「っ、あっ、…あ、あり、がとう…!」
咄嗟に出かかった声を飲み込んで、心底嬉しそうに司ははにかんだ。
そんな司の様子をすっかりスルーしてまふゆは口元に手を当てて考え込む。誕生日プレゼント、考えてなかった。どうしよう。
一瞬思考し、まふゆは司を手招く。
ほいほいと素直に手招かれた司を見てまふゆは毒気を抜かれる。
うーん、と少しだけ悩み、司を見つめる。
意を決したようにまふゆは司へ一歩踏み込み、背伸びをする。
頬へ触れるだけのくちづけを落とし、離れる。
「…一応、誕生日プレゼント。…どう?」
ぽかんとしたのちに先程の比ではなくぶわわわわ、と真っ赤になった司が声も無くしてガクリとベッドへ落ちる。
「ど、な、ど、うぁ、」
衝撃のあまり、どうやら言語を無くしてしまったようだ。
顔を覆ったままときおり「ヴ、ぐっ、ゔゔっ、」と唸る司の前へしゃがみこみ、手のひらで隠しきれない赤を見上げる。
「今年もいい年になるといいね」
じっと見つめていると司がゆっくりと顔から手を離す。
若干涙目の司はギッとまふゆを睨んだ。
「…今夜は帰りたくない感じ?」
ニッコリとしたほほ笑みに司は悔しがっているのか恥ずかしがっているのか、名状しがたい声をあげて立ち上がる。
「〜〜〜っ、ええいうるさい帰るわっ!」
「声が大きい」
司は再び顔を覆うと「もーおまえやだ」とべそをかいた。
イヤホンを片耳だけ外し、窓へ目を向ける。
『でもさぁ〜、ここ、音ズレはしてないんだけど、ちょ〜っと気になるんだよねぇ。なんかこう、物足りないっていうか…もう少し動きが欲しくない?』
『でもKからはオッケー出たんでしょ?』
『それはそうなんだけど、なんかなぁ〜…なぁーんか、ちょっとなぁ〜…』
カン、と再び音が鳴る。
窓のふちへ小石が当たったのか、やや甲高い音色が深夜の部屋に転がり込む。
『今回の曲ってわりとしっとりめだし、曲に集中させるならそこまで動かさなくてもいいんじゃない?』
『ん〜…んん〜〜……んんんぅ〜〜〜………!!』
『あ〜、これドツボハマっちゃってるわ。あ、雪は?どこか手直しした方がいいと思うところある?』
「…わからない。けど、何かが足りない気はする」
『やっぱり!?どこ!?どのへんでそう思った!?』
「………わから、」
カッ、コッ、コッ、カッ、
四連続の小石の催促に開きかけた口が止まる。
『雪?』
『あっ、もう2時か。じゃあ恒例のアレ?』
『あー、ロミオのお迎え』
「ロミオじゃない」
『えー、じゃあラプンツェルにしとく?』
それも原作は悲劇だ。
『いーじゃんいーじゃん!こんな時間くらいしか遊べないんだし、デート行ってきなって。ていうかいま作業止まってるのボクが原因だしね!!ほんっとごめん!!』
『ま、こっちはこっちで詰めておくからあんたはちょっとくらい休んでなさいよ。あ、あとでちゃんと感想聞かせてよ?』
「…わかった。MVの感想はあとでまとめて送る」
『いやいや、分かってて言ってるでしょ。デートの方よ!デートの方!いっつも誤魔化すんだから!ちょっとくらいいいでしょ!』
『あ、それボクも聞きたーい!』
やっぱり、こうなると思った。
「出掛けないからデートじゃない」
『うんうん、お家デートだよね〜!』
「………はぁ………」
何回目か分からない否定も嬉しそうな声で流される。
誤解を解くために話せば話すほど誤解が深まっていくように思えて最近はあえて何も言わないようにしたら、言えないのかぁ〜!私たちには言えないのかぁ〜!とはしゃがれたので八方塞がりなのが現状だ。心底面倒くさい。
『わぁ〜すごいあからさまなため息〜』
『普段そんなのしないでしょうがぁ……!!』
「…とりあえず、Kが戻ったら連絡して」
『いや、このまま落ちていいんじゃない?いま雪の作業ないし。
それに、あんたどうせ朝早いんだから。ここ最近だいぶ遅くまでやってたんだし、ちょっとくらい休みなさいよ』
絵名の提案に『あ、確かに〜!』と瑞希が乗った。
これは恐らくナイトコードに戻っても寝ろ寝ろとうるさくなるパターンだと察する。
「…じゃあ、そうする」
『うんうん、ごゆっくり〜!』
『あっ、デートの感想!忘れないでよ!?ぜったいだか、』
絵名の言葉を途中でぶち切り、イヤホンを外す。
…切るタイミングを間違えた気がする。明日には忘れていてくれるといいが、まぁ最悪、瑞希がなんとかするだろう。
窓を少しだけ開き、ハンガーへ掛けた制服のリボンを抜き取ると窓の隙間からひらひらとさせる。
小石攻撃が止んだことを確認してから音がしないようゆっくりと窓を開けると、小石をジャグリングしている見知った不審者が目に入る。
「…ねぇ。窓、そろそろ傷が残りそうだから他の方法にしてくれないかな。私が起きてなかったら本当にただの不審者だからね」
「起きてるって確信を持って来てるからなぁ。それに、元はと言えばお前が連絡先を教えてくれたらそこで話は終わるんだぞ?」
にやり、と青年は不敵に笑う。
「それは無理だって言ってるでしょ」
「なら仕方ないな。それに、こういうのも悪くないだろう?ロミオとジュリエットっぽくて!」
「だからそれ悲劇でしょう」
世に流布する密会する男女の物語は悲恋が多い。
この人はどんな風に結末を彩るのだろうと考えてかぶりを振る。この人の考えをまともに理解しようとすると頭痛がする。少し距離を置くくらいが私たちには丁度いい。
よっ、ほっ、と重力をものともせず壁と塀を伝って窓へ駆け上がる青年を呆れて見つめる。
「まーた作業か。相変わらず健康的とは程遠い…、目に悪いぞ」
「生憎、目はいい方だから。それより、まだ作業が残ってるから早めに終わらせて帰って」
作業自体はナイトコードに繋げなくとも出来る。いま出来る作業がないなら次の曲の歌詞を書けばいいだけだ。
「ふふーん、残念だったな、宵崎から朝比奈の方の作業は一段落していると連絡が来ているぞ?つまりお前の今夜の予定は───完全フリーのはずだ」
ドヤりとキメ顔をする司をまふゆはじとりと睨めつける。
「…いつの間に奏と連絡先交換したの」
「はははは、秘密だ」
「………………」
「心配しなくてもオレは朝比奈一筋だぞ?」
そんなことは聞いてないし欠片も興味はない。
ないったらない。嬉しがるな。
司はすっかり慣れた身のこなしでするりと窓枠を超えてまふゆの部屋へと乗り込む。
うやうやしく膝を折り、忠誠を誓う騎士の如くまふゆの手の甲へと口付ける一連の流れは初めて司がまふゆのために即興劇を演じたときから変わらない。
気取ったその仕草と仰々しい振る舞いは瞬間、まふゆの部屋を小さなステージへと変えてしまう。
「それでは今宵もお前のためだけの
「この前みたいに騒いだら今度こそ窓から突き落とすから」
「本当にやりそうでめちゃくちゃ怖いな………。
…オホン、今晩お届けする物語は心震えるラブストーリーだ。いつも通り上演中はお静かに願おう。作業も思考も止めて、ただひとつ、目の前の物語だけに心奪われてくれ」
まふゆはイスからベットへと腰掛け、月明かりのした神秘的な雰囲気をまとった司の口上へ耳を傾ける。
「それは、むかしむかし、いつかの話。
いつかどこかであった、とおいとおい、とある物語───」
*
*
*
「…そんなわけで、強く、善く、賢き王となった少年は国中の人間を集め、あらためて盛大なパーティを催した。そこには博士や町娘が楽しげに談笑する姿があった。
ああ、もちろん、今度のパーティの招待状にはおっちょこちょいな魔女の名前もあったとさ。めでたし、めでたし、………どうだ!?」
「及第点」
一人芝居に幕が下りると同時に感想を求める司へ、まふゆは音がしないよう手の甲を軽く叩きながら拍手する。
「くっ…!ギリギリか…!ちなみにどこがマイナス点だ?」
「起承転結が雑。テーマは分かりやすいけどモチーフがそぐわない。全体的に話がバラバラで聞いていて頭が混乱する。あと単語、言葉の使い方が間違ってるところがあった。メモしたから辞書を引くなりなんなりして手直しした方がいい」
「ぐぅっ…!具体的…っ!参考になるダメ出しだ……!ありがとう…!」
司は腰につけたミニバッグからスマホを取り出しちまちまとメモをとっていく。合間合間にポコンポコンと音が鳴るのはメッセージアプリの通知音だろうか?こんな真夜中にまで起きている友人をもっているとは、真面目そうな顔をして案外不良な男だ。
「……戴冠式のところは舞台映えすると思う」
「おっ、そこに目をつけるとは流石だな、そこはオレのイチオシシーンだ。ちなみにもうひとつ舞台映えを意識したシーンがあったんだが分かったか?」
まふゆがなんとなしに気づいた点をあげると司はきらきらと嬉しそうに顔をあげて人差し指を立てる。
「博士の道具紹介のシーン?」
「ああ〜、確かに。そこも面白い演出に出来そうだな」
「…町娘と出会うシーン」
「そこは歌唱とダンスを挿入する予定だな。うちの歌姫の本領発揮だ」
しばし考える。妙に上機嫌な司の顔がなぜか鼻につく。
「………。どこ」
「ふっふーん、なんだ、もう降参かぁ〜?」
なぜ得意げなのだろうか。不思議と手元の枕を司の顔面にぶち当てたくなる。別にそんなことはしないが。
「いいんだぞぉ〜?も〜っと教えてくれ。朝比奈がいいなと思ったシーンは参考になるからなぁ〜。も〜っと教えて欲しいなぁ〜」
んふんふと笑い声をもらしながらくねくねとする司にまふゆは素直に引く。
「お手上げ」
「いやいやまだあるんじゃないか?ほらほら、遠慮せずぅ!さぁどんと言ってくれ、どんと!どんどんと!」
「こ、う、さ、ん」
「そんな睨むなよ…怖くて泣いちゃうだろ……」
コホン、と仕切り直すように咳払うと司はにやりと笑う。
「ラストシーン、少年が剣を探すシーンだ」
「剣を探すシーン…?」
予想外の言葉にきょとりと目を丸くする。
司はまふゆの様子に嬉しそうに頷き、にこにことしながら解説をする。
「ああ、少年が折れた剣の代わりになるものはないかと探すシーン、ここで観客に聞いて回る演出をするつもりだ」
「観客を演出に加えるの?」
まふゆとしてはあまり聞かない演出にぱちぱちと目を瞬くしかない。
「少年の焦りや必死さを伝えるにはいい演出だと思うんだ。観客も同じ気持ちになってドキドキするだろう?臨場感を出すにはピッタリな演出だ」
きらきらと輝く瞳は自信ありげだ。しかし、
「…物珍しくはあるけど、珍しいってことはそれだけ人がやらない、やってないってこと。それだけのリスクがあることは分かってた方がいいとは思うよ」
まふゆの忠言に司はチッチッチと指を降った。
「ふふん。うちの演出家をナメるなよ?この手の演出は得意中の得意だ。まぁ、あまり多用すると効果も薄くなるからと最近は抑え気味だがな」
そこまで言い終わると司はぐーっと背伸びをし、大あくびをする。疲れの見えるその姿にまふゆは呆れた目を向ける。
「…毎回思うけど、こんな時間まで出歩くの、良くないと思うよ。見つかったら大変なことになるし、いい加減もうやめたら?」
「ほぼ毎晩起きては親に内緒でネット仲間と作業してる奴に言われてもなぁ?」
意味ありげに向けられた視線にまふゆはピクリと眉を釣り上げる。
「私は私にとって大切だと思うやるべきことをやっているだけ」
「そうだな。心配はときにお節介となる。…だろ?」
言い返した言葉を肯定され、黙る。
いつだったかまふゆが司へ刺した嫌味をさらりと蒸し返されて地味に長くなってきた付き合いを嫌でも思い起こさせられる。
きまりが悪くなったまふゆが司から顔を逸らして口をとがらせる。
「…なんの意味もないのに」
「あるさ」
「ないよ」
「いいや、ある」
「ないったら」
「オーレーにーはーあーるーんーでーすぅー」
ベッドのすみっこで小さくまるまるまふゆへ司はまふゆと背中合わせになってくつくつと笑う。うるさい。笑うな。お母さんが起きてきたら困るのはそっちでしょうが。
「好きなやつの顔を見て、好きなことの話が出来る。この一分一秒がどれほど特別な時間か。伝えられないことが、どれほどもどかしいか」
司はまふゆへ体重を預け、窓の外の星空を見上げる。
「悔しいな。心ばかり先走って、いつも言葉だけが追いつかないんだ」
「………ほんとう、へんなひと」
「なんだ、今更知ったのか?お前だって充分変なやつだよ。…ん、オレはそろそろ帰るが、あんまり夜遅くまで頑張りすぎるなよ。ちゃんと寝ないと身体に悪いんだからな?」
すっと離れた体温がまふゆから少しばかりの寒さを残す。室温に変化はないはずなのだから、それを寒いと思うのは、たぶん、さみしい、とか、そういった言葉があてはまるのだと、思う。…調子に乗るから絶対に言ってやらないけれど。
「…帰り道、気をつけて」
「ああ」
「補導されないように」
「うっ、あ、ああ、気をつける…!」
窓枠へ足をかけた司の背中を見てまふゆは「あっ、」と声をあげた。
不思議そうに振り返った司をよそにまふゆはカレンダーへ目を向ける。ああ、そうだ。そうだった。今日は、
「誕生日、おめでとう」
きょとんとした目が驚きに見開かれて、みるみるうちに月明かりに照らされた顔へ赤が差し込んでいく。
「っ、あっ、…あ、あり、がとう…!」
咄嗟に出かかった声を飲み込んで、心底嬉しそうに司ははにかんだ。
そんな司の様子をすっかりスルーしてまふゆは口元に手を当てて考え込む。誕生日プレゼント、考えてなかった。どうしよう。
一瞬思考し、まふゆは司を手招く。
ほいほいと素直に手招かれた司を見てまふゆは毒気を抜かれる。
うーん、と少しだけ悩み、司を見つめる。
意を決したようにまふゆは司へ一歩踏み込み、背伸びをする。
頬へ触れるだけのくちづけを落とし、離れる。
「…一応、誕生日プレゼント。…どう?」
ぽかんとしたのちに先程の比ではなくぶわわわわ、と真っ赤になった司が声も無くしてガクリとベッドへ落ちる。
「ど、な、ど、うぁ、」
衝撃のあまり、どうやら言語を無くしてしまったようだ。
顔を覆ったままときおり「ヴ、ぐっ、ゔゔっ、」と唸る司の前へしゃがみこみ、手のひらで隠しきれない赤を見上げる。
「今年もいい年になるといいね」
じっと見つめていると司がゆっくりと顔から手を離す。
若干涙目の司はギッとまふゆを睨んだ。
「…今夜は帰りたくない感じ?」
ニッコリとしたほほ笑みに司は悔しがっているのか恥ずかしがっているのか、名状しがたい声をあげて立ち上がる。
「〜〜〜っ、ええいうるさい帰るわっ!」
「声が大きい」
司は再び顔を覆うと「もーおまえやだ」とべそをかいた。
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