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司まふ

 
それはどこでもないセカイ
セカイが成り立つ前の、思い出のかけらと破片が散らばるセカイの編纂所
泣き声だけが響く小さな箱庭の、二人だけの白昼夢の話

どこでもない場所で何者でもない少年少女は背中合わせに膝を抱えていました
天地に散らばった大小様々な鏡のようなかけらや破片がプリズムをきらめかせます

不思議なことに空中にさえ浮かぶそれらには、ふたりが目を逸らした思い出の姿が映し出されていました

泣きそうになるくらい脆い破片に映り込むのは、ふたりが様々な思いと理由で閉じ込めた思い出たちでした

◇◇◇◇

空に浮かぶ破片には月明かりに照らされたピアノがありました
地へ転がる破片には着れなかったお姫様のドレスがありました

擦れて滲む破片には汚れたサッカーボールがありました
ボロボロの破片には捨てられたクッキーがありました

黄色く輝くかけらには真っ赤なオペラカーテンがありました
紫に澄んだかけらにはうさぎの形に剥かれたりんごがありました


二人は背中合わせに座り込んでいました

声を殺して涙を流す少年と涙も枯れ果ててぼんやりと空中を見つめる少女はかわるがわる、誰にもいえなかった秘密を告白します



少年はつぎからつぎへと溢れる涙を拭いながら泣きじゃくります

朝が来るのが怖い
あの子に会うのが怖いんだ
昨日は生きていたあの子が今日には冷たくなっているかもしれない
真っ白なベットの上で眠る静かな横顔が怖い
大きな機械に囲まれて管を繋がれて横たわるあの子を見るのが怖いんだ

泣いているあの子を見たくない
あの子が笑っている時は少しだけ安心してほっとする
すごく嬉しくなってとても幸せになれるんだ

それなのに、やっぱり、怖いんだ
あの子の細い腕が、白い肌が、咳が、熱が、目を閉じると思い浮かんで怖くなる

それがとても、とても、とても許せないんだ
寂しいことも哀しい気持ちも全部あの子の方がずっとずっと強いはずなのに
いちばん辛いのはあの子なのに、あの子の顔を見ることが辛いと思ってしまったことが一瞬だってあることが許せないんだ

あの子の目がもう開かれないかもしれない夜が怖くて、あの子をもう笑わせてあげられないかもしれない朝が来ると思ったら、頭が真っ白になる

絶対に失敗したくない、失敗なんて出来ない、あの子には失敗を取り戻させてくれる余分な時間なんてないのだから

何も出来ない自分が許せない、あの子を救えない自分が許せない
自分が情けなくて、辛くて、怖くて、それがとても、悔しいんだ



虚ろな目をした少女がはらはらと涙をこぼしました

大好きなの
とっても大好きで、だから頑張れる

頑張ることは辛いことじゃない
頑張らなきゃいけないから頑張るの

頑張ることは当たり前だから、辛いなんて思うはずがない
でも、いつまで頑張ればいいのか分からなくなってしまって、それを考えると頭がぼうっとするの

お父さんこともお母さんのことも大好き
喜んでくれるのが嬉しくて、悲しませたくないと思う

頑張ったら喜んでくれるし、褒めてくれる
嬉しかった。幸せだと思った。それはほんとうに、ほんとうなのに

それなのに、今は嬉しくないって思ってしまうの
頑張った私じゃないと愛されてないって思ってしまうの

そんな自分が大嫌いで、とても、とても悲しいの
もしも知られてしまったらどうしよう、嫌われてしまうかもしれない
がっかりさせてしまう、いい子じゃない私なんていらないって言われてしまうかもしれない

だから、隠さなきゃいけないの
見つかったらいけないの、頑張る私なんて、愛されたいと思う私なんてどこにも居てはいけないんだから

大好きよって言って欲しいことも、抱きしめて欲しいことも、頭を撫でて欲しいことも

全部、全部。隠して、閉じ込めて、無かったことにしてしまうの



誰にも言えない本当を白昼夢の箱庭でふたりは密やかに吐き出します

大好きだから言えないのです
愛しているから知られてはいけないのです


だって大好きなのは本当なのです
愛しているのだって本当なのです

悲しませたくないのも、笑って欲しいのも本当の気持ちなのです

それでもなお、愛おしさにひたりとくっつく哀しさや虚しさ、苦しさはどこまでもふたりを追い詰めます

愛と癒着した恐怖は彼らの心を酷く蝕みました

だから、少年は忘れてしまうことにしました
だから、少女は隠してしまうことにしました


愛している
とても、とても愛している

それなのに、いいえ、それだけじゃないからこそ、辛いこと



少年は願います

明日の来ない世界を望みます
終わらない絵本のような世界が欲しい、と
おもちゃ箱のような楽しさと幸せが永遠に続く世界を願います


少女は願います

明日の来ない世界を望みます
何も無いからっぽの世界が欲しい、と
何も失うことがなく誰に傷つけられることもない世界を願います

寂しさも恐ろしさも忘れてしまいたいと願った少年と
苦しみも哀しさも全てを無くしてしまいたいと願った少女は
白昼夢でしか涙をこぼすことも出来ない弱さを胸の奥底に閉じ込めて瞳を閉じました

◇◇◇◇

時は進み、セカイは形作られます

少年少女の願いに呼応した閉じたセカイは、彼らを愛し慈しむセカイの住人たちの手助けと奇跡のような出逢いによって開かれました

少年は喜びを照らし、懸命に奔走する運命に出逢いました
独りでは知りえなかったスポットライトの熱さと万雷の喝采を、
カーテンコールでこみ上げる胸の高まりを、
なにより、かけがえのない友を得ました

悲しみと寂しさを思い出として心の奥底へしまった彼は、ふとした拍子に思い出し、そのたびに痛みに苦しみます

けれど、彼はもう独りではありません

かつて誰もいない部屋できらきら星を弾いていた少年は、いまや舞台の上で多くの人の心に星々の光を魅せました
胸の奥底へしまった寂しさを抱きしめて、少年はハッピーエンドへと走り続けます
舞台の上で踊るように生きる少年は、自分が大切にしなければならない想いをようやく取り戻せることでしょう



少女は何物にも代えがたい運命に救われるでしょう
消えたいと叫ぶように泣く夜にはただ傍にじっと寄り添う温度が、
心を閉ざし胸をしめつける痛みに耐える朝にはその手をけして離さない掌があります
当たり前の感覚や感情をいまだ理解し難い少女を、呆れてもなお傍を離れず叱る声も、
なにげない小さな喜びや感動を共有しようとする悪戯な笑みだって隣にあるのです

彼女はもう独りではありません

少女は知りました
消えたいと願う痛みを抱えながらもそれぞれの痛みに向き合って生きる者がいることを知りました

恐ろしさばかりではなく、苦しみだけではない朝を知りました
寂しさばかりではなく、悲しみだけではない夜を知りました

寂しくも暖かなセカイで寄り添い合う静寂と心地よい騒音を知りました

春風が運んだ桜のかけらが美しいと思えた不思議に少女はまだ気づきません
その美しさの理由が、ともに見た仲間たちの存在があったからこそなのだと気づくには、もう少しだけ時間が必要でしょう


時が過ぎれば、四季は巡ります

永遠の冬はありません
咲かない花はありません

厳しい冬を耐えたつぼみは、優しさという水と救いという太陽により、やがて美しい花を咲かせます

そうして、少女を救うことをけして諦めない強さはやがて心震わせる交奏曲を奏でることでしょう


◇◇◇◇


かつて、セカイになる前の小さな箱庭で、少年と少女は泣いていました

もう遠い昔のこと
大きくなったふたりが背を向けて歩き去ったかつての場所はもうどこにもありません

ふたりが名前もない泡沫の箱庭を思い出すことはありません

けれど、互いの道を歩む中で少年と少女は再び出会います

涙と嗚咽をひた隠した白昼夢ではなく、喜びと優しさに肯定された現実の世界で





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